家の入札
今月のゲスト:井原西鶴
高柳淳之介/訳
用心したまえ、国には盗人、家にはネズミ。後家には入婿急いじゃならぬ。
今どきの仲人、タダで骨折りはしてくれず、持参金の一割づつ取るという。嫁婿は一生一度の大商い、この損は取り返しのつかぬものなれば、よくよく念を入れるがよし。世の中の風を見るに、何でも分際よりは見かけを良くし、嫁取る息子のある家では、家も新築、道具も買い入れ、下女や下男も置いて富貴に見せかけ、そしてよい嫁見つけて持参金を儲ける計りごと、せずともよいのに送り迎えの籠乗物、一門縁者の奢り比べ、無用の金が掛かりて遂には雨の洩る屋根も葺けずという有様。それからまた娘の方でも自分に過ぎた婿を望み、あれこれと探してみるに、諸芸すぐれて小鼓を打つというので、調べてみれば鼓打ちではなく博打打ち、若い人だといえば傾城狂い。男がよくて商売上手、世間に疎からず親孝行、人に憎まれず、そして娘をなめるほど可愛がってくれる様な、そんなよい婿、鉦や太鼓で探したとてあるはずもなく、上つ方でも不祥はあるもの、まして下つ方の我々同志、十に五つは見許して、小男なりとも、ハゲ頭なりとも、商い上手で親の譲りを減らさぬ様な人なら縁組すべし。あれは何屋の婿殿と御節句に袴肩衣つけて、金ごしらえの小脇差、後から若い者がお供するような当世男を娘の母様は喜ぶけれど、それも破産すれば着物も刃物も人手に渡る、何でもそんな浮いた考えは起こさずに、琴を引くより真綿を引き、伽羅の煙より薪が煙らぬ様に炊くがよし、そして何より似合いの夫婦が一番良い。
かく世間はみな偽りの世の中に、奈良の春日に白木綿の問屋で松屋というがあった。昔は今の秋田屋にも勝るほどの世盛り、毎日酒のんで毎日刺身食って栄養栄華に暮らしたものだがその家次第に衰え、それに旦那は四十で若死に、そして借金を大分に残して譲ったという。人の身代というものは死んでみねば分からぬものぞかし。
この後家、今年三十八歳で小作りの女、きめ細かに色白くちょっと見れば二十七八、人好きのする当世女房、跡を忘れてまた再縁でもしそうであったが、小さな子供が一人あるので世間に疑われぬよう髪を切り、白粉やめて紅つけず、それで男模様の着物きて細帯しめて、才覚男に勝れども女一人では百姓も出来ず、柱が腐っても根継ぎは出来ず、何時となく屋根からは雨が洩り、庭は荒れて草しげり、ひょっとしたら裏庭で鹿でも鳴き出しそう、まず女一人では世は立てかねると見えるぞよ。それだから亭主が死んだら過分の金銀ある者も女の親類意見して、まだ若い盛りの後家に無理矢理に髪を切らせ、心にもなき仏の道をすすめ、命日忘れず弔わせる様するけれども、それでもとかく浮名は立つもの、遂には若い亭主がいつしか出来る、こんなのに比べて見れば、たとえ庭で鹿が鳴こうが、あの松屋の後家は感心なものと人々賞めぬものはない。しかし旦那から残された借金は五貫目、それに家を売っても三貫目に売れるかどうかも怪しいもの、それを松屋の後家さん町中を歎き、この家をくじ引きにて売ることに頼み歩いた。
誰でも銀四匁出せばくじ一本引かれ、そして当たった人へは家を渡すという訳なので、我も我もとくじを買い、そのくじ数三千本、またたく内に売れてこの売上高十二貫目、そのうちで五貫目の借金払って、残った七貫目を資本として、落ちぶれた家を再興し人に羨まるる分限者になったという。
それから売家のくじに当たったのはある家の女中で、たった四匁で大きな家持ちになりました。あれもめでたし、これもめでたし。