放鳥籠
今月のゲスト:日向きむ
「お母さん雨がだいぶ降って来た様ですよ」と電車の窓から外を見ていた桃輔は母の方を見ないで云った。
「オヤそうかい」と五十前後の、小さい丸髷の婦人はちょっと外をのぞいて「でもよかった傘を持って来て」と云った。
大きな商家が両側に軒を並べた大通りを真直に電車は行く。春雨は音なく降る。シトシトと静かに一列の葬儀がゆく。母衣を下ろした車が黒い頭布を被って俯俛いた人の様な形でゆるくひかれて行く。後の方には未だ沢山つづいている。先の方に見えた放鳥籠が桃輔の見ている窓の直前の所へきて、やがて少し後になった。中には鼠色の鳩の、籠の底に立ってオドオドしているのや、バタバタとせわしない羽音を立てて彼方此方と籠目へ斜に飛び移る小さい鳥の影が見えた。桃輔はそれらの鳥が放された瞬間に感ずる自由の恐怖と云う心地を想像してみた。而して「終いにどうなるだろう」と考えた。と直に放鳥会に放された鳥のあるものは元の鳥屋に帰ってゆくと、友人から聞いた事を思い出した。
かの中には前に一度放されて、再び鳥屋へ帰って行った奴もあるかしら、とちょっと考えた。そんな奴は前の事を覚えているだろうか、こういう籠に入れられてこういう風に空にささげられて、揺られながら、恐ろしく人の多い処を過ぎて行って、それからパッと放されたという事を……と疑いはじめた。
「ねえお母さん、鳥は前に見た事や、した事を覚えているもんですかね」と妙な事を突然に聞いた。母は藪から棒の質問に、ちょっと見当がつき兼ねるといった体で、
「前の事ってそんなに古い事なんか覚えていやしまいよ」と云った。
古い事は覚えてはいるまい。しかし前にそんな経験がある鳥が、再び放鳥籠に入れられて、人の肩に担われて行く時はどういう心地がするだろう。全く無神経で、何の感じもしないかしら、たとえハッキリ覚えていないまでも、籠の外を前から来て後へ過ぎて行く家並の軒や、走せ違う車や馬車や、往きかう群衆が目に入る時、こんな事がかつて一度有った様な記憶のゆらぎも、小さい心に覚えないだろうか、と真面目になって考えてみた。
「お母さん、でも前に一度こんな事があった様だくらいは思い出さないですかね」
「何を誰が?」
「鳥がですよ」
「鳥がどうしたの」
どうしたとも桃輔は答えないで窓の外をじっと見ていた。
万一その位なおぼろげな記憶でもあるとしたら、動いて行く家や、馬や車や群衆を見、またさまざまな物の音響などを聞くと、何か楽しい清々しい事がもうすぐ後に来る様な、それに向って近づきつつある様な、云い知らぬ快感に心おどる事はあるまいか。人間にもそんな感じの来る事がよくあるが、と桃輔は独り考えた。而して話してみようと思って母親の方をちょっと見たが「鳥がどうしたの」と云う前の言がふとその心に浮かぶと、また黙ってしまった。