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Entry1
がらんどう
白銀霧理
二人の探検コースには何故か何時も墓があった。小さな御堂の小さな墓地で、三十世帯分くらいの御影石が一年中きらきらと光っている様な場所だった。藪蚊と、仏花と、人気のない寺の伽藍堂、微かな線香の匂い、そう云う奇妙に漠然としたものたちが其処に集っていた。井戸水を手桶に汲んで、身体に対して重すぎるその桶を交代で担いで墓の奥の道無き道を二人は何処までも進める処まで進み、汲んで来た水に手を浸した。どんな真冬でも身体は火照って仕方なかった。一番遠くまで来たと思うと、二人は其処で五分ほど休み、来た路を引き返すのだった。
ある帰り道、二人は手桶の水で荒れた墓を洗いながら戻った。見捨てられた様な黒い墓石の前には名前を知らないとても頑丈そうな雑草が我が物顔に繁茂していた。二人は雑草には手をつけずに黙々と石碑を清めた。
「リュウだ」
「嘘、何処」
雨が指差す先に確かに友人がいた。小さな墓の前で屈み込み、頻りに手を動かしている。同学年の誰よりも身体の大きいリュウがそうしているとまるで一丁前の青年の様に見えて、近付いてはみたものの二人は声を掛けるのを躊躇って立ち止まった。
「よお」
リュウは線香の束に火を点けていた。少し燻る処を見ると幾らか古い品物らしい。妙に慣れた手付きでライターを使い、暫くしてやっと煙が白く棚引く。
墓石に彫られた苗字は彼の家の姓ではなかった。リュウはその石に自分で持って来た手桶の水をぞんざいな仕草で被せ、花筒に残りを入れた。小さな墓には余る大きな仏花の束が転がされている。
三人は暫く黙って花を生けた。
「誰のお墓?」
花を包んでいた包装紙をやかましく畳みながら、漸く祝が訊いた。
「アメのじいちゃん」
「誰だよ」
「昔良くうちに来てたんだ。来る度に薄荷の飴くれるんだけど、俺はそれが嫌いでさ」
彼が逝ったのはリュウが三つか四つの頃で、だから飴の事しか憶えていないとリュウは云った。今日は彼の命日らしい。墓参りに行くと云ったら無理に持たされたのだ、と面倒臭そうに花を指してリュウは石を見上げた。
「俺はこのひとから飴しか貰わなかったよ」
気の早い秋の風が素早く三人の周囲を駆け抜けて行く。双子がぎこちなく手を合わせる横で、リュウは尚も面倒臭そうにぼんやりとただ佇んでいた。
その墓は今もひっそりと其処にある。あのあと三人が植えた薄荷も、墓石の主の灰を養分にしてきちんと毎年花をつけているのだ。
Entry2
むかつくトマト
マーマレード=ジャム
「何で言うこと聞かないの?」
最後に言ったのは、はや3年。子供はいまや13歳。あの時に言ったことをもう繰り返すことはなく、今もう亡くなっていた、もちろんその会話がだ。
「ただいま」と私が帰ってくると、子供は一生懸命お米をといでいた。ゴシゴシゴシゴシ。
「あのぉ、今9:00なんですが...」
と朝のボランティアが終わり近所の方との簡単な発声練習をかねた?落ち葉掃きだ。まったく、前から3本向うの道路ときたら困ってしまう程の情操教育真っ只中で、何でも、木に登り、葉っぱや葉っぱに描けば描けばと、サインペン。描いたものはもちろん顔、たまにハートやスペード、クローバー、素敵な所は煙突の絵だ。
近所の気の合う仲間とはじめた落ち葉掃きに朝の合唱?ダミ、屑、星、機械?声の競い合い。まぁ、今日の歌の一人は、いまの歌声..♪とセビリヤの理髪師かな、だが問題は家の子供。確か冒頭でも言った通りに13歳。ヤマハリズミカルスクールに連れて行く年代なのか、とかくトロイ。改めて子供へ
「あのぉ、学校は9:00からなんですが...いえ、あなたが今日臨時休日、なんて特別なお知らせがあったら...きっと、変更ですわよね」
今度はシャカシャカと愉快におかしく、水音、とぎ音などを変えてみては、はにかむ笑顔で
「忘れてたの、私、だから、お米をといでお手伝いをして、点数アップかな、連絡帳のようなものに、書いといて、子供にお米とぎのボランティアをシテイタダイテオリマシタ。と、ねっ、先生」
私母、先生?は
「あなたの甲斐性で書けることを自分で書きなさい、今、落ち葉掃きのボランティアに行ったら、情操教育、葉っぱに顔、絵ですって」
子供は
「そうですね」と3時間後
「はい、お母さん、はんこ頂戴あそばせ」
見ると、そこには、案の定にへへ
の の
も
へ じ と描いていた。悲しい母の葛藤。母の職業は画家だった。このトマトちゃん子供はいつになったら、私になるんでしょう。辛い。私か!
Entry3
『放心からの視索』
詠理
三秒とかからず消える。ここ。ゆらゆら。ゆらゆら。そういうつもりだ。一歩、二歩。歩まずに観る。確信はある。飽和ではなく転化か。恐らくは顕花。畜生。累積された憶測はさっさと引き下がればいい。
@
七色の花が透明に輝き、無形有機体が走り去った。ほら、そこ。その青撃の花の裏。違う。もう君の爪の中に入り込んでしまったよ。良かったね。すっかり吸い込んでいるよ。見て、薄霧に展開している映像を。一本の茎からあらゆる形が出来上がって。野菊の海に泳ぐ鯨。飲み込んだ。子狐の皮を剥いでいる子羊。ああ、うまいことやるもんだなぁ。お次は白頭鷲の翼雲。もう、何故見ていない。すっかり燃えてしまったよ。影だけは残っているのだから、せめてそれにだけでも触れればいい。
A
鏡面から放たれた。そこら彼処に足跡つけて、一帯は真っ赤に癒着する。これは仕方ない。メビウスがひん曲がる。オシリスは白目を向いて。シリウスに逃げ込んだ。悪路は諸手に整頓するから黒い下駄さえ履けばいい。髪は切って置いてきな。さあさあどうだ。ここの双樹の蔓は甘いが、決して捕まるんじゃない。煉獄の長者にくれてやれ。走れば転べ。今、砕けた足から牙が揃い、これで濡れた断崖を跳べるはず。危ない。こら。喰うのは淡い果実にしとくんだ。やがて融ける。
B
揺れ始めた歳時記が呼ぶのは悔恨。見れば左右に従っている。静かな呪文が唱えられ、現れたの部分的な楼蘭像。蒸けたつぶやき。続けると虫食い穴がぷつりぷつり。清冽な唄のわけはないだろう。そこ。繋げて欲しい。葉っぱをたらふく抱かないで。照明が突然降って湧いた。ああ、知らなかった。なんの堪えられない。心地よいのはこの涼気?身を任せたのは温良な隆起。いつしか友好人も舞い降りて、進む。なんてこと!先は確かに戻る道。そうだ、頼む。後ろ目程度でやめておけ。
C
等々読みきれば、確かに出現する。はずもないと、ゆめゆめ思うな。祈り。よりも絶交を。郷里よりも消閑を。再起より驚気!昇り上がって還る。綺羅らかに生滅を忘れろ。探したりしたら亡くしてしまう。郵便は砕け散った。飛び回るのは採光。逃げろ。細かい布石は必ず利くだろう。やっぱり去ることはできない。如雨露をここに。降ればきっとそのうちに。口承の流れは確かなのか。ここから幾百程の瞬き分の触覚を。この旅はすぐに唱歌とされる。言え。言え。落ちろ。胸裏はなんて?
これ以上ない目覚めに生きている!
Entry4
赤い糸
さゆり
「はじめまして。 ひょっとして一番乗りかな。HMは女優の小雪をイメージしたのでしょうか」
メールチェックをしたわたし。
ふと、手がとまる。
メル友募集に掲載されて一時間後、ええ、一番乗りです。
「ウエブは蜘蛛の巣という意味ですが、一本の糸をモシモシとチョット揺らすと、それが伝わって見知らぬ人と振動を伝え合う。インターネットは不思議な世界です。 電子の蜘蛛の巣を通して微妙な心の響きや出来事を伝え合いませんか。気になったら糸を引いて見てください」
東京在住。自由業。趣味、ウオーキング、犬、読書。
絵文字も改行もない字だらけのメールに憶えがあった。
「メール、ありがとうございます。東京の方ですか。
こちらは北のはずれです。当方、夫と二人の子供とつましく暮らしている主婦です。こゆきは好きな名前なのでHNに使っていますが、先日スーパーで「小雪」という飴を見つけました。儚げで綺麗な女の子の絵が書いてありました。なんとなく生命力の薄そうな名前ではありますよね(笑)」
「こんにちは。一番乗りでメールしたせいでしょうか、お返事を頂き光栄です。その後きっと沢山のメールが来たことでしょう。もうお相手は絞り込みましたか?その中には私も残っているのかな」
貴方、なのですね?!
あれから一年過ぎました。お元気でしたか?、体調はいかがですか?奥様とはご円満にお暮らしですか?
