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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage3
第83回バトル 作品

参加作品一覧

(2016年 6月)
文字数
1
サヌキマオ
1000
2
小笠原寿夫
1000
3
ごんぱち
1000
4
深神椥
1000
5
蛮人S
1000
6
スナ8
1000
7
樋口一葉
1265

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青葉繁れる
サヌキマオ

 頭蓋骨の継ぎ目に出来た穴からスッポンモドキが頭を出したり引っ込めたりするので、人に教えられて癲狂院に行くこととなった。なんでも明治時代に西洋医学が本格的に入ってきたころに開業した古い醫院で、椎橋の駅から商店街をずっと抜けると十字路の左側、頑強な石塀を押し潰さんばかりに青葉が繁っている。すっかり時代のついた建物の窓ガラスには「阿知羅醫院 木日曜祝日及び土曜午後休診」と金字で書いてある。
 開業当時の老先生が独りで頑張っているというが、事前に電話をしても一向出る様子がない。草と苔に乱れた飛び石は醫院と奥にある住居に続いていて、壁際には夥しい数の植木鉢がひしめいている。
 五月の陽に透いて埃の見える薄暗い待合室、ベンチに座っているのは赤いスカートの小学生くらいの女の子が一人。それよりもなによりも、あたりを跳びはねる小動物が目についた。動物は入口から光が差したのに気づいたのか、まっすぐに突進してくる。駄目、逃がしちゃ、という声に慌てて後ろ手に戸を閉める。動物の表情は窺い知れないが、舌打ちの代わりに脛に蹴りを入れてきた。
 柱時計の音が人の気配のなさを際立たせる。無人の受付窓口を覗くと衝立があって、下がっているカレンダーはちゃんと今年今月なのに安心する。
「あの」
 にべもなく顔を背ける女の子を逃すまいと、私は背けた顔の方に回りこむ。
「ここの病院は看護婦さんとかそういう人はいないのかな。先生だけ?」
 瓜実顔はうんうん、と二回頷いた。先生は別の誰かを診療中なのだろうか。土間には自分の靴の他に女性のヒール靴がある。
「お嬢ちゃんはここの病院の子?」
「わたしはぬっ君を直してもらいにきただけです」
 見ると、赤いサンダルを履いたままだ。
「ぬっ君」という単語に反応したのか、さんざん跳ねまわっていた動物が女の子の膝に戻ってくる。
「これは何の動物? リス?」
「リスぢゃないよ、チンチラ」
 癲狂院は動物の病気も治すものなのか、と感心しているとぬっ君は執拗にスカートの中に潜り込もうとする。女の子がきゃあきゃあ云って抗うとスカートが捲れて、透き通った腿が薄暗い部屋に閃いた。
「いぬにさん、いぬにてまりさん」と診察室から嗄れた声がかかる。
(あの子、下に何も履いてなかったな)
 サンダルのまま診察室に向かう女の子の尻をなんとなく目で追うと、先ほどは誰もいなかった受付窓口の衝立の向こうから、パンダがこちらを覗いている。
青葉繁れる サヌキマオ

