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エントリ1
僕が女で君が男
一砂
僕は女装が趣味なわけじゃない。 しかし、今の僕の状況は、そうとしか見られないだろう。 だって・・・ 「ほら、はやく!おいていくぞ。」 前を歩く偉そうな若者。黒髪を、短く切った髪形とその容姿からはからはかなりの美形だということがわかる。 ちなみに・・・これは僕ではない。 「ああ、待ってよ。ともく〜ん。」 後ろから走ってくる見るからに天然そうな少女。 時代を履き違えたような、ピンク色のフリルの服を着ている。 ちなみに・・・・これが僕だ。 ・・・・だから、そういう風に僕を見ないでくれ。 僕だって好きでやっているわけじゃないんだ。 ただ、 「なあ、僕は一体いつまでこんな格好をすればいいんだ?」 「ん〜、一生かな。」 そんな無茶苦茶な・・・ 僕と、彼女は同じ高校に通っている。世間一般の言葉でいうなら幼馴染という奴だ。 そんな僕らの部活は演劇部。しかも、かなり寂れた・・・ 2年生になり、僕らが部活を引き継ぐと、自動的に部長と副部長が決まっていた。 つまりは、部員が二人しか居ないのだ。 このままでは、廃部という危機にさらされたとき、彼女・・・とも子は言った。 「こうなりゃ、文化祭でなんか凄い演劇やって部員をがっぽり手に入れるしかないっしょ!」 そして、その凄い演劇が・・・性別を入れ替えたラブストーリー。 なんでも僕が女でとも子が男になることで、かなりの客を呼べるらしい。 そこら辺は良く分からないけど。 「だってさ、ぜったい僕変な目で見られてるもん。」 僕はとも子に言った。 「あんたね。そういうなよなよしたところ本当に女の子っぽいよ。」 そう言われても困る。こういう性格は生まれつきなのだ。 「ほら行くよ。」 「ちょっと待ってよ!・・・あっ!」 とも子を追いかけようとした瞬間、僕は前のめりに転んでしまった。 感覚的に、膝から血が出ていると分かった。 「・・・はぁ・・どうして、そういう何も無いような場所で転ぶかな〜」 「だってさ」 「ほら、傷見してみて。」 僕はじぶんの膝を前に出した。すると、思ったとおり膝から血が出ていた。 「はぁ・・・なんで怪我するかなぁ。」 「だってさ・・」 とも子は、僕の膝に唇を当てて、唾をつけた。 「こんなもの唾つけときゃ治るよ。」 そう言って、とも子はさっさと行ってしまう。 僕は膝を引きずりながら、その後を歩く。 もう一度言う、僕は決して、女装が趣味なわけじゃない。 でも、こういうことをとも子とするのは好きなのかもしれないと思った。
エントリ2
カナリアの死
やまなか たつや
「こんな事感じるの私だけかと思ってた。」 「大丈夫だよ、安心するんだ。俺だって強盗で肉親を一人奪われた事がある。」 「でも、やっぱりスージーが可愛そうだよ。」 「何言ってんだよ、そんな事ないさ。お前はスージーに妹を殺されてるんだぜ。それに今後もあいつに何をされるか分かんねぇ。復讐心に燃えるのだってごく自然な事さ。さ、安心するんだ。」 「でも、私、本当にどうにか成っちゃいそうで。だって、だって…。」 「分かったよ、泣きたいなら泣けばいいさ。俺はそれが出来ねぇで来ちまったからこんなに負傷してるんだ。自然のままでいいんだって。」 「違う、違うの。それはすごく不自然なの。スージーは私にとっては掛け替えのない人なの。あの人がいるから、私は強くいられるの。お願い、何もしないで。」 「不自然って、それ、どういう意味だよ。」」 一瞬俺の脳裏に昔親父のコレクトしていたLPから聞こえたメロディーが蘇る。 ♪誰かが言ってたぜ 「俺は人間として自然に生きてるんだ」と 自然に生きてるってわかるなんて なんて不自然なんだろう♪ だみ声の人の歌だったのは確かだ。俺はだんだん思考力が遠のいていっているのを感じた。 「あの人がいるから私は苦しみと戦い、心痛を噛み砕けるの。それが私にとって自然な生き方なの。毎日大学から帰って来て母の看病をして、それから母や弟に食事を作って、夜中にお風呂に入って泣くの、これが私にとっての健康的な生活なのよ。憎しみの対象も何もなくなったら私は生きていけなくなるの。毎日がもやもやして、もっと不幸になるに決まってる。」 今度は俺が泣く番だった。 「なぁ、ごめん、お前の気持ちなんか全然分からなかった。俺さ、今日の午前…」 沈黙はどのくらい続いたのだろうか。もうこの続きは言わずとも伝わっているだろうが。 「スージーを殺したんだ。首を絞めた。始めから殺意はあった。それがお前のために成ると思ったんだ。いつもしくしく泣いているお前の幸せのために、俺が復習に立ち上がろうと思ったんだ。」 言葉より先に平手が飛んできた。何度も何度も左の頬に激痛とじんわりとした熱さが滲んだ。 「ごめん、殺したければ俺を殺してくれ。」 「違う!」 最後の平手が飛んできた。 ベッドの上で目が覚めた。彼女からスージーに償ってもらう瞬間を奪った俺はもはや会えるはずもない。腫れ上がった左の頬より狂おしさが辛かった。
※作者付記:なぜこの題名なのか考えてね。
※ ♪…♪内は『イメージの詩』/作詞 吉田拓郎―より引用。 ※ この文章の著作権は文中の転載文等を除き以下の者が有します。 やまなか たつや 11時11分17秒 2004年02月15日
エントリ3
クライマックス シーン
満峰貴久
「ここが、我々の起源の星か」 隊長は宇宙船の窓の外に広がる荒涼とした大地を眺めて呟いた。 「荒れ果てていますねえ、生体反応は今のところ植物以外ゼロです。火山性の微動と、わずかな放射能反応がありますが、影響ありません。外気は安全です」 「こんな素晴しい環境で生物が滅びるなんて、やはり、小惑星の衝突とか核戦争の影響でしょうか」 「惑星衝突が有力な説だが、ほかにもいろいろな言い伝えがある。この地球に還って来ても安全なのかというデータを作るのが我々の役目だ」 「しかし、この地球に関するデータが残っていないというのも不思議ですよね。我々の故郷の星だというのに」
小惑星の衝突が決定的となった昔、新しい世代は可能性を求めて地球を脱出した。しかし、永住の地を発見して開拓していくうちに地球の記録の殆んどを失っていた。原始的ともいえる生活から始まった過酷な環境の中では無用だったのだ。科学知識が最優先され、それ以外は伝説という形でしか地球のことを知る機会はなくなっていた。 「昔々、銀河系の端のほうに地球といわれる青く輝く星があった。人々は平和に暮らし、文明も進んでいたのだが……」と始まる昔話は子供たちを夢中にさせた。
