| # | 題名 | 作者 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 1 | ねずみ花火 | MARZ | 732 |
| 2 | 奴らの見分け方 | オキャーマ君 | 999 |
| 3 | スプーン | ユキコモモ | 1000 |
| 4 | はよう乗り | YOSHIMURA Keiji | 1000 |
| 5 | 『エンブリォ』 | 橘内 潤 | 997 |
| 6 | 夕方見た夢 | ポンコチーヌ21 | 1000 |
| 7 | 回帰 | 村玉 | 985 |
| 8 | グラスゲイジ | kurusu | 987 |
| 9 | 復讐コミカル | マーマレード=ジャム | 1000 |
| 10 | 下弦の月 | 宙 | 1000 |
| 11 | 贈り物 | 坂本 一平 | 760 |
| 12 | ピクルス | 橋本 | 1000 |
| 13 | スナイパーの憂鬱 | 芋澤扇風機 | 1000 |
| 14 | オルゴール | 岡野義高 | 860 |
| 15 | 犬好き⇒善人?(犬好きならば善人か?) | Lucy | 1000 |
| 16 | 兄貴のお通り | やすくん | 945 |
| 17 | マヨチュッチュの謎 | 池田@ママ | 1000 |
| 18 | 老師と弟子と猫 | 一村雅 | 945 |
| 19 | 川のことで | アナトー・シキソ | 1000 |
| 20 | 春を売る女 | lapis | 1000 |
| 21 | 東京ディズニーランドにて。 | てこ | 1000 |
| 22 | 帰郷。あるいは夢と現実をめぐる一考察。 | さかな☆ | 985 |
| 23 | 矛盾? | うらきひかる | 638 |
| 24 | ねぇ、知ってる? | 恋糸いと | 1000 |
| 25 | エウロパの娘 | 紺詠志 | 1000 |
| 26 | ひやひやしゃんぷー | 坂口与四郎 | 1009 |
| 27 | 白い骨 | 有馬次郎 | 1000 |
| 28 | 僕の知らないところで | さとう啓介 | 1000 |
| 29 | 天国への疾走 | F カズオミ | 955 |
| 30 | 削除 | ||
| 31 | 食欲魔人の願い | 羽那沖権八 | 1000 |
| 32 | 八朔 | カピバラ | 1000 |
| 33 | 陳列 | 越冬こあら | 1000 |
| 34 | 春風 | 伊勢 湊 | 1000 |
| 35 | cookie | 松島 筑一 | 1000 |
| 36 | XP | 太郎丸 | 1000 |
| 37 | 無添加で無農薬の新鮮野菜 | 朝市九楽 | 1018 |
| 38 | 狂戦士は狂馬に乗って | 蛮人S | 999 |
| 39 | 夜に | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
「つぎは、これやってごらん、さとる」
「これ何?おかあさん」
「ねずみ花火っていうのよ。火をつけたらすぐ手を離してね」
「どうして?」
「そうね、説明、むずかしいね。じゃ、やってみよっか」
「うん!」
「こうやって、火をつけて、そら!」
「スゴーイ、くるくるまわってる」
「そろそろ来るわよ」
「え、なにが?、、」
パーン!
「、、、すごいね、これ」
「あれ?どうしたの、おかあさん、なに見てんの?」
「うん、ちょっと思い出してたんだ」
「な〜に?」
「ずっとずっと昔、あなたが生まれる前で、
おとうさんと結婚する二年ぐらい前のこと」
「ふーん」
「お付き合いしてる人がいて、
でも、その人病気になってしまって、どんなお薬も効かない病気で。
息をひきとる時に、おかあさんに言ったの」
『ぼくはいつでも君をみてるよ、大切な君の、すぐそばで』
「あらあら、つまらない話しをしちゃたわね。
ねずみ花火見てたら、思い出しちゃったから。
でもこの話はおとうさんには内緒ね」
「わかった。お母さんとぼくの秘密だね!」
「その人、ねずみ花火うまかったの?」
「そう、ふたつ一緒に火をつけて指、、、」
「こ〜う?おかあさん。ほら、カッコいいでしょ!」
「おかあさん、泣いてるの?
ごめんなさい、ぼく、いけないことした?」
「ううん、そうじゃないの、そうじゃない、、」
さとるの指を離れた二つのねずみ花火が、
空中で交差し、同時に光って消えたとき、
私にはすべてがわかった。
あの日の約束どおり、
すぐそばで、とてもすぐそばで、
見守ってくれていたんだ、ずっと。
「おかあさん、、苦しいよ、、そんな強くだっこしたら」
「あっ、ごめんごめん」
「おかあさん、だいじょうぶ?」
「うん、、、、もうだいじょうぶ。
さあ、おとうさんのところに戻ろう」
「うん!」
複数の歩道と車線が絡み合う雑踏の中を、奇妙な歩調で歩いている少女がいた。優雅にも見えるが、時々足の出し方を忘れてしまったように佇む事もある。歩き方に初心者というものがあるとしたら、明らかに彼女がそうであろう。
そのうちに少女は、あるファッションビルのショーウインドウの前まで来て立ち止まった。中に展示してある服飾に興味を引かれたらしい。そこには、色とりどりの帽子やマフラーが千切り絵のように華やかにレイアウトされていた。
彼女は、両手でガラスを抱えるようにして、ウインドウの内側をじっと見詰めている。
「何を見ているんだ」
俺は少女の横に並んで話し掛けた。しかし、少女は答えない。
「欲しいか?」
少女はただ頷いた。
「どのくらい欲しいんだ……」
俺はさらに少女の耳元で囁いた。
「喉から手が出るぐらいか?」
少女はもう一度頷いて見せた。俺の顔をうかがうように見つめる瞳が、不思議な色を含んでいる。
次の瞬間、俺はその少女を力いっぱい突き飛ばしていた。
少女はバランスを失って仰向けに反り、頭からウインドウガラスに突っ込んだ。ガラスが砕け、その細かな破片がきらきらと光りながら四方に飛び散ると、さらに雷鳴のような光と爆音が周りの空間を引き裂いた。
俺が手にしているのは、銀色に光る巨大な銃器だった。そこから放出された無数の火球が、ウインドウの裏に落ちていく少女の体に集中した。
事はあっという間に終わった。
街の騒音が掻き消え、群集は水に落ちた油のように広がって、俺を身じろぎもしないで見つめている。俺は手にした銃を再びコートの下に戻した。破壊され尽くしたショーウインドウから、粉塵が舞い上がって、少女の残骸を隠している。
「皆さん、慌てないで。特殊捜査官です。今、人間に化けたボディスナッチャーを一体退治しました」
言いながら、懐から取り出した黒色の証明書を高く掲げて人々に見せた。
「もう大丈夫。後始末は当局がしますから、そのままゆっくりと離れてください」
巧妙に人間に化けていてもまだまだその言語能力は劣っている。奴らは人間の会話はわかっても、諺や格言などの突拍子もない言い回しは理解できずに、パニックを起こしてしまうのだ。論理思考ができなくなるのである。
例えば「耳にタコ」といえば、思わず自分の耳からタコをだしてしまう。いや、これは冗談ではない。
現にさっきの少女は、喉から手が覗いていたのである。
豆しるの中でスプーンが溺死していました。それを助けるべく、わたしは白い花福豆をひとつずつ別のスプーンですくって口に入れています。しるの中に沈んでいるスプーンはあお向けで、うっすらとにごった水の中に静かに横たわっていました。たとえて言うなら、映画のワンシーンのような(美しい少年が屋上で両手を広げて、背中から眼下にスローモーションで、落ちてゆくというより降りてゆくというほうが正しいような)そんな死にかたで、そして舞い降りた先がプラスティック製の透明な容器で水深三センチほどの豆しるの中だったのです。
豆しるの中で溺死したスプーンの救出方法は、一緒に戯れている花福豆たちを少しずつ少しずつ容器の中から取り出してわたしの口に運び、うっすらとにごった水溶液の水かさを少しずつ少しずつ減らしてゆくしかなかったのです。ほら昔読んだイソップ童話の中に、水を飲みたいカラスがツボの中に小石を落としてゆくというのがあるでしょう? 少しずつ小石を落として少しずつ少しずつ、少しずつかさが増えてゆくツボの中の水。そうしてカラスはツボの中の水を飲むことが出来たのです。(その其れとは全く逆の方法です)
豆の入った容器を斜めに傾けたり逆さまにしたり、手を入れて直接溺死したスプーンに触れてはいけないのです。そういう決まりになっています。(それはわたしが決めました)
わたしは最初はうっとりと溺死の様子を眺めていましたが、このままほおっておくのはあんまりなので救出することにしたのです。白い花福豆をひとつずつ別のスプーンですくって口に入れていくのです。スプーンを救う為に食べ続けるのです。
ぼんやりとしていたスプーンの体が、うっすらとにごった水溶液の中で気を付けの姿勢をしたまま頭の方から空気中に顔を出しました。そしてゆっくり意識を取り戻し、身震いしました。どうやら気絶していただけのようです。
「アブナイアブナイもう少しで死ぬところだった。気をつけてくれたまえ」
お詫びにわたしはスプーンを弱酸性の石鹸水でやさしく洗ってあげました。
だけどわたしはこうも思ったのです。あんたがホントに死んだと言えるときはゴミ箱に捨てられた時だ、って。
「死んでなくても捨てられた時にあんたの死がやってくる」
もうタベモノをすくう(救う)ことも出来なくなるなんてね!
