| # | 題名 | 作者 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 1 | 夏来刑事の事件簿 | 坂口与四郎 | 1111 |
| 2 | 友達 | 坂本 一平 | 1000 |
| 3 | 夢 | 野間くるみ | 800 |
| 4 | a life | moku | 931 |
| 5 | 適材不適所 | おさがわ昇 | 984 |
| 6 | 二宮金次郎走る | オキャーマ君 | 781 |
| 7 | 駱駝 | ミドリ | 999 |
| 8 | 新たな結果 | 夏間 咲 | 1033 |
| 9 | のび犬 | 日月 明 | 750 |
| 10 | (作者の希望により掲載を終了いたしました) | ||
| 11 | 雨。再会。再び別れ | 村玉 | 1000 |
| 12 | 素直+好奇心=・・・? | うらきひかる | 909 |
| 13 | 書き割りホテルのことで | アナトー・シキソ | 1000 |
| 14 | 春のスケッチ | Goldie | 770 |
| 15 | 花のまぎれに | Ame | 998 |
| 16 | フランスパン風パン | ユキコモモ | 1000 |
| 17 | それは? | 泡和 | 983 |
| 18 | 『捩子巻き時計』 | 橘内 潤 | 877 |
| 19 | 満月の夜、世界は終わる | てこ | 1000 |
| 20 | 『バーチャル』 | 岡部健吉 | 1000 |
| 21 | バスドライバー・2 | 有馬次郎 | 1000 |
| 22 | セレニオン | ワタル | 999 |
| 23 | まさか、現実、まさか? | マーマレード=ジャム | 999 |
| 24 | ドブネズミ | さとう啓介 | 1000 |
| 25 | 雨やどり | 太郎丸 | 1000 |
| 26 | あたし、貢ぎグセがあるの | 水月らら | 977 |
| 27 | 火の星 | 大村 志野 | 1000 |
| 28 | under the sun | ナンバー0 | 1000 |
| 29 | メタモルフォーゼ | 彩霞 | 1000 |
| 30 | 月とラブレター | 川島ケイ | 1000 |
| 31 | ミカコ | 多田野英俊 | 931 |
| 32 | 勝利者 | 羽那沖権八 | 1000 |
| 33 | 土手ころがり | 紺詠志 | 1000 |
| 34 | パンセ | カピバラ | 1000 |
| 35 | 最後の神がかり | ヒモロギ | 1000 |
| 36 | (作者の希望により掲載を終了いたしました) | ||
| 37 | かつお節ご飯の待つ暖かい食卓へ | 伊勢 湊 | 1000 |
| 38 | 春の虫 | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
| 39 | 父の穴 | 越冬こあら | 1000 |
| 40 | マイ銀河帝国の興亡 | 蛮人S | 1000 |
| 41 | 鉛筆 | 芋澤扇風機 | 1000 |
某マンションで狩野静香(23)の変死体が発見された。
発見者は女性の同僚。
着衣の乱れや暴行の跡は無く、部屋も無傷なことより自殺又は事故死の見方で事件は調査された。
解剖の結果、毒物等は検出されず、心因的又は物理的要因が引き金のショック死との見方が強まった。
「静香に会わせてください」
現場前で男が騒いでいる。警官が必死に押さえている。
「おい、あれは誰だ」
夏来は岩井に訊いた。
「狩野静香の恋人の、凡倉雄です。あの凡病院の次期院長で医者です。このマンションも凡が買い与えたようです」
岩井が述べた。
「医者か。怪しいな」
岩井は無表情で答えた。
「いえ、凡はここ一週間は学会に出席するために、海外にいました。それに、アレを見れば解かると思いますが彼女に骨抜きにされていたようです」
岩井は顎で凡を指した。凡の整った顔は女性を惹きつけるだろうが、アレをみるとどんな女でも離れていきそうだ。凡の顔は涙と鼻水でドロドロだった。
「ずいぶん美人だな」
狩野静香の全身と上半身の写真を見ながら夏来は首を揉んだ。
「もともとはOLでしたが、今は『T's W』というモデル事務所に所属しています。モデルとはいえ素人の域を出ず、無名でした」
夏来は頷きながら続けた。
「とはいえ、体の線の崩れには敏感だったはずだ」
「多分そうでしょう」
「見ろ、一週間の献立が貼られている。主食はスパゲッティだけだ」
「流行の『低インシュリンダイエット』じゃないですか」
「ああ、胃の内容物を見てな、ピンと来た」
狩野静香の胃の中にはGI値の低い(糖の吸収が遅い)食べ物しかなかった。
「だが、いくらGI値が低いからといってパスタのみを食べ続けることはダイエット法としては間違っている。岩井、『小麦アレルギー』って覚えているか?」
岩井の顔色が変わった。小麦を体の許容量以上に摂取することによるアレルギー反応で死に至るとテレビで取り上げていたのを、署で一緒に見たのだ。
「もし、狩野静香のアレルギーの原因が小麦だとし、それを知っていながらこの献立を実行するように勧める人物がいたら……」
アレルゲンを調べられる人物はすぐあそこにいる。
「動機は?」
「所属事務所には以前から売春疑惑がある。もし、凡がそれを知っていたら? 男は泣くか怒るかしか知らん」
「すぐ調べてみます。刑事はダイエット法に詳しいのですね」
夏来は腹をさすりながら言った。
「うちのやつがうるさいんだ。『低インシュリン』はこりごりだ」
岩井は一礼をして駆けて行った。
ダイエットとは健康になるための手段だが、痩身としての意味だけが一人歩きをし、この事件では人を殺す手段として使われている。
もう少し痩せないと、体がもたないわよ
夏来は妻の言葉を思い出した。
透明なガラスの自動ドアが開いたとき、外の空気と共に若い男が入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
まだ、バイトに入りたての髪の長い女の子が元気な声で彼を向かえた。
ここは、駅の近くにあるアメリカから進展してきた大型チェーンのファーストフード店だ。僕は、毎日、この店のレジの近くで本を読みながら、店の動きを読むのを日課にしていた。
先ほど、店に入ってきた男は、後ろのポケットから、ツバつきの野球帽を取り出し、目が隠れるように深くかぶった。
新人の女の子は、緊張を隠しながら帽子をかぶった男にメニューを手渡した。
しかし、メニューを男が受け取った瞬間、帽子を出したポケットとは反対から、刃渡り10センチ以上はあるナイフを取り出し、刃先を女の子へと向けた。
そして、彼は背負っていた鞄をカウンターへ置き店員達に叫んだ。
「この鞄にジャガイモを詰めろ!」
その声は店の中に響き渡った。
しかし、店員達は、彼の言っていることに理解できない様子で周りを見渡していた。
その瞬間、正義感が働いたのかは分らないが、僕は座っていた席を飛び出し帽子の男のナイフを手で掴みながら彼を捕まえた。
だが、店員と女の子は驚きと恐怖の叫び声をあけながら僕の手を何故か凝視していた。
僕も凝視されている手の平を気になって覗いてみた。
そこには、手の平に乗れるくらいのジャガイモとトマトが立って居た。
ちゃんと、手と足が2本ずつくっついていて、人間の顔と同じ突起物が断面に張られていた。
なにやら、二人は口をパクパクさせながら、怒りをあらわにさせながらもめていた。僕は、自分の耳を彼らのほうへと向けたが、残念ながら聞き取る事が出来なかった。
しかし、かなり深刻そうな表情はなんとなくだが読む事が出来た。
一分程時間が経ち二人は言い争うのは止め、お互い背中を見せるように外へと体を回転させてしまった。お互い顔は口を尖がらせ、納得いかない表情を作っていた。
しかし、ジャガイモは再び先ほど向いていた方向に体を回転させ、トマトの背中を見るような形にした。
次の瞬間、ジャガイモは自分の手を上に振り上げ、力を入れた握りこぶしをトマトへと振りかざした。
僕の手の上でふてくされていたトマトが潰れ、皮の中から体液が飛び散り、手の平は真っ赤になった。
そして、ジャガイモにも体液が付着した。
数ヵ月後、僕がテレビをつけたら、あの店のCMで、あのジャガイモとトマトが何故か仲良く絡み合っていた・・・
隣の家はもう長いこと空家だった―。
月明かりが明るくて、夜中に急に目が覚めた。
「何だろう?」
窓から射しこむ光は、尋常ではないくらいに眩しかった。僕は腕で目を庇うようにして、窓に近づき、光源が月ではないことに気づいた。光を放っていたのは、隣家の庭に突然現れた得体の知れない物体だった。見る間に銀白色の光は薄れていき、闇に沈んだ。僕は息苦しくなり、胸がひどくドキドキしているのを感じた。
やがて、その物体の下の方が長方形に開き、内部から人が降りてきた。一人、二人。内部の光で二人の様子が見て取れた。一人は体つきがほっそりとして、長い髪が腰にまで届いていた。もう一人はがっちりしていた。二人ともぴったりとしたスーツを着ていた。人間そっくりのエイリアン?エイリアンといえば目が異様に大きく、体は子供のように小さいのだと思っていたけど。UFOらしき乗り物から降りてきた二人は隣家に消えていった。
翌朝、目を覚ました僕は、すぐに窓から隣家の庭を見下ろした。やはり、夢ではなかった。僕は母のもとにすっとんでいった。
「隣の家の庭に変なものがある。」
「血相を変えて、どうしたの?」
母は僕の剣幕に驚きながらも、庭に出て、何があるのか確かめようとした。低い生垣ごしに隣家の庭を窺っている。
「何も無いじゃないの。変なものって何よ。」
母は窘めるように僕を見た。僕は呆然とした。だって、母の背後に、立ち尽くす僕の前に、それはちゃんとあったから。
僕は悟った。あれは僕にしか見えていないのだと。
その日、学校から戻ると、僕の家から髪の長い女性が出てきた。僕はドキッとして、用心深く彼女がいなくなるのを待って家に駆け込んだ。玄関先に母がボンヤリしながら立っていた。
「ママ、今の人誰?」
話しかけると、ようやく我に返って、
「今、お隣さんが来てたのよ。」
と言った。
「お隣さんって?」
と僕が聞くと、彼女は、こっちの、と空家の方を指さした。
彼女は37歳。夫は此処から遠い国で単身勤務をしている。子供は、欲しいと思ったことはあったが丁度その時分に夫の異動が決定した為、こうして一人で居る。母となることを諦めた時点で彼女は、夫の唯一人の妻で居ることを決意した。それは、常に美しくあること。充分な睡眠と食事。献身的な、愛。そして、時間という概念を捨てた。
彼女の生活は、夫からの毎日の電話を中心になりたっている。彼女のベッドルームは休息や安眠の為のそれではなく、夫からの電話を待つ場所でしかなかった。夫の声で目を覚ます。常に、夫とともに生きている。繋がっている。
時計は必要ない。それはたちまち、独り日本に居る、という現実を思い知り驚愕させる。
夜中に起きることもしばしばで、そんなときは朝一番の、焼きたてのパンを食べに出る。
家ではテレビも新聞も見ない為、そのベーカリーカフェでサラリーマンの読む新聞を盗み読む。何種類も。だから見出しだけで充分だ。その他ワイドショウネタなどは彼女の生徒達から仕入れることが出来る。
そう、週に2度ほど、彼女はマンションの自室で料理を教えている。教室、と思ったことはない。充分な食事を摂るのに、一人ではとても不都合なのだ。最初は近所の主婦たちを集め、料理を振舞っていただけだった。そのうち、なかでパソコンを使うものがあり、ネットに紹介したという。別に、よかった。なにより退屈しなかった。主婦やOL達の、不可解でとりとめない話はとても興味深かった。助手という便利な存在も出来た。重たい材料、――カボチャだとか――、を車で運んでくれるし、教室のあるときは、ケータイに知らせてくれる。なにしろ夫の帰る2週間に1度の土日しか、曜日も日にちも把握していない。
最近は、いつのまにかついた肩書き――料理研究家――のために幾つかの雑誌のインタビューや、コラムの執筆などを引き受けている。忙しくはなった。けれども、彼女の生活スタイルは変わらない。夫の声で目を覚ます。夫が居なくとも生きてゆける女などではない。こういった雑事はいつだって、リセット出来るものばかりだ。ただ、ただ美しくある為に、充分な睡眠と食事、そしてたまに自分と夫以外の人に観られること。これが夫への愛の証であり、彼女が選んだ生きかたなのだ。
姫がモンスターに攫われ、救出のための勇者を募るために開かれた試合に参加した、若者のなかから選ばれたのは、金髪碧眼の若者だった。
国王はうやうやしく頭を下げる彼に熱い視線を送った。
「そちが、姫を助け出す勇者か?」
「・・・・・・ええ」
男は控えめに頷く。
謙虚な態度に国王は一抹の不安を抱いたが、先ほど見せた鮮やかな剣さばきと、華麗なる魔法に、彼の実力を疑う余地はない。
モンスターに攫われた愛姫を救い出すのは、金色の髪にブルーアイズの若者だと、昔から決まっていた。
だが、国王が奇異に思っていることは、これだけの実力を有しておきながら、魔法士にも、衛士にも立候補していなかったこと。
これだけの実力があればエリートと称される側近魔法士や、近衛団の試験を受けておかしくない。
それどころか、どの大会にも出場したことがないという。
あれば間違いなくどこかにスカウトされているだろうが。
さらに容姿も問題ない。
これだけの逸材が市井に埋もれていたのが悔やまれる。
話を聞けば、前職は不況のあおりを受けて倒産したどこかの企業戦士らしい。
サラリーマンで終わらすにはもったいなかった。
「なぜそちはその力で職につかなかった?」
「向いていないと気づいたからです」
「ならば、なぜこの試合に参加した? 優勝者は姫を助けにゆく任が与えられると知っておったのだろう」
「ええ、知っていました。姫のためならば、この命ささげる覚悟にございます」
「ほほう。だが、自分の娘を悪く言うのはなんだが、あれはかなり不出来な娘だぞ」
「容姿は関係ありません。重要なのは質です。質さえよければ、だれからもほっせられましょう」
見事なまでの受け答えに、国王は感激した。
「なにか、望むものはないか?」
「剣と魔法グッズ、そして諸経費をいただければ」
「ふむ、当然だろうな。他に必要なものがあれば遠慮なく申してみよ」
無欲な返答が国王に、より興味を抱かせた。
もし、無事に姫を取り返してきたら婿にしてもよいとさえ思う。
光栄にも国王から熱い眼差しを注がれた男は、考え込む間を置く。
そしておもむろに懐から紙とペンを取り出し、厚いフレームの眼鏡をかけた。
「それでは、この戦いの損害と利潤について説明させてください」
営業スマイルを浮かべた彼は、魔法でつくったスライドをポインターで指し示す。
彼は根っからの企業戦士だった。
寄り道をして遊びすぎたふたりの小学生が、夕暮れの校庭を歩いていた。
そこを通り抜けるのが家へ帰る近道だったからだが、夜の小学校はどうも気持ちが悪くて仕方がない。
「あの二宮金次郎だけどね、月夜の中、学校を歩き回るらしいよ」
ひとりの少年が小さな声で話し掛けた。
「そんな馬鹿馬鹿しい」
「勉強のしすぎで皆に嫌がられ、悪魔の呪いを受けて体を縛られてしまったんだ。本当は生きているんだぞ。月の光を浴びると、その魔法が解けるんだ」
言いながら、その二宮金次郎の銅像の前にきた時、すでに満月が夜空に見えていた。
と、突然、二宮金次郎が「うううう」とうめき声を上げたのである。
少年たちは血相を変えて走り出した。
噂どおり二宮金次郎は生きていた。台座から飛び降りると「見たな」と叫びながらすぐに少年たちを追いかけてきた。
なんという恐ろしさ!