アクシデント
小笠原寿夫

出囃子と共に、咄家が登場する。
「えー。お題に参ります。皆さんは、なんでも屋の主です。私が、何を売っているんだい? こう問いかけます。それに対して、面白い答えをお願いします。」
司会者は、こう問いかける。
「はい。ごんちゃん早かった。ごんちゃんは、何を売っているんだい?」
「へっ! 隣の家の喧嘩を売っています。」
「なるほどねぇ。夫婦喧嘩は犬も喰わねぇか。こりゃ一枚やろう。」
座布団が、一枚運ばれる。
「はい。次、鶴さん行ってみよう。鶴さんは、何を売っているんだい?」
「3つで五百円でございます。」
「そんな歌もあったねぇ。はい。次行こう。山さんは、何を売っているんだい?」
「暇を売っているんだが、ちっとも売れねぇんだ。」
「なんだい、そりゃ。山さんの二枚持ってっちゃって。」
座布団が、二枚持っていかれる。
「はい。次は、春さん。春さんは、何を売っているんだい?」
「舌先三寸で、バナナを売っております。」
「いいねぇ、気楽な商売だよ。一枚やろう。」
座布団が、一枚運ばれる。
「次、夢さん行ってみようか。夢さんは、何を売っているんだい?」
「えー。臓器を高値で売っております。」
「なるほど。風刺が利いてる。これは、一枚あげよう。」
座布団が、一枚運ばれる。
「次、まだ当たってないの。鷹さん、行ってみようか。鷹さんは、何を売っているんだい?」
鷹さんの汗が、畳の上に滴り落ちた。
「えー。」
「鷹さん、どうしたんだい。何か言いなよ。」
鷹さんの顔面が、蒼白し始めた。
「鷹さんは、何を売っているんだい?」
「えー。それがそのぉ。」
「どうした、鷹さん。いつも面白いの言ってるじゃないの? 何か言いなよ。」
司会者にも、汗が滲み出る。
「車の鍵が......。」
「ん? 車の鍵が?」
「車の鍵が、昨日から見当たらなくって......。」
「そんなこと聞いてるわけじゃないんだよ。何を売っているんだい?」
「楽屋中探したんですが......。」
「何言ってんの、鷹さん。」
司会者は、困惑を隠せない様子である。
「このままじゃ、家に帰れないんです......。」
「おい! 咄家が何泣いてんだよ!」
客席から野次が飛ぶ。
司会者は、困惑気味に、
「しょうがないねぇ。楽屋探してきなよ。おーい、鷹さんの座布団全部持ってっちゃいな!」
鷹さんが、高座を降りると、座布団が、全部さらわれたところに、車の鍵が落ちている。司会者が驚いた様子で、
「話が出来すぎじゃねぇか。おーい、鷹さん呼び戻しておいで!」
アクシデント 小笠原寿夫

名は何を表す
ごんぱち

「国内最高齢のゾウが死んだらしいな、四谷」
「そうらしいな、蒲田」
「殺風景な獣舎での扱いには批判もあったようだが、結果として高齢を保てた事は、周囲の人々の苦労があっての事だろうな」
「うむ、最善に到達し得なかったとしても、その事実に間違いはあるまい。名前は何だったかな?」
「はな子だそうだ」
「ゾウだけに?」
「ゾウだけに。戦時中に殺処分された花子にあやかっているが、まあやっぱり鼻と花のダブルミーニングだろう」
「駄洒落で名前を付けられるのもなんか嫌だな」
「ダブルミーニングなのだから、まだ捻ってる方だろう。毛色で『トラ』だの『ブチ』だの『ミケ』だの『クロ』付けるパターンもあるし、種類で『キューチャン』だの『パン』だの『ハンブル』だの、サイズ感で『チビ』だの『デカ』だの『破片』だの付けるパターンもある」
「『破片』?」
「でも、室内飼いにするような大事にされている場合は、もう少し捻ったキラキラだのDQNだのの名前になりそうだな」
「『金星』とか『光宙』とか『騎士』とか?」
「動物だとしてもしっくり来ないな」
「とすると、我々人間が知的生命体に飼育される事になった場合、一体何と名付けられるのであろうか?」
「そうだなぁ。他の生き物との差異があるとすると、一体何だろうな?」
「そうだな。その類型として、類人猿などと同一視される可能性は高いだろうな。だとすると、手を使うことか?」
「手子や腕子か」
「指かも知れないな」
「指子かぁ」
「待てよ、何に着目するかにもよるな。たとえばカブトムシの場合、角があると思いがちだが、雌を捕獲した場合は、角が特徴にはならないのだし」
「雄ならば陰茎子?」
「それは全然人間を表さないだろうし、そういう名前が付くならば、バクとかだろう」
「ふうむ……どうなるのだろうな?」
「まったく、どうなるのだろうな?」

