ウソ
郵便受けを覗くと差出人のないモスグリーンの封筒が見えた。中身はMDが1枚、丁寧に貼られたラベルにはキョウコの知らない曲名が並んでいた。ホシノさんらしい…思わず苦笑する。
「本当にずっと彼氏いなかったの?」
初めてのデートの時ホシノさんはそう言って驚いた。
大ウソだった。
忘れたい男の記憶を振り払う為に、ホシノさんの存在―静かで確かな愛情―が必要であり、ウソはキョウコ自身が彼を愛するために必要な儀式だった。
ラックに入りきらなくなった何百枚ものCDと音楽雑誌に占領された彼の狭い部屋で、キョウコは何度か休日の午後を過ごした。窓から射す夕陽が、丸く切り揃えられた彼の爪先を照らすのを眺めながら彼の弾くギターの音に耳を傾ける。
「こんな音楽、好き?」
不安げな声に笑顔で頷くと彼は嬉しそうに彼女の頭を撫で、さらに数曲続けた。
大ウソではないが、でもやはりウソだった。
その曲がいいのか悪いのか全く分からなかったし、好きでも嫌いでもなかった。はっきりいえば、好きな曲を弾くホシノさんの横顔と音を奏でるその指は好きだったが、音楽そのものや彼が一生懸命録音してくれたMDを聴くのは何の面白味もなかった。
感性の違いに感じた新鮮さは、孤独感に変わっていく。MDを渡される度に増えていくウソの数は、音楽だけでなくいつしか二人の関係そのものになっていった。
キョウコが望んだ、穏やかな光の射す水面をユラユラと漂うような自然体の愛情。突然の大波に大騒ぎすることも激流に押し流されることもない、静かな湖。
どこまでも広がっているかのように思えたその湖面は、見回すと小さな沼だった。浮かべたボートは漂うことも漕ぎ出すこともなく、徐々にその重さに耐えかねて沈んでいく。
その光景は、笑顔でキョウコの手を握っているホシノさんとどこまでも不調和だった。
切り出した別れ話に、ホシノさんはひどく戸惑い、泣き笑いの表情を浮かべながら、理由を求めた。
ウソで始まった付き合いの隙間を埋めるためについてきたウソに疲れた、とは言えなかった。すがるような彼の視線を切り捨てるようにしてその恋は終わった。
突然届いたMDをコンポにセットしながら、ホシノさんと過ごした短い時間を思う。大切にしたいと思った感情はウソではなかったはずなのに、彼を傷つけることでしか自分を守ることができなかった未熟さを痛みとして感じた。
流れてきた曲は知らないものばかりなのに妙に懐かしい音だった。
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