第44回1000字小説バトル
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  INDEX
 エントリ 作者 作品名 文字数 得票なるか!? ★ 
 1本作品は公開を終了しました   
 2 さゆり  謀(はかりごと)  1000   
 3 青野 岬  かくれんぼ  1000   
 4 とうみょう  夢想  1000   
 5 浅田壱奈  初恋  713   
 6 下圭  僕のポピー  984   
 7 繭   トゥモローランド  1000   
 8 第一素描室  離陸。  1000   
 9 ムーロマチコ  意志のない男  1000   
 10 日向さち  クリーム色  1000   
 11 道人  マグリットの石  998   
 12 有機機械  帰郷  1007   
 13 さとう啓介  spring doll  1000   
 14 Ruima  悔し涙  1000   
 15 aluma  花のない景色  1000   
 16 太郎丸  パーティ(狂気)  1000   
 17 ごんぱち  運の悪い違反者  1000   
 18 林徳鎬  雨  1000   
 19 橘内 潤  『24』  893   
 20 アナトー・シキソ  「吐き出したモノは飲めばいい」  1000   
 21 土筆  鞄の鳥  1000   
 22 藤政 慶  屍骨 闇に消す  1000   
 23 隠葉くぬぎ  みらいのなみだ  1000   
 24 立花 聡  幼女回想  939   
 25 棗樹  瞬間、女は冷ややかな獣になった。  1000   
 26 越冬こあら  空模様  1000   
 27 まーまれーど  ややこしい国  991   
 28 カピバラ  夏を夢みる翼  1000   
 29 伊勢 湊  今日を日記にしてもたぶん題名はないけれど  1000   
 30 るるるぶ☆どっぐちゃん   鳥  1000   


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バトル結果ここからご覧ください。




Entry1



Entry3
かくれんぼ
青野 岬

「もういいよぉー」
 私は娘に聞こえるように大きな声でそう言うと、急いで納戸の奥にある本棚と壁のせまい隙間に自分の体を押し込んだ。扉の向こうから、パタパタと小さく跳ぶように歩き回る娘の足音が聞こえて来る。家じゅうの扉という扉を開け閉めする音と、「あれ?ここにもいないなー」とハシャいでいた娘の声がだんだんと焦りを帯びて震えてゆくのを、私は家具の一部となって膝頭を抱えたまま聞く。
 一人っ子だった私は子供の頃、よく母とかくれんぼをして遊んだ。お世辞にも広いとは言えない限られた空間の中で、母は巧みに自分の身を隠した。
「もーいーかーい」
「もーいいよ」
 母の答えを確認するやいなや、私はドキドキしながら母の姿を探し始める。子供がまっ先に思い付きそうな押し入れの中や、トイレの中、お風呂場を探してみても、母の姿はどこにも無い。だんだんとかくれんぼを始めた頃の高揚感は薄らぎ、背後から忍び寄る冷たい心細さに私の胸は塞がれたように痛み始める。
 母はいつも真剣で、子供相手に手加減をしない人だった。そんな経験からか、私もすぐに見つけられるような所に隠れるヘマはしない。私は息を潜めながら、娘が探しに来るのを、ただじっと待つ。かくれんぼで一番大切な事は『気配を消す』事だ。自分を殺して家具に、家電に、壁に、荷物に、オブジェにになりきる。疑問や雑念を抱いてはいけない。
 娘は納戸の扉を開けてはみたものの、その奥で体を小さく丸めて掃除機の長いホースを背負っている私には気付かない。当然だ。私は今、東芝サイクロン式クリーナー(紙パック不要)なのだから。娘は諦めて扉を閉めた。その瞬間、納戸の中の空気が入れ替わって埃が舞った。
「ハクション!」
 しまった!我慢できずにしてしまったクシャミの音を聞いて、娘が激しく動揺しているのが扉越しに伝わって来る。それでも娘はクシャミの発信源である私の居場所ががわからずに、既に半ベソ状態になっているようだった。
「おかあさーん、どこ?おかあさん……いない」
 なおも黙り続ける私に、娘がとうとう本格的に泣き始めた。私はさすがにあきらめて立ち上がり、自ら納戸の扉を開けた。
「おかあさん!」
 娘は私の姿を見るなり、安心してますます激しく泣きながらしがみついて来た。
(納戸の掃除を怠ってたのが、今回の敗因だな……)
 私は娘を抱きかかえ背中をトントン叩きながら、次はどこに隠れようかと思案をめぐらせた。


Entry4
夢想
とうみょう

 大学生、折口学はコンビニで食べるつもりの無い夕食を購入した。まあ、いつもの事だ。右手に下げたビニール袋は力を抜けば重力に引かれ、容易く地面に衝突してしまうくらい当然の事でもある。それが彼の日常であった。
 コンビニから一人暮らしをしている部屋まで、緩々とした下り坂が続く。もう季節は暦の上では過ぎ去ったはずなのに、彼の身体を包む大気は冷たさを十分に湛えていて、ビニールが彼の右手に余計に食い込んでいく。夜の闇の中を走るライトは右車線にばかり多くて、向こうへはなかなか、横断できない。しかし、そんな事は気にしない。どうでもいい事だ。このまま、部屋を通り過ぎたっていい。歩道を歩く人は偏りなく少なくて、彼の他には正面から坂を登ってくる学校の制服を着た少女が一人きりであった。少女の身に付けていた紺の制服はこの坂の先、丘の上にある高校の……。
 そして、違和感。
 この時間に学校に行く不自然さではない。思わず立ち止まってしまう彼の横を通り過ぎる少女は特に折口に気を払う事もないそぶりで歩いていく。彼は少女から目を離せず、そのまま、身体を向けて、振り返る。少女の左手から伸びる、長い、長い、長い銀色の刀身を見る。それが最後で、少女が今日、切り捨てた五人目の人間だった。
 赤い光を咲かせ歩く少女を、誰も不審に思わない。ただ、切られた人間だけが雄弁に語るだろう、その抜け殻で。歩みを止めず、歩調を乱す事すらもなく、少女は校舎へと消えた。
 左から三番目、一番右端の建物の三階、三年生の教室の並ぶ、真っ直ぐに広がある長廊下で男は少女と出会い、お互いに約束でも交わしてあったかのように微笑みあった。
咥えていた煙草を吐き捨て、足で踏み潰す。男は自分が律儀すぎる事に内心、苦笑しながらも、火事という結末はいただけないなと思い直した。何事も散る時は一瞬でなくてはいけない。それが男の持論であった。
「君が……あれだな……。待っていたよ。」
 ゆっくりと身構える男、少女は無機質な顔をさらに無機質にして笑う。声を上げて。雲の切れ間から逃れ出た光が彼らを照らし、浮かび上がる彼女の握る長刀は、窓の外に張り付いたように浮かぶ、新月に近い欠けた月のように赤く、妖しく輝く。男が更に身体を強張らせた。
「この刀が見えているの……あなたも、よっぽど死にたいのね。」
 彼女の結い上げられた黒髪が左右に揺れた。

斬光一閃。

と、私は顔をあげて……。


Entry5
初恋
浅田壱奈

 好きだとか、嫌いだとか…そんなの考えたことないから解らない。…いや、めんどうだから考えないようにしてたのかもしれない…だからって今更考える気はないんだけどさ…。元々俺って、誰かに愛されて育ってきたわけじゃないから、愛し方とか愛され方とか解らないんだ。ああ、解らないんじゃなくて知らないんだ。どっちにしろ、そんなのめんどうなだけなんだ…だから、俺はこれから先も誰からも愛されず愛することなんてない。
筈だった…筈だったのに、俺のことが好きだと言う女があらわれてしまった。

 俺は今生れて初めて焦っている。人間、極限状態になると面白いとにどんな面倒なこともやってのけようとするんだな。こんなに走るのなんていつぶりだろう…。しかも、全速力ときた。普段から運動なんてしないから、いきなりこんなに走ると体にかかる負担がきつい。呼吸はもう乱れてるし、肺は痛いし、汗は掻きすぎて、これ以上走ったら脱水症状を起こしてしまうだろう…。しかし、我ながら大したもので、こんな状態になっても走るのをやめる気は微塵もない。
 だいたいあいつだ。あいつのおかげで俺はこんなにも焦ってるんだ。原因不明の病気にかかったりするから! "どんな病をも治す"という薬草を探しに、俺はこんな夜更けに山頂めざしてこの山を駆け上がるハメになったんだ! だいたい、そんな都合のいい薬草なんて本当にあるのか!? でもあいつが助かる方法は、その都合のいい薬草に賭けるしかないんだ。だから俺は走るしかないんだ。
 そして運良くあいつが助かったら…言うんだ…かなり待たせてしまった、告白の返事を…あいつのおかげでこんな心境になった、俺の答えを…