死んでいなくても死んだことにされているゴミ捨て場はだからとっても騒がしいのです。
青海原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
昔、別れの時に浜辺でこういう歌を詠んだ男がいた。
情景を書き出すと、
“別れの時がきた。夜に密かに街を出て、広大な青海原を目の前にする。もう、これで二度と会えないのだと、感慨の念がこみ上げ、漠然とした思いになる。ふと振り返ると、今まで世話になった春日の町が見え、その向こうの山には、いつしか月が出ていた。”
最初この歌を読んだとき、“ああ、素敵な歌だな”と思ってかなり興味を持ったものだが、ちゃんと本歌があって、私の解釈の仕方とはかなり食い違っていたので、とてもがっかりしたことがある。
「お別れだね。」
「……ああ……。」
プラットホームに、耳の中で反復するチャイムの音が鳴り響いた。私達は、電車を目の前にして動けずにいた。
足を一歩前に踏み出すことも、別れの挨拶を言うきっかけを掴むこともできずにただ、アタッシュケースの下に立ち並ぶ黄色いラインの凹凸を眺めていた。
こんな時、日本人の決断力の弱さが非難される。
”冬”を耐え切れば次には必ず春がくるという、日本列島特有の気候がその英断力の無さを助長させた。
私達は、互いに暗い顔でうつむきながら、この辛い別れの時をただじっと耐えている。
チャイムが鳴り終わる前だったか、後だったのか。その時、プラットホームから張りのある大阪弁のおばちゃんの声が聞こえてきた。
“早う乗り、閉まるよ。”
その時、私は思った。なんて風流な人なんだろう。 別れをいつまでも惜しむ者が風流を解さない人に促され、それを契機に別れるという現象は、伊勢物語にもあった。相手の気持ちを敬う日本人にとって、正に理想的な離別の仕方だったのだ。
私は、慌ててドアの間に踏み込んだ。
電車の中は、空いていた。重いアタッシュケースを引き上げると、彼女はドアまで近づいてきた。
「てっちゃん。」
「何?」
彼女は、綺麗な笑顔を浮かべていた。
「バイバイ。」
「……バイバイ。」
ドアが閉まる。彼女が手を振る。風景が回り出す。私は、それらを一連の活動写真のように見ていた。
……電車が駅の構内を出ると、その言葉を思い返した。
間違い無かった。あれは、彼女が滅多に使わない母国語で、僕を送り出してくれたものだったのだ。
“早う乗り”胸のつぶるる言葉かな
私は窓に寄りかかり、呟いた。駅はもう目では追えない。電車は、まっすぐに大阪を出た。
「君が持っている、それはなんだい? 卵?」
「そう。卵よ――トキの卵よ」
「トキって……天然記念物の!?」
「違う。トキ――時間の卵」
「ああ……時ね。で、その――時の卵が割れちゃうと、どうなるんだい?」
「時が止まるわ」
「へえ、そいつは一大事だ」
「……信じてないわね」
「いやいや、そんなことはないぞ」
「嘘」
「嘘じゃないって」
「じゃあ証拠を見せて」
「証拠って……ああ、そうだ。実はね、僕も珍しい卵を持っているんだ」
「……何の卵?」
「何だと思う?」
「人間」
「人間の卵か。確かにそりゃ珍しい。けど、残念ながら僕の持っているのは人間の卵じゃない」
「……じゃあ、珍しくないわね」
「そんなことはないぞ。よし、特別に教えてあげよう。――僕が持っているのは、信頼の卵だ」
「……信頼?」
「そう、信頼。僕の卵には、人を信じる心が入ってるんだ」
「……ふうん」
「あ、信じてないな、その顔は」
「……わたし、信頼なんて見たことないもの」
「うん、僕も見たことはない」
「……見たことがないのに、どうして中身が信頼だって解るの?」
「じゃあ、訊くけど、君のその卵の中に時間が入ってるって、どうして解るんだい? 僕は、時間も見たことがないよ」
「わたしはあるわ」
「へえ、それは凄いね。――ねえ、時間がどんなものなのか、僕に教えてよ。いいだろ?」
「……いいわ。じゃあ、これを持って」
「その卵を?」
「そう。気を付けて……そうしたら、ゆっくりと卵を耳に当てて」
「こう? ……あ」
「聴こえるでしょ……時間の音が……」
ザァァ サザファァ クスゥゥ クズスゥゥ
「ああ……聴こえる」
「これで信じた? これが時の卵だって」
「ああ」
「じゃあ、わたしにも信頼を見せて」
「いいよ。――もう少し僕に近づいて」
「……こう?」
「もう少し。顔がくっつくまで……ほら、聴こえるだろう?」
トクン ドクン トクン ドクン
「……うん」
「これが、信頼の音」
「……でも、わたしの中にも、この音があるわ」
「残念ながら、信頼の卵は、時の卵ほど珍しくはないんだ。僕だけじゃない。君も、誰も、みんな持ってる」
「そう……なの?」
「そう」
「……でも、知らなかった。わたしがこんな卵を持ってたなんて……」
「そうだな。みんな持ってる。だけど、それに気付いてる人は、とっても少ない」
「じゃあ、ありがとう。教えてくれて」
「どういたしまして。大事にするんだよ」
「うん……もう、行くね」
「ん……元気でね」
霧と新鮮な空気が漂う山中で、古い神社を自然と見付けた、参拝者のいない早朝。
門までの石畳みの階段は、気が遠くなる程長いのです。
やっと辿り着いた私は本堂ではなく、敷地の中央にある大きな窪みに綺麗な水が溜っているのを見付けて、そちらに行きました。
向かって右奥の木柱に、古びた箱があったので、私は何円か入れてお祈りしました。
「おい」
芯の太い声に私は驚いて振り返りました。
そこには西洋風の青年が立ってました。
「此処は賽銭を入れる所じゃないから」
怒られる気がしましたけど、どうやら元々怖い顔らしい。
「池に物を入れると金が出て来るんだぜ」
「へ?」
昼に近付くと、参拝客が池の前に長蛇の列を作ってました。
箱に物を投げるとその物は消え、代わりに池からお札が飛び出して持ち主の元に帰るのです。
私が呆然とその有り様を眺めてると、また先程の青年が来ます。
要らなくなった金目の物でも持って来てたら良かったのにとすねてたら笑ってました。
と、池から白い光が拭き出します。
皆は勿論驚きました。
そこから短い黒髪、可愛らしい少女が現れます。
彼女が地面に降り立つと、私と居た青年はすぐ走り寄って彼女を抱き締めました。
どうやら二人は恋仲、少女の方はもうこの世の人ではない様でした。
彼女との再会に喜んでいた青年はやはり西洋人のハーフで、恐らく神主の息子か親戚なんでしょう、彼女から坂本一派と言う単語を聞きます。
この奇跡にTV局が取材に来ます。
リポーターは女の人と堺正章でした。
でも、取材開始寸前、二人の前に彼女が現れます。
ふわふわ浮かんで、半透明でした。
「御免なさい、私そろそろ消えます」
私は慌ててあの青年の事を示唆すると、彼女は満面の笑みで言うのです。
あの人の記憶からも、皆さんの記憶からも私は消えますと。
今日は彼との杭を残さぬ様に来たのだと。
彼女は、自分が死んでから神社を離れない彼にやりきれない想いで、神社から外の世界に飛び出して欲しいと願っていたのでしょうか。
「本当に有難う御座居ました」
皆に向かいそう告げると最後に、彼女は私の方に会釈して微笑し、消えて行きました。
そこで目が覚めました。
あの世界の住民達はもう、誰一人彼女の事を覚えていないのでしょうか。
せめて私は、この夢を忘れる前に彼女の存在を文字に留めました。
それにしても彼女はどうして最後、私に笑いかけたのか。
何となく、早朝に賽銭箱に入れたお金が関わって来る気はするんですけど。
濃紺の闇が深々と少女の意識を浸食していく。何処からか今にも消えてしまいそうな光が射し、微睡みから引きずり出された少女は渋々瞼を開いた。薄闇に包まれた自室、それは目を閉じる前と何一つ変わらない風景だった。しかし、そこには目を閉じる前の静寂はなく、誰かの声がちいさく漏れ聞こえてきていた。隣室に寝ている子供への配慮なのだろう、必要以上に潜められた声は布団の中からは聞き取れない。気になって眼も冴えてしまった少女はベットから下りて、木戸の向こうに耳を澄ました。男と女のヒソヒソ話。女の方は、聴き覚えがある。彼女には一番身近で最も愛すべき人。(…お母さん?)少女が疑問に思ったのは、その女性が明らかに焦燥してたことだった。少女が知る限り母は何かに恐れをなした事はない。しかし紛れもなくそれは母の声であった。
「虫毒にやられたって? うちの人が」
引き絞ってやっと出した様な母の声色。夫の訃報に顔を曇らせる彼女の顔が見えた気がした。
「サリア女師の診療所だ。早く、行ってやってくれ」
静かで冷静な男の声。冷たい言い方に、釈然としないものを感じたが、当時の彼女にはこの事態を理解するのは難しかっただろう。
魔虫の毒の症状も知らなかったわけで、知っていたなら男の態度にも納得していただろう。(慌てたり、不安になる必要もない程の症状のおぞましさを知っていれば…)
「なんで、なんで虫毒なんて浴びたの? あの人」
「明日はカシュちゃんの昇殿式だろう? あいつ、そのために日割り草の葉を採りに行ったんだ。魔虫の出ない山を選んで、俺も行ったんだが、それでも虫は出た。俺には目もくれずにボヌーばかり…」
母はたまらず泣き出してしまったようだ。嗚咽が壁越しに伝わる。急に怖くなって、カシュは木戸を開けようとして、やめた。母の元へ行きたい。いつものように
「大丈夫だよ」
と言ってもらうのだ。優しく抱いて、頭を撫でてもらいたいのに、今の母にそれを願って良いものか、子供ながらに、子供だからこそ彼女には判断がつかなかった。木戸を少しだけ開けて、彼女は隣の部屋を―母を―覗き込んだ。泣いている。
「…済まない
…お母さん?」
うずくまる母の肩に腕を回している見知らぬ男。その男の言葉と同時に、少女カシュは母を呼んだ。当時の彼女にはこの事態を理解するのは難しかっただろう。子供ながらに、子供だからこそ彼女には
判断がつかなかったのだ。
下らない、話をしよゥ。
あれは僕が未だ小学生の頃だ。
その頃の僕は図書室に入り浸っては怪奇小説を読み耽る薄気味悪い子供で、でも首相の名前を云えない位にはあどけなさが残っていた。
その頃の、話を、しよウ。
確か5年だか6年だかの体格に差がつき始める忌々しい時期、僕はクラス内で変なものを発見した。
後々考えれば、良く在る話だ。
気が毅いわけでも腕潰しが強いわけでもなく只他の級友達よりも少し大柄で頑丈そうだったからそいつは其れを勝ち誇って生きて逝くしか無かった。
出来もしないのに。
四角い顔の癖に色白で細い目をしていて兎に角神経質そうだった。
母親か父親もそうだったのだろう。
体つきに似合わず甲高い声を良く発していたのだから。
けれど僕はそんな鬱陶しい小僧に何の用も無い。
向こうだってそうならば良かったんだ。
身の程知らずに。
寄りにもよって此の僕を御しやすいと視るなんて。
此の僕を。
ほんの少しの差で勝ち誇るには僕はあまりにも化け物なんだ。
腕っ節なんか関係なく奴は図書室の床に伸びた。
僕は手も足も進んでは使っては居ないよ。
只、来たのを避けて、掛けただけさ。
それなのに
あいつ其れで剥き出しになってしまった。
本当は只の臼のろだと云うのがばれて
後はもォ、推して知るべしさ
けれど図書室で争おうと云ったのも僕じゃ無い
僕は寧ろ給食室の前を薦めたんだ
けれどアイツは潔癖性だから土足を嫌がった
本当に馬鹿で、可哀想な奴。
それでアイツ、締めたんだ。
自分を笑った女の首を
チカ、とか云ったかな
小柄で茶色の髪を上で二つに分けて敏捷そうな彼女は口を動かすのも得意で
けれどけしてそんな非道いことを云うような子じゃ無いんだ
それなのに。
アイツ、力だけは在るのに思いっ切り締めたんだ
女の子の首なんてどれほど脆くて儚いか
そんな事ぐらい、解る齢だろゥ
蝶や蜻蛉の羽の、比なンかじゃァ、無い
後は推して知るべしさ
けれど彼女は死ななかった、それだけが救いかな
暫く白い部屋の住人は双つに増えたけれども。
そして僕らの教室は僅かな隙間が出来た。
杭止められなかった先生は、どうやら忌々しいらしい
一人には手紙を書いて、一人には忘れろと云った
けれど僕はアンタよりは聡くてその分不器用だからそんな下らない保身には付き合えない
だから僕は卒業の日に図書室の床で憐れみを乞うた
後はもォ、推して知るべしさ
リリィ、君も、知って居る事だろゥ?
