第35回1000字小説バトル Entry15
その日、車内は閑散としていた。
見渡す限り僕以外の乗客はいない。
床には空き缶が一つ、所在なげに転がっている。
僕はなるべく座りよさそうな窓側の座席を選んで座った。
窓から見える景色は間断なく流れてゆく。
ふと気が付くと、座席の横の通路に車掌が立っていた。
手には、れいの空き缶をいつのまにか握りしめている。
「どちらまで?」
「いや、その」
言葉に窮した。
「どこでもいいんです」
「ふうん…」
車掌はそう言って、
「切符を拝見」
僕はポケットをまさぐって切符を取り出した。
行き先のない、まっさらな切符。
車掌はそれに判子を押すと、無言で去っていった。
外はまるで気の抜けたような、いい天気だった。
気が付くと日はとっぷりと暮れかかっていた。
しばらく居眠りをしていたらしい。
真っ赤な夕日が車内を朱に染めている。
読みかけの本を何気なく鞄にしまって、はじめて気がついた。
向かいの席に、少女が座っていたのだ。
思わず目が合うとにこりと笑って、どちらまで、と聞いてきた。
「いや、その」
再び答えに詰まった。
「どこでもいいんです。本当は」
「そう…」
少女は悲しそうに微笑んだ。それが夕日に映えて印象深かった。
「私もね、どこでもいいんです。本当は」
そう言って少女は口を閉ざした。
再び静寂があたりを包んだ。聞こえるのは電車の振動音だけだ。
日が完全に沈み、車内に蛍光灯の明かりがついた。外は暗い闇に覆われている。
僕らは押し黙ったきりだった。
「昨日の晩に」
少女が口を開いた。淋しそうな表情はそのままだったが、あの微笑は無かった。
「祖父が死んだんです。それで、今日は」
僕は目を伏せたまま、そうですか、とだけ答えた。
突然スピーカーから、駅が近づきつつあること、乗り換えは何時何分に発車予定であること、忘れ物に気をつけるようになどのアナウンスが抑揚の無い声で流れた。あの車掌の声だった。
少女はアミに載せてあった荷物を降ろし、身支度を整え始めた。
僕は黙ったまま、それを見守っていた。
やがて電車はプラットフォームの脇を滑り込むようにして停車した。
少女は出て行くとき、軽く頭を下げた。僕も同調するように会釈を返した。
発車ベルの音とともに、電車は再び動き出した。
窓からあの少女が母親らしい女性ときつく抱き合っているのが見えた。迎えは、あったようだ。
僕はまた独りだ。だが不思議と寂しさは感じなかった。
電車はまるで終わりのない闇夜を切り抜けるように、ただ走りつづけていった。