≪表紙へ

1000字小説バトル

≪1000字小説バトル表紙へ

1000字小説バトルstage3
第81回バトル 作品

参加作品一覧

(2016年 4月)
文字数
1
サヌキマオ
1000
2
スナ8
1000
3
緋川コナツ
1000
4
さくらがさいた
516
5
小笠原寿夫
1000
6
深神椥
1000
7
ごんぱち
1000
8
小川未明
1362

結果発表

投票結果の発表中です。

※投票の受付は終了しました。

  • QBOOKSでは原則的に作品に校正を加えません。明らかな誤字などが見つかりましても、そのまま掲載しています。ご了承ください。
  • 修正、公開停止依頼など

    QBOOKSインフォデスクのページよりご連絡ください。

めがろどん
サヌキマオ

 幽霊の正体見たりカレーを鼻から食てみたり。
 あだばかかば、長屋の入り口を突き抜けて入ってきたのはぎらぎらギザギザの歯の揃った鱶の化物で、口を利くので安心と知れた。めがろどんと名乗った。
「きょの昼間、向島ひげすり神社の土手したで回向されたでしょう、あたしに酒をかけたでしょう」
「確かに三囲神社の下の河原でされこうべを見つけて、回向に徳利の酒をかけて供養してやったが、それがどうした。もしかしてお前なのか」
「そのされこうべのずっと下にあたしゃあ眠っておったのです。ひましていたところにんまいのが染みこんできまして、頭上から『なむあみだぶ』と云われました。それで出てきました」
 お前さん鮫にお経なんてわかるのかい、と聞きますが、そこは畜生の浅ましさ、「門前の小僧が屏風のジョーズにビョークを歌わせた」などとよくわからないことをむにゃむにゃと云いますのですて措いた。春の夜であります。浅草寺の鐘が、ぼーん。
「何か回向の恩返しがしたいのですが、アタシにも出来ることはございましょうか」







「ないなあ」
「ないですか」
「急にそんなにでかい図体で出てこられて、何かさせろというのは流石に無理がある」
「すんません、気ばかりが急きました」
「ときに、尻尾のほうはどうなってんだ」
「尻尾はそのまま、向かいの糊屋のお婆さんのおうちにそっくりお邪魔して」
「婆さんも寝ていればいいけど、起きてたら腰を抜かすよ」
「そうしたら寝ているのと同じですから、世話がなくていいですね」
「なかなか考えるネ、お前も――」
 その日はそれで済みまして、翌朝からがすごかった。なにしろめがろどん、図体はでかい、顔は怖い、地面からうっすら浮いている、と化物極まりない。さっそく長屋はおろか江戸中の知るところ、御公儀の知るところとなる。透けて通るのでかまぼこにするわけにもいかず、昼日中から不埒千万と騒がれまして、めがろどん厭ンなっちゃった。ご迷惑になりますし帰ります、てぇんで江戸湾の方に、ずーっ。という前に、ひょいとこちらを振り返った。
「あっ、忘れてました。何もお役に立ちませんでした代わりといってはなんですが、回向していただいたあたりを掘り返してください。あたしのヒレが埋まっています。売るなり煮るなり好きにしてやっつください。ではあしからず、ごめんください」
 喜び勇んで釣り客の大勢いる中を掘り返してみたが、出てきたのはやっぱり化石という、そのォ……
めがろどん サヌキマオ

下町設計事務所@永遠に仕事中
スナ8

インフラに次ぐインフラで経済は破綻し、3年前にこの国は終わった。
詳しく言えば10年も前から情報は規制されていた為、ある日唐突に日常が終わったと感じる者も少なからずいたようだ。
パン一斤手に入れる為に頼み込み、コンテナいっぱいに札を用意し、相手の気が変わらなかったもんで、殴り倒してぶん盗っちゃったよははは。と所々抜けた黒い歯で笑うのは元歯列矯正技師。
だがご存知だろうか。
終わった後も続くのだ、ルーチンという物は。
終わった事を認められない者にとっては終わりすら来ないのだ。