『毛無し猿の観察を終えたか?』
『毛無し……なんだって?』
『今モニタに映ってるそいつさ。自分たちが猿と名付けた個体にそっくりだろう』
『やめとけよ。きちんと学術用語も決まってるものを』
『いやいやそういうもんでもないさ。異星研究は発想の転換が何より大切なんだぜ? 言葉一つを取ってもだよ』
『まあ分かるけどもさ。僕にとっちゃ、こいつらには何があろうと“三十七兆”以外の呼び方はしっくり来ないね』
『おっ、毛無し猿のヤツ、また“一”を食べてるぞ』
『今度は殻ごと一酸化二水素を媒体にして熱しているな!』
名は何を表す ごんぱち

春の、まぼろし
深神椥

「恋」って、毎日が楽しくて楽しくて嬉しくて幸せで仕方ないものだと思っていた。
思っていたけど、けど同時に、苦しくて切なくて泣きたくてどうしようもないものだってこと、思い知った。いや、思い知らされた。
 西野カナの詞に共感する人の気持ちが、少しだけわかった気がした。

 サカシタさんの姿を見かけなくなって、一ヶ月が経った。
こうなることは、全く想定していなかった。本当に、全く。
「そこ」に行けば、またいつでも会えると思っていた。

 勤務時間帯が替わったのか、もしくは辞めたのか、はたまた異動したのか。
勤務時間が替わったのなら、まだ可能性はあるけど、それ以外なら……。
他の店員さんに聞いてみるのが一番だろうけど、変に勘繰られるのも嫌だし。

 哀しいというのか、信じられないというのか、悔しいというか。
 こういうことは、初めてではない。
 前にもあった。
 私の通っていた美容院の美容師さんを好きになったことがあった。
(どうやら私は「そこ」に行けば会える人を好きになってしまう傾向があるらしい)
 通って二年半ほど経ったある時、他の美容師さんから、引き抜きで別の美容院に移ったことを聞かされた。
 もう十年以上も前のことだが、きっとその時も、今みたいな気持ちになったんだと思う。
やたらと失恋ソングを聴きたくなった記憶もある。
 いや、いやでも、あの頃とは少し違う。
こんなにため息も出なかったし、切なくて苦しくなったりしなかったし、涙が出るなんてこともなかった気がする。
 年齢のせいなのか、あの頃より気持ちに余裕がないのか、久しぶりに恋をできたことがよほど嬉しかったのか。
 よくわからないけど、今回の方がかなりこたえた。

 そんなことを思いながら、力なく笑顔をつくると、坂道を登り始めた。
いつも、サカシタさんのいる(いた)お店から真っ直ぐ家に帰らずに、神社へと向かう。
長い坂道を登った所にあるその神社からは、町全体が見下ろせる。
 私はここから眺める景色が好きで、昔からよく来ていた。
 最近はサカシタさんのこともあり、余計に景色が良く見えた。
 急な坂道を登り切り、息を整えると、町を見下ろした。
 哀しいくらいの青空の下、いつもの景色が広がっている。