「捕まえられると食われてしまうぞ」
「な、何で」
「なんか、そんな気がするんだ。でも、大丈夫。学校を抜けたら人がいるよ」
「それまでに捕まっちゃうよ」
「よし、時間稼ぎをしよう」
そう言いながら片方の少年が、ランドセルの中から教科書をつまみ出して後ろに投げた。二宮金次郎はそれを拾って立ち止まった。
「本を見ると読まずにいられないんだ」
が、それもあっという間のことである。すぐに本を読み終えて、再び追いかけてくる。
「何て読むのが早いんだ」
「さすが、二宮金次郎。なにしろ、勉強の鬼のような人だからな。すぐに次の教科書を投げよう!」
教科書を投げるたびに二宮金次郎は立ち止まるが、あまり時間稼ぎにならない。
だが、それでも校庭を抜けるまでの間である。あともう少しだ。
「わっ、僕の教科書は全部なくなっちゃったよ。今度は君が投げて! 後、二三冊で逃げ切れる」
が、となりの少年は今にも泣きそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「ごめん、僕、どうせ家に帰っても勉強しないからね……」
「教科書は学校に置きっぱなしなんだ!」
その子のランドセルにはゲームボーイしか入ってなかったのである。
駱駝はまず指揮者みたいに両手をふわっと広げると、大きなパレードの風船に空気が入っていくように背筋と両手を遠くの方へ伸ばし、最後に首をうわぁんとまっすぐに立てた。彼はいつも首を前の方に突き出して眠そうな瞳をしているため駱駝にそっくりだとクラスメイトに噂されているが、ダンスをする時だけは体型だけでなく人まで変わってしまったようになる。まるで脱皮だ。今まで被っていた目立たない保護膜を破り捨てて、華やかな王子様に変身してしまうのだから。
彼の練習に付き合ってはいるがダンスに関しては私はまるでわからない。私の役目はCDデッキにCDを放り込んで再生ボタンを押すだけだし、話をするわけでもない。彼は音楽がかかっている間は王子の風格を持って足がこんがらがりそうなステップを踏んでは教室を突っ切って、音楽が止まってしまった瞬間にいつもの駱駝に変身してしまう。そして踊っている時の駱駝は日に日に凄い力を持つようになっていった。踊っている時はいつも教室中が花の匂いに満たされたし、偶然通りがかった女子学生は駱駝を見て突然泣き出してしまう。最近ではボロいCDデッキが勝手にオーケストラの真似をするようになったのだが、踊っていない時の駱駝がCDを2枚しか持っていないためオーケストラのレパートリーはかなり少ないようだった。
「ねえねえ、これ、僕。」
ある日彼は練習前に少し恥ずかしそうに近づいてきて、もじもじしながら一枚の写真を私に差し出した。それはオレンジ色のスポットライトに照らされて踊る人々(何のイベントかはわからなかった。)の写真のようだった。"王子”の彼はぴっちりとオールバックに髪をまとめて、あつらえの特別素敵な燕尾服を着ていた。長い尾のついた燕尾服は駱駝というよりはペンギン、もう踊っている時の駱駝には本来の顔の面影がどこにもなくなっていた。
「これ、本当に君?」
私が質問すると彼はにやりと笑って私の手を取り、いつものように踊りだそうとした。彼の骨格までもがむくむくと形を変えていく。背中を引き寄せるその手が今までの駱駝のものとは違う。不安になって顔を上げると、そこには写真の中のペンギンみたいな駱駝が、燕尾服で笑っていた。先刻から目を差すオレンジの光は天井のシャンデリアが発しているものらしい。花の匂いと人の噂でむせ返りそうだ。私は踊れないので、恥ずかしくなってとなりのご婦人のスカートの中に隠れてしまった。
「だから、」と、私は言ってみる。
「だから、私がいなくなれば、全てうまく
いくんでしょう?」
そして、彼の目を覗く。
彼は少しうろたえた表情をして、
「そんなこと…誰も言ってないじゃないか。」
と、つぶやく。
私はさらに、言葉を投げかけてみる。
「誰も言ってなくても、貴方の目がそう言ってるの。
全て、お前の責任なんだ。って。」
彼はとても悲しそうな目をして、
「そんな、勝手に推測されても困るよ。それに、全部が
全部、君の責任だなんて、思ってないよ。僕の責任でも
あるわけだし。」
と、答える。この回答はもうすでに収集済みだ。
「だから、全部が全部、私の責任じゃないって、やっぱり
私の責任である部分もあると思ってるんでしょ?」
これに対して、彼は否定するだろう。そして自分の責任である、
と回答するだろう。
「違うよ!僕だよ!僕が全部悪いんだ!君は何も悪くないよ…
ごめん…」
やっぱり。彼はすっかりしょげて、うつむいている。
かわいい!
「そうやって、わざとらしく私をかばったりしないでくれる?
本当は悪い所なんて何もないと思ってるくせに、謝るなんて。
貴方ってすっごく偽善者。」
「ごめん…」
さらにうつむく彼。ここからが私の見せ場。
「もういい!私が悪いんでしょう。私さえいなければ。って
思ってるんでしょう!」
私はここで、テーブルの上に事前に用意してあった薬のビンを
サッと取り上げ、素晴らしい早さでフタを開け、勢い良くザラザラと
飲み込んだ。口中に広がる素敵な苦味。
「何するんだ!!」
驚いて必死に吐かせようとする彼。大丈夫、薬の量は最初から、
ちょっと眠くなるくらい、に計算してあるから。
私はそのままベッドに倒れこんだ。彼の必死な顔が見える。
泣きながら、何か叫んでる。多分、今までの例からいって、
「好きだよ」とか「ごめん!」とかだろう。私はこの瞬間が
たまらなく好き。一番、愛してもらってる!って気がするから。
涙を見せて、許しを乞う、必死で私の身体にすがりついてる、彼。
何てかわいいんだろう。もっともっと心配して!
さて、ひと眠りして、目を覚ませば、きっと「よかった!」って
抱きしめてくれるだろう。「死ななくて、本当によかった!」って、
今まで以上に優しくしてくれるだろう。このことはもう沢山の人で
実証済み。
でも……あれれ?
薬が効いてきてボンヤリとした視界の端で私が見たのは、私を
追ってザラザラと薬を飲む彼の姿。
ありゃ…あれは致死量だ。
すっかり夢うつつの私、目が覚めたら彼の死体をどうにかしなくちゃ。
こんな例も…あるのね…
厭世観の中で、社会の桎梏を脱しよう夭逝願望を抱く人々は能事から遁走し、一体なにを得るのであろうか?
憐憫すら伴われる蔑みに、己の信念を披瀝することなく玩ばれ、棄鉢になれど平仄は合わず、痛みは人に何を与えるのであろうか?
悪意・猜疑・恥辱・不条理な覚束無い境涯で嘱望などできるものか。それでもせめてオプティミストたるを倣い、デキスギなどは少なからず羨望に値し、それに忸怩するのはまた有心からであると寡聞にしているのは、夜郎自大であろうか?
畢竟するに、結局のところ己の料簡などでさえ感興を嚆矢としそこに帰すのだろう。換言してただ誤謬を恐れているだけなのだ………。
忌憚の無い者は人の性情など如何を問わず、恣意的とも受け取れる天資の意匠によって背馳するであろう。
特にはあの快哉を叫ぶが如く、公害以外の何ものでもない超音波兵器級の声で歌うデブチンや、髪型をセットするのに意外と時間を費やしているだろうバカぼっちゃんなどには辟易だ。
いつの間にかウチに定住している青白ツートンの極悪ネコもどきタヌキなどは更にタチが悪い。「そのウソホント」や「地球破壊爆弾」などという道徳心のカケラも見当たらないナメきった道具が盛り沢山の22世紀というのは、一体どれだけタワケた所なのかと日々考えさせられる。
まあ、愛と勇気などという人間の創りだした幻としか友達になれない、自分の体を切り売りして生活しているパンくずよりはマシだがね。
常に串に刺さっているあの3兄弟も、そろそろ自分達の境遇に頭を悩ませるべきだと私は思うところだ。
いいかげんイクラちゃんにも「はーい、ちゃ−ん、バブー」以外の台詞をやってくれ。
ドラァ!エも〜ん、またあのジャイアン(ってなんだ?)とスネちゃま(ひでぇ名前…)にイジメられたよ〜!
だからなんだよ?