 夜の闇は儚い命を呑みこむ様に深みを増す…


Entry6
僕のポピー
下圭

 僕はこうした浮遊を知らなかった。全てふわふわになってしまったような感じ。家に帰るとそこには予期しなかった干し芋が待っていたような幸せ。小学生の帰り道にスーパーファミコンが待ってる感じ。僕がネクラで音読み上手で夢想家なことは否めないし、男は親が死んだときしか泣いちゃ駄目っていういいつけも守れない。缶ビールをわざわざビアグラスに注ぐ僕には確かに軽い哀愁すら漂っていて、そんなことを自覚する日には冬なのに窓開けたりして月を眺めたりする。月も月で申し訳なさそうで、精一杯に美しくなる。僕はそういったものが嫌いだから冷たい口調で月に話しかける。「僕は昔、真っ暗な夜空にポツンといる君を見て、あらら、空に穴が空いちゃったなんて思ったもんさ。まあ、そんな僕もビールを飲む年になったのだからね」。月は驚いて慌てふためいて色んなモノを地上に落とす。それは地上では煙草と言われてるものだったり、愛とか言われてるものだったり、スーパーファミコンとか言われてるものだったり、喫茶店と言われてるものだったりと、それはそれは様々なものだ。僕はそんな月のお茶目さというか駄目さというか、そんなものを感じて僕もまだまだやっていけるなって思うんだ。僕は親が死ぬどころか、ちびまるこちゃんを見て泣くんだ。否定されるべきものは、否定されながら肯定される。大学で得た知識もまんざらでもないようだ。だって、愛すの棒は愛すじゃないからね。でも、君は棒の突き刺さった愛すを見て、あっ愛すだって思うでしょう。僕がこんなことを言ってる間に、月は月でおじいちゃんの未だに送られてくるお歳暮からくすねた年代モノのワインで一杯やっていることでしょう。幸せそうな音楽が流れてて、感情をことさら表に出しやすい月は、今日のカーテンの綺麗さだとか、移り行くものをみてちょっぴり感傷的になって、ほおずきみたいになっていることでしょう。もし、それが僕だったら「お前は完璧な存在だよ」とか「お前は一体全体美しいコロンブスの卵だ」なんていかにもいい加減な慰めごと死んでも言って欲しくないから、僕も黙って気づかないふりをする。そんな僕と月との間には確かに距離があって、NASAではそいつをポピーって呼んでるらしい。僕もそのネーミングを少なからず気に入っているので、たまに月食の日は寝る前の子供たちに「おやすみ、僕のポピー」なんて言ったりする。


Entry7
トゥモローランド


 彼女は見上げた、空、夏雲、オゾンの力も衰えた陽射し、肌を刺す。長い列車のホーム、なまぬるい風を連れて、駆け込んで来るのはガラガラに空いた列車。扉が開く、現実が交差して音をたてる。彼女が見上げた、空、透き通った未来、そこに。
 
 幸せになりたいと願って、一体いくつ位の星を数えたんだろう。
『空が本当に好きなのね。』
昼の青も好きだけど、夜の紺の方が奇跡を感じれるの。
『数える位しか、星を見つけることの出来ない汚い空なのに?』
 
 ここは、東京。がちゃがちゃと音が混ざり合う、彼女の育った環境。今もなお、この土地で空を気にしながら、繰り返す日常に深く溜息をついている。
 
 最近、なにもかもがつまらなくて、一週間が一瞬で通り過ぎてゆく。今日、久しぶりに空を見てみたの。ぼんやりしてて、空虚な気持ちでいっぱいだったから。
『どんな空だった?』
 空の青と雲の白の境界線がはっきりしてて、純粋な夏の空。真夏の太陽を包んで、抱えて、「お早う」って笑ってた。
『あなたらしい表現ね。』
そう? よくわからないの。自分らしさが。どうしたらいい? もう時間がないように思うから。
『何でそんなに焦ってるの?時間はたっぷりあるよ。』
明日、二十歳になるの。子供でいたい、純粋な視野でいたい、そう思う反面で、大人になりたい心がいる。二つの心が葛藤して、私ここにいるの?
『やっと気付いた?そう、心がここに、あなたを連れてきたの。』
境界線が知りたいの。子供と大人。今日の空みたいな境界線を見てみたいの。
『実感なんてないよ。境界線なんて存在しないのよ。自分が自分であるために、生きてゆけば、時間をかければ答は見つかる。まだ子供だってかまわない、むしろ忘れちゃいけないのが、子供の心。大人になれたかなんて、わかってしまう方がつまらないよ。』
 
 夏雲がうずまく、陽射しが差し込む冷えた車内、車内には二人の影しか見えない、彼女ははっとして、向かいの座席で微笑む彼女を見た。

『明日、笑顔でいなさい。心を一つにして。それだけでいいの。』
 
 長い電車のホーム、ざわつくホーム、たった今駆け込んで来た電車にたくさんの人が乗り込む、彼女もつられて乗り込んだ。いつもと変わらない通学電車、ドアに寄り掛かり、彼女は見上げた、空、彼女は微笑んだ、誰もいない車内で向かいに座っていたのは、「彼女」だから。未来の「彼女」だったから。明日は笑顔でいよう。今日の空のように。


Entry8
離陸。
第一素描室

「カリンちゃんってかわいそうだよね」

 と、リカコが言うので、突然ながらジュウシマツのカリンちゃんを野に放すこととなった。

 野に放す、と言ってみたが、二人であれこれ話すうちに、別にそこの窓からひょいと出してやれば、自分で野に向かうだろうという結論に至り、ひとまず窓を開けた。まだ鳥カゴの戸は開いていない。カリンちゃんは、この突如訪れた新しい冒険への旅立ちと、僕たちとの別れを、複雑な面持ちで受け止めている(ように見える)。

「ジュウシマツって、冬はどうしているの?」

 リカコが聞いてきた。そんなことは知らない。カゴの中では別にどうということもなく普通にしている、と答えた。だいたい野生のジュウシマツを今までに見かけたことがあったろうか。さらに言うなら、野生のやつを見かけた時に、僕にそれと見分けることができるだろうか。

「冬眠するかしら?」

 質問を重ねるリカコは真剣だ。しかし鳥は冬眠なんてきっとしないだろう。あまり頭のいい発想とはいい難い。僕はどうだろうね、とだけ言って、カゴの戸に手を掛けた。
 野生のジュウシマツのことを考えてみる。カリンちゃんが野に放たれ、いつの日か僕と再会する時、僕にカリンちゃんを見分ける力はあるのだろうか。たくさんの鳥の群れ。それをジュウシマツとして認識し、さらにその中のカリンちゃんに気付いてあげることが?

 リカコは窓の外を覗いていた。外はよく晴れた午後の光があたり、乾燥した風がわずかに冬枯れの樹木を揺らしている。カゴに向けて開け放たれた窓が、エアコンで適度に暖められた室温を少しずつ奪っていた。

 果たしてジュウシマツはもともと日本の生き物だったろうか。あるいは冬眠をするなんてこともあり得る? 何を食べ、いつ眠り、どこで暮らす? 3年という歳月を共にしながら、カリンちゃんにはまだずいぶんと知らないことが潜んでいたような気がしてきた。

 リカコは罪悪感なく僕を見ている。彼女の気持ちもわかる。カゴの外には果てしない可能性が待っていることも確かなのだ。僕は長い息を吐くと、思いきって鳥カゴの戸を押し上げた。

 自由への権利を手にしたカリンちゃんは恐る恐るカゴから歩みでた。そして部屋を見回し、外を眺めると、大きく一つ羽ばたいた。

 自由。

 飛び上がる。

 しかし部屋を一回りすると、カリンちゃんは躊躇なくリカコの肩に乗った。リカコは「あれ?」と屈託なく笑った。

 そういうことだった。


Entry9
意志のない男
ムーロマチコ

「気が狂いそうよ」
「すまない」
「誰にでもそうなのね」
「そうかもしれない」
「そうかもって、何! その言い方」
「どうしようもないんだ」
「はなからどうするつもりもないのよ、そうでしょう」
「そうだと思う」
「ぬけぬけと、よくもそんな事を」
 弓子は泣いていた。
「別れて! わたし以外の女と」
「できない、それは」
「あなたを殺してやりたい」
「そうしてくれて構わない」
「畜生」
 しばしの静寂の後「どうして抱いたの」訊ねる弓子に
「抱いてほしいのかと思ったんだ。僕もSEXは好きだし吐きださなければ溜まってしまう」
 弓子は何度も男を叩いた、掌が痛くなるまで。
「掃き溜めじゃないのよ、私の膣は」
「でも君が願った、ぼくが欲しいと」
「願ったわ。それがどうしたのよ」
「別れることはできない、どの女とも。少なくとも僕からは別れられない」
「女ったらし!」
「そうだ」
「早く抱きなさい!私を。その美しい体で、指先で」
「でも」
「言い訳は聞きたくないわ」
「わかりました」
 弓子は果てて、その男は消えた。ベッドの上は男の重みで穿っていた。その余韻を拳で叩いている弓子はいつもそうして後悔する。気を失わなければ男を引き止められるのに、肉体は目の前の狂喜を求め、寸刻のち訪れる喪失感に目を瞑る。が、それほどに男の物は凶器であり、神であった。男が再び現れたのは弓子のオフィスだった。
「性懲りもなく、よくも現れたわね。この間にどれだけの女とSEXしたの」
「それを君に言うわけにいかない」
「今日は帰さないわよ」
「それは困る」
「困る? 貴方でも困ることがあるのね。それならば一生困らせてあげるわ」
「どうするつもりだ」
「壊してやるわ! そいつを」
「それだけはさせられない。いくら君の願いでも」
「なにが願いよ!」
「君を殺すことになる。だからやめてくれ」
 見つめられる瞳に、懇願する唇に彼女は耐えられず口づけ求めた。長く蛇のような男のうねりが弓子の口内を優しく激しく動き回り、彼女は気が遠くなりそうになった。
「私だけのものに…」弓子は男の肩越しからランプを掴み取ると、床に叩きつけた。ランプは壊れたがすぐに復元した。
「ご主人様、殺さない代わりにランプに触れられぬよう、二の腕から先を頂きます」
 弓子は腕を取られたことより次に待っていた女の台詞に後悔した。
「これで一人ライバルが減ったわね」
 その女は男がランプに吸い込まれるとそれを大事そうに抱えてどこかへ消えていった。