「隊長、こんな物が見つかりました」 調査開始から七日目、地中で確認された構造物跡とみられる地点の掘削探査から帰った隊員が、採取物保存用ケースから七枚の金色に光る小さな円盤を慎重に取り出した。円盤の真ん中と周囲はすでに炭化してぼろぼろになり、元の大きさもわからない状態だった。 「他にも大量にあったんですが、全て炭化していてデータ可読反応はありませんでした」 「よし、見たところ初歩的な記録方式だ。レーザーで読み取れるだろう」
「隊長、大変です、見てください」 モニター室では隊員たちが、信じられないという表情でマルチスクリーンを凝視していた。 その映像を見て隊長も息を飲んだ。七枚全てに記録されていたのは、巨大な怪獣が先祖たちと戦っている記録映画だったのだ。口から超強力な破壊光線を出すもの、空を飛び、破壊のためだけに暴れまわるもの、火山の中から這い出してくるもの、中には無数の巨大な卵を洞窟に産み付けている姿もある。怪獣の去った後は完全な瓦礫の山だ。人類の反撃はまるで無力である。
「やはり言い伝えは本当だったのか。不死身で凶暴な巨大怪獣たちが地球を滅ぼしたんだ。だとすると、まだ地中深く潜んでいるのか?」
※作者付記:現代の記憶媒体であるビデオとかCD、DVDのようなプラスチック製品は数千年経つと炭化してカーボンの粉になってしまうらしいです。その年月に耐えられる記録媒体は石しかないという話を聞いたことがあります。
エントリ4
ダウンジャケット散った
君島恒星
ユッコは、赤いダウンジャケットを、埋もれるように羽織り 「暖かい!」 と言った。 僕と付き合い出して、初めて欲しがったものだ。この冬、ユッコは赤いダウンを自分の身体の一部のように、羽織り続けた。 アパートから多摩川が近いため、よく多摩川べりで赤いダウンを見かけた。川の流れを一日中見ているのが好きな子だった。 「同じ流れなのに、同じ水ではないのよね。同じように見えて、中身はぜんぜん違う」 よく、そんなわけのわからないことを言っていた。 デートの時も、多摩川で話をすることが多い。さすがに僕は、手持ち無沙汰になってしまい、釣竿を持っていったりした。そういうときにかぎって、釣りの料金を徴収されてしまう。ユッコは笑い転げていた。 フリーターの生活もそう長くは続かないだろうと、思い始めていた。 ユッコには危機感というものがない。多摩川のやさしい風のように、いつも自然体だ。 「結婚? なんのために?」 いまは、僕になびいているだけなのだそうだ。 就職をして、ユッコとの未来を考え始めた時、ユッコは目を潤ませながら言った。 「変わったね。昔はもっと自由だったのに…同じ流れでいかなくちゃ」 ユッコといっしょにいるのだから、同じじゃないか? 就職して安定するのが何で悪いんだ? 僕は変わってないだろう! 春先に、ユッコはアパートから姿を消した。あの赤いダウンだけを持って… 僕は探した。そこで、現実を知った。ユッコの詳しい事を何一つ知らない。友達…実家…親戚…何にも… いなくなって一カ月後、ユッコから連絡が入った。 「逢いたい…」 多摩川の京王線の鉄橋が待ち合わせ場所だった。季節は春。少し動くと汗ばむ季節。多摩川べりは賑わっていた。待ち合わせ時間に携帯が鳴る。 「見える?」 鉄橋の向うに、赤いダウンのユッコの姿が見えた。鉄橋を歩いてこようとしている。 「危ない! 戻れ!」 「わたし、あなたのことが好きになっちゃったみたい。逢いたくてしょうがないのよ」 「会えるから。とにかく戻れよ!」 「逢いたくて逢いたくてしょうがない。でも、これって、わたしらしくないと思わない? しばられるなんて…」 電車が鉄橋に滑り込む。汽笛と急ブレーキの金属音。多摩川べりのサラウンドな悲鳴。 数秒後、赤いダウンジャケットが散った。一瞬、羽毛が多摩川に大きな花を咲かせた。 それは僕にとって、永遠の花になった。
エントリ5
彼岸
庭
B4判程に切り抜いたダンボール板の4辺にそれぞれ、3センチ幅くらいのこれもダンボール製の縁を切り貼りして額縁風に仕上げた工作物の真中に真っ赤な彼岸花。その横には「前向きに生きよう。」なんて意味ありげな言葉が添えてあって。 私はある日自室の壁にそんなものが飾ってあることに気が付いた。 みすぼらしいくせに洒落た工作で、4辺を取り巻く縁には実物の枯葉が数枚、糊で貼り付けてある。主役の真っ赤な彼岸花は画用紙に描かれたものを実に大雑把に切り抜いて額縁の中央に糊で貼り付けてある。
「前向きに生きよう。」 真っ赤な彼岸花の細長い花弁からすっと一筋に伸びる茎の儚げなそれでいて潔く、凛とした直立の姿勢が私の目には痛かった。 ずっと気が付かなかった。この粗末な額縁はいつ頃から飾ってあったのだろうか?今日はたまたま、本当に久しぶりでこの部屋の掃除をしたのだ。 私がこの十数年積もりに積もった埃や毛玉と格闘している間中、真っ赤な彼岸花はずっと壁から私を見下ろしていたのだ。そして私は作業が一段落付いたところでタバコに火を点してぼんやりと虚空を見つめ様、この鮮やかな色彩を発見した。 情けない。自分の部屋の情景さえも満足に見てはいなかったのだ、私は。わかりやすく目に映るものさえ見えていないのに、形を持たず触れることさえできないものが見えていたはずもない。 この部屋の壁に飾ってあるのだ。だから、私がこの手で飾ったに違いないのだ。私はこの彼岸花の絵を受け取って、壁に画鋲で留めたのだ。 全く覚えていない。 十代後半の私は前向きに生きていた。何事にも単純に反応していれば良かったし、周囲のほとんどがそんなだったから疑問を感じる余地すらなかった。 涙が流れてしまうのだ。ハナが垂れてしまうのだ。噛み締めた唇に歯が食い込んで血が滴り落ちるのだ。ふるふると全身が震えて、真っ赤な彼岸花の茎は私の血と涙を吸いながら、なお赤く儚げで潔く。 「私がおまえ位の年の頃は…」それがどうした! 彼には彼の十代があったのだ、私の頃より遥かに複雑な十代があったのだ! それを、それを私は、それを私は! 彼はどれ程に無邪気な笑顔と共にこの絵を私にくれたのだろうか? 口惜しい。2度と見られぬその笑顔をすら、覚えていない私。小学4年の頃に彼が描いた真っ赤な彼岸花。 もう一度、いっそその根になって、私は彼を抱きしめたい。育みたい。
エントリ6
あの街
有機機械
