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第39回1000字小説バトル Entry23

パセリが全然育たないんですが

 ベランダでパセリに水をやっていると、
<非常の際はここを破って隣戸に出て下さい>
 と書いてある板の隙間から、隣りの女の人が顔を覗かせているのに気づいた。
「こんにちは」
 と声をかけると向こうも、
「こんにちは」
 と言う。
 明るい感じの人だ。同じ集合住宅に住んでいて隣りの人の顔も知らなかったのだ。

「それパセリ?」
「ええ。でも育ちが悪くて……。最近天気が悪くて嫌ですよね。八月なのに峠で雪が降ったみたいですし」
 私が愛想笑いしながら言うと、
「そうなの? ずっとベランダにいるもんだからテレビ観てないのよね」
 と言う。
 一瞬考えこんで会話が途切れそうになる。気まずくなる前に話題を見つけなければ。
「あ、そうそう! あの政治家が遂に逮捕されたんですよ。前々からもめてたでしょう?」
 彼女は黙っている。
「そ、それから、あの歌手さんと作家さんが結婚したんです。後はね……」
「いいわもう」
 彼女は下を向いて小さな声で言った。
「そんな、気を遣って話してくれなくてもいいわよ。迷惑かけたのこっちなんだし」
「はあ、でも……。不幸中の幸いというか、誰も怪我とかしてませんし」
 彼女は黙っている。
「あの、やっぱり何か色々あったんですか?」
 彼女は黙っている。
「いや、いいです。変な事訊いてすいません」
 余計な事を言ってしまった。

「あのねぇ」
 しばしの沈黙の後、彼女が顔を上げて話し出す。
「あの日のお宅の晩ご飯、何だったか覚えてる?」
「え? 確か餃子ですけど」

 ――あの日の夜
食後にテレビを見ているとふいにクリーニング工場のような匂いがして気のせいと思ったが間も無く玄関のチャイムが鳴り知らない家の奥さんが隣りが火事みたいなんです外を見て下さいと叫んだので急いで窓を開けると火が隣りのベランダで火が燃えていてというか燃えていたのは。

 私は彼女を指差してみた。するともの凄くおっかない顔をして私を睨んだ。
「ひえっ、何でもないです」
 指を引っ込める。
「あー餃子だったのね。ベランダに出た時、ちょうどお宅の換気扇からごま油のいい匂いがしてたのよ。何のメニューだったのか、ずっと気になってて。これで夜も眠れるわ」
 彼女はそれだけ言うと向こうに行ってしまった。
 この人そんな事を半年も悩んでいたのか?

 バカだ!

 数日後、ベランダに出るとまた隣りの女の人がこっちを見ていた。
「昨日の晩ご飯、カレーだったでしょう?」
 
 無視することにした。

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