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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第21回バトル 作品

参加作品一覧

(2019年 9月)
文字数
1
サヌキマオ
1000
2
ごんぱち
1000
3
アレシア・モード
1000
4
正直正太夫
1035

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Entry1
颱風一過
サヌキマオ

「ほらメッツ君足元。うんちあるでしょ、踏んだらいけん」
 幼稚園の年中さんの息子を連れて幼稚園へ向かう。本当は幼稚園も夏休みだが、共働きの家には預かり保育がある。今日も九時五分の到着に向かって階段を下る。階段を降りると高架下の長いトンネルがあって、トンネルの半ばに一本糞が横たわっている。
 わたくしが、したものである。
 この高架を走る電車は実は地下鉄なのだが、車庫のある都合で地表に露出している。
 地下鉄は、終電が思いのほか早い。どこかで飲み会が会って、さてお開きという時に「ああ、この時間だと急いで帰らないと終電に間に合わないなぁ」と思ったとする。するとどうでしょう。東京は広いようで狭いので、もうちょっと遠くの、駅から頑張って三十分も歩けば家に帰り着けてしまうのだ。
 それでこの土曜の夜、夜道をのこのこ帰ってきた。途中の二十四時間営業のスーパーで水を買って飲んだ。急に腹に差し込むものがあった。時間はとっくに夜半を過ぎていて、誰も通らない、トンネルを通った。
 雨も届かなければ車のタイヤにも接触しない。そんな絶妙な配置で一本糞はずっとじっとしている。蝿に見つかるでもない、当然、よほどのうっかりさんでなければ踏むこともない。それで、たまに生存確認も兼ねて息子と一緒に横を通ったり、幼稚園に息子を送った帰りに目を合わせずに横を通ったり、「今日はなんとなく会いたくない気分」とかいって回り道をしたり、そうこうしているうちに台風がやってきた。ただでさえ高低差のある地形なので、いつも通っている谷底の業務用スーパーに避難指示が出てしまうほど。
 あいつ、どうしてるかな。
 などとふと考えていると、息子が「うんちでた」と宣言してくる。ようやく独りで便器に座れるようになったのだから、尻も拭けるようになってほしい。どこまで拭いたら正解かを認識して欲しい。お、立派なバナナうんちです。申し分ない。アートとして売れるかもしれない。
 夏休みの宿題で、排便があるとノートにシールを貼る。「コロコロうんち」「ビチビチうんち」「バナナうんち」小さい時に管理しておかないと、ずっと便秘気味のまま育つそうです。本当かしら、よくわかんないんだけど。
 翌日、冠水したトンネルはすっかり綺麗になっている。トンネルから坂を上り、高台の幼稚園の前まで来ると、校門の脇にひっそりと、わたくしのもの{では(おそらく)ないもの}が存在している。
颱風一過 サヌキマオ