その事務所は住宅地の端にあり、2階建の事務所は正方形のほぼ全面ガラス張りのワンフロア。床と壁は白く幻のように明るい。
従業員は5人で警備員が1人。警備員の名は砂八谷という。図体ばかり大きな中年の男だ。
実際には警備員と思っているのは本人のみで他の者は気にも留めていないかもしれない。ふらりと立ち寄ったまま居ついてしまっただけなのだから。
従業員は元は6人だった。
マネージャーの西岡さんを筆頭に大型機械の設計図をひいている。
西岡さんは引き抜きで、大手の自動車メーカーから知人のつてでこの設計事務所にやって来た男なので発言権があり、顧客ゼロのこの状況において何を作るかは西岡さんが決める。社長はとっくに逃げた。
西岡さんが提案するのはジェット機、ロケット、UFOなどだ。
あとの者は指示のもと設計図をひく。部品ごとに丁寧に手動計算で縮尺をするのでそれはそれは時間がかかるが、西岡さんは質問をすれば全て答えてくれるし具体的にどこの作業に時間がかかっているかを伝えれば納期も延ばしてくれる。だから皆安心して作業に取り組めるのだ。
忙しく動き回る従業員たちの傍らで砂八谷はじっと様子を眺めている。
初め6人だった従業員のうち1人は発狂し(と砂八谷には思えた)働かなくなったので可哀想に思って隅に連れて行きキュッとしめて楽にしてやった。
自らの脂でどろどろに汚れているものの、皆に合わせてスーツを着ていたし、髪も毎日欠かさず櫛削っている。ネックタイの締め方もここに来てから見よう見まねで覚えた。
床や窓をピカピカに磨き上げるのも、もう何年も泊まり込みで作業を続ける彼らに食料を与えるのも砂八谷の仕事だったが、彼らは水で出したコーヒー以外はほとんど口にしなかったし、その気持ちも屠殺業を長くしていた砂八谷には全くよくわかる。
仕事中に腹など空くわけがないのだ!
下町設計事務所@永遠に仕事中 スナ8

蜘蛛女の戀
緋川コナツ

 サアお立会い! 人間ポンプに牛女、この世の者とは思えない異形者が勢ぞろい! サアサア間もなく始まるよォ!

 露店が建ち並ぶ広場に呼び込み口上が響くと、妖しい興行の幕が上がる。小百合は深呼吸をして、客の前に這いながら出てゆく富子姐さんを舞台袖から見送った。
 富子姐さんの体は膝の関節が逆についていて「犬女」とか「牛女」と名乗っている。もちろん本当は犬でも牛でもないのだけれど、そう呼んだほうが客が喜ぶと、支配人がおしえてくれた。
(あの人……今日も来てる)
 地べたに茣蓙を敷いただけの簡素な客席の一番前に、若い男がいた。学生だろうか、袴姿に学生帽を被り、丸いロイド眼鏡をかけて熱心に舞台を見つめている。
 小百合の体は手足ともに指が六本ずつある多指症だった。しかも幼い頃に罹患した麻疹が原因で、重度の難聴も患っている。ただでさえ気味が悪い上に聾唖者となってしまった小百合を疎ましく思った両親は、わずかな金と引き換えに娘を見世物小屋へ売ったのだった。
 
 サアサアお待たせしましたァ! お次は蜘蛛女・小百合の登場だよォ!
 
 以前、この土地を訪れたときもロイド眼鏡の男はいた。しかも今回は初日から今日まで、ずっと通い詰めだ。思いがけない愉楽と初めての甘い疼きが小百合を惑わせる。頬が赤くなるのが自分でもわかった。
 行燈の灯りが舞台を照らしている。
 小百合は舞台に上がるとまず両手のひらを客席に晒し、十二本ある指を見せた。一瞬、客席がどよめく。そして赤い襦袢の前をはだけて一匹の蛇を白い肌に這わせた。
「キャッ、気持ち悪い!よくあんなことできるわね」
 客席で誰かが叫んだ。もちろん小百合には聴こえない。声を発したのは、ロイド眼鏡男の隣にいた若い女だった。
 女は男の腕にしがみつき、袖口に顔を埋めた。男は笑いながら女をなだめている。その親し気な様子を目の当たりにして、小百合は二人の関係性に気づいてしまった。
 小百合は蛇の頭に唇を近づけると、長い舌先でちろちろと舐めた。そしてさんざん弄んだ後、客席にいるロイド眼鏡の男めがけて蛇を投げた。女は驚きのあまり失神し、客席は大騒ぎになった。
 