僕は真っ逆様に 墜ちた。
私は1000時が好きだ、満足感がある。何と言っても24時で終わっていた頃よりもスリムに木はなり、山は低くなり、平らに横へ横へと伸びていき裾野の1部は海へ潜り、海中深くか会場彼方 向こうアメリカパールハーバーまで突き進むのか、と冗談をしている内にうまくうずまき状に収まり今では、サザエ壷と呼ばれ、観覧船が出来、行ったり来たりで帰り洋上停泊付で3時間計54時間プラス気まま。
サザエ壷は勿論、観光名物を持っている。で名は、サザエ壷せんべいだ。
当たり前すぎるが、サザエの壷焼き味煎餅にとうもろこしの醤油タレをほどこし、上はバターまでそえてある風味、今でも文を書きたくなる、好きです、サザエ壷、あなたは、せんべいなのですね、私の祖父の名はジュウベイでぇす、とミハリったが、今は正午今日の地球風物のまちがいは、地上の伸びを忘れてしまい慌ててサザエ壷を呼びつけ
「あなたを、地上楽の鉢巻棒に名づるとする。急げ1000時間の地上の伸びを」と飴職人のようにグルグルペタンと地上の真ん中をゆるませ、裾から引っ張らせた。
勿論給料は、サザエ壷せんべいを召して、サザエ壷の51時間気まま切符を永遠に上げた。今カウントは510だから、まだ間に合う25日払いの給料の納入計算を、私は企業。企業もだらけたものだ、昔はカウント240がメドで締め切りだったのを今はもう、556カウント〆。あっ悲鳴が、
「サザエ壷が原因で、これ以上地上を伸ばせない」と、サザエ壷が泣きわめき周りの空気が笑っている、何てかわいそうなサザエ壷。今度はリンゴの螺旋皮になっといで、まだ余るなら、西中島南方の団地の螺旋階段と会談しといで、その後まだ余力があるなら、淡路島近くの鳴門海峡の鳴門渦にもがかれて来て頂戴、あっ、決して明石海峡へは立ち寄るないように、明石大橋を日本全国の箸文明家へ速達して散らした後、ちらし寿司を寿司飯入れにいれ、うちわで扇いでいる内に、淡路島の名産たまねぎ様の領土を犯したのか、ツーンとたまねぎの匂いが、誰かが、たまねぎを!驚く。ちらしすぎたのが、後悔で、もう少しで、たまねぎ畑が飲み込まれる所だった。瓦は1枚残っていたぜ、とんでもなく出費で、30000個の家屋修理の確保を。果てしない、それ以来たまねぎは、島(本島)に住み着き、西洋っぽくシャンピニオンラディッシュオニオンと市手当てをあげた。国民年金手帳もあげた。それより、サザエ壷、「溶岩、今はいい波よ」ザブーン。
私は夜の海が好きだ。
昼の海はきらきらまばゆい光を乱反射させて、あたかも磨き上げられた鏡面の如き美しさで私に迫ってくる。波はこれでもか、これでもかと規則的にしかも果てしなく打ち寄せ打ち返し、そこには一片のやましさも何もない。
そこにあるのは、ただ実に健康的な正しい迫力のみである。
夜の海は、昼とは全く違う表情を見せる。
暗闇に光る波には粘り気があるように見え、触れればねっとりと手にからみついてくるようだ。
太陽の下では規則正しくひびく波の鼓動も、月光の下ではどこか気だるさをともなう。もうやめようか、もううちよせるのをやめてしまおうか。そんなつぶやきが聞こえるようだ。
波に濡れて光る砂はどことなく鈍い輝きを放ち、しかしその水面は月光を反射してただ美しい。
下弦の月夜、午前2時。決まって私はこの浜辺にやって来る。
出かけると言っても海は家の目前、寝間着につっかけでふらっとさまようだけだ。
山際にある少し大きな岩。そこに腰掛けて私は潮が満ちるのを待つ。
凪いでいる水面にさわさわと気配が走り、そしてもう私の後ろにはあなたがいる。
あなたは私のそばにそっと近づき、静かに岩に腰を下ろす。2人並んでただ海をみる、ただそれだけ。
私はあなたの目をそっと見る。あなたも私の目を見つめている。日常生活では他人の目をまっすぐ見つめる事ができない私が、なぜかこの時だけはあなたの目を真正面から見つめる事ができる。
あなたの目の中にゆらぐのは・・・この夜の海よりも更に暗く、深い闇。
その救いのなさに耐えきれずに私は目をそらし、波打ち際に歩き寄る。粘性のある波を手ですくう。手のひらの中の水はとどめられずにただ指の間からこぼれゆくばかり。それが切なくて、私は何度も波をすくう。
何度も何度も水は指の間から落ちていく。耐えきれずに後ろを振り返ると、もうあなたはいない。
言葉を交わすこともなく、手を触れることもない。ましてやそれ以上などと。
その理由は私だけが知っている。現実世界で会ったことがないあなたの体はこの海の底奥深く。ついこないだのことか、何百年も昔のことか、それは知らないしどうだっていい。あなたは私と邂逅するためにこうやって砂浜に姿を現す。互いに惹かれ、かよいあう魂がそこにはある。
それ以上でも以下でもない、それだけでいい。
天空には下弦の月、ほのかに浮かび上がるのはさっきまであなたが確かに座っていた岩肌と、なまめかしく濡れた砂浜。
自分の机の上に置いてある、卓上カレンダーを一枚めくるたびに、僕はため息をついていた。
そして、今日で三月が終わる。明日の朝になれば、一枚めくる事になるだろう。
別に、時間の進みを拒んでいるわけではない。
本心を言えば、めくる事は好きなのかもしれない。
めくる事によって、一ヶ月間も見つづけて飽きた写真が変るし、数字の並びも変るからだ。
なぜ、ため息をつくかというと。
必ず一ヶ月の間に、誰かの誕生日があるからだ。
気にしない人にとっては、ただの一年の一日なのかもしれないが、僕にとっては、とても大切な日にしか思えない。
だから、僕は、友達や家族の誕生日を一年の初めにカレンダーに書き入れ、毎月来る誕生日に贈り物を渡している。
僕の中では、誕生日はその人にとって、絶対に大切なものだと思うからだ。
もしかしたら、贈り物を渡す事によって、僕との関係を続けて欲しいという願いもこもっているかもしれない。孤独というものを苦手とする僕にとって、赤い糸を結んでもらうための契約なのかもしれない。
だから、僕は、知っている誕生日の人には、必ず贈り物を渡した。
そんなことを毎月続けていると、一年に一回、僕の誕生日がやってくる。
僕の誕生日は、自分では、気になる事は無い。
逆にいえば、同じ月に生まれた、他の人のことを考える事が多いほうだ。
でも、その日はやってきてしまう。
ここで、いつも疑問になるのが、僕には誰からも贈り物が来ないという事だ。
別に期待していないといってしまえば嘘になるが、やはり、期待しているものだ。
だから、贈り物が来ないと僕は、孤独の文字に押し付けられる。
そして、孤独という文字を背負った僕は、必ず、海へと出かける。
波の崩れる音が好きだからだ。
毎年、こんな風に海に来ていると。
毎年、海から贈り物が来る。
その、贈り物が僕にとって、大切なものなのだ。
僕は食べ物の中だとハンバーガーが大好きで、でもママはあんまり体に良くないからってあんまりハンバーガーを食べさせてくれない。
僕はハンバーガーが大好きだけど、ハンバーガーにはピクルスっていうのが入ってるときがよくある。だいたいがそうだ。
そういうとき僕はピクルスは食べないで最初にハンバーガーから出す。
理由はピクルスが嫌いだからだ。まだ食べたことないけど。
でも僕がピクルスを出すとママは怒る。そして僕がハンバーガーから出したピクルスをおいしいって食べる。ママはおかしい。
ハンバーガーみたいな大好きなものにもピクルスが入ってて、だから大人はハンバーガーを食べるためにはピクルスが嫌いでも一緒に食べなきゃいけないんだ。
それは人生みたいなものなんだと思う。よくわからないけど。
そして、ピクルスが好きなママみたいな人がいるのもたしかなことだ。そういう人の人生はまたちょっと複雑なのかもしれない。
もしかしたら、ピクルスを食べたくてハンバーガーを食べる人もいるんだろうか。そんなのやだなぁ。でもそんな人がいないとは限らない。だって世の中は広いから色んな人がいるからだ。
それを教えてくれたのはパパだった。夜にパパとママと3人で寝るときにパパはそれを教えてくれた。
パパは「世の中にはいろんな人がいるんだ。だから色んな人と会って友達になるといいぞ」って言った。
僕はそうしようって思った。それからパパは「でも結婚の相手だけは、よく選ばなきゃダメだぞ。じゃないとパパみたいになっちゃうんだ」って小さな声で言って笑った。
そしたらすぐにママの枕がパパの顔に飛んでった。
僕はそれがすごく面白くてずっと笑ってた。もちろん本当はパパとママがすごく仲良しだって知ってたからだ。
僕は食べ物ではハンバーガーが好きだけど、人ならもちろんパパとママが一番好きだ。
世の中には色んな人がいる。そして色んなことがある。
だから、パパとママが離婚するってなったときも、そういうこともあるんだろうって思った。世の中が広いせいだ。
パパもママも本当は仲良しだって知ってるから、別に泣いたりしなかった。僕はそんなに子供じゃない。
僕はハンバーガーが好きだから、今日からはピクルスを抜かないで食べた。
ピクルスは思ったより苦くなくて、食べてしまえばこんなものかって思った。
でもなんでか涙が出た。人生には苦いピクルスもあると思った。
「ねえ、第二中隊の蒲生曹長戦死したってね」
「・・・」
「おれ、あいつに金かしたままなんだよね」
「・・・」
「なあ、どうにかならんかね」
「・・・すこし、黙っとけ」
「でも二万だよ」
「二万も五万もねえ。っていうか任務中にゴチャゴチャうるせえんだよ」
「何でおれらだけこんなとこ残されてんだろ」
「しらねえよ。小隊長の虫の居所だろうよ」
「なんでおれまで」
「仕方ねえだろ、狙撃手と観測手でワンセットなんだから」
「おれすることあるの?」
「貴様が俺の背中を守るんだよ」
「あんたは仕事だからいいけどさ、観測手なんて資格いらないじゃん。なんでおれなん?」
「っていうかもう黙れよ。貴様の息でスコープ曇ってきたんだよ」
「ガモウの野郎、死ぬって分かってて金借りたんだぜ、きっと」
「おまえなあ」
「あっ!今動いた!」
「何!何処!」
「ほら!あのクスノキ、右下!」
「何処だ!何処!?」
「ほら!」
「畜生、見えねえ!」
「ああ、もう動いてない」
「見間違えじゃねえだろな」
「・・・わかんないけど」
「おい、タバコなんて吸うんじゃねえ」
「いや、なんか緊張して・・・」
「何で貴様が切羽詰ってんだよ、俺の方が緊張してんに決まってんじゃねえか!」
「ああそうか」
「そうかじゃねえよ。敵に居場所教えてどうすんだよ」
「ねえ、おしっこしたくなってきた」
「我慢だ」
「だって、限界近いよ」
「いいか、一寸でも動くんじゃねえぞ」
「な、すぐ戻るから」
「貴様、このカモフラ何分かかったと思ってんだよ!」
「戻ったらちゃんと直すから。ね」
「ね、じゃねえよ。おまえな、もう少し緊張感っていうか・・・」
「いや、緊張してるからこそおしっこも・・・」
「ああもう!いいか、どうしてもしたかったらそこでしろ!」
「あんま大声出さないほうが・・・」
「うるせえ!畜生、クソッタレ!なんでこんな奴に・・・」
「いやだなあ、大きいほうはまだ・・・」
「ほんと、殺すぞ、マジで」
「あ、今動いた」
「またか、何処だ?」
「さっきんとこ」
「木の下か?あ、動いたな」
「ほら、いるじゃん」
「よし、敵だ。まず2人」
「おれらホント、貧乏くじ」
「やかましい!いいか、本管に打電。敵勢力確認」
「了解。えー練馬5より練馬2・・・」