彼女とは3年一緒に暮らし、そして離ればなれになって1年ちょっとになる。小説家になりたいという非現実的な夢のために僕は会社を辞め、アルバイトをしながら彼女と暮らしていたがそれも行き詰まり、結局彼女をあの街に残して僕は田舎に逃げ帰った。小説家になる才能も情熱もなく、もうすぐ30歳になる僕はもっと堅実に生きるための基盤を固めてから彼女を田舎に呼ぼうと思っていた。 離ればなれになった当初は、会えない時間の長さから彼女への想いが燃え上がるか、反対に冷めてしまうかのどちらかではないかと思っていたが、電話でその日あったことを話せば彼女のその日の様子がありありと思い浮かび、離ればなれになったという事実さえ忘れてしまいそうだった。その一因には僕の心に色濃く影を残すあの街そのものの存在もあったかもしれない。 「今日はあの店で買い物をしよう」 「今日のランチはあのレストランで食べよう」 「今日はあの場所にドライブにいこう」 田舎に帰り数カ月が経っても思い浮かぶのはすべてあの街のどこか。僕は我にかえって自分に言い聞かせるまで、自分がまだあの街に住んでいるような気がしたし、鮮明に思い浮かぶ街角に、僕が望めばすぐにでもたどり着けるような気がした。でもたまに、二人で暮らした思い出の部屋で彼女が一人きりで夕食を食べ、二人が愛用していた商店街を彼女が一人きりで歩き、二人で眺めた河原の桜のそばで彼女が一人きりでたたずんでいると思うと反対に胸が引き裂かれるような悲しみに襲われた。しかし、電話では一緒に暮らしていた頃と同じように軽口を叩く彼女だが、その思い出の場所に一人残された彼女の悲しみは僕のそれの比ではないと思う。それでも思い出の場所に残された微かな僕の体温を支えにあの街で暮らし、数カ月に一度僕に会った時は泣いた。僕は彼女を愛おしいと感じた。 そして一年でそれに耐えられなくなり、彼女は自分の実家に帰った。僕はこれで彼女の寂しさも少しは和らぐだろうとそれに賛成し、彼女の引っ越しが済んで落ち着いた頃、彼女に会いに行った。 「いらっしゃい」 彼女はもう泣かない。 「いいところだね」 僕は彼女にもう何も感じない。 ああ、僕が愛していたのはあの街だったんだ。
エントリ7
買ったばかりのカメラ
夢追い人
岩のようにゴツゴツした背中の圧迫感とタバコのヤニ臭さの混じった汗の匂い、そしてカメラのレンズをこちらに向ける親父の姿が、春になると待ち構えていたかのように蘇る。鮮明ではない、輪郭を失ったぼやけた記憶。
「お前が初めて歩いた日にね、あれはちょうど蒸し暑い夏の日だったね」、病院のロビーがあまりにも静かなせいか、母の声はいつもと違った、やわらかい声をしていた。 「風通しのいい縁側で私が洗濯物を畳んでいたら、ちゃぶ台につかまって立っていたお前が突然手を離したかと思うと、倒れそうになりながら二歩くらい歩いたものだから、工場で働いてたお父さんに電話したのよ。吉郎が歩いたって。そしたら、お父さん仕事を途中で放り出して家まで帰ってきちゃったの。帰ってくるなり、吉郎、お前が歩くところを見たいってお父さんったら無理に何度もお前を歩かせようとしたけれど、なかなか歩かなくてね。ついにはお前が泣き出しちゃって。いい加減に諦めたかと思ったら、お父さん、お前のために買ったカメラを持ってきて、歩くところを写真に撮るんだってその日はずっとお前の傍から離れなかったんだよ。それでも粘った甲斐あって次の日には歩くところを撮ることができたんだけど」 母は僅かに潤んだ瞳で、清潔な白い壁を見るともなく眺めている。そして、小さくため息をついてから、続きを語った。 「お前が生まれた頃から小学校に上がる少し前までの写真が入ったアルバムが家にいっぱい残ってるけど、あれは全部お父さんが撮った写真なんだよ。せめてお前が大人になるまで元気に写真を撮ってくれればよかったんだけど。なんで死んじゃったのかね」 僕は何も言えなかった。壁に反射している光の中で無数の埃がゆっくりと流動している。母は僕の膝に置いてある買ったばかりのカメラに遠い日の思い出を見ているようだった。
その日、病院からの帰り道、少し遠回りして親父の墓に立ち寄った。散った桜の花びらが墓石の上に幾枚か居心地よさそうに佇んでいた。親父が死んだ日もこんな穏やかな春の日だった。 僕は片手に持っていたカメラを墓石の脇にそっと置き、両手を合わせた。 「親父、俺も今日父親になったよ。カメラも買ったよ。産まれた息子さ、猿みたいでかわいいんだ。写真出来たら見せに来るから」 湿ったやわらかな風が墓石の上の桜の花びらを空中へひらりと運んでいった。暮れゆく太陽の光がカメラを暖かく包み込んでいる。
エントリ8
ちちもんもん
紺野なつ
「ああぁ〜んっ」 二階から娘の喘ぎ声が聞こえる。 「今晩もか」 暗闇の中、ギシギシと音をたてる天井を睨みながら呟いた。我が家は安普請の木造家屋なので階上の音や声が漏れ聞こえるのだ。それにしてもこれほど聞こえるとは思わなかった。一月前に新婚旅行から帰ってきてから毎晩である。こんな事なら同居しなければ良かった。 考えてもみて欲しい、娘の喘ぎ声を毎晩聞かされる父親の気持ちを。娘はもう26で、相手は婿である。何も悪い事はない。しかし、十年前に妻を亡くしてから男手一つで育てた一人娘だ。その娘が夜毎「イク」だの「死ぬ」だの、あられもない事を口走っているのを聞くのがどれほど腹立たしいか。あの時、婿が結婚を申し込みに来た時に一発殴っておけば良かったと後悔する。いや、股間を蹴り上げて金玉の一つでも潰しておくべきだった。
ギシギシと天井が鳴る。今夜も眠れそうにない。これほど激しい夜の営みの翌朝も、娘は何もなかったかのような顔をするのだ。かといって「下まで聞こえてる?」と顔を赤らめて言われたら、私の方が恥ずかしくなるだろう。大抵の父と娘のように、私達も性に関する話題は避けてきた。今更「お盛んですな」と冗談の一つも言えないのだ。 もしかして、娘夫婦の性生活にこんな気持ちを抱いているのは私だけなのだろうか。誰かに聞いてみたいが、もし私だけ特別だとしたら、妻を早く亡くして娘と近親相姦でもしていたかのように思われてしまうだろう。それを考えると恐ろしくて聞けない。
こんな悩める私に止めを刺したのが今晩のおかずの鰻だ。娘は微笑みながら「たまには精をつけないとね」と言ったのだ。この真冬に。私は、鰻の脂でヌラヌラと濡れ光る娘と婿の唇を見ながら眩暈をおぼえた。娘は畜生道に堕ちたのだ。
ギシギシ、イクイク、ギシギシ、イクイクイク〜 静寂。
……限界だ。
私が首吊り用の紐を探しに台所に入ると、娘が流し台に屈んでいた。振り向いた娘が口元を拭いながら思い詰めた表情で言う。 「お父さん―」
そして7ヶ月後、満面の笑みを浮かべる私の腕の中に孫がいる。あの日、娘から妊娠しているかもと聞かされた瞬間、憑物が落ちたように娘の性生活などどうでもよくなった。生まれて来る孫の事で頭が一杯になった。孫ほど可愛いものは無いと聞いていたが本当だ。孫は、娘を他の男に取られた父親への神様からの贈り物に違いない。私は神に感謝して孫を抱き締めた。
エントリ9
走れ!
