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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第39回バトル 作品

参加作品一覧

(2021年 3月)
文字数
1
Bigcat
999
2
サヌキマオ
1000
3
ごんぱち
1000
4
玄鎮健
1500
特集:震災文学
5
室生犀星
999
6
横光利一
900
7
菊池寛
1466

結果発表

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住職の救助
Bigcat

 その小さな集落は川沿いにありました。誰もが幸せに暮らし、休日は村の寺院で感謝の祈りを捧げていました。
 ところが、ある年、大量の雨が降り、川の堤防が決壊して、大洪水が村を襲いました。みんな安全な土地へ行くために村を避難し始めました。

 ある男が走って来ました。寺に着くと住職に言いました。
「洪水が家に入ってきました。じきに寺も浸水するでしょう。みんな村を後にしています。すでに村全体が沈み始めています。住職さま、あなたも避難してください」

住職は答えました。
「お前は逃げるがいい。ワシはここにとどまって、神様がお出でになるのを待つ。ワシは毎日神にお仕えする人間じゃ。だから、きっと神がやってきてワシを救ってくれる事を固く信じている。だから神が来るまでは寺を出ることはない」

 男はしきりに避難を迫りましたが、住職が言うことを聞かないので、とうとう諦めて
寺を去りました。

 間もなく、水が寺に入ってきて、住職の腰の高さに達しました。住職は正面の階段の最上部に立ち、水嵩が増してくるのを見守っていると、別の男がひとりボートを漕ぎながらやって来ました。彼は寺の中にいる住職を見つけて助けに来たのです。彼は住職に言いました。
「ボートに乗ってください。私と一緒に避難してください」
 しかし、再び住職は寺を去ることを拒み、神が彼を救いにくるからと言いました。
ボートの男は去りました。

 ついに、寺全部が水に漬かりました。住職は寺の屋根まで上がらねばならなくなりましたが、それでも神に救ってくれるよう祈りつづけました。

 すると、まもなく救助ヘリがやってきて、住職のもとへ救助はしごを下ろし、登るように言いました。でも住職は再び、同じ理由を口にして避難を拒みました。ヘリコプターも
去りました。

 しばらく後に寺の頂上までもがすっぽり水に漬かりました。住職はやっとのことで
水から頭を出し、空を見上げてぶつぶつ言い始めました。
「おー神よ!私は一生涯あなたを崇拝し、あなたを信じてきました。でも、今回、
生死の淵にいる私をあなたは助けに来なかった。何故なんです?」

 ちょうどその時、空から声が降ってきました。
「男よ!私は三度お前を救いに来た。他の者と一緒に避難するよう告げるために走って
やってきた。それからボートに乗ってやってきた。さらにヘリコプターで飛んできた。
でも、お前はその都度断った。お前が私に気づかなかったのは私のせいか」
住職の救助 Bigcat

水戸のやつ 付:糊屋の婆さん一代記
サヌキマオ

「助さん、格さん、デオキシリボ核酸、熊さん、八っつぁん、モリノーク・マサーン、オタケサンオタケサン、インベーダーインベーダー、存分に懲らしめてやりなさい!」
 水戸光圀公の指示により、悪代官は斬られ、伸され、たちどころに縛り上げられ、全身を鳥に突かれ、犬に金玉を噛まれ、ついでに額にうんこの絵を描かれました。
 いままでの悪事が走馬灯のように脳裏を去来します。あのとき根こそぎ奪った一握りの種籾、あのとき年貢代わりに攫った村の美人三姉妹……どれもこれも、今となってはいい思い出でした。楽しかった、貧困に喘ぐ人々の顔をこれでもかこれでもかと踏みつけて――実際に踏みつけはしませんでしたが、そんなようなことをしてきたのです。
 モリノーク・マサーンが持ち前の怪力で悪代官を松の木に縛り付けます。助さん格さんを初め、いつの間にか軍平さん、上海屋のリルさん、横丁のご隠居に糊屋の婆さんまでやってきて見物している。密です。圧倒的に密。こんな危機的状況でありながら急に腹が痛くなってきた。冷え切った腸の中のものが出口を求めてぐるぐるしている。
 もうそこからは土壇場修羅場、デオキシリボ核酸が執拗にまとわりついて生物としての情報を書き換えようとしてくる。熊さんは明後日の方向に立て板に水の啖呵を切り、八っつあんはここに来るまでに茶店で食べた団子が古かったのか急に苦しみだす。いてててご隠居、おいらァもう死んじまうかもしれない。オタケサンオタケサンは狂ったように上空を飛び回り、舞い落ちる翠色の羽から毛じらみ、毛じらみ毛じらみ毛じらみ。収拾がつかなくなってきたところで光圀公、これ頃合と息を吸い、助さん格s――まで発したところで上空から16tの錘が落ちてきた。上海屋のリルさんが一足早かった。
 Now, something completely different... ジョン・クリーズや。ジョン・クリーズがおる。軍平さんの背に負われた糊屋の婆さんが前のスケッチから逃げてきた。
 糊屋の婆さん、むかしは義太夫のお師匠などして弟子をとっていたらしいが、酒灼けで喉を潰してからは、ほうぼうの家から乾いて固まった米粒をもらっては小鍋で煮立て、柔らかくして潰しては糊を作って売って小銭を稼いでいた。こういう仕事は座って出来る老いても出来る、ふいに大風が吹いて驚いて振り返ると、先程の16tでぺったんこに伸された御老公一行が、ひらひらと風に乗って西の空に旅立っていきました。
水戸のやつ 付:糊屋の婆さん一代記 サヌキマオ

