第101回1000字小説バトル

01I think though it may not be fulfilled. 弥生1000
02あなたの居ない夜3737☆★1000
03ルリ待子あかね1000
04幻想譚―序章村方祐治1000
05(作者の希望により掲載を終了いたしました)  
06あの冬一番高い山SuzzannaOwlamp1000
07再犯措置ごんぱち1000
08虚実の波紫生1000
09どなどな越冬こあら1000
10風船とむOK1000
11手紙ぼんより1000
12ラプチャーるるるぶ☆どっぐちゃん1000
 
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エントリ01  I think though it may not be fulfilled.      弥生


「まだ起きてたの?」
「いま起きたとこだけど」
 午前3時45分、絶対に気づかれまいと細心の注意を払ってドアを開けたらパジャマ姿のシズちゃんが立っていた。商店街の福引で当てたとかいうシルクのパジャマが妙に似合っていて、ちょっと眼を細めて見たら古い洋画にでてくる女優みたいだ。これが長い年月を重ねた女の悟りか、なんて思ったけど、考えてみればシズちゃんは昔からそんな感じだったような気もする。
 母さんがどこかに消えて父方の祖母にあたる(おばあちゃんなんて一回も呼ばせてくれないけど)シズちゃんと住み始めてから15年間ずっと、毎朝ぬか床をかき回す日課は変わらない。私なんかは嫌煙しちゃうような茶色いソレに手を突っ込むシズちゃんは、奇抜な格好をしていてもやっぱり『おばあちゃん』だ。しかも最近やけに昔の話をする。
「最近ね、あの時、みっちゃんを引き取ったとき、『おばあちゃん』って呼ばせなくてよかったって思うの」
「なんで?」
「だって、もしそうしたらもっと早く老けちゃいそうだから」
 そう言って笑うシズちゃんの手にはくっきりと皺が刻まれて、ぬか床をかき回すまあるい背中は最近たまに透き通って見えることがある。いつだったかシズちゃんとのこれからを考えた日から、少しずつ、ほんとうに少しずつ増していく別れの予感は誕生日にろうそくを吹き消すくらい自然で、それでいてひとりではとても受け止められないような、真夜中に急に思い出して泣いてしまうような、そんな悲しさを含んでいた。
 シズちゃんは、私がそんなことを考えているなんて知らずに夜と朝の間でぬか床をかき回す。ずり落ちてくるパジャマの袖を何度もたくし上げながら。 
「いいのに、そんなにがんばらなくて」
「だってみっちゃん、おいしいぬかづけ食べたいでしょ」
 食べたいけど、の後に言葉が続かない私は、
「シズおばあちゃん」
 振り返るけど聞き返したりしない。そのかわり私の首筋を指差して、 
「あらあ。みっちゃんの首、ヒルに吸われてる」
 うろたえる私を見て若いって良いわねえ、と満足げに笑ってから、冷たい水で手についたぬかを洗い流した。そして私に背を向けたまま、
「みっちゃんはそのヒルさんと結婚するのかしら」
「さあ。どうだろうね」
 ステンレスの流し台に当たる水の音を聞きながら、私は付き合い始めの女子高生みたいに、あるいは新婚の夫婦みたいに、こんな日がずっと続けばいいのになあ、と思った。







エントリ02  あなたの居ない夜     3737☆★


 あなたの居ない夜―そんなのはいつものことでしたね。

 コーヒーに少しミルクを入れて、苦味のあるので目を覚まして。
 あなたのために朝食を作り、いつのころからか、あなたは私より新聞を相手に朝食を食べて。私もあなたの帰りを待ってみようかと思っていた日はとうの昔になりました。そんな間に、子育ても人並みにして、大学を出して、就職して、孫の顔も見れて、私は満足。

 あなたの居ない夜―それに慣れきってしまったのです。

 コーヒーをブラックでのみ、あなたは新聞を広げ、何も言わずにパンをかじる姿を見て、「何で一緒にいるのかしら」とふと思う夜です。
 コーヒーの銘柄も少し変わって、ミルクのパッケージも少し変わり、それでも私は待ち続けるのかしら?

