第39回1000字小説バトル Entry4
ほの暗い灯りの下を薄黒い粒子が拡散していく。遅れて、ほろ苦い刺激が鼻の粘膜をかるく焦がす。
自分から吸う気にはならないが、先生の吐きだす煙は好きだ。心地よい苦味、とでもいうのだろうか?
煙草の香りは、この指先が触れているのが先生の肌なのだと教えてくれる。
真っ黒な肺から吐きだされた煙が、寝台の上にゆっくりと広がる。
煙草を止めなくては――結婚してから何百回となく決意してきたことだ。
子供と私自身の健康のために煙草を止めて欲しい、という妻の願いはもっともだ。煙草が私自身にも周囲の人間も害をなすことは、私もよく分かっている。
だが、止められないのも分かっている。
それでも私なりの努力の末、ここ何年も、家庭や職場では煙草を吸っていない。
私の悪癖で妻や子供の健康を害するのは忍びないことだし、なにより私は良き夫、良き教師でありたいと心から願っている。
だから私は、こうして香里の隣にいるときしか煙草を吸わない。
先生には家庭がある。立場もある。歳も違いすぎる。なにより、わたしたちは生徒と教師だ。
自分でも、いけないことだと分かっている。
だけどそれでも、一緒にいると安心してしまうのだ。独りでいるとき、まっさきに逢いたいと思ってしまうのだ。煙草の香りをかぐとき、愛されていると思ってしまうのだ。
ほろ苦い香りが、わたしの胸のなかを満たすのだ。
時折、どうして私は煙草が止められないのだろう――と思うことがある。
煙草など百害あって一利なし。吸うよりも吸わないほうがいいに決まっている。なのに、なぜ止められないのだろう?
いつも答えは出ない。そして決まって、香里に逢いたくなる。香里の隣で煙草を吸いたいと、強く想うのだ。
香里に逢いたいと思うとき、私は煙草が吸いたいと思うのだ――いや、逆なのかもしれない。
このままじゃいけない――不意にそう思うことがある。
先生もわたしも、逃げているだけだ――。
だけど、そんな正論がよぎる度に、わたしの何かが、赤く燃えあがるのだ。
好きなんだからしょうがないでしょ、先生にだってわたしが必要なのよ、逢うなといわれても逢わずにいられないの――そう叫ぶのだ。
そして、無性に煙草の香りをかぎたくなり、先生に逢いにいくのだ。
いつか、止めなかったことを後悔する日が来るだろう。
それでも私は(わたしは)、また煙草を吸いたい(香りをかぎたい)――そう思うのだろう。