エントリ1 夢十一夜 パーティスミス
こんな夢を見た。いややはり言うべきではない。この夢は私が見たものではないのだ。アイツの夢の中に、私がたんにお邪魔させてもらっていただけなのだ。そんな夢を私に語る資格があるというのか。だいいち、あれが本当に夢だったかさえも怪しい。夢の中の私(もしくはアイツ)が、今のこの私を夢見ているのではなかろうか。
現に私は今、所定の位置につこうとしていた。まずは足を入れた。右足、左足。次に下半身から上半身へ。腰、腹、胸。ズブブと体をめりこませた。温かくて気持ちがいい。気持ちよさのあまり、おもわず声が漏れてしまったほどだ。
(腕はどうしようか?)
思うだけで腕も中に入れずにはいられなかった。腕も入れてしまうと私は頭だけ外に出した状態で、中で気を付けの姿勢をとっていた。あまりの気持ちよさにウトウトとしてしまう。
(駄目だ。今から忙しくなるというのに、眠ってどうするんだ)
そう思い、目をこすってもらい眠気を覚ました。そして仕事にとりかかった。しかし頭の中では昨日の夢のことを思い出してしまっていた。
とんでもない速度で走る私の体。しかし私が足を動かしているわけではない。何か巨大な塊が、私を乗せて前へ走っているようだ。私が乗っているというよりは、コレが私で、私がコレのような、とても分かれた二つの個体だという感覚がしない。私の位置からは塊が何なのか、何色なのかさえ確認できない、というよりそんな余裕がなかった。左右に激しく揺れる小刻みな振動と、上下にリズムよくうつ大きな揺れにすっかり気持ち悪くなっていた。両端の景色がめまぐるしく変わっていく。青か、黄か、緑か、色さえはっきりしない。対して、前方の景色はほとんど変わらない。顔にぶち当たる風のせいで片目があかない。なるほど、片目しかないと、こうも視界が狭くなるものか。
前方で灰色、というよりは黒色に近い色をしたコブシ大の物体が、私の前を走って誘導している。いや、違う!私が追いつめているのだ。ぐんぐんと距離が縮まる。独眼の私に得体の知れない虫や、ゴミクズが突っこんでくる。正確には私が突っこんでいく。さっきから気になっていた、視界を邪魔する白い太い綱が今になってうっとうしい。何本かあるのだが、ずっと私の顔の前を付かず離れず宙を泳いでいる。しかしどんどん加速する私。それがようやく終わった。二種類の振動がピタッと止まった。景色も定まった。黒地にわざわざ黒を塗りたくったような黒い壁。そのコーナーにかすかに見える。追いつめられたさらに黒い色の物体の正体は、鼠だった。
目だけを赤く光らせている窮鼠。しかし、噛まない。瞬間、そいつの腹に何かがめり込む。バンッと腹が破裂した。中から白骨やピンク色の腸やらが泳ぐ、血の黒海がとびだした。私の顔はそれに汚されてしまった。しかし、鼠の腹を引き裂いた何かが、今度は私の顔を優しく拭ってくれた。
鼠の頭が転がっている。赤かった目玉は生気を失い、ただのガラス玉のようになっていた。私はそのガラスを覗き込む。そこには見慣れた猫が映っている。私が飼っている独眼の黒猫だった。しかし私が以前、スプーンですくい取ってやったはずの左眼(ガラスの中では右眼)が、しっかりとある。その眼玉は、きれいな球の形はしていないものの、口と鼻があり、目が二つもついていた。それは猫よりもはるかに見慣れていた、私だった。
エントリ2 捨て猫時代 山 あおい
「絶対に起きろよ!『やっぱやめる』とか言って起きなかったらぶっ殺すかんな!」
あからさまに嫌そうな顔で「わかったよ」と言い、二人の弟は部屋を出て行った。
いつもの事だった。
ちょっとした買い物へ行く途中、信号で止まった車の中で子猫の声を聞いたのだ。
『家に連れて行こう!』という私の言葉も聞かず、母は車を発進させた。
「明日の朝、お母さんたちが起きる前に探しに行こう。」
そうして弟二人を連れ、私は朝靄のかかる山道を下って子猫を探しに行った。
そう、いつもの事。
捨て猫を見つけては連れて帰るのも、親に内緒でエサをあげたりするのも。
…そして結局、どうにもならず子猫が別の誰かに引き取られていくのも。
子猫の声を聞いたその場所で、私と弟二人は、いつもの朝食までの時間…およそ2時間ちかく子猫を探し続けた。
しかし、見つからなかった。
どこかに移動してしまったのか、それとも別の誰かが連れて行ったのか。
学校をサボってでも探し続ければ良かった。
でもサボれば親に怒られる。
小さな生命を失う事よりも、自分が怒られることの方が恐い。
…それが小学6年生の優しさの限界だった。
「帰ろうよ」という弟の言葉で、私は‘悲しそうな顔’をしながらその場を去った。
悔しさと虚しさでいっぱいだった。
まだ少し湿った朝の山道。
重々しい足取りで上っていく帰り道の途中…そこに母が立っていた。
「アンタがすることくらい、わかってるだから。」
そう言って母は怒った。
笑顔で怒った。
涙がこぼれた。
必要もないのに泣けてきて、声がうわずって、「ごめんなさい」も言えずただただ泣いた。
弟二人も泣き出した。
母は弟たちの手を引いて、「早くご飯食べないと学校に遅刻するよ」と一言いい、来た道を戻っていった。
私は止まらない涙を手でぬぐいながら、その後を少し距離をおいてついていった。
あれからもう6年。
私は18歳になって一人暮らしを始めた。
そして今また、私の目の前に小さな野良猫が一匹。
「いつもこの駅前でエサをもらってるんだよ。」
通りすがりのサラリーマンが、猫を撫でる私に言った。
あの頃と同じような顔で、この子を撫でていたのだろうか。
いや、違うはずだ。
あの日、私は‘悲しい顔’をするだけの子供から、一歩大人になったのだから。
「今度エサ持ってきてあげるね。」
そう言って子猫に微笑みかけ、再び歩き出す。
家まで片道20分の道。
足取りは…そう重くない。
エントリ3 fear 沖樫久野
眠りに落ちる寸前の、奇妙な浮遊感。
生と死の境界を漂っているようで、不安になる。その心地よささえも、永遠に覚めない夢へと誘う甘美な罠のように思えて。
……いつのことだったか。そんな話を彼女にすると、笑われてしまった。
「そんな、子供みたいなこと言って……」
「だって怖いんだよ。明日の朝には目が覚めるなんて保証はどこにもない。もしかしたら、そのまま死ぬことだってあるかもしれない。……君は、そんな風に思ったことはないの?」
「ないわねえ」
即答されてしまって、僕は少し拗ねていた。子供のように、彼女に背を向けてふて寝する。
「もういいよ。どうせ僕は子供だしね」
ふう、と苦笑混じりのため息をつく彼女の気配を背中で感じた。同時に後ろから細い腕が回され、抱きしめられた。まるで子供をあやすように優しく髪をなでられる。
「機嫌直して。……そんなに眠るのが怖いなら、朝までこうしていてあげる。それで朝になったら、私が必ず起こしてあげる。それなら怖くないでしょう?」
本当に、完全子供扱いだ。でも不思議と悪い気はしなかった。回された腕に自分の手を添えて、首を捻じ曲げるように彼女を見た。慈しむような、優しい微笑みがそこにある。
「……そうだね」
微笑み返して、静かに唇を重ねた。
「おやすみ」
朝が来るまで一緒に眠ろう。明けない夜などきっと来ないから。
……そう、明けない夜はない。たとえ隣に彼女がいなくても。
記憶は優しい夢を見せてくれる。けれど容赦なく夜は明け、残酷に独りの朝が訪れる。
『怖くないでしょう?』
今は覚めない眠りなど恐れはしない。本当に恐ろしいのは、君のいないこの世界にあり続けなければいけないことだと、気づいてしまったから。
エントリ4 すいかの匂い ハルナ
夏休みにだけ与えられる特別な時間が好きだった。
それはお昼寝の時間。
他の長期の休みや、土日じゃあダメ。
夏休みだからこそ、お昼寝はあたしにとって意義のあるものになった。
普段の学校がある日だったら、たまらなく眠くてどうしようもなくなる午後2時前後。
誰にも文句を言われることなくぐっすりと眠ることができる。
風通しのいい畳の部屋で、おなかにタオルケットをかけただけの簡単な寝冷え防止。
時折誰か(主に祖母だ)が団扇で風を送ってくれたりもして。
目を覚ますのは決まって、母がオヤツのために切り分けるスイカの匂いで。
うたた寝の心地よさは、小学生のこのときに覚えたような気がする。
起きているのかいないのか曖昧なままのこの感覚は。
何にも代えることなんて出来ない気持ちのよい気だるさとしか表現できなくて。
あの頃の感覚がセピア色の思い出に変わるころになっても、未だにあたしのうたた寝好きは変わらない。
風通しのいい部屋で祖母に団扇で扇いでもらいながらシンプルにタオルケットだけで眠るのか、締め切って冷房をガンガンにかけた部屋でブランケットに包まってぬくぬくと眠るかの違いはあるし、目を覚ますのが母の切るスイカの匂いじゃなくて、隣で眠る恋人のいびきだったり、テレビから流れっぱなしの高校野球の声援だったりするけれど。
