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Entry1
フランスの海
マーマレード=ジャム
文字数847
小石の数は、私にとって数えられない程のはねかえりになっていた。私の知識では数え切れない。
今日も見ていた情報交換のとある中にある浮かんでいる美しく光るテグスがある。
私は明日一体何になるんだろう。機能の中ではアクセサリーになるが、夢の中では
不思議に逃亡者、あなたは今何を望んでるか?
朝。
「どうして、私が麒麟なのよ、せめて朝を照らす朝日になりたいが、どうして私が、麒麟なのよ」
ルルはため息を思い出し、何とかイルカに変われた。恐いー!
イルカは何も考えず、ただ光の動く下へ上がり、沈み、泳いでいく。ご褒美の食べ物を頂き今日も又、美しい水面との奏でている源を求め考えず、泳ぐために専念していた私の嗅覚は花びらを見ていた。
「どうして?」
花びらは答える。「私には香りがあるの?どうして私を見ているの」
イルカは答える。「あなたがなびく姿が美しいので、見ただけだ」
次目覚めると、熱帯林。アマゾンのような密林だが、姿がない。
「あーーあ、あー」ターザンが笑っていた。苦しくないのか
「私の息はどこにあるのよー」ビーズ。ルルはビーズだった。
「みよちゃん、早く来なさい、おばあちゃんがいらしたわよ」と水面に映るハープの音色のように張りのある声でママンが呼んでいる。
「お待ちになられて、白うさぎさん懐中時計は井戸の中よ」と戯言に
「ビーズの早とちり。あなたは今日までに出来ないとダメなのに私は明日に出来るのよ、せっかくおばあちゃんにプレゼントだったのに、間に合わないじゃないの、どうする気?あっ」
もう1度やり直し、又ビーズの色をまちがえ、いつになれば終わることだろう。
「これなら、デザインなんかいらないじゃないの」とインターネットの通信販売を利用して買った、ビーズアレンジ30点集を眺めるだけのみよちゃん。立場が購買者だけの傍観者、厳しい世界ですね、テグスとビーズとみよちゃん。みよちゃんは
階段を下って歩いていった、手にはもぎりたての紅茶の葉っぱを持っている。
「グランドマザー、こんにちは」私はアリスか。
Entry2
緋鯉
青野 岬
文字数1000
「川辺さん?川辺理沙子さんじゃない?私よ、佐々木明美」
結婚式場に隣接した庭園をのんびり散歩していたら、背後からいきなり声をかけられた。振り返るとそこには、真っ赤なスーツを着た小太りな女が立っていた。
「明美さん……」
佐々木明美は、短大時代の同級生だ。派手で気が強く、自分の頭に思い浮かんだことを何の検閲も通さずにそのまま垂れ流す。明美は、私にとってかなり苦手な存在だった。
「久しぶりねぇ!ちょっと庭園でも散歩しながら話さない?」
私はとっさに断わる理由を見つけられずに、曖昧に頷いた。
「誰かの結婚式の帰り?」
「ええ、勤務先の後輩の」
「あら理沙子さん、結婚して仕事辞めたんじゃなかったの?」
明美が、好奇心剥き出しの表情で覗き込んで来た。『結婚しました』のポストカードを明美にも出していたことが、今さらながら悔やまれる。
「……離婚したの。だから名字も旧姓の吉田に戻って、今は吉田理沙子よ」
結婚していた相手はテニスサークルのコーチで、明美もよく知っている人だった。あれこれ詮索されるのも面倒なので、私は事実を簡潔に説明した。
「ふーん、せっかく憧れのコーチをゲットしたのにねぇ……。ま、人生はそうそう上手くは行かないってことね」
棘のある言い回しに私への嘲笑が含まれているのを感じて、思わず唇を噛んだ。
私達はいつの間にか、大きな池の前に来ていた。高そうな巨岩に囲まれた水の中には、色とりどりの錦鯉がひしめきあっている。
その中のひときわ大きな緋鯉に、私の目は釘付けになった。でっぷりと贅肉のついた醜い体を揺らしながら、ひとり延々と話し続ける明美の姿と重なる。
「今だから言っちゃうけど、実は私も好きだったのよ……元御主人のこと」
私は持っていた紙袋から引き出物のクッキー取り出すと、中身を軽く砕いて水面に向かって投げた。するとおびただしい数の錦鯉達がいっせいに集まって来て、欠片をどん欲に食べ尽くした。あの緋鯉も、大きな口を閉じたり開いたりしながら醜悪な姿を水面にさらけ出している。
「実はコーチとは、あなたと同時進行で付き合ってたことがあるんだ……でも離婚したんなら、また付き合っちゃおうかな。私達、体の相性は最高だったのよねぇ」
次の瞬間、私は明美の背中を思いきり押していた。大きな悲鳴と水しぶきが上がり、さらにクッキーを砕いて投げ付ける。
明美の真っ赤なスーツと唇が、濁った水の中で醜く蠢いていた。
Entry3
未来
越冬こあら
http://www.geocities.co.jp/Bookend/4129
サイト名■連絡先
文字数1000
ついに未来がやって来た。
夕食後、塾に行った息子とテレビドラマに熱中する妻と三人で一家団らんをしていたら、ブザーを鳴らしてやって来た。
「お久しぶりです。憶えておいでですか。二十五年程前、御実家でお会いしましたよ。ご両親は、御健在ですか。そりゃあ良かった。あっそうそう、おみやげ、おみやげ」と言って、古ぼけた背広を着た未来は、勝手に上がりこんで、持ってきたバックを床において中身を探り始めた。
父が社交的だったせいで、実家にはよく客が来た。勤め先の同僚や部下をはじめ、学生時代の友人や、祖父が面倒を見ていたという小父さんが子供を連れてやって来たりした。そんな時、私と弟は、応接間に近寄らず、静かにしていなければならなかったが、お客さんが持って来た菓子や、振舞われた寿司や美味しい料理の一部が、最終的には御相伴できたので、少しワクワクもしていた。
多くの場合、客人との話しが一段落ついたところで、父は私と弟を呼んだ。私達は、緊張しながらも如才無く「こんばんわ」と挨拶をしなければならなかった。
「こちらは未来だよ」ある晩、父は客人をそう紹介した。冒険科学小説から抜け出してきたような派手なコスチュームに身を包んだ未来は涼しい目をした青年だった。私は未来を見つめ、その輝きに魅了されていた。弟はと見ると、未来の腰のホルスターに収まった黄色い光線銃を見つめていた。
「レーザービーム銃が気に入ったようだね」未来が白い歯を見せて弟に言った。
「とっておきたまえ。お兄さんの分は今度持ってくるから、今晩のところは、我慢してくれたまえ」未来のスカーフが揺れた。
「すまんねえ。気を使わせちゃって」父は恐縮してみせて、弟は「ありがとう」を言わされた。私は、言われた通りに我慢した。
「そうそうこれこれ。はい、どうぞ」未来は懐かしい光線銃を差し出した。何度も弟と取り合って喧嘩したあの銃を。
「時代がまだ追いついていないから、レーザーは出ないんだ。新世紀を迎える頃にはきっと……」当時の未来の言葉を思い出した私は、バカ騒ぎを続けるテレビに狙いを定めて、引鉄を引いた。テレビドラマは続いていた。
「口でね、ビビーっとかいうと、感じが出ますよ。大きな声で」未来が弱々しく微笑みながら言った。
私は、素早く銃口を未来に向け「ビビビビー」と大声で叫んだ。眩い光とともに未来が消えた。
「テレビが聞こえないじゃない」久しぶりに妻の声を聞いた。
Entry4
遺言、Gaff
詠理
文字数1012
山口がやれと言ったので私はした。というのは実のところただの切欠にすぎない。想像させることが目的らしいから、私は試しに記述する。
例えばその瞬間の私を捕まえたなら次のように言っただろう。現象的には「あらゆる集線は今完全に連続性と一致した」と。形而上的には「必然という普遍性のためであり、究極的絶対が在る」と。極めて常識的には「一つの生命の回帰する瞬間は呆気という秀麗さだ」と。
更にそれは次の理由のもとに行われたと表現できるだろう。瞳孔からは「瞼の裏の淡い空間にびちびちと跳ねてきたのだ」と。皮膚からは「細胞の全ての集合が感触の一端を感じていた」と。つまるところ脳からは「指先を辿ったときから全ては驚喜の繋がりだった」と。
詳細を追求するならば計画性も述べるべきだと思うが、事実が全てを覆うので割愛する。つまり次のような過程が発生した。
佐々木が完璧な素材だということはすぐに分かった。正確に言うと山口に指摘されるまで、彼は私にとってShang-haiの意味ほど興味をそそるものではなかった。しかし指先を辿り佐々木の全身を舐めると、私の心的な子宮からある画が甲高い声をあげて湧き上がってきたのだ。直後、私は佐々木を自宅へ誘い、6時間20分の間共に過ごした。その内3時間10分をかけて彼のテニスボールと同等の弾力である部位を観賞し、これから起こるはずのことを確認した。
下層でも上層でもない機関から想起された画が得られるなら、この行動は相当なものであり、またAを定めさえすれば例外なくBを得られるところのものだった。要するに私の愛用しているCROSSの銀光りするボールペンは、無意識を泳ぐ佐々木の咽喉を刺し貫いた。狙いは計算通りとはいかなかった。