 失恋、じゃない。
 会えなくても、もう一生会えなかったとしても、私が想っている限り、この恋は失われないのだ。

 日が傾き、段々と夕日に染まっていく町並みを、私はいつまでも見下ろしていた。
春の、まぼろし 深神椥

独裁者最後の夢
蛮人S

「大統領、重大なニュースがあります」
「言い給え、副大統領」
「ハイ。敵の独裁指導者が死にました。すでに三日前、急病で死亡していた証拠を掴みました」
「何だと。三日前と言えば、奴らが我々への軍事的圧力を強めた頃だ……ははあ、体制維持のため指導者の死を隠蔽し、隣国への野心で国民の目を逸らす企みだったか。なるほど悪の帝国は一人で作られるものではない! 例え独裁者が死んでも、体制側の奴らを一人残らず吊るすまで我が闘争は続くのだ!」
「いや大統領、みんな指導者の死は知っています。国葬やるそうです」
「何だと。ははあ……つまり奴らは我々に対して自ら独裁体制を装い、死んだ指導者に責任を押しつけ、隣国への戦争準備に励んでいたと言いたいのだね!」
「言いませんよ。単に私らが知らなかっただけかと」
「いいや君は言いたいはずだ、何たる悪辣な偽装、何たる不良民族、なるほど悪の帝国は一部の人間で作られるものではない! 悪魔を一人残らず屠るまで我が闘争は続くのだ!」
「ハイ、いや……しかし大統領、いくら敵とは言え」
「何だね」
「そこまで酷く言いますか?」
「酷いからな。何しろ奴らは」
「ハイ」
「この私を武力で追放したのだぞ。大統領の私を」
「ハイ」
「極悪だろ」
「ハイ。しかし先週まで大統領の国民だったのに、それを不良民族とか悪魔とか」
「私が国家である。国家を否定する奴はみな悪魔だ不良だ」
「ハァ」
「いまリアクション変えたな。私は国家の定義を満たしておる! つまり領土と人民と統治だ。戦車だってある」
「この隠れ家と私ら二人と……戦車って、あのトラックの事でしょうか。統治って何でしたっけ」
「我が声こそが統治である。分かったらテレビ直せ。我国の情報力を立て直すのだ」
「アンテナなら立て直しました。だからニュース見れたんでしょ。三日ぶりに」
「早く言わぬか。あ、もう今週の敵国文化研究の時間じゃないか!」
「ドラマとかどうでもいいだろ」
「何だと。ケーブルテレビの工事担当から副大統領に抜擢した恩を忘れたか」
「何が抜擢だよ」
「テレビ見せろ」
『……臨時ニュースです。政府は逃亡中の元大統領が潜伏する納屋を発見、間もなく空爆に入る模様です。はーい見てますか、元大統領』
「大統領! 私は直ちに戦車で敵首都への電撃作戦を敢行します。例え祖国に戻れぬ身となっても突撃する覚悟です。アディオス!」
「待て。私も行こう!」
「離せハゲ」
「がああ」
「ぎぃ」
「ぐ」
「」
独裁者最後の夢 蛮人S

脅迫
スナ8

「海が見たいな」
挑発するように覗き込んだ。
「海が見たい」
茶色の筈の虹彩はまるで透明のようだった。
鬱陶しそうに眉をひそめたリョウジの顔には「勝手に見に行けよ」と書いてあったから、ミヤコはいつものように魔法の言葉を使う。
「足が痛いの。連れて行って」

校舎を出ると、雨は上がっていた。
荷台に後ろ向きに乗ったので、集中していないとちょっとした段差の揺れですぐに振り落とされそうになる。濡れたアスファルトに飛沫をあげて自転車の轍がついていくのを見ながら、ミヤコは荷台にしがみついていた。
乱暴な立ち漕ぎで、けれどひたむきに自転車をこぐリョウジの背中が、熱を持ち、汗でどんどん湿っていくのを夏服のシャツ越しに感じる。
嫌々な態度を取りながら、リョウジはミヤコの我儘を使命のように叶えていく。
ミヤコの左足が不自由になったのは、幼い頃、リョウジの父親の車が起こした事故のせいだった。
その時、同乗していたミヤコの母親と、運転していたリョウジの父親自身も帰らぬ人となり、ミヤコだけが生き残った。
不倫のカモフラージュに子供を連れて出掛けていたのではないか。
聞こえよがしに噂する周囲の、そんな声が聞こえていない筈がなかっただろうが、残された片割れの親二人は、憎み合うでもなく、真実を明るくするでもなく、むしろお互いを助け合うように今日まで過ごして来た。
事故まで、ただのクラスメイトであったリョウジと言葉を交わすようになったのも、お互いの親達による家族ぐるみの交流の影響は多分にあった。
まるで周囲の中傷からお互いを守り合っているようだった。
全ては憶測に過ぎないから。
死者は、何も語らずに去って行くから。
夕闇の中で、亡くなった、母とリョウジの父親の影が重なり合うように伸びているのを、ミヤコは今でも夢にみる。
リョウジが、父親の思い出を話したことは一度もない。

ブレーキの音と共に、リョウジが自転車を停めた。
「休憩」
汗だくで、肩で息をしていた。
こめかみを伝う汗を腕で払いながら、リョウジが振り返った。
「お前、重いよ。痩せたら?」
ミヤコに懸ける言葉は、責める意図もない単なる軽口で、表情も明るい。
リョウジはどこまでも真っ直ぐだ。
父親の死も、気付いている筈の裏切りも、彼に影を落とすことはなかった。

