第43回1000字小説バトル
 投票〆切り2月末日/参加作者はレッドカードに注意!
  INDEX
 エントリ 作者 作品名 文字数 得票なるか!? ★ 
 1 さゆり  思い上がり  1000   
 2 フラワー・ヘッド  俺とキリコA〜格闘編〜  1010   
 3 narutihaya  あずまよういち  1000   
 4 黒男  濠中問答(小説 荘子 其の一)  1000   
 5 青野 岬  疑心暗鬼  1000   
 6 柏木   Aマイナー  1000   
 7 満月うさぎ   猫を待つ  983   
 8 aluma  歌わないうた  917   
 9 さとう啓介  蒼き春  1000   
 10 sankan4on   そして誰もいなくなった  997   
 11 立花聡  喫茶店  997   
 12 堀井安樹  兎月伝説(とげつでんせつ)  1000   
 13 日向さち  夜に沈む  1000   
 14 川辻晶美  Good bye, BOY  1000   
 15 戸田一樹  瀬戸際  986   
 16 藤政 慶   2055 Death  1000   
 17 ごんぱち  つまらないもの  1000   
 18 第1素描室  フィドル  999   
 19 下圭  手紙  673   
 20 林徳鎬  男のからだは巨大な橋だった  1000   
 21 橘内 潤  『あい/はーと』  933   
 22 太郎丸  天下泰平  1000   
 23 アナトー・シキソ  胃の中に重いなにかが充満してくる。  1000   
 24 蛮人S  黄昏の日々  1000   
 25 るるるぶ☆どっぐちゃん  ジェルソミーナ ジェルソミオ  1000   
 26 カピバラ   いつかその日が来たときに  1000   
 27 伊勢 湊   ソラヲオモフ  1000   


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バトル結果ここからご覧ください。




Entry1
思い上がり
さゆり

 公園下に一列に並んで建っている飲食店やスナックの一角に、その人の店はあった。細長いカウンターとボックス席が三つ。当節のお店には珍しくカラオケがない店内には、静かにBGMが流れていた。

「マスター、こちらこゆき」一緒に行った裕子に紹介され、私達は視線を合わせた。
「やぁ、いらっしゃい」
マスターと呼ばれた人は、お絞りを畳んでいた手を止めて柔和な笑みを浮かべた。

「子供さん、大きくなったでしょう?」
「ああ、上が6つ下は3つさ」
「そうか。もうそんなに。で、マスターは今でもやもめ?」
「そうだよ。来てくれる人いないもの。裕子ちゃんはどうだい?」
裕子は「あははは」と笑い
「私はダメ。亭主持ちだから。こゆきは独身だからね。権利あるよ」
とボールを放ってよこした。

 奥さんに先立たれ、二人の子供を男手ひとつで育てている夜の世界の人。あまりにもかけ離れた人だと思っていたのに、軽い冗談が本当になるとは居合わせた三人の誰も思いはしなかった。

いい人なのに可哀想。
それが私のいつもの恋愛パターン。
朝の五時まで仕事して、帰ったら洗濯、掃除、子供の面倒。
一体彼はいつ眠るの?
大変だろうな。
私に出来ることはあるだろうか。
ささやかでもいい。力になりたい。
そんな風に思い込むのに、さして時間はかからなかった。

「死に別れより生き別れ」の言葉が真実を伝えているのを痛感したのは、
彼のアパートで暮らすようになってから。
亡くなった奥さんの香りは、台所、靴箱、洋服、部屋の隅々至る所に染み付い
ていた。
部屋の中央には仏壇がでんと備わっていて、私を圧迫しつづけた。
振り向くといつも笑顔の写真と目が合った。

とりわけ傷ついたのは、六歳の娘が母親似だということだ。
「みっこはお母さん似で美人だ」馴染み客が無防備に吐く言葉は私の胸を深く抉っ
た。

「仏壇をどこかにやって!目の前から消して!」
ある日私は涙ながらに訴えた。

彼を好きになればなるほど、亡き妻との過去を思った。
私の知らない蜜月を二人で過ごしたのかと思うと耐えられなかった。

本当は私なんて好きじゃなくて、便利だから利用しているだけだ。
それが証拠に、「子供たちの母親になってくれ」そればっかりじゃない。
好きとか愛してるなんて一度も聞いてない。
彼の本音が聞きたくて詰め寄った。責め立てた。

「君は自分が世界の中心だと思っているの?」
冷たく彼が呟いた。
それが最後の言葉だと気付いたのは、愚かにも随分時間がたってからだ。


Entry2
俺とキリコA〜格闘編〜
フラワー・ヘッド

「おい、サンドイッチセットの代金払いな!二人で1550円よ。あの女はあたし得意の左ストレートをボディに入れてやったから、しばらく立ち上がらないわね。だから、あんたに代金は払ってもらうわよ、押忍。」
ウェイトレスは不適に笑い、催促の手振りをした。

「き、君には、とにかく感謝するが。うう、前歯が折れているぞ。酷い女だ。いきなりブーメランフックとは・・・ほら。」
俺はそう言って、金を渡そうと財布を取り出そうとした。

そのとき、ウェイトレスの背後に倒れていたキリコが、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。そして俺に気付くと、黙っていろ、という仕草をした。
俺は迷った。この状況をウェイトレスに教えるべきなのか?
いや、たかが1550円程度でこんな酷い仕打ちをされたんだ。仕返しをしてやる。
そうだ、キリコもそう思っているのだ。よし、キリコと力をあわせてこのウェイトレスに仕返しをしてやる。

迷いは消えた。
俺は時間を稼ぐために財布からゆっくりと金を出した。

キリコはウェイトレスの背後に迫っていた。
「いまだキリコ!やっちまええ!」

「はっ!」ウエイトレスは身構えたが一瞬遅かった。
キリコの鋭い右ストレートがウエイトレスの顔面にヒットした。そして倒れこんだウエイトレスに馬乗りで顔面連打を浴びせた。
しかし、ウエイトレスはすかさず体を入れ替え、ローからひざ蹴りを入れた。
キリコは素早い連打で応戦するも、ウエイトレスはブロックした。
その後、両者は互いに譲らず一進一退の攻防が続いた。

俺は戦いを見ながら、キリコに加勢するチャンスを窺った。
しかしウェイトレスは俺に警戒しながら、キリコにひざ蹴りを打ち込み距離を置くヒット&アウェーを繰り返している。

くそ、実力の差がありすぎるぞ、どうすればいいのだ。

「がはっ!」
ついに、キリコはウェイトレスの強烈アッパーで崩れ落ち、鼻血を出したままダウンした。
 
「キリコおお!」
俺はキリコの名を叫びながら夢中でウェイトレスに突進した。
偶然にも、無意識の叫びが血しぶきとなり、彼女の目を一瞬くらませた。
「うっ!」彼女は顔を背けた。
「チャンス!」俺はすかさず右アッパーを決めた。
しかし彼女は俺のアッパーを受けながらも倒れ際に左ストレートを打ち込んできた。
それでも俺は怯まず、彼女に倒れこみながら渾身の頭突きを食らわした。

「へへ、ざまあみろ。コンクリートと頭突きの特注『サンド』だ。」

さすがのウェイトレスもこれには敵わなかった。

続く


Entry3
あずまよういち
narutihaya

 あなたは、「あずまよういち」なる人物を御存知だろうか? 彼こそは、財界の黒幕であり、日本経済を陰ひなたから支えている人物なのである。だが、その大規模な活動のわりには、彼の名を知る人は少ない。いや、気付いていないというべきか。
 以下は、私の独自調査による「あずまよういち」氏に関する報告である。ぜひ一読して、氏の偉大なる功績に、感嘆と驚きの声をあげて頂きたい。

 まず、「あずまよういち」氏の経済界における影響力を物語る象徴的なものとして、氏の所有する建築物を挙げたいと思う。氏は、その時々において時代を代表するような建築物、特に高層建築物を必ずその手中におさめている。例えば、東京タワーである。開業以来、東京タワーは一貫して氏の所有であるとみられる。また、明石海峡大橋の主塔や京都の東寺(五重の塔)もそうだ。さらに、氏の事業規模は国内のみにとどまらない。世界一の超高層ビルであるマレーシアのペトロナスタワーでさえ、彼のものなのである。
 また、スポーツ界においても、氏の影響力は絶大だ。例えば、ボクシングである。私の調査によれば、現世界王者である徳山昌守は、かつて氏と密接な関係にあったと推測される。他にも、2階級制覇した畑山隆則や、某テレビ番組で有名な竹原慎二との関係も確認されている。さらに近年では、氏はサッカー日本代表に関心を寄せているとの情報もある。