Entry10
クリーム色
日向さち

 保育園に通っていたころ、同じ組の子たちに、一人ずつ色のイメージを当てはめてみる、ということをした覚えがある。当時六歳だったとしても、もう十五年も前のことだ。

 クリーム色の子は、十九歳の時に結婚したらしい。このあいだ、ばったり本屋でオレンジ色の子と会って、そういう話を聞いた。
 私は、どうしても喜べなかった。クリーム色の子が嫌いなわけじゃなくて、妬んでいるわけでもなくて(そういう気持ちもあるけれど)、きっと、クリーム色だからだ。今、彼女が幸せなのだと、どうしても想像できない。
 なんであの子が、クリーム色なんかが、そんなに早く結婚できるのだろう。特にきれいでもないし、明るくもない。私から見たら、つまらない子だった。そういえば、卒園文集に将来の夢は「およめさん」って書いていた気がするから、今度会ったときには、夢がかなって良かったね、と言ってあげるべきか。
 オレンジの子は東京の大学に通っていて、今は春休みだそうだ。当時と比べて落ち着いてはいるけれど、やっぱりオレンジだった。保育園のころはすごく仲が良かったはずだが、その後は、中学まで同じ学校に通っていたのにほとんど話したことがなかったから、大学に行っていることさえ、会って話すまで知らずにいた。子供のころからの十五年というのは、こんなにも長い時間なのだ。
 その子が言うには、クリーム色の子(という表現はなんだかおかしいけれど)に子供がいるらしい。オレンジの子も、やはり最近までは知らなかったのだが、この休みに帰ってきてから噂を聞きつけて知ったのだそうだ。
「じゃ、やっぱ“できちゃった結婚”だったのかな」
「多分ね。子供がいるってのも、本当かどうか分からないけど」
「あ、そっか。でも、大変そうだよね」
「うんうん。もうしばらくは独身でいたいよね」
 なんて話をして、オレンジの子とは別れた。

 現在、青の子は東京あたりの大学に通っているだろう。赤の子は留学中。黄色の子は近くの食堂でアルバイト。緑の子は工場の作業員。水色の子は専門学校を出て事務員をやっている。紫の子は十八の時に死んでしまった。ピンクの子は卒園前に引っ越してしまって、まったく見当がつかない。
 クリーム色だった彼女は、今、何色をしているだろう。グレーや黒になっていたら、と考えると気が重くなる。紅色なんかになっているといい。そこまでいかなくても、少しは明るい色になっているといいなと思う。


Entry11
マグリットの石
道人

 両切りの煙草とウヰスキー。
形見のジッポで火を付けてショットグラスで一気にあおる。
鼻孔がただれ、喉が焼けそうだ。どうせ奴のまねをしても奴にはなれやしない。
腹の底から激しい衝動が突き上げてくる。指が掌に減り込むほどに握り締め、奥歯が砕けるほど噛み締める。
これはどこに向かう怒りだ。これは何に対する怒りだ。拳が砕けるほど殴りたい。喉が裂けるほど叫びたい!
 夜中、グラスを壁に投げつけた。琥珀色の液体が飛び散り書き掛けの履歴書に染みを残した。ああ!7年という時間がなんと軽いことか!
アパートを飛び出し、薄ら笑みを噛み締めバイクに跨った。
俺は腹の中で蠢く獣を沈めに夜中の環八でダンスを踊る。
一つ、二つ、テールライトを揺らし車の間をすり抜けて走って行く。

 その髪を切れ。甘い夢は捨てろ!自由なんて幻想だ!
 愛?打算のなれの果てさ。楽したいだろ?酒は?女は?
 お前の成し遂げたものは、何だい?

 ・・・・・・・・狂気の闇!

 ボロキレのように横たわる奴の体。
スクラップになった奴のバイク。
脳裏に焼きつけられた奴の目。そして繰り返される奴の言葉。

(俺は真っすぐ走り続ける!)

500マイルの壁は厚く俺を阻む。
臆病?人生の、 臆病者?
なにを! 
しかし体が硬直して右手が動かない。奴は軽がるとその壁を越えたのだ。
そして、俺の目の前で散ってしまった。

 お前は甘えているのさ。違う?嘘さ。
 ただの頑固さをプライドだと勘違いしてないか?
 お前の考えが正しけりゃ今頃甘く描いたくだらない夢を叶えてるはずだろ?

 俺は第三京浜を下っていた。
スロットルを絞り込みトレーラーの横を切り抜いて行く。
道路のギャップが腹に突き刺さる。
刹那。奴の幻影がせせら笑って俺を追いた!

(お前は、何者だ!)

俺?俺は妥協と汚物でできている醜い、動物。
幻の奴のGPzが宙を舞い粉ごなに砕け、俺のCBは悲鳴をあげていた。

(まだかよ。まだお前はそこにいるのか)

奴の声!侮蔑!嘲笑!
いつもそうだった。
奴は俺の一番触れられたくないところを握りつぶす。

(それがお前の弱点さ)

ああ、分かってるよ
・・・パン!
何かがはじけた。透明なビジョン。針は500マイルを越えていた。

(簡単なもんだろ?)

その壁の向こうで見た物は、宙に浮く巨大な石。
それは、揺るぎないない思想と深い哀しみ。

俺は、いつになっても、奴を、追い越せないのか。

保土ク谷SAで俺は飲みかけの缶コーヒーをアスファルトに叩きつけた。
そして・・・、


Entry12
帰郷
有機機械

 あと一週間で僕は、大学時代から九年間暮らしてきたこの京都を去り、故郷の東北の田舎町に帰る。
 大学を卒業して何となく選んだ会社に四年間勤めたが、自分にはもっと他にすべきことがあるような気がして、しかし他に何をすべきかも分からないまま去年その会社を辞めた。田舎の家の長男だったから、常にいつかは故郷に帰らなければという意識があったが、まだこの京都で自分の可能性を試すチャンスがあるのではないかと思い、目的もなく、ただぼんやりと幾つかのアルバイトを転々として一年近くを過ごしてきた。でもそれに、経済的にも、精神的にも耐えられなくなり、田舎に帰る決心をした。そして、あと一週間。
 恋人や友人やこの場所でつくり上げてきた僕自身、僕をつくり上げたこの場所を振り切り、僕は去る。そして、その先には何の展望も、何の目標もなく、残された一週間を、本当に僕にとって残された全てのような一週間を、ただただ削り取るように過ごしていく。それまで感じたことのない、終末に向かうような奇妙な感覚。死を目前にした時の心境とはこのようなものかもしれない。
 そして、僕は引っ越しで運べない、愛着のあったもの達を処分していく。どこに行くにも一緒だったバイクや、恋人との時間の大部分を過ごしたソファ。それらを僕は次々と殺していく。最期に部屋がからっぽになった時、恋人はその目に涙を浮かべていた。僕や、その他たくさんの大事なものの死を悼むかのように。
 帰郷してから二週間が経ち、僕は京都に旅立つ前の、何も知らず、何も悩まず、何も捨てなくてもよかった頃の思い出が淡く残る、静かな町並みを歩いている。その時僕は、京都にいた頃によく見ていた、故郷の町と京都が繋がった僕の全ての年代での友人や恋人がともに暮らす奇妙な町の夢の中にいるような感覚に襲われる。京都に住んでいた頃、夢の中で郷愁を感じた町並が目の前にリアルに迫り、この二週間京都に対しても感じていた郷愁と絡まり合い、僕は混乱する。僕は、僕という存在を支える基盤がもう京都にはないことが信じられず、今自分は夢の中を歩いていて、僕の本体は今京都で眠っているのだと思い込む。  
 それは発狂する寸前なのだが、僕は発狂することができない。なぜならば、僕自身がまだそれを許さないから。
 僕は目の前の町並みを、京都の郊外の静かな町並みと意識の中で重ね合わせてみる。でも、どうしてもその二つは重なり合うことはなかった。


Entry13
spring doll
さとう啓介

「マッチを買って下さい、マッチはいかが?」
 潮風に流されそうな声で少女は夜の波止場を歩き続けた。

「幾らかな?」
 少女の後ろから山高帽子を被った老紳士が声を掛けてきた。
「三本で五百円です」
 純で無垢な少女の瞳が蝋燭の輝きの様に小さく揺れ輝いている。老紳士は一瞬にしてその瞳に魅かれてしまった。
(この子だ。この娘を探していました。神よ、やっと貴方は私に微笑んでくれたのですね)
 老紳士は内ポケットから財布を取出し壱万円札を差し出した。
「では、三本頂きましょう」
「あぁ、壱万円ではお釣りがないわ。どうしましょう」
 少女は籠の中を見つめながら、ため息を吐いた。
「いいのです、残りは全部君にあげましょう」
「まあ、こんなお金貰った事なくってよ。何て素晴らしいんでしょう」
 素直に明るく微笑む少女の表情に老紳士の顔も綻んだ。
「このマッチはどう使うのかな?」
「ここでは少し風があるわ。この路地の奥へ……」
 少女の瞳が艶やかに輝く。そして老紳士の手を引き小さな路地へと入って行く。やがて少し窪んだ壁が現れ少女はそこに背を凭れ少し含羞むと、目を閉じてそっと囁いた。
「小さな夢を売っているのよ」
 両足をゆっくりと開きながらスカートの裾を持ち上げる少女。
(神よ、貴方はなんと言う事を……)
 老紳士の心は揺れる。
 いつの間にか一本のマッチを燈し、そして揺れる炎の先の白く透き通った少女の素肌に心を奪われる。一本の燈火が消え、そしてまた新たな炎が生まれ、また消えていった。

