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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第30回バトル 作品

参加作品一覧

(2020年 6月)
文字数
1
小笠原寿夫
1000
2
山中 清流
1000
3
サヌキマオ
1000
4
難波知巴
1000
5
ごんぱち
1000
6
アレシア・モード
1000
7
吉江喬松
1527

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蝦夷
小笠原寿夫

 雪が散らつくには、まだ早い。
「こんな重たい荷物、何に使うんやろなぁ。」
彦八は、額に汗を掻きながら、ぼやいている。
「俺にもわからん。これが世の中のためになるとは思われん。」
漬物石の数倍の重みのある、その荷物を背負い、坂道を歩いていく五郎は、くたくたになった身体で、肩で息をしながら、ようやく答えた。それを度々、山頂まで置いてきては、また山を下る。
 羊蹄山を登るその足は、いつしか相撲取りにでもなろうか、という程、太く逞しくなっていた。彼らは、賽の河原に石を積む亡者のように、泣き言ひとつ言わない連中の中では、口が立った。二人は、元々、摂津の生まれの為、方言が抜けない。
「俺ら、このままやったら無意味に死んでまうぞ。」
聳え立つ羊蹄山の麓で、また荷物をひとつ抱え上げる。
「よいしょ!」
彦八の額の汗は、尋常ではなかった。
「らはが北山。」
五郎はそう言って、石段に腰を降ろした。食事だけはたらふく食ってもいい、という指示が出ていたので、そこで握り飯を頬張った。
「お前、せこいぞ。そうやって時間稼ぎする積りや。」
彦八は、五郎の悪態を突いた。 
「なぁ、この荷物の中身、気にならへん?」
五郎は、いきなり、そう切り出した。少し悪意に満ちた表情で、こっちを見た五郎の言葉が、図星を突かれたせいか、彦八は絶句した。しかし、この荷物を開けることは、一切、許されていなかった。
「そ、それはあかん。大名に首切られたら、どうする積りや。」
「だけど、どうせこれを続けて、あの世行きやったら、中身を確認してからの方が良くないか?」
他の連中は、文句ひとつ言わず、汗を掻いて荷物を背負っている。
「こんなもん、せたろうて山登るねん。何か意味があるはずや。気になるやろ。」
五郎は、もうひとつ握り飯を頬張った。
「せやけど。」
彦八は躊躇った。
「なぁ、ええやろ。荷物開けようぜ。千両箱かもわからんぞ。」
五郎の図々しさと、一回思いついたら、梃子でも動かない石頭は、良くも悪くも彦八を困らせた。引き攣った顔で、彦八は、
「おぅ。」
と小さく呟いた。彦八は、ざくざくの小判を連想して、少しにやついた。風呂敷を広げると、その大きな荷物は、黒く重箱を大きくしたような形状をしていた。中を開けるのは、容易かった。鍵もついていない。彦八は驚いた。
「水屋やないか!」
「他のも開けようぜ。」
 中身は桐の箪笥や寝具などの嫁入り道具だった。
「見るんじゃなかったな。」
「な。」
蝦夷 小笠原寿夫

異世界転生
山中 清流

「俺は死んだ……で、女神さまがいる真っ暗な空間にいるってことは、俺は異世界に転生出来るんだな! チート能力で無双できるんだな、やったぜ、俺も勝ち組だ!」

目の前にいる女神さまに向かって、俺は喜びのあまりそう叫んだ。そう、俺は登校中ダンプカーにひかれて、17歳で人生に幕を下ろされたのだった。

……で、その瞬間にこの真っ暗な空間に連れてこられ、前にいる……なんか女神様っていうには質素で地味な外見をしているが、顔は結構可愛いしまあいい、とにかく女神様の前にいる俺だった。さあ、チート能力でハーレムでウハウハだ! やったぜ俺!」

