ダメダメ
彼はコンコン、と丸つけ用の赤ペンで机を叩きながら頬杖をついていた。
28歳、独身男性、数学教師雪村誠一、どこにでもいる男。
その眉間には深いしわが刻まれていた。
ずっと前から胸の中にあったものが昨日染み渡り始めた。
(あいつだから断れないんだ。)
彼の勤める高校において若い男性教師は彼一人。
彼のそれなりの容姿ため、女子生徒にそれなりの人気はある。
だが、告白されるなどと言った積極的行動をとる女子生徒はこれまでいなかった。
(あいつだから。)
ところが昨日の放課後、テストの丸つけに忙しい彼のもとへやってきた少女、
長谷川右京はその積極的行動に出たのだった。
他に誰もいない数学科準備室。彼女の凛とした大きな声がそれを告げたその後、
「先生先生、また明日のこの時間。じゃあね!」
雪村が何とも言わないうちに彼女は準備室を出た。
彼の手に握られていた丸つけ用の赤ペンが少し、汗で湿っていた。
胸の中で雫が。ポトリ。
そして今日、コンコン、と赤ペンが渇いた音をたてる。
昨日のあの後から段々と大きくなり胸の中でさらさらと流れ始めた何か。
その時、ガチャリと彼女の声のような大きな音をたててドアが開いた。
ドアの音にワンテンポ遅れて雪村の心臓が大きく跳ね上がった。
「先生先生、返事は?」
にこっといつもの屈託のない笑顔を雪村にむける長谷川右京。
(来た。)
「あの、長谷川。俺、じゃなくて先生は長谷川のことを、」
「ダメダメ!」
右京がバッと右手を前に差し出して雪村を制する。目にいっぱい涙を溜めて。
柔らかく優しく少しずつ大きくなる胸の中の何か。
「長谷川。」
「それ以上言ったらダメ。あたし、解ってるから。」
彼女は眉を下げながら、少しうつむいている。今にも泣きそうだ。
(いつも笑って、まっすぐな背中で。それが長谷川右京だと思ってた。)
胸の中で大海が生まれるように、大きくなり続ける何か。
「先生があたしのこと好きじゃないって、あたし、ちゃんと。」
雪村がバッと右手を前に差し出して右京を制する。少し微笑んで。
胸の中のそれが何なのか、もう充分すぎるほど理解してる。
とても大切なものだ。
「長谷川、誰もそんなこと言ってない。」
「はい?」
「長谷川右京さん、好きです。付き合ってください。」
「……はい!」
ずっと、胸の中にあったのに。
こんなに大切なものなのに。
どうして昨日まで気が付かなかったんだろう。
君への恋心に。
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