女車掌
今月のゲスト:加藤武雄
最終の電車だった。
乗客は私を入れて三人しかなかった。一人はタキシイドを着けた青年紳士、一人は、やはり洋装の若い娘さん――いや、お嬢さん、二人は、私のちょうど前のところに、ぴったりと身を寄せ合わせて、しきりに微笑と密語とを交している。多分恋仲だった。そして、多分、音楽会か何かの帰りだった。
『――だって、それはしかたが無いんですもの、偶然お会いしたんですから』
『偶然?』
『ええ、偶然よ』
『故意の偶然じゃないかしら? 計画されたる偶然じゃ――』
『そんな事があるもんですか? あなたも疑り深いのね。そんな風に邪推ばかりなさるなら、私、知らない』お嬢さんは少し拗ねたように顔をそむけてしまった。
『怒ったの?』
『ええ、怒ってよ』
『じゃ、僕も怒った』
『御勝手に』
二人は、互いにその眼で弾き合った。が、眼の底では笑っている。而して、その手は――その時私は初めて気がついたのだが、手套をした二つの手は、男の膝の上でしっかり握り合わされている。
私は見ぬ振りをして眼を反らした。その反らした視線の先に、女車掌がしょんぼりと座って、こくりこくりと居眠りをしている。帽子の下から後れ毛が乱れて、一日の労働に疲れ青ざめた頬を刷いている。
停留所に来た。
『✕✕町』と、女車掌は半ば眠った声で云った。
『あら、もう来てよ』お嬢さんは驚いてたちあがった。青年紳士も立ちあがった。二人は、女車掌に切符を渡すと運転手室の方から降りて行った。
二人の降りて行ったあとの、座褥の上に、赤い造花が一輪落ちていた。あのお嬢さんの帽子から落ちたのであろうと思いながら、私は疲れた眼にその真紅の色を、ぼんやりと映していた。
もう、すぐに終点だった。女車掌は、私の傍にやって来て私から切符を受け取った。そして、私の傍から離れようとする時、彼女は、ふとその造花を見つけた。
『あら!』小さく声を立てて、彼女はその花を拾った。
どうするのかと見ていると、彼女は、私には隠すようにその花を持って、車室の隅の方へ行った。そして、そっと帽子にそれを挟んで、窓硝子に自分の顔をうつして、一寸したしなをしてにっこりと笑った。
私も思わず微笑した。
彼女は、こちらで微笑しながら見ている私に気がつくと、ぱっと顔を赧(あから)めた。私は、その時、彼女がいかにも、初々しい美しい娘である事にはじめて気がついた。