さとう啓介
目を開けると充電を始めた三日月があった。 (大丈夫か、まだ走れるか?) こんな所でへたっている場合じゃない。今やるべき事は走る事だ。
車道すれすれに倒れていた。車のタイヤがすぐ側を走り抜ける。身体の砂を払い落としながら立上り、また走り出す。寒風は正面から吹き付け、まるで前へ進む事を邪魔して楽しんでいるようだ。僕は自分に課せられた運命を恨みながら走り続ける。 (くそっ、こんな日に!) そんな思いが頭の中を一瞬過ったが僕は寝不足の思考を停止させ、本能だけの力で一歩一歩を踏みしめて走った。街の明かりが輝きを増し、僕の存在を闇に包み込もうとしている。 (急がなきゃ)
『卒業式を向えるまでには治って見せるから……』 そう微笑んだ母の顔が浮かんできた。あんな優しい瞳をした母は今迄に見た事が無かった。 (あの時、ちゃんと約束したじゃないか!) 汗か涙か、雫が目に滲みる。息は上がり心臓は激しく鼓動を打つ。藍色の暗闇に病院が浮かんで見えた。僕は最後の力を振り絞って走る。頭上には充電の終った茜色の三日月があった。僕は玄関に飛込み三階まで駆け上がる。息が切れて、肩で何度も息をした。 (間に合ったのか……) 白く反射する扉を開けると薄暗い室内に一瞬目が眩む。 「母さん……」 部屋の中は静まり返り、そっと横たわる母の横顔がやけに白く感じた。 「嘘だ! 俺、走って来たのに……」 僕はその場に膝を突き、無力な自分が悔しくて何度も冷たい床を殴った。
「おい、翔太どうした?」 父が立っていた。 「母さんが……。俺、間に合わなかった……」 「何言ってるんだ? 母さん、寝てるだけだぞ」 ベッドの母をもう一度よく見ると死んだように眠っている。 「でも父さん、急に容体が悪くなったって……」 「ああ、あれか。あれはロンだよ」 「ロン?」 母が可愛がってる子豚のロンが熱を出して動物病院へ連れて行ったらしい。 「お前も慌てもんだなぁ、母さんは痔だぞ、痔」 そう、確かに母の病気は癌ではなくただの痔だ。 いきなり力が抜けた。僕はよろよろと窓辺の床に座り込むと夜空を見上げた。そこにはさっきの三日月が、ニッ! と笑ってこっちを見つめている。
試験中にメールを送る無神経親父。 倒れながらも走るバカな勘違息子。 死んだように眠る単なる痔持ち母。
そんな三人を窓の外から笑って見ている三日月は 「また走れよ!」 そう言って僕にアゴをしゃくったような気がした。
エントリ10
本当の青い春
べんぞう
「おおっと佐伯選手、S字を無事抜けてクランクに入ったぁ、行けるか行けるかぁああっとここで脱輪んん!!しかしバックしてコースに復帰すれば「脱輪」を取られないぞぉ、ああっとぉしかしそのまま行ってしまった大幅減点だぁ!」
佐伯はいつもドジだなぁ。教習所に入って今日でちょうど2週間。陽の当たる待合室の、コースがよく見える窓際からみんなで佐伯の様子を見ていた。というか実況中継。車がないと不便なこの辺では、高校生は卒業式の頃になるとみんな教習所に通う。この辺に3つある教習所のうち、僕らの仲間男女5人はここを選んだ。佐伯はクラスのアイドル的存在だった。
「うぇぇ怒られちったよぉ」
「あったりめぇだバーカ。バックでコース復帰すりゃあ大丈夫なんだよぉ」
佐伯は春から地元を離れて都会の大学に行くことが決まっていた。「都会じゃ免許はいらねぇだろ」と聞くと「へへっ」と答えていた。卒業したらこっちに帰ってくるつもりなのかな。ちょっと安心した。僕も他のみんなも進学して地元を離れる。ただし僕は絶対に地元に帰ってくる。そう決めた。でも、その時にまたこの5人で集まれるのかが不安だった。
佐伯が5時間の補習を受けた以外、みんなそこそこ順調に教習は進んでいってしまう。「免許が取れたらみんなで何処へ行こう?」路上教習も半ばの頃、誰かが言い出した。海無し県に住む僕らの発想はやっぱり「海がいいね」ということになった。
「春の海って寒いんじゃないの?」
「いいんだよ見られれば。海は広いし大っきいんだよ」
「わけわかんない」
そうか。100キロ離れた海にも自由に行けるんだ。自分の意思で、自由な意思で。もう、大人なんだ…。
このままのペースだと全員3月の半ばには免許が取れてしまう。海へのドライブの、その向こうにあるものは本当の自由だ、みんなが地元を離れて進学して帰ってくるのも、こないのも。この頃になると、みんな敢えてこの『地元へ帰ってくるか問題』に触れていないことに気が付いた。やっぱりみんなもみんなが好きなんだ。佐伯はどうなんだろう。ちょっと気になった。
一旦引越し先を下見しに行った都合で教習が遅れてしまった僕は、卒業検定を佐伯と一緒に受けた。僕は予想通り一発合格し、佐伯は奇跡的に一発合格した。検定合格証を貰った後、肩を叩かれた。はいはい?
「ねぇ、ちょっと話があるんだけど…いい?」
うつむき加減で、ちょっとだけ上目遣いの佐伯がそこにいた。
エントリ11
上司のお誘い
ごんぱち
「残業お疲れ様、どうだね今晩?」 横山信男は、盃を持つ仕草をする。 「ぃ、横山主任……俺、ですか」 パソコンのディスプレイから顔を上げ、四谷京作はオフィスを見回す。 残っているのは先輩の林田直哉と四谷だけ。 「ああ。林田と四谷と二人とも招待しよう。こんな残業で、予定なんかみんな潰れてしまっただろうから、せめてもの償いにな。それに家内のヤツ、いつもメシを多く作ってしまうんで、喰って貰った方が助かるてなもんだ。あはは」 「はあ、そうですか……」 「そりゃなんとも」 四谷と林田は顔を見合わせる。 「酒は何が良い? ええと、確か四谷は日本酒党だったな。新年会の時に頼んでたし」 「はい、そうですけど」 「うんうん、家内の料理は大体和食でな、日本酒に合う筈だ。それに、まだ歳暮に貰った純米酒の開いてないヤツがあるからな」 「そーですか」 四谷は片手でパソコンの電源を落とす。 「林田は焼酎党だったな? 前来た時に随分呑んでたし」 「泡盛限定ですけど」 曖昧な笑みを浮かべ、林田は応える。 「よし、ビールも足りなくなっていた事だし、行きがけに買って行こう。勿論全部私の奢りだ。何、遠慮はいらんよ。明日は日曜だ、今日は一晩中痛飲しようじゃないか」 「一晩中……ですか? それはいくら何でも奥さんに悪いんじゃ」 「なあに」 横山は笑う。 「遠慮は要らない。賑やかな方が家内は喜ぶよ。イザとなれば部屋と布団の予備だってあるからな」
翌朝。 「――四谷、大丈夫か?」 走る始発列車の中で、林田直哉は、隣の席に座った四谷京作の肩を叩く。 「……え、ええ、まあ」 四谷は、疲れ切った顔で、窓の外の朝日を見つめる。 「噂には聞いてましたけど、主任って……」 「ああ。息子さんの成長記録ビデオ・全二十三巻を、夜通し見せられんだもんなぁ」 「あれ、全部自分で撮ったんですよね? よくあんなに」 「同期入社の課長によると、運動会だの授業参観だのの時は、会社がどんなに忙しい時でも休みを取ったそうだ。修学旅行の時なんて、辞表まで用意して撮りに行ったとか」 「それが主任止まりの理由って、ただの噂だと思ってたんですけど、そうとも言い切れないですね」 「ああ。大した親心と言えば親心だ」 「親心……」 両手で顔を押さえ、四谷は大きく溜息をつく。 「あー、たまんね」 林田も同じく溜息をつく。 「きっついよなぁ、出産シーン」 「いや、それよりも轢死体でしょう? 息子さんバラッバラ……」