雨。
月光と共に降り注ぐ、それは流星ではなく雨水だった。
「うわ、降ってきたぁ?」
雲一つ無いのに雨だけが降る。こんな事態を気象庁が予測できたとは思えないが、とりあえず、天気予報の一つも見られない多忙な日々の方を恨んでおくことにする。
「くそがぁ、せめて曇ってから降り出せよなぁ」
容赦なく服に染み入る雨水を、早々に諦めて受け入れようとしたその時、
「女の子が糞とか言わない」
唐突に背後から現れて、苦笑いながらコンビニ傘を差し出してきたのは彼女の元恋人だった。
「うお、何処から沸いて出た」
露骨に顔をしかめる彼女を、彼は爽やかな笑顔で受け流す。
「変わらんなぁ、口の悪さはいつまで経っても」
「あたしを女の子って呼ぶあんたはどうなわけ?カッコイイ皮肉かましてくれるじゃない」
彼は黙って傘を開くと、改めて彼女に差し出した。ピンと張られたビニールが、雨を弾いてやかましく吠える。暫くそれを凝視していた彼女は、渋渋ながら受け取ることにした。
「変わんないのはあんただ。皮肉屋な上に身勝手で・・・ホント変わんない」
「感心するだろ?」
「呆れてんだよ」
唐突に第三者の怒声が上がる。
「てめ、ふざけんな!」
鈍い音が響き、二人が振り返ると、鼻血を流した男がゴミ袋の山に倒れこむところだった。息を荒げたもう一人がゴミ山へ歩み寄り、力無く四肢を垂れるそれを掴み上げる。悲鳴も上げられないほど重症なのか、どちらにしろ、被害者はこの後、ろくな事をされないだろう。
彼女は走り出そうとした元彼の腕を掴み取った。振り返った彼は一瞬呆気に取られていたがすぐさま腕を振り払う。しかし彼女はもう一度掴み返した。
「大馬鹿、何回同じ事繰り返す気だ?」
「放せ」
「絶対にダメ。云ったでしょ、あんたには無理だって」
被害者がろくな事をされないと解っていても、彼が助けに行くのでは何の解決にもならない。それは、彼が一番よく知っていることだ。同じ事を何度繰り返しても、人を救えたことが一度も無いのだから。
彼は奥歯を噛締めて、ゴミ山の二人を振り返った。が、すでにあの二人の姿は消えていた。一瞬で討論する意義を奪われてしまった二人の間を沈黙が流れていく。しかし、先にそれを破ったのは彼女だった。
「傘、返す」
半ば呆然としている彼に傘を閉じて押し返す。早くここを、彼から離れてしまいたかった。
―思い出したくない―
無言で踵を返し、早足にその場を立ち去った。彼は声をかけてはこなかった。
庭の木々の隙間から、やわらかくて、温かい光りがさしています。風もやさしくささやいています。そう、小春日和です。その縁側で、おばあさんが1人、気持ち良さそうにお茶を飲んでいました。
「昨日まではあんなに大雨だったのにねぇ。いい天気だこと・・・。」
おばあさんは、近くにいる2羽のスズメに、ニコニコと話しかけていました。
「おばあちゃん、ただいま!」
明るくて大きな声の主は、おばあさんの孫の太郎です。スズメ達は、太郎の大きな声におどろき、我先にと屋根の上へと逃げてしまいました。
「おお、太郎や、おかえり。裏の山は楽しかったかい?」
おばあさんは、仏様の様な笑顔で太郎を迎えました。
「うん!見たこともない虫がね。い〜〜っぱい、いたんだよ!おばあちゃんにも見せたかったな。」
太郎は、おばあさんに負けじと、まんまるな笑顔で答えました。
「そうかい、そうかい。良かったねぇ。・・・おや?右の手、虫に刺されたの?」
「うん。ちょっと痛かったけど。でも平気だよ。もう10才の男の子だよ!」
「強い子だねぇ。今、薬つけてあげるからね。」
おばあさんは、その細い指で薬をやさしくつけてあげました。
「ありがとう、おばあちゃん。」
「いいんだよ。」
おばあさんは、相変わらずニコニコと笑っていました。
ふと、太郎は、足元の1本の黒い線に気が付きました。
「アリだ!」
太郎は、アリの行列を見つけたとたん、足で踏みつけました。
「こら。太郎、おやめなさい・・・。」
おばあさんは、笑顔で言いました。
「アリさんもね、一生懸命に生きてるんだよ。命は1つしかないんだよ。」
「ごめんね。アリさん・・・。」
太郎は、すまなそうに謝っていました。
「太郎も命は1つしかないのだから、後悔しない様に一生懸命に生きなさい。」
「うん。わかった!生きてる内にやりたい事、いっぱいするね!」
「そうだね。頑張りなさい。」
すると太郎は、近くにあったクワを大きく振り上げ、おばあさんの頭に叩きつけました。
「ゴン!!!」
おばあさんは、そのまま倒れてピクリともしませんでした。
「ごめんね。おばあちゃん・・・。」
「ごめんね。おばあちゃん・・・。」
「ごめんね。おばあちゃん・・・。」
支配人が、僕を入り口で止める。
書き割りで出来たホテルの中。
支配人は子供。6歳くらい。
「しばらくこちらでおまちください」
小学校の学芸会に紛れ込んでしまった訳ではないらしい。
観客席は見当たらないし、カメラもない。
ただ、広さはまさに舞台そのものだ。
僕は慎重になる。
僕が口を開こうとすると、その子供の支配人が制した。
「おつれのかたのことでしたらごあんしんを」
安心?
安心しろと言われるまで少しも不安ではなかったのに。
余計なことを言う。
「おまちになるあいだ、あちらでこうひいでもいかがですか?」
見ると、奥にソファとテーブルのセットが一組だけある。
ソファは二つ。書き割りではなく、実物だ。
先客がいる。真っ白いスーツに、黄色の靴。
もったいぶって脚を組み、コーヒーを啜っている。
「誰?」
僕は間抜けな質問をする。
誰だか知ってどうしようというのだろう?
子供の支配人が微笑む。
「とうほてるのおうなあでございます」
オーナーね。
僕がソファに腰を下ろすと、その、白服のオーナーが話しかけてきた。
「やはり、このコーヒーはひと味ちがいますな」
そう言って自分のカップを持ち上げてみせる。
「あなたも是非…」
さっきの子供の支配人が直々にコーヒーを運んできた。
僕はコーヒーカップを持ち上げる。
飲むまでもない。すっかり冷めている。
やっぱり学芸会なのか? だから、冷めてるのか?
「何だよ、これ?」
僕の非難に、子供の支配人が意味不明の笑みを浮かべる。
そして、一瞬オーナーと顔を見合わせてから、
「これこそが…」
と、言いかけたその時、邪魔が入った。
「そんなとこで何してんのよ?」
支配人の言葉を遮ったのはミカだった。
その、ミカの声を合図に、周りの書き割りが一気にバタバタと倒れた。
様子がいっぺんに変わる。
ホテルは消え、四方を防音シートで囲まれた更地になった。
防音シートの端から、ミカが顔を出してこちらを見ている。
「何なの?」
「いや、コーヒーが冷めてて…」
すでにオーナーと支配人の姿はない。
「そんな捨ててあるソファなんかに座るのやめなさいよ」
僕は、ソファから腰を上げる。見れば確かに廃品だ。
「もういいの?」
「済んだわよ」
「何してたの?」
「ちょっと」
「ちょっと、何?」
「ちょっと、ちょっとよ」
僕は、煙草を抜き出して、くわえる。
火をつける。
煙を吸い、吐く。
「で、何?」
「バカじゃないの!」
まあ、いいや。
2人で並んで歩き出す。
まあ、いい。
けど、バカって言うなよ。
春の河原の土手に、ヨモギが生えていました。
川の水は透明で、さらさら流れていました。
細い体をした魚の群れが浅瀬を泳いでいました。
ヨモギの芽が出ると、それを摘みに親子がやって来ました。
「お母さん、これがヨモギなの。」
と子供が聞きました。
「そうよ。それが草もちになるのよ。」
とお母さんが答えました。
「摘んでもいいの。」
と子供が聞きました。
「いいのよ。やわらかい芽だけを摘むのよ。」
とお母さんが答えました。
子供の小さな指が、柔らかなヨモギの芽を摘みました。
ヨモギからとてもいい匂いがぷーんとしました。
子供はヨモギの芽を摘んで、紙の袋に入れました。
お母さんと子供はいくつもいくつもヨモギの新芽を摘みました。
紙の袋がいっぱいになるとお母さんが言いました。
「もうこれで草もちが作れるわ。」
お母さんと子供は帰って行きました。
夕日が西の空に広がっていました。
飛行機が長い雲の尾を引いて飛んで行きました。
次の朝になりました。
太陽はまだ出てはおらず、東の空が茜色に染まって、
白いうろこ雲がを空の半分を覆っていました。
老夫婦がやって来ました。
「おばあさん、これがヨモギの芽なのかい。」
おじいさんは聞きました。
「そうよ。これがヨモギの芽なのよ、おじいさん。」
とおばあさんは答えました。
「これがヨモギ茶になるのかい。」
とおじいさんが聞きました。
「そうよ。ヨモギの芽を摘んでそれを干してお茶にするのよ。」
とおばあさんは答えました。
「それで私の体も良くなるかな。」
とおじいさんが聞きました。
「そうねえ。良くなるとといいわねえ。」
とおばあさんが言いました。
おじいさんとおばあさんはヨモギの芽を摘みました。
紙の袋がいっぱいになりました。
おばあさんは、袋の中の匂いをかぐと
「いい匂い。」
と言いました。
ふたりは手をつないで帰って行きました。
東の空にはもう太陽が高く昇っていました。
山かぜに桜ふきまきみだれなん 花のまぎれに君とまるべく
僧正へんぜう
少年が歩いていると桜の下に少女が落ちていた。
「…あのう」
「私は桜の精だから」
「は?」
「さくらの花の傍に居ないと死んじゃうんです」
「ははあ」
五分咲の桜の向こうに煙が棚引いていた。それで彼は桜の精霊の誕生過程を察したが、術なくその場を立ち去った。
その年は桜の咲いた後気温の低い日が続いたから、桜は中々散らなかった。
次の日も、その次の日も少女はそこで眠っていた。
次の日も、また次の日も少年はそこに行き続けた。
確かに春の宵を紡いで作った様な美しい顔立ちの少女だった。少年はそこへ行き、どう見ても近所の女子校の制服を着た精霊の傍に黙ったまま座り続けた。
少女はあの日煙が上がっていた方角から顔を動かさなかった。
風がやって来た。
少年は学校を生まれて初めてサボって少女の道へ走った。少女は桜の降る中に立ち尽くし、その中に今にも溶けてしまいそうだった。
「桜の事なんだけど」
荒い息で少年は言う。
「山かぜに桜ふきまきみだれなん 花のまぎれに君とまるべくって古今和歌集の句、知ってる?」
少女は視線を外したまま頭を振る。
「僕は、古今の中でこれだけは好きなんだ。離別歌ってジャンルに入っててね、それ、大概泣いたり喚いたりする歌なんだけど、これは違うんだよ。
作者は何処かに突っ立ったまま、桜の中去って行く、二度と会えない誰か大切な人を見送っている。
彼は動かないし、多分彼の感情も心のそこで凍えたまま微動だにしない。そんな自分の代わりに桜の花びらが流れる事を願うんだ。自分は行けない遥かな場所迄、自分の動かない感情では捕まえられない叫びでもって、その人を散り降る桜が確かに追い掛ける様に。
僕はそういう歌だと思ったんだよ。
…君と同じ様に燃えるお父さんをこの場所で見乍ら繰り返しそう思ったんだよ」
桜の花びらの散る先には火葬場の煙があった。二年前の春、少女と同じ様に少年は泣く事も出来ずにこの道に一人で立っていた。
少女は少年を初めてちゃんと見た。それから息を詰める少年に向かって静かに言った。
「今度あなたの家に行ってみても構わない?」
少年が頷くと、少女は果たして破顔した。
結局、少年の家のカレンダーの一つを常に三月にする事で当面の折り合いはついた様だ。
だから初夏の新緑の中を歩く二人の後ろ姿で、この物語は終わるのである。
今日道を歩いていたらフランスパンに出会った。ヤツは地面に寝ていたので、まじまじと見ていると私の顔を見て「よっ」と言った。私も「よっ」と言い返した。
フランスパン(以下、フ)「雨ばかり続くねー」
私(以下、私)「ほんと、雨ばかり続くねー」
フ「最近調子どうなの?」
私「んー、胃腸の具合が悪くてね。昨日もゆでキビを2本も食べたものだからさ」
おおっと。
私は言いかけた言葉を飲みこんだ。