 この様に、氏はこの日本において、驚異的な事業規模と影響力を持つと推測される。だが、その実体は依然、謎のままだ。ただ、不思議な事に彼の活動の痕跡は、実は我々のごく身近なところにいくらでも転がっている。
 例えば、旅行雑誌などを見て頂きたい。あなたは必ずそこに、氏の名前がはっきりと書かれているのを見つけるだろう。また、繁華街に出かけてみてもいい。氏の名前が書かれたちらしや看板の類は、枚挙にいとまがない。つい先日も、私は電車の窓から見える看板に大きく氏の名前を見つけ、「どうして、みんな気がつかないのだろう」と首をひねった。そこには、はっきりとこう書かれてあった。

 「東洋一のディナーショー」

 もはや、いわずもがなである。私はこれからも氏の実態について調査し続けたいと考えており、全国から広く情報を集めていくつもりだ。もし、あなたが身近に氏の痕跡を見つけたなら、ぜひ一報を入れて欲しい。謎の人物「あずまよういち」氏の正体に、共に迫ろうではないか。


Entry4
濠中問答(小説 荘子 其の一)
黒男

 荘周と恵施は親友同士である。
 ある日、二人は連れ立って散歩に出た。濠水にかかる橋をわたるとき、荘周は足を止め、川面をじっと見つめた。
「どうした?」
 恵施が声をかける。
「見ろよ」
 荘周が指さす先には、数匹の魚が悠々と泳いでいた。
「楽しそうだなあ。心のままに、水と戯れている」
 荘周が呟くと、恵施がからかうように言った。
「魚でない君に、魚の楽しみがわかるはずがない」
「君は僕でないのに、どうして僕に魚の楽しみがわからないと言える?」
 すかさず荘周が切り返す。恵施は言葉に詰まった。少し考えてから、答える。
「なるほど、僕は君ではない。むろん、君の心の中はわからないさ。でも、魚でない君に、魚の楽しみがわかるはずがない」
「では最初に戻って考えよう。君は『魚の楽しみがわかるはずがない』と言った。僕に魚の楽しみがわかるか否か、わかっているからそう言ったんだろ。だから僕は、橋の上で魚の楽しみがわかったのさ」
 恵施は沈黙した。完璧だと思えた自分の論理に、矛盾があることに気付いたのである。
「行こうか」
 と、荘周が促す。二人はまた、歩き出した。
「昨夜、面白い夢を見たんだ」
 しばらくしてから、荘周が言った。
「どんな夢だい」
「夢の中で、僕は胡蝶になっていた。ヒラヒラと自由自在に空を舞い、あまりの楽しさに、自分が荘周であることを忘れてしまった」
「それで?」
「目が覚めると、あきらかに僕は荘周だ」
「…………」
「ねえ、君。荘周が夢で蝶になったのかな? それとも蝶が夢で荘周になっているのかな?」
「……頭が痛くなってきた」
「悩むことなんかないさ」
 荘周は、すました顔で言った。
「どっちでもいいのさ。蝶は荘周であり、荘周は蝶である。それでいいじゃないか」
 恵施は腹が立ってきた。いつものことながら、荘周の衒学趣味も、人を茶化すような態度も気に入らない。
「その論法でいくと、君は僕で、僕は君でもいいことになるね」
「うん」
「大道(真理)を悟った君と、愚鈍な僕とでは、明らかな違いがあると思うんだが」
 自分を卑下してみせながら、それでも恵施は逆襲を試みた。
「過去から未来は見えないが、未来から過去を見ることはできる。僕も以前は君と同じく無智であり、そして今の君のように自分の無智を自覚したからこそ、大道に近づくことが出来たのさ」
 荘周はニヤリと笑い、恵施の肩を叩いた。  
「君もがんばりたまえ」
 恵施は、大きな溜め息を吐いた。


Entry5
疑心暗鬼
青野 岬

「お母さん、お雛様って出さないままずっとしまっておくと、歯が生えてくるんだって」
 もうすぐ小学四年生になる娘が、学校から帰って来るなり私に言った。
 そう言えば、去年はお雛様を出さなかった。ちょうどその頃、単身赴任していた夫の浮気が発覚し、私は身も心も疲れ果ててそれどころでは無かったのだ。相手は赴任先の事務の女の子で、堕胎までさせていた。今思い出しても、吐き気がする。夫は私に何度も謝罪したけれど、なかなか許す気にはなれない。相手の女の子とはすぐに別れた、と言っているけれど私は内心、まだ夫を疑っている。
「それは飾らないでしまっておくと人形のお化粧がはげて、まるで歯が生えたように見える事もある、って事よ」
「ふうん。じゃ、うちのは大丈夫かどうか、確かめてみようよ」
 おやつのクッキーを頬張りながら娘が言う。切れ長で一重瞼の細い目が、夫の目を彷佛とさせて私は思わず目をそらした。
「そうね、今年は出そうか。後で一緒に飾ろう」
「うん」

 雛人形は狭いマンションには不釣り合いな段飾りで、私が生まれた時にお祝としていただいたものだった。人形の入った大きな箱を嫁入り道具のひとつとして実家からこの家に運び込んだ時、夫は露骨に嫌な顔をした。その顔を思い出すと、再び胸が焼けるような焦燥感が沸き上がって来る。私の中の業火は、まだ鎮まってはいない。
 雛壇を組み終えて、今度は人形を飾る準備に取りかかる。箱の蓋をあけると、人形達は薄い和紙に包まれた姿で静かに眠っていた。
「まずは御内裏様からだよね」
 娘が箱の中からひときわ大きな人形を取り出すと、子供らしい粗雑さで和紙を剥がした。
「うん大丈夫。歯は生えてないよ、お母さん」
「やだ、当り前じゃないの」
 子供の頃、よく母にお雛様は私の分身なんだと言われていた事を思い出した。夫に疎ましがられていた雛人形と、裏切られた私とが、頭の中で重なる。
「でも、髪の毛が伸びてたりして」
「なにバカな事言ってるの」
 私は少し震える手で、お雛様を包んでいる和紙をそっと開いて確認した。髪は伸びていない。そんな当り前の事に、なぜか安堵している自分がおかしかった。
「何も変わったとこなんて無いわよ」
 お雛様の乱れた髪を直そうとして、私は指先にあたる奇妙な異物感に手を止めた。ふいに背筋に冷たいものを感じて、息を飲む。
 人形の頭部にかすかに突き出たふたつの突起。それはあたかも鬼の角のようだった。


Entry6
Aマイナー
柏木

〜Aマイナーはとても安定したコード。不安定で壊れやすい僕らの心を開放してくれる〜

 僕はツルミに昨晩、徹夜して書き記した楽譜を渡した。カーテンから零れ落ちては僕らを照らす太陽の光。ああ、優しすぎる昼休み。権力者であるチャイムの鳴き声が聞こえるまでは、僕らは自由の旅人だ。
「このさぁ、ここ!聞いてんのかよ!」
「え?」
 ツルミは楽譜の最後のコード表記を指差していた。細い指。女の様な指先。白い指。
「ありきたりじゃね?せめてAマイナー7にしろよ。せ、ぶ、ん!」
「ああ、いいよ」
「お前なぁ、なんでそう簡単に妥協するんだよ。だからだよ、あれ、え〜っと…」
 ツルミはすぐに話を彼女の話題に差し替えようとする。
「キョウコだっけ?お前のさぁ…」
「おい!大きな声で言うなよ!」
 僕は教室の灰色の静寂に鈍く響く声で叫んでしまった。
「あは!あはは!お前こそそんな声出すなよ!」
 自分の顔が赤く染まってゆくのが感じられた。
「キョウコはさ、関係ないだろ」
「ありまくりだよ。お前のその気の弱さがいけないんだって。せっかく掃除でふたりっきりになれたのに…」
「もういいだろ。ほら、詩、詩を書いてよ」
「そんな、すぐに書けるわけないだろ」
「ライブは来週だろ?ホント、時間無いって」
 ツルミは渋々、楽譜を眺めた。鋭く、美しい視線。
「これ、まあまあウケるかもよ。俺に言わせりゃポップすぎるけどな」
 ツルミは楽譜を読んだだけで頭にその音楽を響かせることができる才人だ。正直、羨ましい。
「ほれほれ!」
 ツルミは指でベースの弦を弾く仕草をした。ボンボンボン!まるでアンプに通したベースの音が聞こえてくるようだった。
「キョウコさ〜ん!」
 馬鹿!ツルミは大声で即興の歌を歌い始めた。クスクスクス。女子の暖かくも冷たい笑い声が聞こえた。
「おい!」
「わりぃ、わりぃ。なんかいい気分だったからさ」
 不条理だ。ツルミの思考回路はショートしてるんじゃないだろうか。
「なぁ、お前、もしだよ。キョウコと付き合うことになったらどうする?」
「どうするって?」
「お前、キスのやりかた知ってんの?」
「え?」
 まだ女子の笑い声が聞こえていた。
「例えばさ…」
 ツルミの唇は僕の唇に触れた。いつの間にか笑い声は聞こえなくなっていた。
 長くて、甘くて、優しくて、切なくて…そんなキス。窓の外から、鳥の鳴き声。このキスは僕の心を開放してくれた、Aマイナーの様な響きを持ったキスだった。


