穏やかな海の上を、船は順調に進む。僕達の故郷へと。 何層もの小さな波しか無い海の水面は、まるで柔らかい大地のようだ。 ふわふわ、ゆらゆらと柔らかい水面の大地を、どこまでも何所へでも歩いて行けそうだ。 でも、君の髪を攫う風は、船の前方からしか吹いてこない。 君は「タイタニックみたい」と言って、船の進む先しか見ていない。 「歩けそう」なんて考えているのは僕だけなのだろう。 「私、大学は都会の学校へ行くわ」 これは君の口癖だった。 「こんなつまらないところ、早く出て行きたい」 これも君の口癖だった。 いつも気付くのが遅い僕は「あぁそうか」と思った。 そしてそれは僕の口癖にもなった。 僕達は、この狭い世界が疎ましくて仕様が無かった。 この狭い世界に、ずっといる事が恐ろしかった。 親に言えないことをする度に、何かを勝ち取っている様な気がしていた。 僕と君だけの秘密が増える度に、僕らの前にこれから広がる世界が大きくなる気がしていた。 僕達は都会の大学へ進学することが出来た。 僕達はこの船に乗って、新しい世界を手にした。 君の口癖は「もっと広い世界で生きていたい」になった。僕の口癖にもなった。 僕達はお互いに、お互いが同じ世界の住人だった。 もっと違う世界が見たかった。 僕達にはそれぞれ違う恋人が出来た。 僕達の恋人は何人も変わった。違う世界をもっともっと見たかったから。 でも、いつも僕達は言っていた。「もっと広い世界で生きていたい」と。 いつも、僕達の世界は全然満たされていなかった。 「おい。涼介。美穂が結婚するって本当か?」 「は?」 「あいつ、出来ちゃったんだって?」 「え?」 ビックリした。君が誰かのものになってしまうなんて。 君の世界を、僕ではない誰かが共有するなんて。 そして気付いた。 君のいない世界を広げることに何の意味も無かったのだと。 僕は、狭い世界の方が満たされていたんだ。 君と共有する世界が、一番手にしたい世界だった。 やっぱり僕は気付くのが遅いんだ。 いつも君に気付かされる。 靡く髪を押さえながら笑う、君のお腹は大きい。 新しい、君の世界。 幸せそうな君を、僕は目を細めながら見つめている。 僕の視線に気付いた君は笑いながら言った。 「ねぇ、何か、海の上、歩けそうじゃない?」 こんな他愛も無い一言で、僕は、君の世界と繋がっていると期待してしまう。 「幸せに」 そう呟いた僕の声は、この広い世界の片隅に吹く風にかき消されて、どこかへ運ばれて行った。
いつか月に行きたい。人類ははるかな昔から自分たちの手が届かない場所で燦然と輝く宝石のような月を手に入れたいと思っていた。 でもそれって向こうも同じ。月の住人も同じことを考えていたんだ。 月から見た地球はそりゃあもう綺麗で、燦然と輝いていて、緑と青の美しく巨大な地球が空に浮かび上がるたびにため息をついていた。月の人類も同じように地球を手に入れたいと考えていたんだ。 ある日、天才科学者がついに発見した。月から大きなマジックアームを発射し、空に浮かんだ地球をギュッとつかんでグイッと引っ張ってきちゃう。こうすれば地球は天才科学者だけのもの。一人占め。 だが、その悪だくみは月に住む正義の子供たちによって阻止された。月の子供たちと天才科学者との間でそれはそれは激しい戦闘が繰り広げられた。海は蒸発し、山は吹き飛んだ。その後が、あの大きな大きなクレーターなんだよね。 月の正義の子供たちも地球に触れたかったんだけど、地球を大事に思うからこそ、独り占めしようとする博士を許せなかったんだろうね。僕らが今こうしていられるのも彼らのおかげだよ。 感謝しようね。だからほら、ね。月見酒をしようよ。今夜も月は綺麗だよ。