「ところでこの週末ですが、土曜日に5月に結婚予定の長女の所帯道具を買い込みに同行しました。スポンサーの財布はお構いなしに、最新型のものを次々に指定して行く娘に、ついには同調してしまい、買い物の楽しさを味合うこととなりました。」
ああ、娘さんは結婚なさるのですか。おめでとうございます。嬉しそうに買い物に付き合う貴方が目に浮かぶようです。出会った頃は、音大でピアノを専攻していると聞きましたが。それから息子さん、その後はお仕事に励んでいらっしゃいますか?
交わしたメール数百通。
頂いた本、CD、コーヒーカップ、何もかも・・・・・・。
大事に大事にしまってあります。
ずっと一緒にいたい、なんて。
叶わぬ夢です。
叶うはずない。
眠れぬ夜を幾度も過ごしやっとの思いで告げたさよなら。
こんなに広いネットの海で、また出会ったのね、わたし達。
赤い糸。
自分から断ち切ったはず、なのに。
なりすまして息をひそめて今わたし、貴方をめがけて秋波を送る。
Entry5
理論的に生きれば今日は吉。
左右田紗葵
わからなくなって、さっきその人が口をつけたペットボトルのジュースを飲んだ。誰も見ていないし、見られた所で後ろめたくなることはない。でも、気まずい。いつもならペットボトルの口に唇をおしつけて吸うようにして飲むのが癖だけど、今は、なるべく唇につく面積を減らすよう、流すようにしてのみ込んだ。
大変恐ろしいことを知ったのが昨日で、それを教える為に会ったのが今日だった。
昨日の病院の帰りに、雑貨屋の前を通った。水を浅く張ったビニールプールが店頭にだされていて、親指くらいの大きさの塩化ビニール人形が浮かべられていた。通り過ぎるついでに見ると、ほとんどがだった。水面を埋める無表情な彼女らは、日光に輝き力無く揺れ、涼しげな水死体に見えた。水死体は、『人形すくい』という商売で一すくい300円にて売られていた。赤いリボンの白い猫ちゃんの大量水死は、無性に人恋しくさせた。喚声に振り向けば、プールに駆け寄って水死体の引きあげをねだる小姫あり。
病院では、初診のため、病状自己申請カルテを書かされた。お名前、フリガナ、住所、職業、電話番号、生年月日、年齢、性別。人生は、この体はこれっぽちの要素で成り立っているのだろうか。
今までに大きな病気をしたことは? ない。
アレルギー等の症状は? ある。
そのために飲んではいけないお薬は? ない。
ここまではいつもの病院と何ら変りない。
では、次の質問にお答え下さい。
待合室には低くツィゴイネルワイゼンが流れている。不安を煽る、不幸そうな曲。今日は学校を休んで病院に来ている。周りには、おばさんばかりだ。
妊娠の可能性がある方:生みたいですか?
浅木衣夏。年齢、16歳。性別、女。職業、学生。
うみたいですか。
解答に途惑い、白紙のまま看護婦に提出した。まもなく聞きなれた名前が呼ばれ、小ぎれいな診察室に通される。医療器具と壁、天井以外の細やかな道具は全部ピンク色で、他は白だった。女の先生がいた。挨拶をしたが、返されないまま別室に通された。
「下着は脱いでおいて下さいね」
言われた通りにして、看護婦の示すまま拷問用具のような椅子に座らされる。ピンク色の椅子に両足が固定されて、椅子は倒される。最後に見たのは紺色のスカートの端と、覗くしろいふともも。
「生みたいんですか。」
「はい。できれば。」
「今までにセックスの経験は?」
「ないです。」
想像妊娠って知ってますか。風船みたいな空想。
私は気が狂ってたって教えたら、あなたは苦笑いした。
Entry6
参観日
青野 岬
五年三組の教室は、いつもより少し興奮気味の子供達の熱気に包まれていた。まだ休み時間だというのに、既に何人かの母親が教室の後ろで自分の子供の姿を目を細めて見守っている。
準子は朝起きた時から気が重かった。今日は、転校して来てから初めての授業参観日。いつも仕事に忙しい母は当然来られないけれど、別にそれはそれでも構わない。準子を憂鬱にさせていたのは、母親が同居している祖母に、自分の代理を頼んだことだった。
準子がまだ赤ん坊の頃から、母親は準子を祖母に預けて働いていた。だから保育園の送り迎えも、懇談会も、もちろん授業参観も、準子に関するほとんどのことは祖母が面倒をみてくれていた。けれども前の学校でそのことをからかわれて以来、準子は祖母の存在を疎ましく感じるようになっていた。
「はーい、それじゃあみんな、席に着いて」
チャイムが鳴って、いつの間にか先生が教壇に立っていた。子供達は歓声を上げながら自分の席に着く。おそるおそる後ろを振り向くと、きちんと着飾った若い母親の影に隠れるようにして、遠慮がちに佇む小さな祖母の姿があった。
「教科書の三十二ページを開いて。ほらほら、お母さんが来てるからって後ろばっかり見ちゃ駄目よ」
クラスメイト達は皆、落ち着かない様子で自分の母親の姿を探している。準子は祖母の姿を見つけると、黙って視線を教科書に落とした。若く溌溂とした母親達の中で、白髪頭に地味な手編みのカーディガンを着た皺だらけの祖母の姿は、ひどく場違いな存在のように思えた。
授業が終わると、子供達は先に下校することになっていた。準子は祖母を無視したまま、黙々と帰り支度を進めている。またクラスメイト達に冷やかされるんじゃないかと思うと、一刻も早くこの場から走り去りたい気持ちで一杯になっていた。
「準子ちゃん、おやつはいつもの所にあるからね」
いきなり背後から声を掛けられて驚いて振り向くと、準子のすぐ後ろに祖母が微笑みながら立っていた。まわりのクラスメイト達が、好奇心丸出しの表情で祖母を見ている。準子は祖母の語りかけに何も答えないまま帰り支度を済ませて、挨拶もそこそこに急いで席を立った。
「準子ちゃん、いいの?あのお年寄りの人って準子ちゃんのおばあちゃんじゃないの」
「違う。知らない人」
準子は首を振ってぶっきらぼうに答えると、そのまま走り出した。戸惑う祖母の視線を背中に感じて、涙が止まらなかった。
Entry7
Nothing to Declare
IONA
「霊柩車って英語でなんていうか知ってるか」
さくっ、と雪が鳴った。3月もあと1週間で終わるというのに、町の歩道にはまだ、除雪車に放り投げられてそのまま撲殺された格好の白い天使たちが、そっとうつ伏せになっていた。
「hearse」
「……」
遠回しにはprofessional car。辞書にはそう書いてあった。
「とおま…」
「遠まわしにはprofessional car」
「……」
セーターの袖に隠れた手が一瞬だけ見えた。それは、心なしか細くなっていたような気がした。
「ダイガクセーになったら」
吐く息は、昨日よりも白くない。
「頭よくなるんかな」
「さあ」
暖かなにおいのするキャンパスは、なかなか魅力的な環境だった。
「まあ確かなのは」
横断歩道は点滅を始めていた。
「こんなとこ、早いとこ抜け出したいってこと」
スーパーの袋を持った主婦とすれ違った。駅前のロータリーが見えた。
「おい、あしたは…」
しまった。明日は土曜だった。
「明日は部活でしょ」
スカートからいいにおいがした。
「休むよ」
「だめ、部活行け」
制服のポケットに突っ込んでいた手を、ぐいと引き抜かれた。
「これ返すね」
「なんで…」
そのまま、紺色のチェックのスカートは、定刻通りのバスに吸い込まれてしまった。
「はあ?」
ちょうど2番線に電車がやってきたのが見えた。これに乗れば、もう、終わる。
「わけわかんねー」
とにかく、走ってみるしかなかった、次の停留所まで。バスは車体の緑のラインを誇示しながら、商店街へと伸びる細い道路に座り込んだ。信号は、まだ赤。
コンビニの青い看板が、交差点にまるで鋼鉄製の栞を差し込んだように、淡く、そして無機的に、町のページ数を数えて続けている。客が出る。ドアが開く。ドアが閉まる。目の前が、停留所だった。
案の定、降りてきた。
「おい、おま…」
言い切らないうちに鞄が飛んできた。笑っている。
「ボーズ」
「おい」
言い直した。
「焦んなくてもいいじゃん」
「おい」
再度言い直した。
「これどうやって使うんだよ」
左手に持っていたコンドームを、目の前に差し出した。
「まず」
涙声になったような気がしたが、走り去るバスに、その微かな音は食べられてしまった。
「あたし以外の女の子をみつけなさい」
抱えていたはずの鞄は、いつの間にか前を歩き遠ざかるスカートの横に、すっかり収まっていた。そして左手は、少しだけ汗をかいていた。ポケットの中へ、正方形の秘密は消えてなくなった。
Entry8
Cat Loves Fish
