Entry1
紅と白
小笠原寿夫
幼き頃、弟が産まれた。
それはそれは、可愛かった。弟と喋ったり、遊んだりするのを心待ちにしていた。
「ねえ、まあはいつになったら喋れるの?」
「いつになったら、まあと遊べるようになるの?」
そんなことを聞きながら、両親を困らせた。まあというのは、当時の弟の愛称だった。
そんな弟も無事に就職し、結婚し、子宝にも恵まれた。もう弟とは、遊べないし、直接、話をできる機会もないだろう。
繰り返し、訪れる出会いと別れ。それを踏まえながら、今の私が成り立っている。
「弟よ、お前は偉大に成長した。」
母親に、その話をすると、
「お前も偉大になれ。」
という返事が返ってきた。
そうか。弟は偉大で、私は立派。早く偉大になるべきである。
父とは、殆ど話さない。父とは、そうあるべきだし、いつまでも父親という発想はない。
「いつまでも私らが生きてると思うなよ。」
母は、言う。
であれば、言おう。
「私は、いつまでも生きている。」
生きて、あなたを守ろうではないか。
「俺、頑張ってるよな。」
母は、言う。
「生きているだけで、頑張っています。」
今更ながら、母は一枚も二枚も上手であった。
放送作家、永六輔さんが、仰るには、
「十代は、セックスで結婚。
二十代は、愛で結婚。
三十代は、努力で結婚。
四十代は、我慢で結婚。
五十代は、諦めで結婚。
六十代は、感謝の気持ちで結婚。」
愛蔵を越えて、残るのは、感謝の気持ち。
「ありがとう。」
だから、これが最期に発つ時の挨拶なのだろう。
私は、書こう。いつの日か生まれ出づる我が子に向けて。
そうして、子守唄を歌いながら、歩こう。遠き日の偉大なあの人のように。
「どうしてこうも、安いのかねぇ。」
「着物でも着てくれば良かったよ。」
「この着物、いったい幾らなんだい?」
「一文五銭でどうだい。」
「いや~、はったりだねぇ。七文五十銭ならどうだい?」
「値に色をつけるとは、生意気だね。気に入った!買おうじゃないか。買わせてくださいよ。野坂昭如が売ろうって言ったってさ。買わせて頂戴よ。これが、僕のポリシー。うまいこと言った。うまいことやりやがったねぇ。」
本当のあなたは、もうこの世の者ではないのかもしれない。仮初めの洋服を着る、裸の王様なのかもしれない。
それにしたところで、この世にいる間は、この世に合わす顔を見せよう。
偉そうに書いたところで言の葉はいついつの日も無力なの。
いくらほざいたところで。