だつこるる
ごんぱち

「やあ、八五郎じゃないか。どうした、そんなところでモジモジして。らしくもない。そうだ、ばあさんがおからを炊いたから、飯でも食っていくかい」
「ご隠居、今日は折り入っておたずねしたい事がありやして」
「随分しおらしいじゃないか」
「いやね、神田のおばさんが、脱コルてぇのをやったそうで」
「ほう、おトワさんか。最近は、なんだな、そういう人もいるな」
「お恥ずかしい話なんですが、その脱コルたぁなんです? 韓国辺りから入って来た概念と聞いた気がするんですが。脱の方はまだ漢字がありますが、コルと来たらどうにもこうにもさっぱり」
「八、お前は本当に物を知らないな。あれは、ほら、あれだよ」
「何ですかね」
「コルと言えば……そう、コールタール、つまりタールだ」
「えっ」
「煙草をやっている者が、タールを脱する行為で脱コル、つまりは禁煙だな」
「煙草のタールはコールタールとは違うような……」
「考えてごらん、海の文字には母が入っていて、海は全ての命の母だ。つまりコールタールの中にはタールも含まれるんだよ」
「仏蘭西では逆だったような……」
「話の腰を折るなら、この話はこれでおしまいだよ」
「いや、そこはそれほど重要じゃないんで。言われてみればごもっともです。なるほど禁煙ですか」
「そうだよ」
「ですが、おばさんは今日も井戸端で煙草吸ってましたが」
「禁煙なんてそう簡単に成功するもんじゃあない」
「あの強情っぱりのおばさんが、そんなにすぐ諦めますかね?」
「中毒症状は生理現象と同じだ。どんなに強情な人だって、小便をずっと我慢はしていられまい?」
「おばさんは、お姑さんと意地の張り合いで七日小便を我慢して医者に運ばれてます」
「……おトワはそんな事をやってたな。だがまあ、それでも最後には我慢はしきれなかっただろう?」
「確かに。でも、吸いながら言ってたんですよ。脱コルしたから、気分が楽になって煙草がうまいって」
「そりゃあお前、我慢してからの方がなんだってうまく感じるものさ」
「なあるほど。あっしもやってみますかね」
「良いんじゃないか?」
「それと、脱コルでもう要らなくなったからって、これを貰ったんですが」
「これは……コルセットだな」
「どういう関係があったんでしょう」
「これはほらアレだよ」
「どれで?」
「これぐらいは負けときな」
「野菜を値切ってるんじゃないですから」
「これは、ううむ――記憶をよーーく辿ってみたら、これはおトワの本名だった」
だつこるる ごんぱち