 ザ マ ア ミ ロ

 小百合は無表情を装って、これでもか!と言いたげに六本の指を動かした。まるで生きた蜘蛛の手足そのままに。

 サアサアサア! 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 世にも奇妙な見世物小屋! お代は見てのお帰りダヨォ!!
蜘蛛女の戀 緋川コナツ

暗明妖楽記
さくらがさいた

ここは津軽の国。これから旅をするのは、薬や芸を霧人という者。今は一人身で年は二十。十日前に江戸を出てやっとここまで来た。ただ少し周りの人とは違っているところがあった。それはというと誰も持っていないはずの力を持っているのだ。そのためかは知らないが、この頃頻繁に出てきている山賊に会っても、何一つ失った物はない。これから長い長い旅をするらしい。不思議な旅が今、幕をあける。
 「はぁ、疲れた。」
ここをはじめの地にするらしい。
ここ津軽では、今伝統のお祭りをやっており、城下町は大勢の人でにぎわっていた。
 「あぁ、うるさい。もっと静かなところはないのか。静かでなくていいから空いている宿はないのか。」
お祭りという物はうるさいし、また有名なら周りからたくさんの人がやってくる。言ったら霧人にとっては、最悪な状況なわけだ。という訳で空いている宿を探して町のだいぶ外れまで来た。宿を諦めてそろそろ野宿に切り替えた方がいいかと思って立ち止まった時、少し行ったくらいのところに明かりが見えた。
 「あれ、こんなところに村なんてあったか?まあ家があるなら留めてもらおう。」
疑問に思いながらも休めるのならいいかと思ったのかいきなり早足で明かりの下に近づいた。
暗明妖楽記 さくらがさいた

若輩者の言い分
小笠原寿夫

 人は、寂しい。心のどこかで、孤独と戦っている。
「孤独を楽しめ。」
そう教わったことがある。
 人は、自由だ。心のどこかで、自由を追い求めている。
「自由というものには、責任が伴う。」
そう教わったことがある。
 本題に入ろう。人は、だからこそ、拠り所を探す。人と人の間に存在するから、人間という。厭世観ではないが、今の世の中に、嫌気が差すことも、しばしばだ。
「どんな理不尽にも耐えろよ。」
と、教わったことがある。それらの教えひとつひとつが、愛情の証だった。
 人の思いは、時に人を助け、傷つけもする。
 ただ、世界は、優しさや愛情に満ち溢れている。
「どんなに可哀想な人でも、最後は救われるようにできている。」
宗教染みているが、そうではない。あくまで、人の優しさだ。

 井戸に落ちようとしている子供を見て、思わず手を差し伸べるのが、性善説。善が善を呼び、また、人がそれを回すから、世の中は、うまく回っている。私は、そう思う。
 但し、与えるだけが、愛情ではなく、拒むのも愛情のひとつだ。
 例えば、子供が、お菓子をねだっている。親が、買い与えることは、簡単な事なのかもしれないが、それを我慢を身につけさせる為に、それを拒むのも愛情だ。子供にあんまり旨いものを食べさせては、いけないのも、その一環だと思う。
「もし、俺に子供ができて、悪いことを覚えたら、教師には、どついてほしい。」
と、言った人がいた。その人は、本心から、そう言っているのだと思う。教育というのは、そういうものだし、それを体罰と捉えるのは、過敏に反応しているだけだ。世の中がゆるくなった。脆弱になった。
「大人は、正直。」
そう言った人がいた。言いたいことを言える様になるには、それだけの経験が必要だ。子供が、わあきゃあ言ったところで、それは、大人にしてみれば、1+1を間違えている様なものだ。大人の目は、正直で、だからこそ子供は、大人を恐れる。日本は、縦社会。言うまでもなく、それは、本当のことだ。
 長々と、他人の言葉を並べ立てたが、最後に、私の話をしよう。
 私は、褒められるように意識して、成長してきた。ところが、いざ、社会に出てみると、それだけではないことが、わかった。いい成績を取ったものだけが、褒められるような学生生活だったが、アルバイトや社会を経験する上で、冷たくあしらわれる事も、多々あった。それでも、なんとか生きてこられた理由が、人の愛情である。
若輩者の言い分 小笠原寿夫