「……いえ、私は女神は女神でも死神なんですが。それにハーレムだの転生だの何を言ってるんですか? あなたを冥界に連れに来ただけですよ」

「え、そ、そうなの? てかなんでハーレムのこと知ってるの? ま、まさか読心術とか」

「いえ、途中から普通に声に出してましたし」

「あ、ホントだカギカッコの頭はないけど終わりはあるや。い、いやしかし死神でも神様は神様だよな、ということは俺を異世界に転生させてくれるのか!」

そう力説する俺に、この女神いや死神様は心底あきれたようにつぶやくのだった。

「いや、私はあなたを冥界に連れていくと言ったはずですが。人の言うことを聞きやがれこの野郎」

……急にドスの効いた声になったんですが、もしかしてお怒り? てか、俺普通に死んだだけか。まあそうだよな。異世界転生なんてそう都合がいい話はないよな。

「でも何とか異世界に転生させてくれない? いいでしょ、ねえねえ!」

しつこくつい食い下がる俺、それを聞いてた死に女神様は、目を瞑り拳を震わせていたがとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。

「いいからさっさときやがれこの野郎! ほら、行きますよ!」

首根っこを掴まれて引きずられていく俺だった、いやだ、いやだあ! 異世界じゃなく冥界なんて嫌だあ! という俺の叫びは、真っ暗な暗闇に吸い込まれていくのだった。

まあ、この時の俺には知る由もなかったが。冥界ってのが中世ヨーロッパ風の世界で、魔法と剣の世界で、魔王と呼ばれる冥王がいる世界だったなんて思いもよらなかったわ。

数多にある異世界転生って、冥界が舞台だったのかあと納得することになるなんてなあ。

となると、あの初めに異世界に送り出す神様って死神で、異世界は死の世界だったのか、そう思うとちょっと嫌だなあとついつい思ってしまう、俺だった。
異世界転生 山中 清流

七日香奠
サヌキマオ

 とうとう来週の水曜日の予定も埋まった。これで明日から一週間ずっとお通夜だ。はじめは亡くなった、と思っていたが、これだけ次々と死なれると「死んだ」となる。
 明日は大洗まで行かねばならない。亡くなったのは得意先の水産会社の会長で、たまたま会社の中で、水曜日に大洗まで行っても比較的問題ないのがおれであるという話である。
 翌日は大家のじいさんだ。八十いくつとは思えない長身で、鼻に酸素の管をつけてゆらゆらと近所を散歩しているのを見かけることがあった。けっしてボケてはいないのだが全体的にスローモーションで表情がなかった、若いときにはどんな仕事をしていたか想像がつかない。生まれてこの方ずっと大家だったのかもしれない。駅の反対側にある真言宗のお寺であることを確認してある。
 次は遠い親族だ。叔母の嫁ぎ先の義父の妹で、まぁ実家からは近所だったし、知らない顔でもないから「行ってもよい」と答えた。たまに法事で見るような面々がいるのだろう。みんな「亡くなるべくして亡くなった」という顔をして集まるのだろう。なにしろ九十六歳だ。土曜日なのでそのまま実家に泊まることであろう。
 日曜の夜は、昔通っていた飲み屋のマダムのお別れ会だ。これは通夜と呼ばないのかもしれないが、それでも知るも知らぬも店に馴染みの客が集まることになった。翌日から店の取り壊しが始まるのだという。マダムの命も店とともにしたのである、というと聞こえがいいが、ずっと公然の噂になっていた大きな借金のことは誰も口にしなかった。貸し主でさえ一緒になって飲むことだろう。
 月曜は上司の奥さん。火曜、また親族の誰か。この「誰か」というのは「ヨシコサン」と呼ばれる以外は関係性のわからない親族だ。ヨシコサン。実家にいたころには話の端々に出てきた気がする。ヨシコサンが持ってきた赤福がしょうしょう賞味期限を過ぎていて酸っぱかっただの、あやしいネズミ講に捕まって急に口調が慇懃になり、あまりにも親戚中にセールスを仕掛けるので村八分になっていたのとろくな話がなかったが、村八分でも葬式は別とあって手の空いていそうな親族が呼び寄せられた。武蔵小杉のタワーマンションの風呂で孤独死していたそうである。
 そうして昨日、伯母が死に、伯母を看病していた伯父も、同居していた祖父もつぎつぎに呼吸困難を起こして亡くなった。
 もとよりなけなしであったが、とうとう銀行口座に金が無い。
七日香奠 サヌキマオ