相変わらずうたた寝をすることはあたしにとって心地よくてそれでいて気持ちのよい気だるさをもたらしてくれる。
その気だるさの具合で今年も実感するの。
うたた寝の気持ちのよい季節。
夏がやってきたんだなぁって。
隣で眠る恋人を起こさないようにそぉっとベッドを抜け出して、キッチンにまっすぐ向かう。
確か、冷蔵庫には昨日買ったばかりのスイカが冷えているはず。
心地よい気だるさを抱えたまま、あたしは包丁でまずはそっと切り目を入れる。
とたんに香りたつ、記憶の中の夏。
少女だった頃のあたしの笑顔とスイカの匂い。
未だに夢の中にいるあいつが、少しでもあたしと同じものを共有してくれることを期待して。
あたしは豪快にスイカを切り分けた。
エントリ5 ヒトゴロシ 斎藤真一郎
僕の想像していたところ病院は、とても広く、言い知れぬ重い冷たき独特の空気が満ちている場所だった。
僕という奴は病気に罹っても、面倒に思い滅多なことでは病院には行かない奴だ。
だから、きっと、としか言うしかない。
きっと、ここが産婦人科病院だからだろう。
前夜からここに来るまでにかけて、僕の思い描いていた「病院」というものは、まったくと言っていい程に覆された。
ゆるやかに流れるBGM、色とりどりの魚たちが泳ぐ環境ビデオ、子供の笑い声が耳を打ったところへ、ピンクと水色の数字をした時計が鳴く。
五分……か、と時間を見て呟き、その何十倍にも感じられた流れに溜め息が洩れる。
相手は二十歳だが、こちらはまだ十八。法律上でこそは結婚の問題は無いのだが、二人はまだ学生、まともな収入源もなく、親に面倒を見られ、これからのスキルを学び磨く人間だ。
そんな二人の間に、できたと解ってからはすぐに話し合った。そうしたら、あまりにあっけなく、驚くほど早く、答えは出たのだ。
中絶しましょう? と言う彼女の声が蘇えり、それと同時に、自分のお腹を抱き締めて蹲り、泪をしながら、ごめんなさい、と謝り続ける姿が、映画のフィルムのように僕の中で繰り返される。
強く噛み締めた僕の奥歯が、ギリリと鳴く。
途方も無い不安に胸が潰れそうで、息が苦しくなって行き、必至に堪え、拳を硬く握り締めていると、ほんの短い間だけ、はっきり冗談ごとと割り切り二人で決めた、子供の名前が口を衝いて出た。
――かずや――まい――。
男の子なら、かずや。女の子なら、まい。
漢字すらも決められて無いかれらの名前、呟いた自分の声が聞こえると、がんばって押えていた理不尽なまでの悲しみが、一粒だけ、目から零れ落ちてしまった。
仕方無かったんだ、とは言わない。怨みたければ怨んでくれていい。
かれらが産まれたかった、産まれたくなかったは、母親になるかもしれなかった彼女にも解らないだろうし、ならば、身篭ることのできない僕などでは、到底理解できるはずもない。
でも、一つだけハッキリ解ることがある。
僕は今、ヒトをコロシテいる。
「使用中」と書かれた赤いランプが、ふっ……と消燈(き)えた。
エントリ6 芋虫 坂口
傘立てにぼっ立っていた杖代わりのスコップがないところを見ると芋婆はスコップと一緒にトマトの赤みを見に畑に行ったのかもしれない。同じ家に暮らしていてもアサコは芋婆や父母や年の近い弟や、繋がれているだけの犬が本当は何を思って生きているのかを知らない。自分が学校であくびを噛み殺している間に芋婆は何をしているのだろうか。アサコの理想の芋婆の生活はこうだ。家族が会社や学校へ出かけた後、芋婆は70年かけて裏庭にひそかに掘り続けていた地下トンネルを通って芋婆だけが知っている秘密の世界へと出かける。泥色の割ぽう着を脱ぎ捨て、美しい衣装を身に着けて想像を絶する魅惑の世界を飛びまわる芋婆。苦労だらけの人生を送ってきた芋婆にはそんな夢の世界に足を踏み入れる権利があると、かび臭い奥座敷でひとり甘栗を剥いて食べている芋婆の曲がった背中を見るたびにアサコは思っていた。
ある日の下校途中、アサコは道の向こうの畑で体を煮干しのように折り曲げて農作業をしている芋婆を見つけた。
「アサコの婆ちゃんだ!」
同級生達がすかさず囃し立てる。おおおい、アサコのばあちゃああん。豚鼻のゲンゴロウが鼻穴をいっそう大きく広げてわざと大声で芋婆を呼んだ。耳の遠い芋婆はその声に気がつかない。ゲンゴロウはちらりとアサコの顔を盗み見てから、腰が悪いために奇妙なフォームで鎌を振り続ける芋婆の姿を皆の前で真似てみせた。同級生達が笑う。イモバー、と誰かが言った。アサコはゲンゴロウが大嫌いだった。アサコにわざと恥をかかせ、アサコが羞恥で頬を染めるとそれは自分を好いているからだと勝手に勘違いして興奮するばかな奴。芋婆のつくる虫食いだらけのトウモロコシと同じくらいに気持ちが悪い。アサコが睨みつけるとゲンゴロウは悦んでますます激しく鎌を振ってみせるのだった。
その日のアサコの家の夕食に芋婆が収穫したトウモロコシが出た。食卓のすみの方に置かれた芋虫付きのトウモロコシにはいつものように誰も手をつけない。食卓を覆う気まずい空気など知らぬふりで芋婆は米を噛みしめ続ける。トウモロコシの黄色い粒の中で、茹死したはずの芋虫が微かに蠢いたのをアサコは見た。これを残さず食べたら私を秘密の世界に連れて行ってくれる? アサコは芋婆の心に問い掛けてみたが、芋婆からの返事はなかった。塩鮭の小骨を除けながら別の世界を本気で願っているのが本当の自分なのに、そういう自分を誰も知らないのだとアサコは思った。
エントリ7 永遠のあの人 黒マテリア
公園に一人の少女が立っていた。
彼女はその公園のすぐ近くにある高校に通っていた。
僕が初めて彼女に会ったのもこの公園だった。
同じ高校の制服を着ていた彼女に、僕は少し興味を持った。
話を聞くと同学年だった。
前々から噂ぐらいは耳にしていた。同学年に目が見えない女子生徒がいるということを。
彼女がそうだった。彼女の瞳は何も映していなかった。
ふと彼女が尋ねてきた。
「どうしたの?」
「いや、その……目の見えない人と話したことが無いからさ、どう接していいか分からないんだ」
僕がそう答えると、彼女は少し表情を暗くしてこう答えた。
「普通でいいと思うよ」
僕はすぐに彼女の表情が暗くなった理由にきがついた。
「そうだね。ごめん」
そう答えたら、彼女が笑ってくれた。そしてこう言った。
「よろしくね」
僕はその日以来、しょっちゅう彼女と話をしていた。
一緒に昼食をとったりもしていた。
始めは興味本位だったが、いろんな話をしていて、僕は自分の気持ちに気がついた。
僕は彼女のことが好きなんだと……。
そして僕は屋上に呼んで告白した。
「僕は君のことが好きだ。付き合って下さい」
そしたら彼女はこう答えた。
「私も君のことは好きだよ。でも……私なんかでいいのかな?」
その時の彼女の表情は、本当に嬉しそうだった。
それから僕は、彼女と付き合い始めた。一緒に登下校したり、買い物に行ったりもした。
彼女の目が見えない……そんなことはどうでもよかった
目が見えなくとも、こんなにも愛し合えるのだから……。
僕は彼女の笑顔が見れるだけで、幸せなのだから……。
でも、そんな日々は長くは続かなかった。
ある日、待ち合わせ場所である公園に向かう途中で、僕の時間が止まった。
それは公園の入り口での出来事だった……。
僕の時間が止まってから、すでに3ヶ月が経っていた。
僕の時間が止まった……この言葉が意味するものを彼女は理解しているはずだ。
それでも彼女は、今でも公園で待ち続けている。
永遠に還らないあの人を……そう、僕のことを……。
エントリ8 空におちる ナツコ
(空におちるってどんな感じだろう)
カナコはふと、そんな事を考えた。
学校に行く途中、あまりに空が青いことに気づいたカナコは、進路を変えて公園 に行くことにした。そして今にいたる。
(青いなぁ…。目にしみる青さね。)
ベンチの上に横になり、カナコはずっと空を見ている。
「あんなに青い空におちるってどんな感じかなぁ。」
「山田ぁ、何してんだ?」
思わず声になったカナコの声の上に、別の声がかさなる。
声の主はクラスメートのギンタだった。公園のいりぐちに自転車をとめて、カナコのもとへやってくる。晴れていても今は冬。ぐるぐるにマフラーをまいて顔をうずめていた。
「…山田ってよばないでよ、城ヶ崎くん。」
「その名を呼ぶな。」
カナコも、ギンタも自分の名字を嫌っている。カナコは平凡すぎて、ギンタはその逆に豪華すぎるため。
「いいじゃない、城ヶ崎って名字。」
「どこの金持ちだよ。おれは山田でいいよ…。」
そう言ったギンタがおもしろかったのか、カナコはあははと笑った。
「学校ちこくだぜ?」
「ギンタ君もね。」
「俺はいいんだよ。いつもの事だから。」
「どっこいせ」と言って、ギンタはカナコが寝ているベンチに座った。