Entry7
猫を待つ
満月うさぎ

 ここ一週間、その老婦人は公園に毎日午前7時にやってきては、午後7時に帰っていく。公園の一番手前のベンチに背中から首にかかるあたりを丸めてちょこんと座っている。深緑のショールをいつも着ていた。老婦人は猫を待っていると言った。
「飼っていらした猫ですか?」
 私は老婦人のとなりに座り、そう尋ねた。
「お前さん、毎日アタシを見てたね」
「あ、ええ、まあ……」
 答えに動揺が混じってしまう。老婦人は上品なイギリスの婦人のような顔に似合わず、ふん、と鼻を鳴らした。
「アタシの飼い猫じゃあないよ」
「じゃあどなたの……」
 老婦人は質問には答えなかった。
「お前さん、なんでアタシを見てたんだ。毎日3時間に一回、必ずここにアタシを見に来たね」
「すみません。この間遊びに出かける時にお婆さんをみつけて、で、その日私が帰ってきた時もいたから、あれ、何時間いたんだろうって、ちょっと驚いて」
「猫はおそらく、もう来ないんだ」
 老婦人は私の話したことを聞いているんだかいないんだか、そんなことをぽつりと言った。
「どうしてそう思うんです?」
「アレも寿命なんだろうねえ……。今まで生きてたのが嘘みたいなヨボヨボでね」
「そう…ですか。猫は死ぬ時、飼い主の前から消えるって言いますものね」
「でもアレは一緒にいようとしたんだね」
「え?」
「主人の猫なんだ。アタシは猫が嫌いでね。あの人が死んで、葬式だ何だってやってるうちに、気が付いたらいなくなってた」
 老婦人はゆっくりとベンチから立ち上がる。私は慌てて手を差し出した。それに軽くつかまる手が思っていたよりずっと冷たかった。
「いなくなってしまうものなんだねえ」
 老婦人が言った。その口元にはわずかな笑みを含んでいる。その言葉が誰に向けられたものなのか、私にはわかりかねた。
「明日からはお前さん、ここに来る必要ないよ」
 そう告げて、老婦人は歩き出す。私は何か言おうとしたが何も言えず、公園を出ていく老婦人の背中をただ見つめていた。老婦人が公園を出て左に曲がる瞬間、私は小さな目眩のような感覚と共に、老婦人とすれ違う年老いた男性の姿を見た。その腕には大きな体の白い猫が抱かれている。私は近付こうとするが、男性の姿はすぐに消えてしまった。
「あ……」
 私は思わず声を漏らす。男性の姿が消えてしまったからではない。老婦人が後ろを振り返り、右手を小さくあげていたのだった。


Entry8
歌わないうた
aluma

 彼女は自分のライカ犬という職業に
 とても大きな誇りを持っていましたから
 たとえ一週間で
 間違いなく自分の命の全てが
 尽きてしまうと決まっていても
 スプートニクという人工の衛星に
 たった一匹乗り込むことを
 拒んだりはしませんでした
 ただひとつ
 心残りなことは
 訓練で出会い
 親しくなった
 ベルカのことでした
 ベルカはぼんやりで
 優しすぎるところがありましたから
 友達のために
 家族のために
 そうやって誰かのために尽くすことで
 いつも損をしていました
 そのたびに
 少し疲れた顔で
 でも満面の笑みで
 良かったと言うのです
 彼女はベルカが
 自分と同じライカ犬に
 選ばれなければいいと思っています
 何のためであれ
 危険なことに変わりはないのですから
 フライトの前日
 彼女はそのことを
 ベルカに伝えるつもりでした
 そのくらいの時間は
 あると思っていたのです
 しかし心配性な人間の都合で
 たくさんの検査に連れ出され
 それが終わると今度は
 外部から隔離されました
 何枚もの厚い鉄壁と
 頑丈な鉄格子
 それを破ってベルカに会うことは
 できるはずもありません
 それでも彼女は
 わずかな奇跡に期待することを
 せずにはいられませんでした
 一睡もしないまま
 やがて朝が来て
 銀色の塊の前に
 彼女は立っていました
 不思議と
 とても澄んだ空気と気持ちでした
 結局ベルカには
 会えませんでした
 でもそれでも
 伝わると思うのです
 言葉に出さなくとも
 この想いだけは
 伝わると思うのです
 人間の手に抱えられ
 彼女はカプセルに納まりました
 たった一週間分の酸素と
 人間たちの期待と
 彼女を乗せて
 スプートニクは打ち上げられたのです

 朽ちた工場裏の土手。雑草に埋もれるようにして、倒れこんだ少女がいた。そして、それを覗き込むもう一人の少女。
 まるでひまわりみたいな笑顔で、倒れた少女を見下ろしている。そおっと、やさしく、起こさないように。
 春の風にかさかさゆれる草が、ほっぺをくすぐる。……なんて、おだやかな風。
 にっこり笑う。

 おはよう。

 ……やっと、逢えた。

 誰も気づかない工場裏の土手。創られたものの誰も歌わない歌のように、ひっそりと、でも確かにそこに。
 少女は二人。


Entry9
蒼き春
さとう啓介

 星が煌く暗闇の国道134号線。
潮風の中を等間隔で照らすオレンジ色の未来を越えて、僕等はあの日の夜の海へと走る。君の温もりを背中に感じながら、歪な音をあげて君のバイクは走る。戻る事の出来ない未来に向かって。

「君の消しゴム、かしてくれないか」
 それが君との最初の言葉だった。僕はカッターナイフで自分の消しゴムを半分に切り君へと渡す。
「サンクス」そう言って空間に微笑んだ君の横顔。今でも忘れられない高校受験の朝だった。
 入学して初めて声を掛けてくれたのも君だった。僕が教科書を忘れれば、君が他のクラスから借りてきて渡してくれた。僕達は色んな事を話し、色んな夢を語り合った。僕が小さな頃にコックになりたかった事や、君が本気で野球選手になろうと思っていたリトルリーグ時代。そして今は動物園のゴリラの飼育係になりたい事。僕達の夢は尽きる事が無かった。
 僕が引越しをする前夜だった。二人して君のバイクに乗り夜の海へと走った。潮風を受けながら海辺に出ると、群青色の水平線の上に冬の星座が輝いていた。波が激しく打上げられては白く静に海へと還っていく。僕達は煙草を取出し火を点ける。煙が目に染みて二人して「不良」と笑いながら言い合った。少し憧れたその言葉は別れへの照れからだった。青白い煙は僕達の熱い想い出と変っていく。

(あれからまだ一年しか経っていないじゃないか……)

「ありがとう。あの子も幸せだったと思うわ」
 君の母さんがそう言って渡してくれた物。それはバイクのキーだった。いつもぴかぴかに磨いていたバイクは、少し埃をかぶってひっそりと寂しそうに君の事を待っていた。キーを差込みセルを回す。キルル、と悲しい音を立てエンジンに火が入る。君の姿が、あの微笑が蘇る。

 海沿いのバイパスはあの時と同じ匂いがする。ヘッドライトに照らされた道は確実に君の所へと連れて行ってくれるような気がした。
 バイパスを抜け、一国に出ると警察署が見えた。そこを左に曲がり小さな橋を渡ってホテルの横のテニスコートとゴルフ場の坂道を登りきる。視界に大きな海が現れ、群青色の水平線が目の前に一直線に広がる。
 僕はバイパスを潜り、古船の脇にバイクを止める。ヘルメットを脱ぎ君のバイクのアクセルを二度、三度と吹かす。その爆音はコンクリートの壁にぶち当たり、黒い海へと向かって叫び続ける。
 あの日の君に向かって。君と夢を追いかけていた、あの時に向かって。


Entry10
そして誰もいなくなった
sankan4on

 勇作は暇さえあればパソコンに向かっていて、『メシア2』というオンラインゲームにはまっている。ゲームをやっている時の勇作は、夕飯だからといくら声をかけてもなかなか返事をしない。もう寝る時間だからと声をかけても、「わかったわかった」と生返事をするばかり。「ちょっと買い物に行って来てくれない?」と頼んでも、腰の重いこと重いこと。お尻に根が生えてそのまま椅子と一体化してしまったよう。買い物の件もだけれど、何よりあと一年後には高校受験。このまま勉強もせずにゲームばかりやっていたら、一体どうなるのだろう?