スナ2号
「ああ」
虎猫は、ため息をついた。
「朱朱、君はなんて美しいんだ。真紅のドレスが怖いほど似合っている」
熱い眼差しは、棚上の大きな水槽に注がれていた。水槽の中で、数匹の真赤な金魚が泳いでいた。その中の、特に赤の鮮やかな、朱朱と呼ばれた金魚が、別の金魚に言った。
「また来た。見てよあの顔。涎でもたらしそう」
相手の金魚は、
「なぜか狙いはあんた一人みたいね。ほっときなさいよ。この水槽は大きいから、手なんか届きゃしないし」
と笑って、泳いで行ってしまった。朱朱は、虎猫をとことん無視することにした。
しかし、虎猫は声をかけ続けた。甘い言葉を囁き続けられ、朱朱も口では嫌がりながらも、まんざらではなかった。
ある夜名を呼ばれ、朱朱は目を覚ました。見渡しても、起きているのは朱朱だけだった。
「朱朱」
もう一度呼ばれ、朱朱は水槽のガラスに顔を近づけた。外の闇に丸い月が二つ浮かんでいた。それが、猫の目だと気付いた時、朱朱は悲鳴をあげそうになった。
「驚かせてごめん。どうしても二人きりで話がしたかった」
驚くと同時に、満月のような瞳に魅せられたようになり、朱朱は逃げる事を忘れた。
「朱朱、一緒に行こう」
虎猫が言った。
「こんな水槽の中で、君は一生を終えるの?」
甘い声は、朱朱の心に響いた。虎猫は、明日の正午一緒に行こう、と言った。待ち合わせは、水槽の外だった。朱朱は眠ることが出来なかった。
約束の時間になり、朱朱は決めた。
彼と二人で、広い世界を見に行こう。
一瞬、騙されているのでは、とも思ったが、綺麗な瞳を思い出し、まさか、と振り払った。
そして、朱朱は飛び出した。
床に叩きつけられた瞬間、体中の骨が砕けたが、朱朱は幸せだった。彼がやって来る。そう思うだけで幸せだった。
突然、影が落ちた。見上げると、二つの満月のような瞳があった。
満月が迫り、朱朱は一飲みにされた。
悲鳴をあげる暇もなく。
「あらお兄ちゃん」
白猫は、虎猫に声をかけた。虎猫は、口周りをなめる妹を見て、瞬きもしなかった。
「今、思いがけないご馳走を見つけたの。おいしかった。分けてあげようと思ったのに、どこ行ってたの?」
虎猫の様子に、白猫は首を傾げた。
「どうしたの、お兄ちゃん・・」
「塩は」
虎猫が言った。
「え?」
「塩は、入れたほうがいいか、聞こうと思ったんだ」
虎猫の金色の瞳からこぼれた雫が、くわえたままのコップに落ち、中の水を、ほんの少しだけ塩辛くした。
Entry9
ダブルストーカー
紺野なつ
私はストーカー男を尾行している。しかし、私は婦警ではない。私は彼のストーカーなのだ。
彼がストーカーだと知ったのは好きになった後で、その時は勿論ショックだった。彼のストーカー行為がではない。私だってストーカーだ。彼がどれほど切ないかは解る。ショックだったのは、そこまでする相手が私ではないという事だった。彼の片思いの相手は同期の新人で、私は彼らの5年先輩。私達は同じ会社の同じ部署に勤めていた。
彼のストーカー行為は、帰宅する彼女のあとを尾け、時々彼女の家から郵便物やゴミ袋を持ち去る程度だ。彼女は気付いていない。そして彼もまた、自分が同じ事をされているとは気付いていなかった。
今晩も彼は彼女のあとを尾ける。いつもは真っ直ぐ家に向かう彼女がファミレスに立ち寄った。彼女は窓際に座ると物思いに耽った顔で外を眺めている。その姿を彼は電柱の影からじっと見続ける。そして、その彼を私は道路を隔てた電話ボックスの中から見つめた。
彼は何故告白もせずにストーカー行為を続けているのだろう。私の場合はバツイチで五つも年上であるという引け目からだ。好きでストーカーをしている人なんていない。一緒に居たいのにその想いが叶えられなくて、それでも少しでも傍に居たくて、自分でもどうしようもないからストーカーになるのだ。
そんな事を思っているうちに尿意を催してきた。周りで開いている店は目の前のファミレスだけだ。目深に帽子を被ってサングラスをかければ気付かれないと思いファミレスに入ったのだが、入った途端彼女に見つかった。彼女は私を強引に自分の席に連れて行った。
窓の外から彼の視線が感じられる。その視線は私を通り抜けて彼女だけに注がれているのだ。何故私でなくこの女に。そう思って彼女を見ると、彼女は大粒の涙を溢していた。彼女は口紅を差し出した。それは無くしたと思っていた私の物だ。
「ごめんなさい。先輩の事が好きで、でも、どうしても言えなくて、先輩の物だけでも持っていたくて……」
彼女はそう言って私の手を握り締めた。
何て事だ、私は彼を追いかけ、彼は彼女を追いかけ、彼女は私を追いかけていたのだ。
私は不意に『ちびくろサンボ』のラストを思い出した。互いの尻尾に噛み付いたまま、椰子の木の周りをぐるぐる回ってバターに成ってしまう虎達の事を。私達もぐるぐる回っているうちに溶け合ってバターに成れたら。私は真剣にそう思った。
Entry10
影武者
有機機械
あの超大国が攻めてくる。こともあろうにこの大統領である私を、この地位から引きずり降ろすつもりらしい。いやそれどころか私の命すら狙っているだろう。一兵卒から身を起こして30年、やっと掴んだこの地位を逃してなるものか。
だいたいなんでこの私が命まで狙われなければならないのだ。確かに我が国は、大量破壊兵器を開発、輸出し、周辺の少数民族を力で弾圧してきた。国民にも多少苦労をかけているかも知れない。しかし、それは前の大統領も、その前の大統領も、やってきたことだし、私は官僚達のすすめにしたがってきたに過ぎない。しかも歴戦の英雄たる私が大統領になったことで、ずいぶん内外での安定を得ることができたと思っている。その私に、命を奪われるほどの非があったというのか。ようし、今日は抗議の演説で一発かましてやるか。
「いけません、大統領。どこに暗殺者が潜んでいるかも分かりません。演説の原稿は私達が完璧なものを用意しましたので、影武者にお任せ下さい」
官僚から引き上げてやった副大統領がそう言う。それもそうだな。戦争が始まる前に死んでしまってはもともこもない。
いよいよ開戦だ。歴戦の英雄たる私が自ら作戦本部で指揮をとってやろう。
「いけません、大統領。敵のハイテク兵器は恐ろしい性能を誇っています。作戦本部に赴くなど、死にに行くようなものです。歴戦の英雄たる大統領のご威光だけで、我が軍の士気は盛んです。作戦は参謀が完璧なものを立案しますので、姿を晒すのは影武者にお任せ下さい」
私の名声だけで十分戦えるか。そうだな、私が軍人だったのもずいぶん前だ。新しい戦は新しい者達に任せるか。我が侭ででしゃばって国をつぶしたくはないな。部下に任せることができるのも私の器量の大きさゆえだな。
なんだ、なぜここにミサイルが落ちる。どうして敵にこの場所がばれた。うおっ、私の身体から血が、血が流れている。誰か、誰かおらぬか。私が死ねばこの国は終わってしまうぞ。
「ご安心下さい大統領。政治、軍事ともに最高のスタッフがおりますし、影武者がおる限り、大統領のご威光は失われません」
血がどんどん流れていく。まわりには誰もいなくなった。どこからか、影武者の兵士達を鼓舞する演説が聞こえる。
Entry11
ヘッジファンド
narutihaya
午前9時、僕はコーヒーを飲みながら、東証に猛烈な空売りを浴びせた。ここ数日の間、株価も円も国債も全てが暴落の様相を見せていて、僕の読みでは、景気の回復はもうありえない。それを見越しての大幅な空売りだった。
僕は、去年のブラジルで大儲けした時の事を思い出していた。あの時、為替相場はあっさりと1ドル=4レアルのラインを突破し、ブラジル経済は崩壊した。端末の前で売り注文を出すだけで、僕は世のサラリーマン達が一生かけても稼ぐ事の出来ない額を、一瞬にして手に入れたのだ。実際、僕にはもう仕事なんかしなくとも、充分生活していけるだけの財産がある。でも、今の世の中、何が起こるか分からない。
先月、例の空中分解したスペースシャトルの事故原因が明らかになり、その調査報告は、世界の宇宙産業の株価を壊滅的に押し下げた。あの事故の始まりは、本当に単純で悪意のない、一人のエンジニアの作業ミスだった。問題は、その単純なミスが、最先端のシステムと何重にも施されたセキュリティの全てを、素通りしてしまったという事だ。理論もあり技術もある。でも、それを運用できるだけの人材が、もうあの業界にはいないのだ。宇宙ではもう儲かる事はないだろう。