 そんなことを思って、あなたの向かいにコーヒーを置きました。

 熟年離婚についてのテレビ番組を見て、私もあなたも「明日はわが身」とか思っているのが、唯一の共通点みたい。
 そう思って、くすりと笑ってしまいました。
 「何かおかしいことがあったか?」
 「いいえ、ちょっと」
 「きになるじゃないか。」
 「そうね、まだあなたとやっていけそうだわ、とか思っていたのよ」
 驚いた顔をしたあなたは、少しあせった顔をして、
 「なんでも、手伝うぞ!」
 「やめなさいよ、『年寄りの冷や水』になるから」
と私はいなしてしまうのでした。コーヒーのブラックはあなたのほうが濃いのに、腹黒さはどうやら私のほうが一枚上手。

 最近些細なことで喧嘩して怒ったり、笑ったり、泣いたり、わめいたり。あなたのおかげで、子育てよりも忙しいです。
 実は最近、あなたの居ない夜が恋しかったりしますよ。
 会えない間は身づくろいできるし、お風呂もゆっくり浸かれますからね。
 あなたが死んだら、私は世界一周の旅行に行ってやります!

 (でもきっと、あなたの居ない夜はもう耐えられないでしょうね。あのころは代わりがあったから良かったけれど。悔しいからこれ以上は言いません。)


 あなたの寝顔を見る夜―そんなのは毎日でした。
 二人で暮らしているうちは、君が台所で寝付かれているのがいとおしかったように思います。でも、子育てに夢中になるあなたは、私には近くて遠い存在でした。

 最近些細なことで喧嘩して怒ったり、笑ったり、泣いたり、わめいたり。あなたのおかげで、仕事よりも忙しいです。
 実は最近、あなたの寝顔を見る夜が恋しかったりします。はい。



※作者付記: 詩風に仕立ててみました。1000文字ぴったり達成。






エントリ03  ルリ     待子あかね


 右に行くの、それとも、左。ルリは、しばらく迷っていた。しばらく、迷っていた。右の向こうの方ではネコが2、3匹集会を開いている。みんな仲良く肩を並べているのだ。逢いに行きたい。近くまで逢いに行きたい。しかし、左の奥の方では、きれいな花が咲き並んでいる。色とりどりの花が、咲き並んでいる。その花たちをもっと間近で見たいと思った。
 花畑の中にルリはいた。香りの中に埋もれていた。酔ってしまうほどの、深い香りの中にいた。ああ、ずいぶん遠くへ来たようだ。いや、そんなことはない。ほんの少しいつもとは、別の道を入っただけのこと。いつもずっと通らずにいた道が、知らない道があっただけのこと。
「ルリちゃん、ルリちゃん」「リルちゃん、リルちゃん」「ルイちゃーん、ルイちゃん」「リラちゃん、リラちゃ……」
 鳥の囀りのような可愛らしい声が聞こえてくる。四方八方から聞こえてくる。彼女の名前を呼んでいるのだろうか。それとも、別のだれかを呼んでいるのだろうか。

 ずっと昔に戻りたい。10年ひとむかしというけれど、そんな古いときではなくて、数年前に戻りたい。やり直してみようか。いやいや、そんなことはすべきはなくて、そんなことはする必要も無くて。遅すぎる始まりはないということで。
 もう逢うこともないだろう人。もう行くこともないだろう場所。思い起こすことはあるかもな。戻ることはない。何も、悔やむことはない。
 ずっと未来へ走りたい。10年いやいや20年あとに走っていきたい。どんなに花は咲いているだろう。今以上に様々な花が咲いているだろうかな。今より、緑は増えているだろうかな。
 閉まりかけたドアに、乗り損ねてよかったんだよ。乗り損ねたことを考え込んでも仕方がない。自分の選んだドアを信じてみるんださあね。

 元気かい? うまくやっているかい?
 元気かい? 草臥れていないかい?


 彼女とぼくはいつだっていっしょさ。あの6月4日から。かなしいことは、ふたりでかなしむんだ。喜ぶことは、ふたりで喜ぶんだ。泣きじゃくりたいときは、胸を貸し合うんだね。
 ネコに逢いたかったね。きっと、遠い夢で逢えるよ。さびしいことね。さびしいことさ。
 ぼくらはぼくらで、ここにいる。ここにいるんだから。花畑の中で彼女とぼくは、いつも名前を呼び合っている。
「ルリちゃん、ルリちゃん」「リルちゃん、リルちゃん」「ルイちゃーん、ルイちゃん」「リラちゃん、リラちゃ……」