Entry2
慌て床屋訴訟
ごんぱち

「判決を言い渡す。被告、理髪業のカニに対するウサギの訴えを棄却する」
 家猫法廷の判事、ニャニャンガは、猫八法全書を閉じました。
「な、なんだって!」
 ウサギは怒鳴ります。カニに耳が切り落とされた頭には包帯が巻かれたままで、まだ血が滲んでいます。
 読者の皆さんは、人間の法廷を考えて『裁判は起訴状が送られてから一ヶ月ぐらいはかかる。耳が戻らないまでも傷口が塞がっていないのはおかしい』とお思いでしょう。
 けれどおかしくはないのです。家猫法廷は人間法廷のようにモタモタ調べたり迷ったり考えたりせず、本能の赴くまま、直感を頼りにするので、判決はとても素早く、そして血の通った温かいものになるのです。
「あたしは耳を切り落とされたんだ! なのに、切り落としたカニが無罪だって? 故意とまでは言わない、過失までは認めてもいい、執行猶予もギリギリだけど、無罪とは何だ無罪とは!」
 無罪と棄却は違うとお思いかも知れませんが、有罪よりもずっと無罪の方が近いものです。
「おいおい、裁判官になんて口の利き方だい」
 カニはせせら笑います。
「そんな邪魔な耳をぴょこぴょこさせて、急げ急げとせきたてるからいけないのさ」
 すっかり気が大きくなって、かにはハサミをガチガチいわせています。
「裁判長、納得のいく説明を!」
「説明も何も」
 詰め寄るウサギに、ニャニャンガはうるさそうに言います。
「元来商取引というのは、同族間で行われるものである、お分かりか?」
「しかし、カニは今まで床屋として色々な生き物の」
「例えば猫は、人間に撫でさせる対価として、人間の縄張りに置かれた鰹節や秋刀魚などを食べる権利を有するが、これはあくまで個体間の慣習に過ぎず、商取引とは定義されない。法律の保護の範囲外だ」
「あははは、その通りその通り」
 カニは笑って、またガチガチとハサミを鳴らします。
「従って、超種族的である家猫法廷であっても、これを扱う事は原則に反する。従って、訴えを棄却するものである」
 ニャニャンガはそれだけ言い捨てて、ひょいと屋根に昇ってしまいました。
「あははは、分かったかい、ウサギさん。法廷は僕の味方だ、僕を恨むのは筋違いさ。あははは!」
「……カニさん、今の棄却理由から考えるとだね」
「なんだい、もう用は――」
 がぶり。
「今、ニャニャンガ判事にミソとかすすられている状況に関して、君は何も言えないって結論にならないかな」
「うみゃあああお」
慌て床屋訴訟 ごんぱち

Entry3
備忘録
アレシア・モード

 君は明るい広場に立つ。
 公園だろうか? 周囲には三々五々と人々が歩く。その中に一人の子供――女の子の姿を見る。どこからか、金属を擦り合わすような音がする。女の子は空を見上げる、唐突に、その額に何か、大きなものが打ち当たる。女の子は降ってきた何かの、その速力そのままに、頭から敷石に仆される。鈍い音が周囲に響く。誰かの悲鳴。

 私――アレシアは闇の中に目覚めた。午前四時、後味の悪さだけが残る。
 酷い夢だ。だが、今は再び眠る他にない。


 これは……駅前だ。周囲には三々五々と人々が歩く。その中に一人の、女の子の姿が見える。どこからか金属を擦り合わすような音がする。君は声をかけようとするが、何の言葉も出ない。女の子が空を見上げ、その額に何か大きな……機械? が命中する。女の子は頭を敷石に打ち、鈍い音が響く。母親の悲鳴。

 私は闇の中に目覚めた。午前四時、二回目だ……

 君は駅前の広場に居る。
 駅の名前は……レオニ……よく読めない。人々の中に女の子の姿が見える。空から、金属を擦り合わすような音がする。君はそれが落下する配送ドローンとその貨物であることを知っている。女の子が空を見上げ、君はもう目を逸している。花壇の中に大時計が見える。鈍い音が響く。

 私は闇の中に目覚めた。午前四時……

 君は北東線レオニード駅前の広場に居る。
 時刻は午後二時十五分。君は女の子の姿を見る。空から巨大なドローンとコンテナが落下してくる。(助けないと)女の子が空を見上げる。君の声は出ない(助けないと)懸命に身を動かそうとする(助けないと)

 私は闇の中に目覚めた。
(いつなんだ……)
 事故が起きるのはいつだ。今日か、明日なのか。
 場所はどこだ。

 君はレオニード駅、ショッピングモール『レオニード流山』前の広場に居る。覚えのない店だ。午後二時十五分。君はもう、女の子の方を見ない。
(必ず助けに行くから!)
 空から音がする(今日は何日)レオニードの外壁に設けられた大型スクリーンに映る天気予報(五月一日……?)今は九月だが。いや、ここは未来だ。いつの五月か(助けに行く)今は何年か(助けに行く)君は目を泳がす。スクリーンの画面が変わる。そこに書かれていたのは……