「オヤジみたい…。」
だるそうに起き上がって、少しみだれた髪をととのえながら、カナコは言葉を続けた。
「空におちるって、どんな感じだと思う?」
「は?…空からじゃなくて、空に?」
「うん。あんね、今日ってすっごい空青いじゃない?そこにおちるってどんな感じかなぁって考えてるの。」
そう言って、カナコはもう一度空を見上げた。ギンタもマフラーをまきなおしながら同じように空を見上げる。
雲一つ見あたらない、青い空にカナコは少し、じんときた。
「目にしみるね、この青さは…。」
「だなぁ…。泣きそうだ。」
「どんな感じかな、ここにおちるって。」
「きっとすげぇな。俺泣くかも。」
「うん。ブワってなって、ボワってなりそう…。」
「わけわかんねぇよ。」
「ふふ。…言葉じゃ言えないってことだよ。」
「おぅ。それは何かわかるな。」
そのギンタの言葉を最後にして、しばらく二人で空を見上げていた。
「…おし、行くべ、学校。」
「後ろ乗せてね。」
「おぉ。いい思いしたからな、お礼に乗せてやる。」
「また来る?」
「いいよ。俺、はまった。空に。ありがとな。」
「いえいえ、どういたしまして。よし、行け!城ヶ崎!」
「言うなよ。」
青い青い青いこの空に、おちる。
エントリ9 儚い命の死。 椿
儚い其の命は私の手によって止まるか、流れるか。
私の手が動けば、其の儚い命が止まる。
私の手が止まれば、其の儚い命が儚いまま流れる。
私の儚い命がある限り、其の儚い命たちの喜びが快感へと変わる。
快感を与えてあげるんだから、怖がらずに私に身を任せて。
私も同じだから。
大きいも小さいもない儚い命なんだから・・・
目を覚ますと、うだるような暑さの中だった。
渋谷公会堂の遊歩道の垣根に私は腰を下ろしていた、周りに目をやると
路上ミュージシャンたちが自分たちの音楽を披露していた。
耳に障る。足元に目を移すと、私が口から落とした飴玉に無数の蟻がたかっていた。
生きる為に必死で飴玉をかき集める蟻たち。
足で蟻たちを踏み潰す。
何回も何回も足をあげてはまた、踏み潰す。
一匹、また一匹ともがきながら蟻たちの命が止まった。
暑い・・・
原宿に行くことにした。
無意味にヒトがたくさんいる。
へらへらと笑いながら腕を組み合うカップルたちとすれ違う。
騒ぎながら服を物色している女の子たち。
こんな服は私には似合わないなと思いながら店の前を通り過ぎた。
喉が渇いたので自動販売機で水を買った。
乾いた喉に水が滑り込んでいく。おいしい。
小さな虫が目の前をかすめた。
手に持っていた傘を捨てて、手に持っていた鞄も捨てた。
両手で小さな虫を叩き潰した。小さな虫の命が止まった。
暑い・・・
原宿の駅まで来た。
汗がだらりと流れ落ちる。水分を取りすぎた。
シャツとジーンズが体にまとわりついて気持ち悪い。
脱いでしまいたい衝動にたかられる。
駅の前の手すりに腰をかけた。足元で鳩が鳴いている。
手に持っていた傘を鳩に向けて振りかざした。
鳩は後数センチのところで飛んでいってしまった。
振りかざした傘は地面を叩く。鳩の命が流れた。
暑い・・・
渋谷の東急ハンズの前まで来た。
人が多い、なんだか不快だ。
一匹のネズミがいた。汚いゴミをあさっている。
私は鞄の中からライターと制汗スプレーを取り出した。
ライターをつけて制汗スプレーを噴射させた。
制汗スプレーがライターの炎に引火して、派手に炎が上がる。
炎はネズミを包んだ。ネズミの命が止まった。
暑い・・・
ふらふらと歩いてみることにした。
人だらけの騒がしい街。
犬がいた。首輪をつけた犬だ。
木にリードがくくりつけられている。
飼い主はいないみたいだ。犬を置き去りにしてどこかで遊んでいるのだろう。
犬に近づいて、鞄から血のついたナイフを取り出した。
犬の耳を持って首にナイフを滑らせた。犬の命が止まった。
暑い・・・
スペイン坂にたどり着いた。
私は人に当たらないように慎重に慎重に歩いた。
一人の男が私にぶち当たった。
私は男を呼び止めて、鞄からロープを出した。
暴れる男を何とか制して、男の首にロープを巻きつけた。
思い切りロープを締る。ロープが男の首を締め上げる。
だけど男は私を振り切って逃げた。男の命が流れた。
暑い・・・
JR渋谷駅の交差点まで来た。
渋谷の窪。東京の窪。
私は交差点の真ん中まで歩いて、足を止めた。
空を見上げる。眩しいほどに青く澄んだ空はこの世界とかけ離れた存在。
鞄から自分で作った爆弾を取り出してライターで火をつけた。
それを大事にお腹に抱えた。私の命はもうすぐ止まる。
今まで止めてきた命と同じように。
暑い・・・
エントリ10 君と愛した海 化猫ジョー
君に逢いたくて、逢いたくて、逢いたくて。
僕はまた、いつものように、この坂道を急ぐ。
「調子どう?」
病室の片隅で窓の外を眺めている君に、僕はいつもと同じ言葉を紡ぐ。
そして、君もいつもと同じ言葉を紡ぐ。
「うん、大丈夫だよ」
彼女と出逢ったのは、ちょうど2年前の夏。
砂浜に独り佇み、夕日が沈む水平線をじっと見つめる彼女の横顔を、僕は未だに忘れることができない。
「雨が降りそう…」
窓の外を見つめたまま、君がつぶやいた。
「天気予報では曇りだったけどなぁ」
君が見つめる窓の外に目をやりながら僕は答える。
彼女は重い病気にかかっていた。病名は長すぎて忘れた。
入退院を何度も繰り返しているということを知ったのは、確か彼女との2回目のデートの時。
その日、彼女は待ち合わせの場所にやってこなかった。
何度電話しても、何度メールを送っても、返事は返ってこなかった。
僕はふられたのだ。
そう思って帰ろうとした矢先、僕の携帯電話が鳴った。
電話の相手は、彼女がいつも入院している病院の看護婦さんからだった。
何度も着信があることに気づき、仕事の合間をぬって、僕に電話をかけてくれたのだ。
いつもの発作を起こしたと言うと、その看護婦さんは僕にすぐ病院に来るよう告げた。
「また海に行きたいなぁ…」
ポツンと君がつぶやいた。
「…先生がいいって言ったら連れて行ってやるよ」
僕は迷いながら、そう答えた。
彼女の病状は悪化していた。
僕と出逢った頃と比べると、彼女の一度の入院期間は明らかに長くなっていた。
僕が初めてこの病院に訪れた時、看護婦さんは彼女について沢山のことを話してくれた。
彼女は小さい時から重い病気と闘っていること、両親を早くになくしていること、彼女の通っていた学校、彼女の友達…。
彼女を我が子のように可愛がっているのだ、と照れくさそうに話してくれた。
そして、この病院に訪れるのは僕が初めてであることも。
「そろそろ行くわ」
たいした会話もなく、僕はそう告げる。
「うん…またね」
力なく、君はそうつぶやく。
特別扱いされること嫌ったを彼女は、病気のことを周りの人たちに教えていなかったらしい。
そんな彼女に友人らしい友人ができるはずもなかった。
そして、彼女の周りに誰もいなくなった時、彼女は僕と出逢った。
素敵な人に逢ったと嬉しそうに語っていたから、電話の着信がその人だろうとピンときたのだ、と看護婦さんは微笑みながら教えてくれた。
少し照れくさくも感じながら、彼女の支えになろうと僕が決心したのはこの時だ。
「俺らが最初に逢った海、また行こうな」
帰り際、僕がそう言うと、君は少しだけその瞳を潤ませながら僕に笑いかける。
「約束だよ」
君が愛しくて、愛しくて、愛しくて。
僕はまた、いつものように、この坂道を急ぐ。
エントリ11 お見合い 稲木有司
「本当に久しぶりね、写真見た時はびっくりしたわ」
「俺だってそうさ、まさか見合い相手が恵とはね」
「でも、浩一、上手だったね。今日、いかにも初対面ですって顔してさ、あれならみんなも、私達が知り合いだって気づかないよ」
「お前だって、役者だよ。化粧もうまくなったし、結構、男だましてきたんじゃないの」
「何よ、私にだまされたのは、浩一だけ」
「そうだよな、お前、隆と別れてから、すぐ見合いして、真顔で結婚するって言ったから、信じちゃってさ」
「真顔じゃなく泣き顔でしょう、それに、正確には、結婚もいいかなって言ったのに、みんなにメールしちゃってさ」
「ごめん、あれは本当に悪かった。早とちりしすぎだったな。でも、見合い相手、結構気に入ってたんだろ」
「本当に、そう思ったの」
「だって、相手は、一流商社のエリートだしさ。そりゃ、隆もいい奴だったけど、お前を泣かせたと思ってたから。」
「それで、『祝!恵が結婚、ついに隆を乗り越えた』ってメールを出しまくって、パリに行っちゃったんだ」
「後から、由紀に聞いたんだけど、お前が隆を振ったんだって。それに、見合いも、まだしてなかったんだって」
「そうよ、それに、あれから、全く音信不通だし。」
「そうなんだ、パリに赴任してから、忙しなっちゃってさ。ようやく、日本に帰ったのが半年前。あれから、もう5年か。」