「もういい。いくぞ・・・命中」
「確認」
「次・・・命中」
「確認」
「よし、成功」
「うわ、当たったね」
「ああ」
「・・・ねえ、死んだら、どこいくのかな」
「知るか」
「おれ、漏らしちゃったよ」
「ああ・・・俺もだよ」
地震がおきたとき、わたしは一人で部屋にいた。地震はかなり大きくて、縦に揺れたと思ったら、今度は横にゆさゆさと揺れた。そのとき、わたしはあいつのことしか頭に浮かばなかった。
わたしは腰がぬけていた。あいつの顔を思いうかべながら、なにか祈るような気持ちで地震がおさまるのを待った。ようやく静かになったとき、わたしは少し涙ぐんでいた。
何か音楽が聴こえてきたような気がした。「なんだろう」。そう思ってしばらく耳をかたむける。曲は、「I want you」。あいつからもらったオルゴールの曲だった。この地震でオルゴールがひっくり返って、フタがあいたようだった。
はじめてあいつに抱かれたとき、たまたま地震があった。わたしは気が強いと思われているけれど、地震や雷にとても弱くて、かなりうろたえてしまった。あいつはわたしを抱きしめてくれて、だいじょうぶだよ、と言ってくれた。それがなんだかとても頼もしくみえてしまったのだ。向こうもわたしを意外とかわいい女だと思ったらしい。恋愛なんてこんなもんである。
あとであいつの汚いアパートへ行ったとき、線路のすぐそばで、電車が来るたびに騒音と振動がした。地震のときにあわてなかったわけだ、と納得した。それ以来、恋の魔法? は少しずつはがれはじめたようだった。
はじめてのプレゼントは、オルゴールだった。なんでみんな男はオルゴールを女に贈りたがるんだろう。そしてあまり嬉しそうな顔をしないと必ず言うのだ。「かわいくねえなあ」、と。いちおう喜んだふりをすると、あいつは単純に嬉しがっていた。あいつがずいぶんつまらない男にみえたものだ。
あいつとはつまらないことでケンカして以来しばらく会っていない。べつにこれっきり自然消滅しても、わたしは後悔しないだろう。でも、いま頭にうかぶのはあいつのことばかりだ。しずかに涙が頬をながれていく。地震のせいなのか、あいつのせいなのか、もうよくわからない。
そのとき、ケータイの着メロが鳴った。ケータイはどこに置いただろうか。音に耳をすます。曲は、「I want you」だった。
「犬好きに悪い奴はいないって言うが、ありゃとんでもねぇ偏見だ。俺は盗人だが、犬は大好きだぜ。どのくらい好きかって?今日はその話をするか。
あの朝、電器屋の倉庫を叩いた帰りに、俺はあの喫茶店に入った。徹夜の仕事で疲れててな、熱いコーヒーが飲みたかったんだ。俺はカウンターに座ってコーヒーを注文した。一口啜ってふと隣りを見ると、どうにもパッとしない女が座ってた。30前後ぐらいに見えたが、顔なんかまるで覚えちゃいねえ。とにかく地味な女だったぜ。そいつがな、足元にバッグを置いてるんだ。どっかのブランド物のハンドバッグさ。ここは平和な国だ。普段なら何の問題も無いだろうよ。だが俺の前では不用意過ぎる。あれじゃ盗ってくれって言ってるようなもんだ。俺はコーヒーを飲み干すと、女のバッグを掠め盗って店を出た。当然だろ?隙を見せるほうが悪いんだ。
俺は家に帰ってからバッグを開けた。けどその中には、財布どころか金目のもんは何も無かった。手帳とか化粧品とか読みかけの文庫本とか、そんなもんに紛れて、あのアルバムが入ってたんだ。アルバムって言ったって、ちゃんとしたやつじゃねぇよ。あの、ペラペラの紙で出来た、写真を現像するとタダで貰える、安っぽいアルバムだ。俺はまったく無防備にアルバムを開いた。後悔してるよ。あんなもん見なきゃよかった。どんな写真が入ってたと思う?犬の写真だよ。どれもこれも、40枚全部、1匹の犬が写ってた。俺は途端に嫌な気分になった。なんだか自分がひどく卑しい人間に思えちまったんだ。それで俺はどうしてもあのアルバムを捨てれなかった。持て余して、結局交番に届けることにした。今にして思えばとんでもない間違いだ。でもあの時はなぜかそれが正しいと思い込んでたんだ。
それでこのザマさ。おまわりが俺の顔を覚えてやがった。ずいぶん前に指名手配されてたのを、そのときようやく思い出したよ。まったくあの時は、本当にどうかしてた。
何もかも、あの冴えない女のせいだ。……あの表情。そう、顔は忘れたが、あの表情だけは覚えてる。今までに見たこともない表情だった。アルバムの最後に、1枚だけ人間が写ってる写真があったんだ。本人が、たぶんセルフタイマーで撮ったんだろう。犬を抱いて笑ってる女の写真だ。それがなんとも奇妙な笑顔だった。女は確かに笑ってるんだが、あれは、何て言うか……、そう、まるで、泣いているように見えたな」
JR池袋駅から私鉄電車に身を預けて30分。
この辺りもまだまだ都心通勤圏である。駅の周りは思った通り繁華街が広がっていた。
「すみれ幼稚園の辺りまで」
タクシーの運転手には、上司から教わった通り告げた。
運転手が料金メーターのスイッチを入れ、タクシーは駅を後にした。
この会社に訪れるのはこれで2回目だ。
普段は、担当者であるこの会社の社長が私の会社の事務所までやって来るので、殆どの事が足りてしまう。
だが、今回の仕事は急を要した。
「いやぁ、すいません。わざわざご丁寧に。木内です」
名刺には専務と刻まれていた。息子と聞いていた。
30過ぎ。短髪。眉毛に僅かな剃り込み。幸か不幸か父である社長によく似ている。
「社長は外出したんで、サンプルは私が預かってました」
「伺ってます。これがそのサンプルですね」
「ええ。ま、お座り下さい。狭いところですけど」
テーブルの上には週刊誌が重ねられている。その横にサンプルを広げて簡単な商品打ち合わせを行った。
「有難うございました。次ありますので、そろそろ失礼させて頂きます」
「じゃぁ駅まで送りますよ」
「そうですか。すいません、お言葉に甘えて」
「クルマ廻します。外で待ってて下さい」
裏口に向う彼。
問題はその車だった。
現れた車は日産プレジデント。窓ガラスにはぶ厚いスモークが貼られ、タイヤホイールは激しく光り輝いている。
無論、車高が非合法の低さであることは言うまでもない。
完全なヤンキー車だった。
「違いますよ。後ろに乗って下さい」
なぜか後部座席に促され、車はゆっくりと発進した。
運転は丁寧極まりなかった。
駅に到着したプレジデントが静かにロータリーを半周する。嫌が負うにも一帯の注目を浴びている。
「待って下さい、私が開けますよ」
車が停止し、自らドアを開けて降りようとすると、運転席から飛んできた丁寧発言。
冗談じゃない。
ただでさえ作業衣を着ているあなたが、そんなことをしたらどうなる。 「兄貴、行ってらっしゃい」とでも言うつもりか。
「ありがとうございました。社長によろしくお願いします」
迅速に車外へ降りる。彼も運転席から外に出た。
「お疲れさまっス」
勢いのある声が一帯に響き渡った。
聞こえないよ。僕知らないよ。
先日、某人物の日記において、”近年の女優さん達がジュースをがぶ飲みする事に違和感を感じる”と書かれているのを発見した。その時、私は頭の中で確か印何か”ピッ”と感じる物があったのだが、その時は疲れていたせいか、その理由に付いてどうしても頭が回らなかった。
「がぶ飲みか」
考えてみると、我が家は絶対に直接口を付けては飲み物を飲まない。結婚前旦那は牛乳パックだろうが、ペットボトルだろうが全く気にせず容器に口を付けて飲んでいたが、子供が生まれた事をきっかけに意を決し、旦那にこう言い放ったのをよく覚えている。
「言いにくい事なんだけど、口を付けた容器の部分から飲料の部分へ雑菌が繁殖する可能性があるので、今後一切子供の為にがぶ飲みはしないで貰えます」
子供の為だから。と言う言葉に旦那は弱い。娘はと言うと私ががぶ飲み禁止教育を徹底して行った為、必ずペットボトルの中身をカップへ移してから口へと運ぶ。友達の家へと行っても目の前にカップがないとどうしても落ち着かないらしい
「カップ下さい!」
可愛くお願いする。
カップを洗う手間は生まれるが、こうした小さな努力が大切なのである。
口は足の裏の次に汚い。雑菌の温床なのだ。特に三歳の娘は口の中の菌の数がまだ少ない状態なので、親の虫歯菌を含むミュータンス菌が娘の口に繁殖したら最悪の場合虫歯や口臭を発生させてしまう可能性もある。そう考えると当然の配慮なのである。
「飲み物だけでは無くちゅーも、口では無く頬にする事を心がけましょう」
実際娘は今月末四歳になるが、現在まで一本の虫歯も存在していない
昔の人は生活習慣と言う形で、容器に口を直接付ける事の危険性を知っていたのかもしれない。だから「みっともない」と連呼する事で、家族の皆を守ろうとしたのだと思う
一年程前に慎吾ママがマヨネーズに直接口を付けて飲むシーンを見た時は私自身恐ろしい程の違和感を感じ、「あんな事して雑菌は繁殖しないのか?」と不安になっしまったが、この件について、知り合いの栄養士に意見を聞くと、どうやらマヨネーズについては口を直接付けても大丈夫であるようだ。口についた雑菌が例えマヨネーズに移動しても、中に含まれる酢の成分によって、雑菌は数分で消滅してしまうようである。
自然と生活の中で感じる違和感。あの時思い出せなかった事はこう言う事だったのか、と改めて頭をかき、私は仕事へと戻ったのでした。
「おい、弟子よ」
「なんでしょう、お師匠さま」
「人間が人間たる所以はなんじゃと思う」
「……またですか、お師匠さま。私は眠いのですが……」
「答えたら眠らせてやる。何をもって人間と称すか」
「分かりましたよ、ええと……考えれば、ではないでしょうか」
「いや違う。鳥や獣でもものを考えて生きておるじゃろう」
「……鳥や獣が考えているかどうかなんて、お師匠さまに分かるんですか」
「何をもってか」
「すぐごまかすんだから……分かりましたよ、降参です。今日のは何が言いたかったんですか」
「なんじゃもう終わりか。情けないのう」
「はいはい分かりましたから、さっさと解答してくださいよ。私は眠いんですから」
「うむ。まず弟子よ、そなたは自分が人間であるという事を知っているな?」
「……ええ、まあ」
「うむ。わしも知っている。これは、鳥や獣にはできまい?」
「………ええまあ、たぶん」
「つまり、自分が何者であるのかを認識するもの、これこそが人間であると言えるのじゃ。決して、直立二足歩行するものが人間であるわけではない!」
「……そうかもしれませんね。で、結局何が言いたかったんです?」
「うむ。そこでこれなのじゃが――」
「……猫ですか」
「そうじゃ、猫じゃ。だがこの猫はただの猫ではないぞ。稀に見る非常に賢い猫じゃ」
「はあ。それがなにか」
「この猫の驚くべき点は、なんと自分が猫であるということを知っておるという点なのじゃ!」
「……………はあ」
「自分が何者であるのか知っている、即ち、人間であるという事にはなるまいか」
「まあ、そう思うなら良いんじゃありませんか」
「して弟子よ」
「……なんです」
「実はの……」
「猫なら飼いませんよ」
「…………………………………………」
「やっぱりそうでしたか。私はお師匠さまを尊敬してますけどね、いきなりくだらない事で訳の分からない議論に巻きこむのはやめてくださいね」
「しかしの、弟子よ――」
「しかしも案山子もありません。我々の財布がどれだけ軽いかご存知なんですか?