ピアノ
今月のゲスト:玄鎮健
蛮人S/訳

 クォルはすっかり家庭の団欒に浸っていた。日本の大学を卒業してすぐ、形ばかりの妻が不慮の死を遂げると、クォルは中等学校を出たばかりの奇麗な娘と再婚した。
 新しい妻が首を傾げるだけで、クォルは満足を覚えた。細い腰、微笑む瞳を眺めると、この上ない幸せを感じた。
 生きてきた甲斐というものだ。
 親のお陰で生まれた時から裕福だった。数年前に父が死に、怖ろしい親君の束縛を逃れて、長兄から相続分を受け取っていた。
 新妻の愛を享楽すべく、クォルは邪魔の多い故郷を離れ、花咲く春の都に新居を構えた。
 二十余りの部屋を持つ家を購入した彼らは、理想の家庭のため努力した――桃花心木のテーブルをソファで囲んで応接間とした。寝室、向かいの部屋は書斎、そして食堂。
 真鍮の食器は衛生に悪いと、磁器とガラスの器を使った。調度も昔ながらの衣掛や三層箪笥は廃した。家に入って誰もが最初に目にするのは、正面の大きな飾り付きクローゼット、左右の瀟洒な花柳木の卓に美しく並ぶ陶器やガラスの器。
 二人の家族で下女らを置けば、妻には何もする事がない。些少な利益のために社会で争う事もない。読書、情談、花園、キス、抱擁が二人の日課だった。
 他の日課は、理想的な家庭に必要な物の購入だ。理想的な妻は驚くべき観察眼と注意力で、理想的な家庭にあるべき物を発見した。トランプ、クリップ型の爪切りもその一つだった。

 ある日、妻は理想的家庭に欠かせない何かを悟った――なぜ今まで気付かなかったかと自ら驚く何かだった。一人で思いついた事に満足の笑みを浮かべ、外出していた夫の帰りが待ちきれなかった。
 夫が戻るや、妻は何か竜巻のような勢いで駆け寄った。
「今日、一つ思いついたの」
「何を?」
「まさに理想的な家庭になくてはならない物!」
「何が欲しいのかな」
「当ててみて?」
 妻の目に誇りの色が見えた。
「何だろう……」
 夫は辺りを見回して真剣に考えていたが、
「思いつかないよ……」
 と恥ずかしげに笑った。
「当てられない?」
 妻は一言投げて、笑顔で夫の顔を眺めていたが、重大事件を密告するかのように唇を夫の耳に当てて囁いた。
「ピアノ……!」
「そうか、ピアノ!」
 夫は素敵な夢から目醒めたように叫んだ。ピアノがある幸せを想像するだけで楽しかった。上の空となった夫の目には、もう鍵盤を滑る妻の白い指がちらついていた。

 それから二時間足らずで、立派なピアノが女王のように現れた。二人はこの華麗な楽器を眺めながら、喜び溢れる笑みを交わした。
「素敵な気が湧き出すようね」
「うん、家中が急に明るくなったようだ」
「それご覧なさい。私の思いつきはどう?」
「さすがだね、それでこそ理想的な妻というものだ」
「うふふっ」
 言葉は笑い声で終わった。
「さて、一度弾いてみようじゃないか、理想の妻の音楽の腕を見てみましょう」
 男は幸せに輝く顔で、妻の方へ向かった。
 女の煌めいた顔は、急に曇ってしまった。その頬が赤く染まった。無理にその気配を隠そうとして、消え入る声で、
「先に弾いてみて下さい」
 と言った。
 今度は男が気まずくなった。重い沈黙が続いた。
「そう言わずに一度弾いてごらん。そんな恥ずかしがる事はないよ」
 夫は宥めるように話した。しかしその声は聞こえなかった。
「私……弾けないの」
 蚊のような声で囁いた妻の両頬が熱くなり、目に涙が浮かんだ。
「そんな事は、いいさ」
 夫は得意げに笑って見せると、
「僕がいっぺん弾くぞ」
 と言ってピアノの前に坐った。クォルもこの楽器に触れた事は無かった。ただ闇雲に鍵盤をなぞって鳴らした。妻もようやく安心したように、微笑んで言った。
「本当に、お上手ですわ」
ピアノ 玄鎮健