実際、重ねた厚紙を貫通したような震動と音は予想外で、余分な冷や汗をかいた。思わず静止したが、ペンを通して血液の圧力を感知したので引き抜くと、思った通りの飛沫が上がった。それはヴェルサイユ宮の誇る緻密な噴水よりも清廉さの面では確実に勝っていた。
最後に期待されるまま佐々木殺害に関する有益性について記す。ただ前提として、一般に言われる想像性からだいぶん落ち窪んだところに到達することを受容してもらいたい。信じがたいことだが、脳が全身を指令しても焼き付いた画は私の根本である部分を昇華していくのだ。あらゆる欺瞞の盛夏における無窮の流れやまぬ記憶。すなわち、瞬く永続性。
追記:彼の最後の言葉は「Gaff」だったと思う。
Entry5
手を洗う。
第1素描室
http://member.nifty.ne.jp/zakkadan
サイト名■雑貨団ギャラリー
文字数1000
大学の水道代というのは、一月にいくらくらいかかるものだろうか。蛇口をひねりながら、ふとそんなことを考える。
美術大学というからにはもちろん毎日絵を描きまくるわけだが、僕の作業は他人よりも効率が悪い。それというのも別に潔癖性というわけではないけれど、僕は人よりもよく手を洗うようで、その時間が無駄なのだ。
絵の具が手につくととても気になる。乾く前になんとかしてしまいたくなる。そう思って気がつくと僕は流し場にいるのだ。絵の具だけではない、胡粉を扱った後、あるいは膠を熱した後、「汚れた」という意識が心に生まれると手を洗ってしまう。汚れる作業が続くとわかっていても、次まで待てずに合間に手を洗う。今のところ何の自覚もなく済んでいるが、手の角質なんかは落ちまくって、手あれがひどく進行しているのかも知れない。でも女の子じゃないし。
「戦場で手を洗う人みたい」
綾乃はよくそう言って笑う。人を殺してついた血を洗う人と同じだと言うのだ。その兵士たちは罪の意識で幻を見ていて、洗っても洗っても、手についた血が落ちないのだそうだ。僕は何かに罪を感じているのだろうか。消えない幻を拭っているのだろうか。
パネルにのせた色に乾き待ちの時間ができて、やはり僕は廊下の水場に出た。春はもうすぐだが水はまだ冷たかった。手をジーンズで拭ってから蛇口の口を上に向ける。
「その水道、飲めないわよ」
唇が水に触れる瞬間を声に遮られ、顔を上げる。螢光灯の逆光で相手の顔はよく見えないが、綾乃とわかった。
「なんで」
「井戸水だもの。作業用は飲用水じゃないって言われたでしょ」
じゃあなんで蛇口が上に向けられるんだろう。教室に戻ろうと、僕は蛇口を閉めた。しかしどういうわけか綾乃は教室の扉を閉めた。洩れ出ていた螢光灯の光は失われた。
「潔癖性なのね?」
「違うよ、部屋とかすっげー汚いし」
「そう?試してみようかな」
「なにが」
答えるより早く、綾乃は僕に近付くと、一つ、深く、キスをした。暗闇に研がれた感覚は鋭く尖っていて、寒さの中にある綾乃の体温だけがやけに暖かく、優しいもののように伝わった。
長い時間のように思った。綾乃は唇を離すと、意地悪く笑った。
「なにが」
僕はもう一度聞いた。
「うがいとか、したくなったり」
「しないよ、わけわかんない」
教室に入った。汚れたなんて自覚もない。これじゃ何を試されたのかわからない。
Entry6
僕と彼女
立花聡
文字数1000
悲しい嘘は僕の心を傷つけた。それは氷柱を差し込まれたような鋭利な痛さで、初めは全く気付かなかった。時間が立つとチクチクと疼きだした。
彼女の嘘は僕には少し鋭すぎた。嫌いになるには鋭すぎた。
彼とHしたの。
彼女は顔色一つ変えずに言い放つ。僕は真に受けて、裏切りと感じる心は僕に拳を握らせた。
彼女と別れたのはそれからすぐだった。僕は彼女を力一杯殴りつけて、彼女の整った顔だちにアザをつくった。顔色一つ変えない彼女にいらだちは更に増した。次の日、平然と登校してくる彼女にまた腹が立った。二日後、僕から別れを切り出した。それから二日後、彼女は学校を辞めた。もっとも知ったのは更に一ヶ月も先だったけれど。
三年して、僕は大学を卒業した。それでも彼女のアザのあった顔だちを忘れる事が出来なかった。むしろ付き合っていた頃よりも、彼女のことを長く考えているのかもしれない。僕は毎日のように思い出した。それはコンビニの弁当を食べ終わったときだったり、同僚と飲んでいるときだったり、電車の窓に映る朧げな自分の姿を眺めているときだったりした。
ある日、大学の友人から彼女を見かけたと聞いた。コンビニで出てくる所を見かけたのだと。僕の弱い心は精いっぱいの虚勢を張った。探すものかと心に固く鍵をかけた。
五年後、僕には今家庭がある。結婚して、一才になる娘もいる。仕事も順調だし何の問題もない。幸せだ。ただ、今でも彼女の影を見かける。信号待ちの僕の後ろには彼女の気配を感じて振り向いてしまう。もちろんそこには見知らぬ誰かがいるだけなのだけど。
僕が彼女の嘘に気が付いたのはそんなある日だった。ニュースで彼女の名前を見つけた。二十七歳の女性が餓死。その隣には小さな娘が瀕死の状態で倒れていたとテレビは伝えていた。僕にはまるで現実感がなくて、その日もいつものように出勤した。不思議と悲しくはなかった。
一週間後、僕の実家から手紙が転送されてきた。差出し人は彼女。あなたの子供を内緒で産んだとあった。自分はもう駄目だから、あなたが娘を守って欲しいと書いてあった。最後に、
私はあなた以外誰とも寝てないわ。
あなたは私の希望だった。
と添えてあった。こぼれた涙が凛としたきれいな文字を滲ませた。涙の理由は僕には分からない。
僕はこれからも幸せに暮らしていくだろう。もうすぐ娘が一人が増える予定だ。
彼女の娘を引き取るつもりは、ない。
Entry7
レインコート
犬宮シキ
http://dog.k-server.org/
サイト名■アッシュオブレミングス
文字数1000
降り込める雨は百年の孤独だ。
僕はなんと、言えばいい。
目の前の友人の濡れた髪から落ちた滴は目の前のグラスに波紋を創った。グラスの中の水と滴はもう人の目には一塊りだ、けれど酸素と水素までばらばらになるわけではないから、何時か離れていく。混ざらない。
梅雨入り宣言から一週間、雨は止まない。
「帰るよ」
彼がぽつり、と言った。家に帰るという訳ではない。彼は家を持たない、旅人だからだ。そして生来の雨男でもある。十年雨の降らない砂漠ですら、13ミリ降った事を自慢していた。太陽は飛行機に乗ったときに見るものだと言い張る、そんな男。
恋人をほったらかして旅に出て、葬儀の日まで戻ってこなかった。そんな男。もちろんその日も雨だった。じとじとと厭な雨だった。今日の雨も、そんなかんじ。彼が首に適当に引っかけたタオルが、灰色に濡れていた。
「旅に、帰るよ」
そうして再び繰り返す。誕生日だろうと言って彼が持ってきた紫陽花の紫が、グラスに生けられてユラリユラリと揺れていた。
「おまえは晴れ男なのに、梅雨生まれなんだな」
少し笑って、彼は言う。
「晴れ男って、君と一緒にいて晴れた事ないよ。じゃあ君は梅雨生まれなの」
「でも本降りじゃないよ」
後半の質問には答えず、そう言って窓の外に視線を移した。僕もつられて外を見る、濡れた窓ガラスは随分粗悪に見えた。紫陽花に目を落とす。枝の端がささくれて、どこかの庭先から黙って折ってきた風だった。
「まあ、僕は11月生まれなんだけどね」
「雨、ふらなさそうだね」
「季節はずれの台風が来たらしいよ」
さすがだ、まさに雨男中の雨男。ナチュラルボーン雨男。
「大変だね」
「なかなかね」
ふと、君は笑った。雨音が遠くの方で聞こえる。この雨は止むまい。彼を包んで去って行くまで。
僕は雨の風景を思い浮かべた、湿気を吸って変な色になったアパートのドアを、黒々と足跡の浮かび上がるコンクリートの床を、手すりの錆付いた鉄とはがれかけた塗料の隙間に滑り込む水滴を、深く一様に沈み込むアスファルトの道や悲しく灯る街灯を、水の増えた泥色の川を思い浮かべた、君はその何もかもが関係ないところに帰っていく。そうして君の連れていく雨は、世界中どこでも同じ色に染めてしまうんだろう。
君に、レインコートを買ったよ。雨男なのに、傘を持たない主義なんだろ。
そんな一言がどうしても口に出せない。どうやって言えばいいのかもわかんない。
Entry8
三回忌
満峰貴久
文字数1000
夜中、気配を感じてドアを開けると、三年前死んだ友人の加藤が立っていた。
「驚かしてすまない。どうしても聞きたいことがあるんだ」
驚きはしなかった。昔から霊を見慣れている自分にとって、その出現はむしろ遅すぎると思っていたほどだった。
天涯孤独の彼が交通事故で亡くなったのは三年前、仕事で一人大阪から帰る途中の出来事だった。
雨の夜、スピードの出し過ぎによるスリップ。
「どうやら地縛霊っていうやつになっていたらしい、ついさっきそれが解けたばかりなんだ」