あ、床下でこっそり飼うなんてのも駄目ですからね。全くいい年して子供みたいなんだから……」
がっくりと肩を落とした師を残して、弟子はやっと数時間の安眠を手に入れた。
川がある。そんなに広くない。
両岸に立ってキャッチボールが出来るくらい。
川底はコンクリートで出来ている。
だから川と言うより、本当は排水溝だ。
でも水はきれいで、水量もたっぷりなので、いい感じだ。
ちゃんと流れている。
その、川縁の道を歩いていく。
「その水飲んじゃ駄目よ」
「川の?」
ミカが僕の提げたコンビニの袋を指す。
「なんで?」
「飲むために買ったんじゃないの」
「そうなの?」
「そう」
僕らは川上に向かって歩いていく。
ふと見ると川上から何か流れてきた。
プカプカと浮かんでいる。
「鴨だ」
「真鴨ね」
「真鴨だ」
緑色の頭をしている。
流れに逆らうように、水中で水掻きをバタバタしているのが見える。
が、全然駄目。
くるくる回って、あっという間に流されていった。
ちょっと面白い。
そう言おうと思ったら、もう、次の鴨が流されてきた。
今度は頭の茶色い雌だ。
彼女もさっきのと同じように水掻きをバタバタやっていたが、無駄な抵抗だった。
クワッと一声残して、流されていった。
「何なの?」
「鴨だよ。川に流されてる」
「そうじゃなくて、ほら」
ミカが川上を指さす。
なるほど。
見ると、川上から次々と鴨が流されてきている。
オモチャのようにも見えるが、多分本物だ。
グワグワ鳴く声も聞こえる。
大抵は一羽ずつ順番に流されてくるが、時々は二、三羽がまとまって来る。
どっちにしろ皆、抵抗空しく、水面をくるくる回って流されてしまう。
僕らは立ち止まって、しばらく鴨の川流れを眺める。
三十羽ほど流れてから、ミカが言う。
「なんでかしら?」
「流れが急なんだよ」
ミカが黙って僕の顔を見る。
何か言いたげだが、何も言わない。
そうしてる間にも二羽流されていった。
「なんで飛ばないのかしら?」
「ああ、確かに」
また、一羽流されていった。今のは雄だ。頭が緑。
「アヒルじゃあるまいし」
「え、アヒルって飛べないの?」
「そうよ。知らなかった?」
知らなかった。
だからいつも歩いてるのか。
ミカが辺りを見回し、何か見つけた。
「わかった。あれよ!」
「何?」
ミカの視線の先に目をやる。
その、アヒルがいた。
白いスーツに黄色いブーツのあの鳥だ。
反対側の岸の上からじっと鴨の川流れを観察している。
と、言うか監視している。
時々、不機嫌そうにガアガア言う。
「やっぱりね」
「何が?」
「あいつのせいよ」
アヒルが僕らに気付いて顔を上げる。
アヒルと目が合った。
鳥類との気まずい沈黙…。
そうしている間にも鴨達は流されていく。
私は当時、「春を売る女」と呼ばれた娼婦と同じ東洋人の男として注目を浴びていた。当然、私は東洋人の高級娼婦の存在を知っていたが、それ以上に得したことなどなかった。
だから、私は彼女に会うまでは興味など沸かなかったのかもしれない。
私と彼女が会ったのは、彼女が丁度失恋した時期で東洋から輸入された桜が散る季節だった。私は、その当時は貧乏な作家だったので食う物にも困ってバイトをしていた。
出会いのきっかけは、ほんの偶然。ただ彼女が私と同じ黒髪だったから、と言う事だけ。
「何、あなた東洋人なわけ?」
と彼女がそう言うと、私はゆっくり頷いた。
「なんだ、仲間なんていたんだ」
彼女からは甘い香水の匂いが漂っていて、私は顔をしかめた。彼女が失恋した理由など、噂に疎い私でも嫌々聞かされる。街の噂好きなおばさん達の話で手に取るように分かっていた。
何十回目の彼女の恋愛はまた『東洋人』だからと言う事で切り捨てられたらしい。
「あなたのその黒い髪の毛なんて大嫌い」
突然そんな事を言われても、私にはどうしようもないことである。
「それでも、生きなきゃいけないのよね」
私は彼女の言葉にほとんど応えようとはしなかった。慰めなんて彼女には必要のないことだと分かっていたし、私自身どのように慰めれば良いか分からなかった。
「――――ねえ」
彼女は私の腕を掴んだ。泣き明かした虚ろな瞳は私を見上げた。私はその色っぽさにどきまぎしながら目を合わせた。
「ここから、私を連れ去って…」
鼻を刺す甘い香水の匂いと耳を舐めるような甘い言葉は当時の男達には魅力的だった。しかし、まさかそれを私が受けるとは思いもしなかった。
私は、拒否をすることは出来なかった。だから私は、彼女を連れ去った。
当然、連れて逃げたと言っても世を賑わす怪盗でもあるまいし、違う国に高飛びしたと言う訳ではない。
私に出来るのは、ただ何もせずに彼女のそばにいて手を握ってあげることだった。彼女はそれに不満を抱かなかったが疑問に思ったのだろう私にこう訊ねた。
「どうして、私を抱かないの?」
「体目当ての男だと思われたくはないから」
そして、私達はひたすら黙って空を見上げた。彼女の熱は私に伝わって、私の熱は彼女に伝わった。
当時、私は十九歳、彼女は二十歳。…幼い二人だった。だから働かなければ生きてゆけなかった。
彼女は今日も春を売っています。…私は空を見上げました。
みやげ物屋から出てきた僕は、ため息と共に傍にあったベンチへ腰掛けた。
僕の目の前を、観光客を引き連れたミッキーマウスが闊歩していく。
それを膝に頬杖をつきながら見届けると、もうひとつ塊のようなため息を吐いた。
……ここは人が多すぎる。
もともと、人ごみは苦手なのだ。
パレードやら、シンデレラ城やら、なんだかんだ。
普通の遊園地なんかよりは遥かに面白いのだろうし、ロマンティックであるのかもしれない。
しかし、僕の性には合わなかった。
何処か田舎の澄んだ河原で一日中昼寝したい。
そして夜には寝転がったまま、藍色の空に星を数えるのだ。
その方が僕にはずっと合っている。
目の前を往来していく人の群れ。
例外なく楽しそうな人々の中で、僕に気を留める人は誰一人としていない。
苦笑する。
自分はこんなにも顕示欲が強かっただろうか。
今まで騙し騙し生きて来れたはずなのに。
ただ群集の中にいるだけで不安に駆られる自分が、少し滑稽だ。
群集の中の孤独は、孤独より孤独で。
それを知っているが故の不安。
通りの向こうを駆けて行く子供が、持っていたのカップからひとつ、ポップコーンを落とした。
ポップコーンはあっさりと地面に舞い落ち、子供はそれに気付かずに行ってしまう。
例えそれに気付いたとしても、落としたポップコーンは、食べられない。
そのポップコーンを見つめつづけた。
意味なんてない。
ただ、その孤独なポップコーンに、自分自身を投影してみただけだ。
いっそ踏まれてしまえ、と思った。
絶えない人の流れの、そのどれかに。
誰も踏まないでくれ、とも思った。
ただ少し道から外れただけの、哀れなそれを。
そして、きっと踏まれてしまうんだろうな、とも思った。
激しい往来、行き交う人々、交わされる弾んだ会話。
踏まれなかった。
いつまで経っても。
やがて、皆がみやげ物屋から出てきた。
彼等は口々に僕を呼び。
僕の考えていたことは一時の気の迷いなんだって、気付かせてくれた。
何気ない言葉が。
どうやら、もう行くらしい。
僕は最後にポップコーンを見、
「ありがとう」と告げた。
誰にも聞こえないように。
一時でも僕自身であったポップコーン。
それに、自分自身で引導を渡そうと思った。
思いっきり、この上なく、踏み潰してやろうと思った。
なんの迷いもなく生きていけるようにと、願いを込めて……。
そして、僕はそのポップコーンへと近づいて行k
どっかのガキがポップコーンを踏み潰して走り去っていきました。
あ。
何しろ10年ぶりの帰郷である。正確には11年。第3希望の大学に合格して、一人暮らしをするためにあの町を出たのは18の時であった。
そして再び、あの町で暮らすために帰っていくあたしは、今年ついに30を迎えるのである。
はあ…ほんとうに、あたしが、「ミソジ」?
11年の月日の間にはまったく、色々な事があるもので。
妹は国際結婚し、2年ともたずに破綻。現在はあの「9月11日以降」のニューヨークで職探しをしている。父は昨年末、末期の前立腺ガンが発覚。もはや手術も効かない状態とあって、せっせとアガリクス茸の錠剤(濃縮液体やら何やら様々にあるけれど、ウチの母親いわく、乳酸発酵処理をした錠剤が一番イイんだって)を飲み込む日々である。
あたしはと言えば。東大を卒業して、そのまま院に進み、ロシア文学の研究という何とも時代錯誤的なことをやらかしていたのだけど。出会い系サイト(注、ケータイの、ではない)で今のダンナと出会って半年で結婚。瞬く間に2児の母となり…、博士課程まで進んだ学業の方は、出産・育児のための休学を繰り返して、今はもう何だかよく分からない状態になっている。
そもそもこの度帰郷することになったのも、ダンナが3年勤めた仕事を辞めて(ダンナはコッカコウムインであった)、教師の職につきたいと言い出したからである。2児の父でありながら、この言わずと知れた就職難の時代に、特権階級的な職をなげうち、教師になりたいという夢を追うという…その非現実さといい。彼の両親はその夢の実現のために、あたしたち家族の1年間分の生活費を貸そうと申し出た。…その甘さといい。あたしの両親は、折しも売出しに出た、自宅マンションの上階の空き部屋に住んだらどうかと提案し、手際よく代理人契約を済ませ、手付金だけ払ってくれた。…その、いかにも子を思う親の仕業のようであり、その実すべて「何とかしてかわいい孫をそばに置きたいがため」の策略ではないかとあたしに疑惑を抱かせずにはいられない…鮮やか過ぎる手並みといい。
まったくもって、小説のようではありませんか。
そもそもあたしはいつだって、ゲンジツから逃れようとしていた…夢の世界へ。しかし、この現実がそもそも夢のようであるのだと気付いたのは、20歳になるかならないかの頃。1つ年上の男と、苦しい恋愛をしていた頃のことだったと思う。
−だからあたしに夢のことなんて聞かないで。
少年は羊の毛皮を売るために、隣町の大きな市場へ行きました。とても活気のある市場です。その中でも一際目立つ太っちょ商人が、大きくて甲高い声で盾を売っていました。
「さあさあ、この盾を御覧あれ。そこらへんの盾とは全然違う。どんなに鋭い槍だって軽〜く跳ね返す、この世で最高の盾だ!」
と売り文句。すると、隣に居た筋肉ムキムキ商人が血相を変えてこう言いました。
「最高の盾だと?笑わせるな!俺様が売っているこの槍は、どんなに頑丈な盾だって糸も簡単に突き通す最強の槍だ!」
二人の商人は、おでこを突き合わせて睨み合い。あっという間にたくさんの野次馬が集まりました。すると、野次馬の一人が言いました。
「その最強の槍で最高の盾を突いたらどうなるんだ?」
二人の商人は、それならばと槍で盾を一突き!するとどうでしょう。槍は木の枝の様にポッキリと折れてしまいました。ムキムキ商人は、そんな馬鹿な!という顔。太っちょ商人は、俺様が一番だと言わんばかりに得意気に笑っています。ムキムキ商人は慌てて店をたたんで町の外へ逃げてしまいました。周りに居た野次馬達は我先にと、最高の盾を買いました。盾はあっという間に完売。太っちょ商人は、うれしそうに町を後にしました・・・。
毛皮を売り終えた少年は、村へ帰る途中に、あの二人の商人が一緒に歩いているのを見かけました。
「今日はボロ儲けだったな!」
と太っちょ商人。
「明日は別の町へ行こう。今度は槍をたくさん売るぞ!」
とムキムキ商人。なんと、二人の商人はグルだったのです!
