第29回1000字小説バトル Entry28
「残念ですが、もう回復の見込みはありません」
医師は重々しく宣告した。
「あなた!」
妻は昏睡状態の夫にすがりついた。どうして私を置いていってしまうの。これからどうやって生きていけばいいの。泣き叫ぶ妻。お定まりの愁嘆場が繰り広げられる。
しばらくしてようやく妻が落ち着きを取り戻す。そこへ待ってましたとばかりに医師が口を開く。
「奥さん、実はお願いが」
「……はい」
「新開発の装置を実験させて頂きたいのです。ご主人を使って」
「え?」
妻の表情に浮かんだ警戒の色を見て、医師は慌てて言葉を継ぐ。
「いや、ご主人の体を切り刻んだり、機械を埋め込んだりはいたしません。この枕を使っていただくだけです」
医師は怪しげなコードが何本も伸びた枕を取り出す。
「末期患者がこの枕を使って寝ると、あら不思議。苦痛は消え、幸せな気持ちで死ぬことができるのです。残念ながらご主人はもう駄目だ。ですが、どうですか奥さん。最後くらいは気持ちよく往かせてあげては」
妻は、変な枕とベッドに横たわる夫を交互に見て考え込む。だが、最後は小さく頷いた。
三日後夫は死んだ。
「先生、ありがとうございます」
喪服姿の妻が深々と頭を下げる。
「あんなに安らかな夫の顔を見たのは久しぶりでした。全ては先生の枕のおかげです。一体どういう仕組みなんですか」
医師は胸を張って答える。
「あの枕は夢をコントロールする装置なのです」
「と申しますと」
「あの枕を使って眠った人は、こちらの指示通りの夢を見るのです。どんな夢でも思いのまま。そこで、ご主人にはありとあらゆる幸せな人生を味わってもらいました。大富豪の一生、偉大なスポーツ選手の一生、映画俳優の一生などなど。ご主人は思い残すことなく往けたはずですよ」
「素晴らしいですわ!」
妻は感極まって涙を流す。
「病に苦しむ皆さんにも早く使ってあげてください」
医師が頭を掻く。
「そのつもりだったのですが……。一つだけ問題が」
「なんですの?」
「あの枕、末期患者が使う分には大丈夫なんですが、正常な人間が使うと、真面目に生きるのが馬鹿馬鹿しくなってしまうのです。そりゃそうですな。夢の中でなんでも叶うわけですから。おかげで、枕の開発者は私を残して全員自殺してしまいました。ははは」
「……」
言葉を失う妻を尻目に、医師はメスを取り出した。
「実は私も昨晩使ってしまったんですよ。あの枕」
医師は笑いながら自分の喉を掻き切った。