「由美の居場所を教えてくれないか?成仏する前に一目でも見ておきたいんだ。前住んでいた所にはもういない。心当たりをいろいろ探してみたんだけど、お前なら知っているかも知れないと思って」
加藤は同じ施設で知り合った女性と結婚することになっていた。明るくて気の利く、相手になにをすれば喜ぶかを心得た申し分のない女性だった。
二人は交際を始めてから、何度か俺の所に遊びに来ていた。
身寄りのない物同士ということもあってか、気心も合い、何よりも彼女のほうは、この先頼れる人が傍に居てくれるという事が嬉しくてしょうがないと言う様子だった。
「もう、俺の事なんか忘れているのか、結婚して幸せを感じていれば思念が届かないからな。それなら仕方ないけど、俺としてはもう一度、顔だけでも見ておきたいんだ。あの世に行っても忘れないようにな」
俺は何も答えず、しっかり付いてこいよと言ってバイクに乗った。
着いた所は共同墓地の無縁仏が祀られている所だった。
加藤は、新しい花が供えられた墓碑の前で泣いた。
「何故事故なんか起こした」
「どうして一人で勝手に死んじまったんだ」
「彼女がどんな思いをしたか解ってんのか」
俺は次に出て来そうになった言葉を飲み込んだ。
「まさか、自殺したのか?」
加藤は俯いたまま訊いた。
「いや、病気でだ」
「お前が死んで一年もしないうちにな」
「そうか、辛い思いをさせてしまったな」
「本当に悪いことをしてしまった」
「由美、ごめんな、寂しかったか。俺も、もうすぐお前のところに行くからな、待っていてくれるよな」
「向こうにいったら由美に会えるかな?」
俺はゆっくり頷いた。
「後ろを見てごらん」
加藤が振り向いた先には、昔のままの笑顔で立つ由美の姿があった。
二人はゆっくりと、俺に充分姿を覚えておいてもらいたいかのように天に昇って行った。
俺は二人の姿が消えても暫く天を仰いでいた。
Entry9
時の流れ
浅田壱奈
文字数1000
「今回は随分早かったね。何をやらかしたんだい?」
骨董屋のおやじは、柔らかい布を手にとって、そう言った。
「別に、どうってことないさ。時間を何回合わされても、ずらしてやった。いつも通りのことさ。」
買い取られる前には、ついていなかったキズを和らげようと、おやじが懐中時計を拭う。
「いてて。もっと優しくしてくれよ。」
時計は、また無事ここに帰って来れたことを喜んだ。
「まったく。君はいつになったら主人を選んでくれるのかね。」
と、呆れた拍子で言ったおやじ自身、この時計の主人が決まっていることは知っていた。
「私の主人は一人だ。何回言わせたら気が済むんだ。」
時計の言っている主人とは、時計が生れて初めて、時間を知らせることになった人のことだ。わけあって、主人の経済状態が悪くなり、時計を手放すこととなった。「必ず迎えに来る」という言葉を残して。
以来、時計はこの骨董屋に居座っている。
時計は非常にモテた。モテたけど、誰のものにもならなかった。時計が時間を知らせたかったのは、あの主人……一人だけだ。
「いい加減、私を非売品にしてはくれないか?買い取られる度に、怒鳴られたり投げつけられたりして大変なんだ。」
新たについたキズは消えなかった。しかし時計はお構い無しだ。こんなキズをつけられたんだ、と、いつか主人に愚痴ってやるつもりでいる。
「それは君が悪いんだろう。」
おやじは時計をショウケースの中に戻した。
「この中も飽きたな。」
うんざりした様子で、時計は自分の特等席に落ち着いた。
「だったら、次に君を気に入った人を主人にすればいい。」
「だから何度も言わせないでくれ。」
おやじは、ふて腐れた時計をしばしの間眺めていた。
「君を見てるとつらいんだよ。」
時計に聞こえないように、ぽつりと言った。
時計がこの骨董屋に来てから、どのくらい経ってしまっているのだろう。おやじが産まれる前から、この時計はここにいると聞いている。
人間の寿命は知れている。時計も、そのことは判っているはずだ。
なのに……。
おやじは店の奥に行き、葉巻に火をつけた。
「時の流れを告げるものが、時の流れを見失っていては……。」
煙がもくもくと立ち昇り、そして消えていく。消えない煙は一つもなかった。
「今度返品されたら、ネジを外してやらないと。」
煙が昇り、消えていく。おやじはそれを目で追った。
「今度こそ。」
Entry11
『トマト&オニオン・サラダ 胡麻風味』
橘内 潤
文字数1000
「ごはん作りにきたよぉ」
「は?」
ぼくはかなりの間の抜けた顔をしていたと思う。
「先生、家庭の味が恋しいっていったでしょ。だから、作りにきたの」
「いや、それは上月先生にいったのであって……って、どうやって住所を?」
「名簿に載ってた」
ああ、そうか――と納得している間に、買物袋を抱えた奈美はするりと入りこむ。
「おじゃましまぁす……へぇ、案外きれいにしてるんですねぇ。キッチンは……うわっ!」
大げさな声に振り返れば、カップ麺と缶詰と汚れた食器が山と積まれた流し台。
「独り暮らしなんて、そんなもんだ」
「それにしたって……梅雨時にこんなにしてたら、カビ生えてきちゃうよ。しょうがないなぁ」
セミロングの髪を結い上げると、探しだした洗剤とスポンジで汚れ物連合軍に勝負を挑みかかった。
「片付けてくれるんなら……」
まあいいか――と、あっさり妥協。
「なんか手伝おうか?」
「ううん、座ってて。先生が来たって邪魔なだけだもん」
……いや、そうだけど。
おとなしく従って、リビングに腰をおろす。
「あたし、けっこう料理上手いんだよ。ほら、家って母子家庭でしょ。だから、あたしが料理洗濯で、母さんが掃除ゴミ出しって分担してるのよ。こう見えて、家庭的なんだから」
口と一緒に手をてきぱきと、見る間に流し台を解放していく。
「ええと、塩と胡椒と……お酢に醤油に……うん、調味料はあるんじゃない」
眠っていた新品同様の調味料たちを召集すると、取りだした材料を洗いはじめる。トントン、ザクザク、小気味よい音が刻まれる。
「はぁい、とりあえずサラダから食べてて」
ほどなく運ばれてきた食器には千切られたレタスが盛られ、櫛切りのトマトと酢にさらした玉葱スライスが彩りを添えている。レタスの翠とトマトの赤、玉葱の白。胡麻だれの香色が色合いを引き締める。
「胡麻だれは買ったんじゃなくって、あたしが家で作ってきたんだよ」
すり鉢でこうやって――と、擂粉木をする仕草をしてみせる。
「……すごいね」
「そう、すごい大変なんだから。か弱い女性のする仕事じゃないわね、あれは」
サラダ眺めて感心するしかできないぼくに、奈美は笑って答える。
ふいと笑みを収めて、
「だから……」
一瞬の間。
「だから、これからは……父さんの仕事だよ」
視線を上げたとき、奈美はぱたぱたとキッチンに戻っていくところだった。
ぼくと上月先生とその一人娘との生活が、ようやく始まる。
Entry12
蕎麦屋のくちなし
棗樹
文字数1000
蕎麦屋を一歩出るなり、くたくたと腐ったような極甘の香りに包まれて、すわ、テロか、とひるんだ俺だが、先刻、従妹と分け合って飲んだビールの酔いも手伝って、俺の人生ここで終わってなんぼのもんじゃ、ままよ、ままよと、むせびそうになるほど吸いこんで――実際、むせた。
勘定をすませ、遅れて店を出てきた従妹は、食べたばかりの天麩羅蕎麦をもどしそうな勢いで咳きこむ俺を見るや、「なにやってんのよ」とあきれかえって、背中をどやしつけた。どっかんどっかん、人を土管のように叩いて、それで肺に入りかけた葱の欠片が収まるべき所に収まるのは、不思議のきわみ。血は繋がっていても、げにげに女は魔性。
照れ隠しに、何なんだ、この辺すげえ臭えぞと呟くと、従妹は、斑入りの葉にかしずかれしっとり光る小ぶりの花を指さし、また再びのあきれ顔で、「くちなしよ。そんなことも知らないの」と、物知らず呼ばわりだ。
口無したあ口惜しい(わ、面白い?)、口惜しいが、彼女は失業中の俺に、老舗の蕎麦屋の天麩羅蕎麦と板わさと卵焼きとビール(従妹は日本酒を飲まない。ものうい初夏の午下がり。藍をかぶせた切り子の盃に、きりりと冷えた純米辛口特別吟醸なーみなみ、って楽しみを知らないんだ。お気の毒様)を奢ってくれた。襁褓(むつき)をあてた頃から付き合いのある女にそこまでされちゃあ、ってんで、あげかけた拳をこっそり背中に引っこめると、
「……なにやってんのよ」
て、剣呑な目つき。いいねえ、おふくろを思い出す。て言うか、一族のおばはん、みなこういう目つきの性。
「いやあ、このごろ背中が痒くてね」
「お風呂入ってる?」
「ガスと電気は半年前、水道は二ヶ月前から止まっております」
従妹は無言ですいっと歩みを早め、十メートルばかし先を行く。むう、風上をとったか。
十メートル先から、従妹は問う。
「会社辞めたの、先月って、伯母さんにきいたけど」
(往来で、そんな話をすな!)
「うんうん、先月。一年前のな。あはは」
(答えるな、俺!)