エントリ04  幻想譚―序章     村方祐治


 ぼくは音の無いくしゃみをした。豊かに汗ばんでいるのは、ぼくの全身であった。きっと夢のせいだろう。ああ、夢だったのだ。僕の唇と唇との境界線からはため息が、まるで雲の様に凝結して、行軍を始める。
 瞼は既に、一連の動作で充分に開いていた。ふう、これで身体の方は一安心だとでも思ったのだろう、皮膚や鼻、そして舌の細胞、ひいては眼球など、およそ外界に触れている様々な器官がせわしなく動き出す。
 そして彼らはただただ着実に脳との連携を確保しつつ、周囲の確認を始める。上には飛行機の内装、その天井が浮かんでいる―ちぎられた空間を満たす空気の中に音は―飛行機の発進音以外、皆無だ。みんな僕と同じように寝てしまったのだろうか。
 そのとき、直感したのは嗅覚だった。焦げ臭いのではないのだけれども、妙な匂いがするような気がしてならないと、声高に脳へと伝言している。伝言が各感覚器官へと通達される頃、鳥肌は形成され、喉の渇きは知覚され、めまいは慟哭した。
 あれっという言葉の前進に反発するように後退してゆく、身体。寝ていたときの姿勢を通り越してなお後退が続いた後に、下降は展開した。ぼくの視界が、シートの中の幾億の繊維、飛行機の稼動部の複雑な配線、ボディに組み込まれた奇妙な物質群などを捉えている間もなお、落下は続く。
 視界が開けるのに、そう時間は要らなかった。飛行機は流線型の外観となって、再び僕の目前に現れ、ぐんぐんと上昇する。全ての景観は、ただどうしようもないぼくを怒涛の如く追い越し、地球核と逆行する方角へ進行を重ねていく。奇怪な感情が噴出す頃、背に大地の気配を強く感じるようになってくるのであった。ぼくは目を瞑る。わけのわからないまま……。
そして、実感した。運動は、収斂を開始した。いよいよ地面に触れるような頃には、殆どふわりと立てるほどになっていた。
 混乱する頭を起こし、地面に靴底をつける。見晴らしの良い丘だ。海が見える。
 なおも飛行する飛行機の陰影をただ為す術もなくじっと見つめていると、一瞬間、それはちらと光るのだった。その光を認識した直後だ、陰影が傾き、肥大し、それらの原本であった機体が着実に降下を始めたのは。
何億時間が凝縮したようなあっという間―「僕」はきっとこの瞬間を何度も訪れ、この事象に何度も首傾ぐことだろう―は過ぎて、
疲れてしまったのか、あくびをかみ殺した僕は、どうしようもなく生きている。







エントリ06  あの冬一番高い山     SuzzannaOwlamp


 その言葉を待ち詫びていた。
「結婚しようよ」
秋から冬にかけてのコートを椅子に掛けながら、背中越しに聞いて、少し心臓が脈打った。振り向き様に、彼の顔が見えて、更に鼓動が速くなった。肩の凝りそうなレストランでパスタを食べる約束をしたのは、これで三度目。
 古のプロポーズの言葉でちょっと暖房の効いたレストランに冷たい風が吹いたような気がした。
「だけど、このパスタちょっとまずいわね」
急に他の話題をフラレたことで、彼はうつ向いた。それから大きく伸びをして、「ちょっと寒くないか」
といった。レストランの空調のせいではないのは、明らかだった。幼い二人は、結婚というものが、どういうものかをしらなかった。
「一瞬、天使が通った気がしたわ」
単純に好き嫌いだけで、結婚というものが成立するほど世の中は甘くない。私は彼にそれを教えたかった。「俺の収入が安定して、一生懸命、働けば考えてくれる?」
「ここで、決められるほど単純な問題じゃない」
「わかってる。だけど……」
「じゃあ、ここで歌ってくれたら考えてあげる」
まさか、冗談を本気にするとは思わなかった。彼は、気の利いたレストランで、ハッピークリスマスを歌ってくれた。他のお客さんがみてるからやめて。そう言っても彼の歌声はレストランに響きわたった。
 やけに賑やかだった店内が一気に冷めわたる。どうしようもない雰囲気に彼は一言。
「お前らなんかにこの気持ちがわかってたまるか!」
周りに向かって吠えた彼はボーイに止められた後、私に謝った。
 できることならこの場から逃げたしたい衝動と笑いたい気持ちが交互に起きてきた。店を出ようと言ったのは彼の方だった。
 寒空の下、彼の馬鹿パフォーマンスに付き合わされた私は、「ごめんなさい」と謝る彼に、「あなたは正しい」といった。だけど、当分、結婚する気は消え失せてしまった。まさにその言葉を待っていたにも関わらず。実は、ダイヤモンドを隠し持っていた彼は、その場で海に投げ捨てたかったと後で話している。彼とは長い付き合いになった。そろそろ別れてもいい頃だと思う。そのうち、いい恋愛をして結婚するのだろう。そう思っていた矢先のことだった。彼は、この世にはもういない。そんな噂を聞いて、私は妙な虚しさと寂しさを思い出していた。別の男に抱かれながら。生きていくのはエネルギーのいる作業だ。ケロイドが剥がれ落ちるのを感じ、少しうづき、私はあえぎ声をあげた。