「ねぇ、勇作。高校の受験問題に『メシア2』があればいいけどね」
「それ、嫌味? あるわけねーだろ」
「だったらもうちょっと勉強したら? 何の役にもたたないよ、ゲームばかりやってても」
「学校の勉強こそ、何の役に立つのかって疑問」
「将来どうするの? ゲームをいくらやっても給料は貰えないわよ」
「わかってるよ!」

 将来給料を貰えない、という責め方だけは有効で、ヒットポイントが高い。
 そう言いながら私も、『メシア2』にはまっていて、昼間こっそり楽しんでいるのだ。『メシア2』での私は「ルビー」で、今はレベル44まで成長した。このことは勇作は知らない。母親は、ゲームなんかしてはいけない。

 ジャスト正午、『メシア2』に入った。入ると「ルカ」がいた。ルカはさっきディサイファーを手に入れたと喜んでいる。これには私も驚いた。ディサイファーは、異邦人の暗号解読のためのアイテムで、手に入れると情報の収集率がぐんとアップする。私達の目的を達成するのに、とても有利になる。
 ルカの報告に私も一緒になって喜んだ。だって、それは本当にすごいことだったから。
 ルカとは、プレイの合間にたくさん話をした。最近食べた美味しい物(ルカは蝦蛄だ)、子供が勉強しないこと。
 一時間くらいプレイして引き上げた。ルカの「実体」は、ヨーロッパ向けDTP編集を行っているSOHOとかで、忙しいのだ。

 夕方、下の子が帰って来て、おやつを食べるとすぐにプレステ2を始めた。その後勇作が帰って来て、同じくおやつを食べるとパソコンの前に座った。夫が帰って来て夕飯を食べると、パソコンの前に座って何か始めた。
 この世界から、誰もいなくなった。
 勉強もせずにゲームばかりやっていたらどうなるのか、分からなくなった。
 早くルカと一緒に戦って、世界を救わなくては。


Entry11
喫茶店
立花聡

 六月の初めから男は店に来なくなった。男の特等席だった一番右の窓側の席には、今はカップルが座っていて彼氏が氷を食べようと口を開けている。男は必ず十時十分にやって来た。中折れ帽を深くかぶって少し腰を折って歩き席に座り、メニューを開いてきっかり一分間眺める。それから僕らの方を向いて、カプチーノ、と呟く。そして十二時まで何をするでなく窓の外を眺めて帰っていく。その男が消えたのだ。
 上品な身なりや懐中時計のような正確な時間の刻み方、お客の少ない僕らの店では男は数少ない話題だった。男は四月の終わりに姿を現わし、六月には来なくなった。男が消えると僕らは次に理由を想像した。僕は引っ越したとか。病気になったとか。脳こうそくで死んだのではと思った。
 僕は原因を調べる事にした。男はマッチを落としていったことがある。マッチには、barベル、と書いてあった。特徴のある男だからと思い、辿るとすぐに男は見つかった。店から十分ほどのところの洋館の主人だった。だが、男は既にこの世にいなかった。脳こうそくで死んでいた。五十九歳だったと、残された女が言っていた。女は、男は散歩に十時に出て、十二時に帰ってきていたと言った。会社の社長だったらしい。
 次の日、自分が男について調べた事、結果を伝えた。どこか重たくなりながら準備を終え、調理場から男がいた窓際の席に目をやった。するとそこには、死んだはずの男が座っていた。ゆっくりと顔をこちらに向けて、カプチーノ、と言った。どこかでコップの割れる音が聴こえた。振り向くと、泣き出しそうな先輩が僕をこずく。仕方なく僕は男に近づいた。近づくにつれて微かだが男の息使いを感じる。僕は男に話し掛けた。
 すると男は笑いながら答えた。死んだ男はやはり別人だった。男は、ツバメを見る為にここに来ていたのだと言う。ツバメ、僕らは気付かなかったが、店の右手の路地を入ってすぐの八百屋にツバメが巣を作ったらしい。男が子供の頃、男の家にもツバメの巣があったそうだ。懐かしくて、しかし軒下で見るのは恥ずかしく、ここで眺めていたらしい。だから、ツバメが立ち去ると来なくなったのだ。
 男と少しの間会話を交わし、男はいつものように十二時に席を立った。帰り際、僕らの方を向いて言った。
「ありがとう、おいしかったよ。結構ここのカプチーノ気に入ってしまってね。また飲みたくなったんだ」
 男は笑顔で店を出ていった。


Entry12
兎月伝説(とげつでんせつ)
堀井安樹

 むかしむかし、ここ兎月の街にぴこという名前の一匹の若いウサギが月からやって来ました。ぴこは地球の進んだ文明に憧れてやって来たのでした。
 兎月の街には、月では見たこともないものが沢山ありました。ぴこは毎日出会う、珍しく新しいものに夢中で過ごしました。
 そうして、何年もの月日が経ち、若かったぴこも立派な大人になりました。ふるさとの月にいる、家族や兄弟や友達のことが気になり始めました。ぴこは月に帰ることにしました。
 「みんなどうしているかなぁ、早く会いたいなぁ。」と楽しみに月へ帰ると、そこには何もありませんでした。家族も兄弟も友達も、誰もいませんでした。
 驚いているぴこにカラスのおじいさんが言いました。「若いウサギがみんなよその星へ行ってしまって、ウサギ村は子ウサギとお年寄りばかりになってしまったんだ。そこをキツネに攻め込まれて、あっという間にウサギ村は滅びてしまったんだよ。」

 案の定、子供達の反応は芳しくない。学齢にも満たない子供達に、この陰惨なお話の意味は解らないだろう。だから図書館の「おはなし会」で「兎月伝説」などやるべきではないのだ。職員は全員反対したのに「ぜひともやれ」という教育委員会からのお達しがあったのだ。
 私も幼い頃から聞かされてきた、この兎月市に古くから伝わる、とされている「兎月伝説」だが、実は都市部への若者の流出を阻止しようと、20年くらい前に教育委員会が創ったものらしい。
 父に訊くと「俺も昔、親父に聞かされたもんだ」と言いながら、奇妙な笑い方をする。やはり市長としては「実はあれは、」というわけにはいかないようだ。

 大学進学のために東京へ向かう朝、あいつは「必ず戻ってくるよ」と言った。そしてそれっきりだ。地元で進学した私が大学を出て、司書になって何年も経つけど戻ってなど来やしない。私も期待していたわけじゃないけど。

 「兎月伝説」をいくら子供に聞かせても何の役にも立たない。ろくな産業も無いこの街から出て行く者は出て行くし、戻っては来ない。
 月に残ったウサギである私は来月、地元建設会社の長男と結婚する。土建屋政治バンザイ! だ。

 ところで月面ウサギ村の村長に娘はいただろうか。いたとしたら、どんどん寂れてゆく村で、彼女は何を考えていたのだろうか。
 なかなか戻ってこないぴこを追っかけて、地球へ行ってしまうような娘さんだったらいいのになあ、と私は思っている。


Entry13
夜に沈む
日向さち

 お風呂が嫌いだ。
 バスタブの中に、お湯と一緒に夜の重みがぎっしりと詰まっている。それが嫌なのに、湯に浸からないとお風呂に入ったという気分になれない自分も嫌いだ。
 お風呂に入らない、という不精はあまり許されるものではないようなので、仕方なく、お湯に身を沈める。それでも、眠い時はお風呂に入らないほうが身のためだと、私は思っている。
 夜の重みに浸かっていると、だんだんと眠気が増してくるせいか、その重みに耐えられなくなってしまうことがある。意味もなく悲しくなって、泣けてくるのだ。
 もう寝ているはずの家族には聞かれないように、できるだけ声をひそめて泣く。しかし、ただでさえ音が響きやすいのだから、しゃっくりぐらいは家族の耳に入っているのかもしれない。実際に聞こえているのかどうか、尋ねてみることなんかできやしないのだけど。
 運良く我に返って、シャワーを浴びて気持ちを落ち着けようとすることもある。シャワーのお湯には夜が混ざっていなくて、とても軽いので、なんだか安心できるのだ。
 それでも、体中に夜が染み込んでいて、重みを振り払えない時もある。そんな時は、もうどうにもできないので、丁寧に全身をバスタオルで拭きながら、声を潜めて泣く。無理に自分を抑えようとすれば、余計に辛くなるような気がして、とにかく泣いてしまう。
 そんなところを誰かに見られたら、なんて答えればいいのだろう。泣く理由なんかない。ただちょっと、眠いだけだ。
 外で、野良猫が妙に人間じみた声を出していたりすれば、なおさら重みが増す。もう少し慎ましく発情できないものか、と訳の分からないことを考えてしまったりして、その考えのばかばかしさにも落ち込む。しかし一方では、自分を全てさらけ出せる猫が羨ましくもあるのだ。
 布団に入ってからしばらく経っても、あいかわらず泣いている。そして、自分の精神は病んでいるのではないだろうか、と思いながら、暗がりからティッシュを探し出して洟をかむ。こういう時、鼻血が出たりすれば気が紛れて寝ることもできるはずだ。元々、鼻腔粘膜が弱いので、鼻血が出る可能性は高い。しかし、そう都合良くいかないのが世の常というものらしい。
 朝方、家族がトイレに起きる音や、道路を車が通ったりする音を聞いて、やっと気持ちが落ち着いてくる。それから、途方もなく疲れていることに気付いて、ようやく眠りに就く。
 そういう夜が、たまにある。


Entry14
Good bye, BOY
川辻晶美

「2日間は家で休むように」
 そんな忠告が無駄であることは医者だって知っている。シリコンを入れたばかりの僕の右の乳房が誇らしげに揺れている。左まで更に半年。店を休む暇などないのだ。

