「お兄ちゃん何食べてるの?」 『んー…”春の爽やか豆乳プリン。半額”だ、残念ながらお前の分はない』 春の新作が半額なんていい世の中になったものだ。 世界じゃ汚染されてるものを食ってる人達もいるというのに。 「…コンビニの半額商品は大半が期限切れか体にやばい物使ってるっていう噂だけど私は迷信だと信じてるよ」 『食う気なくした…、気にせんならやる』 ナイーブな俺に精神的にクる食い物はキツイ。 差し出してやると妹は嬉しそうにそれを受け取った。 「イタダキマス!」 『しゃーないからアイスにしよ、アイスは期限ないし』 と冷凍庫から自分の名前入りブランドソフトクリームを取り出す。 このアイスは食われるワケにはと名前まで書いておいたのだ。 「お兄ちゃん…、こないだあたしのガリガリくん食べてたよね」 『…』 もちろん同じ家の中ではこんなトラブルも多々発生する。 「部活帰りで涼を求めてるあたしの目の前で食べてたよね」 『…』 妹が涼を求めていたという事はもちろん俺も求めていたわけである。 「きっちりと封の上に極太マジックで名前まで書いてあったの食べてたよね」 『どうぞ…』 名前という踏み絵を暑さという免罪符で踏み越えてしまった者に与えられる罰は事の外重かった。 「くるしゅうない」 『もう板チョコでいいや』 ずいぶんとしょぼいものになってしまったと思いつつ銀紙を外すと。 「ところでお兄ちゃん朝から何杯コーヒー飲んだ?」 『四、五杯』 「大変! そりゃもう立派なカフェイン中毒よ! という訳でそれは私が処分します。意見は全て却下します。言ってる間に食べちゃいます」 『…』 兄思いの良い妹だ。 本当に良い妹だ。 「ふぅ…」 『ポテチでも食いながらパソコンいじるか』 結局いつものスタイルに戻る俺。この一種の癒しとも言える状態。俺、完。 「あ〜ちょっと! あたしも課題するんだから、パソコンするなら油で汚さないでよね!」 『…』 「ホラそれ寄越す」 『パソコンしないでポテチ食うのは?』 小さいながらも異議を申し立てる。 「いいけどパソコンしないの?」 『…します』 兄の威厳なんてこんなものだ。 「ぱりぽりぱりぽり…」 『…カチカチッ』 「けぷ。」 『そんなに食って大丈夫か? 夕飯入るか?』 明らかに食べ過ぎの様子の妹はお腹に手をやりながら若干気持ち悪そうだ。 「無理っぽい、お母さんにご飯抜くって言っといて」 『了解、母さーん、夕菜ご飯要らないってー』 こうしてすき焼きへの参加者が一人減った。
生まれてから告白をしたこともされたこともない私。 恋愛とは無関係の毎日。 そんな私の毎日を告白という形で変えたのは、名村和俊という男だった。 名村は、とても変な男だと思う。それは私に告白した理由からも言える。 彼曰く、私が抱き締めても折れなさそうに見えたから告白したらしい。 正直なところ、私は特別太いわけではなく、筋肉質なわけでもない。どちらかと言えば、太ももやお腹のセルライト、悩みの種である二段腹を除けば、平均的な体型だと思う。 彼の告白の理由を嫌みと取る人がいるかもしれないが、私はその言葉を聞いて、名村という男に興味を持ち、彼と付き合うことにした。 付き合って以来、私たちは特別何かするわけでもなく、一緒の空間にいるだけだ。 日常にもたらされた、名村という新しいリズム―。 予想以上にそれは心地よかった。 「…それって友達の関係じゃない?」 ある日、友人が私に言った。 私が何も答えなくても友人は構わずに話を続ける。 「セックスなしでしょ?キスもなし!」 「ただ、一緒にいるだけ。…それって付き合ってるって言える?」 「私はそう思うけど」 その言葉に友人は顔をしかめた。 「…そう思うのはあんただけで、彼氏は違うだろうね」 「あんたさ、彼氏のこと好きなの?…本当に好きなら、したいと思わない?」 友人は私が黙ったままでいると、ふと真顔になる。 「そういうこと考えたほうがいいよ。…じゃないと、あんたが悲しむことになるよ。…男と女って、やっぱり違うから」 それが数日前のこと。 私たちは今日も一緒にいるだけだ。 「…名村は、今の関係付き合っていると言えると思う?」 私の突拍子のない質問。