危ない危ない、ヤツのペースにはまるところだ。初対面のフランスパンに個人的な腹具合の悪さを打ち明けてどうする。もしや個人情報を聞き出してどこかに密売するつもりかもしれない。私はすぐに気持ちを引き締め、こちらから質問をすることにした。
私「ところでオタクは何でそんな所に寝ているの? さっきからほら、通行人たちの邪魔になっているじゃないか」
フ「……人を待ってるんだ」
ヤツは少し寂しそうな顔をした。
フ「生まれた時からずっと待っていたんだ。いや、待っていたような気がするというのが正しいかもしれないな。おいらなんてニッポン生まれなのに、フランスの血が流れているからって外者扱いされてさ。フランスパンなんて名ばかりだよ。本当はハルユタカで出来ているんだ。笑っちゃうだろ? 所詮本物のフランスパンにはなれやしないのさ。フランスパン風パンだよ。北欧のクリームパン(カスタード風)みたいなもんさ」
ヤツはとても早口で、何を言っているのかちっとも聞き取れなかった。だけどなんだか投げやりになっているみたいなので、私は慰めることにした。
私「君の気持ちはよくわかった。生きていれば色々あるさ、生きていればこ」
フ「あ、待ち人来たり!」
私の感動的なセリフが言い終わらぬうちにヤツは大声をあげた。振り返ると自転車に乗った中年の主婦がこっちに向かって勢い良くやってくるのが見えた。
「あったあった、ここで落としたんだわー」
私はフランスパンを拾い、主婦のところまで持っていった。
「あら、ありがと」
主婦はフランスパンを受け取ると自転車の後ろに付けてあるカゴにぎゅうと入れた。
「今度は大丈夫よね。隙間に押しこんだから、飛び出しやしないわ」
主婦は独り言のように言い、もと来た道を走り始めた。
その時、私にしか聞こえぬ声でヤツが言った。
「今夜はチーズフォンデュなんだって!」
ヤツはとても嬉しそうだった。
幸せになれよ、と雨粒の向こうに小さくなる自転車カゴにむかって私は呟いた。
「面白いものが釣れました」
そういいながら父さんは近所の浜辺から帰ってました。
「ねえ、父さん何が釣れたの?」
父さんは何も聴こえなかったようです。ですから、僕のことなどまるでしらんぷりで台所へ向かってしまいましたた。
「あら、あなた今日は何が釣れたの?」
「今日はとても面白いものが釣れました」
「何が釣れたの?マグロ?鰹?それとも・・・アワビ?」
「それはマイナーすぎますね。ただあなたが食べたいだけでしょう?」
「ねえ、父さん何が釣れたの?」
今度は僕が聞いてみました。すると、お父さんは笑いながら言うのです。
「たか君、本当に面白いものが釣れたんだよ。ああ、今すぐにでも見せたい。で もだめです。これは夜ご飯までのお楽しみにしましょう」
「あら、今日はずいぶん持ち上げるわね?どんなににいいものがつれたのかしら」
僕は知りたくてたまりません。だからお父さんが話しているうちにこっそりクーラーボックスを開けてしまおうと考えました。
ピンポーン
そのチャイムは僕の邪魔をしました。
「たか君、隣の部屋で時間をつぶしていて下さい。時間になったら呼びますか ら。ほら、お母さん、宅配便屋さんが来ましたよ。判子と印鑑と・・・」
外はそろそろお月様やお星様がやさしく光りだす頃です。僕は退屈です。
ガラララ・・・
襖を開けて、母さんが入ってきました
「ホタテよ。それも10個も。今度ホタテ祭りやりましょう」
「ふーん。よかったね」
「なによー。もっと喜びなさいよー」
「やったー」
僕はそんなことよりお父さんの釣ったものの方が気になりました。
夜ご飯ができたのは7:00ちょうどでした。テーブルの上にはきれいにもりつけられた刺身でいっぱいで、母さんを喜ばすための小細工として用意したものだとすぐわかりました。
「ごちそうさまでした。」
母さんは新鮮?マグロを胃に収めてとても満足そうでした。でも、僕はそうはいきません。
「父さん。面白いものって何?」
「マグロじゃないの?」
「そうですね。そろそろ頃合でしょう。いいです。それは・・・」
父さんはおもむろにクーラーボックスから何か取り出しました。
「・・・まさかそれを釣ってくるとね。」
「へっ?」
「父さんある意味すごいよ。尊敬しちゃう。」
父さんが釣ってきたもの・・・
それは長靴でした。
人は誰もが、捩子巻き時計。
自分ひとりじゃ捩子も巻けない、捩子巻き時計。
わたしは彼に言った。
「きっと、何処にも行けないよ」
彼がわたしを振り返る。
「……べつに、どっかに行きたいわけじゃないよ」
「そう?」
「そうだよ」
「そうは見えないけど?」
「……僕がどこに行きたいってのさ?」
「さあ?」
「……さあ? って、なんだよ」
「あなたが行きたい所を、わたしが知るわけ無いじゃない」
「じゃあ、なんで僕が何処かに行きたがってるなんて思うのさ?」
「だって分かるもの。あなたが此処じゃない何処か、わたしじゃない誰かを見てるってことは」
「…………」
彼は答えない。
わたしも無言。
「…………」
「ごめん」
「あやまらないでよ。図星だって言ってるようなものじゃない」
「……うん。ごめん」
「だから、あやまらないでって」
「……うん」
「…………」
「…………」
「行きなさいよ」
「でも――」
「いいから! ……早く行きなさいよ」
「……うん」
ガチャリ
扉を開けた姿勢で、彼は立ち止まる。
わたしは一寸だけ期待する。
「さよなら」
――当たり前か。
「……バカ。もう行きなさいよ」
「うん」
バタン
わたしは膝に顔を埋めた。
「バカはどっちよ……」
時計の捩子が巻き戻っていく……
『ねえ、君、なにしてるの?』
『……別に』
『暇なの?』
『……別に』
『僕も暇なんだ』
『…………』
『空、きれいだね』
『…………』
『風、気持ちいいね』
『…………』
『君、友達いる?』
『……ひとり』
『そう。僕もひとり、友達がいたんだ』
『……過去形、なの?』
『うん』
『……そう』
『…………』
『…………』
『ごめんね。突然、こんな話しちゃって』
『ううん、かまわない』
『そう? ありがとう』
そう言って笑った彼の顔を見た時から、わたしの時間は始まった。
彼が、時計の捩子を巻いてくれた。
――でも、もう彼はいない。
捩子がゆっくりと巻き戻っていく……
もうじき、わたしは止まる。
また、誰かが私の捩子を巻いてくれる時まで、わたしの時間は
また、止まる
暑い最中の出来事。
縁側に面した和室に、いつものように祖父の姿がある。
半死半生の状態でそれでも息をしている。
周期的に意識を取り戻す祖父の姿は、何にもまして痛々しく、時折見せる苦しげな顔や荒い吐息は、祖父の寿命が尽きようとしていることを示していた。
「満月」「の」「夜に世界」「は終わ」「るの」「だ」
途切れ途切れの言葉に、私は目を覚ます。
看病の途中で眠ってしまった罪悪感を拭い、私は祖父の口元へと耳を近づけ極小さな吐息交じりの言葉に耳を貸す。
時は流れを増す。
満月の夜に世界は終わるのだ。
満月の夜の度、世界は終わっとるのだ。
まず始めに秩序が壊れる。
人々の理性が壊れる。
建物が壊れる。地面が壊れる。人が壊れる。
星がうねり、一箇所に集まって弾け飛ぶ。星が降り注ぐ。
家族が死に、皆が死に、犬が死に、鴉が死ぬ。
全てが死に絶えた後、足元にあった全てが粉になる。
何もかもが死ぬ。
儂だけが生きている。
儂だけが死なない。
空気が無くなり、苦しさに喘いでも、まだ死なない。
死ぬ事だけを望み、頭の中をタナトスが駆け回る頃、儂は美しく光る満月に気付く。
何もない暗闇の中、太陽さえない世界で、月だけが光っておる。
酷く滑稽だ。
月が全てを壊すのだ。
儂はあまりの馬鹿らしさに笑う。
月は怒り狂い、身体を七色に絶え間無く変え続ける。
儂は笑う。肺の中の空気が無くなっても笑う。月は怒る。狂う。
それが永遠に等しく、続く。
やがて儂が死ぬ頃、七色の月は弾け、虚無を包む。
儂の足元に粉が集まり、地平の先まで形作る。
倒れ臥し、それを見つめ続ける。
何処からか赤いものがぞわぞわと集まり、徐々に厚みを帯びて行く。
それが人だと気付くのは、大概内臓が形を持った時だ。
儂は嘔吐する。
胃の中のものが無くなっても嘔吐し続ける。
見る間に全てが元に戻り、朝を迎えている。
儂は
祖父、の言葉、が、途切れる。死。死。死死死。
家族に知らせなくてはなら、な、い。
私は縁側に出ようと障子を開けた時に見えた満月
祖父の言葉が頭の何処かで熱を帯びている祖父の荒唐無稽な遺言或いは壮大な独り言を否定できずにいる自分がいる彼にとっての世界は確かに満月の夜に終わり死死死死死死死んだ何かの予感がある私は何か上から抑えつけられたような気がして膝からくずおれると秩序が理性が人間が溶け出し空が星が降り注ぎ空に光るは満月
最近年のせいだろうか、酒を飲んだ時のことをすっかり忘れてし
まうことがある。仕方がないので一緒に飲み歩いた連中の話を繋げ
ては『ああ、楽しかったんだな』と納得するようにしている。
たとえ覚えていたところで、大した意味はない。どうせ朝に残さ
れているものと言えば、ツンとくる小水の臭いとアセトアルデヒド
による目眩と脱力感。いくらいい女と旨い酒を飲んだところで、す
べては水泡のごとく消え去った過去……。
ならば、別に飲みに行かなくても同等の感覚は十分味わえるので
はないだろうか。朝の目覚めがいい分、この方がまだましかもしれ
ない。健忘による自らの『老い』を痛感する必要もないのだ。
全く経験のない事柄ならば、想像の域を出ないだろうが、二十年
以上も酒を飲んでいると、幸か不幸かある程度幻想の世界に浸れる
だけの記憶の欠片はまだ残っている。格別大そうな贅沢をしたいわ
けではない。気の置けない仲間達と庶民的な酒場を二、三軒梯子酒
が出来さえすればそれでいいのだ。もちろん一品か二品程度なら食
べたこともない飛び切りのネタを堪能することはできるし、望むの
ならば話を聞いてくれる女達を登場させるのも自由だ。
ただし。ここで肝心な点は、その感覚を分かち合うに足る『仲間
』が必要なことだ。ただ一人だけでイメージしては単なる妄想でし
かない。リアリティーのある思い出を築き上げることは不可能なの
だ。
かと言って、相手は誰でもいいと言うわけでもない。共通の哀愁
を身に纏った『真の男達』のみがその失われた過去を共に語らい、
同じ思いを体感することが出来る『同士』なのだ。
「あのぉ……」
「君らは解ってくれるよね? この気持ち」
「でもぉ……。おい! お前何とか言えよ」
「おっ俺に振るなよ!」
「ううう。課長、もうやめませんか! 辛いっスよ」
「君ら……、いくら?」
「一万っス」
「自分は二万五千円ですよ。今月相当やばいです」
「私は、四万だよ?」
「もう、帰る電車賃しかないっス」
「だからさぁ。飲みに行ったってことにしようよ」
「……」
「何か違うけどなぁ」
「だからねぇ、今晩泊まらせてよ」
「えぇ。またっスかぁ?」
「ね、ね。三人で飲みに行ったってことにしてよ」
「空しいですね」
「かぁちゃんには競馬のこと内緒だから、ね?」
「また俺達『悪役』っスかぁ」
三人は最終レースを待たずに、オケラ道を駅に向かって歩いて行
った。
また一つ新しい物語が生まれようとしていた。
「青信号です。発車致します。手摺におつかまりください」
朝靄の中を、俺の運転するバスは軽快な走行を続ける。
「地球温暖化防止の為、無駄なアイドリングなど決して致しません」
「そりゃそーだ。いいぞ。運転手!」後方から声が飛ぶ。
俺のバスに乗って理由なく終点のバス操車場までついて来る客が最近増えた。
会社側も頭を捻りながら喜んでいる。
どうやら人気の秘密はこれだ。
「先生、お早うございます。御無沙汰です」中学時代の教頭がふらふらしながら自転車を漕いでいる。
「おネーちゃん、ごくろうさま」昔の片思いの花屋の娘の一人娘だ。
お辞儀を繰り返しながら器用に運転するのが通行人にも乗客にも受けるらしい。
前を見て運転してたら挨拶なんて出来ゃしない。いつも両側の歩道に極力注意を払っている。
「うん、おっ、目礼!」
すかさず、後部座席のおばさんから質問が飛び出す。
「今のは、何なの?」
「乳牛が運ばれて行くんで、つい」
