Entry2
深淵さんいらっしゃい
サヌキマオ
Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.
――Friedrich Nietzsche『Jenseits von Gut und Bose』(1886)
そして君が深淵を覗くとき、深淵あけましておめでとうございます。
深淵における年明けと合わせる目論見で日本の山の日が八月十一日になったのは有名な話であるが、今日も今日とて君は深淵狩りに勤しんでいる。山の穴で待つこと小一時間、藪の中から顔を出したところを鳥黐のついた棒、もとい棒のついた鳥黐でぺたりとやるとすぐに引き抜けた。見事な型のメスの深遠だ。
深淵は怒りを込めてじっと君を睨みつけている。深いよどみのような黒目だ。深淵を覗くとき、君も深淵と同じ表情をしているだろう。これは恋であるか。いや、そう決めつけるには尚早というものだ。
まもなく爛れた関係が始まった。サルの仲間の中でヒトだけが向かいあって愛しあうのは、相手の瞳の中に自分と同じ悲しみを探すからだという歌を想い起こす。鳥黐のついた髪をはさみで切ったのでアンバランスになった頭をなでながら、いつしか君の頭もだんだら斑に禿げている。深淵は君に、君は深淵になる。何度でも祝おう。深淵あけましておめでとうございます。深淵さんいらっしゃい。君と深淵の馴れ初めを聞いた三枝師匠(当時)が椅子から転げ落ちる。
やがて深淵が君の子を宿す。生まれたこどもは君ではない。君が愛情を以てこどもを覗くとき、こどもは昼夜問わず泣き叫んだりする。理由を考えてはならない。なぜ泣いているのか、泣いている本人にだってわからないときもあるくらいだ。
こどもが電光丸で切りかかってくる。深淵白刃取り。取り損ねて刃先は額を打つがおもちゃなので痛くない。やぁねえと深淵が笑う。深淵になった君も笑う。こどもは深淵ではない。
ここまでで深淵と何回書いたでしょう? 君は苦し紛れの問いかけをする。深淵に飽きたわけではないが、君と深淵との重なりにずれが見え始める。君は君を取り戻し始める。こどもはとっくに別の深淵になっている。取り戻された君は七月の海に向かう。海の日はまた別の深淵の年明けだ。海には月を映す深淵があり、君が求めて深淵を覗くとき、深淵も物欲しげにこちらを覗いている。君は銛を構える。深淵も銛を君に向け、互いの心臓をひと思いに突き刺す。君は深淵であり、深淵は深淵ではない。
深淵不思議、意馬深淵。深淵カムバック。荒野を馬が駆けていく。