第30回1000字小説バトル Entry21
私は少々酔いすぎていたのだろう。
気づくと、地下鉄の駅へと階段を下っていた。知らない駅だった。盛り上がり続ける二次会を、
「そろそろ〜マジ帰れませんから」
と抜け出たのは曖昧に憶えていた。それが、暗く狭い階段を下っている。どうにかなるだろと下っていた。たん、たんと足音が湿った壁に響く。その中に、不意に奇妙な声が混じったのである。
「ひぃ……」
私は足を止めた。
「……ひっ……ひぃ」
階段の底から、絞るような声が響いてくる。私はゆっくり下って行った。
踊り場の陰に誰かいる。女だった。女がひとり、壁に向かってしゃがみ込んでいた。泣いている。柳のような腰つきだった。
「あぁ、大丈夫ですか?」
彼女は顔を上げない。
「こんな所じゃ体に悪いすよ」
意味不明な言葉をかけながら、私は彼女の顔を窺った。暗い上、長い髪でよく見えない。ただ、開いた胸元だけが白かった。
蛍光灯が点滅する。
「電車なくなるし。さあ、もう立った方が」彼女の肩に手を置いた。
ふっと泣き声が止む。
女はゆらりと立った。髪が顔に被さっている。顔を上げながら、その髪をゆっくり払って見せた。
「えっ」
女の顔には、目も鼻も、口も無かった。
ゆで卵のように。
すとん、と腰が抜けた。後ずさりながら私は声を漏らしていた。
「むじな……?」
あれは幼い頃読んだ怪談話だろう? なぜ? 本物?
心臓がどんどどんっと高鳴る。懐かしい感触をもって。
こんなところで、また会おうとは!
恐ろしくも胸躍る闇への渇望が、私の中に還っていた!
私は跳ね上がり、階段を駆け下りる。居た。古びた券売機の前に駅員が居た。深く帽子をかぶり、やる気無げに掃除していた。
「駅員さん!」
駅員はこちらを見ず答えた。「は?」
「見た、見たんだよ」
「はぁ」
本当にやる気無いのだろうか。
「女だ、女を見たんだ、それがこう、髪を払ったらそれが、それが……ああ、もう言えない!」
「オッケー」
駅員はニヤと笑った。帽子で顔を隠してこちらを向く。
「あんたが見たって女は」
「女は!」
再び胸がどん、と鳴る。
「こんな顔かぇ」
駅員は帽子をゆっくり外して見せた。
彼の顔には、目も鼻も、口も無かった。
「ブラボォ」
私はその場に崩れた。
同時に灯りがすべて消えた。
――君、筋が良いね。
闇の奥から声が響く。
――スタッフにならんか。現代人の心のバランスの為。
(なるほど)
と思ったら全身に毛がざわざわ伸びてきた。