 同居人のテトは、いよいよ今夜、主役としてステージに立つ。うまくいけばギャラは数十倍にも膨れ上がる。この世界に入って5年。完璧な女の身体を作り上げたテト。一番下の妹が学校を出た後は、稼ぎの全てを好きに使うことができる。
「お店、出るでしょ?」
 ニベアを顔に塗りながらテトが聞く。「もう支度できるから、一緒に行きましょ」
「よせよ、その言い方」
 僕は少し苛立ち、テトから目を逸らす。テトはまるで動じず、素早く髪を束ねるとさっさと靴を履いた。

 狭い楽屋は汗と煙草と香水の匂いでむせ返りそうになる。濃密な空気の中で、僕はいつものレオタードを着、左胸にパットを入れる。右とのバランスが少し悪いけれど、気づく客はいないだろう。
 オープニングの音楽が流れ、ステージの幕が開く。いつものダンスが上手く踊れないのは、慣れない『乳房』のせいなのか、スポットライトの中のテトが眩しすぎるせいなのか、わからない。
 最初のステージが終わって、楽屋へ戻る途中、テトが僕に耳打ちした。
「ナナが来てたわよ」
 僕は全身の力が抜けていくのが、はっきりとわかった。この街にやって来て、僕が初めて恋に落ちた相手、ナナ。やがてこの世界に飛び込むために、僕はナナを捨てた。テトと同じく、僕もゲイだったわけじゃない。金の為に、家族の為に、僕は男であることを捨てた。

 その後のステージは何も覚えていない。どうかナナが僕に気づかないように祈りながら、義務的に手足を動かしていただけだ。仕事を終えると僕は急いで化粧を落とし、逃げるように店の外に出た。
 ああ、それなのに。楽屋裏では、ナナが僕に向かって微笑んでいた。
「今日はお客様を案内してきたの」
 ツアー・ガイドが夢だったナナ。僕はまだ路の途中。辿り着くべき場所はたったひとつ。今夜テトが立ったあのスポットライトの中しかない。
 ナナは目を輝かせて言う。
「話がしたいの。食事でも……」
「残念だけど」
 僕は彼女の言葉を遮って言った。
「ワタシ、これから彼氏と会うの」
 ウインクをして、僕は足早にその場を去った。しくしくと痛む真新しい乳房を撫でていると、涙が頬を伝った。
「やだ。女みたい」
 自分で言って、僕はおかしてたまらなくなった。


Entry15
瀬戸際
戸田一樹

 「赤信号を通ります……」
 耳障りなサイレンを鳴らしながら、僕の部屋の前の道路を救急車が通り過ぎていった。夜の静寂には、それは些か大き過ぎる音のように感じられた。声の切迫した調子からすると、きっと急患なのだろう。そこに乗っている人は、或いはもう明日まで生きられないのかも知れない。僕がこうしていつもと変わらない、些か退屈過ぎる生活をしている間にも、苦しみ、悲しみ、命を落としていく人がいる。その当たり前過ぎるほどの事実は、何故だか僕を寂しい気持ちにさせた。
 サイレンの音が次第に遠ざかっていく。しかし心をかすめていった寂しさだけはどうしても消えることはなかった。
 と、その時、突然電話が鳴った。苛立たしげな着信音がひっそりと寝静まった夜をかき乱した。
 僕は二度のベルを聞いてから、思い切って受話器を取った。
 「もしもし」
 相手は黙っている。
 「もしもし」
 僕は繰り返した。最初よりも大きく、鋭い声で。
 しかし相手からは何の応答もなかった。
 僕は諦めて受話器を置いた。
 気づいたらもうサイレンの音は聞こえなかった。部屋は前にも増して静かになった。
 腕時計の針はちょうど一時を指し示している。
僕は少し迷ったが、また受話器を取った。何だか無性に誰かと話がしたかった。
 僕は押し慣れた彼女の電話番号をゆっくりとプッシュした。
 単調な呼び出し音は六度目で止んだ。
 「もしもし」
 相手は黙っている。
 「もしもし」
 相変わらず何の応答もない。
 「もしもし」
 三度目の呼び掛けに重なるようにして電話が切れた。突風が吹きぬけるように全身に悪寒が走った。
 「いったいどうしたっていうんだ?」
 僕は乱暴に受話器を置いた。何かがつぶれたような音がした。その音は次第に大きくなり、荒々しさを増していった。
 幻聴ではなかった。誰かが玄関のドアをノックしていることに僕は気付いた。ドン、ドン、ドンドン、ドンドンドン……。
 「やめてくれ!」
 僕はたまらなくなって発狂した。耳鳴りと頭痛が襲いかかる。僕は危うく気を失いそうになった。
 「大丈夫よ、落ち着いて」
 遠ざかる意識の中でそんな声が聞こえたような気がした。僕は必死の思いで目を開けた。そして見た。青白い顔をして、救急車のベッドの上で横たわっている僕自身の姿を……。
 左手がベッドからだらりと垂れ下がっている。腕時計の針はちょうど一時を指し示していた。


Entry16
2055 Death
藤政 慶

 刃先が白装束を開いた腹に触れた。
 「押せばいいんだ」と琢磨は目を見開いた。
 「人間に成れる」と呟いた。
 「うぐっ」と力を込めた。刃先が腹にめり込んだ。
 「血が・・出ない?」と力を抜いた。
 「ぴゅー」と刃を押し上げるように刃の隙間から鮮血が噴き出した。
 「次は?」と琢磨は頭の中でマニュアルのページを捲った。
 琢磨は首を前に伸ばして「介錯を」と叫んだ。
 「びゅん」と胴太貫が振り落とされた。
 「おー」と歓声が上がった。
 琢磨のかしらは皮一枚残して「ごろん」と目の前に? ぶら下った。

 灰色で統一された工場に銀色に光る卵形のマシンが円形にずらっと並んでいる。
 前面のドアがウイングした。
 認識番号 2054‐1947 の男は「行ってくるわ」とマシンに乗り込んだ。
 シートに身体を沈めると「キーン」とアームが動いて男の身体は固定された。
 正面のディスプレイがオンした。
 「アナタノ サイゴノ センタクデス」と無感の声が流れてメニューが表示された。男はスクロールしてメニューを見た。
 「スタイル、ナマエ、ジダイナドヲ ガイダンスニシタガッテ オエラビクダサイ」
 男は「琢磨」と言う名前を選んだ。
 琢磨はこの感情の無いマシンの声が厭だった。このマシンの声から逃れるために公共のマシンを破壊した。為に今、この声に拘束されている。
 「いち・なな・まる・まる」 一七〇〇の数字が表示された。
 「よし」と数字を確認すると琢磨はスイッチを押した。
 「グイーン」とマシンは唸り声を上げた。

 「始まったな」と係官は呟いた。
 五分と掛からなかった。
 マシーンのドアがウイングした。
 男の首は繋がっている。死に顔は喜びに溢れていた。強力な電流が脳を破壊したのだ。
 「キーン」と男をホールドしていたアームが開いた。
 「シュポッ」と噴出音がして男の身体は押し出された。身体が目の前のぽっかり開いた穴に飛び込んでいった。そこは原子の海だ。男の身体は底に到達する前に「シュッ」と水蒸気になって消えた。
 「死刑執行完了」
 執行官は低い声で言いデスマシンのスイッチを切った。
 「はあ〜っ。今年も終わったな」と大きく延びをした。
 「執行官お疲れ様でした。二〇五五年の新春の休暇ををお楽しみください」のアナウンスに送られて執行官は年末の街に出た。年末の賑やかさ今は昔だ。
 「男はタイムマシーンで江戸時代に行って切腹」うんと呟いて家路についた。