エントリ12
数
越冬こあら
2×5=10で、2と5が急接近という噂が広がって間もなく、若い二人は駆け落ちした。家柄の違いが原因だった。
2の家系は、数の半分を制する偶数の代表であり、シンメトリー、陰陽思想、天国と地獄といった二極思想の基本として哲学的、歴史的にも高い地位にある。また、2×2=4、4×2=8、16、32と飛躍的発展に魔法の影を見せたかと思うと、二進法としてコンピューター社会の基礎を固めた立役者でもある。コンピューターといえば、二進法のおかげで0と1は昼夜なく働かされている。名誉を得たら、実務は任せるといういかにも貴族的なやり方が家柄を良く表している。 一方、5といえば、5、10、15、20という着実な増加で足場を築いたとは言え、元は貧しい家系である。家柄の違いは歴然としており、反対する家族から逃れるべく、駆け落ちに及んだらしい。
駆け落ち先は人間界だった。人間は、目、鼻穴、耳、肺、腎臓と2に囲まれて、手足には、5本の指があるので、そこから生じる親近感を頼りに新生活の場に選んだようだ。人間界では、ちょうど大規模なロボット開発プロジェクトが開始されており、二人は制御システムの要として、暖かく迎えられた。 大きな支えを失った数字界で、代わって勢力を延ばしたのは2のライバルとして認識されていた3、6、9グループだった。数字界の混乱は予想を越えていた。 10÷3、10÷6、10÷9どれもが循環小数というどこまでも続く数の迷宮となり、帯分数が横行し、三角関数、三平方の定理等々、難解な計算が繰り返され、それに乗じて詐欺、横領まがいの行為がまかり通った。
悲観にくれた数達の叫びを聞いて、7が動いた。東、西、南、北、天、地、人、全てを足した数として崇められてきた、七不思議の7が動いた。 まず、ダブルオー7の知恵とウルトラ7の力、ラッキー7の幸運を持って、3、6、9を叩きのめした。その後、2+5=7の姻戚関係を頼りに、2、5両家を説得し、二人が数字界に戻れるように御膳立てを整え、人間界に2と5を迎えに行った。 「ロボット開発プロジェクトと言っても、制御関係はコンピューターが受け持つのだから、あとは0と1に任せて、数字界に帰ろう」 7の誘いに、もともと数字界が嫌で飛び出したわけではない二人は、手に手を取って戻って来た。
暗くて狭いコンピューターチップの中、0と1は以前にも増して、忙しく働き続けていた。
エントリ13
枯木に懸かる古巣
土筆
落葉した古木の枝に、鴉の巣がかけられている。既に巣立ちをして役目を終えた巣だ。葉がなくて透け透けの枝に、そこだけ何やらいかがわしく蟠っているさまは、無粋で見苦しい。 ことに、枯枝とか、ぼろきれとか、ビニールとか、針金さえ使っている巣とあって、街なかに情趣の秋を探そうとする者を落胆させている。秋の風景にはちがいなくとも、いささか凄まじすぎるのである。 当の鴉からして、自らの汚点でもあるかのように、遠巻きにして近づこうとしない。巣から襤褸切れがぶら下がって、風にひらついている図は、どう見ても風流などと言えたものではない。
鴉は興ざめの面持ちで、離れたビルの屋上から、古巣に向かって吠えまくっている。 とく失せよ! とく失せよ! かつて膨らむ思いにせかされて巣作りをしたのが、自分であるとは認めたくないのだ。
この鴉にとって、春を待つ気持は他の小鳥たちよりはるかに強い。梢が膨らみ、葉が全開して、悪夢のようなものを覆い隠してくれればいい。 もう一度その巣を使うつもりはなかった。 今度こそ、もっと気の利いた材料で、こざっぱりした巣を作ろう。都会のビル群が、リニューアルして空に伸びてくる昨今、鴉の巣だけが旧態依然として、みすぼらしくあっていいはずはない。 鴉は自らの造作を許せないほどプライドが高かった。
相棒の雄は、巣立ちと同時に子鴉を家来にして、漁港の町へと旅立ってしまった。 相棒の後を追うつもりはなかったから、行くとすれば、郊外か、山麓の町ということになるだろう。 鴉は、ビルの屋上から古巣を遠望しながら考えた。 子育ての馬鹿ばかしさについて。 子鴉が成長して、仲間に混じり、夕焼け空をカアカア啼きながら巡ったからといって、それがなんだろう。都市に人間が溢れかえっているように、鴉もうんざりするほど増えてきているのだ。寺の境内では収まりきれず、児童公園すら鴉の生活の場となっている。 かように鴉の懐疑は尽きないが、そのくせ、毎年のことながら、その季節になると卵を抱え込みたい欲求にかられて、営巣を始めてしまうのだ。
鴉はこのとき、ある着想を得て発奮した。古巣に感じる嫌悪の正体はこれだとばかりに、頭の毛を逆立て、自らに言い放った。 あの禍々しい古巣は、 毎年こりもせずに沸き上がってくる 抱卵の欲求の権化にほかならない!
鴉はそう決め付けると、折からの風に乗って遠く飛び立って行った。
エントリ14
片足立ちで目を閉じろ。
アナトー・シキソ
余った中華を食べる。 外側のふかふかはもう冷めている。 底の紙を剥がすとヌルヌルしてる。 中の具はまだ温かい。 温かい具を、冷めたふかふかで包むようにして食べる。 強いモノが弱いモノと口の中で混ざる。 この混ざる感じが美味さの秘密だ。 ただ、このネトネト感はイヤだ。 歯に貼り付いた生地を舌で取る。 舌で取れないヤツは、ひとさし指を突っ込んで取る。 取れたカスは食う。
〈箱〉と書かれた部屋のドアを開けた。 中は段ボール箱の山。 山というより壁だ。無地の段ボール箱の壁。 部屋いっぱいに隙間なく積み上げられている。 行き止まりのようだけど本当は違う。 一番下の右端の段ボール箱の向こうが空いてる。 人が一人通れるくらいの「通路」だ。 蓋になっている段ボール箱を抜き取り、四つん這いになって「通路」を通り抜ける。 右、左、左で、ガランと広い体育館のような工場に出る。 人の姿はない。 象のような大型の機械が一台、独りで動いている。 尻からぽろぽろと何か出ていて、例の段ボール箱の中に溜まっている。 タバコの箱のように見える小さな四角いものだ。色は白い。 僕は、向かいの荷物運搬用のエレベータまで歩く。 「機械稼働中の立ち入りは大変危険です。速やかに退出して下さい」 天井からやさしい声で女が言う。 けど、本当は女じゃない。機械だ。機械の声。 センサーと合成音声のやってることだ。 最初は慌てたけど、もう慣れた。 僕はエレベータの扉を開けて乗り込む。 と、足下に何か落ちているのに気付いた。 拾ってみる。 それは、例の象のような機械から出てきているアレらしかった。 初めて近くで見たけど多分そうだ。 ツルツルの固い塊。字も柄も何もない真っ白け。 「ダメですよ」 男の声がして、振り返ったら人がいた。 工場長。胸にそう書いてある。 「持って行っちゃダメです」 僕は工場長に白いツルツルを返す。 「中華、食べたでしょ?」 工場長が白いツルツルを受け取りながら言う。 「匂いがしてるから」 工場長が板ガムを差し出す。 「匂いは機械誤作動原因の第三位ですからね」 そう言われれば仕方がない。 僕はガムを受け取る。 ガムはすっかり乾燥していて、口の中でパキパキ折れた。 「騙されましたね」 工場長がフフッと笑う。 「それはガム板。ガムに似せた板です。原料はこれ」 と言って、例の白いツルツルを見せる。 僕はガム板を噛み続ける。 最初は乾燥してたけど、今はスニッカーズの中身みたいにネトネトだ。 味は、普通のガムと変わらない。