 老紳士は星空を見上げ問い掛ける。
「君のママやパパは?」
「ずっと昔に死んじゃったわ……」
 少女もまた、遠く夜空を見上げ、答える。
 老紳士は罪の重さが少し軽くなる思いがした。
「明日の朝、もう一度この波止場に来てくれませんか」
「どうして?」
「君に見せたい物があるんですよ」

 朝靄の中、外国船の蒸気が一際白く輝いている。
「おはよう。来てくれたね、さあ、これを着て」
 老紳士は白いドレスと赤い靴を差し出した。
「まあ、奇麗なドレス! 私が着ていいの?」
 老紳士が微笑みながら頷くと、少女の瞳が大きく揺れた。
「さあ、この船に乗ってごらん。見た事のない世界が待っているよ」
 老紳士は少女の手を取り、タラップまでエスコートする。少女は船に乗り込むと、老紳士に向かい大きく手を振る。老紳士も軽く微笑み少女に右手を振った。左ポケットの、百ドル札の厚みをじっくりと味わいながら。



Entry14
悔し涙
Ruima

 他人の背を追い、駆け抜けたゴールライン。
 立ち尽くしたまま、三月は無表情で空を見上げた。

 競技場のざわめきの中、ぽかりとそこにだけ静寂があった。

 五位。怪我によるブランク後の初試合。立派な記録だと人は言う。
 隣に立つ他校生が、グラウンド上の三月を指差して話す。
「平然とした顔してるぜ、あいつ」
「だって、五位だろ? 二年だから来年だってあるんだし」
 近くで準優勝の選手が、目じりに涙を浮かべたまま、記者からのインタビューに答えていた。
「勝ちたかったです。でも、後悔はありません。ベストを尽くしましたから」

 ベストを尽くしたから悔いがないなんて、そんなのは嘘だ。

 二位から視線を戻すと、こちらに向かって歩いてくる三月と目が合った。浮かべられる面倒そうな表情に、思わず苦笑する。
「お疲れ」
 何と続けようか考え、こんな時に使われるだろう幾つかの台詞が浮かぶ。「残念だったな」「いい走りだったよ」「五位おめでとう」。でもそのどれ一つとして、三月に送るべき言葉には思えなかった。
 言うべき言葉がなかった。
 だから、腕を伸ばし、三月の行く先に無言で手のひらを突き出した。

 バシン!

 その、手のひらに。
 すれ違い様、三月が思いっきり自分の手を叩きつけた、力強さと乱暴さと。
 それだけで、十分だった。
 それだけで、十分に悔しさが伝わってきて。

 熱い塊が、こみ上げてきた。

「あれー? 松崎、結局応援に来たんだ?」
 不意に能天気な声が聞こえ、俺は振り向いた。平石だ。
「長距離は明日だから今日は休んどくとか言って……って、松崎、おまえ、何泣いてんの?」
 俺のすぐ側まで来た平石は、そう言って、ひどく驚いた顔をした。不思議に思い目元に手を当てると、確かに濡れた感触。それも、滲んでいるなんてもんじゃない、垂れ流し状態。
「あれ?」
「おいおい、どうしたー?」

 思い当たる理由は、ただ一つ。
 これは同情じゃない。共感でもない。
 ただ。
 そう、おそらくは。
「悔し涙。あいつの代わりに泣いてやってるんだよ」
 涙を流せない、不器用なライバルのために。
 代わりに。
 ただ、それだけだ。

「は? 何それ?」
「つまり、これは俺の涙じゃないってことだよ」

 ベストを尽くしたから悔いはないなんて、そんなのは嘘だ。
 あるいは、仮にそれを真実とするならば。
 俺も三月も、ベストを尽くせない種の人間だ。

 きっと言ったって、平石は納得しないだろうけれども。


Entry15
花のない景色
aluma

 その年は、花があまり咲かなかった。だから僕の記憶に残っているんだろう。僕は花が嫌い。よう子さんも花が嫌い。春は本当に死にたくなるって言っていた。
 よう子さんはいつも下を見て歩く。田んぼに七回も落ちたからだ。それで田んぼには落ちなくなったけど、今度は自転車にぶつかることが多くなった。白のブラウスにタイヤのギザギザをつけて、鼻水を流しながら歩いているのを良く見かけた。

 僕の家までは長い長い坂があって、一番低いところが玄関だった。ちなみにチャイムはついていない。僕はほしかったけど、父さんは嫌った。父さんは電子的なものと、僕の好むものを嫌った。
 学校の帰り、ペダルに足を乗せないで、一気に下るのが好きだった。不安定な速度に、ちょっと笑いたくなる。子供みたいだけど、子供だし、守りたい気持ちだった。
 夏になっても花は咲かなかった。セミは鳴くし太陽は高い。花の色だけが忘れられたみたいに存在しない、おだやかな夏。
 そのころから僕はよう子さんの様子をうかがうようになった。
 注意深く、まるでタイミングをはかるみたいに。

 その日は特別に日が長かった。四時をだいぶ回っているのに、いつまでも太陽が居残っている。
 いつもの坂にさしかかる。あと少しで家だ。そっとペダルから足を上げる。スピードが増していく。
 坂下で白い影がのろのろ動いていた。いつだって下を向いて、道の中途半端なところを歩いていて・・・・・・。
 僕はハンドルを切った。足は上げたままで、スピードもそのまま。
 よう子さんがどんどん近づいてくる。
 よう子さんはそれでも顔を上げなかった。
 僕はブレーキをかけた。前輪がロックして、ちょっとだけ飛んで、それから一回転して落ちた。アスファルトはやっぱり硬い。背中と頭が痛くて、声も出せなかった。
 でも、泣き出したのはよう子さんだった。
 ぶつかってないのに、真っ白いブラウスで。
「・・・・・・みんなみんな無くなっちゃえばいい」
 初めて聴く声だった。
 初めて見る顔だった。
「そしたら、みんなしあわせなのに」
 初めて聞く言葉だった。
「・・・・・・そうだね」
 空はまだ十分に青かった。
「でも・・・・・・」
 でも、僕は死にたくない。

 それから僕らは友達になった。
 とてもいい友達だ。
 もう、会えないけれど。

『どうして私を轢こうとしたの?』
 昔、よう子さんが訊いた。
 僕は、顔が見たかっただけなんだ。・・・・・・たぶん。


Entry16
パーティ(狂気)
太郎丸

 男も女もみんな酔っていたし、部屋のいろんな所で嬌声はするし、そういう訳ではないのだが、テーブルを囲んで座っていた私も、だんだん理性というタガが外れても、当たり前だという気になっていた。
 反対側を向いている彼女にキスしようとしたら、ゴソゴソと彼女の胸にチェーンで繋がれた大きなカミキリムシが首の辺りにやってきて、私の近づく顔を牽制した。私は仕方なく、自分の席に体重を戻す。まったく邪魔な虫だ。
「もーっう。キスぐらいさせろよ」
 私は紳士的でなくなった理性に別れを告げ、彼女に言い寄ったが、彼女は反対側の男と楽しそうに(うっとりと)話している。
 この女はダメだ。そう踏ん切りをつけると、周りを見渡したが空いている女は見当たらない。酔いつぶれて寝てしまっているのは何人か転がっているが、ぐったりと死体のようだった。
 最近止めたたばこの所為か口が寂しくて、皿に残っていたパスタをフォークで引っ掛けると、私は口へと運んだ。…? パスタだと思っていたが、それはミミズだった。なんだか少しドロの味が気になった。それでも新鮮だぁ。となんとなくそう思った。
 私はなんだか夢を見ているのかそれとも狂ったのか、周りに虫がやたらと見える。だが恐怖感は働かなかった。
 あっちの方で青いドレスが動いているなぁと思ってよく見ると、鎖に繋がれたカブトムシが引っ張っていて玄関から出ていった。誰のドレスか知らないが、帰る時に『服が無い』とひと騒ぎだと思ったら可笑しくなった。
 向こうの席の男(始めて見る顔だ)と目があった途端、奴はニッコリ笑って、丁度テーブルを這いずっていたゴキブリを「ドン」とげんこで潰し、手を舐め始めた。
 あぁ、あれって美味そうだ。なんだか酔った頭でそんな事を考えた。私の周りにゴキブリはいないので、目の前を横切った腹の丸く太った蛾を器用に捕まえ、その器用さに我ながらびっくりしながらも口の中へ押し込んだ。蛾はしばらく暴れていたが、力をいれるとプニュっと静かになって腹へ収まった。歯にはさまった羽をプフォッと吐き出すと、なんだか幸せが感じられてきて、私はニタニタと薄ら笑いを浮かべ鼻を鳴らした。