「そう、もう5年。浩一が、お見合いを受けるって聞いて、本当に私のこと忘れちゃったかと思ったわよ」
「俺だってそうさ、でも、何で、叔母様に知り合いだって言わなかったんだよ」
「自分だって、上司の方に、『こんなきれいな女性とお会いしたいのは勿論ですが、実は、大学時代の知り合いで』って言えば良かったのに」
「でも、えーっと、つまり」
「つまり、何よ」
「俺、恵が泣いてた理由、高志を振った理由、見合いしなかった理由、ずっと考えてたんだ。それで、どうしても、本当のことが知りたくて。でも、普通の再会じゃ、きっと、こんなこと聞けそうになくて。それに・・・」
「それに、何よ」
「それに、俺、お前に言いたいことがあってさ」
「私だって、浩一に、あの頃から話したいことがあったわよ」
「何だよ、それ」
「浩一こそ、先に言いなさいよ」
「じゃ同時に、言おうか」
「わかったわ、じゃ、1.2.3で言うわね」
「1.2.3、恵が好きだ」「1.2.3、浩一が好き」
「え、今、恵、何て言った」
「今日のお見合いは成功だね」
エントリ12 雨やどり 乳製品
夕立は突然降り出した。海沿いの小さな駅は,売店のおばさんがひさしを出すやら,タクシーの運転手が慌てて車に乗り込むやら,学生が無理して雨の中を駆け出して行くやらで,ちょっとした騒がしさを見せたが,すぐに洗い流されたように人影もまばらになり,聞こえるのは雨音だけになった。季節はちょうどお盆の頃である。傘のない老人が一人,雨の止むのを待っている。八十前後とおぼしき彼は,湿気のせいで痛む膝をさすりながら,駅のベンチに深く腰掛けていた。あたりはぼんやりと暮れかかり,駅前の商店の輪郭も徐々に雨の中に沈んでいく。
不意に白いひらめきが老人の目の端に起こった。それは白い旗が一瞬はためいたようにも見えたが,よく見れば女が一人,老人の隣に座ったのである。年は二十歳くらい,清潔な白いリネンのシャツに淡いブルーのプリーツスカート,最近では珍しい長い黒髪が艶やかであった。老人は一目見て息を飲んだ。そしてはじめはおそるおそる,次第に不躾なくらいまじまじと,彼女の美しい横顔を眺めた。洗い立てのシャツのように白く上品な顎のライン,鮮やかに紅の差された唇,冷たくすらりとした鼻梁に,愁い深げな瞳。頬には可愛らしいほくろが一つあって,これだけが美しい均衡を破って特徴的だった。老人はしばし激しい雨音すら忘れて女の顔に見入っていた。その時,女が微かに笑って老人の目を見返した。老人はひどく狼狽して顔を伏せたが,すぐにまた女の方を見て,今度は女の目をじっと見据えた。老人は口をもごもごさせて言葉を探した。なにか言わねばならない,なにか,今すぐに! はやる気持ちはかえって老人を裏切った。女はいとおしそうに老人を見つめると,そっと彼の膝に手を置いて,一言,
「お体を大事になさってね,お願いよ。」
と優しい声で言った。そしてそのまま足早に雨の中を歩き出した。老人はようやく「待ってくれ」と叫んだが,その時にはもう女は夕立の中に消えていた。程なく,雨は止んだ。
仏壇の前で一人,老人は静かに泣いていた。今日はお盆で久しぶりに子供も孫も来ていたが,彼等を階下に待たせて一人で泣いた。涙でべたべたになった目で亡妻の写真を見上げると,写真の中のかくしゃくとした老婦人は,口元に気品ある微笑みを浮かべて老人を見つめていた。若い頃,さぞ美人だったろうと思われるその老婦人の右頬には,可愛らしいほくろが一つ,はっきりと写っていた。
エントリ13 カタミミ 向山 哉
ビルの隙間に、忘れ去られたような無人の工事現場があった。いつ使われるともわからない木材や、アスファルトで舗装されていないむき出しの大地と、理不尽に迫害され続ける悲運の植物に、雨は降り注いでいた。
立ち止まった僕は、キャタピラの間から奇妙なウサギが顔を出したのを見た。
コンクリートジャングル。緑の少ない場所。
ペットとして飼われ、理不尽な都合で捨てられたのだろう。白であった毛並みは、雨でぬかるんだ土の茶と血の赤とが混ざり合い、腐敗した果実のように、負、だった。
一番に目に留まるのは、泥だらけのウサギには、長く伸びた耳が一つしかないことだ。もう片方の耳の在った場所は、最初から無かったように毛で覆い隠されていた。切り口から、人間に鋭利な刃物で切られたことが判る。
のそのそと今にも途絶えそうな命で、僕の足にすりよってきた。
どれだけ人に突き放されても、傷つけられても、都会のウサギは人にすがってしか生きていけない。自ら死ぬこともできず。
理由のない痛み。
過密都市の孤独。
故郷のかごの中。
ウサギは何も言わないが、ズボンの生地の上から伝わる体温は僕を必要としている。ヒトのエゴが生み出した弱い生物は、同類の僕に、恨みなどもっていなかった。
一緒にいていい?
そう問いかける瞳に、心が痛んだ。
何もしてやれないと自分自身にいい聞かせ、ボクは早足にその場から離れた。ここまで進化しても、何も出来ない自分自身に気付く。手を差し伸べる勇気さえ、持っていないことに。
涙がにじみ、雨に解けていく。
いつのまにか足は止まっていた。
水滴が頬を打つ。
あとは振り向いて。
優しく抱き上げて。
簡単なこと。
一つしかない耳に、そっとささやこう。
一緒にいよう
エントリ14 ネバーランド はじめ
高く。光が吸われ呑み込まれる程には高く。薄暗い“空”はひたすらに遠い。ベッドに転がり、何の気なしに天窓からそれを見上げていた。傍らのユタカはベッドの端に座ったまま、手持ち無沙汰からか、ハルカの髪をいじっていた。
掬っては零し。零しては掬って。
「月と地球の限界距離の話、知ってる?」
切り出し方は唐突だった。いつまで続くのか分からない、沈黙というにはあまりに軽い時間はそれによって断たれた。
「知ってるけど。それが?」
理論的な説明が欲しいのか、だとすれば質問の相手を間違えているとしか思えない。促すと躊躇う気配が伝わって来たが気づかないことにした。
「つまりさ。月も地球も一定の距離より近付いたら、お互いにお互い、壊し合っちゃうってことでしょ。…――何か、ヤだな」
「互いの引力が強すぎるんだから、仕方ないよ」
翳ったユタカの目は珍しいことに弱々しくて、ハルカは一瞬言葉を捜した。が、結局いつも通りに脊髄反射のような答えを返した。欠片も意味を持たない言葉。いや、場を繋ぐ意味はあったわけだが。
「だけど」
「だけど?」
更に繋ぐ。何を躊躇っているのかそれすらハルカには解らない。何を言って欲しい? 何をして欲しい? 一体何を望んでいる? 何処を見ているのか分からない眼差しも要領を得ない会話も嫌いだ。出来ることなら結論から入ってもらいたい。助けにすらなれないことへのジレンマ。黙って聞くことすら性格的に出来ないことが時折厭になる。
「うん…? だけどね。ずっと独りみたいなのが」
「可哀想?」
「そーなのかな」
努めて明るい口調にしたらしく、そのことに少し安心する。安心したついでに考える。話の流れとしては、自分の考え方はある種の否定になるだろう。しかし自分の持つ言葉以外は口には出せない。馬鹿正直な自分が大好きだ。むしろこれをやめた自分には価値がないようにも思っていた。ハルカと一緒に居る時、話す時。
ユタカはその馬鹿正直さを期待している。嘘のない態度は厳しく、時に否定的だが誠実さ故の安心感がある。ユタカはいつものように、穏やかな沈黙が破れるのを待った。
「その距離で満足してるとしたら? 近くはないけど遠くもない。近付き過ぎて壊し合うよりは、ずっと居られるその距離の方がいいとしたら?」
「その方がいいのかも知れない。月も地球の人間もね。でも、触れることもできない。見てるだけ? それは厭なんだ」
意外、の一言。随分感傷的だ。
「命張る気なら」
「何に?」
「ただ触れることだけに」
ずっと一緒に居られる方がいいと思うけどね。ハルカは肩を竦め、ユタカは半眼を伏せた。
「そうするかも知れないしないかも知れない。寂しいのは嫌じゃん?」
「永遠に眺め続けるか、一瞬だけ触れ合うか。どっちが寂しいかは人それぞれ」
決めるのは、今じゃなくてもいい。
エントリ15 言えないであろう告白 御津さくら
こうやって心の行き場がないときに、手もとの携帯からあなたに一言送れば、冷たいと感じるくらいにすぐ返事か来るのよ。寂しがりやなあなたは、携帯のメールを打つのがとても早い。でも電話には出てくれないと思う。私もあなたも、つねに心のおき場所を探して違う方向を向いているから、かけたことがないし。
あなたとの出会いは、私が仮面をかぶり始めたころだった、大学入学のころ。それまで友達と話をするだけで、2日無言になるという休息が必要だった私が、化粧をして、合コンにいそしむようになったころだった。