震災日録
今月のゲスト:室生犀星

 八月三十一日
 駿河台の浜田病院に行き生後四日のわが子を見る。女なれば朝子と命名す。妻もともに健かなり。

 九月一日
 地震来る。同時に夢中にて駿台なる妻子を思う。――神明町に出で甥とともに折柄走り来る自動車を停め、団子坂まで行く、非常線ありて已むなく引き返す。とき一時半也。
 家内一同ポプラ倶楽部に避難す。芥川君、渡辺庫輔君を従えて見舞に来る。
 夕方使帰りて妻子の避難先き不明なりと告ぐ。病院は午後三時頃に焼失せるがごとし。或いは上野の山に避難したるかも知れず、されど産後五日目にては足腰立つまじと思う。――駿台、広小路、本郷一丁目総て焼けたりと聞く。されど空しく上野の火をながめるのみ。
 夜ポプラ倶楽部にて野宿す。一睡なきほどに露にてからだ濡れたり。
 上野のあたりの煙の鼻に沁みてえぐさ言わん方なし。

 二日
 早朝、お隣りの秋山さん、百田君、甥、車やさんの五人づれにて上野公園を捜す、――満山の避難民煮え返るごとし。正午近く美術協会に避難中の妻と子とに合う。妻は予が迎え遅き為め死にしにあらざりしかと云う。
 上野桜木町に出で宇野君宅にて水を乞いしかど、引越し中にて果さず、――帰らんとして宇野君に会う。田端へ避難したまえと言い別る。
 晩宇野君二十人の同勢にて来る。

 三日
 ともかく産婦と子供だけを国へかえさんと思い、俥の蹴込みに米を用意して赤羽指して行く、途中暑気のためにみな疲る。
 赤羽は二三万の避難民河口に蝟集いしゆうす。今日汽車に乗らんこと思いもよらず、とかくせるうち雨ふり日暮れる、――一同途方に暮れて居しに、十六七の少女のありて、我が家の座敷空いて居れば来りて憩みたまえと言う。一同黙然として娘さんに連れ立つ、――別荘風な家にて小田切和一と表札に書かれてある。――
 主人出で来り此宵泊りたまえという。予と妻、甥、女中、車やの五人泊まることになる。この家の主人の好意に感謝す。

 四日
 早朝、岩淵の渡しを見るに、もはや人で一杯なり。産婦子供など列車に乗らんは命を棄てるも同様なりと通行の人々云う。
 一同再び田端にかえらんことを思い、甥をして田端を見にやる。平穏也と告ぐ――夕食に梨かじりつつ寝る。この家にも米なきごとし。
 銃声と警鐘絶え間なし。

 五日
 親切なる小田切氏に別れ汽車に乗る。
 田端へ着き産婦ようやく疲る。
 生後八日目の子供は上野の火にあい、赤羽まで行きしが其疲れもなくゆめうつつに微笑えり。
震災日録 室生犀星

震災
今月のゲスト:横光利一

 地震があると等しく、直ちにこう云う地震があって良いとか悪かったとか直ぐに云われた。あっていいとは云いたい人があっても云わぬがよい。この災厄に逢った人々に災難だと思ってあきらめるが良いと云うのは陳腐である。彼らは心に受けた恐怖に対して報酬を待っている。生涯を通じてこれが稀有な災厄であったそれだけに、何物かに報酬を求めねばいられないのだ。彼らは彼ら自身の恐怖を物語るとき、追想と共に生涯誇らかになるであろう。

 東京附近に住んでいたものなら、こう云う地震がいずれ近々来るにちがいないとは、誰しも予想していたことと思われる。しかし人々は不思議にその災厄の予想については一様にぼんやりとしていた。地震に逢って初めて、こう云う地震はもう必ず来るに定っていると思っていたと云い出し思い出した。それが皆尽く偽りならぬ心から云い出したそれほども、この地震の来るということが、ぼんやりとしながらも尚且つ明瞭に感じられた。それにも拘らず、なぜこの災害をこれほど大きくしてしまったか。それは一口の平凡な言葉で云い切ることが出来る。「人間はあまり功利であったが故に。人々は大声をして警告し合う暇を忘れていた」と。もし人々にしてその暇を有っていたものがあったとすれば、損をするものは同時にそのものであるのを忘れなかった。その暇に、地震は地下で着々と予感を報じながらその週期を満たしていた。一度週期が満ちると同時に、人々は、あたかも次の週期に満足を与えんとするかのごとく、直ちに再びその上に来るべき災害の予約を建設し始めた。そうして、彼らは互いに次の恐怖時代を云い合うとき、一様に彼らの口から流れる言葉は定まっていた。「なに、我々は最早やそのときは死んでいる」と。――我らの民族の永久に繰り返して行く言葉は、この恐るべき功利の言葉に相違ない。そうして、この言葉が新鮮な力をもって繰り返されれば繰り返されるにしたがって、かく災害を大ならしめた科学と、自然の闘いは益々猛烈になるであろう。吾々を負かすものは地震ではない。それは功利から産まれた文化である。我々の敵は国外にはない。恐るべき敵は本能寺に潜んでいる。
(大正十二年十一月)
震災 横光利一