4月23日火曜18時。私立高校五階音楽室での雑音。
「ねぇ先生、知ってる? あたし香川と別れたの」
「用が無いならもう帰れ」
「そんで今度は東間があたしのこと好きなんだって」
「どうもオメデトウ」
「何よ、妬いてくれないの?」
「子供は暗くなる前に帰りなさい」
「ムカつく」
「それは失敬」
4月27日金曜15時。ファーストフード店二階女子トイレでの雑音。
「ねぇ知ってる? 1組のアオモリ」
「3組のカガワと付き合ってんでしょ?」
「それが違くて、カガワのダチのアズマ」
「ウソ、なんであんなヤツがモテんのォ?」
「ユウコだってモテるじゃんかァ。ていうか今日のグロス超可愛くない?」
5月5日月曜正午。私立高校一階職員室での雑音。
「ねぇ先生、知ってる? あたし東間と別れたの」
「それはそれは」
「それで山口があたしと付き合いたいって。スゴクない?」
「じゃあもう帰れ。暇なら山口誘えばいいだろ?」
「妬けるでしょ?」
「どう見える?」
「そう見える」
「コンタクト合ってないのか?」
「ムカツク」
「ご自由に」
5月9日金曜深夜。カラオケボックス四階女子トイレでの雑音。
「ねぇ! 二年のアオモリ。今度は六組のヤマグチだってェ」
「マジ?」
「マジマジ、本人から聞いた」
「なんであんな普通の女がぁ?」
「男は普通の女好きじゃん。それよりさァイイ男いなくない? やっぱ合コンは駄目」
5月15日水曜19時。私立高校駅前の交差点での雑音。
「ねぇ先生、知ってる? あたしが山口達と別れた理由」
「知らない」
「本当は知ってるんじゃないの?」
「シリマセン」
「あたし先生が好きなの」
「……それはそれは」
「照れてる?」
「別に」
5月25日土曜14時。某デパート一階女子トイレでの雑音。
「ねぇ、知ってる? アオモリの噂。皆ウソだったらしいよ」
「マジィ?」
「本当は数学のォ、若い方」
「若いっても三十過ぎじゃん」
「狙ってるって」
「ゲ、趣味悪ゥ」
「そいつ妬かせるためのデマだって」
「じゃミサ、アズマ狙おうかな」
6月1日土曜夜。駅近くのマンションでの雑音。
「ねぇ」
「質問は五秒以内」
「あたしのこと好きでしょ?」
「知らないな」
「それ嘘でしょ」
「正解」
「え、何て言ったの? ドア開けてよ」
「多分、アタリ」
「どういう意味?」
「自分の言った事位覚えろよ」
「わっいきなりドア開けな――」
「――」
「……ねぇ、先生知ってる? あの噂、全部嘘よ」
「押して退くの意味取り違えてないか?」
「でも、成功」
「……ムカつく」
ボサノヴァ歌手がギターをかかえて舞台から去るまで、彼女は水槽のなかで両手の水かきを打ち鳴らしているようだった。よかった。気げんがなおったみたいだ。
彼女は遠く木星の衛星エウロパからやって来た留学生だ。地球の衛星より小さなエウロパは、表面を厚い氷でおおわれ、その下の海中に暮らす人々は、それ相応の姿をしている。上半身は、体毛と鼻がなくて目がやたら大きいくらいで、地球人に似ていなくもない。けれど下半身に足はなくて魚の尾ビレのようであり、エラのような器官で呼吸をする。だから地球では、こんな大きく不格好な遮光ガラスばりの気密水槽に浸っていなければならない。
僕は車輪つきの水槽を押してコンサート会場を出た。もう夜になっていたので、遮光レベルの下がったガラスごしに、彼女の姿がうっすら見える。春らしくぬるい空気が、氷点に近い塩水で満たされたガラスに露をつくっている。
「さっきはごめん」
人波を抜けたとたん、あらためて僕はあやまった。やはりスシ屋なんかに連れて行ったのは僕の大失策だ。魚がさばかれるのを見て、彼女は尾ビレをのたうち気絶しそうになったのだ。
「モウ、イイヨ」
彼女は水中でキーボードをたたいて、そんな音声を外部に鳴らしてくれた。
「地球人てのは、野蛮でいけないな」地球人の僕は弁解じみたことを言う。「でも文化のちがいってことで」
「ワカツテルヨ」
それから公園に入った。古くさい博物館を通り過ぎて、僕は彼女をわきに置いてから、ベンチのはじっこに座る。
「サクラだよ」
満開のサクラが枝をひろげて、重たい夜空の暗黒を背負っている。もし彼女の色覚がもっと発達していたら、歓声をあげたろうか。
「ナントナク、ワカルヨ。キレイダネ」
「うん、きれいだ」
「チキユウニワ、オンガクト、ハナガアツテ、イイネ」
「じゃあ、一生ここに住みなよ」
水槽の奥から、大きな目がこちらを見つめていた。僕はそこに顔をよせた。彼女にまぶたがないので、僕が目をつむった。くちびるに、ひんやり濡れたガラスの感触。
「デモ、ムリダネ」と水槽が鳴った。「ワタシタチニワ、チガイガオオスギルヨ」
「うん」
うなずいて僕はくすりと笑う。たった今、チガイのない文化を確認したばかりじゃないか。
彼女がワカルと言った花びらを数枚、ガラスに貼りつけてあげてから、天をあおいで彼女の故郷を探す。たとえ肉眼で見えたとしても、こうサクラがまぶしくてはまずムリダネ。
おじさんの名前は”たかひろ”という。妻子持ちで単身赴任中だった。おじさんといってもまだ32歳で、わりと顔も良かった。といっても、子供がいるのでおじさんと呼ぶ。
付き合い始めたときは「結婚」について考え始めた時期だったので、このおやじから結婚生活というものを盗もうとも思っていた。略奪したいのではなく、純粋に結婚生活のみを盗もうと思っていた。が、籍が入った人間とそうではない私では対応が違うようであり、満足するものは得られなかった。
ある日、友達の結婚式の帰りにおじさんの部屋に行った。全然いい男がいなかったし、酔っていた。
「たかひろ、シャワー浴びたい」
ドアを開けたおじさんにしがみついて、風呂に入れてくれるように頼んだ。
「酔ってる」
「うん。」
「楽しかった?」
「うん。一緒にはいろぉ。髪洗ってちょうだい。この爪じゃ洗えないよん」
ネイルサロンできれいにしてもらった爪を見せた。おじさんは魔女みたいだ、と笑った。
服を脱がせてもらい、バスルームで向かい合わせで座った。洗いやすいように下をむいて待っていた。おじさんは髪を濡らし、ガショとシャンプーボトルを押した。
「ひゃっ」
驚いて顔を上げた。
「なに? 冷たい!」
「トニックシャンプー」
「こんな冷たいの?」
半分ほど酔いが醒めてしまい、目線が胸に向いていることに気がついた。
「なんでさわってないのにたってるの?」
なぜか恥ずかしくなった。
「寒いときとか、刺激を感じるとこうなる」
遅いと思った。おじさんは、ガショガショとシャンプーをだした。
「やだ、つめたいよ」
トニックシャンプーを体にぬられた。
おじさんの目はきらきらしていた。私も、口で言うほど嫌ではなかった。普段は感じないところでもぞくぞくした。
「ひゃっけ!」
国の言葉がでた。
「そこはやだっ」
抵抗しても聞いてくれなかった。それでよかった。
「やだ、つめたいよ あったかいはずなのに・・・・・・」
その後も、ひやひや感はなかなかとれなかった。
おじさんとはすぐ別れた。月に一度奥さんが来る。一人暮らしにもかかわらず減りの早いシャンプーをみたらどうなるだろう。
結局、結婚生活とはいまだにわからん。
けどおじさんとの生活は違う。間違ってはいないかもしれないけど、暖かくなることはない。シャンプーがなくても。でも、あの快感が忘れられず、トニックシャンプー使用のフリーの男を募集中。なんだかんだいって、あのおじさんがほんとはすごく好きだったよ。
昨夜の雨が悲しみすらも融かし込んで流し去ったかの様である。
肌に突き刺さるほどの陽光に気怠るく汗が抵抗している。手に持ったハンカチは昨夜のままだ。何度も眉と鼻筋を撫で、口顎のシルエットを覚え込ませるように拭いた布切れ。
白い煙りが紺碧の空へ真直ぐに吸い込まれて伸びていく。
船出を遠く見送るような目をした叔父が、絞るような声で呟いた。
「風のない穏やかな日和になったぁ。煙に乗って魂が昇って行きよる」
裏手の雑木林からは、蝉の声が波のように重なりながら聞こえている。
祖父が死んで、一年か。
黒いネクタイをキリリと絞めた従兄弟が、戯けてVサインを送りながら話しかけてくる。
「ちょうど一年前かな、ばあちゃん『私もすぐ行きますけん』って言うてボイラーの鈕を押したとよ。あの一瞬だけはボケてなかったな」
先程、その鈕を押したのは私の父だった。静かな背中が歳を帯び無言で丸まって見え、とても哀しげに映っていた。
蝉の声がひとしきり響く中、途轍もない程のボイラーの轟音に、私は後ずさりしながら思った。祖母を完全に失くしてしまうんだと。かけがえのないものが消え去ってしまうんだと。
白い煙りを眺めながら親戚の者たちは、綺麗な輪をつくり何かの祭りの様に談笑を繰り返した。父の横顔を見遣ると、笑っているように深い欠伸を繰り返し涙を拭っていた。母は、遠くから悟ったような面持ちで私を見ていた。それはまるで菩薩の眼差しの様であった。
蝉が啼いている。
煙りが昇っていく。
泣き止まない声といっしょに。
帰り道、従兄弟がガムをくれた。20年振りに会えて良かったと言った。
発車のベルがホームに鳴り響いている。右ポケットの布切れにふと手を伸ばした。
「ガムのお礼に半分やるから、食うか」私は真顔で言ってみた。
「ええ歳こいて競争か」
従兄弟の目は昔のままだった。目の奥まで澄んでいて、海水浴の日焼けの顔を思い出した。
窓越しに手を振る従兄弟を見据えながら、ゆっくりと噛んでみた。
従兄弟が笑っている。泣き笑いの表情で戯けながら、噛んで見せている。窓一杯の赤橙の夕陽の縞にまかれた従兄弟が、涙伝う頬で「もう行け」とウインクした。
電車がガタンと動き始めた。
私は、ホームに長い尾をひく影法師を振り返りながら、残りを噛んでみた。
確かに、か細く響いている。
それは、従兄弟と私にだけはっきりと聞こえる祖母の音だった。
若いお婆ちゃんとその孫であろう男の子が僕の隣に座ってきた。
こんなガキンチョにちょっかいでも出されちゃかなわないと思い、僕は眠った振りをした。
「ねえおじちゃん、背中掻いて」
おじちゃん? 男の子がいきなり僕に背中を向けて言った。僕は何で知らないお前の背中を掻かなきゃならないんだ? そう思ったがお婆ちゃんの微笑みを受けて”いい人”が頭をよぎりその子の背中を掻いてあげる事にした。
シャツの下から手を入れて掻いてやる。
「右の上の方」
男の子は気持ち良さそうに僕に指示をする。
「今度は左」
やっぱりおかしい。僕がなぜこいつの背中を掻かなきゃならないんだ? 少し腹立たしくなり適当に手を動かした。男の子は身体をくねくねと動かしながら痒いポイントへと僕の指を誘導する。
”ポチっ”あれ? なんだこれ?
僕は掻いている指先に妙な金属のポッチを見付けた。指でそれをゆっくりとなでてみる。男の子は気持ち良さそうに目を細めて窓のガラスに顔をくっつけている。この感触からして、これはスイッチか何かの様だ。でもなぜこんな所にスイッチがあるんだろう? 僕はそのスイッチを押してみたい衝動にかられその場所から手が離れない。まだ男の子は気持ち良さそうにガラスに口を当てブリブリと変な音を出してラリっている。お婆さんもスヤスヤと寝息をたてて涎を垂らして眠っていた。
押してみようか? 一応男の子に聞いてみようとも思ったが、妙にラリっている様なので声をかけるのをやめた。
行くぞ! そう心の中で叫ぶと額に汗が滲んできた。妙に緊張した自分がそこに居る。
押すぞ! もう一度心の中で確認しながら僕は人差指に集中した。丸く小さなポッチが指先にフィットした瞬間……押した!
”ウイーンッ”
男の子の身体から妙な音がして腕と脚が引っ込み、頭もグイーンっと収納されてしまった。
「な、なんだ!」
僕はどうしていいのか分からない。
涎を拭いながらお婆さんが目を覚ました。視線をお婆さんに向けてこの異常な状態を察知してもらおうと目で訴えると、お婆さんがおもむろにバッグから布袋を取出して男の子? をその袋に入れた。
「お、お婆さん……」
「あーこれね。息子が寂しいだろって買ってくれたのよ”05ロボ”とか言ったかしら、簡単収納が最新らしいわね」
そう言って微笑むと、袋を膝の上に乗せまたスヤスヤと寝息をたて始めた。
なるほど。僕も母さんに買ってやろうかな。ってこれでいいの?
