サフラン酒
今月のゲスト:越地水草
暗いので、細君の白い顔がさびしく見える。眉をひそめていた。
主人はしきりに萡芙欄の花を撰っていた。
縁には、生渋をひいたたとう紙をひろげて、やはり濃い紅紫色のサフランの花が、陰乾しにしてあった。はげしく匂う。
秋の末の、午後の弱い日光は、白く流れさして、コスモスの花の白いのと紫のとが、潮に動く海藻のように、はげしく風にゆれていた。
「ほんとうに無駄ですよ」
細君はおすおず云った。そして主人の顔をうかがうように見た。主人はやはり相手にしないと云ったような顔をして、まだ生なサフランの花を撰る。指がサフランの色にそまっていた。
「そう、ほんとうに」
梨子にかぶせる新聞紙の袋を貼っていた娘が、ふり向きさま声高く云った。やはり細君に似て、色の白い、眼の大きい。
「それに、それに何でしょう、こしらえ方だって知らないんでしょう」
主人は笑っていた。いくらか酒気をおびて、赤い顔をしていた。
「知らないでも出来る」
「まあ、お父様は、何だってああなんだかしら――ほんとうに、それだけの萡芙欄が、ただになって了うんだもの、惜しい、乾かして売れば……」
「ほんに」と、つい細君も云った。云って驚いたように白い顔を哀しくした。
「何を云うんだ。きッと出来る」
「出来るもんですか、拵え方も知らないで」
「出来るッたら。黙っていたら好いんだ」
「だって、拵え方も……」
「馬鹿ッ」
主人はけわしい顔をした。娘はだまった。
細君の白い顔は、なお白くなって、激しい恐怖に唇は震えていた。気遣わしげに娘の方を見たが、涙ぐんで俯向いた。
娘はだまって了ったが、何か口の中で呟いながら、また急がしく袋を貼る。たえず動く袖の脇から、うす紅いろの振がちらちらもれて、それが何となく暗い沈んだ家の中に匂やかに見えた。
主人は深い酒気の息を幾度もついた。しきりに撰っていたが、やがて撰って了って、叮嚀に新聞紙に包んだ撰りわけた屑花や粗い蕋やを、縁のたとう紙の上へまぜて、手をはたいた。その音が、あたりの空気に耳立って響いた。
眼鏡をはずすと、ノシノシと奥へ入って行った。奥も暗い。
サフランははげしく匂う。
主人が奥へ入ると、細君と娘とは、さびしい顔を見合わせた。そして娘は、苦い顔をして笑った。細君は白い顔をさびしくした。
「見ててごらんなさい、どうしたって出来るもんですか」
娘はもう堪らないといったように云った。
「えええ、そりゃ勿論出来ないのは解っているんだけど、あれがお父様の性分なんだからね」
細君はやはり涙ぐんでいる。
「お父様、やっぱり出来る積りなんでしょうか」
「それもどうだか」
「あんなに威張っておいて、出来ないだって、恥ずかしいとも思わないんだから」
二人はしばらく無言った。
広い人気のすくない家の中は、ひっそりとして、秋の日の冷やかさが身に沁む。
「お母さんだって、こんなに苦労するのも、やっぱり――それに、止めるとああだし。お父様なんか、好んで、苦労するようにするようなものだから、もう、ほうっておくより詮方ないんだよ。自分でして見たら得心がゆくんだから」
細君が、涙ぐんでいるので、娘はもう何も云わなかった。
二人の白い顔が、暗い中に浮いて見えた。娘の白い手先は、しきりなく動いて、新聞紙はさらさらと、さびしい音を立てる。袋は来年の梨子につかうのである。新聞紙や雑誌やの散らばった中に、土壌、肥料の何とかと、果樹栽培何とかとの、厚い書物の金文字がけばけばしく見えていた。
「そして、サフラン酒だって、何にするの」
「薬になるんだって」
「そして売れるんですか」
「どうして、売れるもんかね」
「じゃ出来たって、ただなんだわね」
娘は口惜しそうに云った。そこへ主人が、四角な、黒い壜をさげて出て来た。
秋の日は、さあと陰って暗くなる。
二人はだまって了った。