現時刻8時30分現在。 三丁目タバコ屋角を約18キロメーターパーアワーで駆け抜ける藍色の存在が居た。 オーバーランを気にせず許容速度限界で駆け抜けた彼女によって、 塀の上で寝ぼけていた猫があわてて飛び退り、出会い頭の自転車と衝突しかけ、電話中の主婦が息を詰まらせた。 「に”ゃー」 「ちょ、ちょ、ちょおおお!」 「!」 「ごめんなさーい!」 抗弁に対し詫びもソコソコ船橋中学の遅刻魔は今日も走っていた。 あぁもう! どうしていっつもネクタイだけ見つかんないのよ! 彼女の遅刻の理由は大きく分けて三つ。 @睡眠不足から来る寝坊 A休日と勘違い Bネクタイが行方不明 そしてどの理由も飼い猫のミーが関与している事にはまだ誰も気づいていない。 そんな根本なところは3年間続いてしまうのだが、彼女の遅刻率は年々減っていく。 変われない生き物は生き残れないのである。 ホームルームまで後約20分、余裕は5分ってとこか! 入学祝に兄にねだった腕時計はもはや手放せない代物である。 だがそれでも常人ならば間に合う時間ではない、綿密な計算と経験ゆえの判断だ。 あの角曲がって信号青なら直進! !? 標識のポールに手をかけて曲がるとそこには大きく工事中の文字。 「うっそぉ…」 なんて言っている暇はない、一瞬で思考を切替えると最短ルートを修正。 所要時間は+5分、間に合うかどうかはギリギリの線だ。 それでも彼女は駆ける事をやめない。 すれ違う顔見知りのニートに囃されようと。 同じ藍色制服の誰かが諦め顔で歩いていようと。 膝丈のスカートが翻ろうと。 そこに時間があるのなら、まだ刻限でないのなら、その一歩を大きく踏み出していく。 キーンコーンカーンコーン…。 やばい! 間に合わない! 最終の鐘の音が鳴り始める。 四つで終わるその音の最後の最後まで彼女は駆ける。 視界の校門は遥か遠くとても人の足で間に合う距離ではない。 しかし彼女は諦めない。 間に合うか間に合わないかじゃない、走るか走らないか、 ただそれだけの思考を選択し彼女は走った。 …キーンコーンカーンコーン。 だが間に合わなかった。 あえなく門の前には警備員が立ちはだかり帳簿に×が付けられることになる。 「ぜぇぜぇぜぇ…」 「全くお前はいつも全力疾走してきて、見逃してやるさっさと通りな遅刻魔」 「ぜはっまっちゃん、はぁはぁ、愛してるっ!」 投げキッスのオマケつきでラブコールを安売りして教室へと駆けて行く。 彼女は今日も全力登校。
二人の旅人が連れ立って歩いていました。二人は大変仲が良く、行程は笑いが途絶えませんでした。 そんなある日、二人は山越えの道に差し掛かりました。 鬱蒼と茂る薮が、がさりと動いた後、突然熊が現れました。 一人は木に登り身を隠しましたが、もう一人は慌てていたせいか、木に登る事が出来ず、その場で死んだフリをしてやり過ごそうとしました。 熊は、死んだフリをした旅人の耳に口を寄せました。 そして。 「友達が危機に陥っている時に、独り逃げるような者は――」 「きええええええ!」 次の瞬間、もう一人の旅人が飛び降りて来ました。握っていたナイフを、熊の首に突き立てます。木の上から、熊のスキを伺っていたのです。 「うおおあああああ!」 死んだフリをしていた方の旅人も、立ち上がって杖を振り上げ、熊に打ちかかります。 しかし。 熊の毛皮は分厚くナイフを通しません。骨は太く、打った杖の方が折れてしまいました。 熊は、折れた杖を構える旅人に突進すると、肩に噛み付きました。骨ごと肩を噛み砕きながら、引き倒し、首を振って振り回します。地面に、岩に、木にぶつかり、旅人の皮膚が裂け、肉がちぎれ、骨が露出します。 ナイフを持った旅人は、熊にしがみつき、ナイフをまた突き立てようとします。 熊は杖の旅人を捨てると、前肢の一撃でナイフの旅人の背を抉ります。 杖の旅人は血まみれになりながらも、熊にすがりつき、自らの歯で噛み付きます。 二人とも、熊から友達を助けようと、最後まで逃げる事をしませんでした。 「ふん」 肉片と血溜まりになった旅人二人は、どちらがどちらだか、もうすっかり分かりませんでした。 「小賢しい真似をしなければ、助けてやったものを」 熊は血に濡れた口を拭い、上から目線で言いました。 「自分の力も考えず、友達を助けるフリをして状況を悪化させる行為は、自己満足であって本当の友情とは言えないのだ」
眼鏡を買った。 最近目が悪くなってきたから。 眼鏡を買った翌日、僕は早速眼鏡をかけて登校した。 「おはよう。」と言う声と、笑顔の君。 いつもより可愛く見える君は僕を見つけるやいなや、目を輝かせて駆け寄ってくる。 君は僕の眼鏡に興味津々。 僕の顔から眼鏡をさっと奪ってかけている。 眼鏡をかけながら君はぱちぱちと瞬きをする。 「うわ!度、キッツイね〜。」 黒い太めのフレームの、少し大きな眼鏡が、君が小顔なことを強調している。 「君は赤が似合うよ。」 そう思ったけど言わなかった。 何より君は目がいいしね。 呑み込んだ言葉が心の中でゆわりと巡る。 だけど赤い眼鏡をかけた君を見たいという思いが残る。 呑み込んだ言葉は相変わらず僕の中を廻っている。 だけど君は知らないだろう。 僕が言葉を呑み込んだことを少しだけ、本当に少しだけ後悔していることを。 僕の眼鏡で遊ぶ君をぼやけた視界から見守る。 ぼやけていても分かるよ。 君は今笑ってるんだろ。 眼鏡を買ってよかったと僕は思った。 「おはよう。」 そう言いながら僕は教室のドアを開けた。ざわつく教室で僕の目は無意識に君を映そうと、君の姿を探す。 「おはよう!」 と、いつもどおり君の元気な声が聞こえてくる… 筈だったのだけど。 「へぇ〜。コンタクトなんだ。」 と、少し遠くで君の声。 窓際で君と、もう一人。男子の姿。 眼鏡のせいでやけにはっきりとしてしまった視界の中で、僕ではない男子に笑みを向けている君が見えてしまう。 僕は眼鏡を外した。 ぼやけた視界で君から目を逸らせずにいる僕。 ちょっとだけ背伸びをして、そいつの目をじっと見つめる君。 「あ!見えた見えた!」 奴の目の中にコンタクトを見つけて君はご満悦だ。 「すごいな〜。私は怖いよ〜。」 と君は苦笑する。 君は目がいいじゃないか。 僕もコンタクトにすれば良かった。 嫉妬。 かっこ悪いだろ? 呆れてくれてかまわない。 こんな光景を見るくらいなら眼鏡なんて止めればよかった。 呆然と立ち尽くす僕に 「あ!高橋!おはよう!」 と微笑む君。 あぁ、ちくしょう。 自然と口角が上がってしまう。 呆れてくれてかまわないなんて嘘だ。 ちくしょう、ずるい。 君はずるい。