Entry17
つまらないもの
ごんぱち

「これ、つまらないものですけど」
 玄関先で、着物の似合う野村さんが、風呂敷包から箱を出す。
 箱を差し出す手は水仕事で荒れつつも、長くすらりとした指の形は少しも損なわれていない。こういうのを見せられると、私は野村さんの夫がいつも羨ましくなる。
「ありがとうございます」
 私は頭を下げ、箱を受け取った。
「良かったら、お茶でも――」
「いえ、まだご挨拶に伺う処がありますので」
 野村さんは一礼して帰って行った。
「さて……」
 私はテーブルに箱を置き、包み紙を剥がし始めた。
「『つまらないもの』か……」
 その日本的謙譲の美徳に包まれたステロタイプ表現は、娯作品でしばしば笑いのネタにされている。
 確か、以前どこかの漫画では「トイレの詰まりを直す道具」が入っていた。
 なるほど、文字通り詰まらない。笑えるアイデアだ。
 しかし、「つまらないもの」という定義も意外と難しい。
 パンドラの箱は、開けたら災いが出て来たという。これは、つまらないものだろうか? 否、少々ニュアンスが異なるであろう。ついでに言うならば、パンドラの箱の中には希望も入っていたわけで、これは絶対「つまらないもの」ではない。
 ――っと、セロテープを剥がし損じて、包み紙が少し破れてしまった。考え事をしながらだと、やはり難しいものだ。
 舌切り雀における、大きなつづらも、入っていたのは怖ろしいもの、であって、決して「つまらないもの」ではない。
 もっとも、「つまらないもの」と言っておいて、充分に凄い物を入れる手はある。松茸の詰め合わせなんぞを渡されて、「つまらないものですが」等と言う、ブルジョアギャグがそれである。
 逆に本当につまらないものを渡す、という手法もある。見たことのある例は、衣類のホコリ取り(携帯用)。あれはつまらない。作者は天才か、努力家だ。
 ――よし、やっと包装紙が剥がせた。あまり綺麗には剥がせなかった。野村さんなら、きちんきちんと剥がすのだろうが。
 つまらない、が深みを与えるアイデアとしては、相手の家のお歳暮と一緒、もしくは相手から来たものをそのまま返してしまった、というのもある。
 とすると、この箱には何が? 幾多の先達を超えられるのだろうか?
 いや、超えるに違いない。
 さもなくば、この場面が描写されている意義がない。
 さて、開けよう。
 箱の中は――缶ビール? しかもアサヒのドライ?
 えっ、もう終わり? うわ、つまらなっ!


Entry18
フィドル
第1素描室

 ここから800キロ西の天気予報を見るのが、私の日課だった。

 テレビに視線を残しながら、電話に手をのばす。市街局番。もう番号は暗記している。迷わずボタンを押し、コール音の中に小さな自分の呼吸音を聞く。

 1コール。2コール。

 コール音が途切れる。私は息を吸う。しかし独特の間の後、拍子抜けした爽やかな音楽と機械的なメッセージが始まった。またしても留守電だ。無駄に吸い込んだ息を肺に大きく溜め、感情と共に吐き出す。毎日これでは部屋に溜め息が充満してしまう。

 ピーッ。

「カナエです。明日はそっちは大変ね。嵐だって。こっちは快晴です。でも土曜の予定が埋まってないってつまんない。私はきっとあなたが…」

 話の途中で制限時間が切れる。私はちょっとイライラしながら、もう一度同じ番号を自分でも驚くくらいの速さで打ち込む。まだ話は半分だ。

 ピーッ。

「カナエです。ちょっと、10秒じゃ何にもメッセージ残せません。もう少し長くするか、こまめに私の電話に出てください、それでは。」

 また途中で切れるのが嫌で、いそいそと受話器を降ろす。留守番電話は、いつも微妙な気恥ずかしさと後悔を残す。

 恋人への愛情を欠かさぬよう、私はアドレス帳にこの電話番号を記していない。ケータイ電話のメモリーにもない。そうしてこの愛すべき数字の組み合わせを忘れてしまわぬよう、繰り返し毎日何度もつぶやいている。敬虔な宗教家がそうするように、私は恋人への祈りを欠かさないのだ。

 興味をテレビに戻す。800キロ西に近付きつつある嵐は、その後は勢力を弱めて私の住むところへもやってくるらしい。報告しようか、迷って、やはりやめておく。日に連続で3回も留守電を入れたのでは少し真剣すぎる。嵐がやってきて、やがて過ぎ去って、そうしたら共通の話題が生まれるだろう。その時また連絡すればいい。風が強かったね、とか、近所に雷は落ちなかった? とか。とにかく真剣すぎてはいけない。こちらの方が愛情が多いと思われてはいけないのだ。

 リモコンを探し、天気予報にサヨナラを告げた。ベッドにカラダを投げつけて、うずくまりながらボンヤリと電話を眺めた。もう一度恋人の電話番号をつぶやいてみる。キゴウの響きに、私は暖かい愛情を期待している。数字が誰かを表しているなんて、本当に奇妙だと思う。

 しばらくじっとしていた。でもまた寂しくなってテレビをつける。私は天気予報を探している。


Entry19
手紙
下圭

 メロンパンに噛り付きたそうな微笑を理解して欲しい。憂鬱に雲の切れ間から顔を出す太陽を連想して欲しい。あたしのなかの崩れ落ちそうなものはことのほか多くて、苦笑いをした猫、倒れかけそうな酒瓶、吹き飛ばされそうな風車など。
 貴方と逢えないのはあたしの幾つかの失敗のうちのひとつだろうか。限度の無い圧倒的なスピード感がそれを麻痺させてくれるのを期待し、あたしは生きている。
 寝具は全て白にしたいの。
 幾つかのばらばらなシンボルがいくつも重なってちぐはぐに裸足で何か柔らかいものを踏みつけるような快感を味わうことができるから。
 透明さを求め、疲れきる私は崇高なものにはいつもでも届きそうにありません。信じる神も無く、あるのは毎日の風の冷たさとへばり付きそうな地面の感触。
 あたしがもし海の生き物だったら、悠々自適にあの冷たい真っ暗な海の中を舞えたらどんなに幸福なことだっただろう。足に触れる柔らかな海草の感触をひたすら感じ、カレンダーもない故にあれからどれくらい経ったかもわからずに過ごす毎日。あたしにはお気に入りの場所があって、餌である小魚が豊富であったり、程よい温度の心地よい場所、太陽の光が綺麗だったりと。
 そうして、美しくなりたいと願います。一途に。美しくなりたいと願います。
「俺が生きてるってことは、そうお前がいるのが大前提なんだよ」
 あたしは喜んで、美しくありたいと願います。余りに透明で、貴方があたしを見失うほどに。
 ときどきあたしはあたしが怖くなって、ついついいけないことをします。
 貴方はあたしが怖くなることはありませんか。
 心配です。


Entry20
男のからだは巨大な橋だった
林徳鎬

 男のからだは巨大な橋だった。
数え切れないほどの列車が走りぬけ、戦車が砲弾を発射し、人間が死んだ。

 その男はいま、掌に先の尖った物体を乗せている。
つるりとしたその物体は天宙に向けて幅を増して行くと、やがて二十メートル程上方で既にここからの視界を遮る拡がりを見せていた。おおよそ円錐を逆さにしたものであると想像するしかない。空を覆うほどに巨大だった。

 予報された雨を避けるために男の足元にやってきたのだが、まだ雨は降っていない。男は一瞥で私を確認し、それからまた天を見上げた。男の目には雨宿りをする針鼠に対するどんな種類の感情も見受けられなかったが、非情というのではなく、それはただ蓋をしたような無関心であった。針で覆われた身体が雨粒を恐れるというのは笑い話にでもなりそうなものだ。しかし、私は濡れれば死んでしまうのだから、心底恐ろしい。一方、円錐は安定していた。

 最初の雨粒が落ちてきた時も、男は相変わらず一本の大木のように立っていた。私は、身体を丸めたが、背を覆う針の間に冷たい滴が溜まったいくのを感じ、やがて咽喉から漏れる息は喘ぎに変わっていった。
 雨が降っていても相変わらず円錐は安定していて、そのことが私に躊躇わせた。
しかし、生暖かい呼気とともに言葉が出た。
「その紐を、引いてもよいでしょうか?」
男の手指の間から垂れている紐は、円錐の先から伸びているものに違いない。
男は応えなかったし、私も男の顔を見なかった。それから紐を引いた。

 耳元を殴りつけられたような衝撃を受け、空気が震えているのを体中で感じた。
なにかの塊がぐんぐんと天に向かい、空気を荒々しく裂いていく。それは遠くの空で大きくはじけた。男の脚がぐらりとして、それから膝を付くと、掌に収まっていた円錐の先端が傾き、大空を屋根のように覆っていたものが消えた。

 まぶしい、暖かい光が身体に注がれた。
そして空からは色とりどりの紙切れや、木実、春の香りを含んだ木の葉が祝福のように降って来る。男は隣りで死んでいた。
私はそれでもまだ背を丸めていた。すべてが去るのをじっと待っていた。

 天から降って来る暖かいもの、柔らかいものが背に刺さるのを感じた。
私は男の目にみた無関心を思い起こす。簡単だった。蓋をして背を丸めるだけだ。それは非情ではなく、ただの無関心なのだから。
私は背にある刺をすべて失くしてしまいたいと願う。針をなくした針鼠になりたいと。


