海辺の町である。台風が来るとのニュースが繰り返しラジオから流れてくる。これだけの横殴りの雨に客なぞ来ないのだから、とっとと店を閉めてしまえばいいのであるが、五所川原長吉の性分上そうも行かなかった。店はきちんと七時に閉めることに決めた。するとまもなくレインコートをきた八百屋のおかみさんが入ってきて、サビオを買っていった。ほれみろ、とひとりごちていると奥から匂いが流れてきた。今晩はカレーのようだ。
びいーん、と自動ドアの開くモーターの音がする。おや、と思って目を遣ると、入口の扉の高さ一杯に影が立っている。影は滑るように店の中に入ってくると、雨の雫をぼたぼたと垂らしながらカウンターまでやってきた。
「蛸か」
「ちゅー」
「こんな人の場所にまで何の様だ」
「毛取り薬をおくれ」
見ると、蛸の全身からまばらに毛が生えている。
「誰かが毛生え薬を投げ込んだのだ。そうでもなくてはこの身體に合う理屈が見つからない」
「しかしよくも効いたものだ。人には効かぬくせに蛸にはよく効くらしい」
「笑い事ではない。一同あらぬところに毛が生えて、困っておる」
「脱毛クリームというものがあるにはあるが、蛸に塗ってもいいものか」
しかたなく棚から脱毛クリームを手に取ってはみたものの、皆目見当がつかぬ。
「代金はお持ちかね」
「幾らするのだ」
「税込で864円だ」
「ちゅー、それは幾らなのだ」
「864円といえば、864円だからなぁ」
「そんな効くか効かないかわからないものに――」
「じゃあ帰り給え。私にはどうすることも出来んよ」
「ほら、もっと何かあるだろう。毛自体を切ってしまうとか」
「鋏でいいか」
「うまく扱えるかどうか」
蛸は思いの外器用に鋏を使って毛を切った。腕に生えたものは切ってやった。切ってやるうちに安全剃刀のほうがいいのではないかと思いついた。案の定よく剃れた。蛸には三つで百円のカミソリを持たして帰した。
あとにはびしょびしょの床と磯臭が残った。
「えー、消防部からの、お知らせです」
夜八時をすぎると無線連絡がある。消防部長のシノザワの親父さんの声だ。
「えぃえー、己斐ヶ浜に大量の髪の毛が打ち上げられておりましたっ。ちょっとジンジョーでないですもんで、地元警察も呼んで調べましたが、ほか一切のことはわかりません」
その後、蛸が薬局を訪れることはない。颱風の過ぎた後の町は型どおりに暑くなり、したがってすっーとするシャンプーがよく売れる。