第35回1000字小説バトル Entry26
性懲りもなく雨は僕たちの歩く場所に降ってきた。
「さあ、走るわよ。」
玲子は買ったばかりのケリーバッグを頭にのっけて走り始めた。
僕はといえば、玲子に貸すために、
ポケットに手を突っ込んで、しわだらけのハンカチを探していた。
「悟くんにぴったりの、フランス料理のお店をみつけたわよ。
量がたくさんあって、安いんだ。」
玲子はどんより曇った金曜日の夕方に電話をよこした。
正直僕はフランス料理が、あまり好きではない。
甘い・辛い・しょっぱい・苦いといった基本的な味覚を
変にこねくりまわしているだけのような気がする。
加えてあの値段だ。
二人で行けば大枚二枚は、すぐに消える。
酒場での二枚消失には、やっとこ慣れた。
幸か不幸か酒場に行くまえには、
それだけかかるという意識ははたらかない。
そして帰るときにはご機嫌さんだから、つい太っ腹になってしまう。
しかしフランス料理店は違う。
店に行くまでに相当の覚悟を要する。
玲子の「安い・美味い・多い」に釣られて
僕たちは駅の改札口で待ち合わせの約束をした。
食事を終えて。
霞町の交差点で降り始めた雨は、
青山墓地にさしかかるころには大粒の雨になった。
乃木坂駅に着いたときには、
全身濡れ鼠で雨粒がつるりと頬を伝って落ちた。
玲子はケリーバッグを前後に振ってしずくを落とし、
「さすがに丈夫だね、縫製がしっかりしてる。」
そしてハンカチでしずくを拭った。
これみよがしにブランドで身を固めたにわか成り金に
みせてやりたい仕種である。
「フェラガモのパンプスにすこし傷が入ったくらいで大騒ぎするな。」と。
そう、玲子の実家はお金持ちだ。
それも代々のお金持ちなので、
しっかりとした金銭哲学が出来上がっている。
無駄なものは買わない、
必要なものには出し惜しみをしない。
また良いものを買って、とことん使う。
玲子にとって、
良いものとは古くなるにつれて味がでてくるものだそうだ。
傷が付き、色が褪せ、そして馴染んでくる、また風格がでてくる。
玲子の父親がレンジローバーに積もった落ち葉を
ささくれだった庭ぼうきで払いのけていることを聞いたことがある。
「高いだけのことはある、塗装がしっかりしている。」
大学生のころ、
無理して買ったホイヤーのダイバーウオッチを濡らすのが嫌で、
わざわざはずして海に潜ったことを思い出し、
僕はすこし恥ずかしくなった。