「可哀想だからかしら?」
「いや、目が合ったんデ、つい」
「でも、三回お辞儀してたわよ」
「車の柵から顔を出しているのが3頭いましたから、全員に」
「へ〜たいしたもんだわ、動物さんにまでもねぇ」
「いいぞー!運転手」「礼儀正しい人ねェ」車内が拍手で溢れかえる。
それを見ていた停留所の客も乗るのを忘れて拍手し始める。
これだから、俺のバスには『定時』という言葉は似合わない。
「街中に気配りしながらの運転御苦労様です。」
左後方で孫を膝にのせた老婦人が手を合わせて拝んでいる。
「おおっ!いけねぇ」
ハンドルから両手を離し、両手の親指を隠した。バスは順調に走行している。
「おばあちゃん、うんてんちゅさん、ハンドルもつてないよ」
「そんなことないわよぅ、あれま本当だ」
慌てない、慌てない。俺は車内アナウンスを行う。
「ただいま、右斜前方のガソリンスタンドに霊柩車が停車中。通り過ぎるまで手放し運転いたします」
乗客も皆じっと目を伏せ親指をかくしている。
「いや〜親切な運転手だ」
「こんな運転手だったら、事故も起きないのにねぇ」
「ほんと、ほんと」
バスは低速ながらも中央分離線を半分越えて走っている。
感嘆と讃美の声が溢れる中、俺はやっとハンドルを掴んだ。
「赤信号そのままオーライ。迷うなら進めってか」
俺は自信ありげに左右、前方へ目礼しながら、今日も猛スピードで交差点を走り抜ける。
左右からのクラクションが今日はとりわけ心地良い様に響いては消えていく。
…通り昼から厳戒態勢に入っております。皆様、午後7時よりご自宅から出ない様にして下さい…
アナウンスが響き渡る。思ったより家の近くにスピーカーがあるんだと、初めて知った。
確率は約94,7%。驚異的な数字らしいけど僕は結構ふつうだ。普通に起きて学校に行って、半ドンだったけど、普通のナーナと一緒に帰った。
いつも通りの日。今日地球に星が落ちるなんて嘘みたいな。
母さんは落ちるか落ちないかで言えば1/2なんだから、と屁理屈を言っていたけど何だか負け惜しみみたいに聞こえた。だってきっと星は落ちる。予感とかじゃなくて、政府や金持ちはとっくに他の星に逃げてしまったのが何よりの証拠だから。
「…潤。起きてる?」
窓の向こうから声。ナーナだ。ナーナの家と僕の部屋はべランダから行き来できる。
「出といでよ」
明らかに僕の部屋にそぐわないと思われる極彩色のカーテンをめくると、なぜか制服を着たナーナが居た。夜を背にして。ナーナは極彩色に似ていると、ふと思った。
外に出ちゃいけないんだよ、と言うと、知ってる私あの馬鹿でかい放送で目が覚めたんだからと言う。そう言うと思ったけど別に言ってみただけだ。他に反論する理由が無かったので、大人しくベランダに出た。
硝子窓にもたれて座ると揺らぐ月が覘く。
「何で制服なの」
髪のすき間からセーラーカラーが見える。ナーナが笑うと一緒になって揺れた。どんな格好すればいいか判らなかったんだもの。
それもそうだな、と思い、本気でちょっと困ってるみたいだったからそれ以上言うのはやめた。
「…おばさん大丈夫?」
「解んない。でも、泣いてた」
僕はおばさんが泣いてる所なんて見た事ない。泣いたりしないひとだと思っていた。ゆらゝと。月が。月も泣いているんだろうか。
「もうすぐかな」
「うん」
ずっと上の方で空はいつまでもかたちを変えていく。
「やっぱ、死んじゃうかな。私も、潤も」
白いナーナの横顔。いつもここからナーナを見ている。ずっと、隣にいたから。死ぬかもしれないけど、でも僕たちは涙を流せないし理不尽さに怒ることも無い。多分そういう事。
「死なないよ」
月はこんなに明るいし、夜はいつも通りの静けさで、僕たちはここに…いるし。
そうだねって、ナーナがわらう。それでいい。
手を伸ばして指先に触れると、酷く冷たかった。蒼いひかりを帯びた指先は少しかなしい。
「…冷たい」
ん、とナーナは答えて、それから月の匂いのするキスをした。
京都に行く、パーティは夜の8:30からだった。
今流行りのリラクセゼーションで、ゆっくり浸りすぎて、気分はよくなったもののまだ、寝付いてくる昨日までの疲れがある。
前の彼と別れて2週間、私は次の彼と出逢っていた。
よくある河原町のタイルらしきレトロの風が似合っているのか、今は遠い冬の幻があるようだ。
「びっくりした、松本さん?私のこと...あっ」
と
「松本さん、私が振った彼。でもとても好きな人だった」
と ゆっくりふくよかな頭の神経を掻い潜り、潜るように眼をあけようとした。
「美代さん、ここはまだ地獄よ、眼を開けず、ゆっくり眠りに落ちて」
私は、まさか!!とは思えず
「何かおかしい、さっきとても良い気持ちで、全身の凝りが癒えることがあったのに、地獄だなんて」
と家のベッドに眠っている記憶になり誰かの声を無視しているのか
はたまた聞こえてなく、ゆっくっりと微笑む。
真綿のベッドの中に入り込んだ。
その中は、藁でも、雪でもなく、ふくよかな
真綿のベッドに包まれ抱かれたんだ。
ザーッと潮風のするたくましい音を聞き、驚き目覚めたい。
でもまだ眠りたいのか、眼を開けるまでには足らず、穏やかに眠りの中に落ち込んでいった。
ご臨終です。命日は明日4月30日。
不思議だが、私は死んだの?確かに記憶は、街を歩き、棒に当たったこと....
「あっ、思い出した、いつも夢に出てくる人に出会った瞬間、私はどこかに飛んだんだ」
観世堂のおいしい、夏みかんゼリーを買った日が懐かしいが、そこにいてる自分を見て、驚いて消えた瞬間、
「ひょっとして、本当に死んだの?」私は、まだ疑ったが
ゆっくりと街を歩き、おとなしく八坂神社の境内で
「あのぉ、私は死んでるのですか、みんな見えてないですか?」と言った。
やはり誰も見えないのか、私に急にどんどん何かを投げ入れてくる。
どうやら、賽銭箱の横に立っていたようだ。
私はまちがい両手を出して、一杯になる自分のポケットにこれからの生活を考えた。
家を引越しして、フランス製システムキッチンをつけ、ベスパを買おう。
又、声がした。
「あなたは、白鷺地方へ行った方が良いよ」とアドバイスされた。
私は
「リンゴを探したいので、白鷺へは、明日旅立つわ」
と答え、目覚めた。
看護婦さんがいた
「良かったぁ!あなた、2日間も眠っていたのよ、街で急に暴漢されて、全身打撲の全治3ヶ月、犯人は...」
だから私はやっぱり息をひきとった。恐いので。
静かな微笑みで、いつも僕の事をじっと見つめ続けてくれる。
君は悲しいドブネズミ。
「納豆は俺が貰うからな」--次男
「なによ、私だって昨日食べられなかったんだから」--長女
「うっさい!俺が貰う」--長男
「なんや?大きい兄ちゃん昨日食ったじゃん」--四男
「うっさい!」--長男
朝飯の食卓はいつもけたたましい騒ぎ。
「どうだい?少しは慣れたのかい」--母ちゃん
「ああ。」--俺
無愛想に答えて、そそくさと鞄を抱え俺は家を出た。
四月から高校に進学して、やっと一ヶ月が過ぎようとしていた。母ちゃんは何かと三男の俺の事を気に掛けてくれるが、それが逆にムカついて今は口も聞きたくないと言った所だ。
(慣れたって、どっちの事だ)
無理して進学率の良い高校に俺を進め、俺の将来の為? あんたの将来? そんな下らない事を考えているんだろうと思うと本気でムカついた。無理して入った学校じゃあ成績なんか良いわけがない。ついて行くのが精一杯。毎日が嫌になるくらい独りぽっちだ。
「鏑木、お前部活に入る?」
クラスの俺と同じ立場の加賀屋が便所で、朝のいっぷくの時に呟いた。
「わかんねー」
「俺さ、勉強できねーし、運動もダメだろ。だからどうしようかってな」
わかんねーと言ったが、俺はそんなもん出来るわけ無いって思っている。家の貧乏は絵に描いたようなもんで、俺がバイトしなきゃ自分の勉強代だって出やしねえ。母ちゃん達の稼ぎじゃ明日の飯も危ぶまれる位だ。
「どうする?」
「うっせーな、わかんねーよ」
食器の音が絶え間なく鳴り響く。
水道からは勢い良く流水の帯がシンクの底に泡の渦を巻いていた。無意識に両手を動かして次から次へと運び込まれる食器の山を洗い流していく。それが俺の放課後だ。
両腕がぱんぱんに張った頃、ようやく俺の一日が終わる。手拭で腕と顔を拭うと、壁際の油缶に腰を下ろした。疲れがどっと全身を覆った。無意識に何度も汗ばんだ顔を拭うと、母ちゃんの顔が浮かんで来た。
(ああ、勉強しなきゃな……)
ふーっと、一息つくとそんな事を考え、シンクの下に目線を向けた。
薄暗いシンクの下でじっとこちらを覗いている目線がある。何だろうと思い目を凝らして見てみると、頭を少し揺らしながら歌でも歌っている様にくすんだ茶色いネズミが一匹こちらを見ている。
(お前、何してるんだ?)
そう言ったつもりが、逆にそう言われている様に、君は楽しげに頭を揺らして 俺を見つめていた。
会社帰り、辺りが急に暗くなると目の前が霞む程のどしゃ降りになって、僕は持っていた傘を慌てて広げた。
その傘は随分前から使っていて何度か修理に出したことさえあって、赤と青のチェック模様は、男性用なのか女性用なのか判断が付きかねたけど、僕にも少し大きめの丈夫な傘だった。
少し小降りになったけど、雨脚はまだ強く人影は少なかった。
傘を持っている人を待っていた様に、突然その女性が入ってきた。
「駅まで一緒にいいですか?」
にこやかに微笑む彼女は僕と同じ年代らしいが、知らない人の傘に割り込む様な、そんな厚かましい女性には見えなかった。というより、何でも許せるくらい可愛かった。
「はい、どうぞ」
僕は彼女の出現で少しうろたえた。
見ず知らずの、それも可愛い女性と相合い傘だ。濡れたブラウスに映る下着の線が、あまり彼女を見てはいけないと意識させ、僕は真っ直ぐ前を見る努力をした。
少し気まずい思いをしながらも、駅までの道のりを女性の歩調に合わせ、彼女がなるべく濡れないよう傘を傾けた。
「突然で吃驚したでしょ?」
「お互い様ですから」
少し意識して、僕は素っ気無く答えていた。
「でも、いい傘ね。柄の部分は桜ね」
「そ、そうです」
突然彼女は僕の手に、柔かな手を重ねてきた。まるで滑るように纏わりついて、なんともエロチックだった。
「少し話しません?」
好奇心で一杯だったけど、なんだか巧く行き過ぎているようで恐くなり、駅に着いたときの彼女の言葉を無視して、僕は彼女の誘いを断り電車に飛び乗った。
翌日の帰りも雨が振って、彼女が昨日のように、当たり前の顔で僕の傘に入って来た。「ウフッ」そう笑っただけで、彼女は又僕の手を握ってきた。ちょっと恐くなった僕は、手をどけてくれるように頼むと、彼女は悲しそうな顔をしながら残念そうに手を離した。
「私…、ほやなんですよ」
そう言ってじっと僕を見つめた彼女は、悲しそうに雨の中を駆け出して行ってしまった。
一体どういう意味なのか判らないが、涙ぐんでいた顔が僕に罪悪感だけを残していた。
友人にこの話をしたら、せっかくのチャンスをバカだと言われた。どうやら彼女は、僕の手ではなく、傘の柄に触れていたかったのだという。ほや(寄生)はヤドリギの事らしい。
「学校で習ったろ、忘れたのかよ。傘の柄に寄生させれば、何でも願いが叶ったのに…」
そういわれて始めて、小学校の時習った記憶が蘇った。
あたしってね、昔からどうも“貢ぎグセ”があんのよねー。
人のよろこぶ顔が好きなのよ、あたし。
持ってる物を『それ、いいね。どこで買ったの? 欲しいなー』な〜んて羨ましがられちゃうと、
ついうれしくなって『あげようか?』なんて言ってすぐにあげちゃうの。
この1ヶ月だけでも人にあげちゃった物、たくさんあるわ。
ライターでしょ、お気に入りの口紅でしょ、かわいい化粧ポーチ、
ブレスレットとか時計、もう思い出せないくらい。
でもさすがに、ものすごーく気に入ってる物とか、よっぽど高い物はあげないけどね。
小物程度ならすぐに『じゃーあげる』ってプレゼントしちゃうの。
だって、一度はあたしが使ったものなのに、それで相手に喜んでもらえると、
プレゼントしたこっちまでうれしくなっちゃうじゃない?
