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タタ(A.D.1983)についての研究と考察[Live]
サヌキマオ
最近発見されました音声資料の分析結果から鑑みますに、これは我々極東文化学会の長年の課題に一定の回答を得られたものではないかと確信しております。
今から発見された音声資料を再生いたしますが、音声を文字に落としたものも合わせて御覧ください。お手元の資料です。ええ、よろしいですか。
当学会が長年追い求めてきた「タタ」についての新情報なのですが、当時の楽曲が示します通り「タタ」は売買されるものであったということがわかります。ええ、ここですね。
<タタ買う君のことをタタ買わない奴らが笑うだろう>
重要なのは次です。いま、今のくだりに関連して、タタを買う当時の人間を「買わない」という選択をした人間が嘲笑の対象にする。そして、<冷たい水の中を震えながら上っていけ>と続くのです。タタを買った者を笑う者が「水の中を震えながら上って行け」と言う。
これ、なんでしょう。
で、次です。次の部分。魚ですね。魚が痩せこけたりしてどこかに上っていく。何処に上っていくのかというと、タタを買いに行く。
<それでもとにかくタタ買いの質上切符を握りしめて あいつわうみになりました>
この<わうみ>については目下研究中なのですが、当時の日本語辞書から類似表現を探してみるとこれ「這う身」かもしれません。で、当てはめてみると、意味としてはしっくり来る。魚だった語り手がタタを買うことによって這う身、そう、つまりは陸上生活をはじめる。はい、なにか質問ですか。
――ああ、ええ、それはもう部分訳でございますので、本発表はこの楽曲の意味解釈を問うものではなく、「タタ」という単語の意味を究明するものでありまして(以下、質問と回答の応酬が25分続く)――
そろそろ持ち時間も少なくなってきましたので話を戻します。我々の学会では今まで、聖ペテン大のコウルリッジ教授が「タタ買いの挽歌」を、ヴワル図書館大の電気田ドンブラコ主任検査官がサトーアイコの「タタ買いすんで日が暮れて」を、バカ田大学の珍生物助教が今昔物語の「タタ買いの庭に一人の小さき僧出で来たりて」について発表なされました。
今回の発表で最も申し述べたいのは、「タタ」というものは、買う人があっても売る人がいない、という事実であります。つたない研究ではありますが、この研究が後の研究にとって議論をほげれけめこさわせる試金石のひとつとなれば、これ以上のことはありません。以上であります(拍手)。