エントリ15
商売替え
太郎丸
チェーン展開していた牛丼屋は可哀想だとは思うが、安さを追求するためとはいえアメリカなんかの牛を材料にしていたのが悪い。 しかし閑古鳥を手懐けたものだから、今度は鳥インフルエンザとは憐れではある。豚も出し始めたようだが、豚だってBSEの危険があるのを知らないのだろうか。もっともキャリアだとしても出荷される頃はまだ判らないのだから、検査には意味もない。 冷凍食品を温めて料理した事になるという時代だから、不健康な身体が作り出され、その為の医薬品などの不健康な化学薬品漬けになる人間が多くなるという悪循環を繰り返してしまう。 ウィルスは強くなり人間は弱くなる。こういう事が人類を破滅に追い込んでいくのかも知れない…。 健康の為に食事に気を配りだしたら、外で食べるという勇気は大変なものだし、食材を吟味して行くとエンゲル係数が高くなるのは仕方がないし当たり前の事なのだ。
しかしこちらも食事を出して金を貰うという商売をしている以上、同じようなターゲットの競争相手が減るのは嬉しいものだ。 健康志向が高まる以前から、食材は吟味している。醤油も大豆から確かなものを使っている所からの仕入れだし、粉さえも国産の土地の肥えた産地のものである。 うどんを打つのに使う水も塩も厳選している。だから一日の量はそんなに作れるものではないし、材料が無くなれば店を閉める。それでも値段の割りには美味い物を提供するという、そんな努力も最近評価されてきた。 健康に気を遣う。そしてそれが美味くて手軽に、それこそがサービスの心得だと思っているから、食材集めに色んな地方へ足を伸ばしては交渉する。そんな仕事ばかりの人間だからという訳ではないだろうが、女には縁がなかった。だから雑誌の取材とかで来た女性から誘いがあった時には喜んだ。
そして食事も食後の一杯も終り、流れ流れてホテルの部屋に場所が移って、二人は身体を寄せあった。 「私も料理して」 軽いキスをして女は腕を絡める。 俺は女にキスをし身体を弄り、興奮し始めた女の服を脱がせる。 乳房に這わせた唇が下に向かい、乳房を揉みしだいていた指は脇の下から首筋へと向かい、閉じない女の口の中で舌を嬲る。 声が漏れる。 俺の腰は女の足に絡みつかれたまま激しく前後する。
ぴゅっ。
下着を着けながら女がこう言った。 「お手軽だけど、早過ぎてうまくないわね」
それで俺は懐石料理を始める事にした。
エントリ16
東京ど真ん中
るるるぶ☆どっぐちゃん
ノーミュージックノーライフとはタワーレコードの宣伝だけれどもともかく全くその通りなので、あたしはラジオとステレオラジカセのスイッチを同時に入れ、さらにはテレビのスイッチも入れるから、あなたはギターを。お願い、ギターを! ギターを! 「オウケイ、解った」 ぎゃんがんぎゃがぎゃがぎゃががぎゃががが。 「オウケイよ、とても良い!」 ぎゃががががんがががぎぎぎぎぎゃかががが。 「難しい質問をします」 大音量のテレビからはアナウンサーが普段通り、歌うような調子で喋るのが聞こえる。 「そしてそのあとで、簡単な質問を。良いですか?」 そして飛行機が落ちる! 窓の外の青空に凄まじい放物線を残して、飛行機が落ちる! 落ちる! 落ちる! 落ちる! 爆発音。全てを引き裂くような爆発音。これを求めていた、というような凄まじい爆発音。あたしはうっとりと立ち尽くし、辺りを見渡す。 焼け跡では、ロールケーキがくるくるとロール、回っています。ショートケーキも、くるくると回っています。もちろんモンブランもザッハトルテも例外無く、くるくると回っています。 薄ピンクのハートマークに銀の小さなスプーンを入れてすくい取り、子供達は嬉しそうに笑いながらそれを食べていく。 「随分と大きな飛行機だったね。随分と立派な飛行機だった。何人乗っていただろうね。とても大きな飛行機だった。そして、とても凄まじい音だった」 「うん、でもね。全て嘘だったの。ごめん、あたし嘘をついていたわ。全て、全部、丸ごと嘘だったの。 だからお仕置きをして? あたし、あなた無しじゃあもういられないの。あなた無しじゃあ駄目なの。だからお仕置きをして。いっぱい、お仕置きをして。そしてあなたと、いつまでも一緒にいさせて」 「オウケイ、解った」 裸にされて縛られて、あたしの白い身体に鞭を百発くれた後、彼はそこら辺に落ちている折れた木材を利用してギロチンを作り始めた。 あたしの首は絞め木にしっかりとはめられて、息も出来ないまま、ギロチンの刃は容赦無く落とされる。 ギロチンは破壊し、身体も、意味も、時代も、全てを破壊し、切断し、ガラクタだけを残し、去る。 街の真ん中に取り残された首の無いあたし達は、東京タワーの前でにっこりと笑い合った。 気が付けば無音。夜明け間も無い空の下には、カラスの鳴き声が微かに聞こえるだけ。 あたし達は抱き合い、ようやく初めてのキスを交わす。
エントリ17
春、間近
立花聡
雨であった。本堂の屋根の雨樋から時折、溢れた水が転げ落ちた。池の魚が跳ねた音が雨音に溶けていく。 「いかがですかな」 「そう、きますか」自陣に打たれた飛車をみて男は唸った。 冷たい廊下に置かれた駒を、ぱちぱちと弄びながら、男は姿勢をしきりに変えている。 「娘さん、そろそろですか」 「え? えぇ。来週ですかね。おかげさまで」 「しかし、良かった。三十路を過ぎた結婚なんてなかなかありませんから」 「俗っぽいことをおっしゃる」あぐらを組んだ男の足が、小刻みに揺れている。 「僧侶とて人ですから」 「あぁ、もう。邪魔は止めて下さいよ」 男は相駒を打った。 和尚はにやりとすると、そのまま寄せきった。 「まだまだですな。どれもう一局」和尚は駒をまた並べだした。 「休憩しましょう」男は側にあるお茶を啜ると、ごろんと横になった。廊下はひんやりと男を迎えた。 見慣れた風景である。階段を上りきった辺りから石畳がこちらに迫り、その脇を紅葉や桜が覆っていた。冬の時分と一見すると変わりはないのだが、打ち付けた雨が巻き起こす匂いは暖かな湿り気を帯びている。十代の頃、親に連れられて訪れ、何かの用事につけて通ってきた。見習いだった僧侶は今では住職になり、気が付けば寺の景色で四季を感じるようにもなっていた。 「来週はもう桜が咲き始めているでしょうな」 「ほんとに早いもんで」男はむっくと起き上がる。 「私の中では、まだまだ中学生くらいですよ」 「それは僕も一緒ですよ。気が付けば三十過ぎてて」 男が駒を並べだす。 「どんなお気持ちで」 「不思議ですよ。どうだかよく分かりません」 雨脚が弱まってきていた。 「お相手の男性は」 「誠実そうな良い男ですよ。根が優しそうな」 「酒でも飲みましたかね」 「いえ、まだお茶程度です。いざとなると照れくさいもんなんで」 「何かありましたか」 「はい?」 「お嫁に行くときの心構えとか、親として伝えておくこととか何かありましたか」 「あぁ、いいえまだですよ。やっぱり言うもんなんですかね」 「そりゃあ、そういうもんでしょう。どれ、私が何か考えましょうか」 「結構です。最後くらい親らしく言わせて下さいよ」 「あぁ。そうですよね」 男は盤上をきれいに整え終える。 「始めましょうか」 「それじゃあ、私は勝ったので後手で」 雨は上がり、雲間から日も射してきた。木々の先端から水滴がぽつりぽつりと落ち、陽光に晒されて光った。 もうすぐ春である。