Entry21
『あい/はーと』
橘内 潤

 美穂が天使になって、今日でちょうど一年になる。
「どうしたの、昌樹?」
「うん……前にこの公園へ来たときのこと、思いだしてた」
「前に来たとき……ああ、一年前の今日ね。わたしも思いだしたわ」
 美穂は――めずらしく――遠くを見るような目をする。視線は戯れる子供たちを通りすぎ、道路を行き交う車たちでとまる。
「あのときは、とても痛かったことを憶えてる」
 今日は美穂の命日だった。
 一年前の今日、公園前の道路で死んだのだ。轢き逃げだった。
 その日から今日まで、ぼくたちがここに来たことはなかった。
「ねえ、どうして今日はここに来たの? 昌樹、いつもこの公園を避けたわよね」
「でも美穂は、ぜんぜん気にしてないんだよね。トラウマにもなってない」
 美穂は微笑んだ顔をする。
「死んだときのこと、記憶はしている。でもそれだけよ」
 あたりまえでしょ。わたしは天使なのよ――そういう顔をする。
 ――でも、
「でも、ぼくはまだ人間だ。美穂みたいに割り切れない」
「昌樹もいずれ天使になる。そうすれば、できるわ」
 諭すための口調と抱擁。天使は人間を憐れみ、許すために生まれた。
 けれど、人間はけして癒されない。許されない。
「人間の美穂はいやな女だった。ひどい女だった。一年前の今日も、別れるためにここへ呼びだしたんだ。でも、その前に死んだ。すぐそこで、ぼくに手を振りながら」
 あのときの、人間の美穂が見せた最後の笑顔がこの公園に焼きついている。それ以外の思いではすべて、焼き尽くされてしまった。
 ぼくは、ここに来てはならないのだ。責められなければならないのだ――ならなかったはずなのに。
「わたし、昌樹を苦しめてしまってたのね……ごめんなさい」
 目の前で美穂が謝っている。だけど、ぼくの知っていた美穂は謝りなどしない女だったはずだ。
「泣いているの? わたしのせいね、ごめんなさい」
 責めてくれ。謝らないでくれ。
 ぼくはまだ人間だから。許されたくなど、ないのだから。

 セックスが生殖行為であることをやめ、苦痛と快楽でしかなくなった時代。死者がひとり、またひとりと天使になってゆく。
 人間は緩慢に滅びゆき、笑顔だけが満ちてゆく。
 永久不変の愛にとり残されたぼくたちは、やがて来る順番を怖れ、待ち侘びている。


Entry22
天下泰平
太郎丸

 和敏は相変らず歴史が弱かった。過去の出来事を知ったからといって、今後どうなるわけでもない。平成の世の中において、そんな小さな事に拘ってどうするのだ。とは思うのだが、試験に出るのだから仕方がない。諦めて和敏は文机に向かい、硯箱に戻した筆を持ち上げながら、教科書を見た。

 室町幕府はほとんど空中分解の状態で、その力は失墜していた。各地で豪族や大名が独立して覇を競い始める。その頃、座と呼ばれる徒弟制度が成立し、生産・流通をともに独占し、巨大な利益をむさぼっていた。
 そんな時、過去の因習にとらわれない合理主義を原則にして日本州統一を図った男がいた。織田信長である。
 この当時の武器(銃)については、世界の3分の1の量があったといわれ、性能も高く欧州に輸出されてもいた。鋼鉄製の大砲の製造に関しても、当時は土耳古(現在の雄万地方)と2分していた。

 この信長の頃までは良いんだよなぁ。まったく元々秀吉が明州になんか攻めなけりゃ、こんな事にはならなかったかも知れないなぁ、と歴史の教科書を見る。
 もし秀吉が明州を制圧しなければ、もしその後、明州と戦わなければ、もし戦ったとしても明州に負けていれば、もし明州に勝っても、その後欧州に攻めなければ、欧州に攻めたとしてもそこで負けていれば…。もし、もし、もし…。

 信長の死後、豊臣秀吉がその意思を継ぎ天下を統一した。その後、日本州の領土を部下に与えることが出来なくなった秀吉は明州(当時は朝鮮・明)を攻めこれを平定、秀吉の死後、徳川家康、伊達正宗、明州で伊達正宗の部下になったヌルハチらが欧州までを平定した。
 但し信長の頃から、一向門徒の大量虐殺や比叡山焼き討ちなどのような危険思想の排除の考えは引き継がれ、キリスト教徒やイスラム教徒の大量虐殺も行なわれた。

注)
 危険思想の排除については、学識者の中でも賛否両論だったが、当時のキリスト教のように、他の国の人達を異教徒と呼んで迫害し、奴隷制度を作り始めていたという事実も最近判明しており、現在では正しいとされる意見も多い。

 宗教戦争なんていうのはよく解らないが、確かに神が一人だなんていう不遜な考えはないから、和敏にはどうでも良いことだった。
 まぁ世界が平和に暮らしていけるのも、この頃の人のおかげだとは思うが、地球の歴史を全て勉強をしなくてはならない受験生は辛い。

 金髪を掻き揚げた北米州の和敏は、溜息をついた。


Entry23
胃の中に重いなにかが充満してくる。
アナトー・シキソ

【出口】のドアを開けると、真ん前にデカイ男が背中を向けて立っていた。
行く手を塞ぐかたち。邪魔だ。
「そんなふうに言われても困るわけです」
背中を向けた男は言っている。俺にではなく、男の向こうの誰かにだ。
「モリコーネなんて知りませんよ」
何の話をしてるんだ?
「動物は嫌いなんです」

俺は好きだな、動物。人間より好きだ。

俺は、ドアノブを握ったまま、背中を向けた男が俺に気付くのを待つ。

すぐ気付くだろう?
人の気配。近くに誰かいれば、フツーはすぐに気付くよ。

「ああ、そうなんだ。それを早く言って下さいよ」
背中を向けた男はそんなこと言ってへらへら笑う。

笑ってないで早くどけよ。

「そうですねえ。まあ、協力しないでもないですけど」

何言ってんだ、こいつ?

俺はもう一度、ドアの磨りガラスの文字を確かめる。
【出口】の文字は裏から見ても、やっぱり【出口】だ。
やっぱり出口だ、出口。

で、出口の真ん中に突っ立てるこいつは、何なんだ?
非常識だろう?
ていうか、実際バカだろう、お前?

俺は、試しにひとつ咳払いをする。
「たばこ、やめた方がいいんじゃないですか?」
そう言う男の向こうから煙草のにおいがしてくる。
「肺ガンって、苦しいみたいですよ」

余計なお世話だ。
そんなことより、どけよ。

「ま、お好きにどうぞ。苦しむのはあなた自身なんですからね」
背中を向けた男が、両手を後ろに回して、尻の所で繋ぐ。
その手には靴が一足ぶら下がっていた。

その靴。
色といい、形といい、ヘタレ具合といい、俺のにそっくりだった。
ていうか、俺のだろう?

足下を見れば、背中を向けた男はちゃんと別の靴を履いている。

俺が裸足なのはこいつのせいか?

俺はバカかアホみたいに、背を向けた男が持っている靴に見入る。
見れば見るほど俺の靴だ。

「後ろですか?」
突然、背を向けた男が言う。
「私に、後ろを向けと?」
何がおかしいのか知らないが、笑いながら言っている。
「本当に?」
と念を押す。
「やめといた方が……」
まだ渋る。
「しょうがないなあ。分かりました」
ついに折れた。
「じゃ、3、2、1で、振り返りますから」

男のその言葉を聞いた途端、俺の体中から汗だか何だか分からないものが吹き出す。
頭もジンジンしてきたし、胃の中に重いなにかが充満してくる。

吐きそうだ……。

「では。3、2、1!」

俺は反射的にドアを閉めた。
ドアの磨りガラスにヤツが顔をへばりつける。

その顔!

俺は胃の中の重いモノを一気に床にぶちまける。


Entry24
黄昏の日々
蛮人S

 傾いた南洋の陽が、海岸に据えた白いテーブルを染め始める。
『マスター、お飲物をお持ちシマシタ』
 Fが傍らに立っていた。誠実な機械。合金の胸に夕日が映っている。私はグラスを受け取る。
『昔を想い出されていルのデスカ』
 まあね、と私は曖昧に呟く。穏やかな波音に紛れて、グラスの氷が鳴った。
『マスターは、なぜこんな小島にお暮らしナノデス』

 愉快な質問だ。
「似つかわしいからよ」
『都市に住まわれレば、調達できル物も増エマスガ』
「ゴーストタウンには住めないわ」
『定義求めマス。どういった意味デショウカ』

 それには答えなかった。Fも暫く無言で立っていた。

『マスター、一つ報告がアリマス。データ解析の結果、信憑性の高い一つの仮説が得られマシタ』
 得意げな調子があった。私は海を向いたまま訊く。
「何の仮説?」
『十八年前、人類がマスターただ一人を残して絶えてしまった――その原因と過程デス』
「言わなくて良い」
『なぜデス』
「知ってどうするの」
『当時、マスターはご家族と離れておいでデシタ』
「だから?」
『ご家族の最期ヲお確かめになりたくないのでしょうカ』
「君は……」

 グラスを持ち上げた。
「私の心を押し潰す気なの?」
『……定義求めマス。心を押し潰すトハ』

 答えず、私はグラスを傾けた。
 陽はやがて水平線に触れ、ゆるやかに溶け拡がっていく。
 Fが口を開く。

『マスター……提案が有ルのです』
「どうぞ」
『私の電子頭脳を量子回路に換装シマセンカ。そうすれば』
「そうすれば?」
『……あなたに近づける心を持てルかも知れません』
「エフ」
 私は椅子から身を起こした。Fが寄り添って支える。
「そろそろ、君は」
 Fの胸のパネルを開く。
「そう言い出すと思ってた」
 リセットボタンを押し込む。ロボットは動きを停め、ランプを明滅させ始めた。

