第36回1000字小説バトル Entry29
80年。これだけ生きれば「我が人生に悔いは無し」と、言い切ることも出来るだろう。
10年程前に死に別れてしまったが、私には愛して止まない妻がいた。
3人の子供にも恵まれ、そして彼らは、私の期待以上の人間に育ってくれた。
私自身も、自分で言うのもなんだが、「悪い人」ではなかったと思う。
だからこそ、寿命が尽きた今、こうして私は天国へ入ることを許されたのだ。
それにしても……、天国というのは、何と退屈なところなのだろう。
空は虹色。見渡せど娯楽施設がある訳でもなく、池には蓮の花が咲き乱れているばかり。たとえ、通りすがりの、男とも女とも分からないようなパンチパーマ頭の方たちに冗談を言ったとしても、返ってくるのは決まって無表情……。
私もいずれ、あんな風になるのだろうか。
そもそも蓮の花など私の好みではないのだが。
おや? 誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。
「ちょっと、あなた!」
どうやら、声の主はさんずの川の向こう岸にいるらしい。
「あら、あなた! 天国へ行ってしまわれたのですか!?」
「あっ!」
対岸にいる女性は、私の妻ではないか!!
「ばあさん! ばあさんこそ、なんで天国へ渡って来んのじゃ!?」
「何を言ってるんですか、おじいさん! そちらでは、あなたの大好きなお酒もお萩も食べられませんよ!」
「お、お萩っ!? そっちでは、お萩が食べられるのか!?」
「当たり前でしょう! こちらは俗な人たちのたまり場ですもの!」
……な、なんということだ。こちらとはえらい違いではないか。
なぜ、天国には酒も萩もないんだ。
なぜ、天国には私の好きな娯楽がないんだ!
なぜ、愛する妻が私抜きで楽しそうなんだ!?
無性に腹が立ってきた私は、気が付くと、見知らぬ通行人の首を占めていた。
80年間、他人に迷惑をかけたことがないのが、唯一の自慢だったのに……。
「何を見とんのじゃ! このパンチ!!」
反省間もなく、私は別の通行人の髪をわしづかみにし、蓮の池に放り投げてしまった。
もう反省などすることもあるまい。気分は爽快だったから。
恐らく、これからも私の暴力は続くだろう。
少なくとも、極楽浄土にいる限りはね。
おわり。