「あ、はあは、あは……」
って、別に笑ってるわけじゃない。
あははじゃないでしょおおおがっ! と怒鳴りたいところ、大脳新皮質が暴走する交感神経を制御しきれずに、アドレナリンの供給過剰。体脂肪は阿修羅のごとく燃え上がり、活性酸素もばんばんはぜて、こりゃ、みのもんたも用無しだ。よかったなあ、お前。
ア◯ムのティッシュでもくれてやろうぞ。
Entry13
彼が死ぬ理由
松田めぐみ
文字数1000
安いラブホテルの一室。
「私にだって寂しくて眠れない夜があるよ。」
「嘘だあ、俺と一緒のときはガーガー鼾かいて、ガンガン寝てるじゃん。」
「でも、本当だもん。どうしてかわかんないけど、誰かと一緒だとよく眠れるんだ。」
そう、誰かと一緒だと深い眠りに付くことができる。子供の頃から独りで寝ていたはずなのにね。
「ひとりだと、よく怖い夢とか見て目が覚めるの。あのね、自分で自分を殺しちゃう夢とかが多いかなあ。」
「殺される夢よりいいんじゃないの?」
「そんなことないよ。現実にありそうだから怖いんだよ。いつだって、たとえば今だって、自分で自分を殺すことはできるもの。」
「じゃあさ、俺が殺してあげようか。そうしたら怖い夢も見ないでずーっと寝ていられるんだよ。好きな男に殺されるなんて本望だろう。」
「うん。いちおう服着てからにして。あ、それから私のウサギのことお願い。あのウサギ、あなたにだけは懐いているのよね。寂しくなったら迎えにくるから。」
そうして私は好きな男に殺された。首を締められて。
彼は、彼女の遺言の通りにウサギを引き取ってかわいがった。ウサギは初めこそ寂しがっていた様子だったが、じきに慣れて今日も元気に餌を食べていた。
そしてすぐに新しい女を作った。今度の女は、お互い「本気にならない」ということを条件に付き合っているから、気楽なものだ。なにせ女は家庭持ち。夫が単身赴任なのを良いことに浮気をしているわけだ。「寂しい」だの「眠れない」だの「今すぐ会いたい」だの……そんなことは言わない。
彼は家庭を持つ気などないのだし、この上なく都合の良い女だ。
しかし、彼は悩んでいた。ここのところどうも体調が悪い。食欲もなく、みるみる体重も落ちていった。なにより眠れないことがつらい。面倒だが一度病院で見てもらうことにしよう。
病院で精密検査を受けたものの、原因はわからなかった。
「おそらく疲労の為でしょう。軽い精神安定剤と、睡眠導入剤を10日分処方しておきます。それで様子を見てください。」
医者に適当にあしらわれてしまった。
10日後、薬の効き目はなく、彼はやせ衰えた体をベッドに横たえていた。
おかしい。何かがおかしい。意識が薄れてゆく。
それもそのはず、彼は気づいていなかった。寂しくなったら彼女が迎えにくるのは、ウサギではなく彼だということを。
「誰かと一緒だと良く眠れるの。」
彼女の声が遠くから聞こえた。
Entry14
見ている
日向さち
http://www9.ocn.ne.jp/~sachi-h/index.htm
サイト名■幸-さち-
文字数1000
「――うん、そんな感じ。あはは」
声が聞こえたと思ったら、まもなく、香ちゃんの階段を上がってくる姿が見えた。彼女は、左耳から頬の辺りに、二つ折りの電話を開いた形で押し付け、何やら話している。そして、廊下の突き当たりにいるキシューの、眼前にある戸を開けて部屋へ入っていった。戸を隔てても、声は充分に聞こえる。
「マジで? ありえなくない?」
キシューの勘が正しければ、今、香ちゃんが話している相手は、翔ちゃんじゃない。おそらく女の子だ。翔ちゃんが相手だと、もっとずっと変な、しかし、かわいい声で喋る。
キシューは、和歌山県で少女誘拐事件が起きた日に生まれたからキシューだ。大きさは人と同じくらいだが、人の目では見ることができない。父や母も、人の目では見ることができない。
キシューの鼻は、香ちゃんのより小さいけれど、人としては、彼女の鼻も随分と小さいようだ。翔ちゃんの姿も何度か見たことがあるが、香ちゃんより一回りも二回りも大きな鼻だった。
電話が終わったと思ったら、今度は翔ちゃんと電話をしているらしい。翔ちゃんの電話は、香ちゃんのものと似ているけれど、もっと地味で、金属の色をしている。
「今ね、家に着いたところ。みっこと話してたんだけど――。うん。だって、声聞きたくなっちゃって」
いきなり、戸が開いて香ちゃんが出てきた。頬はやや紅潮している。こういう時の香ちゃんは、ふらふらと何度も廊下を往復しながら話すのが癖だ。
「やだぁ」
嫌と言っていても、実はそうではないということが、顔一面に表れていた。嬉しいなら嬉しいと、はっきり言えば良いのだけれど、言えないところが彼女らしい。
「ありがと。なんで知ってるのぉ?」
どうやら、翔ちゃんに褒められているらしい。彼女は、階段を降りていったと思ったら、すぐに戻ってきて、今度は便所の戸を開けたり閉めたりしている。彼女の目尻には皺がたくさん寄せられたまま、絶えることがない。だから、キシューも無意識のうちに笑顔になっている。
幼いころ、父に聞いたことがある。人が異性の誰かを特別に好きだと認識している状態を、恋と呼ぶのだと。キシューは、香ちゃんの恋が継続することを願う。香ちゃんの笑顔を、ずっと見ていたい。
けど、キシューだって、たまには香ちゃんを喜ばせてあげたい。キシューだって、香ちゃんに見てもらいたい。考えれば考えるほど、キシューの心は狭くなっていくようだ。
Entry15
影踏み
川辻晶美
http://www.infoseek.livedoor.com/~rucoco/
サイト名■Southern Wind Junkie
文字数1000
裏の公園に子供たちの声が響いている。既に夕刻。そろそろ息子の智也を迎えにゆかねばと、私は外へ出た。
無邪気に走りまわっているだけかと思ったのだが、誰に教わったのか、彼らは影踏みをして遊んでいる。いつも同じ顔ぶれの近所の子供たち。皆、揃って今年の春、小学校に入学した。その中に一人、見慣れぬ少女の姿があった。今時珍しいおさげ髪に赤いスカート。初対面のはずなのに、どこかで見たような……。古い記憶が蘇る。ああ、そうか。あの時の少女に似ているのだ。
そのうち、他の家の母親たちがやってきて、子供の名前を呼ぶ。散り散りに別れる間際、その少女が、足をひょいと伸ばして、智也の影を踏んだ。
二十年以上も前のある夏の日、幼馴染みの聡が森に甲虫を獲りに行ったまま行方不明になった。大規模な捜索の末、聡はついに見つからず、神隠しではとの噂も流れた。前日、一緒に遊んでいた私を含む数人の子供たちに、何か変わったことはなかったかと、刑事たちが聞いた。優しい口調ではあったが、ただならぬ緊迫感を察した私は、泣きじゃくりながら何も知らないと言い続けた。ただ、影踏みをして遊んでいただけだと。
「あの時、知らない女の子が一人いたよね、おさげ髪の」
随分経ってから、私は思いきって当時の仲間に言った。
「知らない」
「覚えていない」
誰の記憶にもなかった。聡の失跡という大きな衝撃で消え去ってしまったのかもしれない。けれど、私は覚えていた。確かにその少女は一緒に遊んでいたのだ。スカートの赤が今も目に焼き付いている。
「ねえ智ちゃん、今日、一緒に遊んでいた女の子、なんていう子?」
居間でサッカーボールを転がしていた智也が動きを止める。
「女の子なんていなかったよ。よっくん達とサッカーやってたんだもん。男ばっかだよ」
「影踏みをしてたじゃない?」
智也は不思議そうな表情で私を見つめる。
「何それ? そんな遊び知らないよ」
「そう」
私は狐につままれたような気持でキッチンに立った。言い様のない不安が胸の奥からこみ上げてくる。
誰の記憶にもいない少女。なぜ、私だけが鮮明に覚えているのか。気味の悪い虫が身体中を這うような恐怖を覚えた。あの日、聡が消える前日、あの少女は、聡の影を踏んだのだ。今日のように、別れ際、ひょいと足を伸ばして……。
「智也!」
振り向くと、毒々しい程に赤い夕陽が射す居間に、サッカーボールがぽつんとひとつ、転がっていた。
Entry16
水瓶座A型八白土星申年
太郎丸
http://www.toshima.ne.jp/~takuto_k/index.html
サイト名■太郎丸の落書き
文字数1000
テレビの血液・誕生日占いでは、今日はあまり良くない日だと言っていた。私の本でも低調の兆し。
案の定、同僚から運勢が悪いから今日は出社しないと連絡があって、仕事の量は増え、外回りは出られない。まぁ溜まっていた交通費の精算が出来たから、結果的には可もなく不可もなくというところか。こういう日は真っ直ぐ家に帰った方が良い。
玄関を開けると、赤い色が私の胸に飛びこんできた。毛を染められた犬のチョコだ。私は慌ててチョコから身を引いた。
「おいっ! 今日の運勢、赤はダメなんだぞ」
怒鳴った私を無視して、女房が台所から出てきた。
「私の今週のラッキーカラーじゃない。おかげで宝くじも当たったのよ。少しは我慢してよ」
「そんな事、…我慢できるか!」
私は鞄から出した本を開いて確認すると、庭に出て紫のホースを出し、南に向かって大きな口を開けながら、スーツのまま水を頭から浴びた。寒い。
今日の占いは、Mというイニシャルの人と恋に落ちる。
女房はK。それに今週のラッキーカラーは女房が緑で私が赤だから、一緒の寝室にはならない。ということは…。
昼休み食事から戻ると、今年2年目のマリちゃんとマキちゃんが相談があるという。帰りに二人と一緒に夕食を取る。まさか二人となんて事は…。