自分を大切にしなさい、というのが亡き祖母の口癖だった。私はと言えば、祖母がいなくなってからの五年間、その口癖を心の入り口にぶら下げたまま過ごしている。 自分の作った作品を、どうしても大事にできなかった頃があった。 小学生の頃の私は、自分の描いた絵を作った作品を書いた書き初めを、つくりあげた数日は自慢げに見遣っていたのに、ほんの数週間経っただけでもうどうでもよくなってしまって、家に持ち帰るや否やゴミ箱に捨てていた。自分の作った物を好きになれなかった、もしくは自分よりもいいもののように思えた他のものが、疎ましかったのかもしれない。思い返せばどんぐりの背比べだったに違いない、あの頃の作品もあの頃の自分も。所詮は小学生で、子供で、白かったから。拳一つ分のちっぽけな心が。 その時初めて自分を大切にしなさい、と言われた。夏休み、帰省した母の実家にいた祖母だった。 真夏の影も短い真っ昼間、日が差し込まず明るい影に覆われた和室で分けもわからず泣いたのを覚えている。 二人きりだった。景色などないも同然だったのに、嫌に鮮明だ。立ち尽くしたまま喉が不規則に引きつって、祖母は何も言わずただ手を握ってくれていた。 泣き止んだのは夕立が降り出した頃だった。 祖母は小さなことは言わず、度胸と底力があって、必要な沈黙を大事にする背中のしゃんとした人だった。小さな私にはその背中が大きく感じられ、時折見せるその真剣な横顔が誇らしかった。 今になってはあのとき泣いたのは、訳もない自己の縛りの許しを貰えたからなのだろうと思う。自分の作品を大事にできなかったのは、劣等感の強い自分を認めることができなかったからで、勝手に巻き付けた自制の鎖を解いてくれた言葉に解放を覚えた。否泣きたくなるくらいに優しい眼差しを受けた初めての出会いだったのだ。 先生も友達も親でさえも、あんなに真っ直ぐに自分を見つめてくれたことがなかったから、逸らすことができないほど強い眼差しに緊張して、けれども優しいそれに感極まったのだと思う。そして慈愛を感じると同時に、浅ましい自分を見られてしまったと言う羞恥を感じ、狼狽えたのだ。見られてしまったと。だから私は、何を言うでもなく只泣いた。 だからだろうか、懐かしく優しい思い出に嬉しくなるのに、思い出す度に口の中で嫌な苦みが不意に広がる。 私はあの時から十二年間ずっと、その言葉に捕われたままだ。
改行が多く、誤字・脱字が多く、全体的にポエムのような稚拙文章。 なぜ、若者の人気を博しているのか。 なぜ、そんな簡単に本を出版できるのか。 疑問が好奇心へと変わり、私もその世界に身を置くことにした。 小説投稿サイトで、他人に自分の文章が読まれるということを何度か経験してはいるが少し、緊張した。 【新規登録】というボタンをクリックすると、まずはメールアドレス送信からなる。 メールアドレスを登録すると、今度はユーザーネーム入力画面に変わり……。 ああ、なんて簡単なのだろうか。 しかも登録した後すぐ、執筆作業に入れる。 行きつけの投稿サイトではもちろん何人かの読者はいてくれたが、少数だ。 ところがこの世界は今や多くのユーザーがいる。 なじみ深い投稿サイトを離れケータイ小説の世界に身を置く仲間もいた。 もしかしたら、一人でも多くの読者を得られるのは、この世界しかないのかもしれない。 高校1年が終わる頃、ケータイ小説の世界に足を踏み入れてからもう3年は経つ。 ケータイ小説なるものは、改行が多ければ多いほど携帯という小さな画面の中では読みやすいらしいが私の文章は投稿サイトにいた頃と変わってはいない。 寧ろ変えるつもりなどなかった。 投稿サイトでもプロと見紛う程の卓越した文章力を持つ人がいた。 その人の描写に比べれば私の描写など屁も同然だが、改行程度でごまかすことはしたくない。 話の展開が変わらぬ以上は、無駄な改行は省く。 詰め描写で何が何でも書きあげる。 この頑固さが災いしたのか、それともケータイ小説という世界での作者・読者の馴れ合いを怠ったからか、何人がこの小説を読んだかというのが記録として残るPV数が……3桁にしか及ばずにいる。 何十万、何百万の読者を得るにはどうしたらいいのだろう。 見ればそれだけの読者を得ている作品のカテゴリーは必ず恋愛で、主人公が好みの異性に迫り・られる話が多い。 こんな男、現実にはいない。 読めば寒気しか感じないのだが……同じ10代として、私の感覚はどこかおかしいのだろうか。 私は寧ろ恋愛よりもファンタジーやミステリー、そういったものを好む。 そしてそれらは特に、物語全体を支える構造設計の能力が、文章力や、人物描写力よりも優れていると尚更心惹かれるのだが……。 