こないだの中東での紛争もそうだ。大規模な軍事作戦が国際世論に拒否されると、そこで処理されるはずだった予算が丸々宙に浮いた。軍需産業は、大量の武器弾薬、補給物資の膨大な在庫を抱え、処分に困った企業は、それを世界各国の武装集団へと横流しした。テロ集団と対テロ部隊が、同じ銃で戦っている事に、世界もじき気づくだろう。あの業界ももう長くはない。
世界中のどの相場を見ても、回復の兆しすらない。空売りには絶好の機会だ。この調子で経済が停滞し続ければ、きっと僕は、世界の土地を全て買い占められる程の、利益をあげる事が出来るだろう。
もう一杯飲もうと、僕はキッチンに向かった。蛇口をひねっても、水は出ない。近頃、こうした事が多くなった。たぶんあと一ヶ月もすれば、ガスや電気の供給も止まるだろう。この国はもうだめだ。近々、アメリカの東海岸にでも行こう。あそこなら、まだ都市も機能してるはずだ。自由の女神を見ながら、僕は最後の空売りでも仕掛けようかと思う。そして、人類史上最高の預金総額をゲットしたら、そこでクスリを飲もう。きっとその頃には、もうお金で買えるものなんて、世界には残されていないのだ。
Entry12
風邪の日
立花聡
昨日の夕方雨が降った。僕はいつもの様に傘を忘れて、雨に濡れたら風邪をひいた。
僕は体温計を脇に挟んでいる。挟むときの冷たさが嫌いだ。汗をかいてきた。足先を布団の中から出す。天井の木目模様は暇つぶしになる。小さな頃から風邪をひくと繰り返す時間つぶし、いつも模様が違う気がするのは気のせいだろうか。
数分すると足が急に寒くなってきた。足をしまおうか迷っていると、デジタル音が僕に話し掛けてきた。38度2分。やはり風邪を引いている。
風邪の日のマンガはつまらない。松本大洋さん、GOGOモンスターは病人には重すぎる。辞書じゃ無いんだから。
風邪の日のテレビはつまらない。公園のサクラが咲いたって、だからなによ。ただでさえ頭が痛いんだから、テンション落として喋れよ。
雨音がおさまらない。不安定なリズムは眠りを妨げる。気になって眠れなくなる。明日デートなのに。
僕はお腹をすかした。しかし動くのは面倒だ。トイレに行くのも面倒だ。そういえば、風邪ひくの久しぶりだ。なかなかなかった。ん、なかなかなかった、語呂がいいな。
眠れずに過ごしていると、ケータイがなる。
「今すぐこいよ、大丈夫だろ」
「無理。風邪ひいてる」
「気合いで治せ」
できたら苦しくない。
「保母さんだぞ。保母さん」
「昨日も行ったんだって、合コン」
「だから?」
「だいたい風邪引いてんだって」
「テンションでなんとかなる」
風邪の日の合コンは楽しい。酒がなくてもフィーバーしてる。僕は何でも許される。なぜなら、風邪をひいているから。
女の子の胸を触って、キスをする。キスをしながら、ブラのホックを外してベッドに押し倒す。Cの胸は悪くない。太ももから手をゆっくりと滑らして。
嬌声は快感を伴う子守唄。気が付くと朝になっていた。僕の隣には見知らぬ女の子。見ると顔は象形文字のようだ。
慌てて僕は逃げ出した。服を慎重にかつ俊敏に集め、着る。ドアをゆっくり閉めたら、走り出す。ラブホの玄関は緊張する。そこをダッシュで駆け抜けた。
昨日の記憶ははるか遠く。追憶を僕は許さない。セックスは悪くなかったのにな、なかなか締ま…。だめだ、油断すると回想してる。追憶は許すまじ。許すまじ。
僕は体温計を脇に挟んでいる。挟むときの冷たさが嫌いだ。38度5分。
「上がってんじゃん」
不意にケータイがなった。
「風邪ひいてるから」
「気合いで治せ」
またか。
Entry13
恋のキューピッド
日向さち
彼女は、僕のためにやってきたキューピッドだったけれど、僕がリエちゃんじゃなくて、彼女のことを好きになってしまったから、天国へ帰れなくなってしまった。
彼女は、弓矢がとても下手だった。キューピッドなら誰でもハートを射止められる、と思ったら大間違いで、彼女はリエちゃんにありったけの矢を放ってくれたけど、かすりもしなかった。
それでも彼女はへこたれずに、いろんな手段を繰り出して、僕のためにがんばってくれた。リエちゃんの気を惹く方法をあれこれ考えてくれたり、人間のふりをして、それとなく僕の気持ちを伝えてくれたりもした。しかし、やっぱり、ことごとく失敗に終わった。
「もしかして、上手くいかないのは、あなたの気持ちがリエちゃんから離れてしまったからじゃないかしら」
「そんなことあるわけないだろ。僕は……」
果たして、僕はリエちゃんのことが好きなのか? それまで、僕は自分がリエちゃんのことを好きだと信じて疑わなかったけれど、改めて訊かれ、返事に詰まってしまった。
「僕は?」
「ぼ、僕は……」
僕を見上げる視線のせいで、次第に心臓が速まっていた。
「リエちゃんよりも、君のことが好きになったのかもしれない」
彼女の表情が、一瞬にして曇る。
「僕のこと、嫌い?」
「いいえ、そんなことないわ。でも、私の仕事は人間同士の恋を実らせることだもの。このままじゃ私、天国に帰れない」
今にも泣き出すんじゃないかと思うほど悲しそうな表情で、彼女は小さく震えていた。
「お願い。私のことは嫌いになって、人間に恋してちょうだい」
普段の彼女も美しいけれど、憂いを帯びた表情もまた美しい。まっすぐな瞳は僕を突き刺し、彼女への想いが余計に膨らんでしまった。
「いや、そう簡単にはいかないよ」
僕はそっと彼女を抱き寄せ、彼女のふっくらとした唇に自分の唇を合わせた。
「いいじゃないか、帰れなくたって」
「私にだって家族や友達がいるのよ。帰らないと、寂しい思いをさせてしまうに違いないわ」
「そうか……」
僕がベッドの端に腰を下ろすと、彼女は肩に寄り掛かってきた。泣いたりせずに、しばらくじっと黙ったまま、ときどき僕の顔を見上げては弱々しく微笑んだ。
あれから五年間、僕たちは同棲生活をしてきたけれど、彼女は今でも天国の家族や友達が気になるみたいで、ときどき空を見上げては溜め息をついている。でも、声をかけると決まって、何でもない、と言うのだった。
Entry14
母からのプレゼント
浅田壱奈
母が初めて私にプレゼントしてくれたのは赤い靴だった。当時の私にはまだブカブカで、とても履いて歩けるものではなかった。
「大きくなって彼ができたら、デートの時に履いていきなさい。」
プレゼントしてくれたときの母の言葉だった。
それから何年か置きに、いろんなプレゼントをくれたが、全て当時の私には用のにものだった。それはどうしてかと尋ねたときもあった。
「前を見なさい。足元じゃなくて前を。立ち止まらないで、前進あるのみよ。」
母は楽しげにそう答えた。
「まぁ。今わからなくても、いずれわかるんじゃない?」
母は女手一つで私を育ててくれた。生活はとても貧しくて、毎日ほとんど休まず働いていた。
「生活の為ってより、あんたの為ね。」
疲れた時の母の口癖だった。
私が高校を卒業する少し前に、就職が内定した。これで母に、楽させてあげられるなと思っていた私に、母は言った。
「あんたの稼ぎは、あんたのものよ。生活の足しにしようなんて思わないでね。」
いつもそうだった。私が母に何かしてあげようと思ったとき、先手を打つように拒否しれてしまう。
「親孝行がしたい?その気持ちが親孝行よ。」
母の言葉は心に残る。でも、この言葉は特に心に残った。
「あら、私そんなこと言ったかしら?」
母はよく、覚えているくせに忘れたフリをした。今だからなんとなくわかる。母なりの照れ隠しだ。
若かった頃に比べてやせ細った母は、過労の為入院した。元々、体は丈夫な方ではなかったので、今までなんとかなってた方が不思議なくらいだった。
それからしばらくして、母の容体が急変し、そのまま息を引き取った。
「失うのが怖いの?時間は止まってくれないわよ。失った悲しみに浸って立ち止まってる間、手に入れるべき物が、手にできなくなるわ。必ず幸せになりなさい。わかってるわね?その為には前進よ。」
それが母の最期の言葉だった。
「君のお母さんは、君のことを心から愛していたんだね。」
彼は空を見上げて言った。
「そうね。私の為に必死で生きてくれたわ。」
私も空を見上げて言った。私は、初めて彼に母のことを話した。初めて人に母の話をした。
「君は、今幸せかい?」
少し不安そうな声で彼が質問をする。そんな彼を見て微笑した。
今日は、いつかプレゼントされた赤い靴を履いてきた。
Entry15
僕は宇宙人
澤井良
「…宇宙人なんだよ」
隣の席のタケシが囁きかけてくる。先生は黒板に分数の練習問題を書き付けているところだ。
「実は俺、宇宙人なんだよ」
「ん、ああ」
「びっくりした?」まじめくさった顔だ。
「ていうかどこの星?」
先生が振り返るのを警戒しながら、ひそひそ声で尋ねる。
