とっくに夏は終わったはずなのに夜の闇まで蒸し暑い。空き家の床下に住まうたぬきの夫婦があって、神社の手水舎まで水を飲みにきている。石づくりの狭いへりに無理やり乗りかかり、たらふく水を飲むとようやく狸心地がついた。メスはすでに身ごもっていて、たまにお腹の皮が、ぼんと動く。
「相変わらずしょうもないことなんだけんども」
「なんだえ」
「人間てぇのは、うんこをするものかね」
「藪から棒に」
「だってそうじゃないか、お前さん、人間のうんこの落ちているところを見たことがあるかい」
見たことが、というのは、いぬの仲間にとっては「嗅いだことが」と同じ意味だ。
「ねぇなぁ」人の匂いがわかれば、うんこの臭いも関連してわかる。「云われてみれば」
「前から不思議だったんだけどさ、ついぞもっと不思議になっちゃった」
「まぁ、しねえのかもしれねえ」しない、と決めてしまったほうがスッキリする、とオスは思っている。「にんげんだもの、きっとしねえのよ」
と、闇の奥から不意に誰だかの匂いがする。危険を悟ったメスは地面に降り立ち、オスは牙を剥く用意をして目を凝らす。
境内の端のブロック塀の陰からのっそりとあらわれたのは老いた黒犬で、敵意もなさげにこちらへ鷹揚に歩いてくる。「ちえとミジを飲まんてくにゃ」と犬訛りの声ですっかり安心するのがたぬきの了見だ。黒犬はよっこらしょ、という塩梅で手水のへりに前足をかけると、大変そうに水をべちゃべちゃと飲んだ。
「旦那さんにちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
黒犬は「あっしゃメスだんそも」とことわりを入れたうえで。
「あだすも人間にゅ飼わっていだこっはあっだども、人間は、うんこば食」と答えた。
「うんこを!?」
夫婦の驚かないことか。
「そズ。人間と散歩こぐとにゅ、おらのうんこさ大事に紙コ包んでしまって、それからトン、と出てごね。出てごね、てこた、食た、ということでぬがと思んけども」
たぬきの夫婦は脳みそをかき回されんばかりに驚いた。が、合点がいく。己のうんこを見せず、犬のうんこをしまい込み、おそらくは猫のも。ねずみのも。
「父ちゃん、あたしゃずいぶん恐ろしくなってきた」
「たぬき内でもうんこを食うたぁやはり性の悪いもんだもんな。とんでもねえ了見だ」
犬に礼を云って床下のねぐらに帰る。ここにかつて住んでいたのは九十にもなろうというお婆ちゃんで、あれもうんこを食っていたかと思うとそら恐ろしい。