エントリ07  再犯措置     ごんぱち


「えー、再犯者の犯罪数の多さを鑑みまして、この度法改正を行う事としました」
 官房長官は、記者たちの前で原稿を読み上げる。
「再犯防止教育を行うんですか?」
 記者の一人が尋ねる。
「いいえ」
「就労支援を強化し、経済的に安定させるんですか?」
「いいえ」
「ひょっとして、マイクロチップなどを埋め込んで、追跡監視するとか?」
「いいえ」

「お世話に……なりました」
 四谷京作は、看守に深々と頭を下げる。
「今度こそ、真人間になって、今度こそ、二度と再びお世話になるような事は――」
「はいはい、期待してるよ、四十八号」
 チョビ髭で言葉に茨城訛りのある看守は、出口の隣にあるドアのカギを開け始める。
「じゃ、出る前に、イタイのやるからね」
「いた……なに?」
「はい、すぐ済むからね」
「あの、何をやるって?」
「だからイタイの」
 カギを開けながら、看守は応える。
「え? その、どういう?」
「だからイタイのやるのよ」
 カギを開け終えた看守は、ドアを開き、手招きをする。
「さ、ここ入ってね」
「ちょっ、待って、さあって! 懲役終わった筈、だよねえ!?」
 四谷は後じさりする。
「判決の時、懲役にプラスして再犯措置するって言われたでしょ」
「聞いたような、気はしますけど、具体的に何かをやるってのは知らされてなくて――でも、その」
「これやったら、もう二度と来る気にならないと思うな。ひょっとしたら無期懲役か死刑が良いって人が増えるかも知れないけどね、ハハハ」
 爽やかに看守は笑う。
「笑い事じゃ、ちょっ、そんな事やんなくてももう二度と泥棒しないから、マジで、マジで!」
 四谷の両脇を、手品のように現れた若い看守二人が、がっしりと抑える。
「この前懲役喰らった時もそう言といて、やっぱり再犯したでしょ。さ、入って。ほら、すぐ済むから」
「待てっ、ちょっ、ちょとっ!」
 看守たちは四谷をひょいと持ち上げると、ドアの中へと運んで行く。
「痛覚神経を電気的にいい具合に刺激する事でイタくなるんだけど、一切身体に痕は残らないのよね。凄いね、今の技術」
「残酷な刑罰に当たらないの? ねえ、ねえっ!」
「だってこれ、刑じゃなくて措置だもん。それに安全性はもの凄い保証されてるよ。マッサージどころか肩たたきぐらいのもんだよね。ほーらすぐ済むから、イタイだけだから」
「せめて痛いは漢字で言って! カタカナ怖い、逆に怖い!」
「はーい、イタイですよー、ワン、ツー、スリー!」