「ほら、アンドロメダとかM51星雲とかあるじゃない」
「ああそれね。S30とかいってたっけな」
そんな星雲どこにもないよ。まったく…。
「それで…?」
「来週の水曜日に帰る」
「どこへ」「だからそのS…に」
――おい、そこの二人!――
またこいつのせいで怒られちゃった。
タケシが水曜日に居なくなるのは確かだ。噂では父親の転勤らしい。
タケシは父一人子一人。三年前、小学二年のときにこの地に越してきた。家が近いこともあってよく遊んだが、どうもウマが合わない。踏み込もうとしても、フワフワと風船のようにはぐらかされる。そしてウソつきだった。そんなこんなで、いいかげんうんざり。
それでも僕らはタケシに、どこへ引っ越すのか何度も聞いた。でもそのたびに彼は宇宙話を繰り返し、周囲をイライラさせた。あんなやつほっとけ…。僕らは本当にほっといたのだ。
「そうだよな。まったくあいつは変なやつだよ」
親友のサチオがいう。タケシの引っ越しの日、いつもの帰り道。
「もう出発しちゃったかな」と僕。
「なにが?」
「ホラ…」
黙り込んだ。二人のせつなさが掛け合わさって、どんどん哀しくなってきた。空が真っ赤に染まる。
「ちょっと顔だけ出してこようか」
サチオがほうり投げるようにいった。
すでにあらかた荷物が運び出され、タケシとタケシのお父さんらしき人がこまかな私物を車に運び込んでいた。呼びかけるとタケシは目を見開き、それからクシャと笑った。
「おう」「やあ」
風がぴゅーと一陣吹き抜け枯葉が巻き上がると、タケシは下を向いてしまった。
「連絡くらいくれるよな?」僕は無理に元気な声を作る。
「うらやましいなあ。これから宇宙へ…か」とサチオがまぜっかえす。
下を向いたままのタケシの両目から大粒の涙がこぼれた。そして泣き笑いの顔を必要以上に上向けていった。
「そこでは車が空を飛んでるんだ」
飛び上がりそうもない古ぼけたカローラは、真っ赤に燃える工場群に向かって、ゴトゴトと走る。黒褐色の煙をひきずりながら。そして…ゆらゆらとゆらめく陽炎のなかに突然消え失せた。
「本当に宇宙に帰ったのかもな」「ああ」…
僕たちは宇宙人のような疎外感を抱えながら生きてきたタケシの哀しみを、いま初めて抱きしめていた。
Entry16
海洋葬
川辻晶美
「何をぼーっとしているの。ほら」
沖に浮かぶ小島を眺めていた私は、姉の言葉で我に返る。促されて白い灰――父の遺骨を壷から掬い、船から身を乗り出して陽光が反射する海に流す。
気持ちよさそうに水に溶けてゆく父の骨。何よりも愛した故郷の海で、この先ずっと安らかに眠れることだろう。水面に浮かべた花々は静かな波に乗り、次第に視界から遠ざかっていった。
「あの小島にまだ花は咲いているのかしら」
私が先程まで考えていたことを、姉も口にした。
浜辺から手漕ぎボートで父とあの島へ渡った子供時代の休日。手付かずの無人島は狭いながらも幼い姉妹にとっては未踏のジャングルで、どこに目を向けても自然の神秘に満ちていた。道なき道を父に手を引かれて歩きながら、はしゃぎどおしだった夏の日。やがて父は足を止め、小高い丘を指差して言った。
「この丘の上に咲いている赤い花の中で、一番背の高い花を摘むと、幸せになれるんだよ」
すかさず姉は走り出す。続いて私も後を追ったが、その頃から機敏で要領のいい彼女はあっという間に駆け上がり、堂々と咲き誇る“一番背の高い花“を摘み取った。
その花が効を奏したのか、彼女の人生は順風満帆に過ぎ、今に至るまで家庭にも仕事にも恵まれ続けている。
「貴女の花嫁姿も見たかったでしょうね」
姉の言葉に悪意がないのはわかってはいたが、それは父に対し、私が後ろめたく思う事実の一つだった。
あの花さえ摘んでいれば。馬鹿らしいとは思いつつ、以前は姉の幸運を横目で見ながら、何度も悔しさを噛み締めたものだ。
浜に戻り、父が眠る海に手を合わせ、散骨式は終わる。
「こっちにもきれいなお花があるよ」
あの日父はそう言って、泣きじゃくる私を手招きした。けれども私は意地になって泣き続け、ついには一輪の花をも摘むことなく、島を後にした。そして、父が私に幸福を指し示すことは、もう二度とないのだ。
浜で待っていた娘たちの手をとり、先を行く姉の後を、私は歩き始めた。
ふと、何かの気配に気づき海を振り返ると、赤い点のようなものが波打ち際に揺れているのに気が付いた。見間違えるはずもなく、それは、沖の小島の丘に咲く、あの幸せの赤い花だった。
「もう、お父さんは貴女に甘いんだから」
いつの間にか戻ってきた姉が、半ば呆れたような笑顔で私を見下ろしている。私の手でようやく摘み取った幸福の花びらに、父の眠る海の水滴がきらきらと輝いていた。
Entry17
男の花
さとう啓介
朝靄が川面を緩やかに渡り、青葉の木々には鳥の囀りが忙しげに響く。
ここへ来たのは何年ぶりだろうか。もうすっかり変わり果てた自分の姿が遠い記憶の少年へと変わっていく様だ。
この連休に帰省をしたのは、妹から一緒に帰ってくれとせがまれたからだ。それは多分大した理由などなくて、単に僕の車と財布の中身を当てにしての事に違いない。でもそのおかげで僕は大切な事を思い出せた。
子供の頃によくここに来ては親父と釣り糸を垂らし、川の流れる音を聞いていた。無口な親父は川へ来ると殆ど喋る事はなかった。仕掛けを教える時でも、ただ両手だけがゆっくりと動くだけ。そんな親父が川で話したのは、後にも先にもあの時だけだった気がする。
僕が小学校を卒業した春だった。いつものように僕は親父と川へ来て、透き通る水面に竿を向けていた。対岸の切り立った崖には、濃緑色の点に紛れて淡い桜がぽつんと一本だけ朝日を受けて咲いていた。少し紅みを差した花弁は、モノクロのキャンバスに悪戯で筆を入れたピンクの絵具の様だった。
『あの桜な、爺さんが植えたんだ』
それだけ、それだけ言ってまた釣り糸を垂らしていた。
僕は川音に掻き消されそうなその声と言葉を、子供ながらにもしっかりと聞いた。しかし、それっきりあの桜の木の事を忘れてしまって、いつの間にか親父の事や家の事も忘れていた。
親父が何を残したのか今も分からないが、何かを僕に残していった事は確かだ。
靄が山へと昇り、対岸の岩が姿を現した。
新緑に光りの雫が輝いて、爺さんが植えた桜も緑の葉を輝かせている。
「爺さんの桜か……」
僕は親父の言葉を思い出す。あまり語らない親父は僕にその言葉を残して逝った。遠く残された記憶の中に必ず親父が残したものがあるはず。
「何を残していったんだ。親父のやつ?」
僕は川面に目を移す。流れる光の中で魚影が煌めく。確かな川音と鳥の囀り。
僕はもう一度崖の桜を見上げた。すると桜の木のすぐ傍に、まだ小さいが朱い花をつけたツツジが咲いている。子供の頃に何度も見て知っているそのモノクロのキャンバスに新しい色が添えられていた。
僕はそれを見つけて思わず苦笑いを洩らした。
「あれだな。爺さんが四月生れの桜で、親父が五月生れのツツジ? 八月生れの俺に何を植えろって言うんだよまったく……」
爺さんも親父も何も言ってはくれない。
ただ川の流れる音と鳥の囀りだけが僕を包んでいた。
Entry18
きりとり
越冬こあら
もう一つの朝をユージの隣でむかえた私は、レースのカーテン越しの淡い光りに透かされた「きりとり」の四文字をおぼろ気な頭で認識した。
それは、申し込み用紙などによくあるミシン目とセットになっていた。ミシン目はカーテンやシーツに付いているわけではなく、ユージの近くに浮遊していた。私はミシン目の端を右手の親指と人差し指の爪の先で摘み上げ、左手を添えて、適度な力を込めて破り始めた。作業は、破り目が暴走しないように慎重に行われた。小さな点と点が音を立てて繋がって、徐々にそのスピードを上げて、ピリピリと一気にフィニッシュに向った。ユージは眠ったまま消えてしまった。
ラジオ番組なんかで騒ぎ立てるから、通勤電車内での化粧はやり辛い。しかし、早起きが苦手な私の化粧は今朝も車内で行われている。隣のおじさんが好奇心の固まりになって気付かない振りをしている。私は口紅をひいてから、おじさんのわきにあったきりとりをピリピリと破いてやった。二度目は要領がわかって、手早く作業できたが、初回のワクワク感が少し薄れていた。おじさんの薄れた頭も消えていった。
それから、コンビニのフリーター君も職場のうるさい上司とお局様も食堂のおばさんもミシン目に沿ってきりとってやった。数をこなすうちにより早く正確にお別れできるようになって、現象自体の異常さにも慣れた。