 苦しくて目が覚めると、私はベッドに寝ていた。苦しいはずだ、私は綺麗な細長い蛇に身体を縛られていたし、お腹の皮の下を虫が蠢いていた。少しくすぐったい。
 女が私を見て笑っている。私も可笑しくて、コマ送りでニタニタと笑った。


Entry17
運の悪い違反者
ごんぱち

「はい、十五キロオーバーね」
 携帯端末を持った警官が、事務的に告げる。
「はぁ」
 車から降りた四谷京作は、力のない返事をする。
「免許証見せて」
「はい」
 四谷はバッグからパスケースを取り、免許証を出した。
「制限速度はちゃんと理由あって付いてんだから、守らなきゃダメだよ」
 警官は携帯端末を操作する。
「ええ、はい」
 曖昧な返事をしながら、四谷は道路に目を向ける。
 と、先ほどの四谷よりも、ずっと速いスピードで通り過ぎる車があった。
「守らなきゃいけないなら、あの車はどうなんですか?」
 少々憮然としながら四谷は言う。
「ああ、アレもスピード違反だろうね」
「だったら」
「あのね、制限速度を超えなければ、あんたの捕まる理由は何にもなかったんだよ。その最低のルールを破って文句言ってんじゃないよ」
(ちぇっ、結局運って事かよ)
 四谷は言葉をかみ殺し、違反切符を受け取る。
「もう違反するんじゃないよ」
「はい……」
(ふん、こんな運で決まる様な取り締まりで、ドライバーが反省するとでも思ってんのかね。嫌だ嫌だ)
 四谷が去ろうとした時、また別の車が連れて来られていた。
「やだ! どうしてよりにもよってアタシがつかまらなきゃならないワケ!?」
「ルールに従うのが嫌なら、車なんかに乗らない事。免許証見せて」
 警官がまた事務的に対応している。
「もう、サイアク! 他にも一杯ひどい違反してるヤツいるじゃん! この前なんか割り込まれてバンパーに傷付けられたのよ、バンパー! 罰金取るなら、あの時の犯人見つけてからにして欲しいもんね!」
 わめきながらも、ドライバーの女は免許証を出す。
 警官が免許証を受け取り、携帯端末を操作する。
 ――突然、賑やかな音楽が鳴り響いた。
「!?」
 四谷はびくりとして女の方を見る。
「おめでとうございます!」
 どこに持っていたのか、警官はベルをカランカラン鳴らす。
「は? なに? なにがあったの?」
「切符に当たりが出ました。今回の違反は、減点ゼロ、罰金ゼロです」
「え? ホント? そんなのやってたんだ?」
「ええ、キャッシュバックキャンペーン中です」
「やった! ラッキー! ありがと、おまわりさん!」
(へえ)
 走り去る女の車に続いて、四谷も出発した。
(警察も、粋な事をする)
 バックミラー越しに、また違反車が止められているのが見えた。
「今度は当たると良いなぁ」
 運のものすごく悪い四谷は、温かな気持ちで微笑んだ。


Entry18

林徳鎬

いまのふたりの距離だ。
こころが擦れ違えば傷を残す距離。
傷口からはするすると煙が立ちのぼり、息苦しくなる。

曇り空。
車内から、河を挟んだ向こうがわの土手沿いを眺めていた。 
あたりには薄い灰色が張りつめている。
その下で、河だけが流れた。
黙って窓を開けた。
「寒い」
「煙草吸うから」
こもった苛立ちが流れていく。
くっきりとした、感情のない外気が入り込む。
雨が降る。
はっきりと感じとれた。

だから、土手沿いの道を小さな女の子が歩いてきたとき、少し驚いてしまった。 河の向こうでその姿は小指ほどにしか見えない。
完全な静けさのなか、あまりにもゆっくりと歩いていた。
なんの意図もなく、まるいものはただ転がるのだというように、ゆっくりなのだ。
どこまでいっても辺りは静かで、女の子はその中心にいた。

その糸を切って、ランナーが路をやってくる。女の子を追い越していった。
雨が降る、と警告している。
道端の冬の花が、すぐ下を流れる河が、小さな女の子を心配していた。
大きく膨らんだ雨雲は、長い腕を引っ込めようと苦心した。
しかし、それはいまにも大地に触れてしまいそうだった。

ポケットに手をいれ煙草を探す。
そうしているあいだにも、女の子は慌てることなくもとの静けさを繕いはじめた。
あたりに散ってしまったものをたぐりよせ、張りぐあいをちょっと確かめる。
すると、音のない景色が作られた。
女の子だけが歩みを進める。
なにも心配することはないというように。
ぼんやりと願った。
すぐ隣りで、彼女が息をつめる気配がした。

雨粒がフロンガラスを静かに濡らした。
雲は落としてしまった粒を慌てて拾おうとはしない。
じっと抱え込み、我慢していた。
それでも、また一粒、二粒とこぼれ、地面を打った。
もう限界に近い雲は、申し訳なさそうに最後のため息をついた。

「ねえ、早く行こうよ」
いらだった声に、我に返る。
窓を閉めると、見ているうちにも窓は白く曇り、外は見えなくなった。
煙草に火をつけた。
いつも、ちょっとした沈黙にそれは訪れる。
かたちが違うから、ふたりの間で擦れ、腫れあがる。
一日のうちの数十秒。
すぐに忘れるだろう。
薄暗い車内で雨の音だけが聞こえる。
相手を区別して、さまざまな叩き方をしていた。
軟らかい地面を叩く。
車のボンネットを叩く。
胸が少し、苦しくなる。
冷えきってしまった車内に、小さく息を吐いた。
それは薄い紫の煙になってするすると立ちのぼる。
雨は、たしかに降っていた。


Entry19
『24』
橘内 潤

「もうこんな時間。帰らなきゃ」
 ぼくのシンデレラは身を起こし、いそいそと身支度をはじめる。
「もう行くの?」
「ええ。あの人、今夜じゅうに帰るっていってたから」
 身支度の手をとめずにシンデレラは答えた。ぼくは「そう」と相槌をかえした。
 シンデレラはぼくに背を向けて、化粧をする。
 ――十二時の鐘が鳴って、魔法が解けてしまうまえに帰らなきゃ。
 その背中は、そういっていた。
「なあ、泊まっていけよ」
 背後から両腕をまわし、冗談めかしていってみた。けれど、にべなく振り払われる。
「馬鹿なこといわないで」
 ベッドをでて、たたんであった服を身につけはじめる。
 馬鹿なこと――か。
 綺麗なドレスもカボチャの馬車も華やかな舞踏会も、十二時がくれば消えてしまう魔法。ぼくもまた、シンデレラを飾る魔法のひとつ。
「……帰るなよ」
 気がつけば、口が勝手にそういっていた。
 シンデレラは手をとめてふり向く。子供をあやすみたいな顔をする。
「そんこと無理だって、あなたもわかってるんでしょ」
 わからないよ――そういおうとしたが、シンデレラのほうが早かった。
「シンデレラのお話、知ってる? 最後に王子さまと結婚して、めでたしめでたし――本当にそうなったと思う?」
「思う。幸せになったよ」
「わたしは違うと思う。シンデレラは所詮、田舎娘よ。お城でうまく生活できるとは思えないわ」
「そんなことない」
 だけどシンデレラは、首を横にふる。
「どんな素敵な魔法でも、十二時の鐘が鳴ったら解けてしまうの。でも、それでいいのよ」
 これで話は終わりとばかりに、シンデレラは身支度を再開する。
 ぼくはそれを黙って眺める。ベッドのなか、裸のままで。
「現実的なシンデレラ、か……」
 いや、シンデレラだから現実的なのだろう――呟いてから、そう思いなおす。
 王子さまは政治も家柄も考えず、純情一路、シンデレラと結婚した。
 愛があれば二四の鐘の音を越えられる――男はそう信じる。
 一夜の魔法であればこそ――女はそう考える。
「じゃあ、行くわ。またね」
「ああ」
 テーラーを着こなすシンデレラを、ぼくは裸で見送る。