エントリ18
bed
犬宮シキ
bed
昨日、ベッドを捨てました。古いベッドで、スプリングがぎしぎし言うので、捨てて正解だったと思います。ので、私の部屋には菜の花色の毛布だけが、なんだかやる気無い犬のように死んでいるのです。 ベッドと私の思い出は、長いものです。一朝一夕ではもう辿ることは出来ないでしょう。私の涙をベットは吸い、私の微笑みをくるみ、私の苛立ちを抱き、ベッドはいつでも朝を約束していました。そんなベッドを捨てたのには、実は訳があるのです。 私のベッドは、マット付の、まあいわゆる普通のベッドでした。黒い鉄フレームの、シンプルと言えば聞こえは良いですが、安いベッドです。一人暮らしで、掃除も嫌いなものですから、シーツを一枚引いて、このシーツは洗濯していましたが、マットの方を干すと言うことはなかなかしませんでした。いえ、実は一度もしなかったのです。一人暮らしですから、何か秘密の、例えばヌードとかラブレターとかをマットの下にひくという風習もなかったので、そのマットの下は私には全く知れない世界でした。 いえそんな私でも、家に訪ねてくる人くらい居ますから、ただ隠したいときには寧ろ人の目の付くところにいうエドガー・アラン・ポーの教訓を生かして、テーブルの上に置いてみたり、壁に貼ってみたりしていただけなのです。でもラブレターは貰ったことがないし、ヌード写真にもあんまり興味がないので、本当は本当に隠したい物なんか無かっただけかも知れません。 ベッドの話に戻りましょう。ベッドを捨てる前日に、その私の家を訪ねる人、数少ない友人であり恋人でもあった人が訪ねてきていました。そして酷い喧嘩をしてその人は家を出ていってしまったのです。あ、でもそれがベッドを捨てた理由だなんて思わないで下さいね。そうなんです、違うんです。その後一人で部屋にぽつんと立っていて、ふと、思い立ってマットを剥がしてみたのです。マットの下は真っ暗でした。なんにもなかったのです、ただ四角く、果てしなく。私のような、虚無でした。 私は怖くなりました。こんなものが部屋にあったらそりゃあ恋人も出ていくよなあと思いました。そして元通りにマットを置き、翌日捨てました。ベッド丸ごとです。 だって厭でしょう?それに背中がすかすかするんですよ。でもまあ、理由が分かって良かったです。 だからいま、私の部屋の隅には毛布だけが死んでいます。そしてまだ、恋人は戻らないのです。
エントリ19
ひな祭りが来た
蛮人S
ノックの音がした。 「はい?」 チェーンを掛けたままドアを開くと、相撲の行司みたいな二人が立っていた。 「自称疲れたOLの弥生さんですね。雛祭りが来ました」 言うなり部屋の中に煙が上がり、中から平安貴族みたいな男女が現れた。さらに六人の男女がもくもくと部屋に現れた。やはり行司みたいなのと、巫女みたいなの。行司は何やら大箱を開き、取り出したお膳や杯を巫女がてきぱき並べる。「お待ちかね五人囃の皆さんです」白い煙から、楽器を抱えた五人の少年が飛び出してきた。「ハーイ」 私は最初に訊くべき質問をやっと口にできた。 「あんたら何者?」 「ミカエルです。太鼓を叩いてます。飲みなよ」白酒。 「ガブリエルです。大鼓を叩いてます。飲みなよ」白酒。 「ラファエルです。小鼓を叩いてます。飲みなよ」白酒。 「パーカッションバンドかよ」早くも酔いが回ったか、思わずツッコミを入れている私。 「笛の担当でウリエルです。飲みなよ」 「ボーカルの、えーと、飲みなよ」 はあ? 「じゃ始めるよ。ワン・ツー・スリー・フォー」 「とん」「ぽん」「ひゃら〜」 始まった曲は見かけ通りの能楽だった。「よぉ、いいぞ」半ばやけくそに盛り上がる所に、一段落した三人組の男が酒を持って近づいてきた。 「毎日つらいんだって? もっとビシっと言えば良いんだよ、ビシっと」怒っていた。「それが出来れば苦労はないよね。可哀相にね」泣いていた。「ま、お気楽にさ、くよくよしても仕方ないしさ」笑っていた。で、三人揃って白酒を注いだ。「さあ飲め」飲んだ。白酒は一口飲むたび三人の巫女が注いで回るので無くなる気配がない。 「えー宴たけなわでは御座いますが」爺さんの司会が声を上げた。「最後に親王様、内親王様より祓いの儀式を賜りまして締めと致したく存じます」 正面でニコニコしてた平安貴族が、微笑んだまま私に近づいてきた。 「な、何よ」 二人は私の左右の頬に、顔を擦り付けながら囁いた。 「悪いの、悪いの、飛んでけー」 あほらしさに脱力していると、司会の行司二人組が言った。 「これで私達はおいとま致します。私達の帰るとともに、今日の事は全て忘れる」 言いつつベランダの戸を開けると、部屋にいた全員がえらい勢いで次々飛び降りていった。マンションの裏は川で、十五回の水音がした。 「ちょ、ちょっと」 私は川を見下ろしたが誰の姿も見えなかった。部屋も綺麗に片付いていた。 でも、全て覚えてるし。
エントリ20
私の羊は振り返らない
伊勢 湊
僕は一応精神科医と脳外科医としての資格は持っているが病院や診療所で働いているわけではない。僕がやっているのはあくまで相談所である。
「仕事のことで困っています。小さい頃から見ていた夢が叶い自然風景を撮るカメラマンになりました。本当に幸運なことだと思っています。なのにあの日から森に入れなくなったのです」 「あの日から?」 「はい。ある南米のジャングルにいました。写真に夢中になり方角を失いました。でもそれほど心配していたわけではないのです。初めてではないし、さほど奥地にいたわけではなかったから。だから深く考えずに歩き出しました。腹の足しに持っていた林檎を食べてから。そしてしばらく歩き私は妙なものを見つけました。林檎の芯です。私が捨てたものに間違いありませんでした。聞いたことがありませんか? 人間は道に迷うと大きく円をかいて同じ場所に戻ってくると。そのあと私は高台に上りコンパスを駆使し森を抜けました。でも、そのときから自分が信じられなくなったのです」 「なるほど。ところでちょっと立ってみてもらえます?」 「えっ? あっ、はい」 「あー、やっぱりそうだ。なかなか自分では気が付かないもんなんです」 「なっ、なにがですか?」 「右足のほうが長いんです」 「えっ?」 「右足のほうがね、少しだけ長いんです。ほんの少しだけ。そうなると歩くとき微妙に右側にいっちゃうんですよ。そして最終的には反時計回りの円を描く、と」 「そっ、そうなんですか?」 「ええ。で、私が見たところ、鍋敷きですかね」 「鍋敷き?」 「ええ。次にジャングルに入るときは鍋敷きを適当な大きさに切って左の靴の中に敷いてください」 「はっ、はい! ありがとうございます!」
「先生ほんとう?」 「なにがですか?」 「靴に鍋敷きいれて真っ直ぐ歩けるようになるっていうの。あのひと信じきってましたよ」 「さあ。そのときになってみないと。でも」 「でも?」 「信じていれば大丈夫、みたいなところはあります。一種の暗示ですから」 「もう。相変わらず医者には向いてない考え方ですね。それで森で迷ったらどうするんですか?」 「あなたは迷ってます?」 「そうですね。迷ってないかも。僕と暮らせば幸せになりますよ、なんて。信じちゃったもんなぁ。これも暗示?」 「どうですかねぇ」 相談者が帰った後のオフィスで片付けをしながら多香子とそんな会話をするとき、僕はこの仕事を始めて良かったと思うのである。