杖を捨て雨に唄おう
難波知巴

 気象庁が関東甲信の梅雨入りを発表した土曜日の午後、御年80歳の後藤修治は出かけようとしていた。

 最近らくらくスマホを購入した修治は、同じデイサービスに通う77歳の敏子さんとラインの交換をした。お互い近所に住んでいることが分かり、修治は敏子さんをお茶に誘った。5年前に逝った妻とどことなく面影が似ていたからだ。

 二階から、18歳になる孫の翔太が降りてきて、修治の前を素通りして冷蔵庫を開けた。幼い頃はよく話をしたが、反抗期がきて以来、翔太から話しかけるなオーラが漂っている。しかし、この日の修治は翔太に気を使っている場合ではなかった。敏子さんと茶飲み友達になれるかどうかの運命がかかっていた。
「デイサービスで知り合った女性をお茶に誘って、これから会うんだけど、この服でいいと思うか?」
一瞬、翔太が驚いたように修治を見たが、徐々に表情が変わり、トレーナーにジャージ姿の修治を睨みつけた。
「ちょっと待ってて」
そう言って翔太は二階へ上がり、5分程して戻って来た。
「これ着て」
「こんな派手な色、80の爺さんが着たら笑われないか」
「モテたいんだろ」
翔太のその一言で修治の心は決まった。
水色のリネンのシャツに淡いピンクのサマージャケットを羽織り、濃紺のコットンパンツを穿き、最後にハンチング帽を被った。
「じいちゃん、かっけぇよ」
「そうか?」
靴は履きなれた介護用シューズにしようとしたが、翔太が革靴を出してきた。いつも押す手押し車も却下され、杖代わりに傘を持たされた。

商店街を歩くと、修治は視線を感じた。それは遠い昔に感じたことのある、懐かしい視線だった。通りすがりの若い女性たちに「おしゃれなお爺さん」と囁かれ、自然と背筋が伸びた。
 修治は、ここ何十年と感じたことのない快感と優越感に浸った。思えば、上背もありおしゃれだった修治は、昔、銀幕スターのようだと言われたこともあった。

 ポツポツと雨が降って来たので修治は傘を差した。足元が幾分おぼつかなくなったが、そんなことより、キマッている自分をもっと見てもらいたくて、なるべく傘を持ち上げて歩いた。うっとおしい梅雨空など全く気にならなかった。それどころか、ジーン・ケリーさながら「雨に唄えば」でも歌いながら、タップダンスを踊り出したい気分だった。
「I'm singing in the rain Just singing in the rain」
敏子さんとお茶を飲んだ後、カラオケに誘ってみよう。歌いながら修治は思った。
杖を捨て雨に唄おう 難波知巴

グルメ探偵
ごんぱち

「――捜し物が、何ですって? 久留米さん?」
 探偵の四谷京作は、やや身を乗り出して聞き返した。
「桃の缶詰です」
 応接セットのソファーに腰掛けたまま、その男、久留米太部郎(ぐるめたべろう)は少しゆっくりめに言った。
 小柄な初老の男で、落ち着いた格子柄のスーツをしっくりと着こなされている。
「小さい頃……体調を崩して学校を休む時、母がいつも桃の缶詰を出してくれたんです」
「優しいお母様ですね」
 久留米はテーブルに置かれたままの冷めたお茶を飲む。
「今でも、無性に食べたくなるんですが、見つからないのです」
 四谷探偵は、久留米の記入した「お客様カード」をじっと見つめる。数十秒ほど間があって。
「――久留米さん、あなたの住所は藍川県の竜東とありますが、これは昔からですか?」