あった。二人とも俺が今日のラッキーボーイだという、二人とも仲が良いので、喧嘩はしたくないから一緒にという事になった。もちろん俺は二人を相手にした。若い娘はやっぱり肌の張りが違う。ウヒャ。
良いことは続かない。今日の占いは最低だ。思わぬところで痛い目に会う。
今日は忙しくて昼食もとれない。寝坊して朝を抜いたから、腹が減った。
しかし股間が痒い。ひょっとしたらと会社帰りに診て貰う。
痛い。これは痛い。女房とはラッキーカラーが最近合わないから夜は一人だ。という事はあの日。
どっちのMだ? どっちにしても早く直そう。会社にばれないよう保険は使えない。ジュースを買ったら、財布には百円玉さえ残っていない。こんな日は家に帰るだけだ。明日から3連休だから外食の必要はない。とにかく腹が減った。
家では、手紙だけが待っていた。
【別れるように】とのお告げなので実家に戻ります
チョコは連れてくわね
連休が終わるまでは小遣いで凌いで
火曜の夜戻ります、相談しましょ
私はカードを持たない主義だが、家には現金もなかった。
冷蔵庫には食べ物ばかりか、ビールもない。
Entry17
感謝と祝福
夢追い人
文字数1000
誕生日。一年に一度、私たちがこの世に生を受けたことに感謝をする日。そう定義してしまうと、日々この世界に生まれたことに感謝している私の場合、毎日が誕生日になってしまう。感謝せずにはいられないほど、私と兄の生活は幸せに満ちていたのだ。兄は、自分の誕生日になると、お祝い事は好きじゃないと言ってパーティーをしなかった。ただその夜の食事の席で、「お前がいてくれてよかった」と私に感謝してばかりいた。
そんな兄の二十一回目の誕生日、兄は一枚の手紙を残して何処かへ行ってしまった。
幼い頃に両親を亡くした私たちは、兄が高校を卒業して以来、二人だけで支え合いながら生きてきた。兄は朝から晩まで働き、二人が生活するのに必要なお金を稼いだ。高校を中退した私は家事をしながら、時間が空いたときなどは、近所に一人で暮らしている老女の家へ家政婦としてお手伝いに行った。私たちは普通の家庭で育つことはできなかったものの、十分な幸せの中で生活していた。
なのに、突然どうして兄は消えてしまったのか。
残された手紙には、兄らしさに溢れた下手な字でこう記されていた。
「お前を一人にしてしまうことが一番の悔いだ。ごめんな。それとお前に一つ嘘をついていた。俺達の父さんと母さんは事故で死んだといつか話したけど、本当は俺のせいなんだ。俺のせいで父さんと母さんは死んだんだ。俺の六歳の誕生日の時、お前はまだ二歳だったから何も覚えてないだろうけど、父さんにもらった誕生日プレゼント、あれはクマのぬいぐるみだったな、それを俺は気に入らなくて燃やしてしまったんだ。そしたら火が瞬く間に家中に広がって、火事になった。ごめんな。全部俺のせいだ。お前の幸せが壊れたのは全部俺のせいだ。許してほしい」
夕方のニュースでは、どこの局でも『通り魔事件』についてばかり報じていた。二十歳前後の男性が数人を殺害した後、自ら命をたったそう。テレビの画面の中の精神分析医は、社会に対する不満が募った上に、家庭環境などによる不安定な心が、犯人が犯行に及んだ原因だと得意気に語った。あたかも犯人の人生をすべて知っているかのような口調で。
私と兄は愛し合った。私の体には兄との愛の記憶が満遍なく散りばめられている。私の裸を見る度に兄が涙を流した理由がようやくわかった。
背中の火傷の跡が微かに疼いた。
誕生日。一年に一度、私たちがこの世に生を受けたことに感謝をする日。
Entry18
闇に消える
土筆
文字数1000
「わおー うおー うおおん」
先程から薄気味悪い咆哮が夜気を震わせている。
当直の大門は校舎を巡回しながら、つくづく嫌な町に赴任したものだと思っていた。
最初の巡回から戻ると、スルメを肴にウイスキーの水割りをちびりちびりとやりはじめた。途中から一気飲みのような飲み方になってしまい、
「おいおい、これで夜中に起きられるかよ」
などと一人ごちていた。
目覚ましを耳元において寝たのが幸いして、なんとか深夜の一時に目が覚めた。頭が重く、今寝たばかりといった感覚だ。酔いが残っているせいもある。
二度目の巡回に出る。
あの咆哮が止んでいるのがせめてもの救いだ。その代り妙な風が出てきていた。風が体育館の屋根を揺すって棟木が軋り、建てつけの悪い戸があちこちでちぐはぐな音を立てている。
この高校は小さな港町の郊外にある。丘陵を均して建てたらしく、これより先に人家はなく、内陸に向かって灌木と草の茂みになっている。
打ちつづく丘陵は索漠として、ただでさえうらぶれて蕭条の気を抱え込んだ大門には、よそよそしくて落ち着けなかった。
突風がきて、どこかの窓ガラスが鳴動した。嫌な夜に当直が当たったものだ。
二年C組の前に来ると、意識が凍りついたようになり、前に進めなくなった。
怪しい人物が一人、机に向かって坐っているのである。生徒か。しかし、この深夜に席についていること自体、狂気の沙汰である。
相手にこちらの気配を感じ取ったらしい動きが走った。人語とは思えぬ突拍子もない声が交錯した。人の声が獣声に陵辱されたといった複合された声。だが人影は一つだけだ。
大門が怖気から動けないでいるうちに、窓の開けられる音がして、怪しい者は窓外へと地響きを立てて飛び降りていった。
大門は今ぞとばかり教室内に飛び込み、逃亡者に懐中電灯の光を浴びせた。窓の外には笹薮と灌木の丘陵がうねっている。その荒蕪の闇の奥へと四足で駆け込んでいくものがある……。
犯行の跡を教室内に探すと、黒板に乱暴な走り書きがしてある。
俺は二年前、熊に喰われた二年D組の山野井権助だぞ。
笹の掻き分けられる音が風音と重なり合ってしばらく続いていた。それが治まると、大門は拳を作って額を三つ四つ叩いた。幻覚なら、それを醒ますつもりで。
外は異様な闇が丘陵の奥へ奥へと連なっていた。その果てしない闇の深みから、あの咆哮が轟いてくる。
「わおー うおー うおおん」
Entry19
目覚めの日、さよなら
伊勢 湊
文字数1000
昼休みの会社の屋上。最近の指定席だ。
「さっき思いっきり言っちゃったよ。おまえみたいな卑怯者は人間のカスだ、ってね」
「すっごーい。勇気あるね」
端から見たら気持ちの悪い独り言に聞こえるだろう。分かっている。でも他に、僕には話をするべき人がいない。
「僕が面倒を見ていた後輩にさ、課長の奴が失敗をなすりつけたんだ。頭にきてさ、なんでそんな卑怯なこと出来るんだ、ってさ」
「かっこいいね」
本当にそうなのだろうか。いや、そうでないことは分かっている。それがどんなに理不尽なことであったとしても、妻が生きているときであったならば上司にカスだなどと自分の首を絞めるようなことは言わなかった。仮にそこに正当性があろうとなかろうと、だ。
「人は誰のために生きるんだろう?」
知識や常識が加味されて感情にフィルターがかかる。それが言葉になって彼女の口からなんでもないように発せられる。
「自分のためだよ。きっと」
そう。きっとそうなのだろう。でも僕は素直に自分を愛せるほど器用でもない。誰かのために生きることでしか、自分のために生きられない。
「そんな姿でしか現れてくれないの?」
僕にだけ見える妻の姿は初めて会った中学生の頃の姿だった。僕が作り出した幻影は僕を傷つけはしない。大人となった彼女ならば、きっと僕に違う言葉を投げかけるだろう。でもきっと僕はそれを直視できない。
「でも、もういいんだ」
仕事もクビになる。貯金もない。それに若いときに両親を失い、ずっとより添ってきた妻さえ失った僕には頑張る理由が何もなかった。青臭い言い訳かもしれない。でも、もう生きていくことが面倒くさかった。
晴れ渡った空は自分の体を宙に舞わすのには悪くない気がした。
「そっちにいくよ」
返事がなかった。妻が死んでどれほどたった頃だったか、落込んだ僕を慰めるために現れた中学生の姿をした彼女。でもそれは自分が作り出した幻影であることは分かっていた。それがいま、僕の心で説明のつかないことをしている。彼女は成長していた。成長していくとともにその体は空気に溶けるように薄くなっていく。大人になった彼女が必死に何かを叫びかけてくる。その声は遠すぎて僕には届かなかったけれど、唇は読み取れた。
「きちゃダメ。生きなさい」
ほとんど泣き叫ぶように大人の彼女がそう言った次の瞬間、その姿は風の中に消えた。
そうして僕には生きていくことの辛さが初めて分かった。
Entry20
息子の件
ムーロマチコ
文字数1000
「一体、どのような教育をされているんですか!」
ひたすら恭子は電話口で頭を下げていた。息子が黒板消しで安達さんの頭を何度も叩いたのだ。白く変身した姿で、安達さんは泣きながら家に帰った。たった今、その件で安達さんの母親から、恭子は抗議の電話を受けている。
「本当にすみません。息子にはよく言っておきます。」
「そうなさってください!」
怒りはなかなか治まりそうもない。しかし恭子はどうしてそんな事をしたのか知りたかった。そこで恐る恐る訊いてみた。
「あのー、どうして息子は安達さんのことを叩いたのでしょうか?」
安達さんの母親は一瞬だけ言葉に詰まった。
「まぁ、呆れた! そんなことぞんじませんわ。息子さんに訊いてくさい」
電話は忽ちガチャと切れた。恭子は少し後悔した。
