どういうわけかIXIと名付けられた子供がおった。イクシィと読むんじゃが、I-XI、つまり1-11だったかIX-I、9-1のどちらかが由来であったろうと云われておる。海辺の港町、男どもは腰履き一つで闊歩するような町の話じゃ。
脇腹にIXIという痕跡があるからだという噂もある。傷跡か焼き鏝なのか――IXIという痕跡があったからIXIという名前になったのか、IXIという名前ゆえにIXIという痕跡が刻まれたのかがはっきりせん以上、議論しても詮無いことであった。本人は「さあ」と答えるばかりである。うながされねば物を言わぬ男じゃし、もうみんなこの件については質問し飽きておる。IXIの父親は海で死に、母親は街を出て行方がわからなくなっておる。
何よりも、IXIの背中には大きな目玉の模様があった。刺青のようであった。この奇蹟が「IXIは異端である」という議論に人を駆り立てる要因となっておる。本人はむせるような筋肉の張った美丈夫となったため、村でも恋する女どもがあとをぞろぞろついて歩いた。若い娘はおろか、街で最も古いとされる老婆までIXIの日々の暮らしに精通しておった。あれは辺土(リンボ)から遣わされた天使だ、ということになっていた。あれだけ美しい者が天使でないわけがない。仮に百歩譲って、IXIの背中の目玉が人々の心を射すくめるような恐怖の代物であったことを勘定に入れたとしても、でも天使には違いない。リンボというのはなんだかわからないけれども。司祭は文盲だったし。
天使は今日も今日とて漁から帰り、魚網を繕い、
床について朝になると、魚網と同じ色の塊になっておった。
像とも呼べぬような柔らかな塊である。まるで死んだように見えないので、町の司祭も扱いに困った。なによりも、村の女達が埋葬を拒み、IXIだったものを担いでどこかに連れ去ろうとする。仕方なく、塊は教会の入口に据え置かれ、花に囲まれることとなった。
さて日がのぼり日は落ちて、ある日の朝早くである。教会の下男がIXIの塊が中心から真二つに裂けておるのを見つけたのじゃ。これは一大事、とうろたえていると頭に影が差す。ぎょっとして見上げれば暁を遮るように、一匹の大きな蛾が教会の屋根の周りを羽ばたいておった。鱗粉があたりに降り注ぐと、朝の光に反射してたいそう美しかったそうな。
なお、IXIは食物を取る口を持たなかったので十日ほどで道端に落ちた。今度は塊がごみ捨て場に運ばれるのを、誰も止めなんだ。