 シンデレラはヒールを鳴らして歩いていった。


Entry20
「吐き出したモノは飲めばいい」
アナトー・シキソ

壁に【備品庫が交番】の落書き。

本当だった。

「出口に男がいて?」
俺は頷く。
「そいつが邪魔をすると?」
俺はもう一度頷く。
「で、そいつがアンタの靴を持ってる?」
俺は、裸足の足を上げて見せる。
お巡りは、鉛筆を机の上に放り出す。
「アンタね……」
お巡りは、煙草を取り出して、百円ライターで火をつける。
「ここのルール、わかってないね、全然」
俺は、お巡りの放り出した鉛筆を取り、素早く机の紙に書く。
【ルールって?】
お巡りはそれには答えず、机の上の電話の受話器を取る。
プッシュボタンを三つほど押して、どこかにかける。
「アンタの声は、この電話越しに聞こえるから」
お巡りはフツーの顔してそう言う。
(そんな馬鹿なことがあるかよ!)
「そんな馬鹿なことがあるんだよ」
お巡りは何も面白くもないという顔で受話器を耳に当ててる。
本当に聞こえてるらしい。
仕組みは分からないけど、筆談の手間が省けていいな。
「アンタが【声】をなくしてしまったのは、ルール違反のペナルティなんだよ」
(ルールも教えてもらってないのにペナルティとか言うのか?)
「そこだ」
お巡りはそう言うと、机の引き出しから風呂敷包みを取り出した。
「この中に、アンタのなくした【声】が入ってる」
(なに?)
「落とし物として届けられた」
(そうじゃなくて、なんで声なんかが落ちてたり拾われたりするんだ?)
「さっき吐き出したんだろう?」
お巡りはそう言うと、風呂敷包みを俺の方に押す。
俺は風呂敷包みをちょっと持ち上げてみる。けっこう重い。
「本当は、こういうのはナシなんだが、まあ、アンタもわざとやったわけじゃないし……」
俺は包みを開けてみる。
変なモノと小冊子が出てきた。
「ああ、その本はルールブックだから。読んでおくことだね」
俺は、鉛色にテラテラ光る変なモノをつまみ上げた。
「それがアンタの【声】さ。さっき吐き出した」
(これをどうしろと?)
お巡りは、呆れたね、というふうに肩をすくめた。
「吐き出したモノは飲めばいい」
(なんか不味そうなんだけど?)
「自分の【声】だ。不味いか美味いかはアンタ自身の責任さ」
お巡りはそう言うと、紙切れを一枚、机に置いた。
「受領書みたいなもんだよ。ここにサインして」
俺は言われたところに鉛筆でサインする。
(て、鉛筆で大丈夫なのか?)
「形式、形式……」
お巡りは平気だ。鉛筆でサインされた書類をバインダーに挟む。
「あ、それから、靴の方は自分でどうにかするしかないから」


Entry21
鞄の鳥
土筆

「乳房を漲らせて出掛けて行く女」

朝な朝な、
女は乳房をぴんと張り詰めさせて出かけていった。
いったい女には、
乳を含ませる赤子がいないのだろうか。
もし乳飲み子がいたら、
あんなにふくよかな胸をして、
毎朝決まった時間に出ては行けないだろう。

通学の子供たちや通勤者が出払って、
静けさを取り戻した路地を、
ようやく自分の出番が来たとでもいうように、
颯爽と胸を張って歩いていく。
 
女よ、
いったい誰に、その乳房を与えに行くのだ。
新種の牛乳配達員でもあるかのように、
身を張って出掛けていく女。

 アパートの二階の窓から路地を見下ろして、こんな詩を書いた学生は、今や卒業して社会人となり、その街を離れた。もう暢気に路地行くものを観察するどころではなく、社会の歯車の一つとなってせかせかと動き回るだけだった。
 時間に追われる生活を余儀なくされてみると、幻のように過ぎ去ったその頃のことが、懐かしくも切なくも想い出されるようになった。
 かつて雀たちは屋根や軒を伝って賑やかに囀っていた。雀は今も、朝の爽やかな空気を羽根の一枚一枚に通わせて、軒から路地へ無心に飛び回り、跳ね回りしているだろう。路地を女が通る。乳房を漲らせ、風を切り颯爽と通り過ぎる。女に攪拌された風が、窓辺に漂ってくる。

 やるせない思いが昂じてついに彼は子雀になった。
 彼が子雀になった! 
 いたたまれずびびっと翼を張って飛び降りると、女の乳房と乳房の間の窪みに身を伏せるように取り縋った。
 女は「あっ!」と叫んで、胸に飛び込んだものをもぎ取った。もしカブトムシとか、クワガタであったら、ひとたまりもなく路面に叩きつけていただろう。しかしそれは柔らかな羽毛に覆われた弾力に富む子雀だった。
 子雀は予期せぬ女の寛容さに、呆気に取られて嘴を開いた。女はその嘴を自分の口に運んで含み取ると、親指の腹で子雀の頭を撫で付けながら、言ったものだ。
「あなただったの。びっくりするじゃない。一体どうしたっていうのよ。お母さんにはぐれたのね」
 女は首をめぐらせて母雀を捜したが、雀たちはいても、それは日常の光景だった。女の手に握られた一介のサラリーマンである彼に、神経を研ぐ雀などいなかった。
 彼は女の鞄の中で、化粧道具の香にむせそうになりながら、今日の欠勤届をどうやって伝えたものかと考えていた。いっそ辞職願いにして、このまま籠の鳥、いや、鞄の鳥になってもいいような気がしていた。


Entry22
屍骨 闇に消す
藤政 慶

 「ふ〜。寒い」
 男は風呂上りにベランダに出てビールを煽った。
 夜になって風が吹き出した。晩秋だ。冬も近い。
 「木枯らしか」と呟いた。
 男は月夜に枯れススキが穂を飛ばすさまを見ながら、遠く、月夜に浮かび上がる稜線を眺めた。
 「あれ、夕焼け? バカな」
 もう、日はとっくに暮れている。
 男は手前の丘の向こうが赤焼けに染まっているのに気が付いた。
 「ウ〜・ウ〜〜」
 目の前の道路を地元の消防団の消防自動車が走り去って行った。続いて消防団員の自家用車が走り去って行った。
 男は「まさか」と道路に飛び降りた。
 軽トラックが来た。見知った男が荷台に乗っていた。手を上げた。トラックは止まった。
 「どうした」
 「山火事さね。育成牧場の裏山さ」
と言ってトラックは走り去っていった。
 男は急いで部屋に飛び込み着替えて火事場に向かった。
 「ヤバイかも」
と呟きながら車を走らせた。
 焚き火の残り火が夜、急に吹き出した風に炎を上げて枯草に燃え移ったのだ。
 男は秘密の場所に向かった。炎は迫っていた。物凄い熱気だ。熱風が舞っていた。
 牧場の人間が秘密の発覚を恐れ、しかし、成す術もなく見守っていた。
 三年前。伝染病で肥育牛がばたばたと死んだ。
 倒産を恐れた経営者は秘密裏に次々と死んでいく牛をこの場所に埋めた。その数は五十を越えていた。それは部落の生活をも守る為でもあった。秘密は保たれていた。しかし、山火事にともなると発覚は時間の問題だ。
 男はその時、アルバイトをしていた。

 「お〜〜」と声があがった。
 地面が熱気に煽られて盛り上がってきた。地中には腐敗ガスが充満していた。
 「ゴー」
 地面に割れ目が出来て噴出すガスに火がついた。
 「シュ〜〜ウウ」
 炎が地中に吸い込まれた。
 「逃げろ」と誰かが叫んだ。と、
 「ドカーン」と地面が吹き飛んだ。
 「バラバラ」と白骨が飛び散った。
 男は二度目の爆発が来たら「駄目だ」と秘密の発覚を恐れで動けなかった。
 男は吹き飛んだ地面を見据えていた。
 「ドッ・・カーン」
 二度目の爆発がきた。
 また、白骨が飛び散った。
 男は白骨のシャワーを浴びた。
 男は座り込んでからだをわななかしていた。手には明らかに牛の頭と違う白骨が載っていた。
 人骨の頭だ。
 「麻紀。ごめんね・・ごめんね」
と抱きしめて、男は泣き伏した。
 それは三年前、男が絞め殺し、牛の死体に紛らして消した麻紀の変わり果てた姿だった。


Entry23
みらいのなみだ
隠葉くぬぎ

「風月堂のゴーフレットが食べたい」
「はあ?」
 気がつくと雅はダンボールをあける手をやすめて、ぼうと遠くを見ていた。
「そんなことだから片付かないのよ。あんた引っ越しして何日経ってると思ってるのよ」
「遠くに行きたい」
 私は声に出さずに死ね、といった。もうどうしていいのか分からない。
「……雅、学校行ってないんだってね」
 雅はぼんやりとまた遠くの空をみていた。都合の悪い声は彼女の耳には入らない。
 私はまた黙ってダンボールをあけはじめた。どさりと植物やらの図鑑を机の上においたとき、すぐ横に赤いパッケージがあることに私は気がつく。
「雅'Sルームは喫煙可能になったの?」
「別にここで吸ってもいいけど」
 彼女は私のほうに視線をもどして、マルボロの箱に気がついたようだった。
「ああ、それ。あげる。二本吸って、やめた。杏にもらえばよかったよ」
 うすく笑う。
「こんなきついの吸うからだよ。初心者が。メンソールとかにしときゃいいのに」
 私はスマイルマークが踊る安っぽいカンから、セブンスターを一本取り出した。手本を見せるようにふう、と軽くふかして吐きだす。細くあいた窓から、煙はするすると抜けていった。
「死にたい」
 聞こえないふり以外、どうしろって言うんだ。
 むやみに煙草をすぱすぱやって、部屋が白くなるような気がした。
「買いに行く?」
「え?」
「ゴーフレット」
 もうどうせ今からダンボールあける気分でもないでしょ。雅が窓を開けた。風は吹き込んでくるわけでもないのに、じわりじわりとすり寄ってくる寒さは、本物の、冬だ。白い煙は窓の近くからすこしずつ拡散していく。
「駅の近くにさー、あったじゃん。コンビニ。そこで買おっか。すっごいおそいけど引越祝い」
 本当に遅いよ、雅は笑おうとして、煙を吸い込んでむせた。慌てて携帯灰皿に煙草を押し付ける。
「駅まで行くんならさ、風月堂の買ってよ、本物の。コンビニで売ってるの明らかに偽物だもん。不味い」
「はぁ? 高価いんだよ、風月堂は」
 雅は上着だけはおると窓をぴしゃんとしめて、ドアに向かった。
「行くよ」
「ちょっと待ってよ。ほんと、私……お金あるかなぁ」
 荷物をしまってマフラーを巻いて、財布もついでに確認して、私も慌てて飛び出そうとしたとき、マルボロが目に入ってきた。
 もらっていいんだっけ、と手を伸ばしたとき、不意に思い出した。
 正吾が吸っていたのも、マルボロの赤、だった。
 ああ、だからか。
 私のにぶいのも相当だ。
 帰らない人のかわりがゴーフレットなら。
「安いもんだ。おごってやるよ」
 今月末の懐具合に私が涙しても、雅の涙とはちがうものだから、べつに、いい。