 私は闇の中に目覚めた。
(天皇陛下、御在位三十年?)
 令和三十年ですか。
(いや、あの……)
 どうすればいいのか分からない。でも決して忘れたりしないから。
 必ず、必ず……
備忘録 アレシア・モード

Entry4
正直正太夫死す
今月のゲスト:正直正太夫

本作品は難解な箇所も多いため、参考として『明治文学新講🔗』(舟橋聖一著)の註解もあわせてご覧ください(別のウィンドウ/タブで開きます)。
 今年今月今夜、ほし江東につ、雲昏く雨暗し。たずぬれば我が親愛なる正直正太夫の、うるおわんかな家禽伯、ひょっくり鶴と化しけるなり。
 ああ痛ましの殿が身や、かいを歌わんか、こうを唱えんか、題目か念仏か、神楽がお好きでトットやくたいなる最期を遂げられたること、重々惜しき限りなり。况んや誰あって碑する者なく、空しく肝癪かんしやく玉を呑んで、骨をにつに焼かるるに於いてをや。こんぱくさまよう所、かん尽くるなからん。仰ぎ願わくは佳人才子、その花にそそぎその月にかこつの涙を分けて、これに手向けの水心、いささか弔い給わらば、かれも兎角は武士の果て、七世の後に於いて、あに魚心の無しとせんや。
 我これを何かに聞く。勁松けいしようさいかんあらわれ、ていしんこくあらわると。のたもうなり正太夫、ぶんだん乱れてのり細工の大家多く、附焼小説つけやきしようせつ世を惑わすの日、しつぷうじんらいしやに出で来たり、一喝一棒大いにの辺を騒がせり、これ誠に勁松なり、これ誠に貞臣なり。
 されどもひそかにかれが兜のうちうかがえば、学浅く識狭し、内に玲瓏の機智なく、外に花藻の文章なく、つまりがタダの野郎なり、がひとりの小僧なり。腕強きにあらず、刃鋭きにあらず。七縦八横なぎ廻りたりと見ゆるも、実は目指せる大家諸氏の思ったよりもちんにましまし、じゆ何かあらんと目もくれ給わねばなり。そのめいきんの名をかたじけのうしたるが如きは、ソリャあんまりな間違いのみ、はやまり過ぎたる鑑定のみ。さるにてもこのごろ文壇声なく色なく、醉えるが如く眠れるが如し。正太夫てきしゆなきに倦きて、猛虎は伏肉を食わずと称し、遁れてはにゆうの小屋にツクネンたり。一日天を仰いで歎じて曰く、俳諧論を誦せんか、新体詩を学ばんか、むしろ叡山に登って腹かっさばかんと、何がしが贈れるぜんけんを撫して五色の息やや久しうしたりしが、しんぞ命もと縋る者もなく、アレ寝なんすかと呼ぶ者もなければ、正太夫の目算ここに齟齬し、忽ち西方に向かって掌を合わせ、これ天地の委形なりと、荘子が夢のまいごとこうぜん永訣を告げたり。奇と謂うべし。
 逝きぬ、正太夫は逝きぬ、十万億里の旅の空、鉄道の設いまだあらず、死出のやまかぜ笠を吹き、三途のかわなみ舟を噛む、なん思うもあわれなり、右せんか極楽、左せんか地獄、正太夫の堕つる所いずこなるべき、かつて剣を揮って人を斬れり、さては地獄ならんか、斬りしは人を助けんがためなり、さては極楽ならんか、何たる因果ぞ正太夫、死んでの後まで問題となる。南無阿彌陀仏妙法蓮華経。

明治二十三年八月二十二日の夜
 鐘と撞木のあいが鳴る時
  正直正太夫自ら記す