書籍化されている作品と自分の作品を見るとかなり違う。 やはり恋愛がいいのだろうか。 主人公の貞操の危機、愛する人の死、…それらが同じ10代の人気を得るのだろうか。 投稿サイトとの両立を重ねている今現在。 仲間に話したらきっとケータイ小説から離れれば?と言うだろう。 どうにも波長が合わないようだし、元の投稿サイト一本に戻るのもいいかもしれない。 しかし…心の奥では何百というPV数に縋りついている自分がいて、退会処理ができずにいる。 後から新規登録した者の作品が書籍化されていく中、益々自分の作品が埋もれていく様に、私はどこか満たされる気がした。 絶大な人気を誇る小説に囲まれた、影の薄い小説。 それもまた、いいかもしれない。
ある日、一本の電話がかかってきた。 「はい、もしもし」 『あ、もしもし。こんにちは。高原忠明さんですか?』 「えぇ、そうです」 『あの私、小説タライ新人賞選考の担当を行っております、南と申しますが、あなたの作品が見事、最優秀賞を受賞しまして、本日そのご連絡をさせていただきました』 「えっ! ほ、本当ですか!?」 『……』 「あの。もしもし?」 『いえ、本当ではありません』 「は?」 『すみません。嘘なんです』 「え。あの、それはつまり……詐欺、という事ですか?」 『はい、詐欺です』 「……えっと、俺がこんな事言うのも何なんですけど、認めちゃっていいんですか?」 『うっ、ううっ』 「え、泣いてるんですか!? ちょっ、大丈夫ですか?」 『ううっ。すいません。僕、本当はこんな事、したくないんです』 「はぁ」 『こんな、人を騙すなんて。親に顔向け出来ないですよね』 「まぁ、そうですよね。悪い事は、しない方がいいですよ」 『そうですよね。簡単に大金が儲かるからって、ついつい悪事に手を染めてしまって。でも、仕方がなかったんです! どうしても、まとまったお金が必要で』 「借金でもしたんですか?」 『人を殺してしまいました』 「えぇぇっ!?」 『とても許されない行為だとは分かっています。でも、でも。あの場面では、どうしようもなかったんですよ!! あなたは妹、います?』 「あ、はい。いますけど」 『もしも、もしもですよ? あなたの妹が、同級生から執拗ないじめを受けていたとしたら。そして、もしも、あなたが、たまたまその現場を見てしまったら。何気ない顔して、素通り出来ますか!?』 「それで殺してしまったんですか? 何も、殺さなくても」 『我慢が出来なかった。一刻も早く、妹を救ってあげたくて』 「気持ちは分かりますけど」 『お願いです! 妹を連れて、海外に逃げたいんです。何の面識もないあなたにこんな事お願いするのは、とても心苦しいのですが、どうかほんの気持ち程度でも結構なんで、お金をお貸ししていただけないでしょうか。いつか必ず返しますので』 「……」 『あの、もしもし?』 「俺の妹、最近、殺されたんですよ」 『……え?』 「通り魔の犯行じゃないか、って。まだ、犯人見つかってないんですよ。でも、やっと見つけました。可愛い妹を失う気持ちは、あなたなら、よく分かりますよね。これから、あなたに何が起こるのかもね」 『ガチャン!』 電話が切れた。この勝負、俺の勝ちだ。
「泊まってくなら入ろや、一緒に」 その一言の為に私は今、脱衣場に立っている。 何故いい歳こいて相風呂なんだ? いや、それより問題がある。 彼女は女性的身体特徴にとても興味を示す人間だと言うことだ。 とりわけ私に関しては勉強中すら前後左右から仕掛けてくる程にご執心だ。 …実はそこはそれほど問題でない。 問題は…私の方だ…。 「はぁ…」 無理だよなぁ…と一人ごちる とりあえず脱衣場まで来ては見たものの一向に脱ごうと思えない。 チラと目をやった先には彼女が脱ぎ散らかした衣服があり思わず目をそむける。 「思春期男児か…」と自分で突っ込みを入れる。 ウロウロと行き来し、ガシガシと頭を掻き毟り、洗面台にバンッと手をついて私は結論を出した。 サッと入ってサッと出よう。 浸かって洗って出る、三工程だ十分…やれる。 「よし…」 それから私は鏡の前でもう3分ほど費やした後、風呂場に入った。 っぜはぁっぜはぁ… 10分後私はまだ拭ききれていないままの体でソファの上、座布団の下にいた。 