春を待ちわびる
深神椥

「三百円、ですか!?」
「はい、年々相場は下がってまして……売るなら今かと……」
私はしばし考え、「じゃあ、それでいいです……」と半ば仕方なく答えた。
「はい、ありがとうございます」
やりとりを済ませ、店を後にした。
深いため息をつくと、とぼとぼと歩き出した。
――テレホンカード六枚で三百円か。
仕方ない額なのだろうか。
去年売った時は一枚で百円だったのに、ほんと世知辛くなった。
オークションに出すにも出品料と時間がかかるし。
 そんなことを思いながら、役所の前を通りかかった時、見覚えのある顔が目に入った。
 それは、私がよく行くお店の店員のサカシタさんだった。
 私は、慌ててそばにあった銅像の陰に身を隠した。
――何で隠れてるんだ、私、と思ったが、何故か体が勝手に動いていた。
 私は密かにサカシタさんに想いを寄せていた。
サカシタさんは、車の運転席に座っていて、誰かを待っているように見えた。
――今日休みなのかな、と思っていると、若い女性が役所から出てきた。
そして、サカシタさんの乗る車の助手席へと乗っていった。
二人は車内で、楽しそうに何やら話しているようだった。
それから間もなく、車は走り去って行った。
私は身を隠すのを止め、走り去って行く後ろ姿を眺めていた。
「……シルバーのヴィッツに乗ってるのか」
そんな言葉がフッと口をついて出た。
私は下を向くと、しばらく呆然としていた。
そして、フッと笑いをこぼすと、再び歩き出した。
――見てはいけないものを、見てしまった。
 彼女、かな。彼女だよね、きっと。
 もしかしたら、奥さんかもしれないけど。
 いるだろうなとは思っていたけど、やっぱり見せつけられると、結構くるものがある。
 現実を知ってしまうと――。

 こんなもんだ、恋なんて。
どこかで聞いたことのあるようなセリフが頭に浮かんだ。
 そう、恋も、買い取り価格も、こんなもん。
我ながら上手いこと言うな、と自画自賛しながら、私はまたフッと笑った。

 わかっていたことだ、最初からわかっていたこと。
 こんなこと、なんでもない。よくあることだ。
 いつも通りに過ごしていればいい。
 今度、お店で顔を合わせる時も、いつも通り、普通に――。
 向こうが笑顔なら、こっちも、いつも通りに――。

 私は立ち止まり、しばらくの間そうしていた。
 それから北風に肩をすぼめると、空を見上げた。
 よく晴れた、真っ青な空に、鳶の群れが鳴き声を上げ、旋回していた。
春を待ちわびる 深神椥

糞真面目又は弁が立つ
ごんぱち

「なあ蒲田」
「なんだ四谷? 広辞苑なんか開いて?」
「糞真面目という言葉があるな?」
「あるが?」
「とすると、真面目ではない糞は何だろう?」
「糞が付かない真面目は、強調されないただの真面目だろう」
「そうではなく、主体は糞の方だ。不真面目な糞。なんだろう、下痢か何かだろうか? 触る物皆傷つけるカチカチ便だろうか?」
「四〇を過ぎた男の話題か、四谷」
「何を言っている、人間の精神的加齢は、二十四を境に折り返す。つまり、我らの笑いのツボは一周回って小学生ぐらいなのだ!」
「……笑いって自分で言っちゃったな」
「さあ、糞不真面目の形態や如何!?」
「下痢と言っても色々あるだろう。ブリストルスケールで言うところの泥状便以下を指す時もあれば、やや軟らかい便でもそう述べる者もいよう。食習慣によって常に軟らかい者であれば、水様でようやくどうでしょう、という相談をする場合もあり得る」
「であれば、何を持って不真面目とする、蒲田?」
「真面目とは行うべきを適切に行う、または行おうとする姿勢を評するものであるから、そもそも糞便の役割について考えるべきであろう」
「確かに」
「糞便とは、水分を除けば、大腸菌等の腸内細菌、腸から剥がれた腸内細胞、食べ物の残滓などが含まれるものである。必要な水分等は適度に体内に戻し、毒素をきっちりと含んで排泄される、役割通りの糞であれば、これは糞真面目であろうな」
「とすれば、そのうちのどれかを欠く、例えば水分の吸収もままならず、食物を残滓にもせず、コーンをそのまま含むようなものは糞不真面目であるな。成る程、これで疑問は氷解した」
「否、それは早計というものだ、四谷」
「何故?」
「それら未消化便は、畢竟、腸が不真面目なのであって、便自体に罪はない」
「成る程」
「さうであるならば、便の機能は体外に排出される、その一点に尽きるのであって、これを果たす便は須く真面目であると言わざるを得ない。先の未消化便であっても、排出されなければ身体に変調や不快を来すものであろう」
「とするならば、真に不真面目な便というのは? 便の形状に有らざるか?」
「左様。真に不真面目たるは、便秘の便、便たる前にて足を止め姿を現さぬ物に他ならぬ」
「むむむ、然り然り。それこそが真に不真面目也」
「これぞ、故事に言う『真の不良生徒は、不良戯画のように律儀に出席しない生徒である。そしていつの間にか転校とか退学とかしている』の佳き例也」
糞真面目又は弁が立つ ごんぱち

