初めて彼女の家に行ったのは夏の暑い日だったと思う。でもそうすると計算が合わないので、空梅雨とか、GWあとだったかもしれない。ともかく、規格外に暑い日だった。京急の駅からしばらく線路際を歩いて、線路と線路の間に挟まれた敷地にあるマンションの四階だった。部屋そのものの印象はそれほどない。そりゃあ彼女ももう同い年だったから、そこになにか女の子らしい形跡を求めようとかそういうことはなくて、ただ、なんとかして家に上げてもらったのだからやることをやらしてもらおうとか、そういうことしか考えていなかった(で、散々やった。明け方まで盛った)。
ただ、一つ印象に残っているのは、部屋が西日の直撃する部屋だったことだ。さらには、その西日を遮る目的で設えられたカーテンのことだ。よく覚えている。人の腐った血肉を思わせる、おどろおどろしい色と柄。
ときどき「禍々しさ」のことを考える。禍々しい、というのは、本当にロジカルでない、何が自分に害を及ぼそしそうな気配のものということだ。例えば腐った食べ物は科学的に見れば、細菌が繁殖して毒素を出しているから体に悪いという解説が成り立つが、科学が世間一般に伝播する前にだって「食べたらろくなことにならなそうなもの」というのは「禍々しさ」として感じる機能が人間には備わっていたはずなのだ。彼女の家にかかっていたカーテンはそういうカーテンだった。実は何色だったかよく覚えていない。血のような赤だったかもしれないし、反吐のような色だったかもしれない。それは壁を突き破らんばかりの夕日の赤が背景にあるからで。カーテンに柄はあっただろうか。洩れくる西日のほうが圧倒的に強くて、ものの多い部屋だったから、そんなものの記憶と一緒になって、これもまたよくわからない。
彼女とは間もなく別れてしまったのだけれど、それはあの家の主が彼女ではなく、禍々しいカーテンだったからだ僕は信じて疑わない。あのカーテンに関わってはいけないと、あのカーテンと棲む女と一緒になってはならないと、心の奥底で何者かが叫んでいたのだ。
それでこの前山手線に乗っていて(御徒町から池袋に行くところだったが)、窓の外を眺めていると、偶然にも彼女の、いや、あのカーテンの住む家を見つけてしまったのだった。電車の窓から見える、線路端のアパートの一室からあの禍々しい顔が覗いていた。きっと彼女もあそこに住んでいるのだろうと思う。