色んな意味でやばかった。 人生のやばかったランクで最上位になる位やばかった。 誤算はさっき問題としなかった方だ。 十分問題だった、少し方向性が異なったが十分過ぎるほど問題だった。 彼女の前に全裸で現れるなど、熊の前で四股踏み、鮫の前で輸血、戦車に体当たり、 つまり…私は揉みくちゃにされ、ほうほうの体で逃げてきた所である。 冗談で済ませられたのは奇跡といって等しかった。 暴れる心臓を押さえていると声が近づいてくる。 「ごっめーん♪ やりすぎちゃった?」 何でもない台詞なのに体が異常に反応してしまう。 体を押さえつけるように頭に被せた座布団を体に押し付ける。 「そろそろ機嫌直してよ〜」 機嫌が悪い訳ではないのだ。 むしろ… 「水」 くぐもった声でそう返し、精一杯怒ってますよというアピールをする。 トテトテと軽い足音が台所へと向かっていく。 ふぅ、何とか治まってきた。 「水おまち」 「もうやめてよ、ああ言うの」 一気に飲み干すと体と頭が冷えた気がする。 「ああ言うのって、どういうの? ゴメンナサイ」 セクハラ発言は鋭い睨みで一刀両断だ。 「誠意が篭ってない」 一括してやると、右往左往し始める。ちょっと可愛い。 「えー…と、あー…と、その、おわ、お詫びに…、お詫びにぃ〜…?」 必死に頭を働かせて私に対するお詫びを考えている。 そろそろ許してやるかと思ったとき。 「…一緒に寝る?」 私は眠れない夜を過ごしそうだ。
だ〜っ!! ねみぃ! え?何でかって?決まってんだろ。寝てねぇからだよ。あれだよ。瞼が鉛のように重いとはよく言ったもんだよなぁ?うあああ、何だこの重さは。鉛どころか俺ん家くらいはあるんじゃねぇのか? え?そんなに眠いなら寝ろって? 馬鹿野郎。それができてたら俺はこんなぐちぐち言ってねぇんだよ。受験生なんだ。寝れるわけねぇじゃん。だから嫌いなコーヒー甘くして飲んでんだよ。悪いか!甘党で! ああ、もう話逸れたじゃんか。 ってか、何で俺ん家はこんなに狭いかなぁ?それは親父がしがないサラリーマンだからさ。お陰で俺は弟と同じ部屋なんだよ、くそったれ! 贅沢言うな、それ位我慢しろって?ああ。普段だったらな。我慢してやるよ。俺は心が広いしな。でもな。隣で幸せそうに寝息たてられてみろよ。軽く殺意湧くぜ? あああああ。っつか俺はさっきから何を言ってんだ?やべぇ。神様が「ちょっと位寝てもいいよ。君は頑張りすぎなんだ。」って言ってくれてる。 だよなぁ。俺、頑張ってるよな?ちょっと寝ようかな……。 いや、ちょっと待て。コレ幻覚?神様って見えちゃうモン?もしかしてもうお迎え来ちゃった?いやいやいやいや、もう少し待って下さいよ。俺15年生きてきてまだ彼女できたことないんスよ。高校行ってすっげぇ可愛い彼女つくるまで連れて逝かないで。ね?お願い。 ね?お願い。じゃねぇよ。何やってんだよ俺。勉強しろよ。 ん?三平方の定理? ……。 なんっだコレ!全然分かんねぇよ馬鹿! うわ!なんか三平方の定理が襲ってくる!直角三角形が!なんか刺さってくるんだけど! いって!うわ、何だよお前等!最悪だ! くっそ!数学なんて嫌いだ。 やっぱ英語だろ。英語。今時英語くらい出来なきゃ笑われんぜ。 ……。 俺は日本人だよ。英語なんて必要なし!案外ジェスチャーでどうにかなるし! うあ!今度はアルファベットが!何だよお前等もかよ!いって!や、Aは攻撃してきちゃダメだろ!お前は尖ってんじゃん! え?あ、ごめん。 もう差別しないから怒んないで。や、ごめんて。つか差別じゃないじゃん。区別じゃん? あ、うん。他のヤツにも言うから。VとかXも痛いから。 違うって!お前が嫌いなんじゃねぇって! ……何だ?これ……。 やばいやばい。本当やばい。一回寝よう。仮眠とろう。これじゃ解ける問題も解けねぇよ。 うん……おやすみ〜……。 「母さ〜ん?なんか兄ちゃんが寝言で謝ってるよ〜?」 「……ほっときなさい。」
※作者付記:受験、本当に嫌です。