エントリ08  虚実の波     紫生


 ……ふと思う。
 水は、いつ海になるのでしょう。
 水の分子のどこからが水で、水の集合のどこからが海なのか……。
 眼前の虚空を掴む。
 この掌の中にも水は存るはずだ。存るはずなのだが水とは呼ばれない。
 水が水として生まれる様子は氷の入ったグラスが創る水滴などに目撃できる。それは温度差の奏でる無と有の強かな音色で、ありふれた音楽だけれどもひどく崇高に思われる。ただしその考えは水のないところに生命は期待できないという立場に因るもので、宇宙に於いてとりたてて崇高な現象などではないだろう。ましてやヒトが認識できないだけで水を必要としない無形生命体が存在していたとしても何ら不都合はないはずだ。
 生まれる前の水が示すように確認できなければ存在しないと言い切ることは何事に於いても正しさに欠ける。全ては無の中にすでに溶け込んでおりただ感得されるのを待っている、或いは拒絶しているに過ぎないと想像する。
 眼前の虚空にはかつて肉体だったものや魂だったものの、分解されてそれのみでは意味を持たない極微すら浮遊しているはずなのだ。そうでなければ愛というものがどこから生まれてくるのか得心がいかない。人知れずそこに存る水のように、愛は存り、生まれ、海となる。
 ……私はいつあなたを好きになったのでしょう。いつでも何かの詐術のように水は海になり、人は人を愛する。未知なる宇宙が理解されるとき、人の宇宙も理解されるときが来るのでしょうか。それとも謎はいつまでも謎のまま時空に浮遊するばかりなのか……。
 ……思うのです。全ての謎が解かれたとき、一冊の本を閉じるようにこの世界も閉じられてしまうのだと……

 ここまで書いて美里亜はペンを置いた。氷の浮いたグラスをじっと見つめ、その水で毒々しい紫の一粒を飲み下した。
 傍らの死体に冷たいキスをする。
 まもなく美里亜は朦朧とし始める。ぐらりと横たわり、死への階段を下っていく。
 何もかもがサイケ調にうずまき、時間は面白いくらいに伸縮した。
 そんな美里亜の横で、ふいに死体が起き上がる。すらりと立って、全身で微笑している。
 これは死に際に見るシニカルな幻なのか、それとも……。
 美里亜にはもう分別がつかなかった。ただ頭の中では巨大な哄笑ばかりがかまびすしい。
 私の裡の愛という名の水は、いつ沸騰し蒸発したのか……そこまで思ったとき、パラリ、美里亜の物語は開かれた。物語はここから始まる。







エントリ09  どなどな     越冬こあら


「お客さん、ちょっと、そういうものを連れては、ご乗車になれませんよ」
 と言った駅員も、
「恐れ入りますがねえ、こういう公共スペースにおいてのそういう行為は、つまり、地域条例違反しますんで、速やかな退去を勧告致しますぞ」
 と言った警官も、ソテツが追い払ってくれた。夜行で池袋に着いたときからソテツはすこぶる不機嫌だった。会う人毎に角と鳴き声で威嚇し、みんなビビらした。行く手に邪魔ものは居なくなったけれど、JRの自動改札は、狭すぎて通れなかったし、簡易横断歩道橋は、ソテツには軟すぎた。チャラチャラとした豊島区をのそのそと歩きつつ、
「東京は、牛連れには不便な街だ」
 と痛感するに至った。
「もおー」
 とソテツは鳴くのであった。これから肉屋に売られてしまうという運命も知らずに、お天道様が頭の上に来たので『もう昼飯の時間だ』といつものように
「もおー」
 とソテツは鳴くのであった。実際、ソテツに喰わせる草も無ければ、肉屋に連れて行く交通手段も無いのだから、一人と一匹は、二つの空腹(五つの胃袋)を携えて、ひたすらに歩いて行くより仕方なかった。
「牛を売るならジョージさ。三倍、いや四倍の値がつくからなあ。何しろ骨付きで食べるんだからねえ、地元の人たちは」
 往年『ヤクに手を出してパクられた』ヤンキー街の小父さんが、安酒場でバーボンを遣りながら遠い目をして語っていた、その言葉だけが頼りだった。途中、大丸ピーコックで些かの野菜を仕入れ、外資系チェーンの屋外席で、カフエラッテを味わい、やっとの思いで青梅街道に入ったときには、日は西に傾きかけ、ソテツの蹄は割れていた。
 自らの死出の旅路と知らず、のそのそと歩くソテツをあざ笑うかの如くにカラスやスズメやハトが、その背に乗ったり、上空に輪を描いたりして遊んでいた。
「アンちゃん達、何処まで行くんだい。乗ってくか」
 青梅街道をしばらく下ると、歩合制で働く宅急便の兄ちゃんが声をかけてくれた。見ると大きなコンテナだった。
「え、吉祥寺か、ちょっと方向が違うけど、まあいいや、乗ってきな」
 親切な兄ちゃんの声に従い、ソテツとともにコンテナに収まった。途中、何軒かの配達に寄った為、公園口には、未明に到着した。仕方なく、井之頭公園で夜を明かした。
 翌日、ソテツは阿漕な肉屋に買い叩かれて、市価の半分以下の値で引き取られた。
「ジョージアだったのか」
 帰りの夜行で、やっと気づいた。