ディズニーランドから、東京都心部へと続く高速道路は、車の量も少なく快適に流れていた。
サトシとケイコは週末をディズニーランドで楽しく過ごし、今、サトシの愛車で帰り道のドライブを、ディズニーランドではしゃいだ思い出話とともに満喫していた。
夜のとばりがおり、フロントガラスから遠くに摩天楼が見える。カーラジオから交通情報が流れる。
「今日の夕焼けも綺麗でしたね。では、渋滞情報。○○ジャンクションを先頭に上り線5キロの渋滞・・・・」
「あらやだ5キロの渋滞だって。空いてるのにねえ。」
ケイコがいぶかしげにつぶやく。
「大丈夫さ。30分ほどで都心に入るよ」
サトシがなだめる。確かに車の流れはスムーズだ。前方には渋滞の予兆どころか車が1台も走っていない。
しばらく走ると、再びカーラジオから交通情報が流れてくる。
「夜も更けてきます。ドライバーの皆さん安全運転を。では渋滞情報。△△バス停を先頭に上り線20キロの渋滞・・・・」
「ええっ、20キロの渋滞?」
ケイコが思わず叫ぶ。そんな渋滞に巻き込まれたらいつ家に着くかわからない。サトシはルート変更のプランを考え始めた。そのときふとサトシの頭にある標識が浮かんだ。
「あれ、△△バス停って、さっき通りすぎたぞ・・・・・」
サトシは思わずシート越しに後ろを振り返った。その目に飛び込んできたのは、延々と続くヘッドライトの列。
「ケイコ、俺達が渋滞の先頭なんだ!」
今度はサトシが叫んだ。
「ええっ本当? でも100キロ以上で飛ばしてるし、前にも車がいないし、さっきから対向車線にも車が走ってないじゃない。なにかおかしいよ」
サトシは背筋に寒さをおぼえ、アクセルを踏み込んだ。
「臨時ニュースです。臨時ニュースです。」
カーラジオから注意を引かせる声が届く。サトシとケイコも思わず聞き入る。
「ただいま入った情報によると、アフリカ大陸の南部広域に、大陸間弾道核ミサイルが数発打ち込まれた模様。現地では、人類史上類を見ない大規模な死者が出るとの予想、なお・・・・」
チャンネルを変えると、渋滞情報が流れてきた。
「××インターチェンジを先頭に、150キロの渋滞・・・」
「俺達が・・・先頭だ・・・・」
サトシが青い顔でつぶやく。サトシの車の後ろには、延々と、あやしく光るヘッドライトの列が続いていた。
「何でも一つだけ、願いを叶えてやろう」
瓶から出てきた魔神は、ドジョウ髭をいじりながら言った。
「そうだなぁ」
格幅の良い魔神よりも更に格幅の良い――を通り越して肥満体の男は、首を傾げる。
「まさか『ちょっと待って』とか言ったらおしまいなんて事は……」
「ない。お前の心の中のイメージを読み取って思い通りに実現するから、大丈夫だ」
「はー、最近のは進歩してるんだ」
「色々疑われる事の多い職業だからな」
魔神は何か悪い思い出でもあるのか、遠い目をする。
「ふーん」
男は首を捻る。
「じゃ、質問はアリ?」
「種類による」
「種類って?」
「何でもアリにしたら、宇宙の深淵に付いて尋ねられて、教えているうちに相手が正気を失ってしまった事があってな。それ自体が願いなら教えてやらん事もないが?」
「いらないいらない。そんなの知ったって、お腹が膨れるわけじゃないし」
「賢明だな。どうせ人間に理解できる知識でもないのだから」
腕組みをした魔神は「早く言え」とでも言わんばかりの顔をしている。
「じゃ、毎日満漢全席ってのは?」
「忠告するが、中華以外を喰いたくなったらどうする気だ? それにあれは、数日をかけるコースだ。生活に差し障りが出るぞ」
「それじゃ、毎日フルコース」
「食い物以外の願望はないのか――まあいいが。お前のイメージではフランス料理一本になってしまう」
「えーと、一生喰いきれない金」
「具体的な金額は?」
「ひ、百億円」
「昔、どこだかの国でそういう願いを聞いたら、インフレでコーヒー一杯も買えなくなった事があったぞ」
「ええと、それじゃ死ぬほど旨いもの」
「河豚の卵巣とかか?」
「そうじゃなくて、その、旨くてたまらないもの」
「具体的になんだ、それは?」
「えーと、えーと――そうだ、それじゃ、一生旨いものを喰えるように、っていう願いはどうなんだ?」
「抽象的過ぎて、お前自身がイメージしきっていないな。もう少し具体的にはならんのか」
「うーん……」
肥満体の男は、コンビニの袋からカップラーメンを取り出す。
そして無造作にスープとかやくを開け、お湯を注ぐ。
「ふんふふんふふんふんふーん……」
時計で時間を確認した後、彼は蓋を取り、テーブルに置く。
「うーん、面白いなぁ」
出来上がったラーメンは、蓋に描かれた『調理例』と全く同じだった。
ずずずず、ずぞぞぞ。
「あーーー、期待した通りの味!」
至福の笑みを浮かべ、男はラーメンを食べ続けた。
「これ、召し上がらない?」
お見舞いのおすそ分けだろうか、同じ病室の婦人が私に八朔を差し出した。
「あ、いただきます。大好きなんです」
私が言うと、彼女はにっこりと笑って、よい香りのその実を二つ置いていった。上品な笑い方が、どこか母に似ている。そういえば、八朔は母の好物だった。子供の頃は、どうしてこんなすっぱいものが好きなんだろう、と不思議だったものだが、いつの間にか私も好んで食べるようになっていた。
母が私を産んだ年齢を、すでに5歳こえた。最近、自分と母との共通点に気づくことが多い。珈琲の角砂糖の数。高所恐怖症。若白髪。これほど仲の悪い母娘はそういないはずなのに、血は争えないということなのか。それとも、母の呪いのせいなのか。
昭和一桁生まれの母は、当時の女性には珍しく、下宿までして一流大学を卒業した。しかし、卒業してすぐ父と結婚し、そののち家庭から出ることはなかった。高い理想を娘に押付けて専制君主のように振舞う母に、彼女の過去を知った私が叛旗を翻したのは、高校生の頃だった。あなたはいい大学に行けというが、あなたのような母親になるための学歴など、私は要らない、と。
東京の専門学校に通うために家を出る前の晩、母と私は最後の大喧嘩をした。結局、私たちは和解することはなく、翌日の朝、出て行く私に母は、呪いの言葉を吐いた。
「お前は私にそっくりだ。嫌いな母親に自分が似ていると気づくとき、お前はゾッとするだろうよ。そして、いつかお前の娘も母親に反抗するに違いない。そのとき後悔すればいいんだ!」
以来、私は母に会っていない。私が帰省すると、母は他所に出掛けてしまうのだ。精神がすこし病的になった母のことは、父を通じて気にしていたが、就職してからその余裕もなくなり、そのうちに母は亡くなった。母もまた、父との結婚を祖母に反対され母娘の縁が切れていたことは、後から知った。
八朔は、ひやりと冷たくてすっぱくて、おいしい。どうやら、母の呪いの半分は成就しつつあるようだ。しかし、もう半分は決して成就はしない。私の生殖器官は、私の命のために取り除かれたのだ。母から娘へ受け継がれる不幸はもはや無い。心に巣喰う喪失感や、母に似てくる嫌悪感など、これに比べれば些細なことだ。
(私の勝ちよ、お母さん)
ベッドで八朔の薄皮を取りながら、もし母が生きていればこの結末を喜んだかもしれない、と、ふと思った。
極彩色の花畑を抜けて、店に入った。何人かの先客がある店内には、白い棚が並んでいた。棚には箱が陳列されていた。大小取り混ぜた色とりどりの箱の正面には、一様に文字が印刷されていた。ここで私がやらなければならないことは、積み上げられた籠を取り、その中に箱を過不足無く収めていくことだ。店内の客は各自思い思いの方法で入念に箱を吟味していた。
父親、母親、兄弟、両手、両足、胃袋、鼻の形、癖、性格、星座、血液型……。基本条件が揃ったら、道筋を決めていく。居住地域、育成環境、出会う人、感動する事象と時期、決断の時。運命的な出来事とその配分……、初恋、恋人、そして伴侶。ぼんやりとした思いが浮かび、咽喉の奥を苦味が走った。この感覚は何だろう。
私に何かを暗示しているのだろうか、警告しているのだろうか。私はためらいつつ、幾つかある伴侶の箱から比較的美しい箱を注意深く選択し、籠に収めようとした。しかし、不思議なことに籠には既に伴侶が収まっていた。
「そういう事だったのか」私は声に出し納得した。
春の温もりのような布団の中、新婚当初の幸せを悪戯に試すような新妻の質問に答えたのか。あるいは冬の最中、仕事の失敗から心労が病を引き起こし、床に臥した夫をかいがいしく看病する妻に、「何もしてやれないが……」と切り出したのか。末期の病室で、最後の言葉として残したか。いずれにしても「今度生まれてきた時も……」という定番の約束。今回もそれに引き摺られている様だ。
この手の約束は、絶対に守らなければならないものではない。しかし、片方が守らない場合、とても複雑な問題になる。向こうが選んで、私が選ばなかったとしたら……。籠の中に納まった伴侶の箱を見つめた。それはまだ、ただの箱だった。私は比較的美しい伴侶の箱を棚に戻した。
職業、収入、地位、出世の早さ。持病、引退、転職先、老後の楽しみ。そして、死期。一通り籠に収めてみると、もう余り隙間がない。音楽と文学は今回も小さな箱にすることにした。
レジには看護婦姿の女性がいた。女性の後ろには、白衣の男が注意深い視線を投げていた。私の選んだ箱がひとずつチェックされていく。最後の箱が籠から出された。見覚えのない箱だ。小さいながら綺麗な箱には愛人の文字が刻まれていた。無意識にそんな箱を選んだようだ。これも前世の因縁か。
「ハッピイバースデーツーユー」女性の言葉に送られて店を出た。
「もし明日死ぬかもしれないって考えてみてよ」
そう言った彼女のことを唐突に思い出した。なぜ彼女が出ていったのかはいまだに分からない。その最後の言葉にしてみても、日々の生活の中で明日死ぬかもなんて考えはしない。子供の頃、学校の先生に悔いのない毎日を送れとよく言われたが、そういうことなのかもしれないとも思う。でも僕にはそのために何をすればいいのかは分からない。明日も朝がくればネクタイを締めて通勤電車に乗る。
彼女が出ていってから二年。あの頃なんとなく寂しさに押し流されて拾ってきた猫がこんなに早く死ぬとは思っていなかった。二人で住むために借りた一軒屋も有り余ったスペースを埋めてくれていたクロはコタツ布団の上でぐったりしている。昼間に連れていった獣医には「手遅れですね。今夜が最期でしょう」と言われた。僕には「そうですか」としか言えなかった。
変わった猫だったと思う。花が好きで猫のくせによく一緒に散歩に行き河川敷の野花の側でひなたぼっこをした。去年の春の日にはあんまりにゃーにゃー鳴くから、なんだろうとついていってみると満開の桜の木の下に連れていかれたこともある。ちょうど去年の今頃だ。もともと飼い猫だったのかもしれない。でも僕はたぶん、そんな人なつっこさや、美しい髪のような黒い毛並みに彼女の面影を見ていた気がする。
クロは鳴きもせず、少し荒い息を立ててぐったりしている。あと何時間持つのか分からない。でも明日の今頃には僕はまたこの家の中で独りぼっちになっているのだろう。彼女の最後の言葉が耳の奥で小さく響く。僕にどうしろと言うのだろうか?それはきっと彼女の声を借りた僕自身からの問いかけ。
いこうか。僕はクロに話し掛けた。猫がそんなことを喜ぶのかどうかは正直分からない。でも喜んでくれるといいと思う。僕はクロを抱きかかえ春の暖かい夜に歩き出した。河川敷を歩くと風が暖かい。そんな風に包まれてクロの息遣いも少し軽くなった気がする。
去年も来た桜の木の下に腰をおろす。自由に生きる猫であるクロの為に何かしたことはあまりなかった。ただ今は、クロが桜を見たがっているかどうかなんて分からなかったけど、ただそうしてあげたいと強く思った。
クロの首が少し動いた。そして小さくにゃあと鳴いた。勝手に涙が流れてきた。
冷たくなっていくクロをしばらく抱いた後で、止まらない涙を流しながら桜の木の下にクロを埋めた。
それはおおよそ一ヶ月ほど前、2月14日のことだった。
皆はチョコを貰ったりしているのに、俺は……。
朝から独りで、ふてくされていた俺の前に、
ひとりの女の子が立っていた。