Entry24
幼女回想
立花聡

 目が覚めると辺りは煙に満たされていた。周りには誰もいない。いつもなら泣き出すはずの子供は、泣き出せずにいた。
 真っ赤な室内で彼女は、思う。
 暗いよ。みんなどこにいるの。どうして誰も傍にいないの。私、目が覚めたよ。私、お腹が減ったよ。誰かかまってよ。
 
 民放記者クラブ。第一報。午後二時十三分、K区の団地三階部分で火災発生。現在消火中。原因は不明。

 お母さん、どこにいるの。お父さん何をしているの。お兄ちゃん、まだ帰ってきていないの。お姉ちゃん、隣に寝てたんじゃないの。

 辺りは煙に満ちて、暗い。闇の中で、子供は一人、必死で首を左右に動かし、探し続けた。熊の人形が黒く染まっていた。

 暗いよ。なんでみんな私を置いていっちゃったの。私、死んじゃうのかな。せっかく生まれてきたのに。せっかく名前を付けてもらったのに。やっとみんなの顔もはっきりと見えるようになったのに。まだ何も喋る事もできていないのに。頭が痛いよ。お母さん、早く来て。
 私、本当に死んじゃうみたい。外は騒がしいけれど、なんだかもう駄目みたい。私、なんでこんな事になっちゃったのかな。別に何もしていないのに。誰にも泣き声以外、私の声を伝えてないよ。私もっと、お外を散歩したかったな。あの小さな乗り物は、とっても乗り心地がいいの。私、みんなが食べてるものも食べてみたかったな。
 なんだか少し気分がよくなってきたわ。頭が随分良くなってきたの。私、お母さんのお腹蹴ったでしょ。そしたらお腹を撫でてくれたよね。私それがうれしくて何度も蹴ったんだよ。私が出てきたとき、私よく見えなかったけど、みんなが私の頭を撫でてくれたよね。私、うれしかった。短い間だったけど、とっても楽しかったな。みんな、私に良くしてくれたから。凄くうれしかった。みんな、ありがとう。なんだかわからないけど、すごく、すごく。
 
 向かいの団地からのビデオカメラの映像が放送された。黒い色素が徐々に広がり定着していく中、橙の炎が燃えている。子供が一人残されているとは、その映像からは見受けられない。

 民放記者クラブ。最終報。K区の火災は午後二時五十四分鎮火。被害者は、三十五歳の夫婦が軽い火傷。次女の一歳の女児が死亡。原因は、子供部屋の石油ストーブと見て捜査中。


Entry25
瞬間、女は冷ややかな獣になった。
棗樹

 腹にえぐり込むように包丁を突き立てると、男はあっけなく床に崩れた。諸々の臓器を貫き背骨近くにしまわれた脾臓にまで達するように出刃ではなく柳刃包丁を選び、肋骨にぶつかって弾き返されないように刃を寝かせ、肘の内側で柄の底を固く支えていた。殴られ蹴られ追いつめられて逃げ込んだ台所で、床に溜まっていた自分の吐瀉物で足を滑らせ転んで頭を打ったのが流しの下の物入れの扉で、衝撃で内側にぶら下がる包丁がカタカタ揺れるのを聞いて、私は私でいられなくなった。
 ある意味、私はそれまで以上に私だった。
 包丁を握って立ち上がると、私を見くびり続けていた男はやはり私を見くびったまま、刺してみろよと肌着の裾を捲っておどけてみせたので、毛の生えた茶色い乳首と汚れた臍の穴を結ぶ線のほぼ中央にある小さなほくろに向かって躊躇うことなく突き進んだ。狭いアパートであったのが幸いして男が私を突き飛ばす前に私は男の懐に入り、柳刃は男の腹に収まった。
 瞬間、血の混じる胃液を噴き上げたものの、そのままゆるゆると床に膝をつき、右手で身体を支えるような動作をしながら結局均衡を欠いて横倒しになった男は、腹痛のある人のように身体を折り曲げひくひくと痙攣していたが、直にひくひくも絶えて死相を浮かべた。丸めた布団を相手にしたのと変わらない手応えに拍子抜けしておきながら、男の腹の下の血溜まりがみるみる拡がって床を赤く浸食する様に恐怖した私は、玄関脇で埃を被っていたスキー板からカバーを外してきて男の横に拡げ、せえのっと男の身体を半回転させて血の滴る腹部が防水加工の行き届いた袋の中に収まるように整えた。
 とりあえずのことがすむと、これからのことを考えねばならなくなった。
 救急車を呼ぶつもりははなからなかった。中途半端に意識が戻れば今まで以上に酷い状態で男に繋がれるのが目に見えているし、呼べば呼んだで、はきはき受け答えして救命士とともに男を運んで救急車に乗り込んでしまいそうな自分が嫌で、かといって自分で男の血と吐瀉物と垂れ流した大小便を片すのが嫌で男の死を隠蔽する気はさらさら起きず最寄りの警察署に直接電話をかけると、十分後、外廊下に重い靴音が響いて警棒と手錠と拘束用ロープで飾り立てたチャームな男達がドアを叩いたので、あまり猟奇なことをしてもと思って必要以上に手を触れないでいた男の身体、間のびた顔に唾を吐きかけ、床雑巾で丁寧に拭った。


Entry26
空模様
越冬こあら

 お天気屋といっても「気分の浮き沈みが激しくて、みんなに迷惑をかける性格」のことではなく、れっきとした職業なんだが、堂々と履歴書に記載できる類のものではなく、いわば裏稼業なんだが、正式名称は、内閣から始まり二十文字弱の漢字が並んだ後、調査官で終わる。つまり、お役人様なのだ。しかし、表向きは民間調査会社の看板が掛かった事務所に毎日通ってる。
 国際会議当日の天気から要人の外遊先やそのご子息の遠足先まで、くまなく面倒をみて、それなりの天気を割り振っていくには、長官+調査官×2では少々戦力には欠ける。西側大国では、各地にチームを散りばめ、百の位を下らない人員を配備しているらしいと聞く。もっとも、砂漠に嵐を起こしたり、ミサイル専用の花道をアレンジしたりと仕事も随分きな臭いらしいが……。
 いくつもの修羅場を潜り抜けてきた俺だが、その日長官から見せられたファックスには正直、驚かされた。ミーティングテーブルに陣取った長官は、俺と年配調査員N女史の顔を交互に見つめながら説明を始めた。
「最終的な結論は、DNA鑑定の結果を待たなければならないが、発信元ID、筆跡鑑定等は本人に間違いないという結論だ。つまり本物だ」そう言うと長官は「退職願(改行)退職致します」と書かれたファックスを指でなぞりつつ我々に示した。
「本人といってもこの場合、抽象的な概念にすぎないのではないですか」N女史が鋭く指摘したが、長官は、「抽象的な概念といってもファックスを送って来たのだから人格があるんだ」といって、今度は差出人「空」の文字をなぞってみせた。
 その後、空からの退職願についてのミーティングは午前中一杯、空回りを続けた。
「今回の議題は、この届の分析ではない。届は既に受理されている。我々に求められているのは対策だ。対策。退職後の空を空席にするわけにはいかん。後任人事の決定を急がなければならん」
 しかし、所長は高齢、N女史は明るい未来の幸福な結婚生活を理由にその任を固辞した事。後任者はすぐに空の任務につく為に、それなりに身軽で、それなりの専門知識を兼ね備えていなければならない事を前提に「おまえが適任だ」ということになってしまった。
 そして俺は、精神的にはその時点で、肉体的には何度かの分離、分散を繰り返すことにより、何代目かの空になって、雷を操り、飛行を管理し、空模様を描いている。そして、人類は俺をただ見上げている。


Entry27
ややこしい国
まーまれーど

 跳んだ、車に乗っていた。
「まさか、他人を...」戯言
 
 今朝0:00に青森県道に て車ごと田んぼに落ちた車道は曲がり道になりアクセルを使用せずに走行しているらしかった。運転していたものは現場には居ず、ナンバープレートは取られていた。車種はブルーバード89年式オートマティックです。ご存知の方はお知らせして下さいと希望はもっております。岡山、あっ青森県警でございます。と理解できるニュースがウォークマンから流れていた。

 アクセサリーはブルガリにスカーフはエルメス、おまけに時計もおまけに、エルメス、だがサンダルはシューズ屋で買った1980 円、笑い。今日も元気に出勤中のエリザベスは社会人場所に辿り着いた。場所はロシア。
「急だが、青森に行ってくれ、君もニュースで知ったと思うが、A級ミステリーだ、付けたしだが、田んぼには何か燃やした後があるそうだ」
「ラブレターでも燃やしたんでしょ」
「まぁ、何もあんたのせいにしてないが、朝からカチンとする聴き方するな、サンダルは職場では禁止と言っただろ!すぐ履き替えて、まだスリッパの方がマシだ」
「ハッ、所長は私が犯人だと気がしませんか、もしそうだとしたら誰でもカチンとするでしょ、今日もお気に入りの格好でせっかく出社したのに、人が悪い、私はただラブレターを書いていただけですよ。明日にでもなればすぐに田んぼに落ちたが慌てて逃げただけでしょと普通の交通事故で終わりますよ、それをまるで放火まで仕向けたように、どこかの寒冷地区、うん?逆か、では焼畑農業がある事。まぁ、どうでも良い事ですが、行ってきて良いんでしょうか?その青森へ」
 まったく最近は早々の国移動のために、青森がロシアになりロシアが青森なんだ。疲れてしまう程の長旅、着いた頃にはロシアになっていたりして...ハハ、ではさよなら、サンダル。
 犯人はロシアの☆犯人、シュトロベスキーだった。どうも家内に内緒でスノーボードに行こうとしたらしい。田んぼに誤って転落した後は必死の逃げがあり、悠長にナンバープレートを取り、スノボード場に向かい、雪を楽しみ、その跡はナンバープレートを肌のために埋めたのだった。もちろん犯人は携行品を車内に忘れていたのですぐに呼び出しを受けました。私は本当に心優しき犯人だと感謝いたしました。
「返せよサンダル」か..


