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第36回1000字小説バトル Entry21

『顔のない世界』

「はい、黒板を見てください」
 顔のない教師が、顔のない生徒を見回して言った。
「この問題の答え、わかりますね?」
 そう言って、教師は廊下側の前の席から順に生徒を立たせては答えさせた。
「わかりません」
「わかりません」
「わかりません」
 …………
 ……
 顔のない生徒が立ち上がり、同じ言葉を告げて、また座る――それが規則正しい波のように、順番に教室の前から後ろ、後ろから前へと連なっていく。
「わかりません」
「わかりません」
「わかりません」
 …………
 ……
 顔のない答えが環になって教室をぬるく包む。そして「わかりません」の環は、窓側一番後ろの、その少女に最後のバトンを渡した。
「…………」
 少女は黙って立ち上がる。足を踏み出して、ゆっくり前へと歩き出した。
 顔のない生徒が見つめる中、少女は顔のない教室をまっすぐに歩きぬけて、顔のない教師の横に立った。そしてチョークを手にとる。
「なにをしているのかね?」
 顔のない教師が堪りかねて問うたが、少女は黙々と手を動かし、チョークを黒板に走らせるばかりだ。目もくれない。
「なにをしているのかね?」
 顔のない言葉が、もう一度少女を叱責する。しかし、少女の手は止まらない。黒板に書き付けるチョークの音だけが返事を返す。
「なにをしているのかね?」
 言葉と共に、顔のない手がチョークを持った少女の手を掴む――振り払われた。
「なにを――」
「先生」
 少女は初めて口を開いた。チョークを置いて、顔のない教師を見据える。そして言った。
「先生、これが答えです」
 顔のない教師と顔のない生徒は、少女が黒板に書いたそれを見た。
 顔が描いてあった。
「これが、わたしの答えです」
 顔のない少女が、自分の顔を指さして言う。
「わたしの答えです」


 バタン


 僕は本を閉じた。
 タイトルは『顔が生まれる』――問題表現が山ほど盛り込まれたノンフィクションとして話題をさらった本だが、“テロリズムを肯定する”との旨で有害図書として販売を禁止されてからは、誰の記憶からも薄れつつある。
(顔が生まれる……か)
 だけど、僕には関係のないことだ。
 僕たちは、この世界に十分、満足している。答えなど、だれも欲しがってはいない。「わかりません」が一番だ。
 僕たちはみんな、この顔のない世界が大好きなのだ。


 なあ、君だってそうだろう?

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