猛獣が唸り声を上げ始めた。でも大丈夫、だって鎖でつないでいるもの。だからホラ、怖がらないで、逃げないで。
僕が鎖を手にしている限り大丈夫。
・・・・・・ただ歯止めが利かなくなったら、つないだ鎖も切れてしまうかも。
でも大丈夫、君がそこにいる限り、きっと猛獣も暴れはしないさ。
きっとね。
融けてしまいそうな夏の日差し。太陽が意地悪く笑う中、僕は熱されたフライパンの上をウィンナーのように転がされる。
夏なんか嫌いだ、大嫌い。
太陽をじっと睨み付けても無駄だから、手にしているカバンが汗でずり落ちそうになるのをなんとか支えながら下を見て歩いた。
駅から徒歩五分だなんてどこの不動産屋が吹聴したのだろう。お陰で僕たちはナメクジ宜しくアスファルトの上を這っている。これから行く家なんて五分どころか五キロの間違いなのではないかと思ってしまうほど長い道のりだ。
当然口から零れるのは不平、愚痴や不満だ。
「父さん・・・・なにが徒歩五分?自転車で五分の間違いなんじゃあないの?」
「まあまあそういわないで。父さん最近運動不足だったんだ、ちょうどいいじゃないか。ダイエットしたいと思っていたんだ」
父さんはなんて建設的なのか。とても真似できそうにはない。お陰で僕が父さんに似たところが外見だけだということが再確認できた。
「あのねぇ、僕が運動苦手なの知ってるよね?こんなとこ歩いてたら駅の時刻に間に合わなくて毎日が遅刻だよ。今は夏休みだからいいけど残暑厳しい中歩いてくなんてごめんだね」
性格が悪いだなんてよく言われることだから周りに人がいようと気にならない。本当は別に駅からどんなに離れていようがかまわないのだ。だけど僕は隣で困惑する父親に向かって続けた。
「大体さぁ新しい『御母さん』とはいつ知り合ったの?母さんと別れてからそんな経ってないよね!?あ・・・・・・もしかして、ふり「こんにちは」
知らない声が乱入した。そう思えばどこかで見たことのあるおばさんがうれしそうな笑顔で僕らの前に立っていた。気づけば父さんの再婚相手の家の前に立っていた。
いつの間におばさんは出てきたんだろう。でもあんな険悪な雰囲気の中(僕だけ)あまり進んで話しかけたいとも思わないし家の前であんな風に堂々と自分を話題に出されていたらなかなか話しかけがたいだろう。
心象を悪くしただろうな。でもそんなことを気にもしなかった。
「よくきたわね。今日から私があなたの御母さんよ。あなたと会える日を首を長くして待ってたの。ね、ゆっくり仲良くなっていきましょ。あら?あの子どこにいるのかしら?ちょっと、何してるのー!早く出てきなさーい!」
写真で見た顔と変わりなくなんだか活発な雰囲気のある人だ。
その声に呼ばれて渋々というように家から出てきた少女は僕たちを、いや僕を見るなり固まってしまった。
きっと緊張しているのだろう。
確かに笑顔はそこになかったが、初めて写真を見せられた時と同じく魅力的だった。
僕より一歳年上で、義理のお姉さんになる人だ。清楚な花が香るようにみずみずしく、愛らしい。小さくて細くて折れてしまいそうな彼女は僕の庇護欲を大いに誘った。
その頭の天辺からつま先含めその腰に達するつややかな黒髪までもがいとおしい。
この人と今日から同じ一つ屋根の下で暮らせるなんて!ここまで来た甲斐があるというものだ。僕は彼女のほうまで一歩近づいた。同時に彼女が後ろに下がろうとするのを僕は腕をつかんで阻んだ。
細い腰に腕を回して強く引き寄せた。至近距離で見た義姉さんの顔はとても可愛らしくて、可哀想だった。
鎖につないだ猛獣はとても獰猛で、危険だ。
あ、だめだよそこにいないと。この鎖は脆いから。もうこの猛獣は危険だから。逃げたらこの鎖を引きちぎってもう僕の手には負えはしない。
きみが逃げようとしてもどこまでも追っていく、自分だけのものにしようとして、食べちゃうよ?
逃げるなら死ぬ気で逃げてね、義姉さん。