Entry28
夏を夢みる翼
カピバラ

「明日、北に発とうと思ってるんだ」
湖にニンゲンが撒いていった餌をついばんでいた老いたカラスは、昔馴染みのハクチョウの言葉に驚いて頭を上げた。
「なんだ、今年はやけに早いじゃないか」
「そんなことないよ。俺の体の暦に間違いは無いさ」
「そうか。冬も短くなったなあ」
「アンタがジイサンになったんじゃないか? 年取るほど時間が早く経つって言うぜ」
コーホーッとはやし立てるハクチョウに、カラスは顔をしかめて見せた。
「フン、灰色の若僧だったお前さんに、今じゃ子供がいるくらいだからな。俺も歳も取るよ」
「まだ老け込まれちゃ困るよ。アンタとの約束、果たしてないし」
「約束? お前さんと俺でこの島の夏を見て回るって、アレか?」
「他に何も無いだろ」
「……忘れてるかと思ってたよ」
「どうしてさ。初めてこの島に来た俺に、ここの夏がどんなにきれいかって教えてくれたのはアンタだろ。あれからずっと、アンタの話が頭から離れないんだ。こんもりと緑になった森とか、黄色や紫の花でいっぱいの草原とか、柔らかくていい匂いの風とかさ。いつかアンタに見せてもらうつもりでいるんだぜ」
「でも、お前さんあっさり所帯持っちまったし。家族がいたら、自由がきかなくなるだろう」
「体の中の声には逆らえないんだよ。『北へ行って結婚して子孫を増やせ』ってどっかで言う奴がいて、それに気付いたら、もう声の通りにしないと気がすまないんだ」
「難儀だなあ」
「アンタには、そんなことないのかい?」
「ないなあ」
「羨ましいよ」
「俺にはお前さんの翼が羨ましいけどな。俺の翼は小さいが、その大きな強い翼ならどんな遠い所にだって行ける。なのに冬を追って飛ぶだけなんて、もったいないよなあ」
「フフン、いいのさ。この翼は」
ハクチョウは胸を張ってはばたいた。
「夢を追いかけるためにあるんだからな」

 翌朝、ハクチョウの家族が旅立つのを、カラスは見送った、次の冬が始まればまた逢えるのだから、いつもなら見送りなどしたりしない。しかし今年は、次の冬にはもう逢えないかもしれないという気がしていた。もう十分長い間、このカラスは生きてきたのだ。
(アイツと過ごす夏、か)
自分も叶わない夢を見ていることに気付き、カラスはカカ、と声に出して笑った。
 ふと翳った陽に空を見上げると、渡り鳥の隊列が、太陽の下を横切ってゆくところだった。今頃アイツはどにいるのだろうかと、老カラスは、遠い北の空に目を凝らした。


Entry29
今日を日記にしてもたぶん題名はないけれど
伊勢 湊

 風が冷たくなってきた十月のある夕暮れ、小さな温泉街の宿を出て小学三年生の息子の一樹を真ん中に親子三人、繁華街への坂を下る。下り坂なのに夫の息は荒い。
「ねえ、本当に大丈夫?帰って寝ようよ」
「大丈夫だって」
 久しぶりの連休に家族三人でうどんが美味しい事で有名な小さな温泉街にやってきた。夫が突然言い出した事だ。一樹に本当に旨いうどんを食べさしてやりたいと思い付いたという。

 新幹線に乗っている頃から夫の様子はおかしかった。苦しそうに咳をして、顔が赤かった。旅館にチェックインしてまず行ったのは病院だった。「風邪ですね。食事はお粥とか煮込みうどんとか消化の良いものにして下さい。それと温泉地まで来てなんですが、入浴は我慢して下さい」お医者さんが予想通りの言葉を告げた。

 夫の行動も予想通りだった。宿に戻るなりはしゃぐ一樹を連れて大浴場に向かった。「寝てたほうがいいって」という私の言葉にも笑って「大丈夫だって」と言うだけで、夕暮れには結局お目当てのうどんを食べに繁華街に繰り出した。
 立派な作りの本格的なうどん屋さんだった。お茶を持ってきた仲居さんが「うちのお薦めは釜あげうどんですよ。とてもこしが強いんですよ」と説明してくれた。
「じゃあ、それを三つ」
 夫が迷わずに注文する。
「いいの?煮込みうどんとかじゃなくて。お医者さんが言ってたじゃない…」
「なにいってんだよ。ここまで来たら名物食べないと。なぁ、一樹」
 息子が嬉しそうに大きく頷く。それを見ていて思わず私も笑えてきてしまった。

 うどんはとても美味しかった。宿に戻ると夫はさすがにすぐに寝てしまったが、十二時近くにふと目を覚ますと布団に夫の姿はなかった。枕元に『小浴場に行く』というメモがあった。まったく、この人ときたら。
 私は静かに小浴場の女湯に向かった。中には熱いのとぬるいのの二つの浴槽があった。熱いほうに足を浸けてみた。かなり熱い。
「あなた熱いお湯に入ってるんでしょ?」
 壁の向こうに話し掛けてみた。
「あれ、来たのか?」
「むかし風邪を強引に治すには熱いお湯にふらふらになるまで入るんだ、なんて言ってたものね。本当なの?よけいひどくなっちゃわない?」
「本当だって。明日も一日大切にしなきゃなんないからな」
 小浴場の小さな窓から明るい月が見えた。この人が他の家庭の旦那様と比べてどれほど素敵な旦那様かなんて分らないけど、いまが、とても幸せだった。


Entry30

るるるぶ☆どっぐちゃん

 今日も人々は日当たりの良い道路に張り出したオープンカフェで、光に包まれながら空を見ている。
 細く整えられた赤と黒のビニールレザーの椅子に座る人々が手にしているカップの中身は、ブルーマウンテンだ。或いはキリマンジャロ。或いは鉄観音。だがそれらには人々は無関心だった。人々は空を眺めているから、そんなことは関係が無いのだった。
 空は晴れ渡り、眩しい。だが、青くは無い。空は埋め尽くされていたから。埋め尽くしているのは色とりどりの鳥達だ。彼らの乱舞に埋め尽くされ、空は万華鏡のように複雑な輝きを放っていた。
 人々は楽しげに談笑をしながら空を眺めている。本当は彼らの服装や化粧の方が、彼が眺める空よりも、ずっと色とりどりで複雑で取り留めが無かったのだけれど、そんなことは関係無かった。人々は空を眺めているのだから、そんなことは関係が無いのだった。
 この商店街は昔、今と違う小さな寂れたものだった。
 その街に最初にやってきたのは青い鳥だった。それはラーメン屋の裏庭に転がっていた、生ゴミをまき散らしたポリバケツに舞い降りた。
 鳥はどんどん増えていった。生ゴミ。猫の死体。優しい人々。彼らはそれらに次々に舞い降りていった。
 人々は今日も空を眺める。街は光に溢れていた。街にはもう転がったままのポリバケツなど見つからないし、猫だって服を着せてもらっているくらいだ。
 そして鳥達は毎日この街へ現れ、上空を埋め尽くす。
 この街に何故鳥達がやってくるのか、知っているものは誰も居ない。
 人々はそんなことは思いつきもせず、チャイを片手に、空を眺めている。

「綺麗な花だね」
 部屋に入ると、彼が言った。
「ええ」
 あたしは答えた。
「咲いていたのよ」
「どこに」
「あの二人が飛び降りた所に」
 あたしはあの二人を思い出す。二人は実に楽しそうだった。実に楽しそうに、あの街の真ん中へと飛び降りたのだ。
「綺麗だね。種から育ててみようか」
「無理よ」
「何で」
「種なんか全部食べられてしまっているわ」
 あたしは笑いながらそう言って、花を窓の外へと投げた。
 花はすぐに解け、空中で散り、ばらばらになった。
「この街には、電線が多過ぎるな」
 彼はもう花から視線を離していた。万華鏡のような空を眺め、彼は言う。
「そうね。でも代わりにリボンをかけておくわけにもいかないわ」
「それもそうだな」
 あたしは達は窓辺に並んで立った。
 花はもう何処にも見え無い。