別れた直後から、メールのまめさを発揮していたあなた。当時の彼女との時間の最中に報告メールを送ってきていたあなた。私は彼氏がいつまでもできないで、あせっていた。
二十歳を過ぎたころ、私は初めて付き合った人の子供を妊娠した。そして初めて、相手の男が妻子もちだったことを知った。まだ大学生だったわたしは脳がフリーズしたまま、堕ろした。あなたに全ての出来事を一瞬送った。すぐに来たメールは、やっぱり適切すぎて冷たくて、わたしを現実に戻してくれた。この人には頼れないと思った。嫌い、って思った。そして嫌われたくないと思った。やっぱり妊娠はしてなかったと、送って、泣いた。寂しいって思った。そしてずっと、対等に友達でいたいと心に誓ったのよ。
連絡が途絶えていても、あなたとはそのうち必ず会えると思ってる。いつも忘れたころにひょこっとメールがくるの。そして朝まで飲んで話せるとおもってる。もう、出会って6年になるんだわ。
あなたも私も、寂しがりやだから、つねに誰かを探してる。この前の二人で幹事した飲み会、はしゃぎすぎてみんなに引かれてたあなた。私はわかったよ。なにか苦しいんだね、寂しいんだね。強がり言ってかっこつけてたけど、去年からあなたが言ってたわがままなあの子が忘れられないんだね。私も今つらい。だからあなたに会いたくて、飲み会久しぶりにしようって誘い、うれしかった。先月ね、やっとできた彼氏にふられちゃった、私より仕事をとったの。すごく好きだったのに。彼は笑いながら言った。きみのほんとに必要な人は、まだきみの想いには気付いていないね。
もう一度、あなたと二人きりであって、学生のころみたいに無邪気に飲めたら、もう言わずにはいられないもかもしれない。
愛してる。
あなたのことなら、全部包んであげる。
一緒にいてあげたい。そばにいてあげたい。
だから、わたしを見て。
そしてわたしを守ってほしいの。
エントリ16 新しいスタート なみ
「もう嫌。死ぬ。」
夜中にいきなり電話をかけてきたと思ったらこれだよ。道子の「死ぬ」は聞き飽きた。
「また健太が浮気でもしたんか?」
それでも相手をしてあげる私も馬鹿だな。
「そうや。今度はキャバ嬢やで! あほやであいつ。」
確かにあほやけど、そんな浮気性の彼氏と付き合ってるあんたも、たいがいあほですねと、言ってやろうかと思った。
「で、キャバ嬢との浮気が発覚して、死のうと思ったん?」
「そんだけとちゃうねん。」
あ、ちょっと泣きそうな声になってきた。
「そのキャバ嬢、妊娠しよってん。」
「は?」
「だから、妊娠してんって。」
まじですか……。
「でな、妊娠さしてもうたから、責任とるって言い出してん。」
「結婚?」
「そうやねん。」
そうか。とうとう道子があのとんでもない彼氏と別れる時が来たか。なんだかんだと、続いていた二人だ。どうやったら別れるんだと思っていたけど、なるほどこういう別れ方か。
電話の向こうで、道子が泣いているのがわかった。
「まぁ、なんや。気の利いたこと言われへんけど、今はとりあえず泣いとけ。」
私の言葉を聞いて、道子は声をあげて泣き始めた。
第三者からして見れば、道子の彼氏は最悪の一言だったが、道子本人かするとそうはいかない。嫌なところもあるけど、いいところもある。その"いいところ"が、大好きだったのだ。その上、長く付き合っていたから愛着もかなりあるだろうし、あいつのいない日々を迎えるのもかなり勇気のいることだ。つらいのは、これから先だ。これをどう乗り越えるか、考えただけでも胸が痛くなる。
道子の気持ちが私の方に流れ込んできて、いつのまにか私も道子と一緒に泣いていた。
「これから……ひっく……先のことを思うと…うっ…生きてたくなくて……。」
うんうん。そうだろうな。気持ちはわかるけど、まだ死ぬには早いぞ。あんな男のために……。
「でも……死んでもうたら、二度とあいつに会われへんようになるし……。」
この期に及んで、まだあいつのことを言うか。
「……。あんな、私まだあいつのこと好きやねん。」
「『絶対別れたくない』って、言うたら『じゃあ、不倫相手にしたるわ』って言われてん。」
はぁ!? どこまでもふざけたやつだ。何様のつもりでいるんだ。
……ん? まさか……。
「私、これからは不倫相手やねーん!」
わぁっと道子がより声をあげて泣き出した。
もうええわ。
エントリ17 ジャンク・フード むん
空はどんより暗い。しとしとと絶え間なく、雨が振り続いている。
旅人はラジオの天気報告に耳を傾けている。
予報とは違うそれが流れ出す。
「今日1日中雨、風はありません。夜半にかけて雨量を増やすので、外出には十分ご注意く」
ぷち。
旅人はまだ寝ぼけた眼をがしがし擦っていても今だ半分夢にでもいるようだ。
「今日は雨だし、このまま寝ていたい気分だなぁ…」
それだけ言うとふたたびまどろみ始めた。
しとしとと気持ちのいい雨音を子守唄にすでに寝息を立て始めた頃、
ずかずかと騒々しい足音が部屋の前に止まった。
夜景が綺麗なホテル302号室のドアが激しく叩かれる。
「ちょっとお客さん!5分過ぎてますよ!時間犯罪で訴えるわよ!」
旅人は想像を超える金切り声で飛び起きて、あたりを見まわす。
完全に目は覚めたものの不快感に苛立った。
「今の世界はどこのホテルもこんなんなんだよね…」
旅人は聞こえないようにボヤいてみた。
声の主は容姿からすると、ホテルの娘ってところだろうか。
しぶしぶドアを開ける旅人。
眉は吊り上り激怒しているのが一目でわかる。
「時間なんですが?あなた5分も遅れるなんてどうかしていますよ?
体の不調などでしたら近くに大病院」
旅人は反論する気にもならず言葉途中、宿代を払って雨の中出て行った。
無駄のない政治を! 無駄のない教育を!
無駄な人間を無くせ!
なくせなくせ!!
そんなデモが流行ったのはいつ頃だったんだろう?
僕が生まれるずっと前だってのは解かってはいるんだけどね。
雨よけのものを持ち合わせていない僕はさっきのホテルの前で佇んでいる。
すると、意外にもさっきの少女がやってきた。
横に座り込むと、興味があるような目で僕をみる。
「あなた学校は?」
「ないよ。」
「え!?だって種の選りすぐりの存続の為に生まれさせられたんでしょう?
私もそうよ、立派なホテルの跡取り目指して目下厳しい修行中だもの。」
信じられないような目で僕をみる、彼女。
旅人は気のない相槌をうって雨の具合だけを気にしているようだ。
「変わった人ね? 見たこと無いわアナタみたいな人。」
そう、旅人はそれだけいうと、雨具も持たずに歩き出した。
「あ、ちょっと! あなたもしかして、不法産物じゃないの?」
ずけずけと言う彼女の目を、僕は振り返り見つめ続ける。
軽く会釈してその場を後にした。
当てはない、今日は行けるだけ歩こう。
軽い荷物と、両親の遺影であろう写真を胸に雨の中歩き出して行った。
エントリ18 トイレ 真田由良
朝起きると何故かトイレにいた・・。
それも、トイレのドアは開かない。
「なんだよぉ・・・」
よりによってトイレ・・しかも、美人の女と一緒にいるならまだ良いものの、隣にいるのは見たこともない独りの小学生位の男の子だ。
足元にはランドセルが転がっている。
「あの・・」
「なに?」
男の子は意外とはきはきした口調で喋り、俺はとてもじゃないが子供とこんな密室にいるのは二時間と持たないと思った。
「あの・・なんで・・?」
「は?」
「だから・・なんでこんな所にいるんですか?」
「・・・・・何言ってるの?」
完全に立場が逆転している口調で俺は話し続けた。
「だから!なんでトイレなんかにいるんだって!」
耐え切れなくなって口調は大人以上だが、まだ小学生の子供に怒鳴った事を即座に
反省した。
「いや・・ゴメン・・ちょっと本当に自分がなんでこんな所にいるかわからなくて・・」
「あんた、本当に何も知らないの?」
「えぇ・・あぁ・・」
驚いた・・まるで奇怪な怪物を見るかのような子供の目に。
「トイレとか、押し入れってさぁ・・子供が叱られた時によく親に入れられるよね?」
「あぁ・・」
そういえば・・と昔、自分もワルさをしてよく親父に入れられた事を思い出しながらアゴヒゲを撫でた。
「あんたも、なんか悪さでもしたんじゃないの?」
「・・・はっ・・?」
「ワルさもしないで入れられないよ」
淡々とした口調で先を促す子供を見ながら背中に汗が伝っていく。
「ちなみに、僕は父さんの花瓶を割った」
トイレの電気を見つめながら子供は少しも悪びれずに言った。
「俺は・・・何もしていない!・・昨日は・・得意先の接待で夜までしんどい思いをしながらあんな厚化粧のババァとハゲちらかしたおっさんの面倒を朝まで見てたんだぞ!それで、やっと帰って寝て・・朝起きたらコレだよ!!」
無意識に便器の横にあるトイレットペーパーをつかんでいた。
その時・・・
コンコンッ
ノックの音だ。
出れる!出れる!