息子は恭子の一番の自慢だ。ジョニーズ事務所からスカウトされたこともある。それにしても恭子は、学校一の美人でもある安達さんにそんな事をした息子の行動に、合点がいかなかった。
それから数ヶ月、息子が真っ白い顔で戻ってきた。訊けば安達さんに黒板消しで何度も叩かれたそうだ。恭子は思わず笑ってしまったが、あんな勢いの電話を掛けてきた安達さんの母親にちょっぴり仕返しがしたくなった。そこで電話をした。
「もしもし、息子が黒板消しで叩かれたようですが」
安達さんの母親は、はじめこそ驚いていたが、すぐにあの時の激しい口調に戻った。
「一体、どういうつもりですか!」
そんなことを逆に言われて、恭子は混乱した。
「うっ、うちの息子がまた何か?」
「娘はまだ13歳ですよ。それなのに無理やりベッドに押し倒して……」
恭子は目の前が真っ暗になった。
「なんと言ってお詫びを……」
「謝ってすむ問題ではありませんわ。娘だけならいざ知らず、私にも……」
「えっ!」
恭子は死んで詫びるしかないと思った。
「ほっ、本当にすみません」
「一体、どのような教育をされているんですか!」
安達さんの母親は憮然としている。しかし恥を偲んで恭子は訊いた。
「息子は一体、何をしたのでしょうか?」
「何をしたのか?って。まぁ、呆れたこと。いいですか! 今時、息子さんは何もつけずに、前と後の違いもわからずに、ただ入れていったんです。無理やりにですよ!」
「……」
「とにかく息子さんにお伝えください。もう一度やり直しに来るように。娘も同じ気持です。いいですね!」
恭子は念を押されて、ただ頷いた。
Entry21
雨色散歩
ヒヨリ
文字数1000
雨の日は苦手だ。気のせいだと判っていても、古傷が疼く。
「散歩に行かない?」
台所からの声で我に返った。無意識に顔にあてようとしていた手を慌てて下ろし、殊更にしかめつらしい表情を作って振り返る。「散歩?」
澪は大きな目を悪戯っぽく輝かせて頷く。
「雨だぞ」
「そうだけど、ほら」踊るように窓に近づいて。「もう止みそうよ」
俺にはそうは見えないが。
「ね。行きましょ」
有無を言わせぬ笑顔につられ、傘を一本だけ持って、家を出た。
……失敗した。
国道の右の路肩。トラックが音を立てて通り過ぎる度、車道側を歩く澪に泥水がかかる。何度も何度も、容赦なくかかる。澪は気にする風もない。昨夜見た映画の話をしている。子供みたいに笑っている。
何故この道を選んでしまったんだろう。澪は必ず俺の左側を歩くと、そう初めから判っているのに。
耳に甦る柔らかな声。「月並な言い方だけど――」そう前置きして微笑んだ。
「これからは、私があなたの左眼になる」
俯く俺を抱きしめて、優しく髪を撫でていた。いつまでも。いつまでも。
「わぁ、見て」静かな路地に入るなり、澪が歓声を上げた。「紫陽花が咲いてる」
それは古びた一軒家だった。水煙に包まれた小さな庭、その隅でひっそりと咲いている薄水色の紫陽花は、不思議な程に目を引いた。晴れた空のような淡い青。雨だから、なのだろう。尚更明るく懐かしく映るその色。
澪は低い竹垣越しに顔を寄せ、愛し気に目を細めて囁いた。「綺麗ね」
ああ。――頷こうとして気が付く。澪の服の左袖が、醜い泥はねだらけなことに。
不意に、景色が滲む。視界に土色の紗が掛かり、澪の姿が雨に溶ける。雨は苦手だ、古傷が疼く、疼いて痛んで見えなくなる、君ノ姿ガ見エナクナル――。
訳も判らず名前を呼ぼうとした、そのとき。
「どなた?」
窓が開き、品の良い声がかけられた。
「鉢ごとくれるなんて、気前いいわよね」
帰り道。はしゃぐ澪の腕の中には、大きな紫陽花の鉢がある。
「重くないか?」
「ん、平気。ねぇ、散歩に出て良かったわね」
得意気に俺を見上げ、ふと首を傾げる。
「どうかした?」
花が湛える雫の上に、二人の顔が映っている。二つの眼。一つの眼。零れ落ちそうに揺れている。
「澪」
「なあに」
「重く、ないか?」
俺の左眼でいることは。
澪はきょとんとしていたが、やがてそっと鉢を抱え直し、
「大丈夫よ?」
雨の中に咲く太陽のように、笑った。
Entry22
タコウィン
ハンマーパーティー
文字数1000
視界でただひとつ輝いて見えたものは隣の岬の灯台の明かりだけで、それも空の涯ての星のように時々消えては暗闇にまぎれた。
慎重ではあるが速度を上げている笠井の運転は、竹二には頼もしく感じた。湾岸沿いは静寂につつまれていて、仕事は滞りなく済みそうに思えた。
「葭原さんって子煩悩だそうっすね」
竹二が仕事の依頼人の男について切りだすと、笠井は表情をやわらげて黙ってうなづいた。
軽ダンプカーの荷台の横には石材店の名前が白く楷書体で書かれている。
「タコのウィンナー」
「なんすか?」
波の押し寄せる音が大きくなっては引いていく。深夜なのに小さいカモメが一羽せわしく飛んでいる。よく見るとコウモリだった。笠井はまだ笑っている。
「知らね」
段差のある場所を通ると荷台に積まれたコンクリートが揺れて、鈍い音が座席まで響いた。
「ラジオかなんかつけないっすか? 気味悪いんすけど」
「だめだ。ゾクとかポリがしょっちゅう通るんだ。今日は静かだけどな」
こんな割りのいい仕事はめったにない。黙って笠井の言うことを聞こうと思った。
暗闇の中でも湾岸道路から見える海は壮大だった。分け前をもらったら、どこかで女をひっかけてドライブしようと思った。行きつけの風俗店の女でも誘ってみるか、と思った。
カーブが多いのに笠井はヘッドライトもつけずにスムーズに走らせている。
「タコのウィンナーってなんすか」
「娘さんの弁当に入れるんだってよ。自分で作ってよ。あの葭原さんがよ」
「マジっすか。コントみてえ」
笠井はスピードを落とすとガードレール沿いに軽ダンプを止めた。ライトを消すとエンジンも止めキーを抜いた。
「この辺でいいだろ」
「ホトケさん、何やったんすか?」
「葭原さんの店で暴れたんだよ」
「あのぼったくりのバーっすか?」
「ああ」
笠井は荷台を倒した。立方体のコンクリートが載っている。
「せえので落とすぞ。そっち持ちあげろ」
竹二は腰に力を入れ両足をガニ股にして踏んばると、声を出して両手に力を入れた。笠井のかけ声とともにコンクリートが宙を舞い、海に沈んだ。竹二はガードレールに手をやると飛びあがった水しぶきがおさまるのをぼんやりと眺めた。
「タコのウィンナーか」
「もっと笑えることがあってさ」
「なんすか」
「始末するのはこいつだけじゃねえんだ」
竹二は後頭部に痛みを感じる暇も無く意識がなくなっていった。波の音だけが耳の奥で静かに鳴りつづけた。
Entry23
だるま
カピバラ
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7771/layer1-top.htm
文字数1000
「あら?」
台所を片付けていた私を驚かせたのは、流し下の物入れの奥から出てきたウィスキーだった。封は切ってあるが、中身はほとんど残っている。下戸の母が開けたはずが無い。
私の声に気づいて、母は台所を覗き込んだ。そして同じように声を上げた。
「あら! だるまじゃない」
私は、母にビンを掲げて見せた。
「これ、お母さんが開けたの?」
「まさか。お父さんが開けたのよ、倒れる前に。どこにあったの?」
「流しの下にあった」
「そう……」
元気だった父が、急に倒れてそのまま逝ってしまったのは、一年と少し前だ。出てきたのは、父が晩酌にいつも飲んでいたウィスキーだった。ビンの形がだるまに似ているので、それが呼び名になっている。
母は、だるまを手に取ると懐かしそうに眺めた。
「これ、お父さんが最後まで気にしてたのよ」
「だるまを?」
「倒れてから、一度意識が戻ったでしょう。そのときにね、開口一番『俺は昨日、だるまの封を切ったかな?』よ。それで『切りましたよ』って言ったら『そうか。切るんじゃなかった。入院が長引いたら不味くなってしまう。もったいないことをした』ですって。気にしなくちゃいけない事は、他にもあったはずなのにねえ」
『父さんの会社、倒産するかもしれない』
下手な洒落でごまかしながらも、父の目には陰が差していた。
『でもな、どんな事があっても結婚式はやめるなよ。心配事は一つでも少ないほうがいいからな』
『それって、早く私を厄介払いしたいってこと?』
そんな言葉を交わして二人で笑ったのは、倒れる前日、挙式の半月前だった。結局、勤めていた銀行より先に父の命は尽き、残された私たちは、挙式を一年先に延ばすことに決めた。
「似てるわね」
「何が?」
「百合子とだるま。お父さんの心残り同士よ、あんたたち」
「なに言ってんの。来週になれば私はお嫁に行くじゃない」
「そうねえ。一年待たせちゃったけどねえ」
そういうと、母はだるまの肩をポンポンと叩いた。
「これ、新居に持っていきなさい」
母は、もらい物の海苔や緑茶と一緒に、だるまを紙袋に入れた。
「お母さん、どうせ飲めないんだし」
「私も彼もあんまり飲まないよ。お墓にお供えすれば?」
「百合子が飲んでくれた方が、お父さん喜ぶわよ」
「持っていくの、重いなぁ」
「だるまを、そんなに嫌だるまよ」
父の駄洒落が聞こえた気がして、母と私は顔を見合わせた。そして同時に笑い出して、涙が出るまでずっと笑っていた。
Entry24
俺は男だから、すぐにそう思う。
アナトー・シキソ
文字数1000
林を抜けて、少し歩いて、藪に行く手を塞がれる。
カラタチの藪。棘がある。棘だらけ。
突破を目論んだけど、服にも顔にも腕にも脚にも棘の一斉攻撃。
鉄条網よりタチが悪い。このしつこい感じ。
こいつ、痛!
