爆心地に幽霊が出るといううわさは遠い世間では立っていたようである。なにしろ、たくさんの骨を敷きつめたようなところだから、うわさの立たぬほうがおかしいくらいのものだ。しかし爆心地そのものにはそのうわさは少しもなかった。なかったも道理、ここは迷信をいっさい知らないキリシタン村落だからである。霊魂は物質でないのだから肉眼で見えるはずがない。もしここが異教徒の町であったら怪談でにぎやかなことであろう。
浦上を夜中に通ると、女のすすり泣きが聞こえる。──これが世間のうわさであった。私は夜中に焼け跡を歩いてみた。冬の月が青く照らしている冷たさは、まさに幽霊が出ねばおさまらぬ場面であった。泣き声はゆけどもゆけども聞こえない。橋口から原の田、松山の爆心を右に見てそれから佐城の坂、ようやく道だけ開いてあって両側はあの日のまま、小屋は一つも建っていない。このあたりは一家全滅のあとばかりだ。宿の高台へ出た。寒い夜風が港からまともに吹きつけて思わずぞっと首をすくめた。すると、ヒイーッ、ヒイーッとすすり泣きが聞こえてきた。思わず足をとめる。東はすぐに大学の構内で解剖室の並んでいたあたりだ。西にはがい骨のような枯木が白く月に光っている。ヒイーッと足もと近くにひとりすすり泣くもあり、遠く離れたところで数人寄り合っても泣いている。大人も泣いている。幼な子の声もまじる。むせび泣くのもある。臨終の息をまさに引き取ろうとするのもいる。
このあたりは大学町で、助手たちの家庭や学生の下宿が主だった。たばこと郵便切手を売る店や、冬はみかん、夏はところてんを売る店などが間にはさまっていた。葉書を買うとたとい二枚でも三度数え直して、にっこりともせず渡す色の白い女か妻かわからぬ女や、一日中シェパードを訓練していたシェパードも恐れる人相の大男や、いつ通ってみてもピアノをたたいていた金持ちの娘や、どんな急病人の迎えにも絶対に走らない下駄ばきの老医などを思った。あの人々の骨がここに月光にさらされている。思い出にふけりながら歩みを進めると、両側のすすり泣きはいよいよ哀切をきわめる。あの色の白い娘は葉書をかぞえながら潰れたのかもしれない。あの大男はあの大事なシェパードを身をもってかばって死んだであろう。あの娘はピアノの弦の断ち切られる音をかすかに聞いたかしら、あの老先生は救護班詰所へ出勤せねばならぬとあせりつつ火にまかれたにちがいない……
港から吹きつけていた風がぱったりやんだ。私のほほがにわかに温かくなった。背すじもぽかぽかして、私はなんとなく落ち着いた。そして立ち止まってふたたびあたりを見直した。しらじらと月が瓦の原を照らしている。すすり泣きはぴたりとやんでいた。
私は瓦の原っぱに踏みこんでいった。何もない。何の声も起こらぬ。それではあのすすり泣きは心の迷いであったろうか?──ふたたび港から風が吹きつけてきた。ここは丘の上だから風は切線の方向に吹きぬける。ヒイーッ、ヒイーッ、すすり泣きはふたたび足もといちめんに起こった。私は身をかがめた。
瓦が泣いているのだった。瓦が積み重なって乱れていると、狭いすき間がいくらもできる。そのすき間を風が吹き通るとき笛のように小音を立てる。その音波がいくつも集まり、干渉してすすり泣きのように聞こえるのであった。
瓦よ泣け。このあたりは一家全滅のものばかりで、あとをとむらい泣く人は残っていないのだ。せめて瓦よ、骨のそばにありて泣いてあげよ。