消えてほしい奴等をきりとることは素晴らしいことだったが、きりとりたい相手は多くて、一人一人きりとっていても埒が明かないと思った。そこで、終業時刻少し前に外に出て、事務所のビルを丹念に探したら、「定礎」と書かれた石の脇にきりとりを発見した。腰をかがめてピリピリとミシン目を辿ること半時間。就業中の社員全員を乗せてビルは静かに姿を消した。これで明日から出社する面倒も消えた。
無理な姿勢での作業がたたって、帰宅後ベットに倒れ込んだ。腰をさすりながら、大家のババアをきりとるか、世界平和の為に協力隊の一員として某国をすっかりきりとろうかと夢を膨らませていると、盲腸手術の跡がきりとりになっていることに気付いた。それはいくらなんでもまずいと思ったが、いわばきりとり中毒となった脳と指先は、ピリピリと破り始めた。お腹をひとまわりすると、予想は外れて、ベットには下半身が残った。
意識と上半身は、嫌いな人々とビルの瓦礫に囲まれて、巨大なポストの中にいた。世の中の仕組みは複雑だ。
Entry19
僕の終わりは来なかった
犬宮シキ
ぼんやり教室に一人で居る、斜めに差し込む夕日があたりを美しく染め上げていた。ただ僕の学生服は染まらずに黒いままだった。
「帰らないの?」
級友の女子が僕に笑いかけた。曖昧に笑って返す。少し曇ってきたから、早く帰りなよと言って彼女は足早に教室を後にした。
僕は目を閉じて、机にだらりと伏した。何百回目だろう、こんな事をするのは。
僕の時間はループしていた。SFなどによく、ある一定の日を繰り返したりする話があるが僕の生活もまさにそうで。この三ヶ月を何回繰り返したかもう忘れた。三ヶ月もあるとなかなか選択肢も多様で、さっきの女子は何時か僕の恋人だったこともあった。そっくり三ヶ月に起こることを言い当てて予言者としてテレビに出たこともあった。その間にやる映画を全部映画館で見たり、綺麗なコートを買ってずっと町中をふらついたこともあった。知らないことを一から勉強したりもした。でも何もかも、何をしても三ヶ月経てば、桜が満開になれば、元に戻ってしまう。
最初は、どうにかしようと思った。友達に全部うち明けて元に戻ってしまう日に一晩中手を握って貰う事もあった。結果はいま此処に僕が居るとおり。でも僕は幸せなのだ。この三ヶ月は僕の人生の中で一番良い期間だったような気すらする。何千回同じ台詞を聞こうと、何万回同じ仕草を見ようと、幸せだ。周りの人たちも、気候も、満開になる花の色も、嫌なものなぞ何もなかった。
春が来る、花が咲く。桜が咲いて、僕は元通りに。
もう帰ろう、今日は雨が降る、十万回目の雨が降る。立ち上がって窓を閉める為に近づく。校庭から野球部のかけ声が聞こえる、夏の甲子園を楽しみにしておけと、誰かが言っていた。向かいの校舎の、美術室からは明かりが漏れている。美術部がコンテストに出すための絵を仕上げているのだ。何度か見てみたけれど、とても上手な人がいた。夜桜を描いていた。上手くいけば賞も取るのではと思う。そんな結果を見ることができないのは確かに少し寂しいけれども、彼らは今挫折も何も知らずにただひたむきだからとても綺麗だ。
手に掛けた窓の外には大きな桜の木がある。散るときにはきっとこの部屋の中まで花弁が舞い込むだろう。きっと綺麗で悲しい風景だろう。僕はそれを見ずにすむことに少し安心した。僕は散らない桜だ、悲しいことなぞ何もない。
もうすぐ百万回目の桜が咲く。蕾はもう柔らかそうな表情をたたえている。
Entry20
アロエのはっぱ
ごんぱち
「あつい!」
てにかかったミルクはとってもあつくて、ぼうやはなきだしてしまいました。
「あらあら、たいへん!」
ママはぼうやをせんめんだいにつれていき、やけどしたてにみずをかけます。
「ちょっとまっててね」
ママは、にわのアロエから、はっぱをいちまいとりました。それから、ほうちょうでトゲとかわをとります。アロエのなかみは、はんぶんすきとおっていて、ゼリーかカンテンみたいです。
「はい」
ママは、アロエをぼうやのやけどにはりつけ、ばんそうこうでとめました。
3にちご。
「もう、ぜんぜんいたくないや」
ぼうやは、やけどのすっかりなおったじぶんのてをみます。
「これもアロエのおかげだね」
にわにあるアロエをみます。
アロエのはっぱは9まいありました。ぼうやのためにきった1まいも、あたらしいめがのびはじめています。
「そうだ!」
アロエをみていたぼうやは、ふと、いいことをかんがえつきました。
アロエのはっぱを1まいきって、れいぞうこにいれました。
「こうしておけば、ママがやけどしても、すぐにつかえるよね」
ぼうやは、まだアロエをみています。
アロエのはっぱは8まい。れいぞうこに1まい。
じっとアロエをみていたら、ぼうやはなんだかしんぱいになってきました。
「もしも、ママがりょうてをやけどしたら、たりないや」
ぼうやはまた、アロエのはっぱを1まいきって、れいぞうこにいれました。
ぼうやは、まだアロエをみています。
アロエのはっぱは7まい。れいぞうこに2まい。
「もしも、ママがあしまでやけどしたら、たりないや」
アロエのはっぱは6まい。れいぞうこに3まい。
「もしも、ママがおなかまでやけどしたら、たりないや」
アロエのはっぱは5まい。れいぞうこに4まい。
「もしも、パパがやけどしたら?」
「もしも、パパがあしを」
「もしも、パパがおなかを」
「もしも、ボクがまたてを」
「もしも、ボクがあしを」
「もしも、ママがまたてを……」
ぼうやは、アロエをみています。
アロエには、あたらしいめがいっぽん。れいぞうこには9まい。
「もし、おきゃくさんがやけどしたら?」
ぼうやは、アロエのめをきりました。
はっぱのなくなったアロエは、かれました。
「もしも、となりのとなりのとなりのとなりのイヌのジョセフがやけどしたら?」
ぼうやは、きょうもふあんになってアロエのはっぱをきります。
とおくの、しらないおうちのアロエを、こっそりと。
Entry22
『密室 〜死体とおれのツーショット』
橘内 潤
――まず、状況を整理してみよう。
目のまえに人が倒れている。うつ伏せの女性が、血溜まりの真中に倒れている。で、おれの手には包丁。当然のように血塗れ。
「おれが刺したの……かなぁ?」
残念なことに記憶がない。きょろきょろと見回してみるが地下室のようで、天井の弱々しい照明以外に光はない。窓もない。ついでに出口は、ただひとつ。開けてみようとノブを掴むが、開かない。こっち側から南京錠が掛かっている。
「つまり密室。しかも、死体とおれのツーショット……犯人はおれ?」
――ドンドンドン。
いきなり扉を叩かれる。つづいて怒鳴り声。
「おい、いるんだろ。わかってるんだ。はやく開けろ!」
「え、え?」
怒鳴り声はドンドン扉を叩きつづけ、
「この部屋は密室だ。唯一の出入口は内側から鍵が掛かっている。つまり、おまえが犯人だ!」
「やっぱり、そう思う?」
自分では違うかなとも思っていたが、そう決めつけられると不安になってしまう。
「思うも思わないも、それが事実だ。真実はひとつだ!」
「そうか、そうだよなぁ」
じゃあ、しょうがない――そう思って鍵を開けようとしてやっと気づいた。
「あ、鍵がない……」
南京錠の鍵がどこにもなかった。
「ポケットに手を入れてみろ。右じゃなくて左のほうだ!」
怒鳴り声にしたがって左のポケットを探ってみると、鍵がでてきた。鍵穴に差してみると、すんなり嵌まった。
「――待ちたまえ。これは冤罪だ」
背後から声がして、鍵を差しこんだままふり返る。ひょろっとした男が死体の上に片足をのせ、拳をにぎってポーズをとっていた。踏まれるたびに、ぐえっぐえっ、と死体がうめく。
「この事件は冤罪だ。たとえ、きみが自分を信じなくても、ぼくはきみを信じよう」
「ええと……あなたはどこから?」
さっきまで、たしかにだれもいなかったはずだ。そしてここは密室だ。
「向こうからだが、そんなことはどうでもいい。きみは無実なのだ」
痩せ男は細長い指で、部屋の奥をしめす。そちらに目を向けるが、弱い照明では奥の暗がりを見ることができない。
「もっと光を――ってか?」
ぱっと明るくなった。冗談めかしていってみたら、本当に明るくなった。
ぐえっぐえっ。
「ああ、これで真実が白日のもとに!」
ドンドンドン。
「犯人はおまえだ。はやく開けろ!」
もう、うるさくはなかった。飛びこんできた光景に、開いた口がふさがらなかった。
密室の名は地球だった。
Entry23
ぼくのゆめ
太郎丸
ぼくわおおきくなつたら ぷろやきゆうのせんしゆになる たくちやんは さつかあのせんしゆになるつていつてるけど ぼくはぜつたいにぴつちあだ