「よっ、モテない君。」
よく見ると幼馴染の女、知子だった。
普段なら少しは俺も話す気になろうが、今日に限って言えば
女性と話す気がしない。寄ってくれても嬉しくない。
無言のままうつむいていると、さっきの言葉が勘に触ったと思ったのか、
知子は小袋を俺にさしだしてきた。
「チョコレート、あげるよ。小さいけど」
一瞬俺は何が起こったのか分からなくて、俺はキョトンとしたが、
すぐ状況を飲み込んで、お礼を言った。すると、
「そのかわり、お返しはきっちりとね!」
……やっぱり知子は俺の前では幼馴染なだけだ。
とにかく、本当に、小さい小さいチョコレートだった。それに
やけに綺麗な所を見ると、既製品で済ませたみたいだ。
それを見て、アイツに何かお返しをしないと、という気持ちが沸いて来た。
何となく、なのだけど、やっぱり15年のカンだ。何か返さないと
アイツは怒るんだろうさ、なんて思いながら、返すものを考える事にした。
自分で買いに行くのはなんか照れくさいが、かと言って母さんに頼めば
「誰にあげるの?ねぇねぇ」
と聞かれることは明々白々だし。友達でもまた然りか。
となると……どうやら自分で作るしかないみたいだ。
こうして、夜中にこっそり作る事を決意したのだ。
その日の夜、家族も寝たみたいなので、こっそり台所に行き、
昼のうちにスーパーで買ってきたバターの箱を開ける。
最初はアメを作ろうと思ったのだが、どこかの本に
アメをあげると絶縁を意味するとか書いてあった気がするので、
無難にクッキーを作る事にしたのだ。
バター、粉、卵、牛乳と、材料を次々に入れてひたすらこねる。
ふっと知子の顔が浮かんで、やる気は増してきた。何故だろう。
午前2時、焼き終わった時には顔がほっとしていた。
こういうのを愛情って言うんだろうか。知子の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
なんて、ガラでもない事を夜は考えてしまうから不思議だ。
もう少しで、クッキーを入れる袋にカードを入れるところであったからして。
次の日、素っ気無い袋に詰めて、知子にそのクッキーを渡した。
「どうかな……。」
不整合なクッキーをひとくちかじる知子に俺は聞く。
彼女は答えた。
「ちょっと塩味が利きすぎじゃないかしら?」
どうやら、バターを無塩にするのを忘れていたようだ。
オゾン層の破壊が進んだ21世紀中頃。皮膚癌を発症する人達が蔓延した。過去には色素性乾皮症(XP)と呼ばれた遺伝子異常は、過去の病状と比べても飛躍的に悪化し、紫外線を一度に数分浴びるだけで死んでしまうという、悲劇的な結果さえ生み出していた。
効果的なDNA操作には、正常な遺伝子が必要とされていたが、健康なDNAを採取したくても、その遺伝子を持った生物はこの地上には存在しなかった。
「博士とうとう完成しましたね」
「うむ。これで過去の人間から遺伝子を採取出来れば、これからの地球の未来も明るいというものだ」
完成したばかりの時空転送機を見ながら、バン博士は明るい未来を思って感慨に浸った。博士のその左腕の袖からは、子供の頃誤って日光を浴びてしまった白く引きつれた火傷の跡が見えていた。
早速プロジェクト計画は開始された。世界中から選び出されたエリート達には厳しい訓練が施された。
そして半年後、全ての準備は整った。
「このプロジェクトは、全人類の希望だ。よろしく頼むよ」
パイア連邦議長の固い握手が、訓練を終えた彼ら一人づつに、崇高な固い決意を漲らせた。
「それでは、未来の為に行ってまいります」
目的地は古代バビロニアから中世ヨーロッパにかけ、行っては戻るという、一箇所わずか2時間という短い時間で何度も遂行された。
濃くなってきた霧の中で、ふたつのシルエットがひとつになった。
男は女を強く抱き寄せ、唇を首筋に這わせていた。始めは女も少し抵抗していたが、暫くすると女はぐったりとなり、男の手から滑り落ちた。
女から離れた男は、赤く血に染まった口元に笑みを浮かべながら、霧に溶ける様に消えていった。
過去に戻った彼らの使命は、夜の街で健康な人間を探し、効果的な方法でDNAを速やかに採取し持ち帰ることだった。
時空転送機では何も持って行けなかった為に、DNAを体内に保存出来る様、改造された硬質な漏斗状の舌は、被験者の身体の柔らかい部分からDNA分析に一番効果的な血液を抜き取っていた。
ひょっとしたら魔物か何かだと思ったかも知れない、過去に戻った男の中にはそう思った者もいた。
この計画によりXPが根絶された今。過去にXPの患者が、吸血鬼と呼ばれ迫害された批判記事に、連邦議長は笑った。
「過去の人間がどうしたというんだ。それに、なん千年も前の事で既に時効だ」
一部の反発はあったが、議長解任はなかった。
ある日のこと。夜の公園を散歩していると、人間大の白ウサギがベンチに座って月を眺めていた。ベンチ裏にはリヤカー。1メートル程の巨大なにんじんが山積みに乗せられている。
「月…。綺麗ですね。」
僕が声をかけると、ウサギはぴょんと立ち上がった。
「やぁ、どうですか。美味しいにんじん買っていきませんか。ウサウサ」
ウサギは親しげに話しかけてきた。少し首を傾げる仕草が妙に可愛い。どうやらこのにんじんは売り物のようだ。
「大きい割に安いよ〜。一本200円さ。」
確かに、この大きさにしては格安だ。
「にんじんかぁ…。今夜はシチューでも作ろうかな。」
「それがいいよ。ウサウサ。」
声が弾んで鼻がピクピク動く。なんだか嬉しそうだ。
「お客さん。うちの野菜は国産ではないけれど、特別に美味しいよ。なにせ、僕が故郷の畑で精魂込めて作った、正真正銘、無農薬の新鮮野菜だからね。しかも輸送中だって農薬は使わないんだ。それでもこの鮮度、この品質を維持しているんだよ。」
そう言っていそいそとベンチ裏に回ると、巨大にんじんを一本抱えて戻ってきた。
「どう、良く見てよ。いい野菜でしょ。これぞ自然の奇跡さ。」
確かに採れたて野菜のようなみずみずしさだ。僕は素直に感心した。外国産でも新鮮なまま運ぶことが出来る時代になったんだなぁ。買って損はないかもしれない。
感心しつつ財布を取りだすと、ウサギはすかさず
「まいどありぃ」
と白い前足をさし出した。
「毎度ありぃだって。外国のウサギさんですよね。日本語、お上手ですね。」
苦笑混じりに褒めると、ウサギは照れたように笑った。
「ありがとう。でも日本語は憶えるのに苦労したよ。ウクライナで日本語話す人は居なかったしね。」
財布の小銭をまさぐっていた僕の手がピタリと止まった。
「出身は…ウクライナ共和国ですか?」
「そう、いいところだよ。日本と違って何もないけど、静かで…空が綺麗で…」
ウサギは故郷を思い出したのか、懐かしそうに目を瞑って髭をサワサワ動かしていた。
「…この野菜の産地はは地元で?」
「そう、チェルノブイリ産さぁ。」
むしろ誇らしげに答えるウサギ。
「…僕、やっぱり止めておきます。」
財布を閉じると、ウサギは赤い目をいっぱいに見開いて驚いた。
「どうして〜??」
「考えたら…シチューは昨日食べたし。」
苦しすぎる言い訳を呟く僕。ウサギの耳が垂れた。とても残念そう…
ごめんね。でも…たぶん自然の奇跡じゃないから。君もにんじんも。
陣幕の内で、狂戦士は高く兜を掲げる。静かに降ろし、頭へ被せた。
中で何かがごとりと引っかかる。
(何?)
手甲だった。そっと右手を動かすと、手甲もごりりと動いた。
(なぜ右手が頭に。俺は両手で兜を掴んで)
だが狂戦士は、実は自分が右手も左手も兜を掴んでおらず、なぜか地面に尻を着け、高く両足を掲げているのに気付き慄然とする。途端に彼は態勢を崩し、ごろりと背中へ転がった。鼻と顎が地に擦られる。
(なぜ顔を擦る。俺は背中から転がって)
なぜ、なぜと繰り返しつつ、狂戦士はごろごろ陣幕から転げ出た。顔に兜が嵌って取れぬ。周りでは戦友どもが彼を残して出陣して行く。
「おお狂戦士殿は、はや狂い始めておるぞ」
狂戦士殿だと。もっと他の呼び方は無いのか。
「狂戦士殿、お先に!」
「頼みますぞ、狂戦士殿」
(馬鹿にしてるのか)
「ぃヤアァッハア!」
かけ声高く、ばかばからと駆け抜ける蹄の音が兜に響き、狂戦士の鳩尾を締め付けた。(早く、馬に)狂戦士は叫んだ。「狂馬、来たれ狂馬よ!」自分の馬にそんな呼び方があるかとも思ったが、他に呼名を知らなかった。ばろろうと背中から狂馬が飛び乗ってきた。「たわけ!」狂戦士は一喝して狂馬にしがみつく。
狂馬は狂戦士を落とさんと太首をぶんぶん打ち振るが、首は腿やら肩やら随所にわたり、打ち鳴らす歯も尻に生えたりで全く気色が悪い。実に気色が悪いと狂戦士は思い、どこまでが彼か馬の事か判らないのに戦慄する。汗ばむ背中か蹄だかがむず痒く、堪らずぱからっと嘶けば割れた甘味と腰の眉毛も鮫肌のよう。
何だか分からぬものと化した狂戦士は、そのまま戦場へと転がっていく。だがそこには村人どもが集っていて、下品な喚声をあげるのだ。
「今年も見事な狂いっぷり」「酒、酒だ」
おい? 戦はどうした。
同時に狂戦士は自分の体の拡がり始めるのを感じていた。(いかん)(いかん)と耳やら踵やらがてんでに焦り出す。その上に乗った村人の三々五々酒宴を始めるに至り、何をすると狂戦士は怒り叫び喚くのだが、そのたび村人は天晴とか日本一とか褒めるので、ああ何ともなれ、一世一代の狂い様、とくと御覧じろと全身うち振るわせば、山肌に広がる狂戦士の頭先から足元まで、一斉に舞う染井吉野の花吹雪。
どおと拍手が沸き起こる。
(そうか、俺は花だったか)
次第に思考をはっきりさせながら、意識は薄れていく。
合間に、新緑が芽吹き始めていた。
「今日で辞めるんだ」
レジをがしゃぴん、と打ちながら彼は言った。何気ない仕草が、やはり相変わらず決まっていた。
「そっか」
あたしは相変わらず凡庸に答えた。
深夜3時のコンビニ。客はあたしの他にはいない。
「そっか」
凡庸に繰り返しながら、彼に初めて会った時のことを思い出す。
三ヶ月位前、行きつけのコンビニに新しいアルバイト店員として彼が入ってきた。
印象的な人だな、と思った。
何となく、他の人とは違っていた。声も仕草も佇まいも、何ていうか、違った。
「君、いつもこの時間に来るね」
品物を手渡しながら彼が話しかけてきたのが、それから十日程だろうか。
「ええ、まあ」
間近で見る彼の顔は、やはり印象的だった。コンビニエンスストアの弱々しい蛍光灯なんてかき消すくらい彼は印象的で、生々しかった。
それから少し話すようになった。
「今日で辞めるんだ」
彼はレジの中身を数えながら、そう言った。
「どっか引っ越すの?」
相変わらず凡庸にあたしは聞いた。
「まあね」
「どこ?」
「さあ。まだ決めて無いんだ」
「そうなの」
「うん。でも多分またどっかのコンビニの店員やるよ」
「ふうん。好きなの?このバイト」
「好きだよ。君みたいな人に会えるしね」
「ははは。また」
「ははは。でも本当にこのバイトは好きだよ。色々な人が来るからね。それを見てるのがなかなか楽しいんだ」
そう言いながら彼はレジからお金を取り出して、そしてポケットにねじ込んだ。
「ち、ちょっとそれ良いの?」
「良いんだ。どうせもう二度とここには来ないんだから」
「でも犯罪じゃない」
「犯罪だけど」
きょとんとして彼は言う。
「でもそれがどうしたの?」
どうしたの、と言われて、ああそうだね、本当に、犯罪だから何なんだろうね、と思った。
「そうだね。そんな事どうでも良いね」
「そんな事よりさ」
「なあに」
「一緒に行こう」
「え、あ、あたしも?」
「うん、行こう」
彼はカウンターを飛び越して、あたしの手を取って歩き出した。
「ち、ちょっと」
彼はあたしの手を強く引く。
「一緒に行こう。海なんてどう?」
「この寒い時に?」
「だから良いんだよ」
その手は暖かくて、罪も罰も最初から知らないその手は本当に自由で、あたしはこの人ならもしかしたら本当に世界を変えてしまうのでは無いか、と一瞬本気で思った。
「そうだね。良いかも知れないね」
「よし、決まりだ」
そしてあたしは産まれて初めてバイクに乗った。