その真っ直ぐな瞳が、途方もない罪悪感と、そして微かな期待に曇る瞬間を、ミヤコだけが知っている。
脅迫 スナ8

すずろごと・ほとゝぎす
今月のゲスト:樋口一葉

 ほとゝぎすの声まだ知らねば、いかにしてか聞かばやと恋しがるに、人の訪ひ来て、「何かは聞えぬ事のあるべき。我が宿の大樹には止まりてさへ鳴くものを、夜ふけ枕に心し給へ。近く聞く時は唯一こゑあやしき音に聞きなさるれど、遠くなりゆく声のいと哀れなるぞ」と教へられき。
 時は旧き暦の五月にさへあれば、おのが時ただ今と心勇みて、それよりの夜な夜な目もあはず、いかで聞きもらさじと待わたるに、はかなくて一夜は過ぎぬ。その次の夜も次の夜もおぼつかなくて、何時しか暁月夜(あかつきづくよ)の頃にもなれば、などかくばかり物はおもはする、いとつれなくもあるかなと憎くむ憎くむなお待つに弱らで一夜を待あかししに、ある暁のいとねぶうて、物もおぼえずしばし夢結ぶやうなりしが、耳もと近くその声あやまたず聞えぬ。まだ聞かざりし音をさやかに知るは怪しけれど、疑ひなきそれと枕押しやりて、居直ればまた一声さやかにぞ鳴く。故人が詠みつる歌の事などさまざま胸に迫りて、ほとほと涙もこぼれつべく、ゆかしさのいと堪へがたければ、閨の戸押して大空を打ち見上ぐるに、月には横雲少しかかりて、見わたす岡の若葉のかげ暗う、過ぎゆきけん影も見えぬなん、いと口惜しうもゆかしうも唯身にしみて打ながめられき。
 明ぬれば歌よむ友のもとに消息して、このほこり言はばやとしつるを、事にまぎれてさて暮しつ。夜に入れば又々鳴きわたるよ。こたびは宵より打しきりぬ。人の聞かせしやうに細やかなる声はあらねど、唯ものの哀れにて、げに恋する人の我れに聞かすなと言ひけんも道理(ことわり)ぞかし。おもふ事なき身もと、すずろに鼻かみわたされて、日記のうちには今宵の思ふこと種々しるして、やがて哀れしる人にと思ふ。
 かくて二日ばかり、三日の後なりけん、ゆくりなく訪ひ来し友あり。いと嬉しうて、今やこの事かたり出ん、しばししてや驚かすべき、さこそは人の羨やましがるべきをと、嬉しきにもなおはばかられつつ、あらぬ事ども言ひかはすほどに、折しもかのほとゝぎす軒端に近う鳴く声のする。「あれ聞き給へ。ここは子恋ひの森にもあらぬを、この夜頃たえせず声の聞ゆるが上に、昼さへかく」と打出したれば、友は得ときがたき面持ちして、「何をかのたまふ」とただに言ふ。かくかくと語れば、「そは承けがたき事」と打かたぶき打かたぶきするほどに、またも一声二声うちしきれば、「あれが声をほとゝぎすとや。いかにしてさはおぼしつるぞ、いとよき御聞きざま」と、友は口覆ひもしあへず笑みくつがへる。「いつも暁より鳴き出でて夕暮れまでは御軒のものなるを、いかにしてさは聞き給ひけん、物ぐるほしくもおはしますかな」といよいよ笑ふに、「さにはあるまじ。いかで山がらすをさは思ふべき。あの鳴くね聞き給へ、よも誤らじ」と不審かしうなりて言へば、「月夜に寝ほうけて鳴出る時は常の声とも異なりぬべし。今のなく音は何かは異ならん。あれ見給へ、飛びゆく姿もさやかなるを」と指さされて、あはれこのほとゝぎすいつも初音を鳴くものになりぬ。覚めずは夢のをかしからましを。