先週は京子にお気に入りのネックレスあげちゃった。いつもあたしが使ってたのにいいの? って聞いたら京子、
『宝物にするわ!』なんて言って大げさなぐらい喜んでくれて、あたしまでうれしくなっちゃった。
あんなに喜ばれると、また次も何かあげたくなっちゃう。人に貢ぐのがほんと好きみたい、あたし。
イケないことかしら? イイことよね。だって、相手に喜んでもらえるんだもの。
そうそう、つき合ってる彼の健一くんにも、いろいろあげたわ。
誕生日にはバッグもプレゼントした。他にも靴とか、年代もののジーンズとかね。
この前は、あたしが気に入っていつも使ってる電磁調理器あげたの。
彼ったらね、料理がすごく好きなの。腕前もプロ級なんだから。
でね、あたしんちに遊びに来て料理作ってくれるたびに、電磁調理器みて
いいなー、俺も欲しいって言うんだもん。
だから、そんなに欲しいならあげるって言って、プレゼントしちゃった。
でもね、一番仲良しのヒカルが健一くんにあげた電磁調理器、欲しかったみたいなのよ。
もっと早く言ってくれてたら、先にヒカルにあげたのに。
ヒカルったらすごく残念そうな顔しちゃって、可哀相になるぐらい。
だからね、健一くんごとヒカルにプレゼントしたの。だってヒカルったら、
『いいなー美智子の彼、かっこいいよね、優しいし』なんて言ってほめてくれたんだもん。ちょうど良かったわ、電磁調理器もついてるしさ。
あたしって、だめねー。ほんと貢ぎグセが治んないわ。
でもいっか、あたしがあげるものはみんな『おさがりの小物』ばかりだから。
好きな人がいます。
その人はこの白い箱の中に存在する。
毎日浮かび上がる、文字だけの会話。音のないカッコワライで表される歓喜。
その人物は自分を「かせい」と呼びます。そしてわたしのことを「せいら」とよびます。
(かせい聞いて…。今日またつらかった。まだ自分を傷つけちゃったの)
(大丈夫だ、僕はここにいるよ)
(本当に?)
(うん)
スクリーンを触れると、本当にその人に触れているように感じた。機械的な熱が、その人の心の温かさのように感じる。
画面から目を落として、自分の手首を見つめてみる。幾度も傷つけては癒されてきた無数の記録。
死にたいわけじゃない。ただ、生きていたくないだけ。
あたしの世界はここにない。
あたしの居場所はこの中だけ。この、白い箱…。
かせいと話すと、癒された気がした。キーを打っている間だけ、わたしを包みこむこの空間が優しくなったような気がする。
会ったこともない人。だけど、この胸にある思いは、この箱のように、人工的に作られたものではない。自然にあたしのなかで育ったもの。
(かせい…あたし、かせいに会いたい…)
(え?)
(会って、声を聞きたいの。姿を見たい…。かせいはなんどもあたしを助けてくれたよ。だから、会って、ちゃんとお礼が言いたいの。それにあたし)
(せいら。僕もせいらにあいたいよ
でも…)
(なに?)
(いや……。うん、明日、会おう。)
(明日?嬉しい。どこで?)
(うん。…)
今夜は嬉しくて、眠れそうもない。
どんな人だろう。あたしをなんども癒してくれた人。かせい。火星?火の星?まるで太陽だ。あたしの、太陽。
ごく普通の、どこにでもある住宅街の一角。飛び散る墨と、焼け落ちた家の後に残る無残な骨組み。
「あら、何かあったんですの?」
集まった人達の中で、比較的仲の良い主婦をみかけ、声をかけてみる。
「えぇ、なんか火事らしいですよ。息子さんがなくなったって…」
「あれ、お気の毒に…」
「いえ、それがね、なんだか、ひどい肥満で。コンピューターの前に座ったまま動けなくて、結局…。火も、なんだかものすごいたこあし配線だったところから、何かに点火して…。そのまま火だるま。」
「あらーこわい。」
少し早くきすぎたかな?まだそれらしき人は来てない。
どんな人だろう。きっと、太陽みたいに明るくて素敵な人…。
機械の熱じゃない、本当のあの人の暖かさに、包まれてみたい。
早くこないかな。
毎日が淡々と過ぎた。
いつまでたっても限りない疑問は消えなかった。ボクの特別な日はすぐにやってきた。大切な人との約束の前に、僕はココで「今」を感じたかった。何もしなかった。地面に座って、ヒトの流れや、景色を眺めていた。足りない何かを探すようにただ眺めていた。ココで何かを感じたかった。
そして、いつもの様に考え出した。
「何の為に生きているのか?」
いつだって答えは見つからない。見つけたと思っても、知らないうちに自分にウソをついている。なぜこんな『答え』の存在しないことを考える?平和な時代に、生きていくことが当たり前のこの国に生れたオレにはリアリティすら、感じれないのに。生きているだけでは不幸なのか?なぜこんな疑問に縛られる?ヒトが殺しあった過去の話を聞いても、地球の危機的状況を聞いても、ただ生きることさえ出来ない人達がいても、一時的な同情と、他人行儀な、ちっぽけな心しか持てない。でも僕は生きている。何の為に?
考えていたら、時間は流れていた。タバコを吸って、辺りを眺める。初めてココに来た時のように。
テレビ番組で見慣れた風景だった。純粋にキレイな駅だと思っていた。
初めて見たココは、見慣れた風景とは違った。僕の見た映像の中にはホームレスは存在しなかった。目の前には「リアル」な風景が広がっていた。歩く人々が、世の中が偽善者に見えた。
ココは汚かった。人間も同じだった。それすら認めない。愚かだ。オレも同じか?「今」でも人々は何も無かったように通り過ぎている。
また、世界が醜く見えた。
そして、自分を否定したかった。何もかも終わったって構わなかった。バックの中のカッターを眺める。
でも、手が動かなかった。考えても、考えても、終わりが見えなかった。逆に弱い、醜い自分を、必死に隠そうとしていた。涙が溢れてきた。夢や希望を必死に感じようとした。大切な人の顔が浮かぶ。幸せに感じる自分が恥ずかしかった。
カッターを置いて涙を拭いた。周りには何も変わらない世界が広がっていた。いい天気だ。
僕の20の誕生日。結局20年経っても何も見えないし、何も分からなかった。ちっぽけだ。でも続いていく。始まりなんて覚えてないし、終わりなんて見えない。ずっと続いている。これまでも、これからも。きっとそうなんだ。
遠くから大好きなヒトが走ってくるのが見えた、それで何もかもが吹っ飛んだ。はじける自分の笑顔には矛盾すら感じなかった。
不思議な感覚に、彼女は目を覚ました。
ここは何処?
そう、誰ともなく呟こうとして口を開くと、波が押し寄せ彼女の息を止めた。
彼女は驚いた。どうやら私は……海の中にいるらしい。何故海などにいるのか考えても分かるはずは無かった。彼女はさっきまでベッドの中…正確に言えば東京都杉並区の小さな街の一軒家の四畳半の部屋にいたのだ。海と言えば幼い頃行った日本海と、東京の汚い海しか知らない。月明かりの下の海がどんなものかなど考えたことも無かった。
おまけに彼女は想像力が貧困な方だったし、冷めてもいた。普段は見ないのにこんな変な夢見るなんて、おかしいことだ。
――そうか、夢。
彼女は安堵のため息をついた。夢だ。でも、どうしてこんな夢を見るの?
考えても分かるはずは無かった。いや、どうでもいい。大体こんなリアルな夢を見るのも、今日が初めてなのだから。
もう深い事を考えるのは止そう。
夜空の月に笑うと、いつもの日々が妙に無為に見える。どうでもいい事ばかりだ。テストの点。髪形。新しいマニキュア。友達らしき人。親。そして、私。To be, or to be not. どっちでも良いじゃない、ハムレット?
含み笑いをすると、再び唇の隙間から海水が気管に入った。むせかえる。死にそう…そう思って、ひらめいた。
夢の中なんだもの、死んでしまえば良いのよ。
先程から海の冷たさを感じなくなっていた。体が冷えてきたのか、包み込む液体が何だかいやに生暖かい。
簡単なことだ。ただ息を吸うように水を吸う、それだけだ。そういえば死ぬ夢は逆夢だと本に書いてあった。
そう簡単なこと、簡単なことだわ――唱えるように呟いて微笑んだ。海水は容赦なく侵入し気管を下る。空気を完全になくした躰は、海深くへと沈んで行く。ある所で、不意に月の光が彼女を照らさなくなった。それでもただくるくるとらせんを描いて、それは沈んで行った。
ばち、と何かにはじかれたように、目を開ける。
やはり夢だった。
彼女は息が出来るのを確認した。まるでその手も足も目さえも、自分のものでないかのような不思議な浮遊感にあふれていた。
しっとり濡れた髪をかきあげる。軽く唇を舐めると温かい海の味がした。もう彼女は『何故だろう』と考えるのを止めていた。そんなことは、昔のあたしが好きだったことにすぎない。
くすくす、と声を立てて笑う。
彼女は確かに自分の中で何かが変わりゆくのを実感した。
月が落ちてくる、という噂が僕のところにも届いてきたのが6月のことで、月接近問題調査委員会からの公式見解としてそれが発表された7月には人々の不安はもう手がつけられないぐらいのところまできていて、治安は悪くなったし宗教団体も増えた。僕はというとそんなことにはあまり関心がなくて、4月の終わりに出した由美子へのラブレターのことだけが、気がかりといえば気がかりだった。
春に出したラブレターの返事がないままに夏がすぎて、秋になった。いかに僕の気が長いとはいえ、半年も待つとさすがに心労がたまってきて、僕は由美子の気持ちを直に確かめてみることにした。
火曜日の夜は、1週間のうちで唯一僕と由美子が店に二人っきりになるときで、会話を交わす機会があまりなくなっていた彼女に、思いきって声をかけてみた。
「あの」
僕の呼びかけが聞こえているのかいないのか、彼女は僕に背を向けて、月と反発しあうという斥月ハットをかぶったまま、ほうきで床を掃いていた。世界中の人がそれをかぶれば月の接近を遅らせることができるのだ、という科学者のような宗教家のような人の熱弁をテレビで見たことがある。そのころ世間では、月の粉を防止するマスクとか、月の音を探知する耳あてとか、そういう防月グッズが流行していたけれど、僕はひとつも持っていなかった。
「あの、ラブレターのことなんだけど」
彼女は手を止めて、きりっ、とこちらに振り向いた。斥月ハットが黄色く光っていた。
「なに?」
「ラブレターの、返事をさ」
「ラブレター?」
と彼女がまるでそんな言葉生まれて初めて聞いたわとでもいうような顔をするものだから僕は驚いてしまって、
「し、4月に渡したじゃない」
と裏返る声で言った。
彼女は3秒ぐらいうつむいてから顔を上げ
「ああ、あれね」
とうんざりしたような声で言った。
「返事をさ、聞きたいんだけど」
この僕の言葉が彼女の勘に触ったようだった。
「そんなの知らないわよ! こんなときに、よくそんなラブレターなんて気にしてられるわね」
「いや、だってさ、落ちてくるのって早くて90年後でしょう。僕たちには、関係ないじゃない。どうせ死んでる」
右の頬に強い衝撃がきて、左の頬も続いて叩かれた。彼女は僕にほうきを投げつけて、勢いよくドアを開けて店を出て行った。開け放たれたドアの向こうに見える月は、斥月ハットの効果があるのかないのか、ともかくまだまだ遠くにあった。
ミカコという女がいてね、そいつは俺が実家いた時からのメル友でね、千葉に住んでたわけよ。
で、まあ俺も東京っつうか埼玉に行く事になったから、会おうって事になったわけよ。
声がめちゃくちゃ可愛かったのね。バンドもやってるっていうし、結構なオシャレさんらしいし、まあブサイクではないだろうと思ってたわけよ。
何も知らずに・・・。
千葉の何処だか忘れたけど、駅前で待ち合わせして、見てブサイクだったら逃げようと思ってたわけなんだけど。
俺が先に見つけられたわけよ・・・。
デカかった。ミカコはあまりにもデカかった。
俺よりもデカかった・・・。
顔に出ちゃったんだろうね、「もう帰りたいんでしょう」ってプンスカプンスカ言うわけよ。でも、メル友だった時は仲良くメル友してたわけだから、今日一日俺も楽しくやろうと思ってね、頑張ったんだけどね、なんかでっかい歩道橋みたいな所で、「ここから飛び降りようかな」とか「ここから飛び降りたら死ぬかな」とか言うし・・・恐いんだよ。
まあ確かにメル友だった時も少なからずそういうところがあって、もしかしたらヤバイ人なのかなとか思ってたけど、声が可愛かったからね、本当に、声がめちゃくちゃ可愛くてね・・・。
カラオケに行く事になって、さすがバンドやってるだけあってめちゃくちゃうまいんだよ。ジュディマリ歌ってたんだけど、目をつぶればそこにユキがいるんだよ。
でもね、俺は見てしまったんだ。
マイクを持つその手首に、十数本のためらい傷を・・・。
もう恐いの通り越しちゃったよ。
ミカコの手引っ張って、いきなりチュッチュしちゃったよ。
もちろん俺から。
すんげえ味がしたね。なんつうか、厚化粧の婆の顔舐めたみたいな。
コップに唾はきながらチュッチュしてたよ。
もちろん舌からめた。
手回しても背中まで手が回らないし、そんなことやってる最中店員がジュースもって入ってくるし・・・。
俺はちょっと泣いていたかもしれない。泣きそうになりながら、もうこのままやっちまおうかななんて考えたし。つまり、童貞捧げようかななんて考えてたし。
生理だって言われたけどね・・・。
さようならミカコ、お前の事は忘れない忘れる事なんて出来るはずが無い。
そして俺はあの時、お前を愛していたのだろうか!!
