■ Entry3
ポケットのふしぎごんぱちさん
感想:「廃園」
ありそうな場所である。呼ばれてしまったという感覚もわかる。信仰というものは、おおよそそんなものだ。「厄難除け」のティッシュを配っているという設定もいい。エレベーターに軽く挟まれるくらいで厄が落ちたと考えたらいい。一番気になったのは、カップヌードルの何味を食べたいのかということである。私のおすすめはシーフード味だが、ぜひカレー味にチャレンジしてほしい。ティッシュにひかれて吸い込まれるように入った風俗店の嬢が狭い控室で休憩中に食べたらしいカップヌードルカレー味の匂いを漂わせながらフェラチオをしてくれる。それもまた厄難除けの儀式と思えば風情を感じるのである。
「ポケットのふしぎ」
この百年で地球の人口は増えすぎてしまった。飢えに苦しむ人々がいると思えば、まだ食べられる食糧を大量に破棄する人々もいる。私たちはどうやってこの不均衡を是正したら良いのだろうか。
私が働く職場には「お客様の声」という箱があり、私たちが提供するサービスに対する各種ご意見や苦情を承っている。たまに見受けられるのが、世界平和や貧困にあえぐ社会状況を見るに見かねて独自の解決策を断定的に論じた文章である。決まって荒々しい手書きである。彼らにとっては一刻を争う事態なのである。
人が生きていくのに最も大切なものは正義や誠ではなく勢いである。本作にはそのような勢いが感じられて頬が緩んだ。勢いよく緩んだ。
私たちの投書箱に投げ込む方には、ぜひこのような場をおすすめしたいのである。
投票者: このバトルへの参加作者
感想:「長編小説(途中まで)」
神社に車椅子は設置されているのか、とかそこで引っかかってしまった。あってもいいのだけれど。
あとなんだ、このシーンだけで本妻とはもうすでにしばらく「ヤッて」ないというのがなんとなく察せられるのはすごいなと思った。日常においては善良な(?)パーソナリティでおられるというのがわかる。違うかもしれないけど。次回は本妻との濃厚なセッ
「廃園」
よくわからない話を書きました。次回で回収します。
「ポケットのふしぎ」
ドラえもんの「バイバイン」でしばらく考察したことがあるのだが、こういうのって増えるのは「ビスケット」ではなくてビスケットという「概念」のほうなんですわね。バイバインを栗まんじゅうに一滴かけたとて、かかったところの部分だけ分裂を始めるのか、栗まんじゅうという個体、つまりは概念そのものが「殖える」のか。
これ、突き詰めるとバイバインで地球は殖えるのか(薬剤を地面に垂らす)、みたいな話になり、面倒くさくなって途中で投げ出すんですが。
「銭形平次 八五郎のバレンタイン2」
文章が「こなれていないな」と思うときに自分は何を観ているのか、という省察になっていい。
たとえば、
>それでも、お静の目が細くなったとき、八五郎は彼女の視線から逃れることができず、内心で震えていた。
客観現象としては「お静の目が細くなった」なんだけど、まぁ「お静が目を細めた」だし「彼女の視線から逃れることができず、」はなんだったら省略してもいい。脳内で補完できる。
>「な、なんで親分が食べてんですか!」
>「おめえが食わせたんじゃねえか!」
>「だってお静さんが美味しそうに食べたから!」
ここに至るまでの「八五郎が平次に食わせた」という部分の描写が欠落しているあたりもAIなんだな。「平次が鍋を抱えて転がった」という結果から原因を特定が出来ないあたりに違和感は生じる。八五郎が食わせたのか、平次が自分で摘んだかはこれではわからないものな。「愛を込めやがったな」は笑える。
などといいつつ、Grok面白いよなぁ。「感情の整理をしてください。勝手に決めつけたりせず、わたしに質問を投げかけて思考を深める役割をしてください。考えを深め尽くしたと感じたら分析を依頼します。」とか投げかけておくとしばらく遊べる。
「芝居」
このくらいの民度、というか風俗、なんだ、いい言葉が出てこないが「あった」という記録としての文学は、いいなぁ。
でも与太ツイートに真剣に絡んでくる人のあれだけ多いのを見ていると、今も昔もあんまり変わらないのかもな。顕在化していなかっただけで……。
投票者: このバトルへの参加作者
感想:近い未来、といっても80〜100年先ぐらいの話だけど、人類は誰もが物質的には不自由をせず、欲しい物は何でも好きに、格差なく手に入る、そんな時代が当面の間は人類のもとに訪れると、そう予想している。それで幸福になるかは今のところ分からない。ポケットの時代はそれに近かったようだが、悲しいことに、数十億年もポケットで暮らしつつ大局を何も変えられなかったのである。ビスケットの製造とかも延々続けていたのだろうか。悲しい、悲しい話だ。
投票者: その他のQBOOKS参加作者