かわいい猫
僕は足元にソーセージを落とした。ポトッとわずかな音が空気を震わせる。
僕の前を歩いていた茶色と黒の縞模様の子猫がその音に反応して、動きを止めた。地
面に沈み込むように身体を低くして、周囲に耳をそばたてながら慎重にソーセージに
近づいていく。不意に止まった。一定の距離を保って僕を睨み付けている。それは僕
が信用できる人物かどうか審査をする面接官に似ていた。
「君はなんだか元気がないな。本当にこの会社に入りたいのか?」
灰色の、糊の効いたスーツを着た面接官は眉をしかめて言い放った。そして、僕の
何の資格も特徴もない面接用紙にもう一度目を通す。
「は、はい。入りたいと思っています」
僕は身体を縮めて面接官を見上げた。自分のできるかぎりの最高の笑顔(ここで卑屈
な笑顔になっちゃいけない。減点対象だ)で彼にアピールする。
「思っているだけかね?」
深々と嘆息する面接官を見ることができず、僕は下を向いた。拳が細かく震えて止ま
らない。
やっぱり笑顔がいけなかったのだろうか。面接官を見据えて、どっしりと構えてい
れば『頼れる男』と見てくれただろうか。そうだ、もうこの世は実力社会なんだ。笑
顔で渡って行こうなんて甘い考えを持っていたら、頭から足の先まで食べつくされて
しまう。すべてを剥ぎ取られた搾り滓だけが転がるだけだ。次でチャンスを掴もう。
次の質問には堂々と、はっきり答えよう。次で……。
「もういいよ、君。ありがとう」
僕は自分の聞いた言葉が信じられず、面接官を見上げた。面接官は涼しい顔をし
て、コーヒーをぐいっと飲み干しているところだった。僕の面接用紙を脇に置くと、
次の人の面接用紙に視線を落とし始める。それだけで僕は社員候補ではなくなり、た
だの邪魔者になってしまった。
「あの……」
僕は萎縮しかけた気持ちを無理やり奮い立たせて、面接官に話しかけた。
面接官は必死の形相をしているはずの僕の顔を一瞥すると、
「何か?」
と質問した。面接官のいらだった顔を見たとき、すでに僕との面接は終わっていた
ことを悟った。僕は時間に押されるようにのろのろと立ち上がり、形ばかりの礼を済
ませて、
「失礼しました」
面接室を出た。そのあと面接で練習したときより強い力でドアを閉めた。予想以上
に大きい音が廊下に響き渡り、自分自身で驚いた。けれど、それでも面接官が僕のほ
うを向いてくれたかどうかさえ自信がなかった。
「はぁ」
あのときのことを思い出すと今でも頭が痛い。
「ニャー」
ズボンを擦る感触に、僕は下を見下ろした。猫が僕のズボンに擦り寄っている。もう
ソーセージはなく、それと思しき肉片がそこここに散らばっているだけだ。
「ニャー、ニャー」
猫はまたソーセージをもらおうと、精一杯の愛嬌を振りまいている。僕は猫の背中
をなでながら、自分の顔が笑顔に歪んでいくのを感じた。
「お前はかわいいな。名前はなんていうんだ?」
「ニャー」
猫は安心しきっているのか、気持ち良さそうに目をつむった。その瞬間、手に力を
込めて猫を押さえつける。
「んにゃ、んぎゃ!!」
爪を地面に引っ掛けて逃げ出そうとする猫に、押し潰すように全体重をかける。圧
迫感のためか声はほとんど聞こえなくなったが、猫は今までにないほどの必死さで暴
れた。ガリガリと地面を削り、さえつけている手を噛もうとして首を動かす。それも
ボキッと変な音が聞こえたあとには、手足を震わせて痙攣を繰り返すだけになった。
それでも二、三十秒は力を緩めずに猫を潰し続けた。
「ふぅ」
猫が動かなくなったのを確認すると、僕はようやく力を込めるのを止めた。体中を
流れる汗は、風に吹かれてひんやりと冷たく、心地よかった。僕は額の汗をぬぐう
と、口から血を垂れ流す猫の首を持ち上げてみる。身体は雑巾のように締りがなく、
手足もだらしないほど垂れ下がっている。その姿を見れば見るほど食欲が湧いてく
る。僕は猫の手足を片手で持つと、台所へと急いで向かった。
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