 翌週、久留米は四谷探偵事務所にやって来た。
「――まずこちらを召し上がって下さい」
 四谷は久留米に椀を差し出す。
「いただきます」
 久留米は、椀の中身を啜る。
「これは……おじやか雑炊のようですが、このなんともクセがあって旨味がないというか、いや、その、うぷっ」
「そしてこちらです」
 四谷は今度はガラスの器に盛った、缶詰の黄桃を差し出す。たっぷりのシロップに浸かっているが、水で割っているのかとろみは少ない。
 久留米は、フォークで黄桃を刺し、口に運び、目を見開いた。
 もう一口、二口と食べ、シロップを喉を鳴らして飲み干す。
「これはどこのメーカーの?」
 四谷探偵は満足げに頷いた。
「あなたが試した事のある缶詰ですよ」
「え」
「問題はあなたの方だったのです」
「ですが、私もそれを考えて、病気の時に食べてみた事もありましたが、ここまでの味ではありませんでした」
「そうではありませんよ」
 四谷は椀を見せる。
「こちらは、藍川県のごく一部に伝わる風土料理『土粥』。田んぼで取れる蛭の一種と、バッタの一種を雑な処理で粥に炊き込んだものです。医学的には無意味ですが滋養があると信じられているので、地元の古い家だと病人に食べさせるのです。少量ですがね」
「でもこれはひどくまずい。舌が痺れる」
「蛭に含まれる微量の毒の作用です。味覚も幾らか麻痺します。そして、あなたのお母様はその後の口直しに桃缶を出したのでしょう」
「そうだったのか……」
「お母様は」
「母は……」
「マッチポンプをやらかしていたのです!」
「……人の親つかまえて、もう少しマシな言い方なかったんですか」
グルメ探偵 ごんぱち

アレシアおしゃべりクッキング『トンカツを作る』
アレシア・モード

「さて今日のメニューは、トンカツ! アレシア先生、トンカツと言えば、一番大切なのは……」
 私――アレシア先生は、ここに断言する。
「キャベツです」
「……ええ、確かに、なるほど、その、あのその」
「お黙り」
「……」
「野菜あっての肉でありましょう。ゴハンが進むメニューというのはあります。刻みオクラに梅肉チリメンジャコ醤油ひと垂らしですか。鮭の刺身の大葉ゴマ油和えですか。だが、そこでゴハンがクッソ不味かったら、貴女はどう人生に責任をとるおつもり」
「そ、それは」
「ならトンカツのキャベツも同じ」
「いや、それは」
「野菜は肉のゴハン」
「それは」
「お黙り」
「……」
「刻みキャベツ無きトンカツなど笑止! プロは、まずキャベツ修行から始めるのです。今日は私がプロ並みの仕上がりとなる刻みキャベツの極意をお教えしましょう」
「有難うございます(まあいいか)」
「まず、キャベツは硬い茎を除き、繊維が平行になるよう葉を整えます」
「ほうほう」
「そして何枚かを軽く巻いて……」
「はい」
 私は、すくっ、すくっとキャベツを刻んだ。
「ゆっくり慎重に、細かく刻みます」
「はい」
「……終わりです」
「はあ」
 馬鹿女は明らかに不満げである。
「私、先生みたく細かく刻めません~」
「だったら、もっとゆっくり慎重にお刻み。納得出来るまで」
「それ全然プロの技じゃありません」
「お黙り」
「え?」
 こいつ、我らに対抗しようと言うのか。呆れた馬鹿だ。
「お前はプロを何だと思ってる」
「そりゃ~凄い美味しい料理を作る技を持ってて」
「違う!」
 私は馬鹿の目を覗き込んで言った。
「プロに必要なのは、持続と下限と上限だ」
「はあ?」
「プロに特別な技なんて無い。プロの出来る技なんて、ゆっくりやれば誰でも出来る! そこがおまいらのための極意だ。プロを気取らずゆっくりやれ。そしたらプロ並みの成果が出せる。ただし、いつ出来るか分からんし、出来栄えの保証もねー、これが貴様の芸術だ、はははザマあ見ろでガンス」
「ウッキー!! そんなのグルメじゃないわ!」
 馬鹿が吠えた。坊っちゃん、今です。
「ドラキュラ!」
HIGHハイザマス!」
「狼女!」
戦争ウオーでガンス!」
「フランケン!」
空腹フンガー! 空腹フンガー!」

 さて、この後は「突然! 無惨」のコーナーとさせていただきます。まずは殺人とカニバリズムの歴史について、ゲストの蛮人さん、残り時間で解説お願い致します。さもなくば死んでください。
「ふえ? ああ、
アレシアおしゃべりクッキング『トンカツを作る』 アレシア・モード