それに名村は一瞬考え込む。 「…思うけど、どうした?」 優しく問いかける彼。私はその顔をまじまじと見つめる。 名村の細い瞳、剃り間違えて左右非対称な眉、細い顔のライン。 目の前のこの男が彼氏なんだな。ふと、そんな思いが胸を過ぎった。 彼は見つめられることに耐えられなくなったのか、すぐに目を逸らした。 「…さっき嘘言った。俺は、正直、今の関係よくわかんねぇ。…することしてないし」 「…けど、することだけが付き合うってことじゃないと俺は思いたいから」 だから、お前は焦らなくていいよ。 私は、その瞬間初めて自分から名村に触れてみたいと思った。 気がつけば、私は彼を抱き締めていた。 腕の中で感じる名村の体温……。 付き合うって、相手や自分さえも抱き締めることなのかもしれない。 私はふとそう思った。
「この紋所が目に入らぬか!」 「ええっ!?」 (え? 何アレ、印籠? 薬でもくれるの……ってそうじゃないな。なんか紋入ってるぞ? 何の紋だ……遠くてちょっと見えにくいけど、うわ、葵? 三つ葉葵? ええ、マジで? って事は、アレか、徳川家の誰か? ちょっ、ヤバい、マジヤバい! 悪事知れちゃってるじゃん、調べが入ったりしちゃうのか?) 「この御方をどなたと心得る、先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」 (ええーーー!? そのレベルの大物かよ! なんで!? なんでこんな地方にやって来ちゃってんの? 水戸でしょ? 水戸の人でしょあんた、おかしいって、マジおかしいって。むしろ、職務怠慢であんたの方が罰せられるぐらいのもんでしょ。何しちゃってんの?) 「控えおろう!」 (いや、待て、待て待て待て。これ本当かぁ? 本物かぁ? 三つ葉葵なんて、並の職人なら当然見様見真似でそれっぽいものは作れるだろうし、水戸のご老公なんて顔なんて見たことないし。大体、こんなところにいるの、おかしくね? いや、間違いなくおかしいって。あり得ねえって。大方、拙者を陥れようとして誰かが仕込んだ罠じゃね?) 「皆の者、頭が高い!」 (そうだよ、そうだよな。偽物だ。引っ捕らえて処刑しちまうべきだ。それが真っ当な対応ってもんだ。もんだけど……あのお供のヤツら強かったな。こっちの手勢二〇人ぐらい、無傷で殺っちゃってるじゃん。洒落ならん腕利きだよ? そりゃ、軍勢にして槍衾でも用意すりゃ別だけど、今ここでそれってもう用意なんて出来ねえし。だーー、詰みか、詰んじゃってるか! うわ逃げられねえ、最悪! こうなったら、下手に刺激して斬り殺されないように、話に乗って持ち上げとくしかねえか) 「へへーー!」 「中沢二郎左右衛門! お主、奉行職にありながら鏑屋と結託し、私服を肥やし、貧しい人々を苦しめた事明白である!」 「へへーー!」 「本来人々を守るべき奉行が、人々を苦しめるとは言語道断、追って、厳しい処分がある事、心しておけ!」 「へへーー! (ああ……結局、暴力に勝るもの無しか。万一アレが本物だとして処分が終わったら、より強力な手勢を用意しよう。そうだ、それが生きる道ってもんだよな、力こそ、力こそが全てなのだ……)
「たとえば明日が地球最後の日だとします」 突然何の脈絡もなく紡ぎだされた言葉に、俺は「うん」と相槌を打った。付き合って半年もたてば、彼女のこの突拍子もない話の切り出しにも慣れてしまうものだ。 「あなたは何をしますか?」 「そうだなあ…。読みかけの本を全部読みたいなあ。続きが気になって死ぬに死ねないし。ああ、でも、二十四時間以内に読み切れるかな。何冊かあるんだよね、読みたい本」 彼女はじっと黙って俺の話に耳を傾けている。怒りもせず、飽きもせず。 「…それだけ?」 「うーん、あとは続きが気になってる連続ドラマみたいな。続き一気に放映してくれないかな。無理かな。制作側だって地球最後の日に仕事なんてしたくないだろうしねー」 「うん。あたしだって仕事したくないわ」 「俺も。後はそうだなー…」 昔ノストラダムスの大予言なんて言うものがあって、地球は滅びるといわれた。その予言を信用した人が、仕事も何もかも全部やめて、放浪の旅に出たという話を聞いたことがある。