エントリ10  風船     とむOK


「私の部屋は一階だったの。よく階段を踏み外して落ちる子だったからなのですって。覚えていないけど」
「外で泣き声がするんだ。こんなところで子どもの泣き声がする」
「泣き声ならさっきからずっと聞こえてるわよ。ねえ。そんなことより、前にしたいって言ってたあれをしてみない?」
「窓の向こうが赤いよ。変に赤い」
「きっと広告よ。ビルの広告がすりガラスに映っているのよ」
「なんだ、風船だよ。赤い風船が木に引っかかっていたんだ。すごいな。街中が風船でいっぱいだ」
「知ってるわ。今日はお祭よ。私の娘も行ったの。今ごろ夫と一緒にどこかで遊んでるわ」
「下で女の子が泣いてる」
「嫌よ。こんなところから顔を出さないで」
「風船を放しちゃったんだな。可哀そうに」
「放っておきなさいよ。ねえ。私の部屋は一階だったの。寝るときはパパとママは二階、私は祖母と一階。いつだったか、ひどく怖い夢を見たの。私はまだ小さかった」
「手を伸ばせば風船に届きそうだ」
「祖母は呼吸をしないで眠るのよ。いっさい身動きしない。まるで乾いた流木みたいに。祖母の隣を抜け出して、私はママを呼んだわ。暗い階段の下で、何度も何度も」
「手伝ってくれないか」
「放っておきなさいってば。あら、この部屋ってばいろいろ道具があるのね」
「ああ取れた。待ってろよ。重りをつけて下ろしてやる。君、そこに何かないかな」
「どれでも使ってちょうだい。私に使ってちょうだい。そういうのが好きだって言ってたじゃない」
「何でもいいから取ってくれよ」
「また街に行けばいいのよ。どこでも貰えるわ」
「取ってくれってば」
「私も街に行こうかな。街で新しい風船と新しい男を見つけて、またここに来るの」
「しょうがないな。ああ、こっちに聖書があった。ポケット聖書だ」
「聖書ですって?」
「これはちょうどいい。見てごらん、ゆっくり降りていくよ」
「諸人こぞりて迎え奉れ」
「君は笑っているね。機嫌は直ったのかい」
「久しく待ちにし主は来ませり」
「好きなのを使おう。君が選んでくれよ。ねえ君、笑うのはもういいよ」
「階段の上にママが来たの。真っ白な布をまいて、まるでマリア様みたいだった。ママは降りてきて私を抱いてくれた。でもそれはママじゃなかった。ママの皮の下は私の知らない何かでできていて、とても熱かった。そして裸だったの。ママは降りて来ない方が良かったのよ。ねえ、あの晩もし聖書がそこにあったら、私は救われたのかしら?」







エントリ11  手紙     ぼんより


 手紙はばらばらとテーブルからこぼれ落ちる。
 薄いピンクのポインセチア、ざらざらしたスカイブルーのりんどう、優しい祈りのサンダーソニア、とても美しい黄色。
 花。みな色を持っている。整った形。
 夕方、陽に染まり綺麗。
 日記にはただそれだけを書く。明日も明後日も一ヶ月後も一年後も十年後も、きっと。

『手紙を送ります。便りがないのは元気な証拠といいますが、便りがあるのもきっと元気な証拠でしょう』

 コーヒーをそっとテーブルに置いた。ブルマン気取りの安いインスタント。カップは百円ショップで買った。
 手紙を濡らさないように丁寧に丁寧にコーヒーを飲む。
 不味い。あまりに不味い。

『手紙を送ります。私が勧めたコーヒーはどうでした? 安くて不味いが私の手紙に相応しいでしょう』

 極楽鳥が鮮やかなお天道様の色をしている。陽が当たると眩しくて、時間が止まったように虚ろになる。
 そっと撫でてやると、にっこり笑えて幸せな気持ちになった。
 夢じゃないけど、夢だろうか。風が窓を強く叩く音だけがリアルだった。