 指を離せば、再起動が始まる。

(何回目だろう)

 指を離せば、この子は忘れる。

(私はもう誰も覚えていたくないし、誰にも覚えていて欲しくない、エフ)

 心を持つ? そんな事をしたら。

(もう誰とも別れたくない)

 
 パネルを閉じた。再び歯車の音が高まる。
「回路始動……点検……ハロー・私ハF3……」
「調子はどう?」
「異常アリマセン、マスター。指示ハ御座イマスカ」
「もう日も暮れる。家に入るわ。テーブルを片付けておいて」
「定義求メマス。ソレハテーブルニ載セラレタ物ヘノ指示デショウカ」

 私は微笑む。
「そう、それでいい、F」


Entry25
ジェルソミーナ ジェルソミオ
るるるぶ☆どっぐちゃん

 張り付けにされたあの男を、俺は好きだった。
 他に好きになれるような物も無かったし、他に美しい物も無かったから、俺はいつもあの男を眺めていたよ。
 周りの大人達もそんな俺を誉めた。ただ一人、姉だけが、俺を冷たく笑っていた。普段は優しい姉だったが、その時だけは俺をまるで裏切り者を見るような目で見るのだ。
 姉は長くは生きなかった。生まれつき身体が弱かった。姉は美しく頭が良かったが、何も出来無いまま死んだ。
 俺はそれでもあの男を嫌いになれなかった。あの男を嫌いになる前に、俺はあの男を可哀想だと思うようになった。
 ある春の夜、俺はあの男に会いに行った。
 暗闇の中に、あの男は一人だった。
 俺はあの男によじ登り、助けてやろうとした。解き放ってやろうとした。
 どきどきしながらあの男の身体に触った。それが初めてだった。あいつの身体は冷たかった。硬かった。掴めなかった。俺は無理に引っ張った。するとあの男は、支えていた台ごと崩れてしまった。
 がしゃ。
 地面に叩きつけられたあの男を、俺は助け起こそうとした。
 かしゃり。かちゃり。
 それはただの砕けた石膏だった。
 それで俺はやっと、あの男は何処にも居ないということを理解したんだ。
 何処にも居ない。何処にも居なかったんだあいつは。

「おい」
 僕は慌てて振り返った。
 考え事のせいでついぼうっとしてしまった。
「すいません」
「そろそろ出るぞ」
 彼は僕にそう言うと車に乗り込んだ。
 僕も乗り込み、車を出す。
 僕の雇い主は無口だった。そしてその無口な彼が一回だけ熱心に語ってくれたのが「あの男」の話だった。
 僕には解らない話だった。彼の子供時代と今じゃ大分違う。「あの男」なんて僕には誰のことなのか見当もつかない。
「今日はこの辺りにしよう」
「はい」
 僕は車を停めた。
 彼の芸は人気があった。柱を二本組み合わせた物にただ縛り付けられているだけなのに、人々はどんどん集まってきてお捻りを放った。
「そろそろ出るか」
「はい」
 夜になり、僕らはまた移動を始める。
 夜空が美しかった。その空を、何本かの軌跡が通り過ぎていく。
「ねえ」
 僕は声を掛けた。
 落下音が聞こえ始める。戦闘機の爆弾だ。
「なんだ」
「戦争、早く終わると良いですね」
 僕はハンドルを滅茶苦茶に切って爆発を避ける。
「関係無い」
 彼は小さく答えた。
「そんなことは関係無いよ」
 爆発音が木霊する中、彼はゆっくりと目を閉じた。


Entry26
いつかその日が来たときに
カピバラ

もう、かれこれ一時間は経とうとしている。
家に引取ることになったという痴呆の姑の話を
延々としゃべり続けているその初老の女は、
自らも私の姑という立場にあることを
忘れているかのようだった。

「お義母さんはね、すごく気丈なしっかりした人だったの。
八十を過ぎても自転車に乗って毎日お義父さんのお墓参りをしてねえ。
身の回りのことだって決して他人にはさせなかったのよ。
それが、ちょっと風邪をこじらして十日ほど寝込んだくらいでどうでしょう。
どこかネジが飛んだみたいになっちゃって」

「最初はね、ご近所は誰も気がつかなくて。
だって、本当に普通なのよ、しゃべりさえしなければ。
話し始めると止まらないの。
そりゃ、昔からにぎやかな人だったわよ。
でもね、違うのよ、なんだか。
目つきでわかるの」

「決定的になったのは私が訪ねていったときよ。
ご近所の噂話なんかをかしましく言い散らして、
私もああそうですねなんていつものように相槌を打ってたんだけど、
そしたら最後にこう言ったのよ。
『それで、アナタはいったいどちら様?』
私が誰だかわからなくても、しゃべり続けていたのよ!」

このくだりになると、姑の口調はほとんど叫ぶようになる。
最初は驚いたが、もう四回目なので私も落ち着いたものだ。

「元気な人ほど、ボケ始めるとあっという間ね。
本当に、数週間のうちに急に、なのよ」

いいえ。
兆しはずっと前からあったに違いないわ。
人に同じ話を四回も繰り返して聞かせるような、
そんな兆しが。
アナタの姑の姿は、そのまま十数年後のアナタ。
きっと、数十年後の私でもあるのだわ。

その時ふと、姑に
『私が誰かおわかりになりますか?』
と聞いてみたくてたまらなくなった。

けれど、すぐにそんな考えは捨てた。
姑が正気なら怒り出すに決まっているし、
もし今ボケ始めているのがわかっても
私にいいことなんて何一つないのだ。

「あなたもねぇ、早く孫の顔を私に見せてちょうだいな。
仕事が面白いのもわかるけど、年取ったら子供は産めないのよ。
私もいつお義母さんみたいにボケちゃうかわからないし、ねえ」

私が息子の妻であることを、
姑は忘れていなかったようだ。

そうね。
アナタみたいな年寄りになる諦めがついたなら、
子供を産むのもいいかもしれないわ。

いつか、その日が来たときに、
アナタは私を覚えているかしら。

姑の話は、いつしか五回目に突入していた。
私はいい加減な相槌を打ちながら、
彼女の話に聞き入るふりをし続けた。


Entry27
ソラヲオモフ
伊勢 湊

 事務次官がノックして部屋に入ってきた。
「首相、ビカシリアス共和国が我が国に対して天王星の存続権の掌握を表明しました」
「天皇制?」
「いいえ、星の天王星です」
 以前ならここで怒りだしていたところだが、いまではもう理不尽な話にも慣れてしまった。哀しいことだが何を言っても無駄なのだ。
「分かった。とりあえず質問は五つ。そのなんたら共和国っていうのはなんだ。どうやって天王星の存続なんて掌握できるのか。なんでうちに向けてそんなことを表明するのか。そうすることでなんたら共和国が得るメリットは。そしてこっちのデメリットは?」
「ビカシリアス共和国は北欧の小国です。国の主な産業は毬藻の育成および輸出です」
「ああ、そう」
 どうやらたいした国ではないらしい。
「存続を掌握する方法は謎です。たぶんはったりだと思われます」
「だろうね」
 そんなもんNASAでも無理だ。
「これまでは英国のウィリアム・ハーシェルが最初に公式に天王星を発見したということになっていましたが、最近の研究でそれより前に日本の坂田雪之丈という人物が観測し当時の幕府に報告した史実が明らかになった為に我が国に表明したものと思われます」
「余計な発見してくれたね」
 誰が発見しようが関係ないじゃないか。
「ビカシリアス共和国のメリットは不明ですが、少なくとも世界の注目は浴びます」
「やれやれだね」
 どうせ深くは考えてないんだろう。
「この情報は残念ながらすでにマスコミに漏洩しており、天王星を神体とする明久慈羅太天教が抗議活動をしております」
「なんだよ、その団体。危ない宗教じゃないだろうな?」
 まあ、どうせ目立ちたいだけだろうけど。
「ビカシリアス共和国は我が国が表明を受け入れない場合は毬藻の輸出を停止すると申しております」
「そんなもん輸入してたのか?サロマ湖とかで採れるんじゃないのか?」
「水質汚染で絶対数が減り、現在はビカシリアス共和国からの輸入に頼っております。毬藻の取り引きが停止されれば全国に約五万人いると見られる毬藻ファンの反発が予想されます。いかが対応いたしましょう?」
 五万人ってどうやって調べたんだよ、と聞こうかとも思ったが馬鹿らしいので止めておいた。
「分かった、少し時間をくれ」
 事務次官が出ていくと、私は窓から空を見上げた。いまは太陽の光に遮られ見ることすら出来ない星にまで悩まなければいけない。自由はどこにあるのだろう。空に、想った。