でも、結局地球は滅びなかった。では、放浪の旅に出たその人は、その時に本当に地球が滅んでも、後悔しないと言い切れるほどの時間を過ごせたのだろうか。 少しも考えなかったのだろうか。もしも、滅びなかったらどうしようって。 「…っていうか、地球って、どうやって滅びるの? 爆発?」 「ごめん、そこまで考えてなかったわ」 眉をよせて申し訳なさそうにする彼女に、俺は、おいで、と言って、膝の上に座らせる。ぎゅうっと後ろから抱き締めて、髪の毛の香りを嗅ぎながら、続きを話した。 「それからね、君の誕生日を祝わないとね。ケーキ焼いて、蝋燭立てて、どうせ滅びるなら「Happy Birthday To You」歌い終わって蝋燭の灯が消えるころがいいね。それくらい空気の読める滅び方、してくれるかな」 俺が言うと、彼女は顔を赤くして、小さな声で「覚えててくれたの?」と聞いた。当り前でしょ、彼氏なんだから、と答える代りに、彼女を抱き締める腕に力を込めた。 「地球最後の日は、君と一緒にいたいよ」 「最初からそう言えばいいのに」 そう言わせたいという君の思惑が手に取るようにわかったからだよ、とは、口が裂けても言わないでおこう。 「…でもどうせならケーキ食べ終わってから滅んでくれたほうがいいわ」 「太るよ」 「うるさい!」
高校生になって二ヶ月が経とうとしている。皆、段々学校にも慣れてきたみたいだ。だから俺も少し怠けすぎたんだろうか。 返ってきたテストが0点だった。 なんてことはない。名前の書き忘れ、凡ミスだ。 俺は言うほど頭がいいわけではないけどそこまで馬鹿でもないので正直凹んだ。0点なんて漫画の世界の話で実際自分がとるなんて思っても見なかったし、それが実力ならある程度諦めもつくけど、なんてったって凡ミスだし。 赤いペンではっきりと、憎らしいくらいに大きく0と書かれたそのテストを俺はくしゃっと右手の中で丸めてそのままポケットに突っ込んだ。 「おい!お前最近たるんでるぞ!」 SHRで先生にそう怒鳴られて返ってきたプリントにも名前がなかった。数学の時間に返ってきた小テストにも名前がなかった。英語のプリントにも古典のプリントにも、あらゆる提出物に俺は名前を書き忘れていたらしい。 俺は何で自分がこんなに名前を書き忘れているのか不思議で仕方がなかった。 「おーい、ノート返ってきてないヤツ誰だー?名前なかったぞ。」 「あ、先生。俺ないっス。」 「またお前か!いい加減にしろよ?」 先生が呆れ気味に返してくれたノートを持って俺は席に着いた、驚きで頭が真っ白だった。毎週提出の課題のそのノートは先週まできちんと名前が書いてあり俺の元へちゃんと返ってきていたのだ。ノートは新調したわけでもない。油性マジックで書いてあった筈の俺の名前は、最初からそこに存在しなかったかのように消えていた。 どういうことだよ……? 俺は焦って全ての教材を机の上に出してみた。入学初日に書いた筈の俺の名前は、そこにはなかった。誰かが悪戯で消したのでもない。本当に跡形もなく俺の名前は消えていた。 俺は不安になって泣きそうになって油性マジックで机に大きく名前を書いた。 キュキュッと音を立てて俺の名前は机の上にあらわれた。ある。俺の名前はある。確かにここにある。勢いあまって油性で書いちゃったけどいいや、後で消そう。そう安心したときだった。 「ぺりっ……」 小さく音がしたかと思うと、机上の俺の名前はシールのように剥がれ始めた。そして宙に浮かび、俺の目の前からゆっくりと窓の方へと移動した。場所が悪かったのだ。狭い敷地内にある俺の高校は縦に長い。1年だが8組である俺のクラスは2階にある。 俺は素早く席を立ち、机の間を縫うようにして窓辺に駆け寄った。名前を掴もうと身を乗り出して必死に手を伸ばす。 「何やってるんだ!やめろ!」 先生が俺の肩を引っ張った。 「放せよ!!名前が、俺の名前が!」 「何を言ってるんだ!」 「うああああ!!誰か、誰か俺の名前を呼べよ!呼んでくれよ!馬鹿じゃねんだよ!アホじゃねんだよ!カスでもてめぇでもクズでもねぇんだよ!!」 俺には福本哲也って名前があるんだよ……。