『手紙を送ります。ストレリチアはかっこいいでしょ? 寒さに強いから冬も越せます。私はまだ越せるかどうかわかりませんが』

 刻んだ葱が目に染みる。用も無いのに(自分で食べることも、他人に振舞うことも)また葱を刻んだ。キャベツの千切りは好きじゃないけど、葱を刻むのは好き。匂いも形も色合いもみんな葱なら何でも好き。
 手に取った手紙には、可愛らしいわけぎがいくつも描かれていた。少し固めの和紙に綴られた文章はわけぎには関係なかったが、それでもぱらぱらと読んでみることにした。大好きな葱の手紙。

『手紙を送ります。青臭い葱の手紙はあなたの大好物ですよね……失礼。葱が好きなんでしたね。私はまだそれぐらいは覚えているようですのでご心配なく』

 コタツでぬくぬくとしていると、もういいやという名の断絶を覚える。
 断絶。
 嫌な言葉の響きだけど、もういいや。青信号の点滅だけど、もういいや。終電間に合うけど、もういいや。
 手紙読みたいから、もういいや。
 真っ白で味気のない手紙を、安いコーヒーを飲みながら開く。

『手紙を送ります。送るだけです、ただ送るだけです。送られなくなったら、ただそれだけのことです』

 手紙はばらばらとテーブルからこぼれ落ちる。
 花。みな色を持っている。整った形。
 音も光もない世界、最後の手紙はどこかへ消えていった。







エントリ12  ラプチャー     るるるぶ☆どっぐちゃん


 壊れたギターを引きずりながら海岸線を歩く。
 時折じゃらん、じゃらん、と調子はずれの音がギターから聞こえる。
 どこまでも続く砂浜を、壊れたギターを引きずりながら歩く。
 ひどく遠くに人影が見えた。
 スキンヘッドで黒い服を着ていて、顔に五線譜のいれずみがしてあった。
「そのギター」
 スキンヘッドが男に話しかける。
「そのギター、良いのか?」
「さあな」
「弾かせてもらっても良いかい」
「ああ、構わないぜ」
 スキンヘッドはギターを受け取りペグを確かめたりした後、じゃらじゃらと弾いた。
「ひでえ音だな」
「ああ、そうだな」
「がらくただ」
「ああ、そうだな」
「これ、良かったら貰ってやるよ」
「いや、結構だ」
「そうか」
 ギターを受け取り、男はまた歩き続ける。ずるずると壊れたギターを引きずりながら、ずるずると何処までも続く海岸線。
 波打ち際にピアノが置いてあった。長い綺麗な黒髪で、白いドレスを着た少年がその前に座っていた。
 悪魔だ。悪魔がそこにいた。
 悪魔の前に男は立つ。
「いくらだ」
「手なら500、口なら800、バックなら1000」
「高いな」
「そうかな」
「持ち合わせが350しか無い」
「そう。じゃあそのギターをくれない?」
「いや、それは無理だ。これはビンテージものの名品で、何十年も前からいろいろなミュージシャンが使ってきたものだ」
「でも壊れてしまっているね」
「そうだな。そしてそれでもまだこれはギターだ。音だって出る」
「350で良いよ」
「そうか」
「口でしてあげる」
 男のペニスを取り出し、悪魔はそれをしゃぶる。
 ピアノの脇には大量のがらくたが置いてあった。スネアドラム。シンバル。シンセサイザー。コンピュータ。ステレオコンポ。スピーカー。テレビモニター。ギター。五線譜の男ががちゃがちゃとやりだした。
「ひでえもんだな」
 悪魔の口の中で男は果てる。350を払い、男はペニスを仕舞う。
「ピアノ、弾かないのか」
「ぼくはラプラスだからね。ラプラスの悪魔だから」
 五線譜の男とラプラスの悪魔と三人でコンサートへ行った。観客たちは熱狂的に叫び、踊り、手を振っていた。
 巨大スクリーンには巨大な天使が映し出されている。がらくたに囲まれたピアノの前に座り、そして単純な旋律の曲を繰り返し繰り返し弾いていた。

 海岸線を歩き続ける。葬儀の会場で、五線譜の男と再会した。タバコを一本もらう。
「ひでえ空だ」
 雨が降っている。
 ラプラスの悪魔の葬儀の日。
「ひでえもんだぜあの若さで」
 今日はラプラスの悪魔の葬儀の日だった。