実際、毒でも出てるんじゃねえのかってくらい痛い。
俺は、枝をつまんで、一つずつ、服から引き剥がす。
このカラタチの藪には、意志を感じるぜ。
生きてるモノだけが示すことができる拒絶という意志。
俺は、くじけそうになる。
実際、ほとんどくじけてた。
その時、いきなり藪の下から、ぬっと白い手が出た。
女の手。俺は男だから、すぐにそう思う。
でも、女の手のような男の手ということもあり得る。
なにしろ、見えてるのは、手だけだ。
手が手招きをする。
俺は手の出てる方に歩く。
手が静止を示す。
俺は立ち止まる。
手が指をパチンと鳴らして、指さす。
デカイ箱があった。ゴミかと思ったら違った。
開けてみると、ぴかぴか光る真鍮製のレトロ・スタイルな潜水服。
服って言うか、鎧だ。
手が、「着ろ」と、促す。
映画で観たぜ。一人で着られる代物じゃネエ。
手が指さす。
遠くから、ナニカ、ヒトっぽいモノが、ウオウオ言いながらこちらに向かっていた。
デカイ猿だ。あの感じは、きっとオラウータンだ。
あっという間に俺のいる所までやってきたのは、やっぱりオラウータンだった。
オラウータンは、万事了解済みと言う感じで、箱から潜水服を取り出す。
俺は、オラウータンの手を借りて、無事に潜水服を着た。
潜水服の丸いガラス窓越しに、手が「やったぜ!」と親指を上げるのが見えた。
オラウータンも、やっぱり親指をあげて、ウオっと言った。
俺も、潜水服の何だか分からん素材の手袋の手で、親指を上げてみせる。
それを、三人というか、三匹というか、まあ、全員で三回ぐらいやる。
親指突き上げて「やったぜ!」を。
手が、「もういいだろう」と指をパチンと鳴らした。
それから、「こっちだ」と人差し指をクイクイやって、自分は藪の中に引っ込んだ。
俺は、オラウータンにお礼かナニカを言いかけて、猿に分かるわけねえと思ってやめる。
真鍮の潜水服を着た俺は、棘だらけのカラタチの藪に突入する。
振り返ると、オラウータンはちょっと心配そうだった。
んで、俺は、安心させるつもりで、さっきの、親指で「やったぜ」をやってみせる。
オラウータンは、なんか、体を上下に揺すってそれに答える。
猿の相手はここまでにして、俺は棘の藪をバリバリ前進する。
Entry25
カット
るるるぶ☆どっぐちゃん
文字数1000
「こんばんわ。今日も良い天気だね」
「ええ」
「で、何か面白い話は考えてきた?」
「幾つか」
「聞かせて」
「自信作はこれかな」
「どんなの?」
「人が沢山死ぬ話」
「ふむ」
「街も人も燃えて、全て燃え尽きて、みんな居なくなってしまう話」
「ふむ」
「どう?」
「良いかもね」
「そう?」
「じゃあ早速撮りに行こうか」
「ええ、行きましょう」
二人はビニールジャケットを羽織り、街へと出掛けた。ジャケットは透明で、手にしたビデオカメラは真っ黒だった。ジャケットはフランス古着、二着で四千円、カメラは友達から貰った古い型のもので、ひどく大きかった。
「ここらで良いかな?」
「そうだね」
彼らはビル群の前に立ち、見上げた。
夜空の真ん中に向かって、冗談みたいな規模で伸びている灰色のビル、ビル、ビル。
その中に彼らは一本のマッチを投げた。
細く火のついたマッチが壁に当たり、炎があがる。炎は呆れるほど簡単にビルを飲み込んでいく。夢見るように簡単に、ビルを赤く染めていく。
「燃えているね」
折からの突風が炎をメリーゴーラウンドみたいに渦巻かせた。
大きく音を立て、ビルが一本崩れていく。
「ああ」
彼は答え、カメラを構える。
「何でだったの?」
二人は並んで座っている。映写機はかたかたと回っている。スクリーンには彼らの映画が映っている。
花だ。燃えていく花。
「何でビルを撮らなかったの?」
「さあね」
「退屈な映画ね」
「ああ」
「こんな映画が、賞を取るとはね」
彼女の手からトロフィが滑り落ちる。かたん。小さな音が響く。
「退屈な映画ね」
花はいつまでも燃え尽きることが無かった。背景には何かが、メリーゴーラウンドのような何かが、せわしなく動いている。花は燃え続けている。
あの夜の火災では、誰一人死ぬことはなかった。焼け跡は花畑になり、今では大勢の人が日曜毎にそこへ出掛ける。
「泣いてる?」
「そんなこと無いわ」
「そう」
「そうよ。あなたこそ、泣いているんじゃないの? 後悔しているんじゃないの?」
「そうかもしれないね」
「ねえ」
「何?」
「セックスでもしようか」
「そうだね、でもその前に」
「その前に?」
「映画でも観に行かないか?」
彼らがその後どうなったのか。それは、数本の映画を撮った、というだけに留めておこう。以下に彼らの作品の幾つかを記す。興味があったら探してみてはどうだろうか。
花(03年)
蛇の試行(04年)
メッシュメッシュメッシュ!(07年)
Entry26
清浄の花
さとう啓介
http://members.goo.ne.jp/home/kei5yns
サイト名■光のトンネル
文字数1000
幾つもの青白い閃光が夜空を横切り、その光りと反射の中で君の横顔が白く浮き上がる。光を失った街は夜空に浮かぶグリーヴストーンだった。物静かな暗闇の中で僕等は頬を寄せ合い、抱き合う。君の冷めていく身体全てを僕の身体の中に深く刻み込み、ただ僕は君の言葉を静かに待ち続ける。
『東都市民は既に西都への非難を―― 続々と西都正門に入って来る自衛軍の輸送車の最後尾に護衛車両が続いて―― この二日間に及ぶ東都空爆による死者は約十六万人、行方不明者――』
いつもと変らぬ昼休みだった。静かな風が流れ、六月というのに珍しく青空が眩しかった。僕は待合せの公園に急いだ。うっすらとかいた額の汗に木陰の風が優しかった。
待ち草臥れた様子の君はベンチに腰掛け何かを見ている。
「待った?」
君は振り返りざま林の中を指差し、こう言った。
「あの花、私達みたいね」
明るく微笑んだその向こうに、白い花が二つ寄添うように咲いている。僕は、そんな花に例えられても、と思ったが、何故か心が静かに和んだ。
初めて出会った時もそうだった。君は僕のシャツの裾を掴み誰かの名前を呼んだ。人違いだと分かるとペロッと舌を出して、すみません、と呟くが何故か頬を紅らめたままシャツの裾を離さない。僕は思わず笑って裾を握る手を指差し、これ? と言う。君はやっと気付いたのか左手をサッと引込め丸い瞳を大きくして微笑んだ。無邪気で面白い娘だなと思った。僕はそんな君に、どうも惹かれてしまったらしい。
「あの花、何て言うんだい?」
「たしか、笹百合って言うのよ。花言葉は……」
突然激しい地響きと共に、空気を貫く悲鳴のような狂音が辺り一面に広がった。一瞬にして木陰の先のビル群が吹き飛び、幾つもの悪夢のような光景が僕等の目の前で繰り広げられていった。
――僕は何時しか君を抱上げ、放心状態の中瓦礫の暗闇を彷徨っていた。
あの直後、君の左腕が肩先から無くなってしまって、僕はあの左腕を探そうと夢中で這い回った。誰の物かも分からない腕や足や肉が転がっていて、血に染まった自分の黒い掌を見た時に、僕はやっぱり君の傍にそっと居てやろうと思った。
静まり返った闇の中、僕等は抱合う。
もう冷たくなった君の最後に言った言葉が、耳鳴りの向こう側に鮮明に聞えている。
『たしか、笹百合って言うのよ。花言葉は……』
「清浄、清らかで穢れの無い、事。」
僕はその先の言葉を、君と一緒に呟いた。
Entry27
捜し物
ごんぱち
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/4587/
サイト名■小説屋ごんぱち
文字数1000
通勤客がひしめき合う列車の先頭車両で、一人の男が呟いた。
「ないな」
男は人の間を、ゆっくりと動き始める。
「どこだ」
列車の揺れに合わせ、少しづつ動く人と人の隙間を潜り抜け、僅かづつ進んでいく。
それから二駅ほど過ぎた頃、男は車両の継ぎ目に来ていた。
「……まだない」
隣の車両へ移る。
隣の車両の人の間に、身体を押し込んでいく。
「うわっ」
「きゃっ!」
押し退けられた人々が、独り言めいた悲鳴を上げる。
だがそんな事は全く気にせず、ひたすら進む。
と。
「なんじゃい、ワレぇ!」
押し退けた一人が振り向く。
サラリーマンが着ないタイプのスーツを身に着け、サングラスとスキンヘッドに髭面の男だった。
「ああ!?」
彼は、男の襟元を掴む。
だが、ぎゅう詰めの車内では、それ以上の動きが取れない。
そして男は先に進もうとする。
「シカトとはええ度胸じゃ! 次の駅で降りて――」
男は、怒鳴るスキンヘッドには目も貸さず、襟元の手をねじる。
ぼきり。
悶絶するスキンヘッドをそのままに、男は次の車両へ向かった。
「ないな……」
真ん中に近い車両のせいか、乗客は一段と多い。
