Entry1
彼女についての考察
トノモトショウ
午前八時十二分、小谷愛は自宅マンションを出る。彼女の部屋は四階の東端に位置し、西に三部屋分進むとエレベーターホールがある。降下ボタンを押す彼女の指は艶やかで美しい。ゆっくり落ちるエレベーター。彼女はどこか思案げに、一階ロビーを通り抜ける。玄関口で遭遇した管理人と軽く挨拶を交わす。明日は雨だそうですよ、とか何とか。
彼女は歩いて駅まで向かう。赤いミュールがコツコツとアスファルトを鳴らす。湿気を含んだ温い風が、柔らかいスカートを少しだけ揺らす。駅のホームの喫煙所で、彼女はメンソールの細長いタバコを吸う。白く濁った煙を吐く唇は官能的でさえある。電車に乗り込んだ彼女は疎らに空いたシートには座ろうともせず、ドアの側にぼんやりと佇む。朝の光に照らされる街並を、値踏みするかのような鋭い視線で眺めている。
午前八時四十五分。小谷愛は電車を降りた。駅前に傲然と直立する大きなビルに、彼女が働くオフィスがある。始業は九時。彼女の仕事はお茶汲みとか伝票整理とか出張の手配とかそういった単純なものばかりだったが、同世代の一般的なOLより多めに給料を貰っていた。つい先日も十二万円のハンドバッグを現金で買ったが、そのために今月の生活水準が極端に下がるということもなかった。ちなみに、そのバッグはまだ一度も使っていない。
お昼の十二時に休憩を挟み、午後五時まで働く。終業後は同僚と食事に行くこともあるが、今日は誘われることも誘うこともなく、帰途に着いた。マンションの向かいにあるファミリーマートで無脂肪牛乳とファッション雑誌と生理ナプキンを買った。
部屋に戻ったのは午後七時三十七分。いつものように部屋着に着替え、冷蔵庫に牛乳を収納し、テレビの電源を入れ、……そこでふとした変化に気付く。
枯れたまま放置していたはずの観葉植物が新しい鉢に植え替えられ、ソファに零したワインの染みは綺麗に拭い取られ、去年友人と沖縄旅行に行った際に撮ったスナップ写真を貼り付けていたコルクボードには、別の写真が無造作に留められている。小谷愛には状況がよく飲み込めない。もしかしたら自分の記憶違いかも知れないと思うより早く、留守中に何者かが侵入したのではないかと推測した。誰かに助けを求めようとバッグから携帯電話を取り出そうとしたが、もちろんそんなものが見つかるはずもない。
私はそっと近付いて彼女の肩を軽く叩いた。
「やあ、はじめまして」