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第29回1000字小説バトル Entry29

幸せ屋

「こんにちは、荒木商店と申します。幸せを売りに来ました」
 チェーンロック越しに、女は開口一番そう言った。
「幸せ? 何かしらね、キキさん」
「にゃ」
 幹子は足元にまとわりついていた猫のキキを抱き上げて、まじまじと女を見る。
 初老と言っていい年齢。人の良さそうな顔をしているが、お人好しというほどでもなく、正直そうに見えるが、バカ正直風な怪しさもない。
 言うなれば、悪徳商法に手を染めていないタイプの販売拡張員。自分の扱う商品がそこそこマシなのを知っていて勧めている、スーパーハボキやイオン空気清浄機の開発者兼販売者の様なタイプに見えた。
「……お話だけ聞かせて貰おうかしら」
 幹子はチェーンロックを外し、ドアを開ける。
「失礼します」
 玄関に入った女は、小さなアタッシュケースを置く。
 キキは警戒する風もなく毛づくろいをしている。
「幸せって買えるの?」
「ええ。一つ三千円。税金は別になっています」
 いささか事務調で女は言う。
「いい品ですよ。ご贈答品にも向いてますし」
「三千円で買える幸せってどんなの?」
「あなたが三千円の価値があると感じる程度の幸せであれば何でも」
「例えば?」
「新しいCDを買った時の様な、芝居をB席で観た時の様な、居酒屋でそこそこ呑んだときの様な……」
「ささやかねぇ」
「いかがですか?」
 是非買え、とも言わない。
 幹子は首を傾げる。
 キキの方は、下駄箱の隅に隠れていた蛾を追い回して遊んでいる。
 買ってみても悪くない。悪くはない、が。
「いらないわね……幸せは」
「にゃっ」

「ねえ知ってる? お隣の奥さん、交通事故に遭ったんですって」
 夕食時、幹子は目刺しを食べながら言った。
「え?」
 夫の箸が止まる
「亡くなったのか?」
「にゃーお」
「そうだったら、こんなにのんびりしてないわよ」
「にゃんにゃっ!」
「こら、後で頭あげるから、少し行儀よくしてなさい」
「……まあそりゃそうか。じゃあ、怪我だけなんだな」
「うん。でもそれも大したことなかったそうよ。ミラーに引っかかって、転んだだけらしくって。捻挫――ううん、膝を擦りむいたって言ったかしら」
「ふうん……幹子、お前も気を付けろよ?」
「ええ、ありがとう」
「でもお前じゃなくて本当に良かった」
「そんな事言っちゃいけないわ――はい、キキさんお待たせ」
「にゃにゃん!」
 幹子は幸せそうに微笑んで席を立つと、バラバラに引きちぎった目刺しの頭をキキのご飯皿に入れた。

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