「痛、痛たた……」
アリは痛む脚をさする。踏ん張ろうとしたが、無理だった。黒くしなやかだった外骨格は老いに歪み、節々は動かす度に痛覚を刺激する。
「ついに……歩けなくなったか」
横になったまま、彼はトンボの腹をむしって食べた。柔らかく汁気の多い腸の旨味が、しばし痛みを忘れさせる。
アリはむさぼる。
腸を、筋肉を、羽根を、外骨格を。
まるで、かつての力を取り戻そうとするかのように。
だが、アリは依然としてアリのまま。トンボも十分の一も食べられてはいなかった。
「――ふぅ」
食事を終えたアリは、視線を少し上に向ける。
トンボ、トカゲ、セミ、砂糖粒、飴のカケラ……。
巣に溜められた無数の食料の山。
狩りの出来た若い頃から昨日までの間に、全力で集めたアリの財産だった。
ある朝、アリはいつもよりも強い痛みに目を覚ました。
「――?」
すっかり慣れっこになっていた脚の痛みが、より酷くなっている。
アリが痛みを堪えながら食事をしようと、身体を動かした時。
ずるり。
脚の外骨格が剥がれ落ち、筋肉が伸び、神経がちぎれる。
脚が、腐り始めていた。
カビの菌糸が、がっちりと根を下ろし、微生物がアリの脚を喰らいつつあった。
アリはトカゲの尻尾を今日の食事に決めた。
トカゲの尻尾にはカビが生え腐臭が漂い、アリが食いつくと肉が糸を引いて骨から外れた。
アリはトカゲの尻尾を食べ終えると、また食料の山を見上げた。
その日、アリの胃袋が腐って穴が開いた。
だが、アリは依然としてアリのまま、食事を続ける。
幾度目の冬を越えたのか、もう分からない。
ただ、時折訪れる仲間のアリたちの中に、彼よりも年上のアリはいなくなった。彼よりも多くの食料を蓄えたアリもいなかった。皆、彼に敗北した。
今日の食事は一匹のひからびた若いキリギリスだった。
アリは唯一動く口で、キリギリスの腹を喰い破る。カサカサになった腹は、ろくな脂気も、旨味もなかった。
「……不味いな」
アリの胃袋の破れ目から、キリギリスの肉片が僅かにこぼれ落ちた。
「なんで、こんな獲物をとっておいたんだ?」
アリは口直しに砂糖の粒を食べた。
膨れた腹をさすりながら、アリはいつもの様に、食料の山を見上げる。
腐り、干からびながらも、食料の山は依然、山だった。見上げるほどの、山だった。
「もう少し旨いものを選んで捕っておくべきだったかな」
アリは満足げなげっぷを一つした。
「散歩に行ってくる」
と、私は家のどこかにいるであろう妻に断わり、あくびのような返事を背に玄関を出た。たしかに土手に着くまでは散歩だが、それから先は、家族にさえ告げない秘密「土手ころがり」の時間である。
意義のない散歩を終え、土手のいただきに登った。芝は青々と栄え、点在するたんぽぽが風に微動している。いくらかかたむきつつある太陽の下、形のない雲が浮かんでいる。ごく平凡な風景――絶好の、ころがり日和である。
私はおもむろに、うつむきながら斜面を往復して、常用のルートをあらためた。石や犬のフンといった危険物がないことを確認すると、ふところに隠し持ってきた雨がっぱをすばやく着る。ないほうがよいものだが、衣服についた草を家族に指摘されないがための防護服である。
そしてようやく私は、ころがり始めた。
若いころは前転も後転も思いのままだったが、いまとなっては横転がせいいっぱいである。しかし、土手ころがりのすばらしさ! これに違いはない。
視界が回転する。青空、芝生、青空、芝生……鼻を草の臭気がつき、目に太陽がまぶしい。冷たい地面が体中をなめ、また同時に春の空気が体中をなで、めぐりめぐる天と地の走馬灯が加速を増し、やがて止まり、少年がいた。
「なにやってるの?」
ふもとに大の字となった私を、不思議そうに見下ろしていた。年のころは小学校低学年と見えた。
「なんでころがってるの?」
私は身を起こして、体についた芝をはらいながら、
「土手ころがりだよ」
「ふうん」
少年は納得した。われながら秀逸な名称「土手ころがり」は、この行動を説明するに雄弁あまりある。
「きみもやるかね?」
「うん」
私は、少年に土手ころがりの作法を基礎から教えこんだ。
「へえ、ただころがればいいんだね」
なかなか聡明と見えて、飲み込みは早かった。
そうして私たちは、ころがりにころがり、ころがってはころげ、ころころころころ、川の向こうが真っ赤に染まるまで、土手ころがりを続けた。
ふと私は、じぶんが初めて後継者を得たという事実に気がついた。はずむ息をおさえて少年にたずねる。
「きみは将来、なにになりたい?」
わが後継者は、ほおに芝を貼りつけたまま、笑顔でこたえた。
「ぼくはね、サッカー選手になるんだ」
「それではだめだ。もっとつまらない未来になさい」
そう言って私は、身を土手に投げ出し、思うぞんぶん、この平凡な天地をころがすのであった。
午後四時のおだやかな陽が、車窓からボックスシートに射している。その中に、市
子は憂鬱な面持ちで座っていた。暗い視線の先にあるのは、パンジーの小さな鉢だ。
窓辺に置かれたその鉢は、先ほど課外授業で見学した花卉栽培センターの記念品に
貰ったものだ。
紫のパンジーは珍しくはないが、この花には青い蝶のような金属光沢がある。最新
の技術を使って作出した品種だと、職員が得意げに説明していた。センターの一番の
売れ筋だけあって、なかなか美しい。しかし市子には、このパンジーの育成中の苗
が、花の向こうにちらついて見えた。
「…このように遺伝子操作でつくられた花は、細胞をクローン培養して増やしま
す。種がとれない品種や、交雑で花の色が変わる品種が多いためです」
ガラスの向こうの培養庫の中には、芽をつけた小さな肉塊がずらりと並んでいる。
特殊な照明のためか、その芽はポスターカラーで着色したようなきつい緑色だ。植物
独特のひやりとしたやさしい質感は、そこには無い。
「クローン技術の発達により、次世代を残せない花でも大量生産が可能になりまし
た。新しい品種がどんどん商品化されています」
(人に創られた、次世代を残せない花の子孫…)
私と同じではないか、と市子は思う。
先だっての祖母の一周忌のときに、自分がクローン合成した卵から生まれたことを
知った。親戚が話しているのを、偶然に聞いてしまったのだ。市子が十七歳になった
今も、血縁の大人たちがこの事実を受け入れていないのは、口調から感じ取れた。両
親にはまだ何も問いただしていない。市子にはよくわからないのだ。何を、どう、二
人に確かめるべきなのかを。
さきに見た肉塊の残像は、市子の心に長く濃い影を落とした。いかにも人工的な植
物の芽。行き止まりのはずの生の増殖。人の手によらなければ存在し得ない命を生み
出す理由とは。あの日以来の疑問が再び胸に渦巻いて、市子は息苦しさを覚えた。
鉢の説明書きには「パンジーの語源は、フランス語のパンセ(考える)です」と記
されている。
(ここにいる意味を誰よりたくさん考えるために、この花も私も生まれてきたのか
もしれない)
人が創造した生命は市子だけではない。少なくとも蝶の翅色のパンジーと市子は、
同じ起源を持つ遙かな姉妹だ。
(一緒に考えてくれる?私たちの過去。私たちの未来)
陽のあたる電車の窓辺で、首をかしげたパンジーの蕾が、頷くように揺れた。
「脱サラして、田舎で新興宗教団体を興そうと思うんだ」
父のこの一言が終焉の決め手となった。ただでさえ私のことで揉めていた時期だったから、あとはもうあっという間。母は弟を連れて実家に戻り、私は父の傍に残った。新興宗教を手伝えば高校に通わなくてもいい、父にそう言われたからだ。
田舎に越して半年、父は知り合いの山伏に習って山篭りをしたり、教義体系を練ったり、やがて裏山の古代ピラミッドから「発掘」される予定の超古代文書を執筆したりと、寝る間も惜しんで働いていた。街では父の働く姿を直に見ることがなかっただけに、せっせと祭文を書く父の背中を縁側の陽だまりから頬杖突いて見ているだけの今の生活は、退屈だが悪くはない。
「どうした依子、そんな呑気な顔をしていちゃ駄目だろう。お前には美少女教祖をやってもらうんだから」
「なにそれ、べつに関係ないじゃない」
「精神状態をもっと不安定なところで安定させていないと心的エネルギーが消耗されない、すると人格統御の弛緩も起こらない。シャーマンの成巫段階としてはよくない傾向じゃないか」
「まだあたしの病気に期待してるの。悪いけど、発作は減ってきてるんだよ」
「困るなあ」
「父さんの教典、結構面白いからさ。それだけで信者は沢山集まるよ」
「そうかい」
「ニニギ神がトカゲ人間を黄泉に追い返すシーンとか、けっこう燃えたし」
「そうかい」
「インチキでもいいなら神がかりもやってあげるし。きっとうまくいくよ、私たち」
「そうだな、インチキでもべつにいいか」
インチキだっていいんだよ。
昼なお暗い村の鎮守に三時半。じっとり湿った社の前で今日もあの子が待っている。
「待った?」
「今来たとこ」
「あのね純一くん。神がかり、上手く出来なくなっちゃった。だからもう見せてあげらんない」
彼は小脇に抱えていた『ムー』最新号を取り落とした。
「そんな……」
「インチキでよければ見せてあげる。私の宗教に入れば、だけど」
「イヤだ」
「そっか。まあ、ぼったくり宗教だしね。御免ね」
彼の反応はわかりきっていたことなのに余計なことを喋ってしまった。帰って、今日は薬を飲もう。
「そうじゃなくて」
幼さの残る彼の顔は、陰気な森の背景に似つかわしくないほど鮮やかに上気していた。
「鎮魂会の時しか教祖に会えない信者になんてなりたくないって意味だよ」
胸が締まる。神さまの宿る余地なんてとっくに無くなってしまっていたのかもしれない。
「いいんだよ。仕方ないものね」
夕焼けが綺麗な日曜日の夕暮れ、健気に強がりの言葉を口にしたのは、左手を僕の右手に、右手を美咲の左手に繋いで最後の道程を歩くワラビ−のリョウスケだった。美咲と一緒に暮らし始めたのは二年前で、リョウスケとはさらにその二年前から一緒だったからもう四年一緒だったことになる。貧乏なカメラマンの僕によく付いてきてくれたと思う。なけなしのお金で行ったオーストラリアへの撮影旅行から帰ってきた夜、やっと部屋に着いて下ろしたリュックの中からこいつが出てきたときには本当に驚いた。でも今ではあのときワシントン条約なんて難しいことを知らなくて本当に良かったと思う。家の掃除をしてくれたり、フィルムの整理をしてくれたり、そういえば美咲と大げんかしたとき仲直りさせてくれたのもリョウスケだった。そして今日、家賃も払えない僕たちに「ペットショップに行こうよ。僕ってきっと珍しいし、きっとお金持ちに買ってもらえるかも」なんて笑って切り出してくれたのもリョウスケだった。カメラマンという夢を追い掛けてきた僕はなんて弱くて小さいのだろう。そんなリョウスケに「なに言ってるんだ!」と怒ってやることも出来なかった。