トイレの外から、20代位の女性だろうか・・
「交代よ!」と言って激しくドアを叩いている。
「ハイハーイ!今出ます!」
子供は、手馴れたように自分の足元に置いていたランドセルを背負い内側からカギを開けドアから出ていってしまった。
「えぇ・・おぃ!」
「何?」
いかにも面倒くさい声で子供は男を振りかえりもせずに言った。
「俺も、出れるよな?出れるよな?」
男のすがるような目を冷笑しながら子供はこう言った。
「さぁ?ココは反省しないと出れないよ?」
「反省も何も、俺は何もしてない!」
「そんな事知らないよ。もぅ、交代だから僕、行くね?」
子供の背中より大きいランドセルが上下に揺れているのを男はいつまでも、見ていた。
「初めまして・・それで、あんたは何やったの?」
そして、入れ違いに派手なスーツを着た女が便器に座った。
「だから僕は・・」
必死の訴えも水温にかき消されて誰にも届こうとはしなかった。
自分では気づいてはいないけれど、人にとって悪い事していませんか?
そんな事をしているといつか朝起きるとトイレに寝ているかもしれませんよ・・。
男は、必死に自分の誠実さを叫びながらも、右手に握られているトイレットペーパーにいつまでも気がつかなかった。
エントリ19 穴の開いた休日に 卯月羊
アリスの目の前に突然現れた「うさぎ穴」。
彼女はそこに飛び込んで、不思議の世界へと迷い込む。
退屈な日々から飛び出すのだ。
今日は朝から気分が晴れない。
全てはこの忌々しい「穴」のせいだ。何をするにも邪魔になる。
ここのところ毎日忙しくて、ろくに眠ることのできない日が続いていた。そんな中での久し振りの休日が、今日なのだ。その大切な休日の朝に、その憎たらしい穴はぽっかりと口を開いた。私はこんな穴を見ても、アリスみたいに飛び込む気にはなれない。迷惑なだけだ。
私がイライラしながらテレビを見ていると、電話が鳴った。
「あ、俺だけど」受話器の向こうに聞き慣れた声。
「『俺』だけじゃわかんない」
「何だよ、わかるだろ。今からそっち行くからな」
一方的に言いたいことだけ言うと、ガチャッと音がして電話は切れた。何だか可笑しかったので、ケラケラ笑った。すると、またあの穴が邪魔をする。テレビに映るタモリの笑顔がやけにむかついた。
20分程たって、チャイムが鳴った。
のそのそと起き上がり、ドアを開けると兄が立っていた。片手に赤色の紙袋。
「よう、久し振り」相変わらずの無精ヒゲ。
「何、それ?」と私の目線は紙袋。
「ん、ギョーザだよ、ギョーザ」
「え」
私は無類のギョーザ好き。中でも兄の作るギョーザには目がない。
「どうしたの、突然」
「ん、新作だよ。お前に味みてもらおうと思ってさ」
兄はこの近くの中華料理店で働いている。私も時々顔を見せに行くのだが、最近は仕事から手が離せなくて、しばらくご無沙汰していた。
「昼飯まだだろ? 今温めてやるよ。キッチン借りるぞ」
兄はそう言うと、台所の方へズカズカと入っていった。
「どうした? 不味いか?」
ギョーザをほおばった私の顔を見て、兄が訊ねた。
「うぅん、そうじゃないの」
私は必死に我慢したのだが、やはりしかめっ面を隠しきれなかった。
「じゃあ、何だよ」
ギョーザは今までのどれよりも美味しい。ただ…。
「今、しみるのよね」
「ん?」
不思議そうにしている兄に、私はあの「穴」を見せた。
あー…
「おぉ…、痛そうだな」
「うん」私は大きく開いた口をぱくんと閉じる。
「仕方ねぇな、また今度にしよう」
「全く、忌々しいわね、『口内炎』って」
私から久し振りの休日と、大好きなギョーザを奪ったその「穴」は、その後もしばらく私を苦しめた。いくらアリスだって、こんな穴ならお断りだったはずだと思う。
エントリ20 シンフォニー ユウガ
少女はいじめられていた。生きることがつらかった。だから、ある日彼女は自分の手首を切った。薄れゆく意識の中で、少女は誰かが自分を呼ぶ声を聞いた。
「あなたは、誰?」
「なぜ私を呼ぶの?」
「ダメ! 生きるのよ、死んではダメ」
「あなたは誰なの?」
「私はあなた」
「私?」
「ええ」
「どういうこと?」
謎の少女は、何も言わずに少女の前に手をかざした。
「これは……」
少女は思い出していた、楽しかった思い出をうれしかった出来事を、暖かかった人のぬくもりを。いつのまにか少女の目からは涙がこぼれ落ちていた。
「どう、思い出した」
「でも……」
「でもじゃないわよ、あなたは覚えているでしょう。人のぬくもりを」
「……ええ」
「でもいったい、あなたは誰なの?」
「言ったでしょう、私はあなたよ、あなたが心の奥底に閉まってしまった正の感情」
「そうなんだ、私はあなたに会うことを怖がっていただけなのね」
「そうよ、でもこれからはずっと一緒」
「ありがとう、私はもう大丈夫」
「これでもうあなたと話すことはできないけど、私はいつもあなたと共にいるから」
「うん、うれしい」
目を覚ますと病院のベッドの上だった、かたわらではでは泣きつかれたのか、母親が寝ていた。
その姿を見て少女は自分が以下に愛されているのか、自分が以下に馬鹿なことをしたのかを悟った。少女の目には生気が戻っていた。突然母親が目を覚ました。
「よかった、目覚めたのね」
「うん、ごめんお母さん」
「ううん、何も言わなくていいわ、あなたはこうして戻ってきたんだから」
そういって母親は少女を抱きしめた。母の胸の中で少女は人のぬくもりをいっぱいに感じていた。もう一人の自分を感じながら。
エントリ21 アリバイ タガキミツキ
その時、私は彼と二人きりだった。
私の携帯電話に、高校時代の友人からメールが受信された頃だったから、時計は十一時半を告げていた。
六畳の和室には電気をつけていなかった。
まん丸になりきっていない月と、彼のタバコの火だけが、その部屋の明かりだった。
窓際に置いた、銀色の灰皿を挟んだ向こう側に、彼はあぐらをかいて座っていた。
少し茶色のストレートヘア。
カットしてからだいぶ伸びて、おぼっちゃんという言葉が似合いそうだ。
そんなヘアスタイルとはギャップのあるシャープな顔のラインに、切れ長の目。
細い首、Tシャツからのびたスラッとした腕。
そして、清潔感あふれる細くて長い指先には、タバコが挟まれていた。
「…何…?」
じっと見ていた私に、彼は言った。
「ん、あんた細いなぁって思って」
私はムチムチした手で、自分の両膝を抱えた。
寝間着用の短パンからのびた私の足は、青アザやすり傷でいっぱいだ。
彼は、ふうっと煙を吐き出すと、
「言うなって。痩せやすいんだから、オレは」
と、私に苦笑いをした。
彼の唇からもれたその煙は、開けた窓を通って夜空に広がっていった。
「お前は」
「…え?」
色素の薄いふたつの瞳に、私は見つめられた。
目をそらしたいのに、そらせることが出来ないのは何故だったんだろう…。
その目を細め、彼は小さく言った。
「太ったな」
「ひどーいっ」
私達は笑った。
ごく小さく、冗談が心のそこからおかしかったわけでもないのに、小さく笑っていた。
私と彼は、恋人ではない。
友達でもない。
もちろんアカの他人でもない。
彼はブラスバンド部、私はチアリーダー。
私達は応援団と共に、大学野球応援練習の為に合宿に来たのだ。
私と彼の二人以外のメンバーは、食堂で宴会をしている頃だろうな…と、彼はつぶやいた。
…仲間。
そう、私と彼は、仲間なのだ。
友情よりも強い絆と、愛情よりも厚い信頼がある仲間なのだ。
「君たちのアリバイを聞かせてもらおうか」
応援メンバー全員が集まった食堂で、刑事は私に訊いた。
宴会が行われている最中、宿舎の金庫からお金が盗まれていたのだ。
私と彼以外は、みんな食堂にいた。
従業員でない私達はみんな、こうしてアリバイを訊かれている。
「昨日の夜十一時半頃、君たちはそれぞれどこで何をしていましたか?」
言わなくちゃ私達は疑われる。
だけど、言ったらメンバーにひやかされてしまう。
そうしたら、お互いを意識して、もう「仲間」じゃいられない。
恋人なんてドロドロした関係にはなれない。
友達なんて薄い関係にもなりたくない。
この関係を壊したくない!