エントリ21
耳が大きい
日向さち
耳が大きい。 そう言われた渡くんが泣き出したことは、今でも忘れられない。 卒園文集のようなものに載せるために、先生が質問していた時のことだ。お友達から見るとどんな子なのか、ということを、一人一人について皆が思いつくままに挙げていた中での一言だった。 「泣かなくていいんだよ。耳が大きいっていうのは良いことなんだから」 先生の言葉に振り返ると、廊下側の一番後ろの席で、渡くんが机に伏せていた。声は出していなかったから涙を流していたのかよく分からなかったけれど、その分、大きく機嫌を損ねていたのだと思う。 誰一人としてからかおうとはしなかったし、泣き止ませようとするのも先生だけだった。それは、渡くんがいじめっ子だったからという原因だけではないだろう。 合奏をやった時、渡くんのパートは大太鼓だった。タンバリンだった私は、練習でも保護者の前での発表でも大太鼓の隣で、大太鼓が鳴るたびに身を硬くしていたから、よく憶えている。大太鼓は、渡くんによく似合っていた。 そんな渡くんが、この時だけは全然違う子みたいだった。だから、黙って渡くんの坊主頭を見つめることしか、私たちはにはできなかったのだ。私にとっては、耳が大きいということが泣くようなことなのかどうか分からなかったし、先生の言った、良いことなんだというのも分からなかった。それまで、渡くんの耳が大きいことにすら気づかずにいた私には、からかわれなくていいな、という考えが浮かぶ隙さえ与えられはしない。 先生が仕切り直して次の子の番に移ったが、いつもと違う空気は残ってしまっていた。 たった一言言われただけで泣いてしまうほどのコンプレックスを、当時の私は抱えていなかった。からかわれることに慣れていたのかもしれないけれど、一言言われただけで泣くほどのものなんて何も持ち合わせていなかったと思う。 そのころからリーダーシップを発揮していた渡くんは、小学校六年の時、児童会の委員長で、野球チームのピッチャーで、顔立ちも良く、勉強もできたので、学校で一番もてる男になった。中学でもやっぱりもてて、近寄りがたい、なんて言う女の子までいた。いじめっ子じゃなくなったこと以外は、そのままに成長しただけとしか見えなかったけれど。耳が大きくても大丈夫だって、保育園児だった渡くんに、教えてあげたい。 でも、そんなことを知らずにいたほうが、渡くんのためになるんだろうと思う。
エントリ22
『歌う星、探しに』
橘内 潤
宇宙ラジオのチャンネルをぐるぐるまわす。 タウルスの嘶きとスピカの溜息が、今日はよくきこえる。藤生はカストルとポルックスの対談が好きなのだが、今日は生憎とノイズばかりできけそうもない。 「――しょうがないか」 だれも見ていないのに、藤生は芝居めいた仕草で肩を竦めてみたりする。 気晴らしにサンダルをつっかけ、アルタイルの羽ばたきに合わせて外へとくりだす。片手に宇宙ラジオを引っさげて。 青い空とざわめく並木。亜麻色の木漏れ日をかきわけ、藤生は歩く。ラジオのチャンネルをぐるぐるまわし、片っ端からリクエスト。 ベガの爪弾く琴音を口ずさみ、シリウスを真似て遠吠えしてみる。泳ぐミラの雄大な波飛沫をききながらフォーマルハウトを探していたとき、それはきこえてきた。 ――ラララ、ララ……ラ、ラ……―― 鼻歌。 ノイズ混じりだし、デネブの歌声よりも美しくない。けど、チャンネルをまわす藤生の手はぴたりと止まる。鼻歌に惹き付けられていた。 空を――宇宙を見上げる。大気にあたって青く弾ける陽光。視線はその青を突きぬけ、太陽光線の張り巡らされた暗黒のさらに遠くへと。 「――探しにいこう」 呟くと、藤生は家に帰った。船出の準備をするためだ。 名も知らぬ星の歌を聴くために、宇宙ラジオを手がかりに、暗くて明るい海を旅しよう。
衛星軌道エレベーターで宇宙ハーバーに到着。空気虫のたっぷり詰まった空気石を買い込むと、そのひとつをごくんと飲みこむ。出港手続きで理由をきかれて「歌う星、探しに」といったら「お大事に」といわれて手続完了。 今日の太陽風はオリオンより強めの、旅立ち日和。 帆布一杯に風を受け、藤生の船はハーバーを離れて宇宙へ飛びだす。すこし肌寒いけど、最新式の空調設備はラジオにノイズが入るから嫌い。充電式カイロで我慢。 気晴らしにラジオをつける。 名も知らぬ星の歌は、地球できいていたときより、ちょっとだけノイズが少ない気がする。ノイズの少ないほう少ないほうへと向かっていけば、いつかたどり着くだろう。 「ラ、ララ……ララ、ラ」 藤生はラジオに合わせて、途切れ途切れに口ずさむ。
歌を探しに。 広がる宇宙と果てない時間を越えて、歌を探しに。
エントリ23
【笑顔の薬】
児島柚樹
透明な橙色の小ビンに入った薬がある。 少女は薬屋の前で物欲しそうな顔で見つめていた。 薬屋の老主人はそれに気づいた。
「いらっしゃいませ。」 そう老主人が言うと、少女は急いで立ち去った。
少女が見つめてた薬は 【笑顔の薬】 それを飲むと、笑顔になれるというくすりであった。 しかしそれは少女には手が届かないほど高い代物だった。
だから買えずに見ていたのだろう。
少女は次の日も また次の日も 薬屋を訪れた。
見つめる先は 【笑顔の薬】
老主人は声を掛けず 少女を見てた。
少女は身なりは汚いが とても可愛い顔をしていて、とても綺麗な髪を持っていた。
毎日毎日 少女は訪ねた。
ある日 少女はいつものように薬屋にいた。 その時、高そうな車が老主人の薬屋の前で止まった。 車から出てきた男は丸々太っていて綺麗な服を着ていた。
そして老主人に あの【笑顔の薬】を求めた。 少女はとても驚いていた。 少女を横目で見ながら老主人は尋ねた 「この薬を何に使うんですか?」 男は答えた 「娘がお見合いで全然笑わないから縁談がなかなかまとまらない。 娘が結婚を嫌がから笑わないなら、無理やりにでも笑わせて縁談をまとめたい。金ならいくらでもやる。」 老主人はこの男に薬を売りたくないと思った。 「少しまってください。」 老主人がそう答えた。 男は始めは渋っていたが、今日はあきらめて帰っていった。
車が去った後、少女がいつのまにかいなくなってたことに気付いた。 不思議に思いながら老主人は店の中に入っていった。
その夜、 店仕舞いをしようとしてたところに
少女が訪ねて来た。
そして老主人の手に
少しのお金を握らせた。 しかし、あの薬を買うには全然足りなかった。
少女は口を開いた
「私の髪を売ってください。」
少女の目は本気だった。
「どうして君はあの薬が欲しいんだい?」 老主人が尋ねると、少女は答えた。 「お母さんがもうすぐ死ぬの。 お母さんは私の笑った顔が好きなんだけど つらいことばっかりだったから 笑うこと忘れて、笑えなくなったの。」
老主人は少女に心を打たれた。 老主人はお金を少女の手に返した。 そして、ショーウィンドーにおいてた あの【笑顔の薬】を 少女の手に握らせ 「持ってきなさい。」と言った。
少女は少し迷ったが老主人に 「ありがとう。」といって店を出た。
次の日、男に売れたと説明した。 男は怒って 「こんな店にはもう来ない」と言って帰っていった。
ある日
少女が訪ねて来た。
「ありがとう。」 少女は笑顔で老主人にお礼を言った。
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