「ねえ、本当に行くの?」
美咲の声はいつもと違って消えそうに細い。
僕たちはリョウスケの顔を直視できない。もう目の前に見えているペットショップでは小さい男の子が犬の檻にしがみついて「お母さん買って」とだだをこねている。母親は「早く来ないと置いていくよ」と怒って言うけど本当に置いていったりはしないのだ。それを見ていると辛くて、もうここには居たくなくて、僕はリョウスケの手を振りほどいて走った。
「僕はカメラマンです。ここの動物達を綺麗に撮ります。お願いです、仕事ください」
自分でも思いもしない方向に走っていた。気が付くと店先で土下座していた。たぶん初めてだった。涙が流れていた。そんな僕を、僕たちを夕日は暖かく包み込んでくれていた。
「格好良かったわよ」
「本当に…ありがとう」
僕たちは三人並んで歩いていた。もう手は繋いでいない。辺りも暗くなってきた。貰った仕事は小さなものだったけど、それは大きな奇跡だった。
「貧乏には変わりないんだからな。晩ご飯のおかずかつお節だけだぞ」
ふと見ると二人とも笑っていた。僕は照れくさくなって空を眺めた。都会の真中で満点の星空までもが見えてきそうな夜だった。
鏡の前に立ち、髪の毛を縛る。
なかなかうまくいかない。今度こそ巧くいくかな、と思っても、必ず一房の髪が耳の脇にまとわりついていた。それは近頃少し酷くなってきた不眠の為かもしれない。また、際限無く積み重なっていく時計のかちり、かちりという音の為かもしれない。
ようやく縛り終え、財布をポケットに仕舞う。
部屋は荒れていた。全ての物は所定の位置に納まっているのだけれど、それがかえって机やタンスについたわずかな埃を際だたせ、部屋の雰囲気を荒んだものにしていた。
物を捨てなくてはいけない、とあたしは思った。
捨てる物より捨ててはいけない物を探すのが大変だった。雑多な物に混じると、保険証だとか通帳だとか昔の写真だとかが捨ててはいけない物には見えなくなっていった。コンビニエンスストアのレシートが折り重なって出来たモノ、位にしか見えなくなった。どうするかを考え、結局全部捨てることにした。
一冊だけ残した本以外の全ての物をビニール袋に入れた。時計がまだ、かちり、かちりと鳴っているのが、ビニールに透けて見えた。時計は午前三時を指していた。
本を手に取り、サンダルを履き、外へ出た。
車の絶えた大通りの真ん中を歩く。街路樹の向こうに高架線路が見えた。連なったアーチ型の橋桁が、何処か扉に似て見えた。
幾重にも重なった扉の向こうに、幾重にも街が重なっている。
ふらふら歩いていると、いつの間にか目の前はマンションの工事現場だった。常夜灯のオレンジに包まれたそれは、あたしに少し異国を思わせた。
柵を乗り越えて中へ入った。
置き放しになっていた資材に腰掛け、持ってきた本を開いた。古本屋で買った一冊五十円の本で、あたしが産まれた二年前に印刷されたということが奥付に記されていた。
闇の中に、薄青くなったインクの文字達が解けていきそうで不安になった。そして同時に、あたしは何処へ行きたいのだろうか、とも思った。
あたしは立ち上がり、空を見上げ、そして。
そしていつの間にかもう今が真夜中では無いことを、夜更けが近いことを知った。
するりと、本が手の中から滑り落ちた。
家に帰ろう、とあたしは思った。
その帰り道の中であたしは、不思議な音を聞いた。うまく産まれることの出来無かった虫の、最初の、そして最後の鳴き声のような、しぃ、という静かな音だった。
街は急速に光を取り戻しつつある。
春が今、終わろうとしている。
五月の連休、久しぶりに実家を訪れた私を庭からの断続的な怪音が迎えた。父が庭の隅を掘リ返していた。
父は起床後、朝の日課を済ませると、物置からシャベルを探し出し、サンダル履きのまま、掘削作業に取り掛かったそうである。もともと無口で頑固な父は、相談したり、理由を告げたり、許可を得ることなく、庭の片隅を掘り始めた。新興住宅の盛り土はかなりの砂利を含んでおり、古びたシャベルの切先が当たる度にジャリジャリという不快な音が曇天の空に響いた。
何かを埋めておいたのではないかという私の憶測を母は軽くいなした後、ゴミでも埋めるつもりではないかという推測をかなり説得力を持って力説した。つけっ放しのテレビから、死体遺棄事件のニュースが流れ「……穴を掘って埋めました……」という犯人の証言が耳に入ると、母と私は見合わせた顔をしかめて、次の瞬間大笑いした。居間での会話は、さまざまな可能性を提起した後、困惑から諦めに落ち着き、やがて雑談に流れて行った。その間、庭からの音は絶えることがなかった。私はお昼前、早々に退散した。
母の情報によると、父は遅い昼食をはさんで作業を継続し、夕方思い通りの穴が完成したのか、あるいはただ疲れただけか、古びたシャベルを物置に仕舞って、居間に座り込んだそうである。夫婦の間で穴自体については、何の説明も質問も交わされなかったそうだ。
その後、庭の片隅に掘られた穴はずっと放っておかれる事になる。もともと目的を持った庭ではなかったので、洗濯物を干す際に、母が多少不便する以外、実害は無かった。
夏になると水が溜まって小鳥が水浴びに来たとか、池にするつもりでセメントやら何やらの材料を揃えている様だとか、老後の楽しみに築山にするつもりだろうとか、話好きの母は電話の度に話題にした。
引退した父は、半年ほどして体調を崩し、入退院を繰返した。体調の良い日は、縁側から感慨深げに庭を眺めたりしたが、穴に何かを施すことはなかった。「ただ、穴の空いた庭の季節を風が変えるのを見つめているようだった」と母から詩的な報告があった。
何年か病んで父は他界した。穴は永遠の謎になってしまった。
そして、五月の連休。今年は雑事に終われて帰省も出来ないと電話した私に母は「そういえば、あの庭の穴……」と切り出し、たまたま遊びに来た従弟のハジメちゃんが暇つぶしに埋めてくれたと語った。風が季節を今年も変えていく。
我が銀河帝国は消え失せた。
我が、と言っても別に私が帝国の支配者だったわけではない。私はただの理屈っぽい一市民である。いや、一市民であった。ただ、深い愛国心に基づく帰属意識が「我が」という表現を使わせたのだ。
では、私にとっての支配者とはいったい誰だったのか。無論「銀河帝国」という程だから、当然偉大なる「銀河帝」が君臨していたのだ。が、今はない。そして「銀河帝」と呼ばれる程だから、当然彼が治めるべき偉大なる「銀河」があったわけだが、これも今はない。もちろん銀も河もないのである。全ては消滅させられてしまった。まあ銀河帝に代わって私を支配するのが、今度は金や山がある「金山王」の「金山王国」だったりすれば、私の傷心もかなり癒されただろうとは思うが。くだらない? 全くだ。
つまりこういう事である。例えば恋愛関係が決して自我の拡張ではなく、また社会が家庭の拡張などではなく、はたまた宇宙が地球の拡張といえる存在ではなかったのと同様、銀河帝国を凌駕するものは、銀とか金とか河とか山とか、そんな既存の存在などでは有り得ない。
では、それはいったい如何なる存在なのか。それは……
「それは……」
作者はしばらく無言で考えていたが、そのうち「んなもん分かるかい!」とわめいて投げ出した。そんなもん書けん。多分。少なくともワシには書けん。
なし! もう、何もなし! やめた!
それは……虚無! 虚無! 虚無!
何もない! 今や唯一の存在であった私の存在にさえ、あらゆる存在が否定された! てゆーか逃げやがった。存在なき宇宙に存在は存在しうるのか? 我が存在は何の存在の内に存在しているのか? 存在の存と在の字は似てるがつい在存とか書いちゃう奴は存在するのか? くだらない? 全くだ。しかしこうして考えている間なら、それ故に私は存在しうるのだ。それは認められるか。お願いです。認めてください。私、元・市民番号キハ6961は今こうしてただ存在するがためだけに言葉を連ねております。世界は今、ここに在る。私こそ世界、あと百文字超の世界、馬鹿と笑ってください、くだらないと嘲ってください。感想文は要りません。ただノイズの霧中で言葉の行く先を思う時、それは存在するのです。そう、私は唯一ここに存り、そう、私こそが宇宙の王であり、偉大なる支配者なのです。そうだ、畏れよ愚民ども、そう、余が王じゃ!
よし! 少し一服するか。
「少尉、あのう、ちょっと困った事が・・・」
曹長の陰鬱な表情を見るまでもなく、非常にまずい状況が起こっている事を俺は察した。
「どうした、前線か?」
曹長の返答は意外にも逆方向だった。
「いや、そのう、後方なんですが・・・」
なんとも煮え切らない曹長の口ぶりに、平素の毅然たる下士官である彼の人となりを知る俺としても不安は隠せない。できればこのまま話を打ち切りたかったが、指揮官としてそんな無責任は許されないわけで、心とは裏腹に曹長を促せねばならなかった。
「どうした、報告は明瞭にせよ」
曹長はやや口ごもり、やがておずおずと切り出した。
「その・・・いるんです」
「何が?」
「・・・が、いるんです」
「だから、何が?」
「救世主、なんです」
「メディーック!!」
俺は大声で衛生技術兵を呼んでいた。
曹長は気が触れてしまったのだろう。新兵には良くある事だが彼のようなベテランには珍しい。信頼できる副官をこういう形で失うのは痛手だ。
「あ、少尉違うんです!」
何が違うものか。今まで彼の口から軽口ひとつ出た事はない。仮に冗談だとしても救世主だとは。ブラックにしても趣味が悪い。
「とにかく、いいからきて下さい!」
部下であるはずの曹長に肩をつかまれた。凄まじい力だ。
抵抗もできず俺はずるずると陣地の奥へと引きずられていった。
そこで見たのは信じられぬ光景だった。
兵が円陣で囲むその中に、男が一人たっていた。
軽やかな白い布を身にまとい、長身痩躯。清潔な鬚が顔を覆い、長髪の上に荊の冠を頂いている。まさに、あの人だ。
「少尉、喜んでください。戦争は終わりです!」
「少尉、救世主です、メシアです、来てくだすった!」
俺に気がついた兵が興奮気味に叫ぶ。どの顔も期待に輝いて、まるで子供のようだった。
瞬時に察した。こいつは敵の工作員だ。
俺は拳銃を引き抜くと、男めがけてぶっ放した。
弾は額に命中した。もんどりうって倒れる男。そのまま、動かなくなった。
「見ろ、死ぬじゃないか」
空気が止まった。
兵たちがささめきはじめた。
「殺した」
「ころした」
「コロシタ」
馬鹿をいうな、俺は義務を果たしただけだ。
地面に横たわっていたはずの男の姿が、ふっとかき消えた。
なんてことだ。俺はとんでもない間違いをしでかしたのか。
嘆息して宙を見上げると、その視線の先、何かが遥か上空を通過していった。
それはとても小さな鉛筆にも見えた。