私は頭の病気になった。悪くなりだすと頭は加速度的に悪くなりだす。これは頭の一つの特徴だと、そう博士が私に話したことがある。例えば私が町を歩く。自分が町のどこへ行こうかと考える。すると、もう君の頭はいっそう悪くなっているのだと博士は言った――
私は私の頭が良くなりかけているのか悪くなりかけているのかと考える。すると、自分の頭の悪い部分で自分の頭の悪い部分を良いか悪いかと考えるそのことがすでに、いっそう自分の頭を悪くしているのだという。私は友人の薦めで頭に効く山中の温泉場へ行ってみた。すると、そこには頭の悪い者ばかりがうじうじと集まっていた。私が湯に浸っていると同じく浸っている者が私にあなたも頭が悪いのですかという。そうだと答えると、その病人も実は私も悪いのだという。どんなに悪いのかというと、こうこうにしてかように悪いなどと言い合って、つい話はまた自分の頭の悪い部分のことばかり探り出す。そんなにして自然とまた私は、終日ここでも自分の頭の悪いことばかりを考えて暮さねばならなかった。
いったい私の頭の悪くなる一番の原因は、自分で自分の頭を試験ばかりしたがるからだ、と私はそこで友人になった頭の悪い男に話したことがある。すると、その病人も自分もそれで困っているのだがこれは枕がいけないからだと言い出した。枕は一日の中の三分の一のあいだ頭に送る血を首の所で圧えている。それがいけない。頭へは出来うる限り多くの新しい血を送らねば頭は癒るものではないと言った。ところが、この男の哲学は不思議に私には魅力があった。これほど簡単で素朴な説は今まで私は聞いたことがなかったからである。それからというもの、私は寝ても醒めても枕のことが気になってきて困りだした。夜寝るときはもちろん道を歩いているときでも、いつも枕が首の後にひっついているように思われて来たのである。ふと頭のことを考え出すと、手がいつの間にか首の後ろへ動いている。手が動くと枕がそこにないにも拘らず、急に枕がそこへこびりついたと同様に首に枕をしているように思い出す。このように枕のために苦しみ出している、その矢先に、また私の友人は私に逢うと枕のことばかり話し出すのだ。どうも今日はいつもより頭が良いと言うと、それは枕の仕方が良かったからだと言う。今日は頭が曇っていると言うと、それは枕が堅すぎたのだと言う。枕、枕――枕、枕、とそんな風に行く先々で私は枕にばかり追っ馳けられて暮らしていると、ふと私は枕に追っ馳けられているのは私だけではないということに気がついた。この温泉場にいる頭の悪い病人は、私の友人から殆どことごとく同じ枕の話を聞かされていたのである。そのためその者たちは私と同様に日々枕と闘いながら枕の話ばかりをしていたのだ。この枕の伝染病の中へ浸っている病人たちは、昼は山を歩きながら枕のことを考え、夜寝るときは枕のことを考え、その枕と枕との間でどうすれば枕のことについて考える生活費が出るかと考えながら、ますますと不思議な頭の作用で頭を壊していっているのだった。
(昭和四年十二月)