震災文章
今月のゲスト:菊池寛

災後雑感
 地震は、われわれの人生を、もっとも端的な姿で見せてくれた。人生は根本的に何であるか、人生には根本的には何が必要であるかを見せてくれた。人生につきまとっていた、いろいろな表面的な装飾的なものが、地震の動揺に依って、揺り落とされてしまったのだ。われわれは露骨な究極の姿で人生を見たのだ。
 われわれは、生命の安全と、その日の寝食との外は何も考えなかった。われわれはそれ丈で十分満足していた。一家が安全に、この災厄を切りぬけようと祈念する外は、何の心もなかった。それ以外のものは、われわれにとって凡て贅沢だった。人は、つきつめるとパンのみで生きるものだ。それ以外のものは、余裕であり贅沢である。
 ひどい現実の感情に充ちているときは、芸術を考える余裕はない。烈しい失恋に悶えているときは、ゲーテもシェイクスピアもない。烈しい忿怒の念に駆られている時は、ストリンドベルヒもドストエフスキイもない。地震から来るいろいろな実感に打たれたものには、芸術的感興は容易に湧かないだろう。生々しい実感は、容易に芸術化をゆるさない。若し、当座に地震小説を書くものがあったら、ほんとに地震を体験していないものだ。

 地震襲来の当時、ある湯屋に一人の婦人客がいた。他の客の狼狽するにも拘わらず、三助にを要求した。戸外に逃れていた三助は、おどろいて婦人の逃れることをうながした。婦人は、悠然として身体を拭い身づくろいをしてから出たと云う。家が崩壊しなかったればこそ、この婦人は沈着を称される。若し家が、崩壊したならば、この婦人はその愚かさを嘲笑されただろう。
 被服廠や竪川筋や、永代橋などで焼かれた人が、いかに多くその沈着を現し、如何に多くその勇気を発揮し、いかに多く烈しい愛を示したことだろう、しかも、凡てみな死滅の煙に掩われてしまった。人間の美徳も、自然の暴力の前には、何と云うはかないものであろう。
 人間が、あまりに自然に甘え過ぎたのが悪いのだ。もし、自然に人間以上の意志があるとすれば、それは残酷な非人間的な意志なのだ。政府と政友会とが、お互に『そちらがそうなら、此方でも覚悟がある』と云っているように、われわれも自然に対して覚悟をすることが肝心である。(大正十二年十一月)


地震の影響
 地震のことをかくのは、一時月並になったが、もう誰も云わなくなった今は、月並でないだろう。地震は、どうも精神的に悪化を及したような気がする。私自身、地震前には、何となく天を怖れる気がしていた。人間以上の存在が何かしら在って、我々の行為を視ている。そんな気がぼんやりしていた。何となく天道を怖れていた。だが、あの地震で天道など云うものが絶対にないことが分ったような気がした。あの地震を天譴てんけんと解した人などがいたが、私はあの地震で、天譴などが絶対にないことを知った。若し天譴があるならば、地震前栄耀栄華をしていた連中が、やられそうな筈が、結果はその正反対であった。藤沢清造氏の言い分を借れば、おてんとう様を怖れる気が、なくなったような気がするのである。私自身、あの地震を堺として、人間が少し悪くなったような気がする。恐らく東京人の多くもそうではないかしら。一つはボンヤリでも怖れていた天道を全く怖れなくなったのと、とにかく一の命拾いをした以上、もっと面白おかしく暮そうと云う享楽的気分が生じたのではないかと思う。近時の東京の世相を見ると、人心が地震前より悪化しているような気がする。しかも、その悪化が、ひとり経済的原因から来ている丈でないように思う。(大正十四年四月)