テレパス、というものになったらしい。 今日に限って、高校からの帰り道のバスが、やけにうるさかった。 「おなかすいたー」 「ねむいー」 「いや、あの時にこうして、いや、ああいう考え方もあって、うーむ……」 「うふ、うふふふ、うふふふ……」 みんながみんな、独り言と呼ぶには少々大きめな声で呟いている。 何なんだこのバス? うっかり、そういう病院の送迎バスにでも乗った? そう思いつつ運転手さんを見ると。 「――次右で、それから、あ、青んなった。んだよ、だったらこの信号突っ切っときゃ。あー、晩飯何かなぁ、ツナマヨがなぁ、おにぎりの海苔ってパリパリが邪魔で、フィルムに入ったのを喰うのって結構旨い――」 運転手さんまで……。 いよいよヤバいと思い始めた時、あたしはふと、奇妙な事に気付いた。 口が動いていない。 ぶつくさ言っている連中の、口がこれっぽっちも動いてないのだ。 一人や二人なら、腹話術なり、口を動かさないで喋るクセのある人なり、解釈の余地もあるだろうが、全員となると話が変わって来る。 更に、お互いの言葉はお互いには聞こえていないらしい。 「あいすたべたい、あまい、つめたい、つめたい、あまい……」 「かわいいなぁ、うちの子。私の事見たわね。何かしら? どうしたの?」 親子連れを眺めながら、あたしは気付いた。 これは……頭の中で考えている事。 あたしは、テレパスになったんじゃなかろうか、と。 そう考えると、不自然で脈絡のない乗客や運転手の発言が少し理解出来る。 「早坂さんも、帰るとこだったか」 「ぬぼぁっ!?」 ……ぬぼぁって。 いくら意表を衝かれたからって。 よりにもよって。 「ごめん。驚かしちゃった……かな」 川本先輩が、困ったような笑い顔になる。 中学の頃、同じペタンク同好会だった先輩。 ちょっと……いや、かなり無口な人で、会話が弾んだ事なんて一度もない。でもたまに打つ相槌や、ツボに入った時に見せる屈託のない笑い顔とかが――ああああもう! そうだよ、片想いだよ! 先輩は吊革を掴んだまま、外を眺めている。 何を見て、何を考えているんだろう。 「あー、電柱あるなぁ。シャーロックホームズが、電柱の幅で速度を計算してたっけ……」 ――って。 聞こえてる、先輩の頭の中の声が! そーだ、これこそ天の采配、先輩の心を知るチャンスだ! あたしは必死に耳を澄ませる。 澄ませて、澄ませて澄ませ……。 「あ、焼肉のタレの看板だ……焼肉のタレをつけた肉って、焼肉のタレをつけた肉の味になるよなぁ……」 当たり前だよ! 当たり前の事考えてるよ! 言いたい事ちょっと分かるけど、それ上手く表現出来てないから! 「ちょっとスースーするなー。股引って、暖かいのかな」 はくなあああああああ! 「少年サンデーが日曜発売じゃないのは、あれかなぁ。あー、蒲焼き三太郎ってどこが三太郎なんだろう」 途中で切り替えるなあああ! もう良い、こっちから誘導するしかない。 あたしの事をどう思っているか頭に思い浮かべるように、質問を振るんだ! 「先輩?」 「ん?」 「先輩の好みのタイプ――」 いや、待て、待て待て待て。 これ、テレパシー関係なくない? 普通に質問してるだけと違う? もっと婉曲的にしないと! 「あたしの事、どう思――」 婉曲違う! 全く婉曲違う! その時。 「なんか元気ないな。大丈夫、かな?」 先輩の心が、飛びこんで来た。 あたしを気遣って……? 後輩だから? 優しいから? それとも、それとも……。 『――第八停留所前、第八停留所前です』 「お疲れ様、気をつけて帰りなよ」 先輩はバスから降りて行く。 「あっ……先輩!」 思わず呼び止める。 立ち止まった先輩が振り返り、「なに?」という感じで首を傾げる。 その仕草がなんだかとても可愛らしく見えて、見えて見えて……。 「大好きです!」 怒鳴っていた。 次の瞬間にはドアが閉まって、バスが動き始める。心の声はもう聞こえない。遠ざかって行く先輩は――。 笑って手を振っていた。 心の声が聞こえない筈なのに、ずっと分かった気がした。 思い込みかも知れないけど。 いや、そっか。 みんな、思い込みで結構いーかげんにやってるんだ。 本当の気持ちなんてどうでも良い。そんなものがあるのかどうかも怪しいもんだ。 あの先輩の笑顔は、あたしだけに向けられた、その事実だけで、ご飯三杯はいけるね! ――ごめん、ご飯はウソ。