ぼくにはちようのうりよくしやがある てれきねすしつていうのが てれびでやつた すしといつても べるとにのつてまわつてこないしたべれない わさびもついてないからだいじよぶだあ
ぼおるおなげるときいけつておもうと かるくなげてもすぴどがでる だからぼくがなげたら だれもうてない
「まったく無名の選手ですが、どうでしょうか?」
「えぇ。噂ですと200キロ台の剛速球投手らしいですが、そんな球を投げられる人がいるとは思えません。今まで出て来なかったというのが、証明していますよ」
今では芸能界で活躍している元投手は、薄笑いを浮かべた。
マウンドに上ったサンシャインは、派手な仮面を付け素顔を隠していた。しかも投球練習はとてもプロとは思えない、今時小学生でも投げないような球だった。
「あれじゃ、遅すぎて打てません。ストライクが入るんでしょうか…。バトカメも終りましたしねぇ」
アナウンサーも笑いを堪えていた。スタンドからも笑いとヤジと怒声が飛び交った。
トップバッターを迎え、サンシャインの手を離れた球は、急にスピードを上げたと思うと、キャッチャーのミットに納まった。
あまりに速過ぎるボールに軌道さえもわからず、それは消えたようだった。
スタンドの怒声は、歓声にかわった。
「えっ。スイマセンもう一度お願いします」
目をこすっていたアナウンサーが、放送にも関わらず確認をしていた。
「し、失礼しました。今入った情報によりますと、1球目のスピードは、なんと203キロのようです」
サンシャインは、初登場初登板でありながら完全試合を成し遂げ、翌日のスポーツ全紙は一面トップだった。
「ボールに凄い圧力をかけて、放っているんだと思います」
「あれはやっぱり腰の捻りから生まれるんです。私がもう少し若ければねぇ」
「審判はあの球が見えるのか? 本当にストライクか?」
「あれは魔球ですよ、魔球。あれを打てるのはアストロ球団ぐらいでしょう」
万年最下位のシャイアンツだったが、親会社は売上を伸ばし関連グッズは飛ぶように売れ、試合ではファンが仮面を被った。しかしその後、サンシャインは登板しなかった。
そして やきゆうでかんぜんじあいおしたら ぴつちあわやめて ぱんやさんになつて まいにちぱんおたべる
Entry24
階段
Ruima
「ねえ、いいかげん泣きやめばー?」
映画館の入った駅ビルの、ほとんど人通りのない階段に座り。あたしは今日何度目かになる溜め息をついた。隣には、やっぱり階段に座り込み、泣きじゃくる男子高生が一人。
「いや、ほんと、悪い……けど、でも、止まんなっ……」
「あーはいはい。いいよ、もう、田沼の気がすむまで泣きなよ」
「ごめっ……」
「泣きなよ」って言ったら、田沼の目から零れる涙の量はホントに増えた。思わず、また溜め息。いいんだけどね。毎度のことだし。もう慣れたし。
コトの始まりは、およそ三時間前。映画が始まって五分が経過した頃には、「ヤバイかな」って思い始めてた。子供とか。友情とか。病気とか。それはいかにもなお涙頂戴映画で、そして、そういういうのを見るとつい冷めちゃうのがあたしで、製作者が喜びそうな大泣きをしちゃうのが田沼だ。
我ながら、可愛くない女だな、と思うけど。
田沼だって本当は、一緒に涙できるような子の方がいいんじゃないのかな。
暇だからそんな考えまで浮かんでしまい、またまた溜め息。
「……うぐっ。っつーか、マジ、ごめっ……。も、ちょっとで、止まり……そうだから」
「うん。別にいいって言ってるじゃん」
「けど……っ。ごめ、な。いつも、んな、ばっかで……こんな、なんか、情けない男で」
「え?」
そりゃ、映画一つでこんな泣かれちゃうと、どうしたものかちょっと困るけど。
初めての場所行く時に田沼に道任せておくと、絶対に迷うし。
普段、学校でも、頼まれた事絶対に断れなくて、そのくせ間抜けなとこあるから、あたしに助け求めてくる事なんかしょっちゅうだし。
まあ確かに、情けないっちゃ、情けないんだけど。でも。
「今更、カッコイイ男になられてもなあ……」
「へ?」
だって。
しっかりしてる田沼なんか、想像つかないし。
感動モノ映画を冷静に見てる田沼なんか、田沼じゃないみたいだし。
情けなくたって、頼りなくたって、抜けてたって。そんな、お人好し過ぎるほど優しい田沼を、好きだと思っちゃったんだもんなあ。
……あ、そっか。それじゃあ。
「可愛くない彼女と情けない彼氏とで、ちょうどいいんじゃない?」
「何、わけわかんない事、言って……っ」
「はいはい。話は泣きやんでからね」
とりあえずは。田沼が泣きやむまでいくらでも待ってあげようと考えて。あたしはもう一度だけ溜め息をついた。
これも悪くないかな、の溜め息を一つ。
Entry25
悪いというか、まあ、ヤな感じ。
アナトー・シキソ
ドア【出口】の外は、中だった。
ウロウロしてみたら、【出口】のドアは他にもいくつかあった。
そのうちの、その、ひとつ。
やっとの思いで出てみたら、入ってた。
地面には草が生えている。
草が生えてるんだから、床じゃなくて地面だ。
でも、ここは外じゃない。中だ。
木も生えているし、少し離れたところには、デカイ池も見える。
見上げれば、空がある。丸く切り取られた空。
まるで外のようだが、でも、ここは中。
誰かに確かめる必要なんてない。中なんだ。
俺は近くの壁を叩いてみる。固い。
ポケットにあった磁石を当ててみる。くっついた。
鉄だ。鉄の壁だ。鉄の壁で囲まれた、中だ。
「大きな鉄のパイプをイメージして下さればよろしいのです」
と、その女は言った。ダークな青いワンピースを着た女だ。
「あなたは今まで、そのパイプの薄い鉄板の中にいたわけですね」
ダークな青いワンピースの女はそう言って、俺に石ころを渡す。
俺と女は、さっき言ったデカイ池の畔に並んで座っていて、俺は渡された石を池に投げる。
「今、あなたが居るのは、パイプの空洞の部分、ということになります」
俺の投げた石は、池の中に、波紋も立てずに吸い込まれた。
音もしない。
俺はその女が裸足なのに気付いた。
俺も裸足だ。
「裸足なんすね」
俺は言ってみた。女は、ええ、とだけ答えた。
「靴、履かないんすか?」
女は、俺の顔を見る。
「あなただって、履いてません」
「俺は、たまたま今は履いてないだけっすよ」
「そうなのですか?」
「そうなんすよ」
女が、そっと笑う。それからまた、俺に石ころを渡す。
俺は、それをさっきと同じように池に投げる。
「なぜ、あなたは、石を池に投げるのですか?」
「こうやって、池の畔に座って、手に石ころを持っていたら……」
そう言いながら、俺は自分で石ころを探す。
でも、一つも見当たらない。
女が、また、石ころを渡してくれる。
俺は、それを池に投げる。
「こうやって、池に投げ入れるのが、正しい世界の在り方ってもんすよ」
「そうなのですか?」
「そうなんすよ」
俺はさっき開けて入ってきたドア【出口】の前に戻る。
なんだかすごく気分が悪い。
悪いというか、まあ、ヤな感じ。
黄昏時に目を覚ました、あの感じ。
ルールブックを広げてみる。
【運良く青いワンピースの女に会ったら、彼女をミカと呼ぶこと】
再び池の畔。
「その服、似合ってますよ、ミカさん」
女は、俺に石ころを手渡しながら頷く。
「あなたの素敵なあの靴は黒い猫よ」
Entry26
ラスト・ステージ
カピバラ
男が控え室のドアを開けた時、主役にして唯一の出演者である俳優は、既に支度を終えていた。舞台衣装を着込んだ体の上に、特殊メイクを施した頭が乗っている。俳優は男に気付くと、にこやかに声をかけた。
「やあ、脚本家くんじゃないか」
「その呼び方はやめろ」
確かにシナリオを書いたのは男だったが、彼は監督と演出も兼ねていた。自分は脚本を書くだけの腰抜け連中とは違う、という誇りが男にはあった。
俳優は肩をすくめると、男に尋ねた。
「客の入りはどうだい?」
「まあまあだな。わかっているだろうが、本当の観客はテレビカメラの向こうなんだからな」
男の姿には疲れが滲んでいた。よれた上着に無精髭。充血した目の下には黒いクマがはりついている。キリリとした軍服姿の俳優とは正反対だ。この数日ろくに寝てないに違いない、と俳優は思った。
「――わかってるさ。奴はもう行ったのか」
「ああ、国境は越えた。関係筋にも連絡済みだ。あれだけ人を殺しておいて地位を失うだけなんて、幸運な奴だ」
「俺がしくじれば、全て失うかもしれないぜ」
「バカな!」
顔色を変えた男を見て、俳優はククッと笑った。
「心配するな、俺はプロだ。それに、この舞台の成功は俺の名誉だからな。何千万の観客が俺の演技に釘付けだ。おまけに、これから何年も繰り返し放映されるんだ。役者冥利に尽きるってもんさ」