五月雨
今月のゲスト:吉江喬松

 五月雨さみだれが音を立てて降りそそいでいた。
 屋根から伝って雨樋に落ち、雨樋から庭へ下る流れの喧しい音、庭の花壇も水に浸ってしまい、門の下から床下まで一つらに流れとなって、地皮を洗って何処へか運んで行く。
 夜の闇の中で、雨も真黒い糸となって落ちて来るように思われる。泥がはね上り、濁水が渦巻いて流れ、空も暗く、何処を見ても果てがつかない。家の中に籠って電灯の下で、じっとその音を聞いていても不安が襲って来る。とこを敷いて蒲団の中へもぐり込んでも安眠が出来ない。
 うとうととして宵から臥ていたが、私は妙に不安な気がして眠れなかった。大地の上を流れている水が、何処か一ヶ所隙を求めて地中へ流れ込んで行ったらば、其処から地上の有りたけの水が滝のようになって注ぎ込んで行ったらば、人間の知らずにいる間に、地球の中が膿んで崩れて不意に落ち込みはしないかというような気がせられた。
 と思うと、また何者かその地中から頭を上げて、地上の動乱の時機に際して、地上を覆っている人間の家屋を、片端から突き倒しでもしはしないか。何ものかの巨きな手が、今私の臥ている家の床下へ伸ばされて、家を揺り動かしているのではあるまいか。
 夢のように現のように、私ははっと眼が醒めると、たしかに家のゆさゆさ揺すぶられたのを感じた。耳を立てると、ごうごういう水の音が地中へ流れ込んでいるように思われた。地中の悶えと、地上の動乱とが、少しも私に安易を与えなかった。
 そういう不安が幾晩もつづいた。
 五六日経つと五月雨が止んだ。重い雲が一重づつ剥げた。雲切れの間から雨に洗われた青空が見えて来た。日の光が地上に落ちた。地の肌からは湯気が立ち上る。ぐったり垂れていた草の葉が勢好く頭を上げる。樹々の芽が伸びだした。
 戸障子を開け放って、雨気の籠った黴臭い家の中へ日の光を導き入れると、畳の面に、人の足痕のべとべとついているのも目にはいった。不図気がついて見ると、畳と畳との間から何か出かかっているのが目にはいった。何とも初の間ははっきりしなかった。傍へよってよく見ると竹の芽のようだ。私はぞっとして急いで畳を上げて見た。床板の破れ目から竹の芽が三四寸伸びて出ていた。或ものは畳に圧せられて、芽の先を平らにひしゃげられたようにして、それでもなお何処かへ出口を求めよう求めようと悶えているような様をしていた。或ものは丁度畳の敷合せを求めてずんずん伸び上ろうとしていた。
 私は畳を三四枚上げて、床板を剥がして見た。庭から流れ込んだ水が、まだ其処此処にじくじく溜っている中から、ひょろひょろした竹の芽が、彼方にも此方にも一面に伸び出て、床板に頭をつかえて、恨めしそうに曲っていた。水溜の中を蛇のうねっているように、太い竹の根が地中をっていた。日の光が何処からか洩れて、其処まで射し込んで、不思議な色に光っていた。
 私は怖ろしくなった。竹の芽を摘み取るのさえ不気味に思って、そのまま床板を打ち付けて畳を敷いた。けれど畳の間に出ている芽が気になって、其処へ臥る気にもなれなかった。床下の有様を思うと、その上へ平気で臥ている気にもなれなかった。
 縁さきへその芽は五六寸伸びて、幾本も頭を出した。その頭は家の中を覗き込むようにした。玄関の土間からはむくむく地を破って、頭を上げて来た。上げ板などは下から幾度となくこつこつ突つかれた。家全体が今にも顛覆させられそうに思われた。
 私は冬からかけて二三ヶ月いたその家を早速移ることにした。其後も私は二三回その家の前を通ったが、何人も住んでいる人がなかった。
 私は、その家の中に、竹の芽が思うままに伸びて、戸障子や襖のゆがんでいる有様を思い浮べて、こそこそその家の前を通り過ぎた。