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第37回1000字小説バトル Entry43

花*花

 都会の夜は案外に静かだ。歯を噛む、きし、と言う音を強く感じる程に音が無い。
「美しいな」
 シャワーを終え、男が戻ってきた。
「有り難う御座います」
「噂には聞いていたが驚いた」
 男は私の顎を掴み、引き寄せた。
「これ程とはな」
 そう言って男は、私の口中に舌を這わせた。
 都会の夜は案外に静かだ。口づけの音がどうでも良く聞こえる程に音が無い。
 あの日もこんな風に静かだった。
 私に何も言わず、香が死んだ日。
 香の机に置かれた花が全ての音を吸収してしまったかのように、あの日は静かだった。
 私は1人で家に帰った。そして私は左手首に包丁を突き立て、死のうとした。
 だけど私の手首から流れた血は濁った赤色で、あの香の花の美しさには程遠くて。
 だから私は考えに考えた挙げ句、妹の部屋へ入り、口紅を取り出した。そして私は口紅の、写真に切り取られたかのようなその鮮やかな赤を、一心不乱に唇へ塗りつけた。



「本当に美しい」
 唇を離し、男は言った。
「有り難う御座います」
 私は答えた。
「男とは思えんな」
 男は笑った。
「女になったつもりも無いですが」
「なら何故そんな格好をしてる?」
「花に。花になりたかった」
「はは、確かにお前は花だよ。造花のな。まあ俺にはどっちでも良い。払った分は楽しませて貰う」
 男は私をベッドに押し倒した。
 天井に張られた鏡に私の顔が映るのが男の肩越しに見えた。
 男は女より年齢の影響が少ないらしい。あの日からもう二十年は経っていたが、私の姿は初めて口紅をつけたあの日から殆ど変わっていなかった。
 私は自分の姿を見つめた。
 見つめながら、きっと香は造花は好きじゃなかっただろうな、と思った。
(散る花になった香は、きっと造花なんて好きじゃなかった)
 私は結局二十年かけても香には追いつけなかった。
 だがそれで仕方無かった。あの時死ねなかった私は、散る事の出来ぬ全てものは造花なのだから。造花として生きる他は無いのだから。
 私はあの香の花を思った。きっとあの花はもうとっくに枯れ、捨てられ、無に返ったのだ。美しい放物線を描き、地面へと吸い込まれていったのだ。
 私は笑おうとした。何故だか涙が溢れた。久しぶりの涙だった。
 香が死んだ時さえ、流れなかった涙。
 涙が化粧を崩し、私の顔は一瞬散った花のような色彩に包まれた。
 私は手を伸ばした。その手が届く前に涙は私を滑り落ちて、シーツに造花めいたシミを、一つ造った。

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