「わかっているだろうが、お前の存在は50年経っても表には出ないぞ」
「わかってるって」
「本当にいいのか、それで」
呟くような男の問いに、俳優はゆっくりと答えた。
「こんな世の中で、一生に一度でも大きな仕事ができるなんてラッキーじゃないか。何もしないうちに死んでいく人間の方が多いんだ」
(奴なら、死ぬだけで英雄になれるはずだった――)
それが叶わぬ故に書いたシナリオの重さが、男の肩を沈ませる。俳優がその肩をポンと叩いた。
「俺の事は、アンタが覚えていてくれりゃいいさ。こんな下らない戦争はさっさと終わらせて、アンタは長生きしてくれよ。おっとそれから」
鏡に目をやり、俳優はベレー帽の向きを整えた。
「スナイパーの兄さんに、一発で終らせるよう伝えておいてくれ」
「……ああ、そうする。約束しよう」
「大統領、お時間です」
観客の一人である将校の声に、俳優は完璧な演技で「今行く」と答えた。演説の原稿を手にした俳優の目が、「グッドラック」と告げていた。男は無言の敬礼を返した。
最後の舞台が、始まった。
Entry27
ゴーゴーパンチ
るるるぶ☆どっぐちゃん
ふざけやがって。
俺は叫んだ。
空に黒雲は禍々しく渦巻き、そしてその中心に、もっと禍々しく、ふざけやがっているものが見える。
出来が悪い癖に圧倒的に巨大な皿を二つ重ねたような飛行物体。
UFOだ。
UFOは怪光線を連発し、地上を焦土へと変えていく。
畜生め。
「明日は俺のタイトルマッチだぞ!」
怪光線を弾き返し、叫ぶ。
「金を積んで、待って、それでやっと、って時に! ふざけやがって、ぶっ殺してやる!」
(地球人、威勢が良いね)
頭に声が響いた。
身体を包む異質な空気。
俺はいつの間にか、UFOの中にいた。
(では始めるよ)
ゴングの音と共に第一ラウンドが始まった。
相手は典型的なデザインのエイリアンだった。俺は力一杯ぶん殴る。
(なんと)
相手は倒れ、立ち上がらない。
「次だ」
ゴングが鳴る。現れるエイリアン。殴る。迸る体液。ゴング。またエイリアン。殴る。殴る。
ふざけやがって。やれば負けはしないんだ。やっと明日タイトルマッチなのに。俺を馬鹿にした奴らを、俺を受け入れなかった世界を全て見返してやる筈だったのに。畜生、ぶっ殺してやる。畜生。畜生。
(強いな)
最後のエイリアンは倒れ、呟いた。
(本当に強い)
「そうかい」
(だが、これで良かったのかい?)
爆発していくUFO。地上へと戻される俺。
(これで本当に良かったのかい?)
そして。
ゴングが鳴った。長かったな。倒れながら俺はそう思った。
「くだらねえ試合だったぜ!」
「クズめ!」
罵声に包まれ、俺はリングを降りる。
空き缶が飛んできた。だがそれを払うことも出来無い。なにしろ腕がぴくりとも上がらないのだ。
昨日のあの連戦のせいだ。
突然消えたUFOを人々は無かったことにした。試合は普通に始まった。俺は試合の間、打たれ続けた。チャンピオンはげらげら笑いながら俺を殴った。
(あいつらはこんなものでは無かった)
俺は殴られながらそう思った。
「あなた、頑張ったわ」
妻が側にいた。
「良くやったわよ」
「少し黙っていてくれないか」
「また一から、ね」
「黙っててくれ」
俺は叫んだ。
自分の声がうるさかった。耳を塞ごうとした。手は今になってやっと動いた。
手は半端にずれ、妻の頬に当たり、そしてだらりと垂れ下がった。
「あなた」
妻は涙に濡れ、血走った瞳で俺を見た。
「悪かった」
(それで良かったのかい?)
あの言葉が頭の何処かで響き、俺はそれを随分懐かしく感じた。
Entry28
仲間へ
繭
記憶を辿った。
記憶の中で、こんな結末になる事を彼は知らないんだ。
これが彼の運命?
ある平和な三月。春休み真っ盛り。
それぞれが一生懸命に、がむしゃらに、若気の至りで、笑ったり、悩んだり、青春と言う言葉に匹敵する時間を生きているに違いなかった。
わたしたちは十九歳。
その何とも言えない中途半端な時代。大人と子供の交差点。個人差はもちろんあるはずの交差点。
地元の同級生とは、仲の良かった友達としか連絡は取っていなかった。来年の一月、みんなが二十歳になって、成人式に地元の同級生として再会する。
はずだった。そのはずのわたしたちにある夜、激震が走った。
同級生の死。
みんながそれぞれ小中学校の思い出を胸に、大人の階段を登っていたはずなのに。
十九歳の春。世界中の十九歳のほんの一部であるわたしたちに、初めての同級生の死の報が届いた。
地元の友達と連絡を取り、漠然と事を受け入れ、漠然とお通夜の準備を話し合った。
お通夜当日。
久しぶりに会う友達と待ち合わせをした。地元の駅前には、見覚えのある懐かしい顔ぶれがいた。
「久しぶり。」
「今、何してるの?」
「え!あそこの大学行ってるの?」
黒い服に身を包んで、口々にお互いの現在を探り合っていた。
同級生のお通夜のはずが、同窓会の様になっていた。
本当にたくさんの同級生が来ていた。ほとんどと言っていいように思った。その理由の一つが、ここは東京。地方に行った人は少なく、実家住まいであることがこの人数を生んだ。
お通夜が始まり、お経が響いた。
わたしは彼の写真を見つめ、まだ実感できていなかった。
お経が止んで、お坊さんがマイクを手に話を始めた。
「せっかく今日は、彼の為に若い方々が集まっています。彼をきっかけにこんなにも集まると言う、仲間の大切さを感じて下さい。そして、何より命の大切さを今一度、考え直していただきたい。」
淡々と、しかし優しい、その言葉に何かが切れた。わたしに急に襲った、現実の意味や彼の死、命について。涙が一気に流れ、止まらなくなった。
今、わたしがここにいる事、そして何より、彼はここにいない事に気付いた。
同級生の死がわたしたちに、命の意味や仲間の意味を教えてくれた。
彼のお通夜で、一生懸命生きている仲間を見れた。それぞれ違う道を進んでいるけれど、忘れないで、同じ時代、同じ時間、同じ場所で笑ったことのある仲間だと言うことを。
Entry29
エレベーター
林徳鎬
挫折したその壮大な計画は、ある時点ではたしかな魅力を持っていた。
資料の14ページからエレベーターの項までをかいつまんで話そう。
最初は研究室から始まった。
実験はなにもない真っ白な部屋で行われた。
こっちの壁からあっちの壁までの距離がわからなくなるような。
それは照明のせいだと思うが、ちょっと普通にはないかんじだ。でもちゃんと四隅がある。いいかな?
まず弦の切れたギターを置いた。白い部屋の真ん中に。
美しかった。
仮説どおりだ。
研究者たちは大喜びだった。
これで他のものを置いても成功する可能性がでてきた。
続けて臓物、乾いた馬糞の順に置かれた。
やはり美しかった。
なにもない真っ白な部屋ではすべて美しく見えた。
人体実験に進んだ。
今度はずっと慎重に行われた。
まずは赤ん坊。次に成人病の中年男性。
数ヶ月が費やされ、研究は最終段階に入った。
最後の被験者は酔っ払いだ。
酒壜を持たせるか持たせないかで意見が割れたが、結局持たせることにした。
壜を持ってこそ酔っ払いとして認知されるって理由だったんだが、このころには研究者たちも相当に自信をもっていたんだろう。
そしてその通り、きれいだった。美しかった。
研究者たちは報告書をまとめ、どこかに報告した。
命令が下り、海沿いの大きなホテルで計画が実行されることになった。
音とドラッグにまみれたロックスターは急いでいた。早く部屋に戻りたかったんだ。
エレベーターの扉が開くと、中は真っ白だった。なにもない。階数表示も。
でも疲れていた。記録にあるとおり、彼はほんとうに疲れていた。だからなにも言わずにエレベーターが彼を運んでくれると信じた。
エレベーターは降りていった。最上階のスウィートルームからどんどん遠ざかる。
エレベーターは下りの途中で一度開き、一人の女性を乗せた。
エレベーターは降りていった。
その狭い真っ白な箱の中で実験結果を支持する事実が確認された。
降りて行くってときに、天にも昇る気持ち、記録にはそう書いてある。
思想や方法論の優劣は、それを唱えた者に対する歴史上の評価と無関係ではない。たいていは勝者の弁が遡って素晴らしいことになる。
この計画が詭弁的にその対象を広げていき、最後に敗北したのが必然であっても、拡大の途中にたしかに存在した美しさを忘れてしまうのは、あまりにも惜しい。
それはただの美しさだったのだから。
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