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第36回1000字小説バトル Entry2

 私にはおへそから下腹部にかけて、約十センチ程の大きな傷がある。
 これは二回、出産の為帝王切開の手術をした時の勲章だ。普段はもうその傷の存在もすっかり忘れているのだけれど、たまにお腹の中の筋肉がキュッキュッとつれるように痛む事がある。そしてそんな時は必ず、それから何時間かして雨が降り出すのだ。
 ある日、夫や子供達が出払った後、静かな部屋にどこからか携帯電話の着信メロディが聞こえて来た。それは開けっ放しになっていた寝室のベッドの下から聞こえていた。夫が忘れて行ったらしい。
「……はい、もしもし」
 電話はすぐに切れた。気になって着信を確認すると『M』とだけ表示されている。何故か胸騒ぎがしてメールの送受信を見てみると、そこには夫と『M』の甘いやりとりがそのまま残されていた。
 夫は自分の家柄や学歴をいつも鼻に掛けていて、何のとりえも無い私の事をあからさまに見下していた。結婚したのだって、たまたま私が長女を妊娠してしまったからに過ぎない。
 浮気している事は、うすうす勘付いてはいた。今、その事実を目の当たりにしてショックよりも、その事実を必死に隠そうともしない夫のルーズさが、たまらなく腹立たしかった。
『ピクニック、久しぶりぃ〜!十七日は絶対に晴れるといいなぁ』
『お弁当、楽しみにしてるよ。久しぶりに自然の中でのんびりしようね』
 十七日と言えば、明日だ。たしか明日は夫は接待ゴルフのはずだ。でもそれは全部嘘だった。夫は大きなゴルフバックをいそいそと車に積んで、一体どこに出かけるつもりだったんだろう?
 私は携帯電話の電源を切ると、寝室のサイドテーブルの上に乱暴に置いた。なんだか、ひどく禍々しいものを見たような気分だった。
 少しして、夫から自宅の方に電話がかかって来た。
「俺の携帯、ベッドのあたりになかった?」
「あったわよ。私、わかんないから電源を切って置いてあるわ」
 夫は明らかにホッとした様子で電話を切った。それがハッキリと伝わって来た事が、なんだか滑稽で情けなかった。
 その夜、夫はなかなか帰って来なかった。食卓の上に並べられた色とりどりのメニューは、その熱を失っている。
「いたたたた……」
 下腹部の傷跡に、あの痛みが走った。いつもよりも痛みは強い。きっともう少ししたら雨が降り出し、明日は大雨になるだろう。
「……ざまあみろ」
 私は深呼吸をひとつすると、パジャマの上から傷跡を優しくさすった。

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