化学反応
平日の午前中。一番人通りが少ないはずのこの時間、それでも堂々と制服を着て歩く高校生達。茶髪なのか痛んでそうなっているのか分からないような髪、胸元を大きく開けたシャツ、ミニスカートやら腰パンやらの制服、そしてじゃばらソックス。渋谷の街には、いつだってそんなヤツらがいくらでもいる。
そして、そんな高校生に声をかけてはアンケートを採るのが俺のおシゴトだ。時給
千百円、広い心さえ持っていればかなり割りの良いバイトになる。そう、高校生の胸
クソ悪くなるような言葉を許せる、広い心の持ち主の俺にとっては。
ミニスカートの下に短く切ったジャージを穿きこんだ、(相対的に見れば)化粧の
薄い子に、お礼の粗品を渡して営業スマイルを一つする。まるで友達にするようにば
いばーいと言って手を振る少女の姿は、保母さんに手を振る幼稚園児に似ていなくも
なかった。
彼女はまだまだまともな方だ。人目を気にしないどころか、気にする必要もないと
でも言うようにタバコを吸いながら質問に答える輩や、目の前でベタベタくっつきな
がら質問をまともに聞いてもいないカップルなんかに比べれば。
そんな中で俺は、不思議な子に出会った。鳶のように真っ白なタオルで頭をくるみ、白いTシャツにワークパンツという出で立ち。中性的な顔立ちと165くらいある身長に、少女なのか少年なのか判じかねた。このバイトが長い俺には珍しいこと<だ。が、アンケートにご協力ください、という声に返したハイ、という声の響きは(多少低めだが)柔らかい女声で、眦を少し下げたその顔には女性的な丸みがあった。
最初に、現在恋人はいますか?
――いません。
では、好きな人は? つまり、片想いをしているか、ということなんですが。
――うぅん、微妙なところですね。
どういうことですか?
――告白して振られた相手のことを吹っ切ろうとしている最中なんです。
では、その人のどこを好きになったのですか?
――全部です。
そもそも「好きになる」とはどういう事だと思いますか? 別に哲学的な質問ではないので、思うように答えてください。
――・・・化学反応のようなもの、ですかね。
化学反応? どんなところが?
――つまり、
つまり、やさしさの原子とか面白さの原子とか、色々な原子が集まって一人のヒトという分子が出来るんです。その分子と、自分の分子との反応が恋なんです。やさしさの原子を好きになったわけでも面白さの原子を好きになったわけでもなくて、色々な原子が集まって絶妙なバランスで結合している分子のことを、好きになるんだと思います。
これが原子、と言って親指と人差し指で作った輪を二つ、知恵の輪をつなぐようにする。多分、それが分子。
ある原子と原子がいっしょになっても反応を起こさないのに、それと同じ原子を含む分子同士がいっしょになると反応することがあるんです。すごく不思議ですけど。たとえ同じ外見で同じ性格の原子を持った分子があったとしてもその結合が違えば違う物質になってしまうから、その人のことは好きにならない。そういうものだと思います。
なるほど、と思うと同時に、何やら不思議な気もした。彼女の言葉に従えば、失恋や片想いなどこの世には存在しなくなる。そう思って尋ねてみると、多少は整えられているがあくまでも自然の色をした眉がぎゅっと寄せられた。
反応して出来た物質が一方にとっては好意的なものであっても双方にとってそうであるかはわかりません。一方にとっては安らぎである物質が出来たとしても、もう一方にはそれが退屈であることもある。
そう言うと、彼女は晴れ渡った空にある陽に照らされてとろけそうになっているアスファルトをにらみつけるように俯き、またすぐに青空を映したガラス張りのファッションビルを見上げた。
こんな事を考えてみたところで、恋に落ちるときはそんなもの関係ないんですけど。ただ、この人だ、と、あるとき突然に思う。ただそれだけのことなんですよね。
粗品を受け取った手はよく陽に焼けていて、思春期の少女としては少し無骨な感じのつくりだった。その爪は短く切りそろえられて、もちろんエナメルなど塗られていない。それでも男とは違う柔らかさの見える手だった。俺のありがとうございました、という言葉に、最初に声をかけたときと同じように眦を下げての笑顔。ありがとうございました、と、なぜか俺に感謝の言葉をかけてから歩き始めた彼女の姿が駅の方へと向かう人の波の中に消えた後、俺は午前中のノルマをこなしたことを確認して吉牛へと足を向けた。
あらら。
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