仲間でいたいの!
お願い、私達の関係をこわさないで…!
エントリ22 新妻・超能力 澁澤わるつ
「あのね、実は私、超能力者なの」
突然の告白。
晴れて僕と千代子が夫婦になった日の晩。海沿いのリゾートホテルのコテージ、天蓋つきのベッド、海に輝く満月、という最高の環境。僕は、いつにも増して輝く千代子を抱きしめて、もう今考えられることは一つだけ! だったのに。
「今まで隠してたんだけど、でもこれから悠くんとずっと一緒だし、やっぱ黙っとくのマズイかなって思って、忘れそうだから今言っとくね。」
「超能力? スプーンとか曲げんの?」
「そうなの。でもね、私スプーン曲げだけなの」
「スプーン曲げ、しか? 物動かしたりは?」
「ダメ。ホント、スプーン曲げだけなの。ていうか、他の事もできなくないけど、でもスグ寝込んじゃう」
「マジ?」
「そこのテーブルにスプーンあるでしょ、見てて」
千代子が指をぱちんと鳴らすと、おとなしく置かれていたティースプーンが、くきっと折れ曲った。
「うわ、すっげ」
「全然! 何の役に立つって言うの、履歴書にも書けない」
「履歴書には特技書けるよ」
「悠くんが人事担当者なら、珠算検定2級と特技スプーン曲げ、どっちを採用する?」
「珠算検定2級」
「でしょ?」
「確かに。でも、何かしらの役には立つんじゃないの?」
「合コンで女子が余興だって、がんがんスプーン曲げたらどうする?」
「ひく。てか、やったの?」
「そうなの! 調子に乗って店中のスプーン曲げちゃって、スプーン集めて東京タワー! って。したら、狙ってた福山似、目もあわせないの!」
「俺もあわせない」
「でしょ。だからね、悠くんとつきあい始めた時も、コレのこというと嫌われるかなって、怖かったの。世界の平和を守れるほどのビーム出す! とかならまだマシなんだけど」
ビームで世界平和が守れるのかどうかはともかく、秘密の告白を終えた千代子は、少し不安そうだった。でも、超能力はどうあれ目の前の千代子の愛らしさには、一分の変わりもない。庭園から流れる現地の音楽が、ようやく僕らを新婚初夜っぽいムードにしてくれた。
次の日、朝食に行ったホテルのレストランで、千代子はいつもの猫の笑顔で僕を見ると、スプーンを手に指を鳴らした。スプーンが見る間に、ハートを形作った。
「悠くん、愛してるよぅ♪」
妻のいじらしさにくらくらしたのもつかの間、店のあちこちから悲鳴があがった。見回すと辺りのスプーンが全てハート型になっている。
「やっちゃった」
千代子が眉間にしわを寄せた。
エントリ23 とある街の復讐 筧 誠吾
東北の、とある地方の街で、高校生の少年が自殺した。飛び降り自殺だった。
その少年の容姿は醜く、性格は陰気だった。いつも超常現象の専門書を読んでいて、いつも独り言を言っていた。そして、いじめられっこだった。いじめは悲惨の一言に尽きた。警察が調査を進めても、誰が彼をいじめていたのか、生徒も教師も口を割ろうとしなかったし、両親も知らないの一点張りだった。もしかしたら、周りの人間全員が、彼に悪意を抱いていたのかもしれなかった。両親さえも。
その少年の死から数日後のことだった。
その街の住人、複数名に、送り主不明の封筒が届いた。封筒の中には必ずCDが入っていた。そのCDは市販の音楽CD−Rだった。何人かの住人は気味悪がってそのまま捨てた。その他の住人は興味本位でそのCDをプレイヤーで再生させた。記録されていたのは、念仏だったり、悲鳴だったり、嗚咽交じりの泣き声だったり、何かやわらかそうな物が潰れた音だったり、様々だった。
それを聴いた者は、とてつもなく嫌な気分になった。手元に置くのも嫌だったし、捨てるのも呪われそうな気がしたので、大抵、知り合いにそれを送りつけた。
いつしか、街中の住人がそのCDの存在を知った。そしてそれを、自殺した少年と関連づけるようになった。これは少年が死ぬ前に送った呪いのCDだと。呪いのCDのバトンリレーは終わることなく続き、それは誰にとっても日常の一部になった。
街から活気が消えた。全体が呪われたような雰囲気になった。事故は多発し、産業は低迷を極めた。青少年はみんな不良化し、犯罪に走った。精神病が流行し、数人に一人は鬱病になるか、睡眠障害をうったえていた。街の代表者たちは、少年の供養を何度も試みるが、事態は悪化するばかりだった。著名な専門家達は、その街に起きているのはマイナスプラシーボ効果による集団的な思い込みだと、訳知り顔で論じたが、その専門家達の元に呪いのCDが届いてからというもの、誰もその事件に関わろうとしなくなった。
事態はある女教師の自殺で終わりを告げた。その女教師は少年の元担任だった。遺言書は残されていたが、自殺の原因に関しては何も書かれていなかった。ただ、その女教師の死後、呪いのCDは消滅した。街は少しずつ活気を取り戻していた。彼女はなぜ自殺したのか。彼女は少年をひどく裏切ったのではないかという説が、まことしやかに語られるようになった。
エントリ24 智香ちゃん 金魚
「胡瓜、いるう」
語尾を上げての疑問形。近所の農家の奥さんが、市場に出せない品物を分けてくれるのだ。
「すみませーん」
何処にいても、どんな格好をしていても、バタバタと足音を立てて玄関先に駆けつけなければならない。一声掛けていないと思われたら、暫くは持ってきていただけなくなる。「すみませんね、いつも」
「いいえ、半端物で申し訳ないのですけど、捨てるのも、もったいなくて」
いつもの言葉が交わされて、これから小一時間近所の噂話に花が咲く。別に私が噂話が好きだというのではありませんよ。
私がどうしても午前中に出かける時は、幼稚園の知香が、オバサンの相手をします。
「茄子、いるう」
「ハーーイ」
「まあ、知香ちゃん、お留守番なの」
「はい、いつもお世話になってます」
「可愛いわぁ、知香ちゃんだから特別に大盛りであげるね」
ペコリとお辞儀する仕草がかわいいと言って、またよけいに頂けるのです。私が応対するより、よけいに品数も量も多くなるみたいです。
そんなある日、親戚の叔母さんが私を訪ねて来るというのです。義母の法事の打ち合わせに来るのです。叔母さんが来るというのでは、いつものジーパンにテイシャツ姿で、会うことなんてできません。いつになくスーツ姿で、お出迎えです。
叔母さんは、知香には甘かったはずだから、知香にお出迎えさせました。
「ごめん下さい」
「ハーーイ」
知香が玄関先でペコリとお辞儀します。
「おかあさん、いるう」
語尾を上げての疑問形。
知香が少し困った顔で、
「いらない」
エントリ25 待ちぼうけ タイラ
全くどうしてあんな女と付き合っているのだろう。
だらしなくて全てにルーズ。その上ガサツで上品さの欠片もない。
煙草に火を点けて深呼吸するみたいに煙を吸うと、少しだけ落ち着いた。
携帯を取り出して時間を見る。約束の時間から42分。彼女の遅刻は今月に入ってこれで3回目、付き合い始めてからは20回を突破することになる。
「…いい加減にしろよ」
そう、本当に今がちょうどいい加減だと思う。頃合いというヤツだ。付き合い始めて半年、これ以上一緒にいてもきっと何も生まれない。
携帯には着信もメールもない。きっと焦ってこちらに着こうとしてそんな余裕もないのだろう。
そんな長所かつ短所を、可愛いな、と思っていた。3ヶ月前までは。
待ち合わせに選んだのは辺鄙な場所で、じっくり待とうにも喫茶店もない。かといって有名な場所で待ちぼうけなんて目立ち過ぎて最悪だ。
苛立ちは募る。彼女は来ない。
もともと、縛られるのが嫌いな性分だ。1人の方が気楽で良い。こうしていると、彼女をひたすら待っている自分が酷く馬鹿に思える。
あぁ、別れよう。
そうしてまた1人になろう。
何か辛いことがあるか?
