Entry1
福禄寿成就萬
小笠原寿夫
「子は鎹なんてェ事を申します。」
と打つと、客席から、
「なるほど。今日は子ほめか。」
と唸る声が出る。集中しながら、語り始めると、客はジッと聴いている。
「近頃では、コロナなんて物が蔓延っておりますが、我々の方で行きますと、声患いの方がよっぽど恐いわけなんでございまして。」
滑り出しは好調。今日の客は悪くない。それでも違和感を、感じずには居られないのは、何故だろうか。
「こりゃあ、まだ生まれてねぇみてぇだ。」
とサゲると、客は何故かうまくウケない。なるほど、これが落ち目という奴か、と痛感する。師匠の言葉が、心に刺さる。
「落語ってのは、慣れちゃ行けねぇんだ。自分が飽きちゃうと客まで飽きちゃう。だから初舞台の積りで臨むんだ。」
兄やんが、見兼ねて言う。
「師匠から最初に教わったネタやってみな。」
目から鱗だった。最初に教わったのは、「鉄砲勇助」。数々の法螺を吹き倒すネタである。嘘から出た誠の噺である。
「雪国では、小便が凍るんだ。」
だとか、
「出した『あーっ』の声まで凍るんだよ。」
と演った後、
「最後は上手に溶けました。」
と打ってみた。近頃では、演者よりも客の方が落語を知っているので、やりづらい。ところが、今日のネタは何故かウケた。最初に卸したネタがウケるのは、今の自分があるのは、そのネタのお陰であることを立証する唯一のネタだからである。
「兄やん、お先に勉強させて頂きました!」
と挨拶すると、兄やんは高座に上がる。高座に上げたのは、「らくだ」。
嫌われ者のらくだという男の葬連の噺である。
「私も師匠にはお世話には、なりまして。」
客は頷いている。先代の事をネタにするのは、噺家の流儀なのかもしれない。
「私も先代から受けたネタを。」
と、喉を絞めて高い声を出す。このネタは、酒飲みの噺なので、濁った声を出さなければいけない。久六との遣り取りを終えると、いきなり目が据わり、低音を出す。
「うまい。」
思わず、舞台袖で呟く。そうして高座でかんかんのうを演じ、
「今度は冷やでお願いします。」
と演ると、拍手喝采となった。汗だくになった兄やんの身体を拭きながら、
「どうして、らくだを掛けたのですか?」
と聞くと、
「俺も、もう近い。」
と兄やん。
「先代はよく出来たお人だった。」
名跡には適わない。これは、落語会の暗黙の了解である。
数年後、私は高座に上がった。
「えー。葬連と申しますのは、我々の方では縁起のいいものとされておりまして。」