「愛してます」とか「好き」ですとか、いつもピンとこなくて。 あなたも自分の何を知っているのさという気分になりませんか? 私もその一人で。とうとう愛することを辞めてしまったんです。 そうしたら、なんだかすっきりしたような、なんだかかなしいような、そんなものに駆られるようになりました。 ――そんなある日の夜、電車の中でした。―― あなたに出会いました。 でもこの感情を「愛」「好き」ということをやめてしまった私には、少し酷なものでした。この感情をなんと表現したらいいのでしょうか? あなたにはうっすら泣いた痕があって、電車のゆれに身を任せまいと必死でした。私からすれば、そのようなことをしつづけては、あなたは折れてしまうのではないかと……、そう手を差し伸べたくなるようなそんな気持ちに襲われたのでした。ですが、それは「愛」や「好き」とも「同情」とも似て非なる感情で。私はもやもやしたまま帰った覚えがあります。 あれから何年たったことでしょう?あなたと親密になって、あなたを本当に手に入れたくなった私は、それでも「愛」だとは気づきませんでした。 あれから何年も一緒にいたのに、「好き」だとはとうとういえないままでした。また、あなたが涙の痕をその頬につけるのかと思うと、私は言えないことがあります。きっとこの文を読むころには、分かってしまうことですが。 どうか、お幸せにお過ごしください。愛することをやめたときに私はあなたへの愛にあふれていることに今更ながら気がつきました。 愛する妻へ 鈍くさい夫より 「遺産は無いか」とあら捜しする息子や娘が見つけ出した遺書は最初で最後のラブレターで。息子や娘は「何のたしにもならない」といってましたが、私には十分すぎる心でした。確かに、あなたは人にだまされやすくて、借金は作るし、挙句にがんになって多額の入院費は掛かるし。家も売りに出さなきゃならないのかとか、私をどちらが引き取るかという話で持ちきりですが、私は愛し続けましょう。あなたがやめてしまっていた分も。 とりあえず、へそくりで養老院に入ろうかと思いましたが、息子にせよ、娘にせよ、もう少し愛しますよ。 頼りなかったあなたへ ふがいない妻より 父さんと、母さんのラブレターを前にして、俺たち夫婦と妹夫婦は争うことが馬鹿らしくなって、遺産を放棄してつつがなくやっています。
優勝チームのバスの中で、ぼくだけが浮かない顔をしていた。先ほどまで、祝勝会だ、パーティーだ、と賑やかだった車内だったが、他の選手や監督やマネージャーたちは、みんな眠ってしまったようだった。 「監督の筋書き通りだな」 「おう、スタート直前に話してたやつだろ」 「すごかったよな」 応援に来ていた一年生部員が何人か起きていて、会話が、遠慮なく、ぼくの耳に飛び込んでくる。一年生たちは、ぼくも眠っていると思っているらしい。 ぼくの失態も、筋書きに含まれていたのだろうか。あり得ないことではない。ぼくにとっては初めての駅伝大会出場で、しかも、優勝候補だ。いつも通りの走りを、と思うだけでも心臓が縮み上がってしまっていた。 ぼくは、緊張しすぎていたようで、途中で腹痛になり、ペースを乱してしまった。それが大きく祟り、先に走った選手たちが引き離してくれていたのにも関わらず、二つものチームに抜かれてしまっていた。練習の時のタイムからすれば、抜いていった選手とほとんど差はないはずだったことを思うと、みんなと一緒に大騒ぎなんてできるわけがない。 横で寝息を立てている慎吾は、さっき、次のためには良い経験になったんじゃないの、とぼくの肩を叩いて笑っていた。確かに、そうかもしれない。でも、ぼくは、慎吾の代わりとして走ったのだ。 慎吾は一ヶ月前に足首を負傷してしまい、今回の出場を断念していた。でも、小学校から大会を経験している慎吾が出ていれば、悔やまなくてはならないような走りなんか、しなかったように思えてならない。ぼくは、慎吾の代わりというよりも、チームの足を引っぱるために出たようなものだ。 慎吾が、うう、と唸りながら目を覚まし、伸びをする。 「なんだよ、お前。つまんねえ顔しやがって」 一年生たちの会話が、不自然に止んだ。 「いや……」 ぼくは、慎吾から目を逸らした。 「まだ落ち込んでんのかよ、ばーか」 「だってさ……」 「おれは、お前が上手く走れなくてほっとしたんだけど」 「へっ?」 「だって、去年ようやく駅伝始めたお前が、おれみたいに走れちゃったら悔しいじゃん」 「ほんとに、そう思ってんの?」 「ああ」 「昨日は、おれの分までがんばれ、って言ってただろ」 「がんばるなって言えるわけないだろ。次は絶対、おれも出るからな。お前も出ろよ」 そこまで言って、慎吾はまた目を閉じてしまった。悔しくて、ぼくは慎吾の頭を擦るように撫でた。
ノックの音がした。 深まった秋の風が色づいた木々を鳴らす。里から少し山に入った辺り、私は週末を時々この小屋で過ごす。別荘と呼べる物でもないが、贅沢な孤独を楽しめる場所だ。 私が表の戸をそっと開けると、足元に一匹のリスがきゅんと立っていた。 《食べ物を分けてください》 リスはそんな風に手を差し出した。 (よしよし) 私は部屋へ入り『こんな事もあろうかと』用意しておいたヒマワリの種の袋を持ち、戸口に戻った。戻って、驚いた。 「えっ」 リスは増えていた。 《僕ら、これから冬篭りでキュ》 《僕ら、生活は苦しいんでキュ》 その間もリスはどんどん数を増し、小屋は包囲された。不穏な空気が広がっていた。 【リス豆知識】 リスは集団を作りません。それはリスが社会性 を持つほど発達していないというわけではなく 単に趣味かと。 かどうか知らぬが、彼らには趣味の余裕は無いようだ。 《食べ物くれなきゃ、乱暴するキュ》 「悪いが私は自然界には干渉しない事に決めました。では」 素早く戸を閉めた。同時にガラスの割れる音。窓から、戸の隙間から、次々滑り込むリス。私は悲鳴をあげ、電話を掴んでダイヤルした。 「警察ですか。野生動物に小屋が襲われてます」 『熊ですか。それとも猪』 「リスです」 ぶひゃひゃ、という笑いが受話器から流れ、途切れた。楽しげな目つきのリスが食い切った電話線を抱えていた。 《やれっキュ》 一斉に襲ってきた。床を走り、壁を駆け、カーテン、天井、あらゆる角度から飛んで来た。よく見るとニホンリスばかりか、タイワンリス、チョウセンシマリス、エゾリスまで混じっている。大東亜リス強盗団だ。必死に払う手もたちまち噛み裂かれる。 【リス豆知識】 鼠なみの牙に優れた運動能力と知能、 そして自己中心性を併せ持つ。 国内に生息するげっ歯類ではきっと最凶。 かどうか知らぬが、痛い。彼らは「痛い所」だけ的確に痛めつけ、即座に跳び退る。プロの仕事だ。防げるものではなかった。血が流れ、意識が薄れてきた。もう限界だった。 「そろそろ……オチを頼みます」 《何それ》 「うわああん」 泣きながら小屋を脱出した。背後でリス団の嘲笑が響く。人類の敗北だ。そのとき麓からの道を赤い光が明滅しながら上ってきた。パトカーだ。 「助けてお巡りさん」 『――キュ?』 乗っていたのは制服を着たげっ歯類。 「あ、ひょっとして……ポ・リスですか!」 私は安堵し、失神した。やっとオチた。