動じる気配もなく、男は乗客をかき分け進んでいく。
男が派手目な服装の女の後ろを通り過ぎた時。
その時、電車が大きく揺れた。
ぎゅ。
ピンヒールの踵が、男の足に乗る。
決して軽くはない体重が乗った細いヒールは、男の靴底まで貫く。
だが、男は悲鳴を上げるでもなく、ヒールが抜けると血の足跡を付けながら、また先へ進んで行った。
最後の車両には、学生たちが多く乗っていた。
男はその間にぎゅうぎゅうと身体を押し込んで行く。
女子高生の横を通り過ぎた時。
「きゃあああああ! 痴漢!」
男の手が掴まれ、ねじ上げられる。
男はうるさそうに掴まれた手を振り払う。
「どうしたんだ、アイ?」
「このオヤジが尻触ったの!」
「なんだって!」
列車は駅に到着した。
「駅員に突き出してやれ!」
「付き合うぞ!」
男は乗客たちに取り押さえられ、外へ連れ出されそうになる。その騒ぎに乗じ、いかにも怪しげな風体の男がそそくさと下車する。
だが、男は手すりを握り、動かない。
「野郎、降りない気か!」
「さっさとお縄に付きやがれ!」
「サイテー!」
人々は口々に罵り、男を叩きのめす。
しかし。
「あった……」
男は満面の笑みを浮かべていた。
「今回は数学の問題かぁ」
日能研の、広告を見ながら。
Entry28
彼と私の差異
tomo
文字数956
「お前ってもしかしてホモ!?」
そう言われた勇太はニヤニヤと笑みを漏らした。
「気持ち悪……」
彼の笑いはビンゴを意味していたのではない。
彼は、実際に嬉しかったのだ。沸き上がる喜び。
他人が描いている自分への洞察が、実際とこんなにも異なっていることに。
それが友人の直樹から発せられたということが更に彼の気分を高揚させた。
だがそこで彼は決して、否定しようとしなかった。
彼は直樹を長い間、拮抗の相手として意識していた。
彼は、勇太にとってまるで自分の内面を投影する鏡の様な存在だった。
直樹の沈着な視線が、いつも彼を動揺させ無防備にさせた。
勇太は、そんな直樹を嫌悪しつつも、察せられまいとしてわざと平生を装っていた。
そう彼に思わせる正体は一体なんなのか、彼には未だはっきりと把握できなかった。
それが把握できれば、きっとこんなに焦慮することは無いのにと思いながら。
そのため、他の友人と一緒に関わるときは、常に彼と距離を置くようにしていた。
「え、なんでそう思ったの?」
彼がそう訪ねると、
「え、いやなんとなく。」
直樹は伺い見るような視線でそう言った。
勇太は渋るような直樹を見てもどかしさを感じ、次の言葉を誘い出すため沈黙を張り詰めた。
暫くすると、直樹は思いもよらぬ言葉を口にする。
「実は、俺も男に対して興味があるんだ。」
「………」
勇太の間抜けな顔と対照的に、直樹は真剣な眼差しで勇太を見ている。
「えっ……?」
「……いや、もちろんそういう意味じゃないけど。」
勇太はここにきてようやく自分が同性愛者では無いことを主張しようという気に駆られた。
「っていうか、俺がホモなわけないっしょ。」
そう言った後もまだ、直樹は信じきっていない様子だった。
「いや……まじ、その……だって、ほら……」
勇太は状況を上手く整理できず困惑しつつも、いざといった時に確実に人を信じさせる言葉がこんなにも見当たらないものかと驚いた。
実際、最後に直樹が言ったことを勇太自身が誤認している様に。
実は直樹もまた、自分の本性を垣間見せる様な勇太の欺瞞に満ち、野心深い性分を疎ましく思っていた。
彼にとってこの言動は、二人の絶えず付きまとうぎくしゃくした関係を切り離そうとする彼なりの一つの画策であったのだ。
そんなこんなで、二人はもう10年以上付き合っている。
もちろん友人として。
Entry29
忘却
Ruima
文字数1000
「ふーみーか。いいかげん起きないと、制服に皺つくぞ」
優しい声に目を開くと、カーテンや本棚がフィルター越しみたいにぼんやりと見えた。
一瞬の違和感。それから、すぐに気が付く。
ここ、明宏の部屋だ。
眠気で重い頭を動かせば、勉強机の前に学生服の後ろ姿。成長途中の細い身体。
ああ、どうやらこれは、過去の夢らしい。
懐かしくて愛しくて、後ろから抱きつきたくなる。けれど体は動かない。夢の私は、まだ覚醒前。
「なあ、文花」
「……ん」
勉強しながら明宏が呼ぶ。私は寝転んだまま、眠たそうな返事。どちらの声も、少し幼い。
「人間って、忘れる生き物なんだって」
「……現文?」
「そう。俺と文花もさ、後に残された方は忘れんのかな」
「……やだ、それ」
「俺もやだけど」
会話しながらも、明宏は振り向かない。こっちを向いてほしいのに。
「きっと、俺は一生忘れない」
「……ん」
「だけど文花は、忘れろよ」
「……なにそれ」
「俺は弱いけど、文花は、強いから。前へ歩けよ」
私は何かを言い返そうとしたけれど。あくびが言葉を飲み込んで。
「ん……」
視界がぼやける。
お願いだから、まだ眠らないで。せめて、明宏が振り向くまで。
「ま、俺の方が絶対に長生きするだろうけど」
背中が揺れる。笑い声。
でも、声だけじゃ足りないよ。顔を見せて。
振り向いて。
「なんだよ、文花、また寝んの?」
もう、視界が暗い。
だけど。
「十五分したら、起こすからな」
お願いだから、もう一度だけ。
その顔を。
その表情を。
じゃないと私、忘れちゃうよ。
再び目を開けた時、そこはいつもの私のアパートだった。
夢の中から十年。「あの日」からは、半年。
きつく目を閉じる。そうしないと、もう顔が鮮明には浮かばない。
「……嘘吐き」
人間が忘れるのは、強いからなんかじゃないと知った。
弱いから。過去と今と未来と、そんなに多くは抱え込めないから。
そのことを、明宏はきっとわかってた。
きっとだから、夢の中ですら振り向いてくれなかった。
そういう奴だ。
嘘吐きで、卑怯で……そして、ひどく優しい。
忘れろと。今でも天国から、未練がましい私に言うだろう。
だけど。
もしもいつか、顔を、姿を、声を思い出せなくなったとしても。
存在だけは、私の中から消えるはずがないから。
「忘れないよって、言えばよかったなあ……」
夢見たばかりの後ろ姿を大切に思い描き、熱い瞼を手のひらで覆った。
Entry30
サプライズ
IONA
文字数1000
帰宅したのは、夜10時過ぎだった。留守電のランプが点滅していた。再生してみる。
『ヨウケンハ 3 ケンデス』
僕は上着を脱いでハンガーにかけた。
ピー。1件目。
『あ、もしもし、森岡だけど。携帯が全然通じねえんで、宅電に入れとくわ。えーと、理由は聞かずに、とにかく東京駅に行ってくれ。んで地下のコインロッカーの6221番、開けてみて。ほんと、今すぐ行って。今すぐ。それじゃ』
ブチッ。ツー、ツー。
コインロッカー?
ピー。2件目。
『高崎です。あのー、地震大丈夫でしたかぁ?先輩、立川のほうだったでしょ?電車も止まってたし、ちょっと心配になって……』
ま、確かに数時間の運転見合わせは食らったけど。
『それで、あのー、お願いなんですけど、これから東京駅来れますかぁ?地下のコインロッカーのとこ。6221番のロッカー、開けてみてください。6221。何があるかは秘密。です。じゃあ気をつけてくださいねぇ』
ブチッ。ツー、ツー。
コインロッカー?また?
ピー。3件目。
『もしもし。俺。田村。あのさぁ、悪いんだけど、今日中に東京駅行ってくれねえかな?騙されたと思ってさあ』
騙されたくない。
『東京駅の、地下。コインロッカーあるとこ分かるだろ?そこで6221番開けてみてくれ。よろしく。じゃ』
じゃ、っておい。
コインロッカーって、なんなんだ?
鍵の掛かっていないロッカーの中には、別のロッカーの鍵と、携帯電話が入っていた。待ってましたと言わんばかりに、携帯が鳴った。
やっぱ、取るしかない…よなぁ。
『……もしもし?』
少し声を低くして出てみた。受話器から、小さく「せーのっ」と聞こえた。
『誕生日、おめでとー!!!』
『……』
っていうか、誕生日、昨日だったんだけど。
そんなしらけた僕を尻目に、電話口の声は続けた。
『そこの上のロッカー開けてみて。6220。鍵、入ってたでしょ?ほら、早く早く』
「あのさぁ……」
『早く開けてみなよ?』
仕方なく、僕はすぐ上のロッカーを開けてみた。
ガチャ。
電話の向こうで小さく笑い声が聞こえた。
キィー。
「だから誕生日は昨日だっ……」
ロッカーの中には、赤茶色をした丸い塊が置いてあった。僕はそれを手にとって取り出した。少しざらざらとした感触があった。それは、褐色に変色した、人間の赤ん坊の死体だった。
電話が、ブチッ、と乾いた音を立てて切れた。足を止めた通行人たちが、ざわざわと僕の顔を覗きこんでいた。
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