と、鼻をすする音が聞こえた。少し驚いて辺りを見回す。目線の下に小さな少女がいた。
5歳くらいだろうか、ノースリーブの白いワンピースに、黄色いサンダル。
胸元の西瓜のイラストが、かぶりつく彼女の顔を思い出させた。
「…君。どうしたの?」
声をかけたのはきっとただの気まぐれだ。
少女は涙に濡れた目で僕を見上げる。
「迷子にでもなった?」
俯いて小さく首を振る。
「じゃあ、君も誰かを待ってるの?」
「お兄ちゃん…も?」
「そうだよ。…まぁ、もうすぐ帰るけど」
「待ってないの?」
「もう…ね。君は?まだ待ってるの?」
「…ひとり」
「ん?」
「まゆはひとりだもん。ママなんて待ってても…来ないもん」
唇を尖らせて言う。
「だから、ひとり」
まさか捨てられたわけではあるまい。だが少女は全身で孤独を叫んでいた。
…待つべき人がいるのは幸せなことだ。
僕が今まで彼女を待てたのは、彼女が来ると判っていたからで。
僕は少女の小さな手をとった。
「…これで2人だ」
「ふたり?」
「そうだよ。君と僕で2人。2人なら待てるだろ?」
「…うん!」
少女は初めて笑った。
僕も、思う。
1人よりは2人の方が、きっと、いい。
「あっ、お兄ちゃん!さんにん!!」
振り向くと、息を切らせた彼女が立っていた。
可愛いな、と3ヶ月振りに思った。
エントリ26 雪の灯火 HI
……雪。
果てしない曇天。
とめどなく降り散る白き結晶。
そこは小さな街。
家々の屋根はみな白き絨毯に覆われていて、とても静かで、微かな月光と、窓から漏れる暖かい光のみが、舞う雪達に反射していた。
人の声がする。
それは子供であり大人であり、街じゅうから流れてきていた。
道端に小さな光があった。誰もいない、街灯などはない暗がりに、ゆらゆらと揺れる小さな光。
こんなに街は光に包まれているのに、そこだけは小さな光だけ。
……少女が居た。
足を抱え座り込んでいるその姿は小さく、儚く、そして美しい。
片手には小さな光が揺れていた。その光が少女の顔をほのかに照らしている。
フードの下には雪のような白い顔が、笑っていた。
こんな雪の中で靴も履かず、足下の雪は赤く滲んで、薄汚れた布のスカートと、袖のほつれたフード付きのコートだけが、少女の身を包んでいた。
ふと光が消えた。一筋の煙が立つ。
あっ……
微かな声が白い息と共にこぼれた。
少女はとなりに置いてあった小さなかごから、紙の箱を取り出した。その箱から一本のマッチ棒を取り出し、擦る。
火が灯り、先程と同じ光が辺りを照らし始めた。しかし、またすぐに消えてしまう。
少女は一本、また一本と火を灯し、光を見つめ続けている。とても穏やかで、幸せそうな、そんな瞳にゆらゆらと火の光だけが映っていた。
みんな……とてもあったかそう。
おとうさんやおかあさんといっしょで……。
ねぇきょうはね、くりすます、ってひ、なんだよ。
くりすますにはね、さんたさんが、ぷれぜんとをくれるんだって。
わたしにもくれるかなぁ……ぷれぜんと。
え? なにがほしいのって? ……うーん、なんだろう……わかんないや。
……ほしいもの、あるはずなのにね、ぜんぜん、おもいつかないよ。
あれ? なんで、なみだがでてくるのかな? かなしくないのに、なんでかな。
なんでっ、くふっ、へんだよ、ね。
だって、わたし、とってもしあわせだもん、あなたといっしょだから……。
そうだ……。
さんたさん、さんたさん……。
おねがいします。
どうか、たいせつなあなたと、ずっといっしょに――
いられますように……。
……また、小さな光が消える。
そこは雪の降り積もる小さな街。
細く儚いの灰煙が立つ。
一人の少女がそこに居た。
もう動かない少女がそこに居た。
その少女は――
幸せそうに、笑っていた……。
エントリ27 着信音のない携帯電話、おれの声は聞こえるか 竹空
雨がふって水が流れている。おれは今日、彼女をふって久しぶりに涙を流した。明日は決行の日だから早く家にもどろう。今日は大雨。大雨の中じゃ音も聞こえないし周りも見えない。ポストか電話ボックスか強い赤だけが、かすかにぼやける。これなら泣いていても気づかれない。明日も雨が降ればおれの破片もきれいに流されるだろうか。
次の日。おれのうしろにはじいさん(親分)がいて前方に腕が伸びている。白毛のはえた指先はやつのいる建物をさして「あれだ」と言う。あそこまでは走って20秒。じいさんの合図でおれは爆弾の内蔵された携帯電話も持って全力で走る。
「すなない、いってくれ」おれは走り出した。じいさんはすぐにおれに電話をかける。着信し、通話は押したら爆発する。
半分くらいまで着たときには右手の携帯電話が点滅するのがわかった。建物の入口でボタンを押せば確実にしとめられるだろう。その時、やつが入口からでてきた。あごがでかくて眼が冷たい。やつにまちがいない。おれは咄嗟に「親分からの電話だ」と言って電話をなげた。 時間が遅く流れた。
携帯の背中・・・ ボタン・・・ たてにゆっくり回転している・・・
そして、逆さに見える画面。表示はなんと、ユーコ。じいさんより一瞬だけ早くユーコが電話してきたようだ。くるくるとん。やつが受け取った。おれの眼をみて静かに電話にでた。「何の用だ」
おれはどうしたらいいんだ。やつの眼はまだおれもみている。
やつはだまって電話向こうの声をきいている。どうしたらいいのか。
しばらくすればやつの部下が様子を見にでてくる。敵であるおれが眼の前にいて、ボスが意味不明な電話でいらついていたら、おれはその場で殺されるだろう。と、部下がでてくる前にやつは電話に向かってこうつぶやいた。
「わかった。戦争はもうやめにしよう。」
やめにしよう?!、本気か?やつがユーコと何を話していたのかわからないが全く理解できない。その時、やつの頬に涙がつたった。「ああ、俺の方こそ今まで悪かったな。」なんと、じいさんのじいさんの代から続いていた村どうしの戦争は解決してしまったようだ。
やつが死なない限り解決の道はない、子供の頃からじいさんに聞かされていた。これはいったい何だったのか。いったいおれは何を守ろうとしたのか。何のために命を捨てようとしたのか。
やつが清々しい顔でおれを見て電話を切った。入口の奥で部下が警戒しているのが見える。
やつがおれに電話を返そうとした時に携帯が光った。着信。「ん、」やつが返すのをやめた。
決定的にまずい。じいさんからの電話に違いない。電話にでればこの周辺が一瞬で消し飛んでしまう。出るな。その電話には出るな。
走って、電話を投げて、解決した。無情にもやつは笑って電話に出る。
その刹那、おれは命の限り叫んだ。「ユー・・」
エントリ28 夏の雑談。 Oka-Taka
「みんな制服そのまま持ってるんだ しかもやっぱり卒業後絶対又着たいって話してたし・・・」
池袋のなぜか北口、先輩がときどきDJで入るクラブ。待ち合わせ也。
彼女のメールが、仲の良かった私達4人の携帯に着信してから今日で2日目。噂では平井堅のような骨格強の彼氏と付き合っている。真麻からの二ヶ月ぶりの文。
昨日、千秋と裕子と咲紀に電話して、全員真麻と電話で話したと聞いた。
私は真麻には電話入れずに、メールで行けるよと返した。
届いたはず・・・
「クラス会記念日だから制服で来てよ」 「なんだよそれ」 歩きながらメールを開いて読み返す。
クラス会記念日って何?真麻とは六月に何度かメールを交わしたけど、その時も一度も電話はしなかった。
恥ずかしいので地元の友達の部屋で着替えてから、わざわざ近くまで車で送ってもらった私。
彼女達は普通に行くと言っていたけど、ルーズ履いて電車に乗るなよって言いたい。
「現役終ったろ」
咲紀からメールが着た。
「恭子ちゃん着いた?あたしら今北口だから後少しで着けるよ・・・」
返した。
「真麻いないけど?あたし一人つらいよ、おそ過ぎおそっいぃ」
メールが着た。
「真麻 来ないって。。。」
?
なんだそりぁ?
わたしはアキレ果てた ここまできてまた こんなことかい
さびしくアイス紅茶を飲んで某私立高校の制服を着こなす乙女が一人。
「クラス会記念日とは何事かい」
メールが着た。
「恭子 着いたら話すよ 真麻からメ−ル来て あの制服なんて着れないから行かれない だってさ」
「・・・」
能面のような私の顔を見て笑うニ人。裕子ももう直ぐ着くらしい。
「電車に良く乗れたよねぇ」
最初に出た言葉。
それには返さず
「真麻からのメール見てよ、恭子メールしてみて」と千秋。
いつも会ってるから言える
「しなくていいよ 裕子来たらここ出よっ」
「恭子久しぶり ツラいよねぇこれ着てあたしらクラス会っていうから来たのに 記念日って何?」
「久しぶり 真麻なんて言ってたの?今日の会って何?」
「なんかクラス会最初だから写真撮りたいとかで この方が面白いとか言ってた 前に話してたよねとか」
「・・・」
「しってるやつに会ったらこわいっしょ」
「別に卒業してからでも着てみてもいいから」
「つーか何回か着てるし」
「何してんのよ・・高の制服着て」
「聞いた?真麻来ないって おまえが来なくてどうすんだよって 携帯出ないし」
「別に来なくてもいいから電源入れとけって」
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