今月のゲスト:小川未明

 町から少し離れて家根が処々に見える村だ。空は暗く曇っていた。お島という病婦が織っている機の音が聞える。その家の前に鮮かな紫陽花が咲いていて、小さな低い窓が見える。途の上に、二人の女房かみさんが立って話をしている。
「この頃は悪い風邪が流行りますそうですよ」
「そうだそうですよ、骨の節々が痛むんですって」
 陰気な、力なげな機の音がギイーシャン、コトン! と聞えて来る。全くこの時風が死んだ。また降り出しそうな空には、雲脚が乱れていた。
「お島さんの顔色は善くありませんね」と一人の女房が眉を顰めた。
「産れるのかも知れませんよ」と一人がいう。
「そうかも知れない、ああ顔色が悪くちゃ……」
吐瀉もどしつぽいといっていたから……」
 二人の女が話をしている処へ、頭髪が沢山で、重々しそうに鍋でも被っているように見える、目尻の垂れ下った、鯰の目附きに似ている神経質じみた脊の低い、紺ぽい木綿衣物を着た女が、横合から出て来た。二人はこの女を見るとぎょっとして口を噤んだ。
「まった降りだ」と鍋を被ったような女が、重たらしい調子でいう。その声がまたとなく陰気だ。
「悪いお天気で困ります」と一人の女房がいった。
 何の鳥とも知らず黒い小鳥が啼いて、二三羽頭の上を廻っていた。傍の垣根の竹に蛞蝓なめくじが銀色のいとを引いて止まっている。
「お洗濯が出来なくて」と一人の女房がいって、我家の方へ帰りかけた。
「私もまだすることがあるのですよ」と一人の女房も下駄の歯をぎしりと砂地に喰い込ませて後を向いた。
 鍋被の女だけ陰気な顔で、何処を睨むというでなく立っていた。二人の女房は各自てんでに家へ入って、その場にはただ一人鍋被の女だけ取り残された。この黒衣の女は暫らく石の如く動かなかった。何時しかお島の織っていた機の音が止んだ。
 一段空が暗くなった。この時、今年十二歳になるお島の子供が、町から帰って来た。手に薬屋から買って来た、キナエンの薬袋を持って家へ入った。――風が少し出て来た。間もなく、お島の家の低い窓から真青な烟が上り始めた。この時鍋被の女は重たそうな歩み付きで踵を返して、自分の家に入りかけた。門口の柱には蚫の貝殻がかかっていて、それに「ささらさんばち宿」と書いてある。また白紙の札に妙な梵字ような字で呪文が書いて貼ってある。鍋被の女には歯というものがないようだ。何れも虫が食ってしまったらしい。口中は暗い洞である。女は立止って、家の前にある一本のただ白く咲いた柿の木を見上げていた。すると其処へお島の男の児が駆けて来た。
「これ、おばさんのでなくて。往来に落ちていたよ」といって、一枚の黄楊つげの櫛を鍋被の女の手に渡すと、後も振向かずに一目散に逃げるように駆け出した。
「えッ」と老女は鯰のような目を見張って、子供の駆けて行く後姿を睨んだ。
「櫛! 櫛!」といって唾を吐くと、暗い口を開けて、眼が異様に光った。手早にその黄櫛を西隣の家の方へ投げ捨てて、
「あくむちゃく……うい、うい」と同じい呪文を三度唱えて、また唾を西に向けてペッペッと吐いた。
「お島の阿魔あまめ、悪戯をさせやがって、覚えていろ」
といって、黒鍋を被ったような頭を振って、戸を閉めて入ってしまった。暗い空に、湿っぽい風が吹いて、彼方でがあがあと烏が啼いた。